第二十六話― 不治の病と闘う悲しき美少女(1)
暦の上では一月、季節はまさに冬本番。
寒冷な北風が体温を奪っていく肌寒い日の朝。ここは時計搭がシンボルマークの公園だ。
ベンチにどっかりと腰を据えているのは、冬休みにも関わらず、お年玉を使い果たしてゲームセンターにも行けずに暇を持て余している拳悟と勝の二人。
懐だけではなく身も心も凍えている彼らは、少しでも寒さを紛らわせようと自動販売機で購入した暖かい缶コーヒーを大事そうに握り締めている。
「どこかにいい女いねぇかな~」
「いたら苦労しねぇだろ?」
重たい吐息を漏らして、男二人きりという無情さを嘆く若者二人。缶コーヒーの温もりでは乾ききった心までは温めてくれなかったようだ。
「あのよ、呼んでおいて何のイベントもなしってふざけてるのか?」
「そう言うなよ。イベントなんて突如やってくるもんなんだから」
この二人がなぜここにいるのか、それはお正月のテレビ番組に飽きた拳悟が強引に勝をここへ呼び出したのだが、いざ落ち合ってみたものの遊ぶお金もなければ遊ぶ場所すら思い付かない。
結局彼ら二人はベンチに腰掛けたまま、こんな会話をダラダラ続けながら無駄な時間を過ごしていたというわけだ。
「何もないなら俺は帰るぜ?」
「ちょっと待てよ。街に繰り出してナンパでもしようや」
「寒いから遠慮する。家に帰ってこたつの中で寝ていたい」
どんなに誘われても勝はまったく気乗りしないご様子。朝早くから起こされた挙句にこの始末であれば、彼が機嫌を損ねるのも無理はないのかも知れない。
友人のぶしつけな態度が癪に障るのか仏頂面を突っ返す拳悟。愚痴を並べたところで事態が進展するわけでもなく、独りで街に繰り出そうと心に決めて残り少ない缶コーヒーを一気飲みした、そんな矢先――。
(ん? あそこにいるのは)
拳悟の視界に入ってきた三人の人物。一人は見覚えのある女の子、残る二人はまったく見覚えがない男性。よくよく見てみると、女の子が男性二人から執拗に付きまとわれているようだ。
シャギーの入った髪を横に振って抵抗感を示している彼女こそ、かつて拳悟たちと同じアルバイト先で汗を流した友人、桃尻ヶ丘高等学校に通う女子高生の大野柚加利であった。
余程迷惑なのか、それともただ予定があるだけなのか彼女の足取りは小走りに近かった。それでも男たちもスッポン並みにしつこく、突き放されても必死になって食らい付いてくる姿はあまりにも浅ましい。
ちなみに彼らだが、見た目からして未成年に違いはないものの、学生というよりは勉強ができずに脱落してしまった就職浪人のような二人組だった。
「ちょっと、いい加減にしてくれる? あたしはこれから用事があるって言ってるでしょ」
「そんなつれないこと言うなよ~。これから俺たち二人と遊ぼうぜ~」
「そうそう、これから遊園地に行ってメリーゴーランドでも乗ろうぜっ」
柚加利は眉を吊り上げて憤りを露にしたが、男性たちはニタニタといやらしい笑みを浮かべるばかりで付きまといを止めようとはしない。
顔立ちも美形で何よりも豊満な胸が特徴の彼女、男性からだけではなく女性からも羨望の眼差しを浴びてしまうのはある意味恵まれている体型と言えよう。
北風が吹く公園の真ん中で男女の言い合いが続いたが、この事態を打破すべく登場するのは、暇潰しには丁度良いシチュエーションだと心を躍らせている拳悟と勝の二人だった。
「メリーゴーランド? おまえら、幼稚園児かよ?」
「せめて観覧車に誘えよ。ムードもへったくれもねーなぁ」
いきなりの乱入者に驚きの表情で振り返る男性二人。さらに、その女と待ち合わせをしていたと告げられてしまって戸惑いを隠せない様子だ。
「ケンゴくんとスグルくん!」
頼れる助っ人がやってきてくれた!柚加利は安堵の表情を浮かべて歓喜の声を張り上げた。拳悟と勝の正体を知っているだけにこれほど心強いことはないだろう。
「あなたたちの悪行もここまでよっ! この二人はね、デンジャラスカラーズのメンバーなのよ」
ここでデンジャラスカラーズ(危険な色を持つ男たち)について一応簡単に触れておこう。
犯罪や暴力行為を犯す危険性があり、警察が要注意人物としてブラックリストしている矢釜市に住む若者たちを赤や青といった色で区別しており、それらを総称して呼んでいるグループ名のことだ。
グループとは名ばかりでそれぞれがつるんで活動してはおらず、味方同士でもあれば敵対関係でもあったりする。そのため、覇権争いや縄張り争いが勃発しては通報騒ぎに発展してしまうので世間的には疎まれる連中というわけだ。
「さぁ、観念なさい!」
「な、なな、何を言ってやがる――!」
柚加利はデンジャラスカラーズという後ろ盾を手に入れて、それはもう勝ち誇ったような顔をしてふくよかな胸を張った。その一方、男性二人は疑いはするもの焦りの顔つきで落ち着きがなくなっていた。
拳悟と勝の二人は強さを自慢したりせずに堂々としていた。彼らは無闇やたらに手を上げたりはしない。全身から醸し出す威厳と気迫で敵をねじ伏せることが信条なのだ。
(うっ、ぐぐっ……)
拳悟と勝が放出する危険なオーラに思わず後ずさりしてしまう男性たち。目ほど物を言うとはよく言ったもので、鋭く尖った目つきがさっさとここから消え失せろ!と言わんばかりの迫力だ。
ここへ追い討ちを掛けるかのように一歩足を前に踏み出した拳悟。すると、それに恐れをなした男性二人組は謝罪の弁を口にしながら逃げるようにそこから走り去っていった。
偶然とはいえ拳悟と勝のおかげで邪魔者は消え去った。柚加利はホッとふくよかな胸を撫で下ろして彼らに一礼する。
こんなところで時間を潰すまいと目的地まで急ごうとする彼女だったが、ただの善意でこんなことをするはずもない彼らに捕まってしまうわけで……。
「おいおい、ユカリ。言葉のお礼で終わりかよ?」
「おまえも高校生ならお礼の意味もわかるだろ?」
意味って何かしら?ぎこちない笑みでこの場をどうにかやり過ごそうとする柚加利だが、少年二人に肩を抱き寄せられて身動きが取れなくなってしまう。そして、耳元で囁かれるキーワード、夜のお誘いだ。
「あなたたちはそればっかりだね……」
「前回はおまえにごまかされたからな。今回はそうはいかないぞ」
これでは先程と同じ展開、いやむしろ悪い方向に進んでいる気がする。柚加利はガックリと肩を落として深い溜め息を漏らすしかなかった。
つくづくモテる女は辛いところだが、今はそんな悠長なことを考えている暇はない。彼女はこれから同級生が入院している病院へお見舞いに行くのだという。面会時間が限られているため先を急いでいるというのが理由であった。
「ふ~ん、お見舞いね~」
拳悟と勝は病院やお見舞いというものに無頓着であった。そもそもバカは風邪を引かないし、喧嘩で怪我をしても舌で舐めて治癒できる特異体質だからそれも頷ける。
病院のような堅苦しい場所に行ってもつまらないだけ。彼らは不満げな顔をしながら柚加利の肩から手を離して背中を向ける。
彼女はむさ苦しい二つの手から解放されて安心するのも束の間、公園内の時計塔が示す時刻を見てタイムオーバーしていることに唖然とした。
「いけない。アスカとの面会時間がますます遅れちゃう」
それを耳にした瞬間、拳悟と勝の耳がピクッと動いた……いや、動いた気がした。どうやら“アスカ”という名前に反応したようだ。
彼ら二人は即座に踵を返すと、またしても柚加利の肩を掴んで進行を妨害してしまった。
「ちょっと待て。入院してるのって女の子だな?」
「え、えーと。男の子……だと言いたいけどダメ?」
正直言って、友人の素性を明かしたくはなかった柚加利。しかし墓穴を掘ってしまった以上ごまかせるものでもなく、取り繕ったところで病床に伏せっている人物が女の子であることは一目瞭然であった。
一緒にお見舞いに行ってやろう。拳悟と勝がそう宣言した途端、彼女はこれ見よがしに苦虫を噛み潰したような顔をした。
ただでさえ物静かでデリケートな施設だけに、騒がしい二人組を連れていくとなるとそれこそ入院患者に迷惑を掛けるようなもの。こればかりは彼女も素直に容認なんてできない。
「心配するなって。俺の自慢の右フックをお見舞いしてやるからさ」
「おまえアホか? お見舞いってお線香持っていくヤツだろーが」
少年二人が大ボケをかますものだから、柚加利がますます不安になってしまうのも無理はない。この二人のバリケードを無傷で突破するのも困難なだけに頭を悩ましてしまうのも無理はないわけで。
悩んでいるうちも時計の長針は無情にも時を刻んでいく。彼女は一抹の不安を拭えないものの、彼らを同行させるという半ば自殺行為を選択せざるを得なかった。
「もう、わかったわよ!」
「わーい、わーい! ユカリちゃん最高!」
子供のように手を叩いてはしゃぐ男子二人。ところが、ここに来て彼らは下らないことで押し問答を始めてしまった。簡単な話、入院中の少女と仲良くなるのにお互いが邪魔者なのである。
「おい、スグル。おまえ眠いから帰るんだよな? じゃあな、あばよ」
「誰がそんなこと言った? 冗談じゃない、俺はお目目パッチリだぜ」
どうしてでもどちらかを脱落させようと躍起になっている少年二人。女の子が絡むとすぐに揉め事を起こす彼らを見て、柚加利は時計と睨めっこしながらイライラが募るばかりだ。
この揉め事が終わるのを待っていたら、いつまで経っても目的地の病院へ辿り着くことなんてできやしない。置いていくからご自由にどうぞ!と、彼女は冷たくあしらうようにそう言い放って歩き始めた。
「おいおい、ユカリ待ってくれ。俺たちは仲良しこよしなんだから!」
「そうだ。ぼくらは仲良しコンビ。遊ぶのも寝るのも一緒なのさ~」
拳悟と勝は肩を組んで仲良しさをアピールしていた。その白々しさを目の当たりにして、柚加利は呆れて物が言えないといった顔で振り返る。
「バッカみたい」
* ◇ *
時計塔がシンボルマークの公園を後にし、一路矢釡市立中央病院へと向かう男女三人。急ぎ足ながらもその途中、彼らは市街地の一角にある花屋へと立ち寄った。
お見舞いするのに手ぶらというのは礼儀知らずというわけで、彼女が病院まで同行させるたった一つの条件、それはお見舞い用の花束を購入することだった。
お小遣いが残り少ない彼らにとって痛い出費ではあるが、美少女との新しい出会いのための必要経費だと考えて渋々了解するのであった。実際、街中で女の子をナンパするよりはずっと建設的と言えよう。
「そんなに豪華なものじゃなくていいわ。二人一緒で一束でもいいからちゃんと買うように」
花束なんて母親にも贈ったことがない拳悟と勝。そんな親不孝な彼らのことを諌める柚加利は、店内をカラフルに彩る美しいお花一つ一つに見惚れていた。
バラにスイセン、オンシジウムにシンビジウムと種類もたくさんあるが、お見舞いといったらやはりフラワーアレンジメントが無難なところか。彼女は店員に予算を告げてお任せすることにした。
「よし、俺はこれにしよう」
「俺はこっちのヤツだな」
拳悟と勝がこれだ!と決めたお花はいったいどんなものか?
これも定番のオチと言えるかも知れないが、拳悟が握り締めていたものは目に眩しいほどに黄色い菊の花。勝は何とサボテンの鉢植えを持っているではないか。さすがにこれは縁起が悪くて非常識極まりない。
「こらこら! 入院してる子にそんなの持っていけるわけないでしょっ」
柚加利に怒鳴られてしまった拳悟と勝は納得がいかない顔だ。そもそも彼らにお見舞いのルールもマナーもへったくれもなく、むしろ常識的に振る舞えという方が無謀だったりする。
彼らがへそを曲げると始末が悪い。花束を粗末に扱ったり鉢植えをポンポンと空中に浮かせたりして店員さんをヒヤヒヤさせる一幕があったものの、最後には柚加利の勧めるしゃれた花束を購入することで事態は収拾した。
「本当にもう、あなたたちはどこまでアホなのよ」
「俺は違うだろ、おい! スグルは根っからのアホだけどよ」
「ふざけるなっ、アホの代名詞のくせに何を言ってやがる!」
花屋を出てからも口論を続ける男子二人を横目に見て、苛立ちが募って眉間にしわを寄せている柚加利。先を急がねばならないこの状況の中、ここでさらにもう一人ゲストが登場する。
「ユカリちゃん!」
「ん?」
柚加利に声を掛けたのは、紫色のワンピースの上にダウンコートを羽織った一人の女子。ここは主人公としてストーリーに絡まねばなるまいと市街地までやってきた由美であった。
――というのは冗談で、本当の理由は、すでに仕事始めで出勤している姉の理恵からお願いされて忘れ物を届けてきた帰りだったのだ。
彼女もまた、拳悟や勝と同様に柚加利とはアルバイト先で知り合ってからの親友同士。電話でこそおしゃべりする機会はあったものの、こうして面と向かって再会するのは夏休み以来だった。
「ユミちゃん、元気そうだね」
「ユカリちゃんも相変わらずだね」
「あはは、相変わらずってどういう意味よ~」
手を叩き合って再会の喜びを分かち合う女子二人。やはり、ひねくれ者の男子二人と違って美少女二人が揃うと何とも絵になるものだ。
そのひねくれ者の二人が笑顔で呼び掛けると、由美はちょっと驚いた様子で挨拶を交わした。顔見知りだから柚加利と一緒にいるのは不思議ではないが少しばかり違和感があったのだろう。
「これからね、親友のお見舞いで病院に行くの。ユミちゃんも一緒にどう?」
「えっ、わたしも一緒に行っていいの?」
由美はこの後、特別これといった用事があるわけでもなかった。真っ直ぐに家に帰って本を読んだりボーっとしたりするよりは、どこかへお出掛けした方が楽しいに決まっている。
「ユミちゃんも一緒に行こうぜ。俺たちも行くんだからさ」
「一人よりも二人、二人よりも三人。お見舞いは多い方が盛り上がるもんな」
「ちょっとちょっと、パーティーに行くんじゃないんだって」
このアホ二人の暴走を止めなくては――。不安要素を潰すためにも保護者代わりの由美が必要不可欠、そう思い立った柚加利は懇願するかのように同行をお願いした。
人見知りの由美にとっては、むしろ拳悟と勝が一緒の方が心強い。しかも、入院しているのが女の子なら緊張も少ない。彼女は悩んだりするまでもなく快く同行を了承した。
約束していた時刻を超えてしまったが、それでも面会時間までは間に合うだろう。柚加利を先頭にしたお見舞いツアーご一行様は、市街地の向こうにある矢釜市立中央病院へと足を向けるのだった。




