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第二十四話― スケールにびっくり! 伊集院家で大騒動(2)

 丁度その頃、伊集院家の業者専用出入口の前には幌付きのトラックが待機していた。

 このゲートを通行できる者とは、清掃業者や食品飲料関係の配送業者、そしてガソリン給油の業者など多岐に渡るが、通り抜けるためには予めに入場許可証が発行されていなければならない。

 今ここで警備員に入場許可証を見せているのは、敷地内の修繕全般を請け負う業者であった。

「よし、通行可能だ」

「ありがとうございます」

 業者の男性は帽子を取って会釈すると、開放されたシャッター式のゲートを徐行運転で潜っていく。ちなみに本日の来訪理由は、お屋敷の外壁のひび割れを修繕する左官業務とのことだ。

 うっそうと生い茂る樹林に囲まれた道路を走行すること数分、修繕の業者のトラックは専用の駐車場まで到着した。

 幌を開けて荷台から材料や道具類を取り出す業者の男性。さて始めるか、そんな独り言を漏らしつつ彼は目的であるお屋敷の方角へと歩いていった。

「…………」

「…………」

 静かな駐車場にポツンと停車しているトラックが一台。無人のはずなのに、なぜか沈黙を意味する二つの台詞が浮かび上がる。

 幌を内側から開けてひょっこりと顔を覗かせる男性が二人。両方とも坊主頭で顔つきは似ているが、一人は眉が吊りあがって少々強面な感じの丸顔、もう一人は眉が垂れ下がっておとなしそうな雰囲気の面長。

 周囲に誰もいないことを目視で確認し、彼ら二人は狭苦しかった荷台から地面の上へと降り立った。

「ここが伊集院コンツェルンの敷地か。さすがにでかいな」

「ホントだね。これならお宝がたくさんありそうだよ」

 もうご承知かも知れないが、この男性二人は修繕の業者ではなく金品財宝を狙う泥棒である。業者の来訪日を事前にチェックしてトラックに忍び込み、ご丁寧に作業服まで準備するほどの用意周到ぶりだった。

 実は彼ら二人、正真正銘の兄弟なのであった。あえて名前を紹介するまでもないので、ここから先は“兄貴”と“弟”と表記させてもらうのでご了承願いたい。

 伊集院家のお屋敷を前にして武者震いしている兄貴、そして緊張のせいかドキドキと興奮を隠し切れない弟。何と彼らはこれが泥棒家業初体験だったりする。

 成人になってからというもの、二人揃って働き口が見つからないまま貧しい生活を強いられており、そこから脱出するために勇気を振り絞ってこんな大胆な行動に出たというわけだ。

 動機は至って単純明快だが、素人二人組が果たして伊集院家の警備システムを掻い潜ってお宝をゲットできるのだろうか?

「よし、高価な美術品を保管している部屋はあそこのはずだ」

 兄貴はお屋敷の地図を手にしながら二階のとある部屋を見上げた。

 そこは伊集院家が保有する宝物を特定の来客のみに公開している特別展示室だった。なお、それは関係者にそう呼ばれているだけでカモフラージュとして”一一八”という部屋番号が割り当てられている。

 それはそれとして、この地図は伊集院家に過去従事していた知り合いからヒアリングした情報を頼りに彼自身が作成したもの。初めての泥棒らしく石橋を叩いて渡る念の入れようだ。

「おい、ロープはちゃんと持ってきただろうな?」

「うん、持ってきたよ。これ泡立ちがいいから好きなんだ」

「バカヤロウ! これはソープだろうがっ」

 兄貴の冴え渡るツッコミキックが弟のボディーに炸裂した。

 実をいうと、兄貴は泥棒ながらも世間一般的な常識人なのだが、弟の方は教育の面で若干劣っており天然ボケをはるかに超えた大ボケをかましてしまう危険人物であることをここでお知らせしておこう。

 こんなお笑いコンビのような泥棒で大丈夫だろうか?と、期待と不安が過ぎる読者もいるだろうが物語はどんどん進んでいくのであった。

 駐車場を走り抜けていく兄弟二人は、巡回しているガードマンの目を盗みつつ特別展示室の真下まで辿り着くことができた。

 とはいえ、お宝を展示している部屋にそう安易に侵入できるはずがない。カギの形状も電子タイプになっているため、まずはその隣の客室から侵入するしかなかった。

 当然ながらここに階段も梯子もないので、ここからはロープを使ってよじ登らなければいけないわけだが。

「おい、ロープを早く寄こせ」

「あいよ、アニキ」

 ロープをぶんぶんと振り回して二階にある客室の窓枠に焦点を定める兄貴。そこに、ロープの先端に括り付けたフックを引っ掛けるという戦法だ。

 彼はここぞというタイミングでロープを放り投げてみた。ところが、窓枠に引っ掛かることなく不発に終わってしまう。成功率は低いだろうが、窓枠にかすりもしないというのはどうにもおかしい。

「…………!」

「アニキはまったく下手だね~。見ていられないよ」

 ケラケラと嘲笑している弟の横で兄貴は身震いしながら怒りを覚えていた。それも当たり前で、手渡されたロープの先端にはフックではなく運動靴が括り付けられていたからだ。

「これはフックじゃなくてズックじゃねーか!」

「ぐっ、ぐげげ~!」

 ロープで首を絞められてジタバタと悶絶している弟。兄貴からの情け容赦ない制裁はすでにツッコミのレベルを超えてしまっているようだ。

 というわけで、ロープにしっかりとフックを装着してどうにか二階の窓枠に引っ掛けることに成功したのはいいが、ここまで時間にして十分少々費やす羽目になってしまった。

「いいか、ここからがおまえの出番だ。二階の窓のカギを壊さないように開けるんだ。わかったな?」

 頭脳では人より劣る弟だが、彼には彼なりの才能があった。それは工具を使って錠前をこじ開けるテクニックだ。そうでもなければ、兄貴がわざわざ危険を犯してまで彼を同行させるはずがない。

 弟は尊敬する兄の信頼を背負ったまま、二階の客室までつながるロープをよじ登っていく。早くしろと急かされながらも、慎重に慎重を重ねて壁伝いによじ登っていった。

 途中で止まったりしたものの、弟はどうにか特別展示室の隣の部屋まで到着した。彼はすぐさま技術を生かして窓のカギを外そうとする。特殊な形状のカギでない限り、彼の腕に掛かったら開錠なんてあっという間だ。

「アニキ、開いたよ」

「よくやったぞ、弟よ!」

 敷地内への侵入を第一関門としたら、屋敷内への侵入を第二関門の突破と言えるだろう。初めての泥棒のくせにここまでは順調といったところか。

 さて次は兄貴の番だ。垂れ下がったロープを両手でしっかりと握り締めた彼は、侵入への第一歩となる片足を外壁へと押し当てる。

「おい、ちゃんとロープを固定しておけよ」

「任せてよ、アニキ」

 兄貴はロープを何度も引っ張って頑丈かどうか確かめてから、一歩、また一歩と壁伝いによじ登っていく。

 とはいえ、ロッククライマーでもない彼がスムーズにかつテンポよく進めるはずもなく。彼は汗で額をびっしょり濡らしながら、弟が待つ地上五メートル先を目指していった。

「アニキ、何してんの~、早く上がっておいでよ」

「う、うるせー、黙って待ってろ。気が散るだろうが!」

 苦痛に耐えながら登ること丁度残り半分といったところか、ここで予想していなかったハプニングが起きてしまった。

 伊集院邸の巡回を担当する警備員が特別展示室の真下に近づいてきたのだ。来客や業者の入場チェックをしていても、念には念を入れて異変がないか見回りをするのは何ら不思議ではない。

「あっ、やばいっ!」

「ん、何か言ったか?」

 このままでは見つかってしまう!弟は青ざめた顔つきであたふたとし始めた。

 もし経験豊富の泥棒なら焦りはしてもそれなりに冷静な対処ができたかも知れないが、如何せん初めての泥棒経験でしかもおつむにハンデを背負っている弟は、考えるよりも真っ先に行動に出てしまうのだった。

 彼は七つ道具の一つでもあるハサミを取り出した。すると、そのハサミを兄貴の命綱でもあるロープに宛がった。

「お、おまえ、な、何する気だ……ってうわぁ!?」

 弟は躊躇うこともなくロープをハサミで切断した。もちろん、兄貴は無念の声を上げながらロープごと地上に落下してしまう。

『ドサッ――!』

「何だ? すごい音が聞こえたぞ」

 物音に気付いた警備員がピタリと歩みを止めた。このまま侵入者発見となってゲームオーバーになると思いきや、彼とお屋敷の間には背の高い生垣があるため物音の正体をその目で捉えることができなかった。

 異変の真相を突き止めるべく、警備員は警報を知らせるブザーと腰にぶら下げた警棒を手にしながらゆっくりと歩き始める。

 その頃、生垣の向こうにいる兄貴は強打した腰の痛みと戦っていた。それでも近づいてくる警備員をどうにかやり過ごさねばならず、彼は覚悟を決めて動物の鳴きマネでごまかそうとした。

『ガ、ガオォ~!』

「何と、ライオンだったのか!? またお嬢様がペットとして連れてきたのだろうか……」

 警備員は百獣の王にびっくりして後ずさりしてしまった。むしろご対面なんてしたら噛み殺されるとでも思ったのか、その場から逃げ出すように走り去っていった。

 それはそれとして、ライオンがお庭に徘徊していても怪しまれない伊集院家とはいったい何なのか。ここは動物園でもアフリカのサバンナでもないはずだが……。

 思いつきとはいえ、警備員の監視をやり過ごすことに成功した兄貴。腰に痛みを抱えながらもホッと胸を撫で下ろした。だが沸々と怒りが込み上げてきて、その矛先は言うまでもなく頭上にいる弟へと向けられる。

「やい、よくもやってくれたなっ! お宝の分け前減らすからそのつもりでいろ」

「ごめんね、アニキ~。今すぐにロープを垂らすから許して~」

 いろいろトラブルはあったものの、泥棒二人組は運良く伊集院家のお屋敷まで侵入することができた。ここまでが第二関門、お宝が保管されている隣の部屋への道のりまでまだ安心はできない。


* ◇ *

 伊集院コンツェルンが誇る警備システムがあっさりと破られたことなど露知らず、お嬢様の舞香とその仲間たちは豪華な客間でまだ賑やかに談笑していた。

 お客様として招かれてかれこれ一時間以上は経過しただろうか。長い時間ティータイムを満喫していたら、誰にでもやってくるのが生理現象というやつだ。

「ねぇ、マイカちゃん」

「何かしら? ユミちゃん」

「うん、わたし、おトイレに行きたいんだけど」

 由美は恥ずかしかったのかほんのりと頬を赤らめていた。すぐ隣に拳悟という憧れの男性がいたせいもあるのだろうが。

 まさにラビリンスのような伊集院家のお屋敷だけに、初めて訪問した彼女にしたらトイレに行くのも冒険そのものである。道案内でなくともそれとなく詳しく場所を聞いておく必要があるだろう。

「一番近いトイレなら、ここを出てから左に曲がって突き当たりを右に曲がって。それからまたT字路にぶつかるから、そこを右に曲がって徒歩一分ほど先にありますわ」

「えーっと、左に曲がって次に右に曲がって……。よくわかんないけど、とりあえず行ってみるね」

 果たして無事に辿り着けるのだろうか?そんな一抹の不安を隠せないながらも、由美はたった一人で客室のドアを開けてトイレに向かって歩き出した。

 冬の優しい明かりに照らされる客室前の廊下。清掃が行き届いているせいかここは清潔感たっぷりだ。彼女はそれに感得しながらトイレまでの道順を独り言のように口にしていた。

「突き当たりを右に曲がるんだよね、確か……」

 客室を出てから一番最初の曲がり角を折れた途端、由美の目に不思議な光景が飛び込んだ。それは何かというと、一一八号室の前でしゃがみ込んで何やら忙しい坊主頭の男性二人の姿であった。

 険しい表情でドアに向かっている眉の吊り上がった男性、そしてそれを後ろからじれったそうな表情で見つめている眉の垂れ下がった男性。そう、彼らこそ泥棒家業を始めたばかりのあの二人組だ。

「アニキ、まだ開かないですかぁ?」

「うるせーな、横からゴチャゴチャ言ってんじゃねーよ!」

 この二人が何をしていたかというと、特別展示室へ侵入するためにドアのちょうつがいをドライバー一本でこじ開けようとしていたのだ。ただ、そう簡単な構造ではないせいか四苦八苦している様子だった。

 特別展示室への入口が難攻不落なのは想定済み。兄貴はあくまでも冷静な姿勢でドアのちょうつがいと向き合っていた。それはまさに、長き時に渡って激戦を繰り広げてきた強敵と対峙するかのごとく。

「いいか、よく聞け弟よ。このドアを攻略するには、このドライバーに俺の魂とも言うべきオーラを吹き込まねばならんのだ」

 ドライバーの先端を凝視ながら怪しげな呪文を念じる兄貴。彼から言わせると、こうして精神を統一することにより屈強かつ堅牢なセキュリティーと真剣勝負を演じることが可能になるのだという。

 そんな眉唾なことを面と向かって言われても、無知な弟にしてみたら半信半疑なのは当然であって理解不能と言わんばかりに首を傾げるしかなかった。

「能書きはいいから、早く開けてよ」

「頭悪いくせに、生意気言ってんじゃねーよっ!」

 せっかく一点集中したのに心が乱れてしまった兄貴。弟の悪意のない小言一つ一つに苛立ちながらも、彼はドライバーの先端を駆使してちょうつがいのネジを一つずつ取り外していく。

 特別展示室のお宝まであともう少し……。手を震わせながらの慎重な手つきで作業を進めていた矢先、偶然この廊下を差し掛かった一人の少女に声を掛けられた。

「どうもお疲れさまです」

「うぎゃぁぁ~!?」

 いきなり呼び掛けられて素っ頓狂な声を上げる泥棒二人。大慌てで顔を向けるとそこには、由美が不思議そうな顔をしたまま立っているではないか。

 彼女にしてみたら目の前にいる男性二人の正体など知る由もない。だから怪しんだりすることもなく、伊集院家に従事する関係者なのだろうと思ってごく普通の挨拶を交わした。

 その一方で、彼女が伊集院家のお嬢様に招かれたお客だとまったく知らない彼ら。この場をどうやってごまかそうかと躍起になって、汗を吹き飛ばしながらただ慌てふためくばかりだ。

「ここで何してるんですか?」

 由美から質問されても、泥棒二人は何とも答えてみようもない。そもそも、関係者と遭遇することを想定していないだけにそんな引き出しなど持ち合わせていないのが本音だった。

 下手な言い訳だと怪しまれる。兄貴が顔色を変えながら必死になって返答を模索していた最中、臨機応変に対処できない弟が好き勝手に口を滑らせてしまう。

「俺たちは泥棒じゃないよ。言っておくけど、この部屋の中にあるお宝を狙って忍び込もうなんてこれっぽっちも……」

『――バキッ!』

 すぐさま兄貴の鉄拳制裁が弟の頬にジャストミートした。そして、兄貴は取り繕うかのごとくわざとらしい高笑いをしながら口からでまかせを言った。

「あっはっは、俺たちは見ての通り扉の修理屋さんだよ! つい最近依頼を受けてね、こうして修理にやってきたというわけさっ」

 坊主頭で多少人相が悪いとはいえ、それっぽい作業服を着てドライバーといった工具を持っていたら修理全般を扱う出入り業者に見えなくもない。

 こういう要素が揃ってしまうと、家人や疑り深い性格の人ならまだしも由美のような客人だと訝ったりせずに素直に信じてしまうだろう。彼女はうんうんと頷いて彼らの仕事ぶりを労った。

「そうでしたか、お邪魔してごめんなさい。引き続きがんばってくださいね」

 由美は挨拶もそこそこに、パタパタと足音を鳴らしながらそこから歩き去っていく。今の彼女にしたら、トイレに迷わずに辿り着くことで頭がいっぱいだったのかも知れない。

 泥棒二人は執拗に詮索されずに済んで大きな溜め息を零した。背中の冷や汗が引いていくのを感じてブルっと全身が震え上がった。

「ふぅ、危なかったぜ。ここまで来てバレちまったら元も子もない」

 事なきを得たのは良かったのだが、それでも兄貴は腑に落ちない印象もあった。通りかかった女の子があまりにも警戒心を持たなかったから。あまりにも無用心ではないかと。

 それはそれとして、侵入時といい今といい幸運はそうそう続くものではない。兄貴は汗ばんでいる手でドライバーを握り直してドアのちょうつがいと向き合った。しかし、その数秒後……。

「ダメだ、ネジに焦点が合わねぇ……。弟よ、ここは若者のおまえに任せる」

 眉根を寄せてまぶたに指を押し当てる兄貴。年寄りっぽく近眼を嘆いているそんな彼だが、つい最近二十四歳の誕生日を迎えたばかりの働き盛りの若者だったりする。

 投げやりに役目を振られた弟はというと、これこそが真骨頂と言わんばかりに粛々と任務を遂行する。指先が器用なのだろう、彼はほんの数分ほどでドアのちょうつがいを取り外してしまった。

「よくやったぞ! よし、中に入ってみよう」

 足音をさせないよう静かに入室してみると、いよいよ特別展示室の全貌が泥棒二人組の目の前に明らかとなった。

 室内の中心には宝飾品を保管している厚手のガラスケース、その宝飾品を日光で傷付けないようにする配慮からか、部屋全体を真っ黒な遮光カーテンで覆い尽くしていた。

 そのせいで室内は照明なしでは歩きにくいほど薄暗いが、それがむしろ、廊下からの光に反射する宝飾品の眩い輝きをより助長しているかのように映った。

 輝いているのは何も宝飾品だけではない。ここまで辿り着くことに成功した泥棒初体験の兄弟の瞳もキラキラと輝きを放っていた。ただ、邪な黒い輝きではあるが。

「おいおい、見てみろ。これだけの宝石が手に入ったら俺たちは一生遊んで暮らせるぜ」

「やっと贅沢ができるんだね~。パンの耳ばかりの食生活から解放される日がやってくるんだ~」

 そこに並んでいるのはまさに黄金の山。パンの耳からフランスパンへ進級するばかりか、パンを卒業して高級フランス料理のフルコースを食べても有り余る財宝と言えよう。

 浮かれるのはいいがまだ難関が残っている。宝飾品をガードしているガラスケースをどうやって取り外すかだ。当然ながら、ケースには管理者しか知らない暗証番号付きの警報装置が備わっている。

 黒いビニールの手袋を装着してパスワードロック解除に入ろうとする兄貴。姿勢や格好だけはプロらしく見せてはいるが正真正銘本物のど素人である。

「ふっふっふ、この俺の実力を証明する出番がやってきたぜ」

 頬に伝う汗を腕で拭い、兄貴は武者震いしながら大きく息を吸い込んだ。深呼吸を数回繰り返して気持ちを落ち着かせてから、いざ作業に取り掛かろうとした瞬間――!

「わぁ~、バカ! おまえ何やってんだぁぁ!?」

「へっ?」

 手先は冴えていても頭は冴えていない知能指数の低い弟。お宝を手にすることしか頭にない彼は、セキュリティーを解除する前にガラスケースを持ち上げてしまったのだ。

『ジリリリリリ――!』

 当たり前のことだが、特別展示室は警報サイレンのけたたましい音に包まれた。それと同時に、伊集院家の警備システムの集中管理室に異常信号が送信されることになる。

「この大マヌケ! どうしてくれるんだよっ」

「ご、ごめん、アニキ! すぐにケースを元に戻すから許してぇ」

「今更戻したってもう遅いわっっ!」

 泥棒二人組があたふたと焦りまくっている頃、特別展示室から数十メートルほど離れた客室にいた伊集院舞香と拳悟の二人は驚きと動揺の表情で向き合っていた。

 それもそのはずで、先ほどのサイレンの異常音が彼女たちの鼓膜にしっかりと焼き付いていたからだ。

「おい、おじょう。さっきのでかい音は何だよ?」

「警備システムが異常を知らせるサイレンですわ。どうしたんでしょう……」

 伊集院家のお嬢様として不安を隠しきれない舞香。その不安をさらに煽らんばかりに、室内の内線電話が小さな着信音でコールした。

「もしもし? ああ、じいね。先ほどのサイレンは?」

 召使いの老人が語る現状を説明すると、特別展示室で異常を知らせる信号をキャッチし、お屋敷全体の防御装置が作動したとのことだ。ちなみにその防御装置とは侵入者を逃走させない特殊なシステムらしい。

「何だか物騒じゃないか。まさか泥棒でも入ったのか?」

「そこまではわかりませんわ。でも、特別展示室には貴重品があるからその可能性も否定できません……」

 伊集院コンツェルンの警備システムは完璧だったはず。その神話が崩壊したことを知って舞香は困惑の表情でうな垂れてしまった。同級生が遊びに来ている日に限って起きてほしくなかったのが本心であろう。

 真相はまだ判明していないが、もし侵入者がいるとしたらどんな手段を使ってでも逃がすわけにはいかない。彼女は召使いにそれだけは死守するよう強く指示した。

「なぁ、おじょう。防御装置が作動するとどんなことが起こるの?」

「侵入者を外に出さないためにトラップを敷くんですの」

 トラップとは以下の通りだ。まず全部屋の窓をロックして開けられないようにする、さらに、いつもは見えなくしているが廊下に仕掛けている落とし穴をすべて稼動させるというものだ。

 こうすれば侵入者は窓越しに逃げることができず、廊下に出た瞬間自動的に落とし穴に落下することになる。深さも四メートルほどあって蓋も閉まるため、落ちたら最後まず脱出することは不可能というわけだ。

「なるほどな……って、ちょっと待て!」

 防犯システムに納得したのも束の間、拳悟はハッと何かを思い出して顔色を青くした。

「ユミちゃんがトイレから帰ってきてないぞ!」

「あらっ、そ、そうでしたわ!」

 落とし穴の稼動を停止しないと由美が誤って落ちてしまう!拳悟がすぐに防御装置の解除を要求したが、舞香は青ざめた表情で首を横に振った。解除するには、伊集院家の主である父親の指紋認証が必要だからと。

 解除されるまでじっとしてなんていられない。由美という最愛の親友を救うべく、拳悟は舞香の制止を振り切って血気盛んにそこから走り出した。

 出入口のドアを勢い任せに蹴破っていざ廊下へと飛び出していく。破壊されたドアが床に倒れた瞬間、彼に待っていたのは深さ四メートルの真っ暗闇――!

「うわぁ! あぶねぇっ!」

 拳悟は宙に浮いたままジタバタと両手足をばたつかせる。

 このままドアと一緒に落とし穴に飲み込まれると思われた直後、これこそ天性なる運動神経の良さなのか、彼はドアの上に片足を踏み付けるなりすぐさまジャンプして暗闇の脅威から免れた。

 廊下の床にひざまずいて、落とし穴の底に落ちていくドアを黙って見つめるしかない彼。興奮状態が続いているせいか、彼の顔色から血の気が引いて全身も小刻みに震えている。

「ケンゴくん、大丈夫でしたか? だから行ってはいけないと言ったのに!」

 舞香がすぐに拳悟の傍へ駆け寄ってきた。彼女も落とし穴を目の当たりにしたのは初めてなのだろう、ただ呆然とそこに立ち竦んでしまい絶句していた。

「……これ、ユミちゃんが落ちたら大変なことになるぞ!」

「……ユミちゃんが落ちないことを祈るしかありませんわ」

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