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第二十三話― 楽しみいっぱい、胸いっぱいのクリスマス(2)

 時刻は少しばかり遡って、ここは夕方六時を迎えたばかりの矢釜中央駅。

 今夜はクリスマスイブだけあって、駅の構内はケーキやプレゼントらしき手荷物を手に抱えているサラリーマンで賑わっていた。みんながみんな、残業を早めに切り上げて帰宅の途を急いでいるのであろう。

 もちろん、駅の構内を埋め尽くしているのは会社員だけではない。これからムーディーなデートをしゃれ込むカップルたちも所狭しとたくさん見受けられた。

 さまざまな人々がさまざまな思いを持ってひしめく中、暖房が完備された待合室の椅子に腰掛けているのは、パーティーの参加者であるクラスメイトの到着を心待ちにしている由美であった。

 予定の時間を過ぎているにも関わらず、誰とも合流できずに不安がる彼女。そわそわと周囲を見渡して、流れの早い雑踏の中から友人の姿を目で追っていた。

 ふと駅の出入口に視線を移してみると、そこでは真っ白な雪がちらちらと降り始めていた。ロマンチックなシーンとはいえ、傘を持たずに外出してしまった彼女にしたら不安要素の一つだったに違いない。

(ケンゴさんもスグルくんも遅いな。雪も降ってきたし、ちょっとぐらい遅れるのも仕方がないのかも)

 待合室で待つこそ十分少々。由美の視界の中にようやく見慣れた顔のクラスメイトが飛び込んできた。

「いやー、ユミちゃん、お待たせっ」

「もう、ケンゴさん、遅いですよ~」

 学校でも遅刻組と呼ばれているだけに、拳悟はここでも堂々と遅刻してしまった。その理由もたいしたことではなく、ネクタイの色をクリスマスっぽくコーディネートするのに時間が掛かったというお粗末なものだった。

「あっ、そうそう、実はスグルから連絡があったんだけど……」

 ここで拳悟は神妙な面持ちで告白する。勝が今夜のパーティーのためにと買ってきたチキンナゲットを試食したところ、あまりのおいしさに全部食べてしまいお腹を壊してリタイアしてしまったことを。

 ……あえて付け加えておくが、これは当然ながら拳悟の作り話である。

「そんなわけでアイツ、来れなくなったらしいんだ」

「そうなんですか? スグルくん、大丈夫かな」

 友人の体調を危惧する由美をよそに、拳悟は心配無用と言わんばかりに話をどんどん進めていく。嘘を付いているだけに、多少なりとも後ろめたい気持ちはあっただろうが。

 というわけで、必然的に二人きりのパーティーになったわけだが、開催場所は矢釜中央駅からさほど遠くない洋風カフェ。そこで料理にケーキ、そしてドリンクも予約しているとのこと。

 さすがはクリスマスだけに予約するのに苦労したと語る拳悟。あらゆるイベントを企画してきた彼だけに、当日にお店をゲットできたのはその経験の賜物と言えるだろう。

 暖かい空気に包まれた待合室を抜け出して、冷たい空気が充満した屋外までやってきた二人。しんしんと降り続ける雪がこれからの道筋を遮るかのようだ。

「ずいぶん降ってきましたね」

「フッフッフ、安心しなさい。俺にはパラソルという強い武器があるのだ」

 カップルらしく相合傘でお店まで行こう。拳悟がニコッと歯を光らせて微笑しながら手にあった傘を広げてみると……。

 広げた傘をこれでもかと彩るデフォルメされたお茶目な犬の顔。これはどう見ても、男子高校生が持ち歩く傘とは到底考えられない女の子好みのデザインだった。

「ありゃりゃ! これ、オフクロの傘じゃないかっ。やっちまったな~」

 拳悟の母親は犬が大好きらしく、年甲斐もなくぬいぐるみを枕元に敷き詰めているそうだ。ちなみに、お気に入りの犬種はトイプードルとコリーのミックスというマニアックぶり。

 今更恥ずかしがってももう遅い。それに、降り続ける雪を避けるためには傘は必要不可欠。彼は照れ笑いを浮かべつつ由美を相合傘の中へと招待した。

「ははは、お店まですぐだからさ。しばしの辛抱だよ」

「気にしてませんよ。わたしもこういう傘、小さい頃は持ってたから」

 路面がにわかに白くなっていく中、表情も心も暖かくなっていた拳悟と由美の二人は、イルミネーションの眩いライトに照らされた繁華街を越えて予約しているカフェを目指していった。


* ◇ *

 その一方で、勝とさやかの二人はどうしていたかというと、パーティーの準備のために雑貨店やスーパーマーケットに立ち寄ってから開催場所となる彼の自宅まで到着していた。

 両親はただいま留守にしているようで自宅はもぬけの殻だった。恋人同士だったらグッドタイミングであろうが、彼ら二人はまだそういう関係でもない。しかも、お互いにそれほど意識している様子もなかった。

 男くさいほど殺風景の部屋の中にコタツが一つ。勝とさやかの二人は向かい合う形でそこへゆっくりと腰を下ろした。

 スーパーマーケットで買い揃えたチキンにポテトフライ、そしてショートケーキをテーブルの上に並べる。好みで選んだ炭酸飲料で乾杯すれば、当初予定していなかった二人きりのパーティーの幕開けである。

「スグルくん、はい、プレゼントだよ」

「おいおい、食べ始めたばかりでもうプレゼントかよ?」

 ディナーが始まって早々、さやかはオレンジ色のパッケージを差し出した。これはここに来るまでの途中、勝のためを思って購入した選りすぐりのクリスマスプレゼントだ。

 片手で抱えるにはちょっと大きいサイズのプレゼント。彼は口に含んでいたチキンを飲み込んでからそれをありがたく頂戴する。

「おっ、これチョッキかっ」

「やだぁ、スグルくん、カーディガンだよー」

 さやかの贈り物はコバルトブルーを基調とした袖無しのカーディガン。毛糸で編み込まれたもので寒い冬の中でも暖かそうだ。

 これを選んだ理由だが、勝は秋でも冬でも春でもいつもスタジアムジャンパーばかり。インナーだけでもオシャレしてほしいという彼女なりの女子らしい心遣いだった。

「ねぇ、早く着てみて!」

「なぬ? 今ここでか?」

 きっと似合うからと、さやかは手拍子っぽく両手を叩いて急かしてくる。着ないまんまでタンスの肥やしにされるのだけは避けたかったようだ。

 女の子からのプレゼントとなれば、男の子としてはやっぱり無碍に断ることもできない。勝は困惑しながらお馴染みのジャンパーを脱いで暖かそうなカーディガンに袖を通してみた。

 サイズを合わせてなかったせいで少しばかり丈が短い印象もあったが、ジャンパーの下に着るには丁度いい長さだろうし色の選択も特段問題ないように見受けられた。あくまでも、それはさやか目線だが。

「うんうん、スグルくん、バッチリカッコいいよ~」

「ありがとよ。俺はあまり毛糸ものは着ないからな」

 勝は照れくさそうに襟元を指で掻いていた。毛糸がチクチクしてかゆかったのか、それとも、ただ単純に恥ずかしさでむずがゆかったのだろうか。

 今年は既製品になってしまったが、来年こそは手編みのセーターに挑戦したいと発奮するさやか。数ヶ月ほど前から母親に教わっているらしく、すでに手袋ぐらいなら編めるほどに上達したとのことだ。

 こういう展開になってしまうと、彼だってプレゼントを渡さないわけにはいかない。出し惜しみするつもりもなかったので、帰宅途中で買ってきていた小包をさやかに向けて差し出した。

「ほら、俺からもプレゼントだ」

「嬉しいな。どうもありがとう!」

 さやかは中身が気になるのか受け取った小包を上下左右に振ってみた。カタコトと小さな音が聞こえてきたが、果たして勝からの心を込めたプレゼントの正体とはいったい――?

「ガーターベルト付きのレースの下着だ」

「ええっ!? そ、そんなのあたし付けられないよっ!」

 男のイロハも知らない清純な女子高生らしく、さやかは顔を真っ赤にしながら抵抗感を示した。ちなみに、彼女の今夜の下着はシンプルな白地のものだったりする。

 小包を突っ返されてしまった勝はおもしろ半分で声高らかに笑った。これはお約束とも言うべきジョーク、年端の行かない少女に下着をプレゼントするヤツなんてどこにいるのかと。

「よくよく考えてみろ。下着がそんな音するわけねーだろ?」

「もー、意地悪っ!」

 文句を言いながらも小包の包装紙を乱暴に開けてみると、さやかの目の前にお披露目されたプレゼントはかわいらしい熊のキャラクターをあしらったティーカップだった。

 彼女の好みなんて知る由もない勝。プレゼント選びに頭を悩ませたわけだが、とりあえずは当たり障りのない品物を選定したことを打ち明ける。

 プレゼントに好みも何も関係ない、どんなものでも贈ってくれる行為そのものが嬉しいのだ。彼女はそう言いながら嬉しそうに笑ってティーカップを大事そうに握り締めた。

「そうだったのか、それなら下着にすれば良かったな」

「違う違う、下着は別問題だよっ!」

 プレゼント交換も終わり、勝とさやかはテーブルの上の並んだパーティーメニューに舌鼓を打つ。チキンもポテトも少し冷めてしまったが、楽しいひと時を過ごしている彼らの心はほっこりと暖かだった。

 部屋の中はぬくぬくしていても、雪がちらつくお外はどんな感じなのだろうか?さやかが立ち上がるなりカーテンを開けて窓の外を覗いてみると、地域的に温暖な矢釜市では珍しいほどの雪景色が広がっていた。

「スグルくん、けっこう積もってきたよ」

「これはマジで、明日は雪合戦大会になりそうだな」

 刻一刻と夜が深まっていく中、ここ矢釜市のクリスマスイブに真っ白な雪が降り積もっていく。ムード感漂うロマンチックな夜はまだ始まったばかりだ。


* ◇ *

 時刻は夜七時を過ぎた頃、ここは矢釜中央駅から徒歩数分ほどの位置にある洋風カフェ。ここが拳悟と由美の二人のパーティー会場である。

 店内は美術品や絵画が飾ってあり、モダン調な造りで落ち着いた趣がある。クリスマスのようなイベント時期ではなくても、誕生日会や歓送迎会にも幅広く利用されるお店だ。

 別料金ではあったが、このお店の個室を運良く予約することができた拳悟。そのおかげで、店内を埋め尽くすカップルたちの賑やかな談笑の声は聞こえてはこない。

 パーティーの開始を告げるかのように、ウェイターがキャンドルに火を点し、ガラス製のデキャンタと洋風皿に盛り付けられたコース料理をテーブルに並べていく。

 パートナーとして迎え入れられた由美は、大人っぽい独特の雰囲気を肌で感じて最初こそ緊張していたが、これまでに経験のない演出や趣向を見ていくうちに緊張を通り越して気持ちが高ぶっていた。

 静かな室内で向かい合う拳悟と由美の二人。デキャンタからドリンクを注ぎ入れたグラスを手にしてロマンチックなクリスマスの夜に乾杯した。

「あれ、この飲み物って何ですか? ジュースじゃないみたい」

 由美はドリンクを一口飲んでから何やら異変に気付いた。炭酸系の弾けるさわやかさはいいとしても、少し苦くてやたらと喉が熱くなる感覚は何なのだろうかと。

 彼女と同じくドリンクを口にした拳悟が、透き通ったグラスの中身を揺らしながらその問いに答える。

「これはシャンパンだよ」

「ちょっと待ってください……。ということは、これお酒?」

 由美が言う通り、シャンパンはお祝い事には欠かせないアルコール飲料だ。それなのに、高校生二人きりのパーティーにどうしてこんなものがドリンクとして提供されたのだろうか?

「心配しなくてもいいよ。俺たち一応、二十歳同士っていう設定になってるから」

「ダ、ダメですよっ! そういう問題じゃないですって~」

 高校生ギリギリの年齢の拳悟は冗談半分に微笑んだ。この大胆不敵ぶりはハチャメチャトリオの中でも群を抜いているところだが、彼が成人するまであと二年はあるはずだ。

 彼は別として、優等生の由美にしたらアルコールなんて初体験。彼女は遠慮しますと言わんばかりに、ゲホゲホと咳き込みながらシャンパンの入ったグラスをテーブルの上に置いた。

 お酒とは不思議なもので、強いとか弱いとか判別する前に人間にアルコール反応を促すらしく、たった一口ながらも彼女の頬はほんのりとピンク色に染まっていた。

「だって、せっかくのお祭りなんだし。ほら、夏祭りの縁日でもさ、ついつい楽しさのあまり生ビールとか飲んじゃうでしょ?」

「生ビールなんて飲みませんよっ」

 夏祭りだろうが秋祭りだろうが、未成年がアルコールは飲んではいけません。由美の叱咤するような文言は当然ながら作者も同意見、お酒は二十歳になってからだが、今回だけは成り行き上法令無視を許してほしい。

 今夜は一年に一度の聖なる夜、しかも明日からは待望の冬休み。拳悟が学生に取って喜ばしい話題を振れば振るほど彼女の気持ちも心なしか解放されていった。

 ほんの一杯ぐらいなら……。彼女は悪いことだと認識しつつも興味本位でもう一度グラスに唇を触れてみる。苦くて喉を熱くする感覚が不思議と心地良くて驚きを隠せない様子だ。

 ――ところが、この軽い一杯が彼女をアナザーワールドへと誘ってしまうことなど、彼女本人も彼もまだ知る由もなかった。

「どう、料理もおいしいでしょ? ここのシェフ、海外で修行していたらしいから自信を持ってオススメするよ」

「はい、わたしこんな感じの洋風料理って初めて。ソースとかの味付けが個性的ですよね」

 使い慣れないナイフとフォークを駆使してコース料理をいただく拳悟と由美の二人。個室だから他人に見られることもない。彼らは食事作法などお構いなしで豪華なディナーを楽しんでいた。

 コース料理が次々と運ばれてくる中、本日のメインとも言うべきケーキがウエイターの手によって個室内に登場した。チョコレートと生クリームをあしらった三号のホールケーキだった。

「わぁ、とってもおいしそう!」

 男女二人きりのディナー、これを世間的に見たら十分にデートなわけで。女の子の扱いに長けている拳悟にしてみたらそれも珍しくはないが、不慣れな由美にしたらそれこそビッグイベントとも言えよう。

 おしゃれなケーキも出てきてパーティーは最高潮に達した。彼が一緒にいるおかげで気持ちが高揚しているのだろう、彼女の顔色もますます赤みを増して熱いぐらいに火照っていた。

「あれれ、変だな、何だか目が回る~」

 ここで異常事態が発生してしまった。由美がケーキをフォークで突こうとするも、なぜか焦点が合わずに上手に摘み取ることができない。カツンカツンとフォークとお皿がぶつかる音ばかりが室内にこだまする。

 ――お察しのことと思うが、彼女はシャンパンの一杯の魔力によって酔いが回ってしまっていたのだ。

 未成年の学生相手にお酒が強いも弱いもないだろうが、ただでさえ初体験のアルコールだけにこれも頷けるお話なのである。

「おいユミちゃん、大丈夫か?」

「大丈夫れすよ~、どうして心配するんれすか~?」

 酔っていることに気付かない由美。明らかに呂律が回っておらず、しかも意味もなくフォークでケーキを弄んでいるシーンを目撃したら、いくら否定されてもそれを信じられるはずがない。

 由美の目の前にある透明のグラス、そこに注がれていたシャンパンはすでに消えている。拳悟は危険を察知した。もうこれ以上、彼女にシャンパンを飲ませてはいけないと。

 デキャンタを隠してしまおうと彼が慌てて手を伸ばすと、それを邪魔せんばかりに彼女の手がハイスピードで飛び出してきた。

「ケンゴさ~ん、わたし、もう一杯これ飲んでみたいんですけど~」

「ユミちゃん、もうやめておこう! これはほら、食前酒みたいなものだから」

 拳悟の説得に応じようとせず、由美はまるで駄々っ子のように不平不満の声を漏らした。どうしても飲まさないつもりならば、ウェイターを呼び出して味方に付けようとまでする始末であった。

 彼は力の差でどうにかデキャンタを奪い取ったものの、それからしばらく別人のごとく陽気に振る舞う彼女の応対に追われる羽目となってしまった。

 身から出た錆とはこのことだろうが、くれぐれも未成年の青年諸君はアルコールを飲まないようにしよう。


* ◇ *

「あらら、もう九時近いんだぁ。そろそろ帰らないと~」

 個室の壁に備え付けてあったアンティーク調の時計の短針は、まもなく“九”の数字に重なろうとしていた。

 宴もたけなわではあるが、ハラハラドキドキのクリスマスパーティーもいよいよ終了の時刻を迎える。由美は名残惜しくもゆっくりと椅子を引いて立ち上がった。

「ユミちゃん、足がふらついてるけど大丈夫かよ?」

「うん、ちょっと歩きにくいけど。でも、そろそろ帰らないと姉が……」

 今夜は自由に夕食をしても構わないと許しを得た由美だったが、時間無制限の遊戯を許されているわけではない。門限としては夜十時まで、それに間に合わせるにはそろそろ帰宅の準備が必要だ。

 実際、彼女はまだ酔いが醒めてはいない。拳悟は時間の許す限り休むことを薦めようとしたが、”姉”というキーワードを突き付けられては了承せざるを得ない。何たって大魔神並みにコワイお姉さんだから。

「わかった。それなら駅まで送っていくよ」

「ゴメンなさい、お世話になります」

 深々とお辞儀をして拳悟の善意に甘える由美。いざ帰宅するタイミングになって、飲酒という行為により調子に乗ってしまったことを自省する彼女であった。

 彼も彼で、お酒というアイテムを安易に使ってしまったことを後悔していた。盛り上がる上で必要かも知れないが、学生同士のパーティーでは慎重に熟考すべきところだろう。

 寒い寒い屋外へ出ていくために、身も心も暖めてくれるコートを羽織る由美と拳悟の二人。会計を済ませてお店の出入口を潜ってみると、そこはクリスマスをより印象付けるほどの銀世界が広がっていた。

「うわっ、予想以上に積もったな~!」

「本当だ~。ブーツ履いてきて良かった」

 路面は真っ白ではあるが、降雪そのものは止んでおり小康状態だった。二人は傘を指さずに賑やかであろう矢釜中央駅へと足を向ける。

 気温がそこまで低くないせいか、雪を踏みしめる音がべちゃべちゃして水っぽい。積雪をまったく意識していなかった拳悟は、おしゃれな短靴で外出したことを今になって悔いるばかりであった。

「ケンゴさん、ごめんなさい、駅まで付き合わせちゃって」

「気にするなよ。もともと、見送りするつもりだったんだしさ」

 眩い街灯が照らし出す雪道の下、由美と拳悟の会話は自然と楽しかった二人きりのパーティーの話題へと移っていく。

 彼女は一つだけ気掛かりがあった。それは、今夜のパーティーそのものを企画した勝が体調不良という理由で欠席したことだ。

 よく考えてみたら誰もがそう思うはず。企画者が本番前に料理をお腹壊すまで食べるなんてまずあり得ない。その思い付きのような理由を彼女が疑問視しないはずがなかった。

「正直に言ってくれませんか? 本当はスグルくん、来れなくなったのって嘘ですよね?」

「はっはっは。やっぱりバレてしまったか」

 拳悟は隠し続ける意味もないと判断し、由美に真実を洗いざらい告白した。勝には内緒で待ち合わせ場所を変更し、さらに勝が待っている場所をさやかにこっそりと教えてあげたことを。

「えっ、さやかちゃんに?」

「うん。アイツ、それはもう大喜びだったよ。詳しい話をする前に電話を切りやがってさ」

 さやかが勝とクリスマスデートできると知って、それこそ髪の毛も乱したまま時計塔のある公園まで駆け付けた顛末はすでにご承知の通り。

 勝の気持ちなどまったくお構いなしの強硬手段。さやかはさやかで充実した夜を過ごしているだろうが、彼の方は予期せぬ事態に困惑している姿が目に浮かんで由美は寒いながらも冷や汗をかいてしまった。

「スグルくん、怒ってるんじゃないですか? いくらさやかちゃんのためとはいえちょっと乱暴だと思いますよ」

 由美からお説教というか叱責を受けてしまうのは仕方がない、実際にそういう行為に及んだのは紛れもない事実だからだ。でも拳悟は少しばかり引っ掛かっていた。今夜の二人きりのパーティーを彼女が心から喜んでくれたのだろうかと。

 彼が率直にそれを尋ねてみると、彼女は照れ笑いしながらキッパリと答えた。楽しくなかったわけがない、こんな素敵な夜を演出してくれて本当に感謝していると。

「でも、本音を言えば、スグルくんもさやかちゃんも一緒の方が良かったんじゃないかなって」

「ははは、そうだよな。来年は下らない作戦なんて考えないで、みんなでワイワイパーティーしたいね」

 そうこうしているうちに、拳悟と由美の二人は矢釜中央駅の正面まで到着した。クリスマスの夜はまだまだなのか、煌びやかなイルミネーションが彩る駅周辺はカップルやグループの群れでごった返している。

 駅前ロータリーではタクシーが途切れることなく走行していた。雪が積もっているせいもあるのだろう、タクシー乗り場は目的地へ急ぐお客で行列ができていた。

 その人ごみを避けるように駅構内までやってきた二人。ロマンチックな聖なる夜もこれで幕引きである。

「今夜はどうもありがとうございました。とっても楽しかった」

「俺もだよ。付き合ってくれてありがとう。帰りの道中気を付けて」

 由美と拳悟の二人は賑やかだった夜の余韻に浸りながら手を振ってお別れの挨拶をした。

 駅構内の雑踏の中に紛れ込んでいく彼女を見送った彼は、心細さと肌寒さを紛らわしながら雪景色の屋外へとステップを踏んで出ていこうとする。

(――あっ、しまった!)

 拳悟は手を突っ込んだコートのポケットの中であるものを発見した。そして、由美がいるはずの駅構内に向かって大急ぎで舞い戻っていく。

 プラットホームへ向かう人ごみを掻き分けていく彼。その視線の先に、改札口の傍で駅員に定期券を見せている彼女の後ろ姿が飛び込んだ。

「おーい、ユミちゃ~ん!」

 拳悟の大声に気付いてすぐさま顔を振り向かせる由美。改札を抜ける両足を止めて、彼がやってくるのをドキドキしながら待ちわびる。

「ケンゴさん、どうかしたんですか?」

「いやあのね、プレゼント渡すの忘れていたんだ」

 コートのポケットからそっと取り出したプレゼント、それは宝飾をしまうような小さなケース。拳悟がその蓋をパカッと開けてみると、そこには青い石がアクセントになっているイヤリングが入っていた。

 もちろん、この青い石はサファイヤといった宝石ではなく綺麗に磨かれたガラス玉である。拳悟のお小遣いではこれぐらいが精一杯なわけだが、それでもアクセサリーに詳しくない女子高校生の目には十分高級に映る代物だ。

 思ってもみなかったクリスマスプレゼント――。由美は感動と衝撃のあまり言葉を失っていた。素敵なパーティーのラストにこんなサプライズが待っていたなんて胸が高鳴るほどの喜びだったであろう。

「もらっていいんですか? こんな高価なものを」

「高くなんてないさ。縁日の輪投げゲームで並んでる景品だもん」

 照れ隠しの冗談をこぼして白い歯を見せた拳悟。これを装飾してもっともっと大人になってもらいたいと願いながら、プラスチックケースに包まれたイヤリングを由美へと手渡した。

 それを受け取るなり大事そうにポシェットの中へしまい込もうとした彼女、すると、愛らしいリボン付きでパッケージされた長細い箱があるのを発見し自らも忘れ物があることに気付いた。

「ごめんなさい、ケンゴさん! わたしもプレゼント忘れてました……」

 由美ほどのしっかり者がプレゼントを忘れてしまうとは意外だが、これにはちゃんとした理由があった。

 それは何を隠そう、プレゼントを渡すタイミングを考えていた最中、あの悪夢のシャンパンのせいで記憶が完全に飛んでしまったというわけだ。

 さてさて、彼女が恥じらいつつ取り出した長細い箱の正体とはいったい?

「おっ、これは嬉しいなぁ」

「ケンゴさんといったらこれだと思って」

 由美が心を込めて準備したプレゼントとは、拳悟のトレードマークといっても過言ではないネクタイだった。色合いは寒色系のネイビーで、大小さまざまな流れ星がプリントされた空想的なデザインだ。

 ネクタイにはそれなりのこだわりを持っている彼だが、由美からのプレゼントとなればデザインが派手だろうと地味だろうと関係ない。イチゴ柄でも熊ちゃんのプリントでもきっと感極まり浮かれていたに違いない。

 プレゼント交換も終わり安堵の笑みを浮かべる男女二人。その直後、ロマンスを断ち切るように由美が乗車すべき電車の出発時刻を知らせるアナウンスが流れた。

「そろそろ行かなくちゃ。それじゃあ、おやすみなさい」

「うん、おやすみ。いい夢見てね」

 帰宅のためにプラットホームへ向かう由美、そしてもうしばらく市街地をぶらつこうとする拳悟。この二人にとって、今夜は忘れることのできないクリスマスイブになったであろう。

 イルミネーションの彩りが輝く中、彼は軽やかな気分で賑やかな繁華街までやってきた。

 明日から冬休みということもあり、今夜は深夜営業のゲームセンターで時間潰しをしようと足を速めていた途中、暗がりのはずの曲がり角の先から明るい光が漏れていた。

 彼がそれに導かれるように向かってみると、そこには普段は営業していないはずの屋台のラーメン屋があった。お客が一人だけおり、湯気と一緒においしそうなにおいが漂ってくる。

(へぇ、屋台のラーメンなんて珍しいな。ちょっと寄っていこうかな)

 誘惑のままにカウンター前の席にちょこんと腰を下ろした拳悟。寒い夜になったね~と店主と世間話しながら、一杯四百五十円の醤油ラーメンを注文する。

 出来上がるまでの間、ただ黙って待っているのもおもしろくない。彼はすぐ傍でラーメンをすすっている先客に話し掛けてみることにした。

「いやぁ、矢釜市でこんな大雪になるとは思わなかったね」

 声を掛けられた先客、暖かそうなカーディガンの上にスタジアムジャンパーを羽織っている男性は、ラーメンを食べるのをやめて拳悟の方に顔を向ける。

「本当だね、ホワイトクリスマスとはまさにこのこと……ん!?」

 会話がピタリと止まり、唖然とした顔を突き合わせて硬直する男性二人。

 もはや言うまでもないが、この二人は初めて出会ったわけでもなく赤の他人でもない、切っても切れない腐れ縁の親友同士であった。

「てめぇ、ケンゴ!」

「わっ! スグルじゃねーかっ」

 勝は見る見る表情が紅潮していき、拳悟は見る見る表情が青ざめていく。それもそのはずで、今夜のクリスマスパーティーの一件で遺恨を残しているまさに紛争状態の二人だったからだ。

 ちなみにどうしてここに勝がいたのかというと、さやかを矢釜中央駅まで見送った後、帰宅がてらこの屋台に立ち寄ったというわけだ。

 これはラーメンどころではない。拳悟は咄嗟に立ち上がって逃走の準備に入った。

ここで会ったが百年目、勝も席を立つなりじわりじわりと拳悟のもとに詰め寄っていった。

「よくも出し抜きやがったな。生かしちゃおかねーぞ!」

「そう言うなって。おまえだってさやかと楽しんだんだろ?」

「やかましい! 殺してやるっ」

 激情タイプの勝は一度火が点いたらなかなか鎮火しない。長年付き合っている拳悟だからこそそれを承知している。そう、ここでどう取り繕っても無駄、やはり逃げるしかなかったのである。

「あばよっ!」

「待ちやがれっ!」

 凛としたホワイトクリスマスの夜に、男子二人の騒がしい大声がこだまする。

 結局、その後どうなったかは定かではないが、深い絆と堅い友情でつながった彼らは仲直りしたらしいが、それなりな代償を要求されたというのは拳悟の後日談である。

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