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第二十八話― 光り輝け! 派茶目茶高校番長組(2)

 時刻は正午を過ぎた頃だろうか。上空には優しい日差しを与えてくれるお天道様が顔を覗かせていた。

 派茶目茶高校番長組の面々はまだ散会しておらず、矢釜中央駅構内の立ち食いそば屋でランチを済ませてからその足で駅周辺をぶらついていた。

「おい、もしかしてまだ人助けがあるんじゃねぇだろうな?」

「いや、残念ながら今のところ予定はない」

 柄でもない人助けもこれにて終了。それを聞いてノルオとコウタはホッと安堵の吐息をついた。安心感から眠気に誘われたらしく、彼らは伸びをしながら大きなあくびをした。

「ほれ、こうして街を歩いてりゃ、俺たちに助けを求めるヤツがどこかにいるだろう」

「な、なぬ!? おいおい、まだ帰るつもりじゃないのかよっ」

 ホッとしたのも束の間、やはりノルオとコウタの二人は弾の束縛から解放されそうになかった。それに付き合ってしまう彼らも相当なお人よしなのであろう。

 駅近くの交通量の多い十字路に差し掛かった彼ら。信号待ちをしている途中、さまざまな形をした自動車が目の前を行き交う。無論、車道の向かい側にはこちら側へ渡ろうとするさまざまな人々がいる。

 今日は日曜日、お天気も上々ということもあって、交差点はお祭りなのかと思わせるほどの混雑ぶりだった。

(――――!)

 正面を見据えていた弾が横断歩道の向かい側で何かを発見した。

 矢釜市では有名な百貨店のマークが入った買い物袋、それを片手に抱えているしなやかな黒髪を伸ばした一人の女の子。彼は間違いなく、そのチャーミングな女の子に見覚えがあった。

「ダン、どうかしたのか?」

 ノルオがそれに気付いて声を掛けてみるも、弾は感涙しながら意味不明な小声を呟くばかりだ。その意味に逸早く気付いたのはコウタの方だった。

「ノル、道路の向こう見てみろ。あれ、例の女の子じゃないか?」

「例の女の子って、まさか……」

 そうである――。この物語を最初から読んでいる読者ならご承知と思うが、弾には女神と呼んで心底惚れ込んでいる女子学生がいる。それこそこの物語の主人公である夢野由美なのだ。

「うおお~、女神だ、俺の女神だぁ~!」

「お、おい、待てダン! まだ赤信号だぞっ」

 弾はそれこそ脇目も振らずに走り出した。仲間たちの制止を振り切って、車道を走行している自動車なんか気にも留めずに横断歩道を渡っていく。

 一方、女神と呼ばれて困惑している由美はこの日、離れて暮らしている両親の結婚記念日のお祝いということで、百貨店のギフトコーナーで予約していた商品を受け取った後だった。

 買い物袋が思いのほか多くなったとわかり、由美は出掛ける前から同じクラスの親友に助っ人をお願いしていた。その人物は言うまでもなく、彼女が密かに思いを寄せている勇希拳悟であった。

「ケンゴさん、せっかくのお休みなのにごめんなさい」

「いやいや、気にするなよ。どうせ寝てるかメシ食うかの一日だっただろうし」

 拳悟はクスリと歯を見せて微笑した。自宅でダラダラと過ごすより、こうして誰かのお手伝いをしていた方が健全的で人間的にもより成長できるというものだ。これからも、ぜひとも実践してほしい。

 自動車のクラクションがやけに騒がしい。彼が不審に思って車道へ視点を移してみると、何とびっくり、血相を変えてこちらへ迫ってくる変人……いや、番長の弾がいるではないか。

「うわっ、ダン先輩が襲ってきたぞ!」

「えっ、えっ、えーっ!?」

 由美は恐怖心から背筋が凍り付き顔色から血の気が引いた。もう二度と関わりたくない人物との遭遇は願わくば避けておきたいところだ。

 せっかくの楽しい日曜日を悪夢にするわけにはいかない。彼女は拳悟の力を借りて横断歩道に背を向けて引き返そうとした。ところが、繁華街の雑踏という壁に邪魔されてしまい思うように逃げ足が進まなかった。

 愛すべき女神ともなれば筋金入りのしつこさを発揮する弾。狙いを定めた獲物は絶対に逃すまいと、彼は市街地に流れる人波を蛇のごとくすり抜けていく。追う者と追われる者の能力の差は歴然であった。

「ほ~ら、捕まえたぁ♡」

「キャアァァ!?」

「うわぁぁ!?」

 後ろにいたはずの追跡者がいきなり正面から出現したものだからびっくり仰天。由美と拳悟の二人は悲鳴を上げながら緊急停止を余儀なくされてしまった。

 弾は再会を喜びにんまりと緩み切った笑顔を浮かべたが、その直後、拳悟が隣にいることに気付いて烈火のごとく怒り出した。どうして女神と一緒にいるのか、まさか交際しているんじゃないだろうな?と。

「ダン先輩! 勘違いしないでください。この子は女神じゃないんですって」

 寒い冬にも関わらず冷や汗を吹き飛ばして釈明に追われる拳悟。彼女は女神なんかではなくクラスメイトの一人なんだと、こういう場面に遭遇するたびに必死になってごまかす彼だった。

 どうみても瓜二つ、他人の空似と思えないのは実際に同一人物なのだから仕方がない。弾は納得できずに食い下がってくるわけだが、それほど利口ではないので最終的には言いくるめられてしまうのが恒例だったりするが……。

「いやいや、いつまでも騙されるもんか! この女は俺の女神、そう固い契りを交わした仲なんだ」

「いやいや、ホントに誤解ですって……っていうか、自分勝手に契りを交わしちゃダメでしょう」

 さすがに今回ばかりは騙し切れないのか、いつもよりも強引に迫られて拳悟はひたすら困惑するしかない。しかも、胸倉を摘まれて握り拳を突き付けられてしまっては無傷で逃げ出すことも不可能な状況だ。

 由美も当惑してそこから一歩たりとも動くことができなかった。いくら怖いからといって、拳悟一人を置き去りにして逃げ出すなんて非情なことができるはずがない。

 そうこうしているうちに、横断歩道を渡ってきたノルオとコウタがようやく彼らのもとに辿り着いた。予想通りというか無様な展開に苦渋の顔つきを浮かべている。

「ダン、いい加減にしろって。ここをどこだと思ってる」

「おまえはどれだけ人様に迷惑を掛けたら気が済むんだ?」

「えーい、うるさい、うるさい! おまえらはすっこんでろ」

 まるで駄々っ子のように衆人環視の前でじたばたと取り乱す弾。先ほどまでの人助けという功績をすべて無駄にしてしまうぐらいみっともない醜態である。

 街を歩く群集から好奇の視線を浴びる中、女神をかけた男子二人の攻防戦はしばらく続いたが、この均衡を破ったのはどこからともなく聞こえてきた男性の怒鳴り声であった。

「おい、こらっ! そこにいるのはダンじゃないか」

 名前を呼ばれたどころか、嫌ってほど聞き覚えがあったその怒声に動揺し顔面蒼白となってしまう弾。ノルオとコウタの二人もビクッと全身に緊張が走った。

 雑踏の中を掻き分けて疾走してくるのは、四十代前半で体格のいい体育教師っぽい男性だ。どうも拳悟と由美とは面識がないようだ。

「ヤバイ! タツさんだっ、逃げるぞ」

 ”タツ”というあだ名を持つこの男性の正体だが、矢釜市から委託されている更生訓練施設の職員、いわゆる悪ガキの性根を徹底的に鍛え直す生活指導員なのだ。

 弾はご存知の通り、下着泥棒の経歴があるだけに学校から要注意人物としてマークされている。そこで警察のお世話になったりしないよう、行政を通じて個人的に教育プログラムを課せられていたのだ。

「ダン! キサマはまだ平日以外は自宅謹慎のはずだろ?」

 日曜日に外に出て人助けなんてしている場合ではなかった。捕まったらお仕置きとお説教が待っているため、弾たち番長組は生活指導員に背を向けて一目散に逃げ出した。

 彼らが走り出したことにより、無関係のはずの拳悟と由美の二人まで逃げる羽目になってしまった。逃走者と追跡者、男女六人の市街地を舞台にした追いかけっこが始まった。

「待たんか、こら~!」

「待てと言われて待つやつなんているわけないわ~!」

 背後から押される格好で走らされている拳悟と由美にしたらとんだとばっちりだ。しかも、人前で恥ずかしい思いをさせられて迷惑もいいところであろう。

「ダン先輩、今日ばかりはあなたを恨みますよ~!」

「許せ、ケンゴ! 番長たる者、追われたり叱れたりしてナンボの存在なのだっ」

 番長の威厳をそれっぽく語られても、追われる理由の根源が下着泥棒なだけに尊敬なんかできっこない拳悟であった。


* ◇ *

 追い掛けたり追われたりの珍道中。慌しい日曜日も午後になってお日様がゆっくりと西寄りに傾き出した。

 生活指導員の追跡をどうにか振り切った弾たち番長組と拳悟、そして由美の五人がやってきた先は矢釜川の河川敷。草むらにお尻を付いて荒い息継ぎを繰り返していた。

「はぁはぁ……。参ったな、まさかあんなところで出会うとは」

「偶然にしちゃあ、相手が悪かったぜ。はぁはぁ……」

「はぁはぁ……。街中で目立った行動は慎まんといかんな」

 弾たち番長組にとっては教員よりも怖い生活指導員。捕まらなかったとはいえ、次に会った時にそれはもうきつくお灸を据えられるのは避けられず苦渋の顔つきを浮かべるしかない。

 拳悟と由美も言葉にならないほど息を切らしていた。逃走の巻き添えを食らってシティーマラソンさせられたのだから、疲労感たっぷりの心中はとても穏やかとは言えない。

「と、とんだ災難だよ、まったく……」

「も、もうわたし、ヘトヘト……」

 トラブルに巻き込まれて愚痴を漏らしたい二人であるが、そもそもそのきっかけこそ女神である由美のナイト役が拳悟だったことだ。

「やい、ケンゴ! そこからさっさとどきやがれ」

 女神には指一本触れさせない。弾は草むらを四つん這いになりながらも由美の傍へ近づいていく。この執念深さはホラー映画の幽霊よりも気味悪くて恐ろしい。

 ナイト役を務める以上、彼女のことを守らねばならない拳悟。両腕を広げてバリケードを敷いて抵抗を試みたものの、最後には手段を選ばない弾の強硬姿勢の前に弾き飛ばされてしまうのだった。

「がおぉぉ~!」

「きゃぁぁ~!」

 飢えた野獣の魔の手が襲い掛かる――!由美は逃げることも叶わず、ついに狂人……いや、番長の両腕の中で囚われの身となってしまった。

 彼女がお嫁に行けなくなったら大変だ!拳悟は真っ青な顔をしながら汗びっしょりになって解放を訴えた。仲間であるノルオとコウタも、弾のまさかのご乱心に動揺をごまかせない。

「ダン! 早まるんじゃねぇ!」

「取り返しの付かないことだけはするな!」

 未成年の少女にイタズラなんてしたら、それこそ警察沙汰はおろか派茶目茶高校の番長の名にも泥が付いてしまう。それだけは断固阻止しなければなるまいと、ノルオとコウタが自省を促してみるがまるで効果はなし。

 誰に何を言われても聞く耳持たず、弾は由美を羽交い絞めにしたままゆっくりと後退し始めた。このまま彼女をどこかへ連れ去ろうとしているようだ。

「これは大変なことになってしまったぞ~」

 拳悟は頭を抱えて慌てふためいた。由美をどうにかして取り戻さなければいけないが、気が動転しているせいもあってかこれだという奪還作戦がなかなか思い付かない。

 ノルオとコウタの二人に救いを求めても、女神にお慈悲を……と片手で十字架を切るポーズをするだけで助けるどころかすっかり諦めてしまっている。

「ハッハッハ、女神はこの俺のもんだ! さぁ、これから教会へ行くぞ」

「冗談じゃないです! 婚姻届を市役所に届けるのが先……って、そうじゃないですよ~」

 ウェディングベルの清らかな音に憧れる由美だって相手を選ぶ権利がある。貞操の危機に晒されているせいもあって、彼女はノリツッコミしてしまうほど気が動転していた。

 無闇に刺激したら何をしでかすかわからない状況だけに、膠着状態が続く弾の動向を黙ったまま見守るしかない拳悟。守るべきヒロインを救えない歯がゆさに唇をグッと噛み締めるしかなかった。

 ――それから数秒後だった。凛とした冷たい空気に包まれる矢釡川の河原に、緊迫感を切り裂かんばかりの女性の大声が轟いた。

「誰かぁ、助けてくださ~い!」

「ん? この俺に助けを求めたのか」

 弾が反射的に声のした方へ顔を振り向かせると、矢釜川を渡す橋の上に悲鳴を上げている一人の女性が立っていた。彼女は流れの速い川面に片手を突き出して何かを指し示しているようだった。

 ここで彼らは信じられない光景を目撃した。バチャバチャと両手を振り乱して暴れている少年が水面から顔を覗かせているではないか。

「ほう、元気がいいな。寒中水泳か」

「違いますよっ、あれは溺れているんです!」

 由美が声を荒げるのも無理はない。一月の真冬に矢釡川で水泳を楽しむ無謀な子供などいるはずがなく、誤って川に入ってしまったかまたは事故で川に落ちてしまったことが原因で流されてしまったのだろう。

 橋の上のいるのは母親なのか、息子の行方を心配する泣き叫ぶ声が何度も何度も繰り返される。しかし、少年は川の流れに身を任せるしかなく二人の距離は悲劇的にも離れていくばかりだ。

 このショッキングな事態を前にして、河川敷に立ち尽くしている高校生たちにも動揺が広がった。ここは人間としてまた人の子として、道徳心を鑑みても少年を助けなければいけないはずなのだが……。

「おい、ケンゴ! 何ボーっとしてるんだ、早く川へ飛び込めっ」

「ちょ、ちょっと待ってくださいよっ、そんなことしたら俺まで溺れちゃいますって!」

 拳悟が慌てて拒否するのも当然で、真冬の大河に準備なく入水するなんて三途の川を渡るようなもの。ミイラ取りがミイラになってしまうのは火を見るよりも明らかで、ノルオとコウタの二人もそれを承知しているから動けないのだ。

 彼らが背中を押し合ったり引き合ったりしている間にも、溺れている少年はどんどん下流へと流されていく。まさに緊急を要する非常事態、時は一刻を争うのだ。

 誰かが何とかしなければいけない!番長の緩みかかった拘束を無理やり振り解いて、雑草に足を取られそうになりながらも川に向かって走っていく一人の女子高生。そう、由美は勇気を振り絞って少年の命を救うことを決意した。

「ユミちゃん、危ないから止めるんだ!」

 拳悟の呼び止める声も北風に遮られて由美の耳には届かない、いや、今の彼女にはどんな忠告もまったく意味がないのかも知れない。それぐらい人命救助という使命感に囚われていた。

 できる限り身軽になろうと、ポシェットを放り投げて靴と靴下を脱ぎ捨てる彼女、凍てつくほど冷たい川の中に両足を注ぎ入れて、足元を探りつつゆっくりと慎重に歩を進めていく。

「マズいな、この辺りは確か足場が深くなっている箇所があるんだ」

「そこに足を落としちまったら、あの子まで流されてしまうぞっ」

 ノルオとコウタは胸騒ぎを覚えて居ても立っても居られない心境だったが、やはり臆病風に吹かれてそこから一歩も動くことができなかった。

 川底にはまったら命取りになる。拳悟は由美を助けたい一心で、とにかく戻ってくるよう怒声を張り上げた。その甲斐も空しく、彼女はスカートが水に浸かっても立ち止まったり振り返ったりすることはなかった。

(待ってて。今、わたしが受け止めてあげるから)

 矢釡川の真ん中付近まで到達し、由美はいったん歩みを止めた。下流に向かって流れてくる少年を抱きかかようと下半身に力を込めてその時を待つ。

 水泳が人一倍得意というわけではない、彼女自身寒さによる震えと恐怖心と戦いながら少年を助けたい一心でここまでやってきた。自殺行為だと叱責されたとしても、もう後戻りなどできないのだ。

 少年との距離は手を伸ばせば届く距離だ。ここがチャンスとばかりに、彼女は両手を広げて少年に覆い被さるように飛び込んだ。――ところが、大河に隠れ住んでいた凍てつく深淵が彼女のことを待っていた。

(キャッ――!?)

 そこは大人でも足が届かない深い川底。由美は少年と一緒にそこへ吸い込まれてしまった。

 川面から彼女たちの姿が消えてしまい、拳悟はショックのあまり言葉を失ってしまう。ノルオとコウタの二人も驚愕の表情を向け合った後、すぐにその場から飛び出していった。

 最悪の溺死事故に発展してしまうのだろうか?いや、水中に全身を沈めてしまった彼女だが、まだ意識はしっかりとしていた。

 暗い川底ではなく明るい水面を目指して、もがき苦しみながらも必死になって浮上しようとする彼女、しかし、少年の片手をがっちりと掴んでいるせいもあって思うように水中から抜け出すことができない。

 少年の手を離せば自分だけは助かるかも知れない、だが、そんな人の道を外れた邪道なことができるはずがない。彼女は逃れられない葛藤の中で少しずつ意識が遠くなっていく。

(このままだと、二人とも……。お願い、助けて……)

 先ほどまでもがいていた少年は意識を失っていた。そして、神に祈るしかない由美の生命力も次第に遠い彼方へ運ばれてしまいそうだ。いや、このまま終わらせてはいけない、彼女を救うべく若きヒーローがついに立ち上がる。

「ユミちゃん、今助けに行くぞー!」

 拳悟は上着のコートを乱暴に脱ぐと、手足の筋を伸ばしてストレッチ運動を始めた。悠長に準備運動している場合ではないが、彼まで溺れてしまってはそれこそ明日の朝刊に取り上げられるほどの大惨事は免れないだろう。

 唾で湿らした指を耳の穴に突っ込んで耳栓も完了。いよいよ寒中水泳ならぬ寒中救出劇へ突入するためにかかとを蹴り上げようとした――まさにその瞬間、疾走していく一つの影が彼のすぐ横を通り過ぎた。

(えっ、ダン先輩!?)

 渋い皮ジャンもぶら下げていた貴金属もすべて放り投げて、由美と少年が流されていく矢釡川に向かってダイビングしたのは、何を隠そう人助けのためなら努力と時間を惜しまない番長の弾であった。

『バッシャーン』

 大きなしぶきを上げながら流れを味方に付けて懸命に泳ぐ弾。インナーの衣類を着ているにも関わらず、その勢いはオリンピック選手と思わせるほど速くて豪快だ。

 拳悟は藁にもすがるように合掌し、ノルオとコウタも柄の悪い応援メッセージを送り続けて発破をかけ続ける。とにかく今は、彼女たちの命運をすべて弾に賭けるしかなかった。

(も、もうダメ……)

 少年の命を救えないばかりか、自らの命も犠牲にしてしまうのか……。後悔の念に駆られたところで今となっては後の祭り。由美の薄らいでいく意識の中に死の淵がすぐそこまで見えてきた。

 いよいよ天命尽きてしまうのか――と思った矢先だった。彼女は得体の知れないものすごい力で腕を引っ張られて生きる世界へと引き戻された。

「……ケ、ケンゴさん?」

 それは夢か幻か?意識が現実に帰ってきた由美は真っ先に拳悟の顔が思い浮かんだ。ところが、彼女の窮地を救ったのはちょっぴり苦手なアノ人であった。

「あいにくだが、ケンゴじゃなくて悪かったな」

「ダ……! ダン、先輩……」

 それはまさに神業とも言うべき冷静なる救出劇だった。

 自分一人の力で由美と少年二人を抱えたら、重みに耐え切れずに自らも流されてしまう。そう考えた弾は自慢の泳ぎを披露して先回りし、川底に打ち込んである木製の杭を握り締めて体を固定した。

 これにより、彼自身が杭を掴んでいる限り流されることはない。ただ三人の人間の比重がかかるため、老朽化している杭が支えきれるかどうか不安だったがどうにか持ってくれて運にも恵まれていたようだ。

「それより、坊主の手はちゃんと掴んでるだろうな?」

「あっ、はい!」

 由美は最後の最後まで少年の生命線を手放すことはなかった。彼女は命を救われた者だが、救った者でもあったのだ。少年は気絶状態ではあったが、幸い命に別状はなかった。

 全員が無事だとわかって、少年の母親は感涙にむせび脱力感から地面に膝を落としてしまった。川岸にいた拳悟たち三人も安堵感からホッと胸を撫で下ろしていた。

 弾の大活躍に感謝の声がこだまする中、誰よりも彼に感謝しなければいけないのは由美であろう。彼女は伏し目がちのままペコリと頭を下げて彼にお礼の言葉を伝えると……。

「無茶するなとは言わない。だがな、死んじまったらホントのバカもんだ。人に迷惑掛けるんじゃねーぞ」

「……はい。本当にごめんなさい」

 今日ばかりは、番長の威厳と風格を如何なく見せ付けられてしまった。由美はしきりに反省するしかなく恥ずかしさでいっぱいだった。


* ◇ *

 それから間もないうちに通報を受けた救急車が到着した。

 その数分後、救急隊員や他の通行人の協力により、弾と由美と少年の三人は無事に陸上に戻ることができた。

 少年は検査のために医療機関に入院することになった。弾と由美もびしょ濡れだったため一緒に検査を勧められたが、特段不調もなかったので毛布の支給だけで丁重にそれを断った。

「本当に、本当にありがとうございました! お詫びしたいのでぜひお名前を」

「名乗るほどのもんじゃねーさ。まぁ、さすらいのヒーローと覚えておいてくれよ」

 何という奇特な人物であろうか。少年の母親含めて他の通行人からも拍手喝采を浴びる弾。女子にだらしないシーンを除けば、今日の彼はまさに完璧なヒーローであった。

 少年と母親を乗せた救急車が病院に向けて発進する。弾と由美は手を振って、サイレンの音が聞こえなくなるまでそれを見送っていた。

「ユミちゃん、寒くないか?」

「うん、大丈夫。この毛布暖かいし」

 さすがは救命用の毛布だけに材質もしっかりしており、冷え切っていた由美の全身を程よく温めてくれた。とはいえ、お風呂に入るなり着替えるなりして防寒対策が必要だ。

 これが原因で風邪をこじらせたら大変だからと、拳悟は彼女と一緒に帰宅させてもらおうと弾から許しを得ようとした。

 当然、弾は鬼でもなければ閻魔大王でもない。駄々をこねたりせず了解の意思を示したわけだが、そんな彼だって全身ずぶ濡れで凍えているはずだから早く帰りたいはずだろう。

「ケンゴ、ちょっと待て」

 帰る前に一つだけ答えろと語気を強めて、弾は険しい表情をしながら人差し指一本を由美に向かって突き出した。

「この娘は間違いなく、俺が探している女神じゃないんだな?」

 緊張のあまりドキっと心音が高鳴る拳悟。不安げな目線を向けてくる由美を守るならば、彼の答えなど迷うことなく一つしかない。

「はい、彼女は違いますよ」

「……そうか」

 弾は残念そうにガックリと肩を落とした。この期に及んで食い下がっても徒労に終わると思ったのだろう、彼は素直にそれを受け入れるしかなかった。

 愛すべき女神はどこにいるのか?そう悲観的に考えてばかりいては番長の名が廃る。いつしか出会えることを夢見て、彼は冬晴れの上空を見上げながらクスッと晴れやかに笑った。

「今日はいろいろと迷惑掛けて申し訳なかったな」

「いえいえ、迷惑なんていつものことですからもう慣れてますよ」

「フッ、物わかりのいい後輩を持って頼もしい限りだぜ」

 人助けに始まり人助けに終わる。派茶目茶高校番長組の忙しい活動もこれでひと段落といったところか。

 彼らはたくましくて勇ましく、そして貫禄のある背中を後輩に見せながらこの場から去っていく。たとえ周囲から蔑視されたとしても、人助けに誇りを持ってこれからも生きていくに違いない。

 番長組の勇姿を黙ったまま見送っている拳悟と由美の二人。脅威から解放されてちょっぴり安心するも、不思議とちょっぴり寂しい気持ちもないとは言えなかった。

「ダン先輩って変わってるけど、やる時はやる素晴らしい一面もあるんだよね」

「わたしはダン先輩のほんの一部分しか知らなかったんだろうって。今日の先輩、本当にカッコ良かったです」

 強きを挫き、弱きを助ける正義のヒーローと自称する弾。彼はただの不良ではなく、他人行儀が横行するこの世の中で人の役に立てることを自慢する本正真正銘のヒーローなのかも知れない。

 ――ただ、尊敬できる先輩と思ってはいても、拳悟はついつい余計なことまで口走ってしまうのだった。

「生活指導員から追い掛けられたりしなければ、もっと尊敬できるんだけどね~」

「……それは言わないでおきましょう」

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