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第十九話― 恋も勉強も喧嘩も上等! ライバル出現【後編】(3)

 時刻は正午に近づいていた。

 矢釜遊園前駅から矢釜中央駅まで戻ってきた竹史と由美の二人。どこへ行く当てもなく歩き続けて、辿り着いた先はオープンテラスを備え付けた喫茶店だった。

 駅前のアーケードからさほど遠くないせいもあってか、テラスにはいわゆるカップルらしき男女二人組も少なくはない。晴れた日曜日だからという理由もあるのだろう。

 彼ら二人はドリンクを注文し、真っ白いテーブルの前にある真っ白い椅子へと腰掛ける。時間が時間だけに、ここでランチを済ませようという狙いもあったようだ。

「夢野さん、申し訳ない、無理に歩かせてしまって」

「いいえ、それは構いませんけど」

 由美は奥歯に何か詰まったような口調だった。竹史が急に矢釜遊園から出ようと提案したこと、そして表情がどこか冴えなくなってしまったことに疑問を感じていた。

 彼の方から何も語ろうとしないなら、こちらから探ってみるしかない。彼女は控え目ながらも尋ねてみると、彼はドリンクのホットコーヒーで唇を湿らせてから真相を打ち明ける。

「実はさ、あそこにスグルと仲間らしき男がいたんだよ」

「えっ、スグルくんが?」

 どうしてクラスメイトがデート現場に?由美はそれを聞いて動揺を隠し切れなかった。少なくとも今日の予定は誰にも教えていないはずだから。

 その答えに結び付く理由はただ一つ、勝の親友である拳悟が裏側で操作していたからだと竹史は険しい表情でハッキリとそう明言した。

「ケンゴさんがどうしてですか?」

「簡単だよ。アイツは俺と夢野さんが一緒にいるのがおもしろくない、邪魔してやろうと企んだんだ」

 勝を監視役として追尾させて、いざとなったらデートそのものをメチャクチャにしてやろう、これはすべて拳悟が仕組んだ計画の一部だったと竹史はそう結論付けた。

 これには由美も黙ってはいられない、この根拠には無理があると真っ向から反論する。クラスメイトの誰一人もデートのことを知らないはずだし、何よりも拳悟がデートの邪魔をするとは考えられないからだ。

 竹史も竹史で根拠を示そうとした。待ち合わせの公園は派茶目茶高校の学区内でもあり、拳悟の仲間がよく行き来している可能性が高い、だから見つかってもおかしくはないだろうと。

「ケンゴさんはそんな人じゃないです!」

「でもさ、それ以外にアイツらがいた理由が思い付かないんだよ」

「でも確信はないですよね?」

 由美は必死になって食い下がってくる。拳悟への熱い想い、尊敬する気持ちが彼女の真剣な表情から溢れていた。

 竹史はそんな彼女の迫真の勢いにただただ戸惑うしかなかった。後ろに仰け反ってしまい、言い返す台詞さえも吹き飛ばされてしまうほどに。

「ま、まぁ……。それはそうなんだけど」

「でしょ? やっぱり偶然だったんですよ」

 澄み切ったような表情でにっこりと笑った由美。誰よりも信頼している拳悟の濡れ衣を晴らすことができて喜びを感じていたのだろうか。

 昔ながらの同級生を疑心し、友達の縁すら切ってしまう無慈悲な振る舞い、彼女はそれを空しく思いつい本音を口にしてしまう。距離は離れても、信じる心だけは失ってほしくはないと。

 それは目からウロコが落ちる感覚だったのだろう、竹史はゆっくりと俯いて大きな溜め息を漏らして苦笑した。

「……どうやら、アイツにはかなわないみたいだな」

「えっ?」

 偶然の形で出会い、そして運よく再会し、こうして二人きりでデートすることができた。しかし、それはあくまでも友達付き合いであり、それ以上でもそれ以下でもない。

 いくら仲良くなれても、アイツと称された拳悟に遠く及ばない。寂しさと悔しさを抱いていた竹史、そんな彼の脳裏にいつも気に掛けてくれた一人の女子生徒の顔が浮かぶ。

「人から熱心に思われるって本当に羨ましいことなんだな。申し訳ないことをしてしまったようだ」

 些細な口論で喧嘩してしまい、まだ仲直りできていないクラスメイトのことを思い、竹史は深く反省し心の中で詫びるしかなかった。

 誰のことなのかさっぱりわからず、由美は目を丸くして小首を傾げるばかり。彼も一切それについて触れることなく、飲みかけのホットコーヒーをグッと一気に飲み干した。

 正午の優しい日差しが降り注ぐオープンテラス。カップルが楽しい時間を過ごす中、ここにまったく不釣合いな二人組の男子高校生が近づいてきた。

 学生服ではなく普段着姿だが、一人はリーゼント頭で鼻ひげを生やしており、もう一人はパンチパーマの髪型で眉を剃っている。それらの要素が揺るぎなく不良といった感じだ。

 彼ら二人は見覚えのあるカップルを発見し不気味な微笑を浮かべる。いい暇潰しができたとばかりに、そのカップルである竹史と由美の傍へと近寄っていった。

「ようよう、お二人さん、見せ付けてくれるじゃねーか」

「あの時の二人にまた会えるなんて嬉しいねぇ、へっへっへ」

 まさか、こんな場面で――!竹史の表情が一瞬で青ざめる。由美との出会いのきっかけ、リンチを食らわしたあの不良たちと再会するとは思ってもみなかっただろう。

 彼女もショックを受けているようで、ドリンクの容器を握り締めた両手がブルブルと震えている。ただでさえ、不良の威圧感に免疫がないからそれも当たり前なのだ。

 不穏な空気を察してか、オープンテラスのお客たちも動揺の顔色を浮かべていた。誰もが口をつぐんでしまい、この四人のやり取りの動向を遠巻きに見つめている。

 不良二人組は両手をポケットに突っ込み、あたかも因縁を付けるかのごとく擦り寄ってきた。もちろん、竹史だってここで黙ったままでいるわけにはいかない。

「いったい何の用だ!? おまえらに付きまとわれる筋合いはないぞ」

「おいおい、つれないことを言うなよ。顔見知り同士、仲良くやろうぜ?」

 何気に右手の手のひらを差し出し、目つきを鋭くするパンチパーマの男。それは紛れもなく金銭を要求している素振りだ。

 冗談じゃない!竹史は臆することなく立ち上がり、目つきの悪いパンチパーマの男に鋭い眼差しをぶつける。しかし衆人環視の手前、不要な暴力沙汰に発展させるわけにはいかず奥歯を噛み締めて堪えるしかない。

 不良たちは調子に乗って、竹史の傍にいる由美にターゲットを絞った。かわいい女の子に目がないのは世の男子の共通事項なのである。

「金を出すか、それともその女を寄こすか。さぁ、早く決めろや?」

 ふてぶてしく笑い、理不尽な無理難題を吹っかけてくる不良二人組。断ろうものなら暴力も辞さない、そんな悪意に満ちた雰囲気を醸し出している。

 ここで騒ぎを起こしたら、周囲に迷惑が掛かるばかりか怪我なしでは済まされないはず。竹史はこの窮地を脱するべく由美にこっそりと耳打ちした。

(夢野さん、俺が合図したら思い切り走って逃げるんだ、いいね?)

 由美は強張らせた顔のままコクッと頷いた。ゆっくりとテーブル椅子から距離を取って、退路となるべく市街地までの道筋を横目で確認する。

 一歩、また一歩と後ろに下がる竹史と由美、そして一歩、また一歩と前に迫ってくる不良二人組。一触即発の事態が繰り広げられる中、先に行動に出たのは竹史の大きな一声だった。

「夢野さん、行くぞ!」

 竹史がかかとを蹴り出して猛ダッシュすると、由美もそれを追い掛けるように靴音を鳴らして駆け出した。

「あっ、待ちやがれっ!」

「くそっ、ふざけやがって!」

 ここで会ったが百年目。不良たちは絶対に逃しはしないと息巻いて、オープンテラスの椅子をなぎ倒しながら市街地に向かって走り出していく。

 アーケードの路地まで飛び出した竹史と由美の二人。キョロキョロと行き先を迷っている余裕などない、とにかく追跡から逃れようとして人の往来が多い駅方面へ舵を切った。

 混雑している雑踏の中に紛れるのは、思いのほか歩きにくくスピードダウンして裏目に出てしまうかに見えた。それでも、追っ手を巻くには好都合なのは間違いない。

「夢野さん、がんばるんだ!」

 不良の魔の手から逃れられたとしても自分たちがはぐれたら何の意味もない。成り行きとはいえ、竹史は強引にも由美の手を強く握り締めた。

 それから数分後、歩行者の群れをどうにか潜り抜けることができた竹史。安堵の吐息をつき、すぐ後ろにいるはずの由美の方へ振り返ってみると――?

「はぁ!?」

 何と、そこに立っていたのは由美とは似ても似つかない一人の女性。しかも目が離れたニキビだらけの顔の持ち主で、言ってしまっては大変失礼に当たるがブサイク系女子であった。

 どうやら、竹史が無我夢中になって握り締めたのは由美ではなくこのブサイク系女子の手だったようだ。

「もう~、こんな街中で大胆なんだから~。でもあんたいい男ね、ウフフ、付き合ってあげてもいいわよ~」

「いやいや、人違いだ。君にはもっと理想的な男性がいるはずだからさ、俺のことは忘れてくれ!」

 見ず知らずの女性に構っている場合ではない。竹史は大慌てで人ごみの中から由美の姿を目で追った。

(――――!)

 耳の鼓膜を刺激してくる少女の叫び声――。それが由美の声だと認識できた途端、竹史の表情から一瞬で血の気が引いていく。それはまさに最悪の展開と言っても過言ではなかった。

「はっはっは、色男! おまえの彼女は俺たちがいただいたぜっ!」

 守らなくてはいけないはずの由美は、すでに不良たちの手の中だった。

 彼女の悲鳴のような大声が白昼の喧騒の中にかき消される。しかし、竹史の耳にはそれがしっかりと届いていた。

「てめぇら! 夢野さんを汚れた手で触るんじゃねー!」

「今条さ~ん!」

 由美は涙交じりで救いを求めるも、力強い不良の拘束力から逃れる術などなく、竹史の手の届く位置からどんどん離れていってしまう。

 たとえ自分が犠牲になっても彼女だけは救わなければいけない。竹史は汗まみれになりながらも、壁のような人の波を掻き分けて必死になって追い掛けていった。

 そういう緊迫した状況の中、不良二人組はニヤニヤと不敵な笑みを浮かべていた。由美という生贄をどう料理しようかと卑しくもあくどい考えは底を尽きない。

『――ドン!』

 その時、街中を歩いている一般市民と肩がぶつかった目つきの悪い不良のうちの一人。あえて言うまでもないが、これ見よがしにその人物に因縁を付けるわけだが。

「おい、てめぇ、どこ見て歩いてやがるんだ、アホ!」

 不良の野太い怒号が雑踏に響いたかと思った瞬間、それを掻き消すかのような打撃音が轟いた――!

『バキャッ!』

「ぐえぇっ!?」

 いきなり振り抜かれた鉄拳をまともに食らって、目つきの悪い男は人ごみの路地の方へと吹き飛ばされてしまった。

「ふざけんな。おめぇが俺の進路を妨害したんだろうが」

 一瞬何が起きたのかわからず、不良のもう一人、リーゼント頭のオッサン顔をした男は唖然としたまま硬直した。

 ――そして、拘束されていた由美の顔が安堵の表情へと変わっていく。

「ケンゴさん!」

 由美の歓喜の声が教えてくれたようにカッコよく登場した正義のヒーローこそ、彼女がもっとも信頼を寄せている男性、誇れるクラスメイトの勇希拳悟であった。

 これは偶然だったのか、それとも竹史の思惑通り本当に尾行していたのだろうか。その真相は定かではないが、彼女を救うためにやってきたことは間違いないだろう。

「夢野さん、だ、大丈夫か!?」

 息せき切って駆け付けてきた竹史。ようやく由美の近くまで追い付いたのはいいが、かつての親友がそこにいることに戸惑いと動揺を隠し切れない。

「ケンゴ……。おまえ、どうしてここに?」

 竹史の顔を見るなり、拳悟は眉を吊り上げて怒りを露にした。普段なかなか見せることのない鬼のような風貌に、由美も表情が強張りドキッと鼓動が激しくなった。

 ――ここでショッキングな出来事が起こった。

 拳悟が振り抜いた本日二度目の拳が竹史の頬を直撃した。かなりの衝撃の強さだったのだろう、竹史はよろけたまま地面に尻餅を付いてしまった。

 どうして!?拳悟の背中に疑問の視線と言葉をぶつける由美。しかし彼は振り返りもせず、竹史の呆然とした顔をじっと睨み付けていた。

「おまえは情けない野郎だな。女の子を守ってやれないほど意気地なしになっちまったのか?」

 中学校時代、喧嘩が強くて弱音を吐かない根性の持ち主で何よりもたくましい男だった。それを忘れようとしている親友に向かって、拳悟は感情のままに本音をぶちまけた。

 竹史が誓った生きるべき姿――。勉強をして大学へ進学し真っ当な道へ進むこと、無論それは間違ってはいない。とても立派な考えであるし、誰もがそうあるべきだと思うだろう。

 だからといって、どんな境遇においても逃げてばかりでは本物の男とは呼べない。いくら自らの拳を封印したとはいえ、時には勇気を持って戦うことも大切ではないか。

 拳悟はキッパリと言う。喧嘩や暴力がすべて不良の所業ではない、大切な人を守るためにこそ必要なものなのだと。

「どうしたタケシ? 一人で立ち上がれないほど意気地なしになったのか?」

 逃げてばかりの臆病者と呼ばれても、竹史は奥歯を噛み締めて悔しそうに全身を震わせるしかなかった。何も言い返せない歯がゆさが彼の心を縛り付けていた何かを刺激している。

 大切な人を守るために、やるべき時はやる、たとえ誓いを破ることになったとしても――。

 己の意地やプライドばかりに囚われていたら、本当に想ってくれる人の心すらも気付けない人間になってしまう。そうなってはなるまい、それならばやるしかない。後悔しないためにも、彼は意を決したように立ち上がった。

「俺はどうやら、真面目に生きるという長い夢の中にいたのかも知れない。悪夢とは思わないけど、いい夢でもなかったんだろうな」

 夢から目を覚ましてくれてありがとう。声にこそしなかったものの、竹史は拳悟に心から感謝の気持ちを伝えていた。

「ケンゴ。おまえのパンチ、久しぶりにもらったけど鈍ってねーな」

「そうか? これでも昔のよしみで加減してやったんだぜ?」

「へっ、言ってくれるじゃん」

 竹史と拳悟はクスリと微笑し合った。真剣な眼差しで見つめ合う彼らの表情は、不良のような無気力さではなくたくましさと勇ましさで溢れていた。

 由美はそれを見ていて中学校時代に築かれた男同士の熱き友情を知った。このナイト二人なら、不良との戦いに負けたりせず自分のことを守ってくれると確信した。

 さて、戦うべき相手となる不良の方であるが、拳悟に吹っ飛ばされた目つきの悪い男はすっかりおかんむり、頬だけではなく顔全体を真っ赤にして怒り心頭である。

「あの野郎~! ぶっ殺してやるぞぉぉ~!」

 由美を連れて帰るのは後回し、まずは仕返しが優先とばかりに、不良たちは一般市民の蔑む目など気にも留めず拳悟と竹史のもとへと進軍していった。

 それに怯むことなく迎え撃とうとする拳悟。ところが、彼よりも一歩前に足を踏み出して迎撃体勢を敷いたのは竹史の方だった。

「ケンゴ。夢野さんは俺が助ける。手出しは無用だ」

「オッケー」

 不良相手に勇猛果敢に立ち向かっていく竹史。迷いも躊躇いも断ち切った表情は自信と余裕に満ち溢れていた。大切な人を守るため、ただそれだけのために優等生のお面を捨てて鬼となる。

「おい、夢野さんを汚い手で触るんじゃねーよ」

「何だと? てめぇ、またこの前みたいに袋叩きにされてーのか?」

「おめぇに用はねーからそこをどきな。俺を殴った後ろの野郎に用があるんだよ」

 邪魔するならどんなヤツでも容赦はしない。目つきの悪い男は指をポキポキ鳴らしながら凄んでくる。

 オッサン顔の男もふてぶてしく笑っていた。お利口さんはお利口さんらしく、おとなしくお家に帰ってお人形さんと遊んでろと嘲笑しながら。

 いくら罵詈雑言を吐かれても、竹史は顔色一つ変えずに冷め切った表情のままだ。その冷静でかつドライな様相が、これまで隠し通してきた闘争心そのものを表しているようだ。

「オッサンのくせして調子乗ってんじゃねーよ。てめぇらの方こそ、とっとと家に帰って飴玉でもしゃぶってやがれ」

 カチン!と来たのか、こめかみに血管が浮き出てきたオッサン顔の男。”オッサン”というキーワードは彼にとってタブーなのである。

「俺が一番気にしていることを言いやがって! この野郎、ぶっ飛ばしてやらぁぁっ!」

 オッサン顔の男は脇目も振らずに駆け出した。由美が目を覆って悲鳴を上げる中、竹史に焦点を合わせて怒りの握り拳を振り下ろした。

『ドカッ』

 不良の一撃が竹史の顔面にヒットした。だが――。

 頬の辺りが赤く染まり、口の中で血が混じったような不快な味がしたものの、竹史は仰け反ることもなく倒れることもなく踏ん張ったままだ。

 おまえのパンチはこの程度か?と、竹史はニヤリと余裕の笑みを浮かべる。想定外のことに面を食らったオッサン顔の男、それに気付いた時には竹史が繰り出すボディーブローを食らった後だった。

「ぐふっ! ぐえぇぇ……」

 切れのあるボディーブローにより、オッサン顔の男は苦痛の声を上げてひざから崩れ落ちていく。たった一発のパンチで大の男をねじ伏せてしまう竹史の喧嘩テクニックは半端ではない。

 残された不良のもう一人、目つきの悪い男もじっとしている場合ではない。顔全体を憤怒の色に染め上げて猛ダッシュを開始した。

「やりやがったな、この野郎~!」

 不良の軟弱な攻撃など、喧嘩の勘を取り戻した竹史の敵ではなかった。目つきの悪い男のパンチをあっさりとかわし、カウンター気味に強烈なストレートをお見舞いしてやった。

 街を行き交う人が興味本位で見つめている中、地べたに座り込んでガタガタと震えている不良二人組。青ざめた表情からしてすっかり戦意を喪失しているようだ。

「おい、どうした? かかってこいよ」

「お、俺たちが悪かった! もう勘弁してくれっ」

 何とも無様な姿であった。あっさりと負けを認めた不良たちは牙を抜かれた獣ではないが、遠吠えを上げながらこそこそと雑踏の中に紛れていった。

 囚われの身だった由美を無事に助け出すことに成功し、竹史は鬼の角を隠して元通りの優等生の表情に戻っていった。

 彼女もホッと胸を撫で下ろして柔和な笑みを零した。拳悟と竹史という頼りになるナイト二人に守ってもらえてこれほど心強いことはないだろう。

「今条さん、どうもありがとうございました」

「君とも約束したけど、俺は誓いを破ってしまった……。申し訳ない」

 いくら由美を救うためとはいえ、人に暴力を振るわないという誓いを破る結果となってしまった。根が真面目なのだろう、竹史は意思の弱さや精神力の未熟さを悲嘆し謝罪の弁を口にする。

 拳悟からけしかけられたことは否めないし、勇気ある男として立ち上がらなければいけない時もある。それは彼女にも理解できるし励ましてあげたい気持ちもあった。何よりも、助けてもらった恩義もあるのだから。

「今条さんは夢を見ていたんですよね?」

「えっ?」

 由美からの問い掛けに、竹史は目を丸くして呆気に取られてしまった。

 彼は進学校に通う優等生として長い夢を見ていた。荒れくれ者だった中学校時代の過去を払拭したくて、がむしゃらに勉学に打ち込む高校生活を送っていた。

 長い夢の中で頑なに堅守していた誓い、しかし彼は今、夢から目を覚ました現実に立っている。つまり、現実の世界では誓いなんてそもそもなかったのではないか?

「そう考えてみたら、誓いを破ったことにはならないと思いますよ」

「……なるほど。君は本当に優しいな」

 由美の温かい心遣いと慰めの言葉に胸が熱くなる竹史。クスッと微笑しつつも、潤んだ瞳だけはごまかすことができなかった。

 ここで何やら耳打ちを始めた竹史と由美の二人。数秒間の密談を終えると、竹史一人だけが拳悟の傍へと歩み寄ってくる。

「ケンゴ、俺はまた夢の中に戻ることにするよ。後は任せたからな」

「はぁ、後は任せたってどういうことさ?」

「午後からのお相手はおまえってこと。夢野さんも了承してくれたよ」

 現実からまた夢の中へ――。それでも、久しぶりに中学校時代に戻れた竹史は澄み切った顔をしていた。

 彼はこの時、夢野由美という少女と決別することを心に決めた。彼女の心の中に自分がいたとしても、それはきっと友人の一人としてであり最愛の人ではないから。

 彼女にとって最愛の人であろうかつてのライバルにエールを送る彼。これからも男らしさを磨いて、彼女のことをしっかり守ってやれと檄を飛ばした。

「もし、彼女を泣かせることがあったら許さないぞ。また夢の中から出てきて、たっぷりお灸を据えてやるからな」

「お~怖い怖い。わかってるよ。もうおまえの目を覚まさせることはない、だから安心して眠ってくれ」

 拳悟と竹史の友情は決して元に戻ることはない。だが、それぞれがそれぞれの目指す人間に成長することができた暁には、またこうして冗談や本音で語り合える日がきっと来るはずだ。

 ちょっぴり名残惜しさを残しつつ、竹史は手をぶらぶらと振って住宅街の方角へと消えていった。

 それを晴れやかな表情で見送った拳悟。そして、彼の横にやってきた由美も手を大きく振って友人との別れを惜しんだ。

「でも驚いたよ。ユミちゃんがまさかデートしてるなんてな」

「わたしも正直びっくりしてます。今条さんから誘われた時、不思議と嫌に感じなかったんです」

 交際経験のない由美にとって竹史という男性がどんな存在だったのか、その答えは今も見つかってはいない。ただ、一緒にいると胸がドキドキするという感覚だけはしっかりと残っていたようだ。

 彼女はここで恥らいつつ告白する。こういう胸が熱くなる感覚、恋というものを教えてくれたのは竹史で二人目だったことを。

「えっ、それじゃあ一人目って誰なんだい?」

「フフフ、それは内緒ですよ」

 二年七組のクラスメイト?それとも転校前の高校の生徒?はたまた学校とは関係ない見ず知らずの男性?拳悟が根掘り葉掘り質問攻めを仕掛けるも、彼女は微笑という回答ではぐらかした。

 それにしても、この男はどこまで鈍感なのか……。普通は気付くだろうと読者からそんな声が聞こえてきそうだ。


* ◇ *

 それから一時間ほど経過した。ここは住宅街の一角にある小さな公園、そうこのお話ではすっかりお馴染みの公園だ。

 竹史は当てもなくここまでやってきた。そして、今日のデートの待ち合わせの時と同様に一人きりでベンチにドカッと腰を下ろす。

 頭の後ろで腕を組んでフーッと大きな溜め息を零した彼、秋の空を見上げるその表情には喪失感のようなものが映っていた。楽しいデートを途中で離脱したのだからそれも仕方がないだろう。

 幸か不幸か、砂場には賑やかな子供の姿はなく公園内は閑散としている。風に乗って枯葉同士が擦れる音ばかりが耳に届く程度だった。

「タケちゃん?」

 風の音に混じって聞き覚えのある声が耳に届いた。呼び方からして、それがクラスメイトの恭子であることはすぐに判明した。

「差山くん……」

「隣に座ってもいいかな?」

 竹史の了解を得てからベンチの上にちょこんとお尻を乗せた恭子。今日は日曜日ということもあり、制服ではなく赤茶色の暖かそうなトレーナーに袖を通していた。

「でも、どうしてここにいるの? 今日ってあの夢野って子とデートだったんでしょ?」

「そうだよ。でも、途中で止めたんだ。彼女には俺以外に意中の人がいるみたいだからね」

 断りの言葉こそなかったが、これも失恋の一つなのだろう。竹史が振られることの寂しさを語り出すと恭子は呆れたような顔で口を尖らせる。

「ようやくわかったの? わたしなんて何回経験してると思ってるわけ?」

 恋破れる者の痛みを知った男子に、恭子はスパイスの効いた辛口攻撃を連発する。さすがの竹史もこれには滅入ってしまったようで申し訳なさそうに頭を垂らすしかない。

 この二人、いつものペースで会話しているがまだ仲直りしていない間柄だったはず。しかし息が合っているのか仲がいいのか、いつの間にか違和感なく接してしまっている。

 女の子のハートを大切にして。恭子は言いたいことを言ってすっきりしたのか、吊り上げていた眉を下ろしてようやく優しい笑みを浮かべた。

「反省しているみたいだから許してあげる。よし、今日一日はわたしが慰めてあげるから感謝してよね」

 恭子はあくまでもマイペース。たとえ想いが伝わらなくてもいい、煙たがられても構わない、砕けるまでアタックし続ける。そんなひたむきな想いが、わずかながらも若者のハートを揺れ動かした。

「今日、一日だけなのかな?」

「えっ?」

 恭子は目を大きく見開いて驚愕した。いつもの竹史の性格からして、一日は長いから一時間で勘弁してくれと言いそうなものだから。

 口うるさくて迷惑に思うこともあった。それでも、いつも気に掛けてくれて心配もしてくれた。誰よりも自分のことを追い掛けて想いを寄せてくれた彼女に、竹史は勇気を振り絞って思いの丈を言葉に乗せる。

「俺は不器用なんだろうね。こういう時にさ、ハッキリ言えないんだよ。君に対する心境の変化というか」

 照れくささもあるのだろう、なかなか素直になれない竹史。だか一つだけハッキリと言えることがある。それは、これからもずっと傍にいてほしいというお願いだった。

「タケちゃん、ありがとう」

 嬉しさと驚きで体中が火照り、自然と目元から涙が零れた。恭子に断る理由などない、これからもずっと隣にいることを素直なままに約束した。

 ただいまの季節、落ち葉がゆらゆらと風で揺れるどこか寂しい秋。だが、ベンチで寄り添い合う若い二人は暖かい春のような息吹に包まれていた。

 枯れゆく葉っぱもハートの形を作って、彼ら二人の明るい未来を祝福してくれるかのようだ。

「秋本番だな~」

「だって、もう十一月だもん」

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