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第三十話― 阿修羅工業高校編① クラス委員長VSグラサン番長(1)

「ハッキリ言って、迷惑なんだけど」

「あの、あたし彼氏がいるんで」

「その顔で? 舐めないでよね」

 女の子たちの断り方は人それぞれいろいろあるものだ。

 まもなく春がやってくるものの、まだまだ肌寒さが続く二月のある休日。

 派茶目茶高校の二年七組のクラス委員長である任対勝は、寒さと寂しさを紛らわせようと街に繰り出してナンパに明け暮れていた。

 結果は見ての通りすべて撃沈。世の中、そんなにうまくいくものでもない。

 ナンパの成功術の一つに粘り強さがある。彼もそれなりに粘りに粘って口説いてみたのだが、往復ビンタをもらってまで口説くほどバカな男ではない。

(まったく……。おもしろいことでもねーかな)

 勝は行く宛もなく、たった一人で市街地をぶらついていた。

 ちなみに彼の友人であるハチャメチャトリオのメンバーだが、勇希拳悟も関全拓郎のどちらとも連絡が付かずに遊びに誘うことができなかった。

 元々、彼ら三人がつるんで行動するのは主に学校帰りの放課後だ。休日になると単独行動が多いのが実情なだけにこれは別に珍しいことではない。

 女の子としゃれたデートも楽しめない、男友達とも音信不通。彼のご機嫌はますます悪くなるばかり。ここは一つ、ゲームセンターで憂さ晴らしでもしようとそちらの方向へ急転回した。すると――。

『ドン――!』

「お、っと、済まない」

 振り返りざま、勝は見ず知らずの男性と肩同士がぶつかってしまった。

 勝は謝罪の言葉を口にしながらそこから通り過ぎようとした。機嫌がよろしくないこともあって謝る姿勢は正直なところ礼儀正しいとは言い難いが。

 その無愛想な態度が気に入らなかったのか、もう一方の男性はあからさまに不機嫌そうな顔をして勝のことを呼び止めた。

「ちょっと待てよ」

「ん?」

 呼ばれたからには足を止めて振り返るしかない。勝はミラーグラスで隠した目を細めて男性に視点を合わせた。

 髪の毛を赤く染めて耳にピアスを飾っているその男性。ドカジャンを羽織り裾の長いブカブカのパンツといった格好なので特定はできないが、顔の肌艶から判断すると高校生ぐらいの年代に見えなくもない。

「おまえさ、ぶつかっておいてそんな挨拶で済むと思ってんの?」

 赤毛の男は睨みを利かせてこれ見よがしに因縁を付けてきた。パンツのポケットに手を突っ込んでいかにも不良っぽく凄んでくる。

 機嫌が悪いのは勝も一緒だ。女子ならまだしも、かわいげのない男子から絡まれるなんてただの時間の無駄。早々にここから立ち去りたいのが本音だ。

「はぁ? ちゃんと謝っただろうが。何か不満でもあるのか?」

「当然だろ、バカ野郎。慰謝料ぐらい払うのが当たり前だろうが」

 肩がぶつかったぐらいで慰謝料を払っていたら、それこそお小遣いがいくらあっても足りない。財布の紐が堅い勝がそれに応じるはずがなかった。

「物わかりが悪い野郎だな。痛い目に遭いてーのか?」

 とことん強気に責めてくる赤毛の男。舐めるんじゃないと言わんばかりに仏頂面を近づけてくる。

 そういった恐喝なんかに動じたりしない強い心を持っているのが勝だ。慄いたり仰け反ったりせず堂々と赤毛の男と対峙していた。

 不良用語でいうガン飛ばし、メンチ切り。お互い一歩も譲らない時間がしばらく続いたが、その均衡を破ったのは赤毛の男が毒づいた何気ない一言だった。

「小汚ねーメガネ掛けて調子に乗ってんじゃねーぞ、こらっ!」

『カチン――!』

 何かが切れた音と一緒に、勝の血流が急上昇した。

 この台詞はいわばタブーだ。ご自慢のミラーグラスをバカにされて黙ってはいられない……と言っている間にも、彼は衝動的に行動を起こしてしまった。

『ガツッ!』

「ぐえぇ!?」

 それは華麗なる頭突き。ヘッドバッドの洗礼であった。

 それだけに留まらず、手刀を振りかざしての往復ビンタまでヒットした。ただでさえ苛立っているせいもあって、勝の表情はまるで赤鬼のように紅潮して冷静さを欠いていた。

 素早い連続攻撃を食らった赤毛の男は、足をよろめかせながら道路の端っこへ吹っ飛ばされてしまった。

「てめぇこそ、俺の活動の場で生意気やってんじゃねーぞ」

 仁王様を彷彿とさせるほどの憤怒。勝の気迫の方が明らかに勝っていた。

 赤毛の男は痛みと悔しさで表情を歪めている。歯を食いしばって立ち上がろうとするが、ショックのせいか両足が震えており口を動かすのが精一杯だった。

「き、きさま……。阿修羅工業もんを敵に回す気か」

 ――その時、勝の眉がピクッと動いた。

 阿修羅工業高校と言えば、勝のような男でもあまり関わりたくはない不良ばかりの学校だ。しかし、よくよく冷静に考えてみると違和感もあった。

(何を言ってやがる。ここに阿修羅工業もんがいるわけねーだろうが)

 そもそも阿修羅工業高校が群がっているエリアは中心部から離れており、ここをうろついていることはまずあり得ない。そういう理由もあって、赤毛の男が語るべく事実は信憑性が薄かった。

「知ったことか。俺は派茶高の任対勝だ。文句があるならいつでも来いや」

 負け犬に向かって決め台詞をぶつけると、勝は肩で風を切って颯爽と歩き去っていく。

 まるでシマ争いをしているヤクザ同士のやり取りのようだが、この物語は歴とした笑いあり涙ありの学園ストーリーである。

 市街地の一角で巻き起こった小さな騒動。この後、これがきっかけとなって派茶目茶高校全体を巻き込んだ大騒動に発展してしまうことなど、今の勝には当然知る由もなかった。


* ◇ *

 時は経過して翌日。

 社会人も学生も早起きして会社や学校へと向かう。電車や路線バスの乗車率が高くなり、休み明けで疲れた目を擦ったり居眠りしたりするそんなありふれた平日の朝がやってきた。

 派茶目茶高校の二年七組の教室にも、目的が学業なのかお遊戯なのかわからない学生たちが日常通りに集まっていた。

 教室の扉を開けて入ってくる女子生徒が一人。艶やかな黒髪を整えて制服をピシッと着こなした優等生、そう、この物語の主人公である夢野由美のご登校だ。

「おはよう」

「あっ、ユミちゃん、おはよう!」

 由美がまず最初に挨拶をしたのは、二年七組ではあまり目立たないせいかそれとなく登場の機会を窺っている桃比勘造と大松陰志奈竹の二人だった。

 彼らは自己紹介で終わらずにもっと目立とうとして、登校したての彼女に世間話なんかを振ってみたりする。

「ユミちゃんは昨日の休日、どこかへ出掛けたかい?」

「わたし? お姉ちゃんとお買い物に行ってきたぐらいかな」

 由美には理恵という名の姉がおり、ただいまアパートで二人暮らしだ。

 彼女の姉らしくそれはもう美しくてチャーミングな女性なのだが、若干怒りっぽくてプライドが高く、素行が悪くて軽薄な男子を毛嫌いしており妹の友人でもあるハチャメチャトリオとは馬が合わない。

 彼女たちは昨日、生活用品やインテリアなどを物色しようとホームセンターまで足を運んでいたとのこと。姉妹仲良しこよしが彼女たちの自慢だ。

 振られたら振り替えすのが通例というもの。由美も同様の質問を返してみる。

「モヒくんとシナチクくんは?」

「俺たちかい?」

 いよいよ出番がやってきた!勘造と志奈竹の二人は興奮で胸が躍った。

 それぞれの休日の過ごし方プラスパーソナルデータも紹介してもらえると思って、彼らは照れながらも満面の笑みで口を開こうとした、まさに次の瞬間――。

「あら、ユミちゃん、おっはよ~!」

「あっ、アサミさん、おはよう」

 脇役二人の出番をあっさりと掻っさらっていったのは、二年七組一番の魅惑的お色気女子である和泉麻未であった。

 新しいおしゃれなお店を見つけたから次の週末に一緒に行こう。そんな女子トークに巻き込まれた由美は、麻未に腕を引かれる格好でそこから離れていった。口をあんぐりと開けて呆然としている男子二人を残して……。

「せっかくのチャンスがすべて水の泡とは……」

「ぼくらって、やっぱりこんな役なんだね……」

 ガックリと肩を落としてうなだれてしまう勘造と志奈竹。だが安心してほしい。彼らは今回のお話でそれなりのキーパーソンになることだけは約束しておこう。

 さて、麻未と由美の二人はそれからどうしたかというと、おしゃれ談義に花を咲かせるべく自分たちの席まで向かっていたが、その途中、与太話に花を咲かせている男子たちを目撃した。

 それは昨日の休日の話題で盛り上がっていたハチャメチャトリオの三人組だ。彼らは机の上に両足を置いたり、椅子の背もたれに肘を付いたりして行儀悪いったらありはしない。

「――というわけで、そんなことがあったわけさ」

「それは休日なのにとんだ災難だったな」

「災難はいいけどよ、おまえあまり揉め事起こすなよ」

 男子三人のネタの中心となったのは、勝が偶然出くわした昨日の出来事だった。

 肩が接触しただけで恐喝まがいの因縁を付けられた彼。終わってみれば、派茶目茶高校でも指折りの実力を知らしめることで事なきを得たわけだが。

 とはいえ、揉め事はできる限り避けておきたいところだ。素性がまったくわからない相手ともなれば不測の事態が起きる危険性もある。拳悟と拓郎の二人がそれを危惧するのも無理はない。

「心配するなって。強くもないくせに威張り腐ってる半端もんに決まってるさ」

 口ばかり達者でろくすっぽ喧嘩もできない軟弱者など、いくら正体は不明でも恐るるに足らずと、勝はそう豪語して腕組みしながら声高らかに笑った。

 ハチャメチャトリオの会話をすぐ横で聞いていた麻未と由美の二人。事の一部始終までは把握していないものの、喧嘩が絡んでいることだけはわかったからか呆れた嘆息を漏らした。

「また喧嘩なの? あんたはホントに成長しないわね」

「スグルくん、理由はどうあれ暴力は良くないと思う」

 女子二人から問答無用に注意されてしまい、勝はしどろもどろになって弁明に追われる結果となってしまった。

「ちょっと待ってくれっ。俺は好きで喧嘩してるんじゃない! 街をうろついている悪人を退治しているだけなんだ」

 勝の釈明は誰が聞いても言い訳がましかった。頭がカッとなって突発的に手を出してしまったなんてとても口にはできない彼だった。

 こういう時ほど意地悪してあげたくなるのが悪友というやつだ。拳悟と拓郎の二人は嘲るように舌を出してここぞとばかりのバカ騒ぎだ。

「やーい、やーい。怒られてやんのー」

「スグルくんは女子から嫌われるぞー」

「うっ、うるせーな、てめぇら! そこに直れっ、一発ずつぶん殴ってやる!」

 直情型の性格はそう易々とごまかせるものではない。勝は昨日のように頭に血が上って右手を高々と振り上げた。

 逃げる拳悟と拓郎、それを追い掛ける勝。この構図は二年七組ではもうお馴染みの光景だが、これを見るたびに仲裁役を買って出るかどうか迷う女子生徒もいるわけで。

「アサミさん、わたしが止めた方がいいのかな?」

「放っておきなよ。どうせ、そのうち疲れて止めるんだから」

 怒鳴り声が轟く教室内。ハチャメチャトリオの追走劇は授業開始まで続いた。

 短気は損気とはよく言ったもので、他人にも仲間にも迷惑を掛けないよう勝にはもう少し気を長くするトレーニングを実践してほしいところだ。


* ◇ *

 ここは人気がなくひっそりとしたとある廃工場。

 鉄くずがあちらこちらに散乱しており、電源を失って動かない機械が無造作に放置されている。工場特有の油の臭いが鼻に付き、決して居心地がいい場所とは言えない。

 ――そういう環境下でも集まってくる者が少なからずいるもので。

 それは真っ黒な学生服をまとった高校生たち。明るいお日様の下よりも、薄暗い日陰を好む不良と呼ばれる連中だった。

 ただいまの時刻は午後三時を過ぎたばかり。まだ放課後ではないのにどうしてこんなところにいるのかというと、早い話、この高校生たちは学業に興味などなくただボイコットしているだけなのだ。

 空っぽになった缶詰を灰皿代わりにし、タバコの煙をプカプカと吹かしている彼ら。拾ってきた木箱を椅子代わりにし、気難しそうな顔で何やら雑談に耽っていた。

 そこへまた一人、不良っぽい格好をした男子が早足でやってきた。

「すんません、お待たせしました」

 ここにたむろしている連中と同様の学生服を着ているその男子だが、髪の毛を赤く染めており耳にピアスを飾っている。そう、昨日勝に絡んできたあの軟弱者である。

「おう、こっちに来い」

 手招きされるがまま、赤毛の男は不良たちの近くまで足を向ける。

 そこに揃っている不良たちは合計三人。サングラスを掛けている男とアイロンパーマの髪型をした男、そして髪の毛を突っ立てている男だ。

 彼らの正体は”阿修羅工業高校”と呼ばれる学校の番長とその配下。サングラスを掛けた番長を筆頭として、アイロンパーマの”タカシ”と髪の毛を突っ立てた”ジロー”の二人を片腕として従えている。

 ちなみに、赤毛の男の名前は”スエキチ”。阿修羅工業高校の一年生だ。

「そ、それで、御用は何ですか?」

 スエキチは怯えているのか心身とも萎縮してしまっていた。それもそのはずで、番長を目の前にしたら下級生の誰だって頭が上がるはずもないからだ。

「…………」

 廃工場内が異様な沈黙に包まれた。

 張り詰めた緊張感の中、ポツリと呟いたのは配下のジローだった。

「その額の傷、誰にやられたんだ?」

「えっ――」

 瞬時に表情が青ざめて絶句するスエキチ。突発的に手のひらを宛がった額には、肌色の小さな絆創膏が貼られていた。

 それは言うまでもなく、勝からヘッドバッドを食らった際にできた打ち身の傷跡。自宅で転んでできた傷だと周囲にごまかしていたが、まさかここで問われるとは思いも寄らなかったようだ。

 スエキチはガタガタと全身を震わせていた。それはなぜか?格上ならまだしも、格下の派茶目茶高校の生徒にやられたなんて口が裂けても言えないからだ。

「早く答えろ」

 ジローに続いて、タカシも睨みを利かして促してくる。

 どの学校でもそうだろうが、阿修羅工業高校では上下関係が非常に厳しい。上級生の言うことに下級生が逆らったりすることは許されない。ましてや番長とその配下が相手では尚更のこと。

 伏し目がちになり、スエキチはすべてを告白する。消え入りそうなか細い声で。

「派茶高……です」

 ジローはわざとらしく耳に手を宛がって問い掛けてくる。

「ああ? もう一回言ってくれや」

「は、派茶高……」

「もう一回、聞こえねーよ」

 木箱から腰を持ち上げながらジローは質問攻めを繰り返す。それにより、スエキチは逃げ場を失って精神がどんどん追い詰められていく。

 もう勘弁してください!スエキチが涙ながらにそう声を張り上げた瞬間、ジローのマッハスピードのパンチが火を噴いた。

『バキッ!』

 頬を拳で殴られたスエキチ。廃工場の冷たい床の上に突っ伏してしまった。

 ジローがさらに追い討ちを掛けようとしたその直後、制止を呼び掛ける番長の声が建物内に反響した。

「その辺にしておけ」

「――番長。わかりました」

 下級生をリンチしたところで何も解決はしない。どっかりと腰を据えている番長は、不手際を犯した者でも寛容な姿勢で許せる広い心を持った男である。

 とはいえ、このまま派茶目茶高校のようなおバカな学校に舐められっ放しでいるわけにはいかない。阿修羅工業高校の強さを示す必要があると、彼は意味深なほど不敵に笑ってサングラスを鈍く光らせた。

「番長、ここは俺たちに任せてください」

 ここで汚名返上の名乗りを上げたのはタカシだった。無論、彼が行くなら相方のジローも同行の意思を示さないわけがない。

 番長直々の命令を受けて、配下二人はすぐさま行動を開始しようとする。そんな中、床の上に這いつくばっていたスエキチが震える声で彼らにすがり付いてきた。

「ま、待ってください、俺にもチャンスを……!」

「てめぇ、何を言ってやがる!」

 スエキチもそこいらの半端者と思われるのはまっぴら御免、やられたままの負け犬では男が廃るというものだ。

 タカシとジローが調子に乗るなと反対しても彼の気持ちは変わらない。ギラギラとした目が復讐に燃える闘争心を物語っていた。

 番長は心が広く威厳のある人物、そうでなければ配下の忠誠心も揺らいでしまうだろう。彼はコクっと頷いて了承の意思を示した。これがラストチャンスだと付け加えながら。

「いいだろう、おまえら三人で行ってこい」

「あ、ありがとうございます、番長!」

 赤毛の頭を何度も振り下ろして感謝を伝えるスエキチ、そしてニヤッと口角を上げて寛大な姿勢を見せる番長。彼ら二人の思惑は必ずしも一致しているとは限らない。

 番長という後ろ盾により安心して逆襲の狼煙を上げることができるスエキチだが、その一方で、番長はスエキチのことを使い捨ての駒としか思っていない。いわば、配下二人のための道案内役となればそれでいいのだ。

 派茶目茶高校の任対勝――。そのキーワードを頼りに、阿修羅工業高校の連中は最寄の駅から電車へ乗り込んで矢釜中央駅を目指して行動を開始した。


* ◇ *

 それから時間が経過し、時刻は午後五時を回った頃。

 派茶目茶高校の学区内である住宅街をとぼとぼと歩いているのは、二年七組の脇役コンビの勘造と志奈竹だった。

 彼ら二人は今日の放課後、宿題を忘れた罰として居残りの掃除当番を課せられていた。ようやく解放されてホッとする帰り道、向かう先は矢釜中央駅方面の市街地である。

「でもよー、何で俺たちだけなんだ? ケンゴさんたちだってやってないのに」

「ケンゴさんたちは、先生に見つかる前に逃げちゃったんだよ」

 バツ当番の常習犯とも言うべきハチャメチャトリオの三人は、担任の静加から申し渡しを食らうよりも先に校舎からさっさと姿を消していた。

 後輩二人を残して自由時間を満喫しているであろう彼ら三人。勘造と志奈竹が嫌味一つも言いたくなる気持ちはわからなくもない。

 気晴らしに寄り道がてらゲームセンターで遊んでいこう。そんな会話で盛り上がっている最中だった。真っ黒な学生服を着た三人の男たちが彼ら二人の正面に立ちはだかっていた。

 ニヤニヤと怪しげな笑みを浮かべる三人の男。その正体は明かすまでもなく阿修羅工業高校からはるばるやってきたあの連中だ。

「モヒくん、あの人たちぼくらのことを見てるよ……」

「あれはウチの生徒じゃないな。どこから来たんだ?」

 不穏な緊迫感に包まれて心拍数が早くなる勘造と志奈竹。

 阿修羅工業高校の面々はコツコツとかかとを響かせながら歩き出す。その理由はもちろん、勘造と志奈竹にターゲットを絞っているからに違いない。

「ど、どーしようモヒくん! 道を引き返そうか!?」

「び、びびってんじゃねー! どうして逃げる必要があるんだよっ」

 勘造が怒鳴るのも当然で、ここで逃げたりする理由なんてどこにもない。とはいえ、正面から迫ってくる男たちの威圧感はこれまでに感じたことがないほど大きかった。

 視線を逸らしたら負けになる。勘造は怯える心を無理やり奮い起こしつつ正面の敵のことを睨み続けた。

 その距離、約一メートルほど。ついに両校の生徒が住宅街の路地で対峙した。

「おまえら、派茶高もんだな?」

「……だったら、どうだってんだよ?」

「聞きたいことがある。すぐそこの空き地まで付き合えよ」

 赤毛の男であるスエキチが親指で指し示したところ、そこは住宅街の中で置き去りにされている空き地だ。立ち入り禁止の札が立っているせいか、雑草が誰にも邪魔されることなく生い茂っていた。

(…………)

 勘造と志奈竹の表情に不安が広がった。

 この状況になって逃げることは困難だろう。しかも、男としておめおめと逃走するなんてできるはずがない。彼らなりにも派茶目茶高校という名の看板を背負ったプライドがあるのだ。

 いきなり現れた見知らぬ学生に指示されるがまま、彼ら二人は楽しいはずの寄り道を中断せざるを得なかった。

 雑草の群れを掻き分けて空き地へと足を踏み入れる男子五人。張り詰めた空気が流れる中、一定の間を置いて再び睨み合う。

「俺たちに何の用だ!」

「落ち着けって。別におまえらをどーのこーのしようなんて思ってねぇよ」

 阿修羅工業高校の男たちはニヤニヤと嘲笑するばかりだ。それが余裕の表現というやつか、焦りと不安で声が裏返ってしまう勘造とは正反対だ。

 三対二という人数差もあるのだろうが、それよりも余裕をかませる理由はやはり阿修羅工業高校という名の看板を背負っているからであろう。

 では本題に入ろうか。スエキチは昨日起こった忌々しい記憶から一人の男性の名前を呼び起こした。

「ミラーグラスを掛けたニンタイとかいう男を知ってるな?」

 ――一瞬、呼吸が止まりそうになる勘造と志奈竹の二人。クラスメイトであり、かつ頼れる先輩の名前がズバリ出てくるなんて想像もしていなかったはずだ。

 彼らの顔色が急変したことに気付いたらしく、スエキチは卑しく口元を緩めてさらなる尋問に突入していく。

「どうやら知ってるみてぇだな。今どこにいるか居場所を教えろ」

 スエキチの脇からタカシとジローがゆっくりと動き出した。いつの間にか、阿修羅工業高校の三人に取り囲まれてしまった勘造と志奈竹。答えない限り、無事に帰宅させてはくれなさそうだ。

(モヒくん、ど、どうしよう?)

(コイツら、どうしてスグルさんを……?)

 当然ながら勘造と志奈竹は昨日の騒動を知らない。だからこそ、無闇やたらに勝の素性を明かしてはいけないと防衛本能が働く。

 だからといって、このままでは膠着状態が続いてしまいいつになったら解放してもらえるかわからない。彼らは小声で相談してみるも決断に至らない苦心にあえいでいた。

「おい、どうした? 早く教えろ」

 凄まれたらそれだけ弱気になる。正直に告白したらすごく楽になれるかも知れない。だが、男たるもの自らを犠牲にしても譲れないことだってある。

「そんなヤツは知らん。もし知っていても、おまえらなんかに教えるもんか!」

 勘造は勇気を振り絞って拒否権を発動した。志奈竹も怯えてはいたが、首を横に振って知らぬ存ぜぬを貫き通そうとした。

 物分りの悪い大バカ者には拳で教えてやるしかないと、阿修羅工業高校の連中はポキポキと骨を鳴らしてさらに脅しを掛けてきた。

「派茶高を舐めるんじゃねぇ、やれるもんならやってみろ!」

 勘造が怒気をぶちまけたまさにその瞬間、スエキチの渾身のストレートパンチが火を噴いた――!

『ガツッ!』

 パンチをまともに食らって後方に吹っ飛ばされる勘造。

 そればかりではない。次はジローが素早い動作で志奈竹に向かってハイキックを繰り出した――!

『ドカッ!』

「うわぁっ!」

 キックが胸元に炸裂し、志奈竹までも瞬時に倒されてしまった。

 地べたにうずくまっている勘造、そして志奈竹。戦闘能力の低い彼らはあっという間にノックダウンという憂き目に遭ってしまった。

 志奈竹は痛みと恐怖で震え上がっていたが、勘造はまだ闘志を剥き出しにしていた。這いつくばってまで阿修羅工業高校に楯突こうとする。

「く、くっそぉ……」

 せせら笑って見下ろす者と地べたを這って見上げる者。強者と弱者との差は明白だ。

「どうだ、しゃべる気になったか?」

「だ、誰がしゃべるかよ……」

「ほう、まだわかってねぇようだな」

 うつ伏せている勘造を容赦なく足蹴にするスエキチ。一回、また一回と靴の裏が落とされるたびに勘造の表情が苦痛で歪んだ。

 お願いだからやめてくれ!志奈竹は心の中で必死にそう訴えた。しかし、そもそも臆病な性格もあってそれを声として伝えることができず涙を堪えてじっと見つめるしかなかった。

 派茶目茶高校への逆襲は始まったばかり。勘造と志奈竹は阿修羅工業高校の猛攻に屈してしまうのだろうか?

 ――それから数分後のことになるが、まさに偶然とも言える奇跡が待っていた。

「いやぁ、悪い悪い。つい長居しちまったぜ」

「……待つことも試練の一つだ。気にするな」

「早く帰って、晩メシに、ありつきたいアル」

 空き地での騒動など露知らず、住宅街から矢釜中央駅に向かっていた三人の男子生徒。

 彼らは何を隠そう、二年七組とは良きライバルでもある二年八組に籍を置く知部須太郎とその仲間、馬栗地苦夫に中羅欧であった。

 派茶目茶高校の生徒なのでここにいて当たり前だが、彼らが夕方遅くになって住宅街に姿を見せたのはそれなりの理由があったのだ。

 地苦夫はスポーツ万能ということもあり、放課後になると同好会からコーチの依頼を受ける機会が多い。お人好しの性格というよりナルシストな彼だけに自慢がてら熱血指導していたというわけ。

 須太郎と中羅欧の二人は見学ついでに地苦夫に付き合っていただけ。どちらかというと、彼らの方が性格的にはお人好しと言えるだろう。

「よし、近道していこうぜ」

 あたかも住宅街を知り尽くしているかのごとく、地苦夫は先頭に立って道案内を買って出た。いつものコースから外れて細い路地の脇道へと入っていく。

「ん?」

 脇道を歩き始めた途端、地苦夫は進行方向から物音や叫び声を耳にした。

 物静かな住宅街のど真ん中でいったい何事だ?これはどう考えても異常事態と判断できる。彼ら三人は真相を探るべく歩くペースを速めた。

「おい、あれを見てみろ!」

 雑草生い茂るフィールドで展開される高校生同士の喧嘩のシーン。見ず知らずならまだしも、負傷しているのが同じ学校の顔見知りともなれば地苦夫たちが驚くのも無理はない。

 阿修羅工業高校が圧倒的有利の情勢の中、バトルはまだ終結してはいなかった。

 勘造は激痛に耐えながらも不屈の闘志で起き上がる。ロック歌手を真似たレザー製のジャケットとパンツはもう泥塗れである。

 そんなことは今はどうでもいい。逃げ帰ったりして派茶目茶高校の看板に泥を塗るぐらいなら、たとえ負けたとしても意地を示しておきたい男の姿がそこにあった。

「派茶高を舐めるんじゃねー!」

 スエキチの学生服に掴み掛かり拳を振り上げる勘造。しかし、その攻撃はいとも容易くかわされて反撃の一撃を食らってしまう。

『バキッ!』

 これも実力の差というやつか。勘造は足をよろめかせながら再び雑草の上へと倒されてしまった。

 まさに完全敗北――。意識が遠のいていく彼の手のひらから一つのボタンが零れた。よく見ると、これは倒される拍子にもぎ取ったスエキチの学生服の金ボタンのようだ。

「ケッ、弱いくせに生意気な野郎だぜ」

 スエキチはムスッとした表情で捨て台詞を漏らした。当初の目的だった勝の居場所を突き止めることはできなかったが、それでも復讐という使命を果たせて気持ちは満足そうだ。

 ノックダウンされて草むらで横たわる派茶目茶高校の男子二人。そこへドカドカと駆け付けてくる地苦夫とその仲間たち。

 敵とも言うべき真っ黒な連中など見向きもせず、地苦夫は雑草の地べたに滑り込むなり勘造をゆっくりと抱き起こした。

「おい、モヒカン、しっかりしろ!」

「……チ、チクオさん」

 いきなり現れた奇抜な格好をした男たちに唖然とする阿修羅工業高校の面々。その行動と身なりから、それが派茶目茶高校の学生だと容易に察しが付くところだ。

「おまえらも派茶高もんだな?」

 だったらどうだってんだ?地苦夫はそう呟きつつ怒りで全身が震えていた。須太郎と中羅欧の二人も表情がみるみる紅潮していく。

 派茶目茶高校だったらおとなしく質問に答えてもらおう。スエキチがそう言おうとした瞬間、地苦夫の振り向きざまの回し蹴りが炸裂した。

『ドカーッ!』

「ぐえぇっー!」

 吹っ飛ばされたスエキチは勢いのあまり雑草をなぎ倒しながら転がっていった。

「俺たちを怒らせた代償はでかいぞ、この野郎!」

 勘造と志奈竹の仇討ちだ――。地苦夫は眉を吊り上げて荒ぶる闘争心を声に乗せた。

 やりやがったな!ジローが怒声を上げながら地苦夫の背後から攻撃を仕掛けてきた。そこへ堂々と立ち塞がるのは、筋肉モリモリのマッチョマンで巨大なる壁の須太郎だ。

「くたばれっ、このデクノボーがぁ!」

 ジローのストレートパンチが須太郎の胸元にヒットした。しかし、日頃からサバイバルで鍛えている強靭の肉体にそんな柔な攻撃などまったく通用しなかった。

 今度はこっちの番だと言わんばかりに、須太郎は大きな右手を振りかざしてジローの顔面に掴み掛かった。そして、こめかみをグイグイと締め上げる。プロレス技でいうアイアンクローというやつだ。

「ぐわっ~!」

「……二度と俺たちの前に現れるな。次はこんなものでは済まないぞ」

 普段は無表情な須太郎でも、今日ばかりは鬼の形相と化していた。

 強靭な肉体から繰り出されるプロレス技の威力は計り知れない。ジローは激痛が頭から手足を伝って全身を駆け巡り、もう勘弁してくれとじたばた暴れながら泣き叫ぶしかなかった。

 ぶっ倒されたスエキチ、そして放り投げられたジロー。同胞の二人があっという間にやられてしまい、残る一人のタカシは冷や汗を飛ばしながら慌てふためく。

(ま、まさか。派茶高にこんなヤツらがいたとは――!)

 派茶目茶高校は学力どころか戦闘力も最低レベルのはず。誰がそんなことを言いふらしたかは知らないが、それが根拠のない間違いであることを証明する結果となった。

 地苦夫は憤怒の表情で一歩、また一歩とタカシの傍へ歩み寄っていく。

「さぁ、どうする? あとはおまえ一人だぜ」

 じりじりと後退を余儀なくされるタカシ。相手は三人、多勢に無勢とも言えるこの展開では勝てる見込みは薄い。ここは悔しいが撤退するのが正解だろう。

「覚えてやがれっ、いつか派茶高なんかぶっ潰してやるからな!」

「おう、やれるもんならやってみやがれ、このバカどもが!」

 タカシは他の二人を引き連れて空き地から逃げ出していった。負けて敗走する男の姿はいつ見ても惨めなものである。

 二年八組の猛者たちのおかげで災難は去った。志奈竹は安堵の笑みを浮かべて起き上がるも、もう一人の勘造はダメージが大きく仲間の手を借りなければ起き上がれなかった。

「ホントに助かりました。ありがとうございます」

「気にすんなって。仲間だろ?」

 勘造に肩を貸した地苦夫は歯を見せてニコッと笑った。

 仲間を見殺しになんてできるわけがない。救出のために敵陣へ突っ込んでいく度胸と勇気こそ、彼ら派茶目茶高校ご自慢の団結力の賜物と言えよう。

「……それにしてもアイツらは何者なんだ?」

 眉をひそめて険しい表情をする須太郎。この近辺の学校では私服やブレザーの制服はあっても、真っ黒な学生服など見覚えがなく彼が首を傾げるのも無理はない。

 こればかりは勘造も志奈竹もさっぱりだ。派茶目茶高校の通学路付近で待ち伏せしていたということはそれなりの理由があるはず。ただ一点気になるのは、あの連中が勝の正体を知っており行方を探していたということだ。

「何? スグルのことを」

「うん、ミラーグラスと名前を知っていたから、アイツらスグルさんと面識があると思うよ」

 勝と先ほどの連中との接点は誰も知る由もない。いくら頭を働かせたとしても当然答えなど出るはずもなかった。

 考えるよりも今は治療が先決だろう。矢釜中央駅近くにある病院へ向かうため、派茶目茶高校の五人はゆっくりと空き地を後にしようとする。

(あれ……?)

 志奈竹は草むらに落ちている丸い物体を見つけた。それはバトルの最中、勘造が敵の学生服からもぎ取ったあの金ボタンである。

 彼はおもむろにそれを拾い上げてみる。怪しい光沢を放つ金ボタンをまじまじ見つめてみると、阿修羅を象ったような紋章が刻まれており不気味さを醸し出していた。

(……これってさっきの連中が落としたのかな。何の模様だろう)

 それこそが阿修羅工業高校の校章――。志奈竹は学区外の高校まで詳しく把握しているわけではないので、この模様が校章なのかどうかもまったく見当が付かなかった。

「おーい、ボウズ、何してる、早く来いアル」

「あっ、はい。今すぐ行きます」

 手にした金ボタンをそっとポケットにしまい込んだ志奈竹。この金ボタンがみんなの前でお披露目される時、まさに風雲急を告げる一大事に発展することになる。

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