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第二十二話― 怒り爆発 紫昇竜ここに降臨す(1)

 今日は北風がびゅーびゅー吹き荒ぶ冬晴れの朝だった。

 派茶目茶高校の前庭を一人歩いているのは、マフラーとコートでできる限り肌を露出しないようにして寒さを凌いでいる由美だ。彼女は細身のせいもあってか人一倍寒がりのようだ。

 そこへ合流してくるクラスメイトが一人。遅刻組にも関わらず始業開始三十分前に登校してきた拳悟だった。

「あっ、ケンゴさん、おはようございます。今日は早いんですね」

「おはよう、ユミちゃん。昨日は夜の用事がキャンセルになってね、早寝したら早起きしちゃったよ」

 早起きしたことを残念がる拳悟を見て、皆勤賞に近い由美は苦笑するしかなかった。彼女は病欠こそあっても、そういう理由以外で遅刻や早退をすることなど一度足りもなかったからだ。

 この派茶目茶高校ではまさに異例とも言うべき優等生。担任の静加だけではなく、教職員全員からもいろんな意味で注視されている女子の一人なのであった。

 玄関から下駄箱、そして廊下と階段を経由して二年七組の教室までやってきた由美と拳悟の二人。そんな彼女たちに挨拶を交わしたのは責任感だけは自慢できるクラス委員長の勝だった。

「おはよう、ユミちゃん」

「おはようございます、スグルくん」

 案の定というかお約束というか、勝は愛しい由美にだけ声を掛けて悪友の拳悟には目すら合わさない。

 せっかく早く登校したのにその態度はないだろうと、拳悟はあからさまに憮然とした表情でクレームを吐き出した。クラス委員長としてあるまじき行為だと抗議しながら。

「おおっ、ケンゴか。今日は早いじゃないか。どこかで頭でも打ったのか?」

「やかましいわっ。おまえはそういう挨拶しかできねーのかよ」

 性懲りもなく、勝と拳悟の二人はいつも通りの言い合いを始めてしまった。

 転校して間もない頃の由美だったらそれを止めただろうが、最近ではすっかり慣れてしまったらしく仲裁に入るどころか授業の準備をするほどの余裕っぷりだった。彼女も彼女なりに派茶目茶高校の風紀に馴染んできた証拠であろう。

 ただ……。今回は口喧嘩では済まない血生臭いお話となる。というわけで由美のファンには申し訳ないが、彼女の出番はここまでとなるのでどうかご了解いただきたい。

 男子二人が口論している中、二年七組の教室のドアを控え目に開ける男子生徒がいた。彼は逡巡とした目線を飛ばして教室内を窺っている。

 ちなみに、彼の正体は一つ上の学年の喜多本郁キタモトカオルという。拳悟と勝とは同学年時代に別々のクラスであったが、女の子を紹介してくれたりする便利(?)な友人の一人でもあった。

「おっ、カオルじゃないか。どうかしたのか?」

「あっ、ケンゴ! いてくれて良かったよ」

 かわいい女子を紹介してくれるのでは?拳悟と勝の二人は鼻の下を伸ばして顔をにやけさせてしまう。ところが、郁がここへやってきた理由はどうもそういう雰囲気ではなさそうだ。

「あのさ、ちょっと相談に乗ってほしいんだ」

 教室に入るなり郁の表情がどうにも優れない。これはただ事ではないと思ってか、

拳悟と勝の表情からも明るさが消え去ってしまっていた。

 いったい何があったというのだろうか?拳悟がそれを尋ねてみると、郁の口から悲しくなるような不幸な事実が明らかにされた。

「はぁ!? 彼女を寝取られただとぉ」

 ショッキングな告白に愕然としてしまう拳悟と勝の二人。

 郁には他校に通っている恋人がいたのだが、ここ最近彼女が他の男性と接触しているシーンを目撃してそれを問いただしたところ、その男性と交際していると強気に開き直られてしまったそうだ。

 恋人に心底惚れていた彼にしたら、それこそ地獄のどん底に突き落とされるぐらい落胆に暮れてしまうだろう。彼の相談というのは、どこの馬の骨ともわからない男性から彼女を取り戻してほしいというお願いだった。

「えーっとさ、おまえの彼女ってたしか、聖ソマラタ女子学院の三年一組の沢木祐子だったよな?」

「そうそう……っていうか、ケンゴ、おまえちょっと詳しくないか?」

 余談ではあるが、拳悟の頭の中には聖ソマラタ女子学院の美少女の顔ぶれがしっかりインプットされているのだ。さも、美少女大図鑑のごとく。

 それはさておき、取り戻そうにも相手の男性の素性がわからなければどうしようもない。拳悟がそれを問うてみると、郁は苦渋の顔つきを浮かべるばかりで抽象的な答えを繰り返してしまう。

 目撃したのが夕刻だったせいか薄暗く、素顔をハッキリと見たわけではなかったという。彼女が名前を口にしたらしいが、それもどうにも曖昧で正体を暴くには情報量としては乏しかった。

「おまえな~、肝心なところがまったくわからねーじゃんかっ」

「せめて名前ぐらいちゃんと覚えておけよ、このアホンダラ」

 頭でも一発殴って思い出させてやろうか?拳悟と勝がイライラしながらそんな会話をしているうちも、郁はわずかな記憶を辿って相手の名前を思い起こそうと必死になっていた。

「あのな、苗字の最後が”ダ”だった気がするんだ」

「ほう、つまりハマダとかイイダとかってわけか?」

 苗字の最後の一文字が”ダ”――。それがわかったところで、どれほどのヒントになろうか。そんな苗字など日本に腐るほどいるからだ。

 とはいえ、たった一つの糸口から真実がわかることもある。拳悟と勝は思いつく限りの苗字を並べてみたが、どれを聞いても郁は首を横に振るばかりだ。

「……コイツ、もうダメだな」

「そろそろ授業が始まるから、とっとと帰りな」

「わぁ、待ってくれっ。真剣に思い出すからさ」

 丁度その瞬間だった。郁は記憶の奥に隠れていた名前をようやく思い起こした。彼の恋人を寝取った張本人、苗字の末尾に”ダ”が付く男性の正体とはいったい?

「そうだ、ハンダだ!」

 それを聞いた途端、拳悟と勝は即座に顔を見合わせる。ご承知の読者もいるかも知れないが、彼らの頭の中にあるハンダという男性はたった一人しかいない。

 泣く子も黙るほど恐れられる不良の吹き溜まりの夜叉実業高校。そこで教師を半殺しにして退学になった一騎当千を絵に描いたような男。そう、その名は半田強という。

「おい、カオル。そのハンダって、ハンダキョウじゃねーよな?」

「それだよっ。ハンダキョウに間違いない!」

 勝が恐る恐る問い掛けると、郁は確信を得たかのように声を張り上げた。

 あの半田強がまさか――。拳悟と勝の二人は戸惑いをごまかせない。それほど詳しくはないが、彼は女に関心を示したりしない硬派だともっぱらの噂もあったからだ。

 適当に言ってるんじゃないだろうな?当てずっぽうじゃないだろうな?勝は繰り返し繰り返し念を押したが郁の答えは覆ることはなかった。半田強が犯人に間違いないと。

「二人ともハンダのこと知ってるみたいじゃん。それは良かった。じゃあ、祐子を取り返してくれるんだな?」

 拳悟と勝は引きつった笑顔で口を揃える。この話はなかったことにしようと。

 デンジャラスカラーズの”紫昇龍パープルドラゴン”と異名を取る半田強が相手となれば、いくら百戦錬磨の彼らだって命がいくつあっても足りやしない。大怪我上等で挑戦するほどバカではないのだ。

「おい、ここまで相談に乗っておいてそれはない!」

 郁は当然ながら納得できなかった。半田強の恐ろしさを事細かく説明されたところで、ごく普通の学生の彼が知り得ることではない。

 相手が悪かった、諦めろ。そう冷たくあしらわれても、郁は男のプライドをかなぐり捨ててまで最愛の彼女を奪還してほしいと泣き叫ぶばかりであった。恋人がいない拳悟と勝にしたらいい迷惑である。

「そもそも、どうして俺たちがやらなくちゃならんのだっ」

「そうだそうだ。自分のことは自分で解決しろって」

「俺一人でやれないから相談してるんだろ? 友達がここまでして頼んでんだからさ、助けてくれよ~!」

 いくら土下座されても、いつ死ぬともわからない戦場に行くいわれもない。拳悟と勝はまったく応じようとしなかった。友達思いの彼らでも、この時ばかりは及び腰だった。

 こうなったら最後の悪あがき。郁はとっておきの交換条件を提示した。彼だって必死なのだ、背に腹は変えられない。

「もし、祐子を取り戻してくれたら、プレミアムチケットを譲ってやるよ」

「はぁ、何だそりゃ?」

 郁が語るプレミアムチケットとはどんなものか?それは、彼の恋人である祐子が通っている聖ソマラタ女子学院にまつわるアイテムだ。

「おまえたちも知ってるだろ? あそこでは年に一回の学園祭でミスコンをやってるんだ」

 聖ソマラタ女子学院の学園祭行事の一つ、ミス・コンテスト。毎年、他校の男子生徒がアリのごとく群がる一大イベントだ。

 そこでクイーンに選ばれた幸運の女子生徒は、それはもう飛びっきりにチャーミングでスタイルも抜群。世の男性の目を釘付けにしてしまうほどの美少女でアイドルへの道のりも夢ではない。

 このミス・コンテストにはおもしろい趣向があって、くじ引きで当選した人だけがクイーンと一緒にお食事付きのデートが楽しめる特典があるのだ。

 そのくじの当たりもたった二枚、デートをゲットすべく集結した男子も半端のない人数だけに毎年二百パーセントの競争率を誇る、まさにプラチナチケットというわけだ。

「実はさ、祐子の親友がクイーンに選ばれてな。当たりくじとか関係なしにデートの約束をこぎつけてやるよ。どうだ? まさにプレミアムだろ?」

 拳悟と勝は興奮のあまり全身が身震いしてしまった。あえてバラしてしまうが、彼らも毎年学園祭に行ってはくじ引きをしていた身。それだけにこのプレミア感が痛いほどよくわかるのだ。

「カオル、それに嘘はねーんだろうな?」

「ここまで言って、冗談でした、じゃ済まないぜ?」

 目をギラギラと血走らせている拳悟と勝の二人。ただでさえ女子との触れ合いに飢えている彼ら。デートの相手が美少女クイーンともなれば、青春真っ盛りの男子としてじっとしていられるわけがない。

 とはいえど、それを実現させるためには郁の頼み事をクリアしなければいけない。彼らは究極の選択に迫られてしまって困惑の表情を浮かべていた。

「さぁ、どうする? クイーンとデートだぞ? 当然やってくれるよな?」

「この野郎~、人の下半身……じゃない、足元を見やがって~」

 一生に一度やってくるかわからない幸運。それをみすみす逃して後悔するよりも当たって砕けてみる価値はあるかも知れない。拳悟と勝は悩みに悩んだ末、その交換条件を飲むことを決意した。

 それに硬派で名の知れた半田強が本当に犯人なのかも気になるところ。真相を突き止めるぐらいなら殺されることもないだろうと、彼らの頭の中ではそういう読みもあったようだ。

「さすがはケンゴとスグル。頼りにしてるぜ」

「おまえの方も、デートの取次ぎしっかりやれよ」

 友達の恋人を取り返す使命、そしてミスコンクイーンとのお食事デートのために拳悟と勝の二人は緊張感で胸を高鳴らせた。無論、彼らを緊張させる最大の理由こそ、半田強と再び対峙する宿命であろう。

 無事に会えるのだろうか?無事に帰ってこれるのだろうか?不安は尽きないが、決心した以上もう躊躇っているわけにはいかない。

 その日の放課後。疑惑と恐怖が交錯する中、拳悟と勝が勇気を振り絞って向かう先は、派茶目茶高校から電車を数駅乗り継いだところにある夜叉実業高校であった。


* ◇ *

 県立夜叉やしゃ実業高等学校。生徒数は四百六十名(男子―三百八十名 女子―八十名)。校則などあってないようなもので、乱暴者と荒れくれ者ばかりが巣くう風紀が乱れまくりの危険な学校。

 暴力事件を起こして警察沙汰になるケースも多く、留年生や停学者なんて当たり前。教師も毎日、甲冑をまとって授業していると噂されるほど悪評が後を立たない。

 のどかな田園地帯に囲まれたこの校舎の校門付近で、真っ黒なガクラン姿の生徒たちとすれ違っていく二人の男子高校生がいる。

「う~ん、ここまで来てしまったか」

「やっぱりやめておけば良かったな」

 その高校生こと拳悟と勝の二人は、薄汚れた校舎を見上げて複雑な心境を覗かせていた。どこからともなく漂ってくる圧迫感で彼らの奮起もすっかり萎えてしまっている。

 とはいえ、来たからには目的を果たさねばなるまい。彼らは校門の傍で黙ったまま立ち尽くしていた。どうやら、ここで誰かが来るのを待っている様子だ。

 それから十分以上は経過したであろうか、お目当ての待ち人はいつになっても現れない。

「まだ来ないな。もう帰っちまったんじゃねーか?」

 ミラーグラスのせいで表情までは読めないが、勝は短気な性格だけにかなり苛立っていたようだ。できれば早くここから立ち去りたいという思いが見え隠れしていなくもない。

 一方の拳悟だってここにずっといたいわけがなかった。居心地の悪さを我慢しつつも、冷静さを崩さないよう緊張感だけは維持していた。

「おっ、待った甲斐があったぜ。ようやくお出ましだ」

 黒い集団の中で一人の男子生徒を発見した拳悟。

 その男子生徒は三人ほどの仲間を引き連れて威風堂々と肩で風を切っている。鬼とも般若とも思える容姿から、ここ夜叉実業高校の誰もが震え上がるほどの威圧感を放っていた。

 野獣のように好戦的な性格、喧嘩もすこぶる強くてこの学校を支配しているといっても過言ではない彼こそ、デンジャラスカラーズの一人”茶狂狼”(ブラウンウルフ)と呼ばれる福谷鬼太郎だった。

 ぺちゃんこなカバンを脇に挟んで校門へ近づいてくる鬼太郎。それを待ち構えようと、拳悟と勝は張り付いていた両足をようやく動かした。

「最近おもしろいことがねーな。体がなまってしょうがねーぜ」

 学校に来たところで勉強なんてそっちのけ。朝から放課後まで仲間と与太話するかふて寝するだけの日々。刺激を求めているのだろう、鬼太郎はつまらなそうに愚痴を漏らしていた。

 嘆いていても仕方がない。寄り道がてら街へ繰り出して暇潰しでもしようとしていた矢先、彼は予想だにしていない来訪者に目をひん剥いて驚きの声を上げる。

「て、てめぇら!?」

「よっ、久しぶりだな。オニタロウ」

 拳悟はさわやかな声で挨拶を交わす。彼が鬼太郎と再会するのは、今年の夏休みのアルバイト先で起きたあの騒動以来であった。

 これは願ってもない幸運――。いい暇潰しができたとばかりに、鬼太郎は指をポキポキと鳴らして不気味に笑った。まさに因縁の対決を喜ぶかのごとく。

「相変わらず喧嘩っ早いな、おまえは。今日は話があって来たの」

「話し合いでカタを付けようなんて甘いぜ。この俺と勝負しろ、ユウキケンゴ!」

 わざわざ喧嘩するためにこんな田舎までやってはこない。嫌味を付け加えながら宥めることに徹する拳悟だが、牙を剥き出している野獣の闘争本能を抑え付けるのはそう容易ではない。

 さらに何事にも動じない拳悟の余裕さが癪に障るらしく、鬼太郎の顔色は怒りを象徴するかのようにどんどん紅潮していった。

「ふざけるな! 俺とてめぇの決着はまだついちゃいねぇ。あの時はハンダさんが来たからで……」

「そうそう、そのハンダに用があって来たのさ」

 拳悟と勝がここを訪ねた理由、それは半田強に会うため。退学者がここにいないのはわかってはいるが、少なくとも顔見知りの鬼太郎なら居場所ぐらいは知っていると踏んだわけだ。

 その鬼太郎はというと、それがどういう意図なのかわからず頭がこんがらがって困惑の表情を浮かべた。ここで半田強の話題が膨らむなんて思ってもみなかっただろう。

「ちょっと聞きたいことがあるんだ」

「おまえならどこにいるか知ってるだろ?」

「知ってることは知ってる。俺らもたまに会ってるからな」

 拳悟と勝の二人は半田のところまで案内して欲しいと懇願する。ここまで来て門前払いだけはどうにか避けたいところだ。

 本来なら素直に応じる姿勢など示さない鬼太郎ではあるが、目の前にいる男たちもデンジャラスカラーズの猛者、何かしらの事情もあると察知したのか彼は渋りつつも首を縦に軽く振った。

「おっ、オニちゃん! 優しいね~」

「誰がオニちゃんだ、この野郎! 調子に乗るんじゃねぇ」

 どうにか交渉も成立して安堵の声を漏らした拳悟と勝。だが、会えるとわかってからの方がより不安と緊張が増していたのもまた事実。

 問題解決の折り合いがついて味方となるのか、それとも決裂してしまい敵となってしまうのか。これからがまさに正念場、半田強との再会はすぐそこまで迫っていた。


* ◇ *

 鬼太郎の道案内で辿り着いた場所は、小さな住宅街の片隅にある小さな中華料理店だった。

 破損している店頭の電飾看板しかり、外壁もすっかり黒ずんでおり見た目は決して綺麗とは言えない。とはいえ、こういう古びたお店ほどおいしいと評判になったりするから不思議である。

 聞くところによると、半田強はこのお店でアルバイトをしているとのこと。どうも店主が彼の叔父らしく、定職がないなら手伝ってほしいとお願いされたことがきっかけのようだ。

 夕方営業前にも関わらず、鍵が掛かっていない入口のドアをガラッと開ける鬼太郎。すると、店内の奥から野太い男性の声が聞こえてきた。

「よう、オニタロウじゃないか」

「こんちわ、おやっさん」

 おやっさんと呼ばれた店主、キリっと整った眉と鋭い目つきはどこか半田強と似ている。年齢からして三十台後半のようだが、どっしりと構えた雰囲気と佇まいが堅気の人とは思えない。

 開店前だがラーメンでも出そうか?店主が頬をほんのり緩めて椅子に座るよう促したが、鬼太郎は片手を横に振ってそれを遠慮がちに断った。

「あのさ、ハンダさんいるかな?」

「キョウなら二階のベランダで休憩してるぞ」

 店主は天井を指差しながら居場所を教えてくれた。ちなみにベランダへ行くには店内からではなく、お店の脇にある非常階段を伝っていく必要があるという。

 初対面の拳悟と勝は緊張気味に店主へ御礼を済ませると、鬼太郎に連れられて半田強が休憩している二階のベランダへと足を運んでみた。

 ベランダからは黄昏色に染まりゆく田舎町が映し出されていた。タバコをふかしながら夕景を眺めている一人の男性。そうだ、渋いジャケットを羽織ってサッパリとした黒髪を北風に晒している半田強である。

 顔見知りとはいえ、偉大な先輩でもあり今でも尊敬している人を前にして若干萎縮してしまっている鬼太郎。それは彼ばかりではなく拳悟と勝も同様と言えなくもなかった。

「ハンダさん、どうも失礼します」

「おう、オニタロウか。どうかしたのか?」

 半田強は後輩の来訪に笑顔で応対した。しかし、威圧感いっぱいのオーラだけはしっかりと醸し出している。

 端整な顔立ちのハンサムボーイだけになびかない女子も少なくはないはず。やはり、彼は他人の恋人を寝取ったりする破廉恥な鬼畜なのだろうか?

「いや、用があるのは俺じゃなくて……」

 鬼太郎のすぐ後ろで待機していた拳悟と勝、紹介されるなりキビキビと整列して粗相がないよう丁寧にお辞儀をした。実年齢では一つ年下であり後輩であることに違いはないので。

「ん? 君たちはたしか、向こうの街の食堂で会ったな」

「そうです。あの時はお世話になりました」

 半田強は拳悟と勝の顔をうろ覚えながらも記憶していた。約半年ぶりだからそれも頷けるが、出会いのシーンがそれなりに印象的だったことも理由の一つだった。

 ここで拳悟と勝は名前を名乗って自己紹介したが、半田強は彼らがデンジャラスカラーズのメンバーであることは知らないようだ。もしかすると、そういうもの自体に関心がないのかも知れない。

「で、この俺に何の用なんだ?」

「えーと、まぁ、ちょっとしたことなんですが聞きたいことがありましてね」

 いよいよここからが本題。内容が内容だけに表情がいつになく強張ってしまう拳悟。それを証明するかのように、彼の背中は不思議なほど汗で湿っている。

 わざわざ遠くからやってきたのだから何やら複雑な事情がありそうだ。それを察してか、半田強も眉をひそめて真剣な顔つきとなった。

「オニタロウ、おまえは店に行ってろ」

「えっ、いや、しかし……」

 一人だけ仲間外れになってしまうことに動揺する鬼太郎。そもそも、彼はただの道案内役だったのでそれも仕方がないのだが。

 控え目ながらも抵抗感を示していたが、半田強から命令されてしまっては従うしかない。拳悟と勝に鋭い視線を浴びせながら、鬼太郎はすごすごとこの場から立ち去るのだった。

 部外者もいなくなったところで拳悟はいよいよ本題を切り出した。同じ学校の友人が恋人を寝取られてしまい、彼の代わりに自分たちがその恋人を奪還すべく協力することになったと。

「ほう、それはまた災難だな。で?」

 協力するためには相手の素性がわからなければならない。そこで友人に尋ねてみたところ、顔までははっきりと覚えていなかったが名前だけはしっかりと覚えていた。

 たった一つの手掛かりを得たばかりに拳悟と勝はここへと行き着いた。その理由を知らない半田強はただ同情するしかなく、一緒になって協力すると親切心を示してくれた。

「で、そのひでぇことした男は誰なんだ?」

「いやあの、それがですね……」

 拳悟は言い出し難くて声を詰まらせてしまう。すぐ隣にいる勝も不安のあまり冷や汗をかきまくっていた。

 それでも、ここまで来た以上もう後には引けない。拳悟は勇気を振り絞って正直に答える。

「ハンダさん、あなたなんですよ」

「…………」

 しばしの沈黙――。だがそれは、嵐が吹き荒れる前触れでもあった。

 次の瞬間、半田強は拳悟のネクタイを巻いた胸倉に掴み掛かり強引に引き寄せた。その時の表情はまさに鬼気迫る恐ろしい形相だった。

「おまえ、本気で言ってんのか?」

「い、いやあの、ごめんなさい! ダチがそう言ってたんです~」

 このままでは拳悟がぶん殴られてしまう。仲間を救うべく、勝は恐怖心を振り払ってすぐさまそこに割って入った。

「ハンダさん、落ち着いてくれっ! 俺たちはあんただとは思ってないんだ」

「だったらどうして、俺のところにのこのこやってきたんだ?」

「それが真実かどうか確かめるために来たんだって!」

 拳悟と勝も犯人が半田強と決め付けているわけではない。むしろ嘘だと信じたいと思っているはずだ。とはいっても、本人の口からそれを聞かされない限り真相なんて闇の中なのだ。

 ここで半田強はキッパリと宣言する。人の女に手を出したりしない、そんな欲情に溺れた畜生ではないと。

 これまでの事情が伝わったことで怪我もなく解放された拳悟。勝とともにホッと胸を撫で下ろすのも束の間、半田強の怒りの矛先があらぬ方向へと飛んでいった。

「おい、俺の名前を出したヤツに会わせろ」

 それが何を意味しているのかわからず、拳悟と勝は唖然とした顔を向け合っている。半田強が言う“ヤツ”とは、彼らの友人である喜多本郁に違いないだろう。

「会ってどうするの?」

「この俺を愚弄したことを後悔させるために半殺しにする!」

 握り拳を固めて激しい口調で捲し立てる半田強。名前を汚されて、さらに傷付けけられたプライドが彼をより激情的にさせてしまった。

 だからといって容認するなんてできっこない。拳悟と勝の二人はぶんぶんと頭を左右に振ってそれを拒んでいたが、半田強は収まりが付かずにとにかく会わせろの一点張りだ。

「落ち着いてくれ、ハンダさん。名前を出したのは俺たちのダチじゃなくて彼女の方らしいんだ」

「よし、それならその女に会わせろ!」

 学校の友人よりも、他校の彼女と会わせる方がよっぽどセッティングが大変だ。拳悟と勝は困り切ってひたすら当惑するしかない。

 半田強は何事にも冷静沈着、慌てたり乱れたりしない腰の据わった剛健な男子というイメージだったが、どうやらそうでもなく熱したら冷めにくい面倒なタイプのようだ。

 それからしばらく続いた話し合いの末、郁にだけは会わせるということで一応の決着となった。もちろん暴力は振るわないという条件付きで。

 そうと決まったらすぐさま行動開始。半田強はこれから外出する了承を得るために、拳悟と勝の二人を連れ立って中華料理店の店内へと向かった。

 丁度その頃、待ちぼうけを食らっていた鬼太郎は店主からの心遣いによりラーメンをごちそうになっていた。寒い寒い冬場のラーメンは身も心も温めてくれるありがたい料理だ。

「あっ、やっと戻ってきたか」

 半田強がようやく戻ってきてくれて安心したものの、これから出掛けると店主に断りを入れるシーンを目撃して鬼太郎はまたしても動揺してしまった。

「ハ、ハンダさん、どこに行くんですか?」

「悪いな、オニタロウ。この二人の用事を済ませてくる」

 やっと合流と思いきやここでも仲間外れ。鬼太郎は寂しさというか空しさを覚えて表情を曇らせてしまった。しかも、事情も内容もまったくわからないからモヤモヤ感も半端ではない。

「キョウ、それは構わんが、忙しくなる七時には帰ってこい、いいな?」

「サンキュー、叔父貴。できるだけ早く帰ってくる」

 理解のあるアルバイト先の店主に見送られて、半田強は入口の暖簾を潜って屋外へと消えていった。引きつった挨拶でやり過ごすしかない拳悟と勝の二人を引き連れて。

 留守番を命じられたわけではないが、鬼太郎は残ったラーメンの麺をすすりながらただただふて腐れるしかなかったわけで。

(ちぇっ、結局、暇潰しも何もあったもんじゃねーぜ)

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