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第三十話― 阿修羅工業高校編① クラス委員長VSグラサン番長(2)

「そうだったのか。済まなかったな、コイツらが世話になっちまって」

 翌日の朝、ここは派茶目茶高校二年七組の教室。

 昨日の事件の一部始終を聞かされた勝。クラスメイトを助けてくれた二年八組の功労者に感謝の意を示した。

 幸い、勘造と志奈竹の傷も重症ではなく入院することはなかった。これもひとえに、応急処置といったケアの面まで見届けた隣のクラスの仲間たちがいてくれたからこそのもの。

 だからこそ、きちんとお礼をすることが仁義というよりもクラス委員長の務めだと思っているのだろう。

 礼には及ばないがそれよりも……。須太郎はさりげなく質問する。こういう目に遭う理由について身に覚えがあるのか?と。

「いやな、この前の休みの日にさ、肩と肩がぶつかって口論になった末、ちょっとこずいちまったんだよな」

 当時を思い起こしながら事の背景を語り始める勝。

 ムシャクシャしていたこともあって、悪口をぶつけられてついカッとなって相手の男性に手を出してしまったこと。自分自身の正体を名乗り、いつでも掛かってこいと挑発したことなどすべてを。

 まさかそれが現実となり、しかも単独ではなく仲間とつるんでやってくるとはさすがの彼も想像していなかったことだ。

「……おまえ、自重しないと損ばかりするぞ」

「ははは、それを言うなよ」

 冷静に対処することこそが、いざという時に身を助ける。須太郎からお説教まがいの台詞をもらって、さすがの勝も反論できずにウルフカットの髪の毛を掻きむしるしかない。

「……アイツらの素性は知ってるのか?」

「知らんというか、わからんというか……」

 勝はなぜか奥歯に物が詰まったような口振りだった。サバイバルで磨き上げた勘の鋭さを持つ須太郎がその違和感に気付かないわけがなかった。

 こういう状況において隠し立ては良くない。須太郎からそう諭された勝は記憶の片隅に残っていたあるキーワードを告白する。

「いやな。そいつさ、阿修羅工業もんとかほざいたんだよ」

「……何? 阿修羅ってあの阿修羅か?」

 須太郎も阿修羅工業が恐れられる存在だということは知っている。

 あそこには喧嘩のプロフェッショナルが蔓延ると噂されるぐらい危険な学校、下手に手を出したら手痛いしっぺ返しを食らう可能性が大きい。

「安心しろよ。矢釡中央駅付近に連中がいるわけねーだろ? だから、ハッタリかましてきたとすぐにわかったさ」

「……ああ、それもそうだな。確かにヤツらがいるのはおかしいな」

 出会った時は普段着だったとはいえ、見た目から成人男性とも思えなかったので必然的に学生に行きついてしまうところ。どうせチンケな学校の悪ガキレベルだろうと安易に予想ができた。

 いずれによ、自分が撒いた種によりクラスメイトが負傷してしまったのも事実。こればかりは反省しなければなるまいと、勝は勘造と志奈竹の二人に謝罪の弁を述べた。

「モヒカン、ボウズ、申し訳なかったな。俺のせいでよ」

「いえいえ、気にしないでいいっスよ」

「うん、こんな傷なんてすぐに治っちゃいますから」

 勘造も志奈竹も傷が痛まないわけがないが、頼れる先輩を誇りに思い気遣いを見せるその姿勢は、そう簡単にちぎれたりしない固い友情を物語っていた。

 昨日はこれで済んだとはいえ、事態はまだ収束に向かっているわけではない。敵も人数を揃えて逆襲してくる可能性だって十分にあり得るからだ。

 そんな懸念が目の前にあっても、勝はまったく臆することなく気勢を上げた。その時はその時だ、何人束で掛かってこようがすべて返り討ちにしてやると。

 自分ならまだしも、何も罪もない後輩に手を出すなんて許せない。彼は握り拳を固めて表情にも怒りの二文字が浮かび上がっていた。

「次は容赦しねぇ、この俺が捻り潰してやる!」

「……さすがはスグル、おまえらしいな」

 勝は責任感のある義理堅い男。それを理解している須太郎も陰ながら応援させてもらうと力になることを約束してくれた。これなら鬼に金棒、どんな相手がやってきても怖くはないだろう。


* ◇ *

 その日の午後三時過ぎ。物語の舞台は人気のない廃工場へと移る。

 ここにいるのは阿修羅工業高校の番長とその配下たち。ここでは非常事態に対処すべく緊急集会が開かれていた。

 派茶目茶高校の任対勝を見つけ出して完膚なきまで叩きのめす。その目的にためにいざ乗り込んでみたが、結果としては本人に会えぬままに退散と相成った。

 番長はその事実を知って腕組みしながら押し黙る。虫の居所が悪いのだろう、真っ黒なサングラスの艶が濁ってしまうほど気持ちは穏やかではなかった。

「す、すみません、番長! 油断してました」

 タカシは不甲斐なさを猛省し土下座して許しを請う。ジローとスエキチの二人も後ろめたさからか、額を床に押し当ててひたすら謝罪するしかない。

 彼らもお仕置きされたくない一心で言い訳をする。派茶目茶高校にも戦闘力がある者がいる、見くびってしまっていたことがそもそもの間違いだったと。

 どんな言い訳でも、阿修羅工業高校の看板に泥を塗ったのは紛れもない事実。その尻拭いをするのはまっぴらご免の番長ではあるが、ここで配下を切り捨てたりしたら余計に始末が悪くなってしまう。

「まったく、派茶高の分際で意気がりおって」

 番長はどっかりと据えていた腰を持ち上げた。ガッチリとした体格の彼が立ち上がると、威風堂々とした仁王様のような印象を抱かせた。

「まさか、番長自ら……!」

「おまえらが役に立たねーんじゃ、俺が行くしかねぇだろうが」

 派茶目茶高校の小童どもに番長が直々に引導をくれてやろう。ついに阿修羅工業高校も本気モードに突入したようだ。

 久しぶりの出番に心が躍るのか、彼はグリスを塗りまくったリーゼントの髪をくしでとかして不敵な笑みを浮かべていた。

「番長、俺もお供します!」

「もちろん、俺も行きます!」

「お、俺も連れていってください!」

 タカシにジロー、そしてスエキチは土下座しながら同行させてもらいたいと懇願した。彼らもプライドを砕かれたままでは気が収まらず、どうにか汚名を返上したいと願っているのだ。

 いざという時のために兵隊は多い方がいい。番長はそんな思惑から彼らの同行を認めたが、それを決めた理由はそれだけではなかった。

(……この不祥事が、アノ人たちにバレる前に片付けておかねば)

 アノ人たちとはいったい――?何やら意味深なキーワードがここで出てきた。

 もし配下たちをないがしろにしたり、責任を押し付けたりしたらアノ人たちの耳にこの事実が知れ渡ってしまう危険性がある。それだけは何としても避けなければいけなかった。

 ちなみに今の時点でアノ人たちの真相には触れないでおくが、番長にとって震え上がるほどに恐れる存在であることは間違いないだろう。

「いいか、ここで決めるぞ。二度と同じ過ちは許されない、そう思えよ」

「わかってます、番長」

 阿修羅工業高校はついに番長が動き出した。迎え撃つことになる派茶目茶高校の面々の運命はいかに――?


* ◇ *

 その日の放課後。

 一日の長いお勉強を終えて、それぞれの自由時間のために教室を出ていく生徒たち。その中には、筆記用具や教科書をカバンへとしまっている由美の姿もあった。

 復習や予習に余念のない彼女、間違っても他の生徒とは違って教科書を机の中に置きっ放しといったことはない。

「よっ、ユミちゃん。駅まで一緒に帰らないか?」

「ケンゴさん。うん、いいですよ」

 気さくに声を掛けたのは、カバンの中に教科書どころか鉛筆一本も入っていない拳悟だ。というよりも、彼は財布以外はほとんど学校に持ってきていなかったりする。

「それよりも、今日は先生に呼び出されてなかったですね」

「いやぁ、今日はあのお経から解放されてホッとしているよ」

 拳悟はご承知の通り遅刻組である。毎々遅刻しては、担任の静加からお説教という名のお仕置きを食らったりするわけだが。

 珍しく今日は始業開始一分前に滑り込みセーフだった彼。ただ眠たくなるだけのお経を聞かずに済んで悠々と帰宅の途につけるというわけだ。

 そんな感じで男女二人が雑談していると、ぞろぞろと一つの大きな集団を作って教室を出ていこうとする生徒たちがいた。よく見てみると、リーダー役の位置にいるのはクラス委員長の勝だった。

 勝の傍には拓郎、そしてその後ろには勘造に志奈竹。また、二年七組の名前すら紹介されない男子生徒も混じって人数はざっと十数人だろうか。

「おいおい、どうしたんだ、おまえら? これからストライキでも起こす気か」

 拳悟が冗談半分に問い掛けても、勝はいつになく真面目な顔つきで質問に答える。別にたいしたことじゃない、気にするなと。

 とはいえ、気にするなと言われて納得できる人数ではないのもまた事実。拳悟と由美の二人は顔を見せ合って不思議がった。

「まぁ、いいか。アホは放っておいて俺たちも帰ろうか」

「ははは、アホだなんて……」

 勝たち一同は周囲の目も気にせず教室を出ていく。

 なぜ団体を作って意味ありげに帰宅するのか?それにはそれ相応の理由があった。

 派茶目茶高校が他校の生徒から狙われている――。昨日の勘造と志奈竹のような犠牲者を増やすわけにはいかない。勝はそんな思いからこういう行動を取ることを選択したのだ。

 彼にはもう一つ、大きな決意があった。

 加害者側であるあの連中に次に会った時こそ決着を付ける。二度と派茶目茶高校の学区内で好き勝手なことはさせないと。

 肩で風を切って校舎から離れていく男の後ろ姿には、仲間や後輩から慕われるほどにたくましい勇ましさが映っていた。

 一方その頃、派茶目茶高校を粉砕すべく阿修羅工業高校の番長一味が矢釜中央駅のプラットフォームを越えたところだった。

 彼らは一度自宅に帰宅して普段着に着替えた後であった。真っ黒な集団で行動するよりも普段着の方が動きやすいと思ってのことだ。

「ここで待っていれば派茶高もんが来るというわけだな」

「はい、間違いありません。ここはヤツらの通学範囲ですから」

 矢釜中央駅は派茶目茶高校の最寄駅だ。阿修羅工業高校の連中の狙いとは、ここで網を張って標的とも言うべき勝がやってくるのを待ち伏せしようというものだ。

 ただ、ここでイライラしながらじっとしていても無駄な時間を過ごすだけ。というわけで、彼らは駅舎内にある待合室で待機することにした。

 待合室の利用用途は言うまでもなく、乗車する電車が到着するまでの休憩スペースである。いくらどんな時間帯であっても、備え付けのベンチに腰掛けて読書なり居眠りしている人は当然少なくはない。

「何だぁ? 何見てやがるんだよ、こらぁ!」

 不良という輩は本当にたちが悪い。席を譲れと言わんばかりに、彼らは一般市民に向かって睨みを利かして脅しを掛けていた。

 面倒事はもちろんだが揉め事にも一切関わりたくない。一般市民は不服そうな表情で一人、また一人と待合室から姿を消していく。いつの間にか、待合室は阿修羅工業高校に私物化されてしまった。

「番長、どうぞここへお座りください」

「うむ」

 待合室のど真ん中でどっしりと腰を据える番長。己が偉大であることを誇示するかのように、彼は禁煙にも関わらずたばこをふかして腕組みしながら踏ん反り返っていた。

 それから数十分が経過したであろうか。人ごみ溢れるアーケードから賑やかな矢釜中央駅へワイワイと近づいてくる派茶目茶高校の生徒たちがいた。

 先頭にいる人物こそリーダー格の任対勝。そう、派茶目茶高校の二年七組の集団がそれぞれの帰宅のために駅前へとやってきたのだ。

「あっ、アイツだっ!」

 勝の存在に逸早く気付いたのは赤毛の髪の毛のスエキチだ。このたびの小競り合いのそもそもの発端は、スエキチが勝から小突かれたことから始まった。

「番長、お待たせしました!」

「いよいよ来やがったか!」

 スエキチの呼び掛けに反応するタカシとジローの二人。当然ながら、サングラスで隠されている番長の目も見開かれた。

 阿修羅工業高校のプライドと威厳を示すため、番長は温めていたお尻をゆっくりと持ち上げる。日頃からなまっている全身を解して戦闘態勢も万端と言わんばかりの様相だ。

 一方で、ターゲットとしてマークされている勝たちは世間話で盛り上がりながら歩いていた。この時は、まさか矢釜中央駅で敵が待ち構えているなんて想像もしていなかった。

「――――!」

 楽しい表情から一変、勝と拓郎の表情に緊張感が駆け巡った。駅前の雑踏の中に浮かび上がる異様な雰囲気を醸し出している男性四人の姿。

「おい、スグル。駅の方を見てみろ」

「……わかってる。いよいよお出ましってやつか」

 派茶目茶高校の勝と阿修羅工業高校の番長の視線がメガネのレンズ越しで重なった。

 たった一つのきっかけが生んだ抗争劇。お互いの学校の代表者と言っても過言ではない者同士が雌雄を決して対峙すべき時がついにやってきた。

「俺たちのことはわかってるな? 付き合ってもらおうか」

 白昼堂々と衆人環視の前でやり合うのは得策ではない。人ごみから外れた駐車場まで付き合うよう指示した番長。勝はここまで来て逃げ隠れもしない、コクっと力強く頷いて素直に応じた。

 歩くこと数分ほど。十数人の高校生が集う場所は、駅前にある百貨店の関係者専用駐車場だ。

 ここであれば人通りも少なく言い争いには打って付け、たとえ暴力沙汰になってもすぐに通報騒ぎになることはまずないだろう。

「よくも舐めたマネしてくれたのう。ケジメは付けさせてもらうぞ」

「ふざけんな! おまえらこそ罪もない仲間をよくもやってくれたな」

 世間から不良と呼ばれる連中は激しい罵り合いを繰り返す。双方とも正解不正解などない、己の主張こそが正義なのだ。

 このままでは埒が明かない。やはり決着を付けるには拳と拳のぶつかり合い、つまりバトルしかないのだろうか。

「おい、メガネ野郎。この俺とサシで勝負しろ」

「おう、望むところだ。っていうか、てめぇもメガネじゃねーか」

 冬の乾いた風が吹く駐車場にひと時の沈黙がやってくる。

 番長と勝の二人を残して、他の男子生徒たちはギャラリーとばかりに隅っこに移動する。これで代表二人だけのコロシアムのお膳立ては万全だ。

「フッフッフ、バカな野郎だ。我が高に楯突こうだなんてな」

 タイマン勝負に自信があるのか、番長はテカテカのリーゼントをクシでとかしてにやけながら余裕をかましている。タイマン勝負では決して引けを取らない勝もニヤッと口角を吊り上げて応戦する。

「一応聞いておいてやる。おまえはどこのもんだ?」

「史上最強の阿修羅工業高校だ。どうだ、ビビって小便漏らしただろ?」

 阿修羅工業高校――。そこは粗暴な男子学生の吹き溜まり。普通の高校生なら縮こまってしまうぐらい評判が最悪な学校だ。

 悪名高きその学校名は派茶目茶高校内でも轟いているところだが、勝は呆れたような溜め息を零して恐れることもなく平然としていた。

 先述しているが、ここは阿修羅工業高校の学区内ではないので活動エリアではない。番長が誇らしげに語ったところで、それを勝が真に受けるはずがなかった。

「ハッタリもいい加減にしろよ。阿修羅の名前を出せば誰もがビビると思ったら大間違いだぞ」

「ハ、ハッタリだと!? てめぇ、マジで殺されたいか!」

 阿修羅工業高校の番長にしたら最大の屈辱。彼の怒りは頂点を極めた。

 大きい図体で戦闘ポーズを表現する彼、それを例えるなら真っ赤なマントで挑発されるスペインの闘牛のようだ。

「この俺の恐ろしさをとくと見せてやる! 覚悟しやがれっ」

「これでも食らえっ、ハッタリ野郎が!」

 番長と勝の二人はほぼ同じタイミングで攻撃を仕掛けた。

『バキャー!』

 骨を砕くような打撃音――!果たして、どちらがダメージを受けてしまったのか!?

 矢のごとく風を切ったパンチは……己の力を過信していた番長の鼻っ面を捉えていた。そう、クラス委員長のストレートパンチの方がわずか数センチの差で勝ったのだ。

 痛撃を物語るように顔面に丸い窪みができている番長。しゃれたサングラスのレンズにも亀裂が入り、その数秒後には粉々に砕けて零れ落ちた。

「……か、かぺぺ」

 番長は意味不明な単語を呟きながら後方へとぶっ倒れた。白目を剥いたまま気絶してしまい、完全なるノックアウト状態であった。

 あっという間のバトル終了に驚く派茶目茶高校の生徒たちだったが、彼らよりも驚いていたのは、口をだらしなく開けっ放しにしている阿修羅工業高校の面々だ。番長を英雄視していただけに、その驚き具合は計り知れないだろう。

「そ、そんなまさか――!」

「あの番長が一発でやられるなんて……」

 すっかり放心状態と化しているタカシとジローの二人。スエキチに至っては歯をガタガタと鳴らして震え上がっている。番長という砦を失った今、彼らに闘争心も戦意も残されてはいなかった。

「おい、てめぇら!!」

 勝のいきり立つ恫喝に竦み上がる阿修羅工業高校の連中。

「このアホを連れてとっととここから立ち去れ。二度と俺の前に現れんじゃねーぞ、わかったな?」

 実力の差を存分に見せ付けた勝は決め台詞もバッチリだ。彼を慕うクラスメイトたちは称賛の声に合わせて、敗戦した阿修羅工業高校の連中に嘲るような野次を飛ばす。

 帰れコールが駐車場に轟く中、負け犬たちは番長を三人がかりで抱き起こす。そして、悔恨の表情でそこから逃げ出していった。性懲りもなく、この借りは必ず返すと捨て台詞だけは忘れずに。

「ご苦労だったな、スグル。それにしても楽勝だったな」

「まぁな。この俺があんな連中にやられるわけねーだろ」

 拓郎からの労いに勝はニヤッと笑って勝ち名乗りを上げた。それにつられて、クラスメイトの仲間たちも歓喜に沸いた。

 勝利の美酒を飲むわけにいかない彼らは、駅周辺の喫茶店でチョコレートパフェでお祝いしようと相成った。

 派茶目茶高校で誰一人も犠牲者の出ない痛快劇、これですべてが解決した。いや、解決したつもりなだけだった……。


* ◇ *

(あ~、このままだと遅刻しちゃうよ~)

 翌日の朝、矢釜中央駅の駅舎から猛スピードで飛び出してきたのは、派茶目茶高校二年七組のヒロインである由美であった。

 始業開始まで残り時間はわずかだが、彼女は別に夜更かしして寝坊したわけではない。忘れ物に気付いて途中で自宅にとんぼ返りしたわけでもない。ではなぜ遅れてしまったのか?

 本日の朝、矢釜市内を縦断する鉄道ラインで人身事故が発生。その影響で朝早くからダイヤが乱れてしまった。それは矢釜東駅から乗車する彼女も例外ではなかったというわけで……。

 その場合、遅延証明書が駅から発行されるため学校に遅れたとしても遅刻にはならないので安心なのだが、それでも急ぐのは優等生らしい彼女の性格だろう。

 一方その頃、由美よりも少し前の通学路を進んでいる一人の男子学生がいた。

 彼は朝食代わりのコッペパンを頬張りながらのんびり歩いている。遅刻しようがしまいがお構いなしといった感じだ。

「喉が渇いたな。コーヒーでも飲んでいこうかな」

 遅刻どころか授業までエスケープを企てるこの少年こそ、派茶目茶高校二年七組のヒーローである拳悟であった。

 さすがは遅刻組とも呼ばれる彼だけに、始業開始のベルの音などまったく気にしないようだ。ある意味、潔いというかポジティブ志向というか。

(ん? 後ろから駆けてくる子ってまさか)

 後方から聞こえてくる足音に気付き、拳悟はおもむろに顔を振り向かせる。すると、黒髪を振り乱して息までも乱しているクラスメイトの姿が視界に入った。

「ユミちゃん、おはよう。珍しいねこんな時刻に会うなんて」

「ケ、ケンゴさん、おはようございます!」

 悠長に朝の挨拶を交わしている余裕などない。このままでは始業開始のホームルームまで間に合わないからだ。

 由美は慌てて学校へ急がなければならない現状を訴えるものの、拳悟は慌てるどころか大あくびをして一向に足を速めようともしない。

「もう走っても遅刻決まりだもん。無理するだけ無駄さ」

「そ、そんな、無駄だなんて! 遅刻は良くないですよ」

 あくまでも優等生の立場を崩さない由美、その一方、劣等生として物事を安直に捉えてしまう拳悟。こんな両人がいくら言い合いを繰り返しても所詮は時間の無駄であろう。

「電車が遅れたんだろう? それなら無理して急ぐ理由もないじゃん」

「それはそうだけど……。でも、やっぱり間に合った方がいいわけだし」

 由美の言い分も間違いではないしむしろ正解かも知れない。だが、自由奔放の派茶目茶高校の先輩から言わせるとそこに違和感を覚えずにはいられなかった。

 拳悟はろくな知恵もないのに生意気に自論を展開する。無理をするほど意味のない人生などない、時にはゆとりを持つことも充実した生き方であると。

「だいたいさ、ユミちゃんは真面目過ぎるんだよ。たまには息抜きしないと早死にしちゃうぞ」

「早死にだなんて、そんな極端な……」

 通学路の途中で立ち止まって困惑している由美。優劣だけではなく、派茶目茶高校の常識と非常識の境目に頭を悩ませてしまい唸り声を上げるしかない。

 彼女の脳裏に浮かび上がるのは、保護者とも言うべき姉の理恵と担任教師の静加だった。そう、二人の教育的指導者に怒られたくない心理が働いているのだ。

「よく考えてみなよ。人生なんて一度きり、自由を楽しまないともったいないと思わないか?」

 拳悟の一つ一つの言葉が由美の凝り固まった概念を少しずつ崩していった。

 遊び呆けるのは良くないが、時と次第によっては自分らしい楽しみ方も悪いことではないこと。何よりも、学生だったら学生にしかできないたった一度きりの青春を謳歌すること。

 いろいろな考え方をまとめることで、彼女にも潔いというかポジティブ志向な決断ができた。彼女は人差し指を一本だけ上げて照れ笑いを浮かべる。

「わかりました。今日の一時限目だけはゆとりを持つことにします」

「おっ、さすがはユミちゃん、そうこなくっちゃ!」

 そうと決まったら早く行動しよう。拳悟は学校とは百八十度違う方角を指差した。どうやら行き先がすでに決まっているようだ。

「ケンゴさん、どこへ行くつもりなんです?」

「知り合いがやってる喫茶店さ。コーヒーがおいしいんだよ」

 由美にとってこれが初めてのサボリ。ちょっぴり罪悪感はあるものの、どこかドキドキワクワクと心が躍る自分がいたことは否めなかった。

 さてさて拳悟と由美の二人が喫茶店へ足を向けている頃、派茶目茶高校の二年七組の教室では始業のチャイムが鳴るその時まで男子生徒が集まって雑談を楽しんでいた。

 メンバーの中には隣のクラスの須太郎に地苦夫、そして中羅欧もいる。そういうわけで、雑談の内容も派茶目茶高校に喧嘩を売ってきたあの連中のことが中心だった。

「自慢じゃないが、この俺に恐れて逃げていったわけよ」

「おいおい、十分に自慢してるじゃないか」

 偉ぶっている勝にツッコミを入れる地苦夫。そこは和気あいあいとしており、彼らの表情にも戦いを終えた後の爽快感が表れていた。

 脅威は去ったとはいえ疑問が残る者もいる。結局のところ、あの連中は何者でどこからやってきたのか?ということだ。

「……で、アイツらの正体はわかったのか?」

「いや、わからん。昨日さ、アイツら学ラン着てなかったんだ」

 須太郎にとって相手の素性がわからないのは何とも気持ちが悪い。それは勝も同様であろう。

 真っ黒な学生服という情報は勘造と志奈竹から聞いてわかっている。しかし、それを制服にしている学校など矢釜市内だけでもいくつもあり、それだけで学校を特定することは難しい。

 もう少し決定打になり得る情報が欲しいところ。二年七組に集合した男子たちは腕組みしながら唸り声を上げるしかなかった。

「……わからないならそれも仕方がないな」

「そうだな、せめて校章でもわかればいいんだが」

 校章――。地苦夫がふと漏らした台詞に反応した男子が一人いた。

 一方的に攻撃を受けてやられてしまったあの日、空き地の草むらで落ちていた学生服の金ボタンを拾った志奈竹が着衣のポケットをまさぐる。

「アイツらの学生服のボタンなら持ってるよ」

「本当か? ボウズ、何でそんなの持ってんだ」

「二日前にやられた時、落ちていたのを拾ったんです」

 あの連中の正体を特定するには貴重なアイテムだ。志奈竹から金ボタンを受け取った勝は、ミラーグラスで隠した目を細めて刻まれている校章をチェックした。

 校章は特徴的な模様をしていた。人体を象っており、そこから腕のようなものが計六本伸びている。まさに、鬼神阿修羅を象徴しているかのごとく。

(――――!)

 数秒間続く沈黙の中、勝は表情が凍り付いたまま摘んだ指から金ボタンを床に落下させた。

 カツン、カツンと、金ボタンが床の上で数回バウンドした。そして、正面を向いた金ボタンの阿修羅が不気味に輝くような錯覚すら感じさせた。

「お、おい、スグルどうしたんだ?」

「……や、やべぇよ」

 勝の異変は尋常ではない。不穏な事態を察知して、仲間たちの顔色にも動揺が広がった。

「ヤ、ヤツら……」

 震える声から発せられる答えは、派茶目茶高校を奈落の底に突き落とすには十分過ぎるものであった。

「……阿修羅工業もんだ!」

「な、なんだとぉぉ!?」

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