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第二十二話― 怒り爆発 紫昇竜ここに降臨す(2)

 時刻は夕方六時になるかならないかという時刻。

 このたびの一連の事件を解決すべく立ち上がった拳悟と勝だったが、事態は予想を超えて半田強を巻き込んだ大事件へと発展しそうな勢いだった。

 彼らが辿り着いた先はごく普通の一軒屋。御影石の表札には”喜多本”という漢字三文字が刻まれている。

 半田強の指示により呼び鈴のボタンを押した拳悟。すると、郁本人の声がスピーカーから流れてきた。

「ケンゴか。待っててくれ、すぐに行くから」

 それから数十秒後、期待に胸を膨らませた郁が玄関から飛び出してきた。拳悟の来訪が、恋人を取り返してくれる吉報だと思い込んでいるようだ。

「よく来てくれたね。祐子を奪ったヤツと会えたんだろう?」

「あっ、いや。そのことなんだけどな」

 奥歯に物が詰まったような言い回しをする拳悟。それに痺れを切らして、郁は自分勝手にどんどん話を進めていく。無論、犯人と決め付けている半田強がすぐそこにいるとも知らずに……。

「ハンダをこてんぱんにやっつけたんだろ? あれ、もしかしてまだなのか? それなら早くぶっ倒してくれよ、あのハンダってバカをさ」

 拳悟と勝のすぐ後ろで控えていた男性がピクッと体を震わせた。それは怒りを表す生理現象であった。

「おいおい、どうしたんだ黙っちゃって……ん? その人は誰?」

 郁は来客の中に一人だけ見ず知らずの男性がいることに気付いた。その男性がここにいる理由も、俯き加減で全身をわなわなと震わせてる理由も当然ながら知る由もない。

「ほう……。ハンダっていうバカとはねぇ。この俺もずいぶん見くびられたもんだぜ」

 すでに大噴火寸前――。拳悟と勝が大慌てで火消しに入ったところで一度火が点いた導火線はなかなか消えたりはしない。

「あら、あらら、まさかまさか……。その人がハンダ……」

「そうだっ。この俺がハンダキョウだぁ!」

 憤怒が沸点に達して、ついに半田強が猛獣のごとく動き出した。彼は拳悟と勝を押し退けると、びっくり仰天している郁のもとへと歩み寄っていく。

 暴力だけはいけない!すぐに拳悟が半田強の腕にしがみついて動きを止めようとした。勝も勝で、土下座をして謝罪をするよう郁に強く要求した。

「……違う」

 陳謝すべき郁の口から漏れた一言は、意味不明で単純なものだった。

「おまえは何を言っている!? 違うじゃなくてごめんなさいだろーが!」

「顔が違うんだよっ! 俺が見たハンダキョウと」

 思ってもみない台詞が飛び出して、拳悟と勝は呆気に取られて固まってしまった。あの半田強を足止めするぐらいの衝撃的な事実、その真相はいかに?

「今日の朝にも言ったけどさ、薄暗かったけど俺は祐子と一緒にいた男の顔を見てるんだよ」

 郁が語るところ、彼が見掛けたハンダキョウと呼ばれた人物はサッパリとした髪型ではなくリーゼントだったという。しかも高身長だったらしく、見た目どころか背格好もまるで違うとのことだ。

 そうなるとますます疑問が膨らむ。ここにいる人物が半田強本人だとしたら、郁の恋人と一緒にいた男はいったい何者だというのだろうか?

 半田強は頭の整理を付ける前にズカズカと前進した。そして、郁の胸倉に掴み掛かって眉を吊り上げた怒り顔を近づける。

「ってことは何か? この俺が偽者だと言いたいのか、おい!?」

「うわぁ! そ、そんなことは言ってないよ~」

 こういう恫喝に慣れていない郁は恐怖のあまり泣き叫ぶしかなかった。いや、慣れていたとしても今の半田強に脅されては誰でも泣いてしまいそうだ。

 結果がどうであれ、他人の恋人を掻っさらった不貞な輩の正体が半田強本人ではないことが立証された。ここで問題が一つクリアされて、拳悟と勝は良かった良かったと言いながら笑顔を向け合った。

 ところがどっこい、半田強はまだ怒り狂っている。拳悟と勝の笑顔を一瞬で消し飛ばす勢いで噛み付いてきた。

「おい、全然良くねーだろ? まだ問題は何も解決しちゃいねーぞ」

「えっ、でもさ、あんたの無実を証明することができたわけで……」

 半田強はそれだけのためにここまで足を運んだわけではない。名前を汚した張本人を懲らしめるまで徹底的に追い詰めるつもりのようだ。

 とはいえ、懲らしめる張本人が自分自身というのも摩訶不思議なお話だ。ますます頭の整理が付かなくなってしまい、半田強はとりあえずと言わんばかりに郁の胸倉に襲い掛かった。

「これもすべててめぇの仕業か、この野郎!」

「うわぁ! 違うよ、俺は祐子から名前を聞いたんだって~」

 冷静に考えてみれば答えはおのずと出てくるはず。恋人だった祐子が半田強という名前を出すなんてあり得ない。必然的に、相手の男の方が何かしらの理由があって好き勝手に名乗っているのだろうと。

 行き場のない怒りを覚えて悔しがっている半田強。承諾もなく名乗られてはたまったものではないが、言い替えてみれば彼の名前がそれぐらい巷で有名であることを証明していた。

 ここまで来ればあとは犯人を特定するだけ。しかし、その犯人がどこの誰だかわからなくなってしまい、いわゆる捜査は振り出しに戻ってしまった。

 とにかくフラストレーションを爆発させたいのか、半田強はもう八つ当たり気味に怒鳴り声を撒き散らしていた。ここでもやっぱり集中砲火を浴びるのは不幸続きの郁であった。

「おい、相手の男はどこにいるんだ!? 早く教えないと首根っこをへし折るぞ」

「うわぁ! そんなの俺が知りたいぐらいだよ~」

 郁が悲鳴を上げてヘルプを求めても、拳悟と勝はそれを助けるでもなく困惑の表情で唸り声を漏らしていた。

 堂々と偽名を使っている大胆不敵ぶり、暗躍しているところからしてもそう簡単に尻尾を掴ませてはくれないだろう。

 特徴として浮上したリーゼントの髪型、そして高身長。これではあらゆる情報網を駆使しても人物を特定することは不可能だが、もう少しだけでも人相を特定できそうな特徴があるといいのだが。

「なぁ、カオル。薄暗くても顔を見たわけだろ? 他に気付いたことはないか?」

 拳悟から問い掛けられて、郁はパニックになりそうな頭を働かせてどうにか思い出そうとする。もし思い出せなかったら、半田強にどんなひどい仕打ちを食らうかわかったものではない。

 人間の頭脳というのは追い詰められた方がよく働くものか。郁は憎たらしい相手の人相をおぼろげながらも記憶の片隅で覚えていたようだ。

「確か、タレ目だった気がする。あとさ、額に大きなほくろがあったよ」

「おっ、でかした」

 顔にそれぐらい特徴があればきっと何とかなる。拳悟は手を叩いて郁の頭を撫でていたが、半田強は腑に落ちないのか疑惑の目線で彼らのことを見据えていた。

「ちょっと待てよ。だからって、そいつがどこにいるのかわかるのか?」

 半田強のご指摘の通りである。いくら顔の特徴が腐るほどわかったところで、その人物の正体が謎のままなら居場所を突き止めることなんて無理なのだ。

 それに気付いた拳悟は照れくさそうに舌をペロッと出した。そんな茶目っ気一つでごまかされてしまっては、半田強も怒るのも忘れてだただ呆れるしかなかった。

 またしても手掛かりが潰えてしまうのだろうか……?いや、消えかかった灯火を燃え上がらせる貴重な情報を持っている人物がここにいた。いざという時に頼りになるクラス委員長の勝だ。

「おい、ケンゴ。タレ目のリーゼント、しかも額にほくろって見覚えがねーか?」

「ん? スグル、もしかして知ってるの?」

 勝の記憶の中にあったある男性の面影。それは今から一年以上も前に遡る。

 学校からの帰り道、矢釜中央駅周辺をぶらぶらと歩いていた拳悟と勝の二人に因縁を吹っかけるアホな三人組がいた。

 生意気にリーゼントなどしゃれ込んで、拳悟と勝にガンを飛ばしながら絡んできたその連中。自分たちの方が人数が多かっただけにこれ見よがしに虚勢を張っていた。

 勢いだけは立派だったが、度胸も根性も腕っぷしすらもからっきし。拳悟と勝の凄んだ迫力の前にすっかり怯んでしまい、その三人組はこそこそとそこから逃げ出してしまったという。

「そういえばそんなことあったな。アイツらって日余話ひよわ中学出身だったっけ?」

「ああ、確かそうだ。威張ってそんなことほざいていたな」

 よく思い起こしてみると、その時の弱虫三人組のリーダー格がやけにのっぽで、しかもタレ目と額にほくろがあるという特徴がぴったりと重なるのだ。

 うんうん、あの野郎に間違いない!拳悟も大きく頷いて確信したようだ。なかなか姿を見せなかったドブネズミの尻尾を掴んだ瞬間でもあった。

 素性が判明したのはいいが、名前も知らない野郎をどうやって探し出すというのか?半田強はここでも腑に落ちないのか、表情を険しくしながらそんな質問を口にした。

「ハンダさん、安心してくれ。出身中学さえわかればどーにでもなるからさ」

 他校との交流関係もあり太いパイプを持っている拳悟と勝。二日ほどあれば詳しい情報をお土産にできると力強くここに約束した。

 これだけの手掛かりで探し出せるなんて半信半疑と思われるが、さすがに今回ばかりは相手が悪かった。半田強の名をかたる不届き者は、二日後にはものの見事に自宅も遊び場所までも特定されてしまうのだった。


* ◇ *

 それから三日後の夜。夜道を照らすほど月光が眩しい夜だった。

 ここは矢釜中央駅から歩いて二十分ほど離れた先にある資材置き場。周りは工場地帯のせいか、平日の夜ともなると時が止まったかのように静まり返ってしまう。

 闇夜に包まれた空き地で佇んでいるのは、これからデートを楽しもうとここで待ち合わせをしていたカップル二人。敷地内の建設資材にもたれかかって寄り添い合っている。

「ねぇ、ハンダくん、今夜はどこへ行くの?」

「へっへっへ、そうあせんなよ。夜はまだまだ長いんだぜ」

 この後のデートプランを打ち合わせている二人組。一人はショートボブの幼げな顔立ちをした女子高生、もう一人はリーゼント頭でタレ目、そして額に大きなほくろがある男性だ。

 ハンダと呼ばれたこの男性こそ半田強と偽って暗躍している例の男。付け加えるまでもないが、一緒にいる女の子の方が郁の元彼女の沢木祐子である。

 駅前の繁華街にあるカラオケ店をデート場所に選んで空き地から出ていこうとしたまさにその時、路地のど真ん中に飛び出してきた一人の男子高校生がいた。彼は両手を広げてカップル二人の行く手を阻もうとしている。

「何だぁ、アイツは?」

 正体不明の邪魔者の出現に、タレ目を細めて怪訝そうな顔つきをする男性。

 降り注ぐ月光に照らされて、その男子高校生の正体が浮かび上がる。それは何を隠そう、彼女を取り戻すべく勇敢にも立ち上がった郁であった。

「ユウコ、俺だっ!」

「あら、カオルじゃない。そんなとこで何してんの?」

 昔はラブラブでも今となっては他人同士。祐子は素っ気ない態度で接していたが、郁の方はまだ彼女のことを諦めていたわけではない。その熱意がこのバリケードという行動に走らせた。

 彼はかつての恋人の目を覚まさせるために心から叫び声を上げる。隣にいる男は半田強という名前ではない、巷の有名人の名を欲しいままにして女の子に持てたいだけの愚者に過ぎないと。

「――な、なな、何を言ってやがる!?」

 ハンダの偽者は瞬時に全身が凍り付いた。自分の素性が明かされまいと、彼は必死の形相で取り繕うしかない。

「ちょっと、それってどういうこと?」

「バカ言ってんじゃねーよ! アイツが悔し紛れにほざいてるだけだろ」

「そーよね~」

 祐子も動揺はしていたものの、半田強と信じて疑わない彼に余裕の笑みを向けていた。しかし、それもその数秒後には悲しみの表情に変わってしまうのだが。

「おあいにくさま。もうバレてるんだよ、マシトくん」

(――――!!)

 薄暗い空き地の奥から気配を消しながら姿を見せたのは、偽者の正体を暴くことに成功した功労者、そう派茶目茶高校の有名人である拳悟だった。彼のすぐ後ろには協力者の勝も控えている。

「一年以上も前だけど俺たちに会ったことあるよな? 頭が悪くて高校に行けなかった助固増人スケコマシトくん」

 すべての真実を明らかにされてしまい、助固は慌てふためいて脂汗を噴き出している。彼を信用していた祐子も、どう反応していいのかわからず口を開けたまま右往左往していた。

 言い逃れできない証拠でどんどん追い詰めていく拳悟と勝。だが、それだけでは根拠がないと助固は偽りを認めようとはしなかった。ここまで往生際の悪い野郎も珍しいだろう。

「ちょっと、本当のところどーなの?」

「う、うるせー、おまえは黙ってろっ!」

 ついには祐子からも執拗に迫られて助固はすっかりしどろもどろになっていた。プロのスパイならまだしも、高校生にも進学できなかった彼が嘘を貫き通すなんてできっこない。

「人の名をかたって女を騙すなんて、おまえ、男として最低のうじ虫野郎だな」

「よくも俺のことをバラしやがったな~! てめぇら、ここで殺してやるっ」

 助固は完全に開き直って牙を剥き出した。高身長から見下ろしてくる迫力は以前より強くなってはいるが、果たして腕っぷしの実力はいかに?

 バトルが展開されそうな雰囲気の中、騙されていることに気付いた祐子はショックのあまり呆然と立ち尽くしていた。見る目がなかった愚かさと悔しさ、それが彼女の表情を泣き顔に変えていった。

「ユウコ、これでわかっただろ? アイツは半田強という立派な男性じゃなかったんだ」

「こんなことって……。こんなことって、ひど過ぎる……」

 郁の優しさに包まれている祐子。今だけは彼の腕の中で涙に暮れるしかなかった。

 彼女が泣き崩れている頃、助固はというと拳悟と勝の二人と向かい合って対峙していた。見くびられたくないのか、拳悟と勝といった強敵相手に一歩たりとも退いたりはしない。

 とはいえ、大きな奇声を上げるばかりで一向に前へ出ようとはしなかった。威勢だけは良くても、ここぞという時に何もできない根性なしといったところか。

 そんな意気地なしな助固くんにスペシャルゲストが待っている。拳悟はニヤリと笑ってそう告げた。――そうだ、これからが今夜のメインイベントなのである。

「それでは、ご本人のご登場で~す」

「はっ?」

 暗がりの中でもハッキリと際立つ存在感。愚かな偽者に比べたら佇まいも貫禄もまるで違う。拳悟から紹介された本人、正真正銘の半田強がここに降臨した。

 何ともお粗末なお話だが、助固は半田強本人の顔をまったく知らなかった。それなのに名前を身勝手に使ってしまうところからも半田強という名称が神格化されている証しであろう。

 高級ブランドを許可なしで使用した代償は大きい。この大罪を償ってもらわねばなるまいと、半田強は眉を吊り上げて威圧感たっぷりに凄んできた。

「よくも俺の名前を汚してくれたな。しっかりと使用料を払ってもらうぞ」

 助固は恐怖におののいて体をガタガタと震わせていた。寒い夜にも関わらず額から流れる冷や汗が止まらない。逃げ場を失ってしまった彼は一歩、また一歩と後ずさりするしかなかった。

 ついに溜まりに溜まった怒りを爆発させる時がきた。半田強はおもむろに顔を振り向かせて拳悟に一つだけ指示を出した。

「ケンゴ、ここまでセッティングついでで悪いが、救急車を呼んでくれ」

「了解。でも、葬儀屋まで呼んだりするほどやらないでくださいね」

 拳悟はそこから駆け出すと、空き地から少し離れた電話ボックスへと向かう。そして勝もそこから離れるなり、祐子のことを慰めている郁の傍へと近づいていった。

「カオル、おまえは彼女と一緒に路地の方へ避難しろ」

「は? 避難ってどういう……」

 まさに空き地はコロシアム。観客らしい観客は誰もいない。水を打ったように静まり返り、ただならぬ殺伐とした空気が周囲を包み込んでいく。

 追い込まれてしまって身動きが取れない助固だが、混乱している頭の中で必死になって考えていた。ちょっと冷静になってみると現実味のない疑問がにわかに浮かんでくる。

(ま、待てよ……。ほ、本物がこんなところにいるわけがねぇ……。これはきっと、俺をハメるための罠に違いねぇ)

 助固は確かに半田強に会ったことも見掛けたこともない。それを良いように解釈すれば、目の前にいる男だって偽者かも知れないのだ。

 自惚れかも知れないが、助固にだって意地があるし己の喧嘩レベルにも自信がある。こうなったらとことんやってやると、彼は引きつった笑みを浮かべて闘争心を奮い起こした。

 救急車で運ばれるのはてめぇの方だ!助固は無我夢中になって走り出した。だが彼のような不届き者が向かう先は、”紫昇竜”が作り出した地獄への一本道に過ぎなかった――。

「俺はここまで怒りを覚えたことは過去にない。二度とふざけたマネができないよう徹底的に叩きのめす!」

 半田強は素早い動作でファイティングポーズを敷いた。

 先制攻撃とばかりに助固がストレートを振り放った――と思いきや、半田強の右フックがそれよりも前に助固の頬を直撃した。そこへ畳み掛けるようにボディーブローが炸裂する。

『ガッ、バキッ――!』

 そればかりではない。息も付かせぬ速さで次々と連続攻撃を繰り出す半田強。

 左フックから右ストレートのワンツーパンチ。プロのボクサーを彷彿とさせる巧みなテクニックにより、助固は一発たりとも避け切れないままサンドバッグ状態と化していた。

 多段ヒットを食らってふらつき始める助固。殴られたことによる軽い脳震盪にこの薄暗さが合わさり、視界不良の中をふらふらと千鳥足で彷徨うことしかできない。

『――ドカーッ!』

 ここで追い討ちとも言うべき半田強の強烈な前蹴り。それを避けることもできない助固は冷たい大地の上にうつ伏せたまま倒れ込んでしまった。

 この時点ですでにノックアウト。助固は闘志も戦意も何もかも失っており立ち上がることなど当然皆無だ。

 半田強の喧嘩捌きはまさに秒殺。さすがは不良たちにも恐れられる男である。これでは拳悟も勝も敵に回したくない気持ちがよくわかる。

「う……。う、うえぇ……」

 助固は苦しそうにうめき声を上げていた。ここから逃げ出したくても、全身を駆け巡る痛みのせいで思うように手足が動かない。

 そこへじわりじわりと歩み寄ってくる半田強。すでに白旗を振っているであろう助固の傷だらけの顔を持ち上げるなり、不気味なぐらいの低いトーンで恐ろしい台詞を告げる。

「これで終わったと思うなよ?」

『グシャァ!』

 ――硬い地面に顔面を叩き付けられる、これでもかというほどの強い力で。

「ぎゃぁぁ~!」

 激痛のあまり悲鳴を上げてしまう助固。彼は人生で初めて死の恐怖を感じた。

 泣いて許しを請うても、半田強が奏でる地獄のプレリュードはまだ終わらない。

 彼は助固を無理やり起き上がらせると、ボディー目掛けてお仕置きの百叩きをお見舞いする。さらにその次は、渾身の力で振り抜いた右ストレートが待っていた。

 それをまともに食らって、助固はぐったりとしながら今夜二度目のダウンを奪われた。というよりも一度目のダウンで勝負は決していたが。

 このバトルはいつまで続くのだろうか……?半田強はまたしても助固の胸倉を掴んで無理やり起き上がらせる。そして、地獄の閻魔様らしく鬼のような目つきを突き刺した。

「どうだ、まだこの俺が半田強だと信じられないか?」

「く、くは……。が、がは……」

 助固の顔面は痣だらけ、しかも鮮血で真っ赤。見開いた目も血走っていて、瞳孔が開いているのか焦点が定まっていない。

 返事をしたくても、歯が何本も抜けており変色した唇も小刻みに震えてしまって声にならなかった。ただ彼は薄れゆく意識の中で首を振って訴えた、どうか許してほしいと……。

 ここにいるのは悪魔ではなく血の通った半田強という一人の人間だ。無慈悲な殺戮を楽しんでいるわけではなく、罪深き愚者にそれなりの裁きを下してしまえばそれで十分気が収まる、はずだったのだが。

『ガッ!』

 ――骨を打つような打撃音が空き地にこだました。半田強は情け容赦なく助固の顔面に肘鉄を食らわせた。ジャケットに返り血を浴びてもお構いなしに。

『ゴガッ!』

「がはぁぁ!!」

 エルボーの次は強烈なニーバットだった。鈍い音からしても、助固の鼻の骨は間違いなく折れてしまったに違いない。

 この一撃がトドメ。地獄へ直行することになった助固は、瀕死の状態に陥り仰向けのまま崩れ落ちていった。自力で起き上がることなんて到底不可能、つまりは予告通りの病院送りとなった。

「今回はこれで勘弁してやる。命拾いしたな」

 半田強の独壇場ではあったが、壮絶なるバトルもゴングが鳴らされて無事に終了。路地の片隅で待機していた勝は、空き地から漂ってくる静けさを感じて吐息を一つ零した。

「どうやら終わったようだな」

「すごい音と声が聞こえてきたけど……」

「いったい何があったというの……?」

 激戦があったことなど露知らず、郁と祐子の二人は不安の面持ちを隠せなかった。郁はまだしも、祐子の方はまったく事情を把握していないのでそれがより顕著に表れていた。

 彼女が恐る恐る問い掛けてみると、勝が口元をわずかに緩めて事の真相を明らかにしてくれた。

「本物のハンダキョウが偽者を退治したってわけだな」

「えっ、本物が……?」

 祐子が空き地の方へ興味津々の視線を送っている頃、本物の半田強は暗がりの中に溶け込みながら建設資材にもたれかかっていた。

 唇にタバコのフィルターをくわえて火を点す。労働ではないにしろ、ひと仕事を終えた後の一服はまた格別であろう。

 そこへ駆け付けてくるのは、言われるがままに救急車出動を要請して戻ってきた拳悟だ。ちなみにどういう風に要請したかというと、嘘偽りなく”大怪我した少年が倒れている”である。

「ケンゴ、いろいろ面倒を掛けて済まなかったな」

「いやいや、お安い御用ですよ。これでカオルとの約束も果たせたしね」

 空き地に横たわって気絶している一人の少年、見るも無惨な成れの果てを目撃した拳悟は、気持ち悪くなってしまい胃の中がむせ返ってきそうだった。

 これなら二度とこんなマネはしないだろう。いくら相手がスケこましの大バカ野郎でも、ここまで完膚なきまで叩きのめされてしまっては拳悟も同情と哀れみを感じずにはいられなかった。

「さてと、そろそろ店に戻らないとな」

 デンジャラスカラーズ”紫昇竜”の仮面を剥いで、中華料理店で汗を流すアルバイターの顔に戻った半田強。それでも、渋いジャケットを羽織った後ろ姿はまだまだ貫禄十分だった。

 こうして拳悟と勝、さらには半田強という強い味方の活躍で事件は解決した。というわけで、郁はちょっぴり恥らいながら祐子に告白する。もう一度やり直そう、また二人で青春の一ページを作っていこうと。

 それを真剣な表情で受け止めていた彼女、ところが、その答えは北風で冷め切った体をより凍えさせるものであった。

「イヤよ」

 それは半田強が繰り出すパンチよりも強烈だった。

 郁はショックのあまり足を滑らせて転んでしまい、隣にいた勝も予想だにしていなかったらしく開いた口が塞がらなかった。

 別れた理由は単純明快、すでに郁に好意も興味もなくなってしまったからだと、祐子はあっけらかんとした表情でそう言い切った。

「ユ、ユウコ~。それはないだろぉ~」

 祐子は郁から視線を逸らせると、空き地を後にしようとやってきた半田強に熱い眼差しを送った。

「だってぇ、あたしの恋人はこちらのハンダさんなんだも~ん」

 怖いもの知らずの女子高生はそれこそ大胆不敵。そこから勢いよく駆け出すなり、半田強の血生臭いジャケットの腕にしがみついた。

 自称どころか実際に硬派である半田強。あからさまに不快感を示して文句を口にするものの自慢の力でそれを振り払うことができない。女性が相手となると彼も形無しである。

 女なんかに構っているヒマはない。半田強は祐子を引きずりながらも空き地から歩き去っていく。彼女も彼女で捨てられまいと必死になって食らい付いていた。これも未練がましい女の執念というやつか。

 結局フラれてしまった郁は茫然自失となって石化していた。悲しみと悔しさで涙を流すのはこれで何度目だろうか。とことんついていない男である。

「お~い、ケンゴぉ、スグルぅ、何とかしてくれよぉ~!」

「何とかって言われてもよぉ。こればかりはムリだぞ」

「彼女の方が嫌いなんじゃ、どうしようもねーだろうが」

 偽者から彼女を取り戻したはずが、結果的には本物に奪われてしまった格好では状況がまったく変わっていない。これでは郁も悔やんでも悔やみ切れないといったところだろう。

 それでも頼まれ事をクリアしたのも紛れもない事実だ。拳悟と勝の二人は勝ち誇った顔で要求する。麗しいミスコンクイーンとのお食事デートのセッティングを。

「そんなのムリに決まってるじゃないかっ」

「はぁ!? どういうことだよ、おい」

 よく考えてみたらその理由は誰でもわかる。そもそも郁とミスコンクイーンとの接点など最初からない、つまりは、元恋人であった祐子の伝手があってこそ実現できるプランだったからだ。

 祐子と決別してしまった今では、お食事デートの交渉どころかミスコンクイーンにすら会うことが不可能になってしまった彼。やり切れなさと不満を拳悟と勝に向かって大声でぶちまけるしかなかった。

 わざわざ苦労してまで体を張った拳悟と勝にしたら、楽しいデートプランがお釈迦になってしまった悔しさは半端ではない。彼らも感情を露にして、やり切れなさと不満の行き先を郁に向けてしまうのだった。

「てめぇ、ふざけんなよ!」

「最初からできねー約束なんかするな!」

「祐子を取り戻すことができたらって条件付きだったじゃないか!」

 友人同士の絆なんて不純な動機一つでいつでも崩壊する。それを具現化するかのごとく、空き地の隅っこで男子高校生三人の熾烈なバトルが幕を開けようとしていた。

 懲りない男たちのことはさておき……。半田強と祐子のその後がどうなったかというと?

「待って、ハンダさん! あたしね、今日家に誰もいないんだ」

「そんなこと知るかっ。いい加減、俺に付きまとうのはやめろ!」

 サイレンを鳴らした救急車が慌しく疾走する中、駅前付近の繁華街を早足で追いかけっこしている男女二人。

 どうやらいいところなしだったのは恋破れた郁だけではなく、名前を勝手に使われた挙句女にしつこく懐かれてしまい、アルバイトの時刻にも遅刻してしまった半田強も同様だったようだ。

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