第二十一話― 二年七組の真のアイドル争奪戦(2)
さて、ちょっとした騒動から数時間後。ただいま四時限目の授業が終わったばかりの休み時間。ちなみに二年七組の四時限目の授業は理科だった。
理科実験室から教室までの帰り道、教科書を胸に抱えて歩いている由美のことを廊下の隅で待ち構えている女子生徒、そう、言うまでもなく伊集院舞香である。
先ほどのお昼休みに屈辱的な苦痛を味わった彼女。作戦が失敗に終わって向かっ腹が立っているのだろう、由美に対する敵意をこれでもかというほど剥き出しにしていた。
そんな舞香が親指と人差し指で摘んでいるもの、それはキラキラと光り輝く高級ダイヤの指輪だ。またしても悪巧みを画策しているようだが、これで何をしようとしているのだろうか?
「オッホッホ、今度こそうまくいくはずですわ。この指輪を使ってあの小娘を地獄のどん底へ叩き落としてあげる」
お昼休みと同じく不敵な微笑みを浮かべる舞香。この悪巧みを彼女に代わって説明しておこう。
高級ダイヤの指輪を廊下に転がせておく。当然ながら、それに気付いた由美はそれを拾い上げてびっくりしてしまうだろう。
いくら成績優秀の優等生でもお金に目が眩まないわけがない。周囲をキョロキョロと見回した後、由美は拾った指輪をこっそりとポケットにしまってネコババするに決まっている。
そのタイミングを見計らって舞香がすかさず姿を現す。自分の高級ダイヤの指輪が盗まれたと怒鳴り声を上げて由美を泥棒に仕立て上げる。
それを耳にした生徒たちは一斉にいきり立って叫ぶだろう。盗人は学校から出ていけ、二度と姿を見せるなと。これで由美は生徒から信用を失って学校にいられなくなるはず。
そうなれば必然的に二年七組のアイドルは舞香に返り咲く。これこそが、彼女が悪知恵を働かせて考えたあくどいプランその二だったというわけだ。
「今度こそ、あの子の泣き叫ぶ顔が目に浮かぶわ」
性懲りもなくアイドルの座を奪い返すプランを立てた舞香ではあるが、そんなことに心血を注ぐぐらいなら、むしろクラスメイトの評判を上げるよう性格を改めてほしいと願いたい。
いよいよ作戦決行とばかりに、舞香は光沢を放つ高級ダイヤの指輪を廊下にそっと置いた。
もうまもなく由美がここへ通りかかるだろう。必ず今度はうまくいくはずだと、期待と興奮でまたしても表情が緩んでしまう舞香。
先ほどはオイルに気付かずに素通りした由美だったが、今回の指輪だけは気付かないわけにはいかなかった。彼女は中腰になって落ちている指輪を拾い上げてみる。
「わぁ、これ指輪だ。それにしても大きいダイヤモンドだなぁ」
由美は指輪を見つめながら驚愕の声を漏らした。いわゆる典型的な一般庶民の彼女にしてみたら、指輪はおろかダイヤモンドという宝石すら馴染みがなかったであろう。
高級な宝石を施したアクセサリーがまさか学校内に落ちているとは――。彼女は戸惑いの表情を浮かべて右往左往してしまった。
ここまでは予定通り。ニヤリと笑って口角を吊り上げる舞香の顔つきは、アイドルとは思えないほど醜悪なものであった。
協力者でもある人通りも廊下に溢れてきて、怒鳴り声を上げる準備も万端といったところだが、肝心の由美が呆然と立ち尽くしたままで一向に指輪をポケットにしまい込んでくれない。
(もう、何をしているんですのっ。早くポケットに入れちゃいなさい!)
じれったさのあまり、その場で地団駄を踏んでしまう舞香。なかなか行動を起こしてくれない由美のことが理解できずに苛立ちの表情を向けるばかりだ。
この好機を逃してなるものか。多少フライング気味ではあったが、由美が指輪を盗むことを想定した上で舞香は作戦を決行すべくそこから駆け出していく。
果たして、由美は泥棒と成り果ててアイドルの地位から転落してしまうのだろうか?結果はいかに――!?
「あっ、先生。廊下にこんなものが落ちてました」
『スッテ~ン!』
まさかの展開に舞香は前のめりになってすっ転んでしまった。
由美が声を掛けた相手とは、偶然ここを通り掛かった教務室へ戻る途中の静加だった。
目を見張るほどの大きなダイヤ。静加も女性の一人だけに魔法のような輝きに魅了されているが、それよりも、とんでもない落し物の届け出に愕然とするしかなかった。
そんな彼女がもう一つだけ驚いていたのは、どういうわけか正面でうつ伏せになって倒れている少女がいることであろう。
「イジュウインさん、どうかしたの?」
舞香はバツが悪そうな顔を持ち上げる。そして、ゴージャスなアクセサリーの落とし主であることを恥ずかしそうに告白した。
派茶目茶高校ではアクセサリーに関する禁止の校則はない。とはいえ、これほどまでの高級品を身に着けていては盗難や紛失といったトラブルの火種になってしまうことが懸念される。
静加からその辺りについて諭されてしまった舞香。いくらわがままな財閥のお嬢様でも、担任からのお説教だけはどうにも反論できなかったようだ。
「今後は十分に気を付けなさいね」
「はい。心得ますわ」
何はともあれ大きなトラブルにならずに済んで良かった。由美は拾い主として落とし主の舞香に励ましの笑顔を向ける。これが、自分自身を貶めるための策略だったとも知らずに。
「イジュウインさん、見つかって良かったね」
「ありがとう。拾ってくれて感謝しますわ」
宝石の魅力に惑わされなかった優等生の由美。舞香は礼儀正しく謝罪と謝礼で敬意を払うものの、その胸のうちは悔しさと憤りで煮えくり返っていた。どこまで性根が腐っているというのか。
次の授業の用意のために由美は駆け足でそこから去っていく。それを穏やかな表情で見送った舞香だったが、いつしか彼女の視線は悪魔のごとく卑しげな睨みへと変貌していった。
(……こうなったらあの作戦しかないですわね)
舞香は制服のポケットに忍ばせていた無線トランシーバーを取り出した。数字のボタンを押してどこかと交信をしようとする。
「ああ、じいですね? お願いがあるから聞いてちょうだい」
繋がった先は舞香の自宅で、相手は召使いでもある老人だった。
彼女が命じた内容は次の通りだ。放課後までに二人ほどのチンピラを学校のとあるポイントまで向かわせること。そして、そのチンピラに卑劣な行動をさせるよう指示を出した。
「かしこまりました、お嬢様。あとでまたご連絡差し上げます」
トランシーバーの通話を切って不敵な笑みを浮かべる舞香。
どんなに汚い手段を使ってでもアイドルの座を奪い返す。とことん懲りない彼女が企てた卑劣な作戦とはいったい――?
* ◇ *
自分勝手のお嬢様の悪巧みなどまったく気付かない由美。それは彼女がそういうものに鈍感というわけではなく、ただ単純に舞香の計算が浅はかなだけなのだが。
教室まで戻ってきた由美を出迎えたのは、神妙な面持ちをしているハチャメチャトリオの面々だ。
彼らは伊集院舞香の意地悪な性格をよく知っている。内履きに画鋲を仕込まれたりとか、背中に落書きした紙を貼り付けたりされてないだろうか?由美の身を危惧する彼らの心配は尽きない。
「ユミちゃん、おじょうに変なことされてないよね?」
「おじょう?」
由美は聞きなれないフレーズにきょとんとした顔をする。ちなみに“おじょう”とは舞香のあだ名で、その理由もお嬢様から敬称を省いただけの何ともシンプルなものだ。
とはいえ、そう呼んでいるのはハチャメチャトリオとごく一部の生徒だけで、他の生徒にしたら舞香とはあまり関わりたくないというのが本音のところのようだ。
「皆さん、どうしてそんなにイジュウインさんを嫌うんです?」
「アイツはひねくれ者だからさ。たぶん、クラスの連中も嫌ってると思うんだよ」
友情を重んじる拳悟でも伊集院コンツェルンの一人娘だけには心を開けないらしく、眉をしかめてやり切れない胸中を告白した。もちろん、勝と拓郎の二人もそれには同意見だった。
「わたしはクラスメイト同士で嫌ったりとか嫌われたりとか、そういうのってイヤだな……」
ただでさえ親友というものに疎遠な過去を持つ由美は、この派茶目茶高校、さらには二年七組の生徒はとても貴重な存在だ。
できればお友達として触れ合いたい、お金持ちのお嬢様でも心を通わせることができないほど遠い存在ではないはず。声にこそしなかったが彼女はそんな気持ちを抱いていた。
* ◇ *
それから時が流れて夕暮れ迫る放課後となった。
今日一日の授業を終えた学生たちがダラダラと前庭へと溢れ出てきた。ゲームセンターやカラオケに寄り道する者もいれば、アルバイト先へと真っ先に突っ走る者もいる。
向かう先は人それぞれ十人十色だが、この群集の中には寄り道もしないで真っ直ぐ帰宅の途につこうとしている由美の姿もあった。
とはいえ姉と二人暮らしをしている彼女、社会人の姉の負担を少しでも軽くしようと、帰宅途中に日用品の買出しといった用事は済まさなければいけない。
経済的な面からどこでお買い物をしようかと迷っていたところ、いきなり背後から声を掛けられて由美はおもむろに顔を振り向かせる。
「あれ、イジュウインさん」
由美のことを呼び止めたのは、気品高々に立ち振る舞うお嬢様の舞香だった。
せっかく出会ったのだから交流を深めましょう。舞香がニッコリと微笑んで一緒に帰ろうと誘ってみると、由美は少しだけ迷う仕草をしたものの勘ぐったりせずにそれを快諾した。
その背景にあるものこそ、同じクラスメイトだからもっと親しくなりたい。由美は舞香という人物をもっと知りたいと思っていたからだ。
――だがしかし。これは当然ながら舞香が画策しているアイドル争奪戦に勝利するための作戦の一つであった。彼女の心の中にある邪念など、生真面目な性格の由美が気付くはずもない。
クラスメイトらしく隣合って校門まで歩いていく彼女たち。とはいえ、二人の間には会話を楽しむような温かい雰囲気など微塵にも感じられない。それもそのはずで、舞香の全身からは由美に対する敵愾心が滲み出ていたからである。
(オッホッホ。ここまでは作戦通りですわ。じい、しっかり準備を頼みますわよ)
* ◇ *
一方その頃、派茶目茶高校の校門から少し離れた空き地では、伊集院家に仕える召使いの老人が二人のチンピラと綿密な打ち合わせをしていた。
それは解説するまでもなく舞香が命令していた作戦の内容だった。かいつまんで言うなら、チンピラを使って由美を徹底的にいたぶって二度と学校に来れなくするという極悪非道を絵に描いたようなものであった。
「そなたたちにやってもらうことは以上だが、よいな?」
「つまり、高校生の女子をとっ捕まえていじめてあげればいいんだろ?」
「わかったよ。ちゃんとやってやるから、ちゃんと給料を払ってくれよな」
伊集院家のルートを通じて収集された二人組とは、パンチパーマの髪型にサングラスで目を隠しており見た目はとても堅気とは思えないが、実際はクレープ屋さんでアルバイトして家計を支えたりしている。
前金として数万円を受け取ってご満悦のチンピラ二人。さらにピチピチの女子高生にいたずらができるとなれば、不謹慎ながらも頬が緩んでしまうのは否めないだろう。
「いいか、繰り返し伝えておくが我がコンツェルンのお嬢様に危害を加えるようなマネはしてはならんぞ?」
老人は念には念を入れてしつこく説明をする。狙うのは舞香と一緒に歩いている由美一人であること。もし万が一、舞香が怪我をするような事態となった場合は容赦なく打ち首獄門だと。
「おいおい、じいさん、打ち首獄門はオーバーだって」
「まぁ、心配すんなって。後は俺たちに任せろよ」
見間違えたりしないようにと、舞香の顔写真を受け取ったチンピラ二人。
老人が役目を終えてそこから立ち去った後、チンピラたちは偶然を装うように空き地の奥の方へと身を潜めた。そして、女子高生が到着するのを今か今かと心待ちにしていた。
スケベ心が先行しているのだろう、彼ら二人の表情はすっかり緩みっ放しだ。ところが狙える女子が一人しかいないことが災いし、ここでちょっとしたいざこざが起こってしまった。
「言っておくけど俺が先にいただくからな? 俺の方が年上なんだからな」
「おいおい、ちょっと待てよ。こういうのに年上も年下も関係ねーだろ?」
誰が最初に由美にちょっかいを出すのか、チンピラ二人は優先権を巡って何とも下らない口論を始めてしまった。元々この二人は好き嫌いも女性の好みも正反対で相性も最悪だったりする。
そうこうしているうちに、ターゲットである由美と彼女を罠に掛けようと同行している舞香が空き地の傍まで近づいていた。
「それにしても、あの指輪ってすごく高価じゃないのかな?」
「たいしたことはありませんわ。ざっと八百万円ぐらいでしょうね」
「八百万円!? それって高校生がお小遣いで買える値段じゃないよ~」
空き地までの距離、徒歩で残り一分少々といったところ。ところが、飛び出してくるはずのチンピラ二人がまったく姿を現してくれない。それもそのはずで、彼らは役目も忘れて喧嘩の真っ最中だったからだ。
いったいどうなっているのだと、舞香は心の中で焦れる思いを吐き出した。由美が隣にいる手前、焦りの顔色をごまかすために平静を装うしかなかった。
そして――。何も事件が起こらぬまま空き地を通り過ぎてしまった彼女たち。
「あっ、もうこんな時間だ」
由美も寄り道してまで舞香に付き合う時間的余裕はなかった。この後、お買い物という大事な役目があるのだから。
親睦を深めるには時間が短かっただけに若干名残惜しかったが、彼女は舞香にお別れの挨拶を告げると一人きりで矢釜中央駅の方角へと歩いていった。
「あっ、ユメノさん、お待ちになって――」
舞香が慌てて呼び止めても、由美は手を振るだけで立ち止まることはなかった。とはいえチンピラが出てこない以上、呼び止めたところで作戦を実行することはできないのだが。
では、そのチンピラ二人はどうしていたかというと数分間の殴り合いの末ようやく使命を思い出した。お肌ピチピチの女子高生にいたずらができるという破廉恥極まりない悦びを。
彼らは空き地を飛び出して、交通量の多い交差点で立ち尽くす一人の女子高生を発見した。それは言うまでもなく、作戦失敗にただただ憤慨している誇り高きお嬢様であった。
(まったくもう、じいめっ! お屋敷に帰ったらお仕置きしてあげるわっ)
小さくなっていく由美の後ろ姿を睨み付けている舞香。ちなみに彼女の豪邸にはお仕置き部屋があり、世界各地から収集したお仕置きグッズがあったりする。
復讐はまた明日にしよう。そう諦めて振り返った瞬間、彼女の目の前にはニタニタと不気味に笑っているチンピラ二人が立っていた。
「よう、お嬢ちゃん、待たせたな~」
「悪い悪い、ちょっと遅刻しちゃったぜぇ」
言葉遣いと人相の悪さ、舞香はこの時すぐに理解した。ここにいる不貞な輩こそ自分が考えた作戦のために呼び出されたチンピラだったのだと。
「あなたたち遅いですわよっ! ユメノはもう交差点の向こう側に行ったじゃありませんの」
舞香は行き場のない不満をチンピラ二人にぶつけた。今更やってきたところでまるで意味なし、給金を払うどころか損害賠償請求したいぐらいだと文句たらたらである。
本当なら作戦失敗によりこれで終わり……のはずだったが、どうも様子が違う。チンピラ二人は反省するどころか、にやけた表情を崩さないまま舞香の肩に手を触れてきたのだ。
「さーて、俺らもお役目だからな。勘弁してくれや」
「だな。というわけで、これから俺らとママゴトでもするかぁ?」
「はいぃ!?」
驚愕と衝撃のあまり素っ頓狂な声を上げた舞香。由美を辱めるはずの作戦が、まさか自分自身に降り掛かってくるとは思ってもみなかっただろう。
間違いがあってはなるまいと、前もって舞香の写真を手渡されていたにも関わらずどうしてこんなことが?
その答えは案外簡単なもので、チンピラ二人は連れ去る女子高生が写真に写っている女の子だと勘違いしているのだ。理解力のないアホな二人組だからどうか許してやってほしい。
とはいっても、許せるはずがないのは伊集院コンツェルンのお嬢様の方だろう。遅れてきたばかりか、一方的な勘違いで危害を加えられるなんて冗談では済まされない。
「ちょっと待ちなさい! わたくしはあなたたちの雇い主ですわよ。あなたたちの狙う相手はわたくしではなくて……」
「往生際が悪いぜ、お嬢ちゃん」
「そうそう、何事にも諦めが肝心だぜぇ?」
チンピラ二人に事の背景を話してもまったく通じない。由美がどうのこうのと叫んだところで、ここで初めて対面する彼らに納得しろというのがそもそも無茶なお話だ。
舞香は肩にあったチンピラの手を振り払ったものの、逃げ場を失ってしまい身動きが取れなくなってしまった。身から出た錆とはまさにこのことだろう。
「言っておきますけど、このわたくしに無礼を働いたからには覚悟はあるんでしょうね!? 伊集院家の諮問委員会に提起して、あなたたちなんて死刑にして差し上げますわっ」
名のある大企業の一人娘は権力を振りかざして自分の身を守ろうとした。だが、ならず者たちにしてみたらそんな脅しに臆することもない。むしろ、その高圧的な抵抗に快感を覚えてしまうほどだ。
交差点付近の通行人はそれを目撃しても何もしてくれない。舞香は助けを呼ぼうとトランシーバーを取り出そうとしたがそれも間に合いそうになかった。
お金持ちのお嬢様に襲い掛かる最大の危機――!伊集院舞香はこのままチンピラの餌食になってしまうのだろうか?
「待ちなさい!」
舞香とチンピラ二人の間に果敢にも飛び込んできた人物がいた。それは何を隠そう、矢釜中央駅に向かって離れていったはずの由美だった。
実は彼女、舞香が張り上げた怒鳴り声を耳でキャッチするなりクラスメイトを助けるために舞い戻ってきたというわけだ。
「おおっ、もう一人女子高生がやってきたぜ~!」
「俺、こっちの子の方が好きだわ。ラッキーだぜぇ」
由美が参入してきたことを喜んでいるチンピラ二人。これで二対二になって人数もぴったりだし、奪い合ったり譲り合ったりする理由がなくなったからだ。
舞香は舞香でただただ呆然としている。陥れようとしていた宿敵に助けられる結果となってしまい、喜ぶべきか悔しがるべきか判断に困ったような顔つきだ。
両手を目一杯に広げて、毅然とした表情で仁王立ちしている由美。男性恐怖症で臆病者の彼女がどうしてここまで大胆な行動に出ることができたのだろうか?それにはそれ相応の根拠があった。
「連れていけるものなら連れていきなさい」
「ほう? ずいぶんと威勢がいいじゃねーか」
由美が含みを持たせた意図も知らず、チンピラたちは顔を見せ合って高笑いしていた。しかし彼女の次の言葉を聞いた途端、彼らはその嘲笑をピタリと止めてしまう。
「ここは派茶目茶高校の通学路です。わたしが助けを呼んだら、ハチャメチャで有名な生徒たちがここへ駆け付けてきますよ」
そうである。由美や舞香がいる交差点付近は派茶目茶高校の学区内であり、在校生が矢釜中央駅へ向かうまでの通学路の一つだ。
ハチャメチャで有名な生徒――。矢釜市の警察機関でも時々手を焼くという厄介者の集まり。同じ街で生活しているチンピラもその事実を知らないはずがなかった。
彼ら二人は強張った表情で視線を左右に振ってみた。すると、派茶目茶高校の悪童たちが蔑んだ目でこちらを睨んでいるではないか。交差点のこちら側も、そして向こう側でも。
「わたしのクラスには喧嘩でほとんど負けたことがない強い人もいるんですよ? その人が来てくれたら、たぶん、あなたたちは無傷では帰れないと思いますけど」
由美一人では非力でも、頼れるクラスメイトはとても強靭でたくましくて何よりも喧嘩に強い。それは彼女を守ってくれる盾のようなものだ。
友情を築いているからこそ守ってもらえる。彼女は幾度となくクラスの親友に励まされたり救ってもらったりしている、だから今ここで自信を持って立ち向かえるのだ。
「うぐぐ……」
チンピラ二人の顔から余裕が消え失せていた。チンピラを名乗る猛者であっても、派茶目茶高校の乱暴者多勢が相手では勝てる自信がなかったようだ。
今日のところは見逃してやる!そんな捨て台詞を吐き出して、彼らはポケットに手を突っ込んでそそくさとそこから立ち去っていった。
張り詰めていた緊張感からどうにか解放された女子二人。心にゆとりが戻ってきて表情の色艶もよくなっていた。余程怖かったのだろう、由美に至っては安堵感のあまり足から崩れ落ちてしまいそうだった。
「イジュウインさん、怪我とかなかった? 大丈夫?」
「…………」
どういうわけか、舞香は何も答えることができなかった。そればかりか顔を俯かせてしまい、涙を堪えて全身をプルプルと震わせている。
その涙は悔し涙だった。しかし、由美をアイドルの座から引きずり下ろすことに失敗した悔しさではなく、己の恥ずべき行為を悔やみ友達とも言うべきクラスメイトへの謝罪の気持ちでもあった。
舞香はついに大粒の涙を落として、さらにひざまで地面に落として土下座をした。
そして一言、すべての責任は自分自身にあると叫びながら。
「わたくしはあなたが憎かった。二年七組のアイドルのあなたが……」
これまでの顛末をすべて洗いざらい告白した舞香。指輪の一件も、今回のチンピラ二人組もすべて彼女が仕組んだ罠であり、それはすべて由美を学校から追放させる計画だったことを。
それは由美にしたら衝撃的な事実だった。まかり間違って罠にはまっていたら信用も信頼も失い、身も心も深く傷付いて二度と学校へ来られなくなっていたかも知れないからだ。
「ユメノさん、このわたくしを好きになさって。殴ろうが蹴ろうが構いません。気の済むまでやってくださいませ」
舞香は泣き顔を持ち上げると、覚悟を決めたかのように歯を食いしばって瞳を静かに閉じた。
「……殴るとか、蹴るとか。そんなのできないよ」
いくら憎かったとはいえやって良いことと悪いことがある。由美は一般常識人としてそう諌めたものの、決して舞香を糾弾したり暴力を振るうなんてことはしなかった。
憎しみに憎しみで対抗しても悲劇を生むばかり。お互いに被害がなければそれでいいのだ。それが優等生の由美らしい思いやりのある胸のうちなのであった。
「それでは納得がいきませんわっ! わたくしがお嬢様だからって遠慮なさっているのですね? そんなこと気に留める必要なんてありませんわ」
「イジュウインさん、そうじゃないよっ。わたしたちはクラスメイトなんだよ? そんなことしたらお互いに痛みしか残らないじゃない」
クラスメイト同士がいがみ合って敵対する必要などない。由美は拒否を示すように首をぶんぶんと横に振った。
留学先のフランスで高級な料理を食べて、何不自由なくリッチな生活をしてきた舞香。両親が一緒だったとはいえ、何でも話し合える友達に恵まれていた環境とは言えなかった。
日本に戻ってきて二年七組の生徒になっても誰も見向きもしない。そこから来る孤独感が、彼女をここまで意地悪でひねくれ者に変えてしまったというのか。
舞香はまだ常識と非常識の区分けが理解できなかったが、少なくとも目の前にいる由美という少女が敵でもライバルでもなく心から触れ合いたい同性であることだけは理解できた。
「ユメノさん、こんなわたくしを許してくれるというの?」
「許すも何も、わたしたち友達だもん」
「ありがとう……」
由美からハンカチを差し出されると、舞香はそれを黙って受け取った。
今までなら一般人からの善意など無視してきた彼女、自らの高級ハンカチを封印してまで普通のハンカチを受け取ったところを見る限り、これまでの高慢な態度を改めようとしている気持ちの表れなのかも知れない。
舞香は零れ落ちる涙の粒を拭き取る。そして、友情を示すかのように由美と固い握手を交わした。
「わたくしのことは今後、マイカと呼んでもらって構いませんわ」
「うん、マイカちゃんでいいかな。わたしのことも気軽にユミと呼んで」
「ええ、ユミちゃんと呼ばせてもらいますわ」
友達になった証として、別の機会にケーキバイキングでも食べに行こう。由美と舞香の二人は笑い合ってそんな約束をしていた。彼女たちは早くも、甘いものが好きという共通点を見つけたようだ。
* ◇ *
これは後日談。
舞香は翌日には二年七組のクラスメイトの前で、高圧的な姿勢や態度を改めんばかりに慎ましやかな挨拶をした。だが、お嬢様口調までは直せなかったが。
それこそクラス中に動揺が広がったものの、由美やハチャメチャトリオたちの説得の甲斐もあって、舞香はどうにか二年七組の仲間として受け入れてもらえることになった。
ここでまた一人個性的な主要キャストが加わり、このハチャメチャなストーリーもますます盛り上がること請け合い。どうかこれからもご愛顧のほどよろしくお願いします。




