第二十四話― スケールにびっくり! 伊集院家で大騒動(3)
緊迫とした非常事態が発令された中、物語の舞台はその原因を作った張本人である泥棒二人組のいる特別展示室へと戻る。
彼らも当然ながら緊迫感に囚われて右往左往している最中だった。警備員に包囲される前に脱出しなければいけない。汗を吹き飛ばしながらも、ポケットに装飾品を詰め込むだけ詰め込んで廊下へと逃げ出そうとする。
「おい、通路の方にはまだ誰もいないだろうな!?」
「うん、人っ子一人いないよ! 逃げるなら今だよ」
彼ら二人にとって泥棒初体験が成功に終わるのか、はたまた失敗に終わるのか。その判断を下すべく、侵入してきた客室まで戻ろうと廊下へ足を踏み出した瞬間だった。
『――パカッ』
体重という重量を感知して、監獄へと通じる真っ暗闇が大きく口を開けた。
「あれ、何か変じゃないか?」
「うん、宙に浮いている感じがするね」
トラップが仕掛けられていることなど知る由もない泥棒二人組は、誘われるがままに落とし穴へと落下していく運命なのであった。
彼らを悲鳴ごと飲み込んだ大きな落とし穴は、それから数秒後、何事もなかったかのように蓋を閉じてしまった。まるで、次の獲物を待ち構えるかのごとく。
不気味なほど静穏な佇まいが漂う廊下。パタパタと足音を鳴らしながらこちらに近づいてくる一人の少女がいる。それは何を隠そう、トラップのことを知らないもう一人の人物であるトイレを済ませたばかりの由美だ。
(それにしてもびっくりしたなぁ。さっきの警報みたいな音って何だったんだろう?)
由美は考え事をしながら廊下を歩いていた。何かしら異変があるのかも知れないと思ってか、視線はキョロキョロと四方八方に飛んでいた。
一一八号室のすぐ傍までやってくると、先ほどの修理業者の姿がなく、しかもドアが外されて無造作に置かれたままになっているではないか。彼女は不穏な胸騒ぎを覚えて小首を傾げる。
それでも立ち止まっていても怖いだけだ。彼女は内心不安を抱えつつも廊下を早々に歩き抜けようとした。
一方その頃、二階の廊下から四メートルほど階下にいる泥棒二人組はどうしているかというと、落下時に多少の打ち身はあったもののどうにか無事に生きていたようだ。
「くそ~、ここはどこなんだぁ~! 俺はどうなっちまうんだ~」
「ぎゃあ~、俺のバラ色の人生が始まるはずだったのに~!」
真っ暗闇の中でひたすら泣き喚いている彼ら。いい大人が情けないと言われるかも知れないが、精神年齢がまだ中学生並みなのでここは勘弁してほしい。
精神年齢が低いということは冷静さも皆無というわけで。彼らは泣きべそをかきながら、このような結末になったことをそれぞれのせいだと罵って責任の押し付け合いを始めてしまう。
「これもみんなてめぇがドジ踏んだからなんだぞ、どうしてくれるんだ!」
「そもそも泥棒やろうって誘ってきたアニキが悪いんじゃないかー!」
「何だと、この野郎! この俺に歯向かうとは生意気じゃねーか!」
言い合いから小突き合いの喧嘩に発展していくこの兄弟。まさかそれから数秒後、ここに新しい来客がやってくることなどまったく想像していなかった。
『パカッ……ヒュ~~ン』
「ん? 急に明るくなった」
「あれ、何か落ちてくる?」
――明るい頭上から宙を舞って落ちてくるのは救いを導く天使か、それとも苦しみへと誘う悪魔か?
少なくともその人物は悪魔ではないが、落下時の下敷きになってしまう兄貴にとっては天使というわけでもなかった。
『ドッシーン!』
四メートル先の上階からやってきたのは、何が何だかさっぱりわからない由美であった。彼女は座布団のように床で寝そべっている兄貴のおかげで落下の衝撃がなく大怪我せずに済んだ。
「な、何だかよくわからないけど、アニキ、大丈夫かな……」
弟は唐突のことにショックを受けながらも、由美のクッションになってくれた兄貴の安否を気遣った。兄貴の坊主頭に軽く触れてみると、ぴくぴくと痙攣していたので心配停止というわけではなさそうだ。
落とし穴の蓋が閉じてしまい、この空間がまた暗闇へと溶け込んでしまった。由美は恐怖心に全身が縛られつつも勇気を出して気丈に振る舞った。
「ご、ごめんなさい、わたしのせいで……」
「いやぁ、気にすることはないさ。天罰が下っただけだもん」
いつも威張り腐って、おまけにねちっこい性格でずる賢くてわがまま。どこを取ってもいいところなしだと実の兄を罵倒している弟。やはり、日頃からうっぷんが溜まっているのだろうか。
生きていても所詮は社会のゴミ。自らの知能指数を棚に上げて平然と悪態ばかり口にする弟だったが、寝そべっている兄貴はいつの間にか意識を取り戻してこの上ない怒りを露にしていた。
「誰が社会のゴミだ、このガキャ~!」
「おぎゃっ!」
兄貴の憎しみのハイキックが弟の顔面に直撃した。いくらコソ泥風情とはいえ、ゴミ扱いされるのだけはプライドが許さないといったところか。
暗がりにそれなりに目が慣れてきたのだろう、誰がどこにいて顔の判別ぐらいはできるようになっていた。由美はそのおかげで、ここにいる二人が先ほどの修理業者だとようやく気付いた。
「あっ、修理屋さんがどうしてここに?」
「何だよ、よく見たら、さっきすれ違った女の子じゃねーか」
兄貴は唖然としていた。偶然に出会った少女と、まさかこんな場所でしかもこんな痛い思いをしてまで再会するなんて思ってもみなかったから。
「ここでドアの修理をしてるんですか?」
「ここのどこにドアがあるんだよっ。俺たちは落とされたんだよ」
こんな状況となってまで正体を隠し通しても仕方がない。兄貴は目の前の少女に真実を洗いざらいぶちまけた。自分たちは修理業者などではなく、金品を強奪するために忍び込んだ泥棒なのだと。
「それよりも、おまえはこの家の者なんだろ? 何でまた落ちちゃったんだ?」
「わたしは来客です。このお家のお嬢様と同級生なんですよ」
「な、何だ、そうだったのかよ……」
ガックリと肩を落として床の上にあぐらをかく兄貴。彼のすぐ横では、体育座りをしてめそめそと泣きじゃくっている弟がいる。
いつまでここに閉じ込められてしまうのだろうか?まさか、水が流れてきたり毒ガスが噴射されたりしないだろうかと、泥棒たちの心は恐怖と不安に支配されつつあった。
そんなことを言ったら由美だって例外ではない。泣いてしまいそうな気持ちをグッと抑えて冷静さを失わないよう強がっていたのだ。
「一つ聞いていいですか?」
「……何だ?」
「どうして、泥棒しようと思ったんです?」
兄貴は言葉を濁したり言い淀んだりせずに即答する。金に困っていたと。
実際のところ、この兄弟には金に無心するそれ相応の理由があった。それは父親が経営していた工場が倒産に追い込まれてしまったこと。取引先が注文をしたまま夜逃げしてしまい、多額の負債を抱えてしまったことが要因だった。
就職先を失った彼ら二人は慣れない就職活動を余儀なくされた。しかし、そもそも教養もなく世間一般常識すら乏しい者たちに、明るく開けた未来など見通せるはずもなかった。
「おい、弟よ! いつまで泣いてるんだおまえは! この子を見てみろっ」
「だ、だってぇ~、ぐすっ……」
泥棒なんてしなければ良かった、そうすれば生活に苦しくてもこんな怖い思いをしなくて済んだのだからと、弟はうつ伏せていた泣き顔を持ち上げて鼻水を垂らしながらそう訴えた。
囚われの身になってからでは後悔先に立たず。兄貴は憤慨しながら語気を強めて叱咤するが、由美はむせび泣く弟の気持ちが痛いほどよくわかった。
彼女がもし一人きりでこの密閉空間に閉じ込められていたら、数十分もしないうちに発狂してしまい精神に支障を来たしていたはず。だが、今は三人の人間がいるので心強さはなくても寂しくはないだろう。
兄貴は重苦しい溜め息を一つ零して沈んだ表情で頭上を見上げる。たとえこの落とし穴という監獄から解放されたとしても、犯罪者である以上、刑務所という監獄が待っているからだ。
「貧しいメシからおさらばできると思ったら、これからくさいメシを食う羽目になるのか……」
「うう……。くさいメシなんて嫌だよぉ。食パンの耳で我慢するからムショ暮らしは勘弁してぇ~」
お先真っ暗な人生を悲観するあまりすっかりいじけてしまっている泥棒兄弟。悲しみと嘆きばかりが狭い空間に充満して、一緒にいる由美まで息苦しくなってしまった。
この場を和まそうと思ったのだろう、相手が見ず知らずの盗っ人にも関わらず励ましたり慰めたりしてみる心優しい彼女ではあったが。
「でも、盗んだものを持って逃げられたわけじゃないし。それなら泥棒にはならないんじゃないですか?」
「あのなー、泥棒目的で忍び込んだ時点で、俺たちは立派な犯罪者なの!」
兄貴が言うのも当然で、いくら窃盗が未遂に終わったとしてもお屋敷に不法侵入しただけで十分に罪を課せられる。ただ、刑罰は若干ながらも軽くなるだろうが。
「そういうものなんですね……」
「そういうもんなんですっ!」
軽はずみな発言を反省して落ち込んでしまう由美。そして、行き場のない苛立ちのせいで顔を紅潮させている兄貴。これではますます険悪なムードが漂ってしまう。
それから数秒間、居たたまれない沈黙の時間が続いた。ここで口火を切ったのは、またしても余計な言葉を声に乗せてしまう彼女の方だった。
「それなら、泥棒なんてしなければ良かったのに……」
「だからー! それを言われたら身も蓋もねーんだよっ!」
そもそも泥棒をやる前から捕まることなんて考えるはずもなく、ましてや逮捕された後の脱獄計画なんか思い付くはずもない。兄貴は尖らせた口から唾を飛ばしながらそう捲し立てた。
泥棒たるもの警察にいつ捕まるかわからない綱渡りの所業、それなりの度胸が必要なのにこの兄弟二人はさっきから悔やんだり泣いてばかり。由美は釈然としないのか表情を少しだけ険しくした。
「わたしだったら、どんなにお金に困っても泥棒なんてしなかったな」
由美の台詞には心なしか説教に近いメッセージが含まれていた。度胸もないくせに悪事に手を染めた彼らに物申したい思いがあったのだろう。
犯罪が悪いことだと思っていても、こういう選択しかなかったと兄弟二人は口を揃えた。大人になり切れなかった彼らの社会性は欠如しており、汗水働いて稼ぐよりも盗んだ方が手っ取り早くて楽チンだという発想しかないのだ。
これにはお淑やかな彼女もカチンと来たようだ。成人を迎えた者なら、どんなことが正しくてどんなことが悪いのか区別が付くはず。彼女はいても立ってもいられなくなり、まるで別人のごとく怒鳴り声を上げてその場に立ち上がった。
「あなたたち、何を甘えたことを言っているの!」
「うわぁっ!?」
少女のいきなりのご乱心!?兄弟二人はびっくり仰天して思わず抱き合ってしまった。実をいうと、彼らは異性との関わり合いも希薄だったので女の子から怒られた経験もこれが初めてだったりする。
「手っ取り早いですって? 楽チンですって? 大人の人たちはみんな、一生懸命に働いて自分だけじゃなく家族を支えるためにもがんばってるの!」
働かざる者食うべからずということわざの通り、人間は成長しながら自立し、労働をしただけの対価を糧にして生きていく生物だ。ましてや大人になれば、行き当たりばったりの安直な思考だけで生きていけるほど甘いものではない。
由美も今夏、これまでの人生で初めてアルバイトを経験した。そこで得た給料の尊さとありがたみ、労働者の一人として成長できた満足感は今でも忘れることができなかった。
高校生の力のこもったお説法にタジタジになっている兄弟二人。反論するどころか、一言すら口にできないぐらい竦み上がってしまっていた。正直なところ、言い返すほどのボキャブラリーがないだけかも知れないが。
「とにかく、罪を償ったらちゃんと一生懸命に労働をしてお金を手に入れなさい、いいですね!?」
「は、はいぃぃ!」
そのやり取りはまるで学園ドラマにおける熱血教師と落第生のようだ。ただし、年齢的に立場が真逆なので違和感を覚えなくもないが。
落ちこぼれの生徒になってしまった二人は素直に頷き元気良く返事をした。それを見るなり、由美は晴れやかな表情でクスッと微笑むのだった。
* ◇ *
一方その頃、舞香と拳悟の二人は気が気でない焦燥感に駆られながら親友の行方を心配していた。
トイレまで迎えに行きたくても、落とし穴という罠が待ち構えている以上無闇やたらに客室を出ていくわけにもいかない。由美が無事でいることをただ祈るしかなかった。
次の瞬間、内線電話のコール音が静かな客室にこだました。慌てて受話器を耳に宛がう舞香に吉報が届いた。
「本当ですか、じい? それでしたら、すぐにモニタリングしてちょうだい!」
召使いの老人からの報せとは、伊集院家の主人である舞香の父親からトラップを解除してもらったとのことだった。これにより、四メートル下の奈落の底に落とされるという驚異はなくなった。
それを知ってホッと安堵の息を飲み込んだ舞香と拳悟の二人だが、まだ由美がトラップに掛かっていないという保証はない。
「すぐにユミちゃんを探しに行くぞ!」
「お待ちになって、ケンゴくん」
「何で止めるんだよ? まだ何か仕掛けでもあるってーのか!?」
舞香が拳悟を呼び止めた理由、それは闇雲に探し回ったところで由美を発見できるかどうかわからないし、彼すらも迷子になってミイラ取りがミイラになってしまう可能性だってある。
そこで舞香が自信を持って紹介するものこそサーモセンサーという精密機器だ。
お屋敷の管理室にあるモニタリング装置により、生体が放つ熱を感知してどこに生存者がいるか確認することができる。それならば、万が一由美が落とし穴に落ちていたとしても居場所を発見できるというわけだ。
「なるほどな。よし、そのモニタリングってヤツを早く見せてくれ」
「この部屋の大型モニターに表示するよう指示しましたわ」
客室の一角、天井に隠されていた三十型ほどの大型モニターが突如姿を現した。
電源が投入されるや否や、モニターに鮮明な映像として表示されたのは各部屋と通路の見取り図のシルエット。こうして見てみると、十字路やらT字路やら行き止まりやらと通路がかなり入り組んでいるのがわかる。
「おまえん家って、やっぱり迷宮そのものだな」
「お母様の趣味がパズルだったのがいけなかったのかしら」
行方不明者がニュースで報じられる前に改修工事が必要だと、舞香は眉間にしわを寄せて困惑するが今は悠長なことを言っている場合ではない。由美の居場所を突き止めることが先決だ。
ここで役立つのがご自慢のサーモセンサーだ。舞香がそのスイッチを入れると、ある一点にだけ反応があった。しかし、そこは由美がいるはずのトイレではなかった。
生体を示す光がチカチカと点滅しているのは特別展示室の前の廊下。しかも光は三つ、つまりそこには三人の人間がいることになる。
この三人の中の一人が由美なのは間違いないが、他の二人が招かざる侵入者なのも間違いないだろう。無事なのがわかったとはいえ、侵入者と一緒である限り彼女の身に危険が及ぶ恐れがある。
「おい、ユミちゃんを早く助けないと!」
「わかってますわ! 今すぐ落とし穴の蓋を開けます」
舞香の操作により特別展示室前の廊下の蓋が解放されると、暗闇に包まれていた落とし穴に照明の明かりが降り注いだ。
監禁状態だった由美と泥棒兄弟二人、目に眩しい明るさに安堵してか表情にも明るさが戻ってきた。握手したりハイタッチしたりして喜びを分かち合った。
同じ穴のムジナに例えるわけにはいかないが、落とし穴に落ちた者同士、不思議な連帯感のような感覚に包まれていた男女三人。密閉空間だから助け合おうという意識がそうさせていたのかも知れない。
「お~い、ユミちゃ~ん、大丈夫か~!?」
遠くの方から響いてくる拳悟の声を耳にして、由美は無事であることを示さんばかりに頭上に向かって声を張り上げた。
拳悟と舞香の二人は駆け足を早めて、蓋の開いている落とし穴の傍までやってきた。すぐさま穴の中を覗き込んでみると、当然ながら由美の他にも見知らぬ坊主頭の男性が二人いる。
「あなたたちが盗人ですわね? もう逃げられませんわ。神妙にお縄を頂戴なさい!」
「おまえは時代劇の十手持ちか?」
そんなツッコミなんてどうでもいい。由美が侵入者にいじめられたり変なことされていないかが心配だ。拳悟がその辺りについて彼女に問い掛けてみると……?
「ご心配なく。というか、この人たちのおかげでわたしは怪我しなかったんですよ。感謝しなくちゃ」
怯える様子もなく落ち着いた笑顔を振りまく由美。そして照れくさそうな苦笑いを浮かべている兄弟二人。彼女が言う通り、彼らがクッションになっていなければ大怪我は免れなかっただろう。
大事に至らなくて良かったものの、拳悟と舞香は何が何だかさっぱりわからず顔を突き合わせて呆気に取られるしかなかった。
* ◇ *
それから数十分後、不法侵入の通報を受けた警察関係者が伊集院家の敷居を潜った。
数台のパトカーがパトライトを光らせてくるものだから、近隣の住人はこれ見よがしの野次馬と化して邸宅の前へと躍り出てきた。伊集院家ほどの大富豪ともなれば、誰もが興味津々になるのは致し方のないところか。
召使いの老人の道案内により警察官数名がお屋敷の客室へと伺う。国家公務員であっても彼らも人の子、所狭しに飾られた美術品の数々を好奇の目で見つめていた。
警察官が到着した頃、すでに特別展示室前の落とし穴の蓋は閉じてあり、由美を含めて泥棒兄弟二人も救い出された後であった。ただし、彼らだけは神妙にお縄を頂戴してまだ囚われの身ではあったが。
「これはこれはお嬢さん、ご協力感謝しますよ」
「いいえ、とんでもございません。侵入者二人なら、そちらの客室で縄に縛り付けて反省させてますわ」
警察官を引き連れてやってきたのは、本日の現場の仕切り役に任命された警部補。肩叩き棒でポクポクと凝り固まった肩を叩いている角刈り頭の強面の男性だった。
「あれ、オッサン!?」
「よう、ケンゴじゃねーか。いよいよおまえも窃盗するようになっちまったか?」
「ちゃう、ちゃう。窃盗犯はこっちですって」
この強面の男性こそ、拳悟のような悪ガキから恐れられている少年課のお偉いさん。”厳しいキビシ”とダジャレっぽい異名を持つキビシ警部補その人である。
それにしても不法侵入や窃盗事件にどうして少年課の警官が?という疑問があってもおかしくないが、彼から言わせると、たまたま担当部署の警官が出払っていたらしく半ば強引に引っ張り出されてしまったらしい。
そういう理由もあってか、キビシの表情はいつになく険しくて強面に拍車を掛けていた。面倒くささからくる気晴らしなのか、罪も罰もない拳悟の頭をポクポクと肩叩き棒で叩いてしまう彼であった。
「ん?」
キビシの鋭い目つきがさらに鋭くなった。彼の目線は一人の少女に向けられている。
その少女こと由美は恐ろしさのあまりビクッと全身を硬直させた。まるでヤクザのような風貌をした警察官から凝視されてしまっては、彼女のような臆病者でなくても震え上がってしまうのはやむを得ない。
「あっ、あの……。どうも、こんにちは……!」
「どうも、こんにちは~」
由美が後ずさりしつつ怯えた声で挨拶すると、キビシの方もそれを無視するわけにはいかずに流れのままにぎこちない挨拶を返した。
どこかで見覚えのある女の子だな。実は彼、由美と過去に一度だけ会ったことがあるわけだが、それを記憶の片隅でもしっかり残しているところが青少年犯罪撲滅を謳う少年課の警官らしいところだ。
出会いのインパクトが大きかった割には、彼女の方はそれをすっかり忘れているようだ。というよりも、怖い経験や思い出を早く記憶から消し去りたいという衝動の表れだったのかも知れない。
「さてと……。次はおまえらを構ってやるとするかな」
今の任務は少女の動向を知ることではない。キビシは意識を切り替えて次なる標的である泥棒二人組のことを睨み付ける。
「よくもまぁ、伊集院コンツェルンの豪邸に忍び込むなんて大胆なことしでかしやがったな?」
「う、うるせーな。警察にゃ関係ねーだろ!」
「捕まった挙句に遠吠えか? かわいげのない犬っころだな、おい」
警官から諭されたところで罪が軽くなるわけでもない。兄貴は往生際が悪いと思いながらもキビシ警部補相手に食って掛かった。ちなみに、弟の方はすっかり意気消沈としており言い返す気力すらなかったようだ。
生意気な犬にはお仕置きが必要だと、キビシは肩叩き棒の先端を兄貴の顔にぐりぐりと押し当てる。暴力とまではいかないものの、職権乱用を振りかざす警官の行為を見るなり由美は眉をひそめて疑心を抱いた。
抵抗することに利点などない、もしかすると刑期が長くなってしまう恐れもある。キビシがにやけながらそんなことを口にすると、さすがの兄貴も強がり一点張りというわけにはいかなかった。
「あの、ダンナ。俺たちムショに入ったらどれぐらいで出られるんですかね?」
「そうだな~、被害額からしてざっと二年ぐらいじゃねーか」
たかが窃盗罪で二年はあまりにも長すぎる。しかも初犯だというのに――!兄弟二人はもっと軽くしてほしいと涙ながらに懇願した。しかし、”厳しいキビシ”は情け容赦なく厳しく糾弾する。犯罪行為にたかがもへったくれもないと。
「いいか、おまえらは伊集院家の財宝に手を掛けちまったんだぞ? 重罪から逃れられるとでも思ってるのか?」
「そ、そんなこと言われても……」
犯罪者はどう転んでも犯罪者。キビシの言うことも間違いではないが、改心して罪を償えば誰だって真人間に戻ることが可能だ。この兄弟二人だって深く反省しているし、人生をもう一度やり直すだけのみなぎる若さがある。
落とし穴の中でそれを感じ取ることができた由美。このまま何もできないいつもの弱虫ではいけないと思って、彼女は萎えてしまった気持ちを奮い立たせた。
「待ってください!」
由美が勇気を振り絞って叫んだ声が室内に響き渡る。するとキビシだけではなく泥棒兄弟、さらには拳悟と舞香も彼女の真剣な表情に注目した。
「そのお二人は二度と泥棒はしないと誓ってくれました。だから、早く社会復帰できるために刑罰が軽くなるよう働きかけてあげてください」
「な、何だとぉ~!?」
未成年の少女から横槍を入れられて、キビシは焦りを覚えたのか表情をあからさまに強張らせた。亭主関白を自負しているだけに、奥さんと一人娘からも文句や命令されたことがないのが彼の自慢だった。
そんな事情など由美にしてみたらまったく関係ない。偶然の出会い、それでも不思議と親近感を覚える兄弟の助けになればと力説する彼女の心はいつになく燃え上がっていた。
ほんの出来心、魔が差しただけ。生活苦に困窮しての突発的な行動だったと、彼女は兄弟二人に代わって熱弁を振るった。逸早く更生できるようどうか穏便に対処してほしいと付け加えながら。
最初こそ唖然としていた兄弟二人は、由美の熱意に胸を打たれてしまったらしく懺悔するかのごとく頭を何度も振り下ろした。
このような展開を想像していたわけもなく、キビシは角刈りの頭を掻きながら困惑するしかない。しかも拳悟と舞香からも温情を求められてしまっては、鬼で名を馳せた彼もさすがに根負けといったところか。
「ちっ、揃いも揃って俺をいじめる気かよっ。まったくガキの考えることはわからんな」
少年課の警官とは思えない言動をするところがキビシらしい。これ以上凄んだところで少年少女に嫌われてしまうだけと悟ってか、彼は彼の立場としてできる限りの協力はすると約束してくれた。
由美はフーッと大きく吐息を漏らした。それはもちろん、窃盗罪という罪を償わねばならない兄弟二人も同様だった。
「良かったですね。刑期を終えたら立派な社会人になってくださいね」
「ありがとう! キミへの恩は一生忘れないよ」
「うんうん、出所したら俺たち真面目に働くよ!」
兄弟二人は警官に連行される形で客室を出ていく。由美が見えなくなる最後の最後まで、彼らは涙を零しながら感謝の意を伝えていた。
一風変わった微笑ましい友情を肌で感じることができて、拳悟もほっこりと暖かい気持ちになっていた。彼は不器用丸出しのキビシの腕に肘をつんつんと押し当てて一人にやけている。
「さすがはオッサン! 決める時は決める男だね~」
「やかましい、がきんちょ! それにオッサンはやめろっ」
おだてられたむず痒さからか、首筋付近をガリガリと掻きむしっているキビシ。照れをごまかすただそれだけのために、拳悟の頭を肩叩き棒でゴツゴツと叩いてしまうのであった。
* ◇ *
事件発生から数週間後、つまりここからは後日談だ。
ここは伊集院家のお屋敷。自室で紅茶をすすりながら読書を楽しんでいた舞香のもとに一本の内線電話が入った。
「はい? わたくしにお会いしたいですって?」
その電話は舞香へ来客が来たことを告げるものだった。
彼女は寒さを凌ぐ厚手のカーディガンを羽織るなり、自室のドアを開けて静けさに包まれる廊下を歩いていく。
いったい誰かしら――?頭の中にクエスチョンマークが何個も浮かぶ中、彼女がやってくるのを玄関先で待っていたのは思ってもみない人物であった。
「ちょ、ちょっとあなたたち、どうしてここにいるんですの!?」
来客の正体とは、住居等侵入罪と窃盗罪で起訴されたもののたった数週間の刑期で済んで出所することが叶ったあの兄弟二人組だったのだ。
この真相にはキビシ警部補の息がわずかながらも掛かっていたわけだが、それよりも、警察の取調べにも素直に応じて二度と過ちを犯さないと猛省した結果が罪を軽くしたことは否めなかった。
「お嬢様へご挨拶せねばと伺った次第です」
「はい、俺たち今日からお世話になりますから」
「えっ? えっ? それはどういう意味ですの?」
驚いたのは何も来訪してきたことばかりではない。兄弟二人は共通の帽子と共通の作業服の上下を身に着けており、よく見てみると作業服の胸には会社のロゴらしいワッペンが貼り付けてあった。
「いやぁ、運がいいことに出所して早々、俺たち就職できたんですよ」
兄貴は嬉しそうに語る内容は次の通りだった。
汗水垂らして真面目に働きたい、応援してくれた一人の少女のためにも楽したりせず一生懸命に努力してみたい。その旨を警察の取調べの時に話したところ、就職先を斡旋してくれると後押ししてもらうことになった。
彼らは迷惑を掛けた伊集院家に罪滅ぼしをしたいとも考えていた。それらを考慮してもらった結果、伊集院家の出入り業者である修理専門の会社に入社がすぐに決まったというわけだ。
これはもちろん、兄弟が手先が器用という特技があってのもの。そして、少年課の警部補の口添えが必ずしもなかったとは言えなかった。
「というわけで、お嬢様、これからもよろしくお願いしま~す!」
終わり良ければすべて良し。それがこのストーリーのモットーである。
とんとん拍子に事が運んで舞香は苦笑するしかないが、ここが職業訓練の場になればと思って兄弟二人の新しい門出を祝福しつつ快く歓迎するのだった。
後日、この事実を知った由美は大層喜んだそうだ。それは兄弟二人が更生して自立してくれたことよりも、自らが人のために役立てたことが何よりも嬉しかったに違いない。




