第二十一話― 二年七組の真のアイドル争奪戦(1)
すっかり寒くなってきた十二月。今回の物語は、そういった季節感のないお話となってしまうのでご了承願いたい。
派茶目茶高校の二年七組の教室内、一時限目の授業が終わるなり大あくびをするのは、このクラスでもっとも魅惑的なギャル系少女、髪を結っているリボンが愛らしい和泉麻未である。
もう授業なんてうんざり。一時限目が終わったばかりだというのに怠慢な態度を全身で表している麻未。そんな彼女の隣の席に座るのは、このクラスでもっとも輝いている清純派アイドル、ピシッと制服を着こなした優等生代表の夢野由美だ。
「次の授業って数学だよ」
「あ~ん、それマジぃ? もう、早退しちゃおうかなぁ」
数学といったら派茶目茶高校の嫌われ教師ランキングで上位を争う、あのヤクザ顔をした反之宮が担当だけに誰もが嫌がるのも無理はない。
今にもエスケープしてしまいそうな麻未をどうにか説得する由美。憮然としながらも了承する麻未ではあったが、虫の居所が悪いのか右足を伸ばして前の席にある椅子を蹴飛ばしてしまった。
誰も着席していない椅子がガタッと揺れる。それを何気に見ていた由美が不思議なことに気付いた。
「ねぇ、アサミさん」
「ん、なーに、ユミちゃん?」
由美が気付いたこと、それは麻未の前の席、つまり自分自身の斜め前の席がいつも空席だということ。転校してからもう半年以上経過していて今頃気付くのも不思議といえば不思議だが。
「ああ、この席ね。お花を生けた花瓶でも置いておけば良かったかもね」
麻未のブラックジョークはさておき、この席に座るべき生徒はちゃんといるのだという。ただ、今は日本にはおらずフランスのパリの学校へ短気留学しているというのだ。
その生徒の名は伊集院舞香といい、ここ矢釜市で相当な権力を持つ伊集院コンツェルンの一人娘で、いわゆる典型的なお嬢様なのであった。
そういう地位を鼻に掛けて好き勝手に振舞うわがままぶり、おまけに人をやたらに見下したりする高飛車で高慢な性格らしく、この二年七組の中では嫌われ者とのことだ。
「そういうわけで、いけ好かない子なんだよ。このまま来ないでもらいたいって感じかな」
「ふ~ん、そうだったんだ」
嫌われ者とはいえクラスメイトには変わらない。お友達になれるかどうかは別として、由美はそのお嬢様である伊集院舞香という生徒に関心を抱いたのは言うまでもない。
女子二人がそんな話題で盛り上がっている中、教室の痛んだドアをこじ開ける男子生徒がいた。それは、二年七組の人気者でもあるハチャメチャトリオの面々だ。
彼ら三人はこの日の一時限目、担任の斎条寺静加からの命令により近所の集会場でイベント準備の手伝いをさせられていた。頭を使わず体を動かす労働になると真っ先に声を掛けられるから困ったものである。
「お~す、皆の衆」
労働の後にも関わらず、声だけは元気がいいのはクラス委員長としてリーダーシップを発揮している任対勝だ。彼のすぐ後ろには静かなるクール男子である関全拓郎もいる。
「ふぅ、疲れた、疲れた。ホントにこき使われちゃったぜ」
腰をトントンと叩いてオヤジくさい愚痴を漏らしているのは、これでもかというほど青春を謳歌している勇希拳悟だ。若さが売りの彼でも、体力メインの雑用にはさすがに音を上げていたようだ。
おはよう、お疲れさまと麻未と由美の二人から労いの声を投げ掛けられても、ハチャメチャトリオの三人は挨拶もそこそこにして着席するなり机の上に突っ伏してしまった。
疲労感いっぱいのところにさらに輪を掛けるのが、次の授業がヤクザ教師の数学という現実。彼らは脱力感と倦怠感のあまり唸り声を上げるしかなかった。
――ここで二年七組の役者が出揃った。これよりいよいよメインシナリオが動き出す。そうだ、帰ってくるはずがない、いや帰ってきてほしくない彼女が帰ってきたのであった。
* ◇ *
派茶目茶高校の校門前に一台の高級外車が到着した。
運転手がそそくさと降車するなり後部座席のドアを開く。すると、車内から高級感たっぷりの制服を着こなした一人の少女が現れた。
ワンレングスのしなやかなストレートヘアを揺らし、数ヶ月ぶりの派茶目茶高校のオンボロな校舎を見上げる彼女、運転手から気分のことを問われると、わざとらしく咳き込んで悩ましげに眉をしかめる。
「日本そのものがそうなんでしょうけど、ここの空気も悪いですわね」
その少女こそ、二年七組に籍を置くフランスのパリから帰国したばかりの伊集院舞香であった。
どうして彼女がこのタイミングで帰国したのか?その理由は至って単純で、海外事業展開で渡仏していた両親が帰国することになりそれに便乗する形で帰ってきたというわけだ。
留学先でたくさんの教養を身に付けてきたであろう彼女、久しぶりとなる二年七組の教室内でどのように振る舞うのか。ただ一つだけ言えるとしたら、クラスメイトたちにとって災難が降り掛かることは間違いないだろう。
* ◇ *
ここは教務室の隣にある校長室。
普通だったら、こういうところには競技大会やコンクールなどで残した輝かしい成績を示す賞状やトロフィーが飾ってあるものだが、ここにはまったくそれが見当たらない。
目に付くものといったら、校長の趣味なのか所狭しと並べられた陶磁器といった骨董品ばかり。ある意味、この辺りが普通ではない派茶目茶高校らしさといえばそれまでなのだが。
今日から復学することになる舞香は来賓のような扱いでここへ招き入れられた。これも一重に、伊集院コンツェルンのお嬢様という身分があっての待遇なのである。
「いや~~、よくご無事で帰国されましたな~~。娘が帰ってきたようで~~、嬉しい限りです~~」
「校長もまだご健在で良かったですわ。出発前のご挨拶が最後かと思っておりましたから」
応接用のソファで舞香を歓迎しているのは、まもなく定年退職を迎えるボケが進行中の校長と二年七組の担任の斎条寺静加だ。
「イジュウインさん、久しぶりの学校だけど、どう? すぐに馴染めそう?」
「そうですわね。わたくしはこれでもアイドル並みの人気者ですし、ご心配ないかと」
舞香は横柄な態度で腕を組みながら微笑した。品位ある家柄と気品溢れる美貌を如何なく自慢する彼女、こういう性格ほど人から好かれないことをわかっていないものだ。
静加もそれに気付いているだけに、クラスの調和が乱れてしまうのではないかと懸念を抱いていた。担任としては頭を悩ますところであろう。
「それでは、そろそろ失礼しますわ」
校長と静加に会釈してから校長室を軽やかな足取りで出ていく舞香。向かうべき先はもちろん、彼女が在籍する二年七組の教室である。
作り笑いという返事でお嬢様の来校を受け入れた教職者たちだが、その心の中を覗いてみると……?
「いや~~、これまたかわいげのない~~、わがまま娘が帰ってきましたね~~」
「コウチョウ、そういうことは露骨に言わないで。それに、娘というよりお孫さんでしょうね」
* ◇ *
伊集院舞香がやってくる――。その衝撃的なニュースは、一時限目を思い切り寝坊で遅刻してしまったモヒカン頭の桃比勘造から知らされることになる。
彼はとんでもない大声を発しながら二年七組の教室へ飛び込んだ。そして息をつく間もないまま、ハチャメチャトリオや由美と麻未がいる机まで駆け付ける。
「き、きき、きた、きた……!」
あまりに息切れが激しくて、途切れ途切れの言葉しか紡げない勘造。それにただならぬ事態を察知してか、みんながみんな不安げな顔を見せ合っている。
「おい、モヒカン。何だよ、きたきたって?」
「来たんですよ、アイツがっ!」
アイツでは誰だかわかるはずもない。勝がすかさず尋ねてみると、勘造の口からあってはならない固有名詞が飛び出した。
「イジュウインです、イジュウインマイカ!」
高級外車から降りて校舎内に入っていく舞香を目撃していた勘造。心穏やかではないまま後ろから追い掛けてみると、何食わぬ顔をしながら校長室へ消えていったそうだ。
本来なら学生は教室に直接来るはず。ところがそれを無視して、しかも教務室ではなく校長室を訪問するところが特別扱いを受けている大富豪のお嬢様らしい。
このショッキングな出来事を耳にし、二年七組の主要メンバーたちに戦慄が走った。オーバーな表現ではあるが、青ざめていくその表情で事態の深刻さがハッキリとよくわかる。
「イ、イジュウインマイカだと……?」
「おいおい、これはとんでもないことになったぞ」
「う~ん、俺、しばらく欠席してもいいかなぁ」
あらゆる修羅場を潜ってきた異端児のハチャメチャトリオでも、伊集院舞香という名を聞いただけで危機感を抱いてしまった。それほどまでに彼女自体のインパクトが強かったと言えよう。
舞香を毛嫌いしている麻未も頭を抱えて不満の声を漏らしていた。嫌悪感を抱くきっかけなどそれとなく思うことがあるのだろう。
当然だが、舞香のことをまるで知らない由美一人だけは呆然とするしかないわけで、仲間たちのリアクションに戸惑ってしまい押し黙るしかなかった。
「おい、モヒカン。それは確かな情報なんだろうな? これで間違いだったら承知しねーぞ」
「間違いじゃないッスよ。後ろ姿しか見てないけど、髪型とか制服も見覚えがあったし」
何度も何度も、しつこいぐらい何度も確認してしまう勝がここにいる。気が気でないのはここにいる者だけじゃない、他のクラスメイトの表情にも動揺の二文字が表現されていた。
そうこうしているうちに、いよいよお出ましとばかりに教室のドアが開け放たれた。おしゃべりをいったん止めて、ドアの方角を凝視する二年七組の生徒たち。
どういうわけか、先ほどの運転手の手によって教室内にレッドカーペットが敷かれた。まさに高級セレブのご来場を告げるかのごとく。
そのレッドカーペットの上をモデルのような姿勢で闊歩するは、本日の主役に躍り出ようとしている伊集院舞香だ。彼女は澄ました顔のまま鼻に掛けたような口調で挨拶を交わす。
「ボンジュール、皆さん。お久しぶりですわね」
クラスメイト全員が呆然としながら黙り込んでいた。誰一人ともピクリとも動かない時間が数秒間ほど続き、舞香はそれを無礼だと思ってかあからさまに不機嫌な顔をした。
「何でシーンとしちゃってますの? 数ヶ月ぶりに留学先から帰ってきてあげたというのに、そのお黙りは失礼じゃありません?」
舞香はお上品な口振りでクレームを付けた。根っからのお嬢様だけに、無視といった粗相な姿勢だけは許せないようだ。
別に彼女の命令に従うつもりはないだろうが、クラスメイトたちは特別変わった表情を見せないまま雑談を再開し、元々の賑やかな二年七組の教室に戻っていった。
ここまで付き添わせた運転手に帰るよう指示を出した舞香。そんな彼女が真っ先に向かう先は当然ながら自分の席。そして、隣の席には久しぶりに再会する拳悟がいるわけで。
「ケーンゴくん。フフフ、お久しぶりね、お元気かしら?」
色気があるわけでもないのに、舞香はウインク一つして色目使いで挨拶をした。登校して早々拳悟にだけ関心を抱くところを見ると、彼女はそれなりの面食いなのかも知れない。
一方、ウインクを投げ付けられた彼はというと、彼女のことなどそっちのけで後ろの席にいる由美とおしゃべりしている。
袖にされてしまってムッとした表情の舞香だが、それよりも気になったのは彼と仲良く談笑している由美の存在だろう。いったい何者?舞香の頭の上に疑問符が浮かんでいる。
「あら、あなたは誰ですの?」
「あっ、初めまして。わたしは夢野由美です。この春に転校してきたんです」
優等生の由美はもちろん無視なんてできない。怪訝そうな顔つきの舞香に対してきちんと起立までして自己紹介をした。
「わたくしがフランスに旅立ってからいらっしゃったのね。わたくしはイジュウインマイカよ。よろしゅう」
舞香は大富豪の娘らしく、初対面の相手でも遠慮したりせずに高慢な態度で接する。礼儀や作法は知っていても、世間一般的な常識と非常識の区別までは意識していないようだ。
女子二人が初顔合わせを済ませた直後、二時限目の授業のチャイムがスピーカーから鳴り響いた。すると、一秒たりとも隙間もないままにヤクザ顔をした数学教師の反之宮が姿を現した。
「おい、てめぇら早く席に着け。言うこと聞かねぇヤツは、この定規でケツを引っぱたくぞっ」
反之宮はT定規で肩をトントンと叩きながら生徒たちを脅していた。職権乱用を振りかざすこの振る舞い、これでは嫌われ教師ランキングの上位に位置するのも無理はない。
暴力だけはご免とばかりにすぐに着席する生徒たち。ところが、たった一人だけ起立したまま教師に背中を向けている女子生徒がいる。
「こらっ! そこの女、とっとと座りやがれ」
その女子生徒こと舞香は澄ました顔で振り返る。彼女にしてみたら暴力教師だろうが正統派教師だろうが関係ない。自分よりも身分の低い相手は誰でも見下しているのだ。
「こ、これは伊集院のお嬢様! お帰りになられたので?」
教師という立場を悪用し、この学校で好きなように乱暴を働く反之宮も伊集院コンツェルンのお嬢様にはかなわない。彼女の正体に気付くや否や、恐縮するかのごとく頭をペコペコと振り下ろすのだった。
「せんせい、頭を上げなさって。今日からこのむさ苦しい教室で勉学に励むことになったのでよろしくですわ」
「それはありがたきことでっ。よろしくお願いします」
すっかり威厳をなくして下僕と成り果てた反之宮。それを眺めながら二年七組の生徒たちは心晴れやかに失笑する。この時ばかりは舞香が来てくれたことに感謝していたようだ。
さて、こうして数学の授業が始まったわけだが、本来ならシーンとする教室内がどうにも落ち着かない。舞香がやってきたおかげでペースが狂ってしまっているのだろう。
彼女も彼女で完全にマイペース。数学の教科書など机に置くこともなく、周囲にいるクラスメイトたち相手に自慢話を始めてしまう。
「さて、皆さんにわたくしのフランスでの生活をお話して差し上げましょう」
島国特有の封鎖的な環境と違って発展文化の著しい異国フランス。自然豊かで水や空気が綺麗な面や、芸術作品とも言うべき料理やデザートのおいしさを余すことなく紹介する舞香であったが……。
「確か、テレビで生放送するんだったよな」
「やっぱりライブで観た方が迫力あるよ~」
舞香の自慢話などまったく興味なし。拳悟と麻未の二人はワイワイとおしゃべりを楽しんでいる。由美はお勉強しながらも、それとなく耳だけは傾けていたが。
ガガガガ~ン――!それはベートーベンの曲で有名な”運命”の出だしだった。舞香は無視されたショックで絶句していた。大富豪のお嬢様のお話を黙殺するなんて信じられないといった顔だ。
きっと勘違いだろう、彼女は気を取り直して自慢話を繰り返す。ところが……。
「野球の日本シリーズおもしろかったなぁ」
「昨日の歌のトップテンの一位ってさ~」
拳悟と麻未の二人は笑いながらおしゃべりを続けている。
「いやぁ、俺さ、悪夢見ちゃってよ」
「そういえば、もうすぐクリスマスだな」
さらに勝と拓郎の二人も苦笑しながらおしゃべりをしている。よく聞いてみると四人が四人、まったく異なる話題でお話をしているのだ。さも白々しく、さもわざとらしく。
もはや言うまでもないが、拳悟と麻未だけではなく勝に拓郎までもが舞香のことなど見向きもせずに無視を決め込んでいたというわけだ。
何という非礼で屈辱的な行為であろうか。これにはさすがにプライドが許さなかったのか、舞香は授業中にも関わらず眉を吊り上げていきり立った。ちなみに、教壇に立つ反之宮は無反応である。
「ちょっと、待ちなさいよっ。あなたたち、このわたくしをバカにしているんですの!?」
「うるせーな。バカのことをバカにしても意味ないだろ?」
遠慮お構いなしに毒づくのは舞香のお隣にいる拳悟だ。何でも思い通りになると思うな、おまえのために地球が回っているわけではない。彼女を煙たがっているクラスメイトを代表して思いつくままに文句を並べてみた。
――といったところで、何不自由なく欲しいものを与えられてきた温室育ちの舞香にはまるで効果なし。彼女は口を尖らせてひたすら不平不満をぶちまけていた。
「わたくしを怒らせたら怖いんですのよ。あなたたちなんていとも簡単に退学に追い込めるんですからね。わかってらっしゃる!?」
矢釜市を牛耳るほどの大富豪の一人娘らしく、この派茶目茶高校をも支配せんばかりに権力を振りかざす舞香。こういうところがクラスメイトから嫌われる最大の要因なのだが。
上から目線で高飛車な態度を崩さない彼女、ますます険悪な空気に包まれるクラスメイトの中で誰よりも苛立ちを隠せないのは麻未だった。
「あんたね~、いい加減にしなさいよ。お金があれば何でも手に入ると思ったら大間違いだよ?」
麻未が世間一般的な常識で注文を付けてみても、世間一般的な常識を知らない大金持ちの舞香には当然ながら通じるわけもなく……。
「あらあら、それってビンボー人のひがみってヤツかしら?」
「調子に乗るんじゃないよっ! シメてやろうか!?」
「まぁ、怖い。女性の欠片もない人ですわね」
怒りと苛立ちが頂点に達して怒鳴り声を上げてしまう麻未。一般人を嘲るような悪口で切り返してこられては、いつも冷静さを保っている彼女でも感情を抑え切れなかったようだ。
そもそも非常識人と言い争っても仕方がない。拳悟は憤怒を静めるよう麻未を宥めるが、彼とて悔しさが表情に出ていないわけではない。それは勝も拓郎も同様なのであった。
「オッホッホ、このクラスのアイドルであるわたくしに逆らわない方が身のためですわよ」
舞香は生意気な口に手を宛がって高笑いしている。そんな勝ち誇っている彼女にツッコミを入れるのは、ニヤリと不敵に微笑んでいる拳悟だ。
「残念ながら、二年七組のアイドルはおまえじゃなーい」
「なんですって?」
このクラスで一番かわいらしくお上品、しかもお金持ち。アイドルの条件をすべて満たしているつもりの舞香は、自分以外の誰がアイドルなのかと顔をキョロキョロと左右に振っていた。
二年七組のアイドルは果たして誰なのか?その答えは拳悟のみならず、勝も拓郎も、ましてや他のクラスメイトたちも当然知っている。そう、舞香の斜め後ろに座っている純情少女のことである。
「我がクラスのアイドルこそ、こちらにいらっしゃる夢野由美さんでーす!」
拳悟が堂々と宣言すると、他の生徒たちも同調するかのごとく拍手をし始めた。あえて言うまでもないが、ここでも数学を教える反之宮は奥歯を噛み締めながら黙認している。
アイドルとして紹介された由美は照れ笑いを浮かべるしかないが、彼女だって年頃の女の子、嬉しくないはずがないということでそれを真っ向から否定しようとはしなかった。
これには舞香一人だけは納得がいかない。ごく普通の身なり、ごく一般的な雰囲気しか感じられない少女がアイドルだなんてあるはずがないと彼女は語気を強めながらそう反論した。
それに対して拳悟もすぐさま反論でお返しする。アイドルの条件は何もお嬢様の気質なんて必要ない、お淑やかでおとなしくて性格がかわいらしいことが重要なのだと。
「そうだそうだ、ケンゴの言う通り!」
「ユミちゃんは派茶高のアイドルといっても過言じゃない」
勝と拓郎の二人もうんうんと頷いて拳悟の意見に同意した。彼らも拳悟と同様に、舞香に対する嫌悪感を吐き出したかっただけなのかも知れないが。
由美とは比べものにならない。月とスッポン、チューリップとドクダミぐらいの差がある。拳悟たちからここまで罵られては、プライドが高い舞香もさすがに冷静ではいられなかった。
お嬢様の誇りを傷付けられて全身をわなわなと震わせている彼女。吊り上がった目から発せられる眼光は、おのずと二年七組の清純派アイドルへと向けられた。
(ユメノユミ……。こんな小娘にわたくしが負けるなんてありえないわ)
舞香は心の中で囁く。自分がいない間にしゃしゃり出てきてアイドルの座を奪った由美への敵愾心、そして闘争心が沸々とその表情に滲み出ていた。
忌々しくて憎たらしい少女に報復を――。舞香はこの時、由美をアイドルの地位から引きずり下ろすあくどい計画を密かに練っていたのだ。
(伊集院コンツェルンのお嬢様を怒らせたらどうなるか思い知らせてあげる)
喜んでいられるのも束の間、せいぜい今のうちに笑ってなさい。大富豪のプライドと意地をかけて権力を惜しまずに復讐を目論む舞香の顔つきは、まさに悪魔の微笑そのものであった。
これほどまでの敵対オーラを醸し出していたら隣の席に座っている拳悟が気付かないわけがない。何やら不穏な予感……。この先に待っている事件を不安視せざるを得ない彼だった。
そんなわけで、二年七組のアイドルの座をかけた争奪戦が狼煙を上げた。とはいっても、それは舞香が一人だけで相撲を取っているようなもので相手にされた由美にしたら真に迷惑なお話なのであった。
* ◇ *
それから数時間ほど過ぎてお昼時間となった。
伊集院舞香の登場によって二年七組の生徒たちはどこか落ち着かなかった。これからどうなってしまうのかと、それぞれの顔には動揺と不安の色が浮かんでいる。
原子力爆弾並みの破壊力を持つキャラクターだけに、このクラスを仕切っているハチャメチャトリオですら手に負えない始末であった。それを物語るように、彼らの表情からも余裕といったものが感じられない。
「いやはや、帰ってくるとは思わなかったな。まさか生きていたとは」
「エッフェル塔から落っこちて、いっそ天国へ旅立ってくれたら良かったのに」
間違いなく冗談と思いたいが、勝と拓郎の二人は物騒なことを呟いていた。授業を受けるだけでも厄介なのに、さらに面倒事が増えてついついそんな台詞が口から漏れてしまうのだろう。
礼儀知らずでわがままし放題、さらに陰湿な一面を持っているお嬢様、そんな舞香の性格を知っている拳悟は勝たちよりも危機感を抱いていた。大事件が起こらなければいいと願うばかりの様相だ。
「ユミちゃん、とにかくアイツには気を付けなよ」
「どうしてですか?」
由美にしてみたら舞香は一緒に勉学に励むクラスメイトの一人だ。できることならお友達になりたいと思っているはず。
それでも拳悟は忠告する。アイドルという点でライバル視されている可能性があり、いつ何時、どんな手段で攻撃されるかわからないと。彼は彼で大切なクラスメイトを守りたい一心なのだ。
困惑めいた表情ながらも一定の理解だけは示した由美。だが、クラスメイト同士でいがみ合うことに抵抗感を抱かずにはいられなかったようだ。
* ◇ *
――拳悟が警戒していた大事件。それは極秘裏に計画が進んでいた。
お昼休みももうすぐ終わりという時刻。由美は教室を離れて女子トイレへと入っていた。それを知るなり影のように忍び寄る一人の女子生徒、そう伊集院舞香である。
女子トイレの死角に隠れている彼女、その手に握られているのは高級サラダオイルの容器。これで何をしようとしているのだろうか?
「オッホッホ、もうすぐユメノがトイレから出てくるはずですわ。ここでこのオイルをたっぷりと廊下に注いで、と」
不敵な微笑みを浮かべる舞香。この悪巧みを彼女に代わって説明しておこう。
廊下に注がれた高級サラダオイルはまさにつるつるのアイスリンクと同じ。それを知らない由美がここに足を乗せた途端、すってんころりんと滑って転んでしまうだろう。
髪の毛も顔も制服も汚したまま転んでしまえば、廊下にたむろしている生徒たちから笑い者にされるのは必須であり、小心者の由美なら恥ずかしさのあまり学校にいられなくなるはず。
そうなれば必然的に二年七組のアイドルは舞香に返り咲く。これこそが、彼女が悪知恵を働かせて考えたあくどいプランだったというわけだ。
「あの子の泣き叫ぶ顔が目に浮かびますわ」
いくらアイドルの地位が欲しいとはいえ、こんな下衆な発想を思いつくところが世間知らずのお嬢様らしいと言えばそれまでだが。
それから数秒後、ついに由美が女子トイレから出てきた。期待と興奮で思わず表情が緩んでしまう舞香。
早く足を乗せなさいと、舞香は高揚しながらそう願わずにはいられない。床がオイルで湿っていることに気付かない由美、このままアイドルの地位から転落してしまうのだろうか――!?
「……あらら?」
どういうわけか舞香は呆気に取られている。それはなぜかというと、すってんころりんとなるはずの由美が平然と廊下を歩いているからだ。
よく確認してみると、由美はオイルまみれの廊下を無意識のまま避けて歩いていた。どうやらオイルの量も少なくて撒き方も偏っていたようだ。
(ちょ、ちょっと待って、避けるなんて計算してませんわ!)
予想外の展開に動揺が隠せない舞香は大慌てでそこから駆け出していく。廊下にたむろしている生徒の群れを掻き分けながら。
「お待ちになって、ユ――」
――由美を追い掛けて呼び掛けた瞬間だった。
それは俗に言う自業自得。舞香は自分で仕掛けた罠にものの見事にはまってしまっていた。つるっと足を滑らせた直後、彼女は自分の体が宙に浮いていることに気付いた。
(これってまさか……?)
『パチャ~ン』
高級サラダオイルの上に尻餅を付いた舞香。高級ブランドの制服をつるつるてかてかにしてポツンと座っている彼女のあられもない姿に、廊下にいるギャラリーたちが一斉に注目した。
しばしの沈黙の後、女子トイレ前の廊下が大爆笑の渦に包まれた。由美の代わりに笑い者にされてしまった舞香はただただ情けなさと悔しさの泣き声を上げるしかなかったのである。
「どーして、わたくしがこうなるんですの~!」




