第十九話― 恋も勉強も喧嘩も上等! ライバル出現【後編】(2)
一方その頃、矢釜中央駅の近所にあるゲームセンターでは派茶目茶高校二年七組の生徒たちがなけなしのお小遣いで放課後を楽しんでいた。
その集団の中心人物であるクラス委員長の勝。拓郎や勘造といった馴染みのメンバーと一緒になってパズルゲーム相手に悪戦苦闘していた。
「ぐぉぉぉ! クソゲームのくせに舐めやがって~!」
「やかましいな。そのクソゲーム相手に一時間以上も熱中してんじゃねーよ」
勝は空っぽの財布をフリフリと振っている。ゲームセンターに来てからというもの、パズルゲームの前に座り込んでお金を注ぎ込んだ彼はすっかりオケラ状態であった。
それを呆れた様子で眺めていた拓郎は、救いようのない親友に慰めの言葉すら見つからない。傍にいる勘造も志奈竹も文句を言えない立場だけにただ苦笑するしかなかった。
自分の能力不足が原因のくせにゲーム筐体のせいにする勝。鼻息を荒くして悪態付いている彼に、度胸が据わっているのか一人の男性が声を掛けてきた。
「スグル、相変わらずじゃないか」
その無謀な人物こそ、勝の昔ながらの旧友である豪快高校に通う竹史だ。一度帰宅しているのか、彼は学生服ではなくカジュアルな格好だった。
拳悟と同様に、勝にとっても竹史との再会は中学生以来、懐かしさのあまり勝の声には驚きと戸惑いが混じっていた。
「おいおい、タケシじゃねーか。どうしたんだ、いきなり!?」
「いや、ちょっと店の前を通ったら、聞き覚えのある声が聞こえたんでな。まさかと思ったけど、おまえだったんだな」
中学生時代の頃のようにグータッチして友情を確かめ合おうとする勝だったが、竹史は片手を振ってそれに応じようはしなかった。あくまでも距離を置こうとするスタンスの表れだろうか。
勝のことなど目も暮れず、竹史はキョロキョロとゲームセンターの隅々に目を向けている。誰かを探しているかのような素振りだった。
「なぁ、ケンゴはここにはいないのか?」
「ケンゴだと? さあな、アイツ、ここのところ単独で行動してるから俺にもさっぱりわからねーな」
何か用があったのか尋ねられても、竹史はたいした用事ではないと素っ気なく返答した。由美のことも関係しているのだろう、拳悟の普段の行動範囲が気になっているのかも知れない。
ここへゲームをプレイしに来たわけでもなく、昔ながらの旧友と語らうために来たわけでもない。竹史は挨拶もそこそこにして早々とこの場から立ち去ってしまった。
勝はさておき、竹史とは初対面であった拓郎たちは、ちょっと鼻に掛けた彼の生意気な振る舞いにどことなく嫌悪感を抱いていた。
「ほう、アイツが例の今条竹史か。ずいぶんドライな感じだな」
「いや、中学時代はあんなじゃなかったんだ。やっぱり進学校へ行くと人間変わってしまうもんなんかな」
拳悟と同じで男の友情を重んじる勝にとっても、友達のことを蔑視する竹史の冷たい態度は当然納得できるものではなかった。
二年半という短いようで長いブランク、そして学歴の壁がそうさせたのだろうか?少なくもと勝は、寂しさというよりも憤りといった感情を抱かずにはいられなかった。
* ◇ *
時を同じくして、拳悟と恭子の二人は引き続き下校デートを楽しんでいた。
矢釜中央駅周辺の商店街、ブティックのショウウインドウ越しにおしゃれアイテムを覗いたり、雑貨店に入って愛らしい小物を見ては喜んだりと放課後に真っ直ぐ帰る彼女にとっては何もかもが新鮮だった。
ゲームセンターのクレーンゲーム機で悪戦苦闘し、アニメのキャラクターグッズを入手した彼女、それをカバンにぶら下げてすっかりご満悦である。
彼女が明るさを取り戻してくれて、ここまでリードしてきた拳悟もご満悦の様子だ。女の子を飽きさせないデートプランがモットーだけに彼の表情からも達成感のようなものが溢れていた。
「今日は本当にありがとう。おかげさまで何もかもが吹っ切れたな~」
「いい放課後だっただろ? この俺に感謝しろよな」
「あはは、よく言うな~!」
恭子はすっかりお姫様気分だった。ナイト役の拳悟と一緒に過ごせてこの上ない高揚を実感することができた。そして、竹史とはまた違う異性としての想いも。
日も暮れ始めて、楽しかったデートもそろそろおしまい。彼女はちょっぴり名残惜しいのか寂しさを顔色に浮かべた。しかし、いつまでもプリンセスのままではいられない。
そこで拳悟が一案思いつき、おもしろいものを見せてやるから最後にもう一箇所だけ付き合ってくれるか尋ねてきた。
「うん、見たい。そこってそんなに遠くない?」
「ああ、矢釜川の川原だから往復十五分ちょっとだな」
恭子の興味津々の一発返事により、二人はそのおもしろいものがあるという矢釜川の川原へと足を運んだ。
矢釜市を代表する河川である矢釜川は、市の北東から南西に蛇行しながら矢釜海岸まで注いでる貴重な水源だ。時刻が時刻なだけに、沈みかけの夕陽が映えて川面がキラキラと輝いている。
川原の土手から見下ろしてみると、河川敷の草むらの一角、工事現場らしき箇所に一つのプレハブがあった。拳悟曰く、目的地はそこなのだという。
プレハブなんかに何があるんだろう?恭子がコクリと首を捻るのも無理はない。実際に扉を開けて中に入ってみると、殺風景を絵に描いたような埃っぽい空間だけがそこにあるからだ。
『カチャッ』
金属が擦れる小さな音、拳悟はプレハブの扉を内側から施錠した。
それに気付かない恭子は、狭苦しい真四角な室内をキョロキョロと見渡している。
備え付けの棚に無造作にしまってある薄汚れた作業着とタオル、床の上に転がっている黄色いヘルメット、そのすべてが、ここが工事現場であること示しているが肝心のおもしろいものがまったく見当たらない。
「ケンゴくん、どこにおもしろいものがあるの?」
恭子が振り返ってみると、そこには上着のジャケットを脱ぎ捨てた拳悟の真剣な表情があった。身の危険を感じさせるほどスリリングでシリアスな表情が……。
「あれ、ど、どうしたの……?」
――密室のプレハブの中に男と女が二人きり。河川敷の周りには誰もいない。
これが何を意味しているのかわかるだろう?拳悟は独り言のようにそう問い掛けると、襟に巻いたネクタイを解きながらコツコツと足音を鳴らして恭子の傍へと歩み寄っていく。
「ちょ、ちょっと待って! えっ、冗談だよね? 本気じゃないよね?」
「竹史に振られて寂しかったんだろ? 俺がみんな忘れさせてやるよ」
拳悟の両手が恭子の両腕に掴み掛かる――!
これまでに受けたことがない衝撃、あまりの力強さのせいでそれを振り解くことができなかった彼女は勢いのままに床の上に押し倒されてしまう。
――拳悟に馬乗りにされてしまった恭子。ガクガクと小動物のように震えて、ジッとしたまま抵抗しようとはしない。
鼓動が激しく脈打つ。
閉じた瞳から悔し涙が薄っすら零れる。
奥歯をグッと噛み締める彼女、竹史への想いを断ち切り、拳悟にすべてを捧げる覚悟を決めたかのように……。
「…………」
――それから数秒間、緊迫感という沈黙がプレハブ内を流れていった。
無理やり押し倒したにも関わらず、なぜか拳悟は恭子の恥ずかしい部分に手を触れようとはしなかった。それどころか、呆れた顔を浮かべながら彼女の体を抱え起こした。
期待していたわけではない、とはいえ、何もされないまま抱き起こされてしまって呆然としている彼女。ただただ動揺の眼差しを彼に向けるしかなかった。
「どうして抵抗しない? 君はこのまま犯されても平気なのか?」
「い、いやだよ、そんなの……」
意思とは裏腹に手篭めにされるなんて、豪快高校に通う優等生まっしぐらの恭子にとってあってはならない非常事態のはずだ。彼女は悲しみが込み上げてついに泣き崩れてしまう。
もう泣く必要はないと拳悟から慰められても、精神的ショックがかなり大きかったのだろう彼女はなかなか涙を止めることができなかった。
まともな恋愛経験がなく、こういうことに免疫のない少女にはちょっと強引な行為だったと自省する拳悟。しかし、彼には彼なりの考えがあっての行動だったのだ。
「俺が言うのも何だけどさ。もしアイツのことを本気で好きなら、当たって砕けるぐらいぶつかってみろよ」
諦めてもいいことなんてない、ぶつかって、ぶつかって、その挙句に砕け散ってバラバラになった時は俺が拾ってやる。拳悟はジョークを交えながらそんな励ましのメッセージを送った。
恭子は座り込んだまま唖然としていた。というよりも、予想もしなかった応援をもらってしまいどう反応してよいかわからない状況だったのだろう。
脱ぎ捨てたネクタイを首元に結び、埃を払ったショート丈のジャケットを羽織った拳悟は、最後までカッコよく、最後まで男らしさを背中に映しながらここから立ち去ろうとする。
「俺が言いたいのはそれだけだ。あとは君自身がどうするかの問題だし、せいぜいがんばりなよ」
「あっ、待って、ケンゴくん!」
拳悟が後ろ向きのまま顔だけ横に動かすと、恭子はゆっくり立ち上がって姿勢正しくお辞儀をした。
吐き出せなかった焦燥感、一人きりで解決できなかった孤独感、それらをすべて吹き飛ばしてくれた一日限りのナイトに、彼女は泣き腫らした顔のまま明るく笑って感謝の言葉を告げた。
「わたし、諦めないでがんばってみる。ケンゴくんが言ってくれたように当たって砕けてみるね。本当にいろいろとありがとう」
礼には及ばないと、拳悟は口元を緩めて気障っぽく笑った。恭子を少しでも勇気付けることができて、男として誇らしさを感じていたに違いない。
彼女を一人残してプレハブから去っていく彼。黄昏色に染まった矢釜川沿いをズボンのポケットに手を突っ込んで颯爽と歩いていく。
女性への心遣いを忘れない紳士のような立ち振る舞い、彼の素晴らしい一面が垣間見れたワンシーンだが、去っていく途中、ピタリと足を止めて苦笑しながらプレハブの方へ振り返った彼の心情を覗いてみると――?
(うーん……。やっぱ、キスぐらいはしておけば良かったかな)
* ◇ *
翌日の日曜日。お天気は清々しいほどの快晴、まさに絶好のお出掛け日和だ。
朝八時過ぎ、由美はアパートの部屋にある姿見の前に立って身だしなみを整えていた。今日は彼女にとって記念すべき初デートの日、いつになく気分が高ぶっている。
襟元にブラウン色のスカーフを巻き、上着にはノースリーブのベストを羽織っている。ちなみにこのベスト、クラスメイトの麻未のコーディネートにより購入したものだ。
チェック柄のスカートの色使いも秋らしさを強調し、いつになくめかし込んでいる彼女、それを見つけるなり、姉の理恵は不思議そうに寝起きの顔を横に傾げていた。
「ユミ、あなたどこへ行くの? そんなにおしゃれしちゃって」
「お姉ちゃん、おはよう。これからお友達と遊びに行くの」
お友達……?理恵はその言葉に懐疑的な眼差しを向ける。自らの身に降りかかったある事件をきっかけに、彼女は妹の交友関係に関してうるさくなっていたのだ。
男性が絡んでいるのでは?まさか、あの不良たちと遊ぶつもりなのではないか?理恵の口からわかり切った質問が飛んでも、由美は苦笑いしながらそれをはぐらかすしかない。
とにかく理恵の不良嫌いは尋常ではない。由美もそれを知っているだけに、拳悟たちの話題はここでは一切タブー、つまりご法度というわけである。
「あっ、そろそろ時間だ。じゃあ、出掛けてくるねっ」
「え、ええ……。気を付けていってらっしゃい」
室内を靴下履きの足でパタパタと駆けていくと、由美はお気に入りのスニーカーを履いて玄関の扉を開けた。そして、優しい日差しが降り注ぐ青空の下へと出掛けていくのだった。
* ◇ *
午前九時を過ぎた頃、ここは住宅街の一角にある小さな公園。
好天の日曜日ということもあり、幼稚園児ぐらいの子供の元気ある笑い声が砂場の辺りから響いてくる。
さわやかな秋風で枯葉がひらひら舞い落ちる公園のベンチ、そこに腰を下ろして、左腕の手首に巻いた時計をちらちらとチェックする一人の若者。
その若者こと竹史は、この公園で由美とのデートの待ち合わせをしていた。ちなみに待ち合わせ時刻は午前九時三十分、どうやら早く着き過ぎてしまったようだ。
「まあ、いいや。待っているうちに仮眠でもしておくか」
竹史にとって今日は待ちに待ったハレの日曜日、当然ながら興奮していないはずがない。案の定、彼は昨晩なかなか眠りに付けず若干寝不足気味だったのである。
少しでも睡眠不足を解消しておこうと、ベンチに深く腰掛けて眠りに付こうとした彼だったが、それを邪魔してくる女の子の呼び声が鳴り響いた。
聞き覚えのある声に驚いてガバッと起き上がる彼。見つめる視界の先にいる人物こそ、待ち焦がれていたデートの相手、秋色にドレスアップした由美であった。
「今条さん、おはようございます」
「夢野さん、おはよう!」
知り合って間もない者同士でしかも初めてのデートということもあり、この二人の緊張感はそれはもう半端ではない。目を合わせることも躊躇ってしまい、ぎこちない笑顔で受け答えするしかなかった。
次に繋げる言葉を探り合う二人、当たり障りのない話題といったらやっぱりこれぐらいしかないのかも知れない。お互い、約束の時間よりも早く到着してしまったことだ。
「もう来てたんですね。もしかして待たせてしまいました?」
「ははは、ちょっと早起きしちゃってね。そういう君だってずいぶん早いじゃないか」
竹史は程よくゆとりが出てきたせいか、おめかししてくれた由美のファッションに目を奪われていた。特に彼の目を引いたのは、スタイリッシュにシェイプされているベストであった。
一番最初に出会った時、姉から借りたベストを着ていた由美。それを褒められたことを覚えていた彼女は、今日という一大イベントのためにこのベストを着こなしてきたのである。
「とっても似合ってるよ」
「ありがとうございます……」
まるで恋人が語らう歯が浮くようなやり取りが続く。ところが、そんな微笑ましい二人がいる公園に一人の男子高校生が通り掛かった。
休日前の夜更かしのせいなのだろう、その男子高校生は涙を浮かべて大きなあくびをしながらだらしなく歩いていた。
「スグルさんのゲーム癖には困ったもんだ。こんな朝っぱらから呼び出されるなんていい迷惑だよ」
いきなりの電話でゲームセンターへ呼び出されたのは、寝起きのおかげでモヒカンの髪の毛をセット仕切れていない、勝の部下というか腰巾着とも言うべき勘造だった。
眠たさもさることながら、ほぼ強引に誘われたことに腹立たしさを感じているものの、勝のことを尊敬しており慕っているためか指示通りに体が動いてしまう悲しい性分なのである。
「あれ?」
勘造の寝ぼけ眼に映ったもの、それは公園のベンチの傍で寄り添いあって笑っている男女二人の姿。しかも、女子の方がクラスメイトの由美であることにすぐに気付いた。
遠目からでは男子の方の正体がわからない。彼は公園の敷地へ入るなり、生い茂った生垣の裏側へと身を潜める。
屈んだままゆっくりと二人のもとへ歩み寄り、生垣のわずかな隙間から目を凝らしてみると……。
(あっ、アイツはたしか! ケンゴさんのライバルだった……)
昨日見掛けていただけに、竹史の顔をハッキリと覚えていた勘造。なぜ接点がないはずの由美と一緒にいるのだろう?しかも、これからデートでもするかのような雰囲気がどうにも理解できない。
「それで、今日はどこへ行くんですか?」
「実はさ、矢釜遊園の入場チケットがあるんだ。そこへ行こうと思うんだけどどうかな?」
「遊園地ですか? いいですよ。わたし、小さい頃に行ったきりだから楽しみです」
待ち合わせ時刻よりも早い出発だが、由美と竹史の二人は落ち葉のじゅうたんのような園路を歩いていった。生垣の裏側で隠れているモヒカン頭の男子高校生を一人残して。
(間違いない、これはデートだ! スグルさんに知らせなくちゃ!)
想定もしていなかった一大事、禁断のデート現場を目撃した勘造は慌てふためいて公園の中を猛ダッシュで駆け出していった。
* ◇ *
「な、なんだとぉぉぉ!?」
矢釜中央駅の近所にあるゲームセンターに轟く、ゲーム音よりも甲高い勝の悲鳴にも似た叫び声。
客足の少ない開店時間早々の店内には、彼だけではなく勘造と同様に誘われていた拓郎の姿もあった。
「で、ユミちゃんと一緒にいたのが、あの今条竹史だったのか?」
「はい、間違いないッス!」
息を切らせている勘造からの衝撃的な報告。拓郎は冷静でいられても、勝の方はというとゲームなんかそっちのけで怒りが沸々と込み上げて完全に鬼の形相だ。
昔のよしみなんて関係ない、今にも八つ裂きにしてやると言わんばかりで、勝は握り拳を固めてわなわなと全身を身震いさせている。
「あの野郎~、いつの間にユミちゃんと知り合ったんだ!」
ここにいる誰もが、あの純情な由美が男子とデートといった大胆不敵な行動を信じることができない。戸惑いを隠し切れない拓郎と勘造、そして釈然としない苛立ちが勝の表情からも窺い知れる。
とにかく真相を突き止めるべく、勝は勘造を引き連れて店内を飛び出していこうとする。行き先はもちろん、由美と竹史の二人が向かっているはずの矢釜遊園だ。
「おい、スグル、ちょっと待てよ!」
「心配すんな! アイツをとっ捕まえて真実を吐かせるだけだ」
殺気立っている勝を止められる者は誰もいないだろう。それがたとえ、同学年の友人の拓郎であっても。
騒々しい声や物音が消えてゲーム音ばかりが飽和している店内。ここに一人だけ置いてけぼりにされた拓郎は、困惑めいた顔つきでメッシュの髪の毛をポリポリと掻いている。
――その直後、拓郎の背後に忍び寄る男性の影があった。足音も息遣いも殺しており、さすがの彼でもまったく気配に気付かない。
「スグルのヤツ、暴力沙汰で明日の朝刊に載らなきゃいいけど」
「――ん!?」
拓郎はびっくり仰天して後ろへ振り返る。何とそこには、彼のクラスメイトである親友の拳悟が立っているではないか。しかも、由美と竹史のデートのことも承知している素振りだ。
ここ数日、ハチャメチャトリオとして行動することがなかった拳悟。タイミングを見計らったかのように登場してきて、拓郎は何かしら作為的なものを感じたのかちょっぴり口元を緩めた。
「おまえ、いつからいたんだよ?」
「開店からいたよ。おまえらが気付かなかっただけだろ」
薄暗い休憩スペースでコーヒーをすすりながら様子を見ていた。拳悟はいけしゃあしゃあとそう告白しながらクスリと微笑する。
盗み聞きなんて趣味が悪い、しかも見ていたのなら勝を止めてくれと拓郎は苦笑いしながらそう注文を付けた。
「冗談じゃねーよ。こっちまで怪我しちゃうだろ?」
「おまえな……。まぁ、あの勢いならやむを得ないだろうな」
二年七組の猛々しい野獣、あの暴君を抑止できるヤツなんていやしない。それは中学校時代から勝と一緒にやんちゃしてきた拳悟ならではの発言だ。
拳悟は挨拶もそこそこに済ませると、ゲームを楽しむこともなく拓郎の横を通り過ぎる。そして、清々しい秋風が舞う店外へ出ていこうとした。
「おい、ケンゴ。まさかおまえも?」
「いや、俺はこれから別件があるんでな。じゃあな」
手を振りながらゲームセンターを去っていった拳悟。またしても独りぼっちになってしまった拓郎は、それから数分後、寂しさを紛らわそうと駅周辺へナンパ目的に出掛けていくのだった。
* ◇ *
矢釜遊園は矢釜中央駅から電車に揺られること三十分少々、最寄り駅の矢釜遊園前駅から徒歩五分という好立地条件にある遊園地だ。
週末休みや長期休み期間になると、家族連れやカップル客で大いに盛り上がるこのテーマパーク。本日日曜日も天気に恵まれて入場者数はそこそこの人数であった。
午前十時三十分になろうかという時刻、トラブルもなくここまで辿り着いた由美と竹史の二人。遠目に映るジェットコースターや観覧車といった遊具が彼女たちの気持ちを高揚させる。
竹史から入場チケットを受け取った由美。ちなみにこのチケット代金は彼のおごりだった。彼女は申し訳ないと思いながらも、そのご好意をありがたく頂戴した。
入場ゲートでは、矢釜遊園の専用ジャンパーを着た受付嬢が愛想よく笑顔を振りまいている。そこで入場チケットを手渡し、この二人の楽しいデートがいよいよ幕を開けた。
「夢野さん、どうする? 何から乗ろうか?」
「今条さんにお任せします」
「それなら、定番だけどジェットコースターから行こうか」
竹史と由美がジェットコースター乗り場へと消えていく頃、もの凄いスピードでここまで駆け付けてきた二人の男子高校生がいた。それは言うまでもなく勝と勘造の二人なのであるが。
入場ゲート前の雑踏を掻き分けて、入場ゲートすらも素通りしていこうとする血気盛んな二人。だが、入場料を支払わない者にゲートという金属製の壁が立ち塞がる。
「お客様! 入場チケットをお求めいただかないと」
「入場チケットだとぉぉぉ!?」
入場料についてご紹介がてら、高校生以上の大人が千五百円、高校生以下の子供が千円、そして乳児が五百円である。
こんな陳腐な遊園地で入場料か!と、勝はミラーグラス越しの目を細くして受付嬢にクレームを付けた。しまいには入場料をまけろと凄んでくる無茶ぶりだった。
いくら文句を並べたところで、入場チケットを購入しない限りゲートが開くことはないのだ。勝は悔しさを吐き出しつつそれを了承するしかなかった。
「おい、モヒカン! さっさと三千円を出せ」
「ギエ~! ちょっと待ってくださいよ。俺、ここで三千円も使ったら今月の小遣いなくなっちゃうよ~」
つべこべ言わずに出しやがれ!ゲームのやり過ぎで一文無しの勝は怒り心頭で勘造の胸倉に掴み掛かった。
こんな不条理な出費はあり得ないし、おまけに勝の入場料までなぜ肩代わりしなくてはいけないのか。勘造は後輩という身分でもこれだけは従うことができなかった。
「スグルさんが無駄遣いなだけじゃんかっ! 冗談じゃないッスよ!」
勘造の反発がとうとう憤怒の導火線に火を付けた。クラス委員長としてではなく、派茶目茶高校でも恐れられる獰猛な野獣として勝は鉄拳制裁の拳を振り上げた。
「てめぇ、出さねーんなら二度と表を出歩けないようにしてやるぞ!」
「ぎゃあぁぁ! 許してくださ~い、出します、出しますから~!」
これが悲しくも儚い、派茶目茶高校における弱肉強食の構図。勘造は先輩の理不尽な申し出に逆らうことができず、お財布の中から三枚の千円札を差し出すのであった。
自らの哀れな宿命を呪い、地面にひざまずいて泣き崩れてしまう勘造。いつまでも泣いているんじゃないと恫喝する勝は、怖い先輩というよりも鬼か悪魔であろうか?
表情が引きつっている受付嬢に入場チケット二枚を手渡し、勝たちはようやく遊園地の中へ入ることが許された。そして、血眼になって人ごみの中から由美と竹史の姿を追う。
「スグルさん、あの二人ですよ、ほら!」
「おっ、ジェットコースター乗り場だな、よし行くぞ!」
由美と竹史の二人は順番待ちの行列の中におり、まだ乗車しておらず今なら追い付くことも可能だ。
とはいうものの、ここで騒動を起こすのは周囲の迷惑になるし得策ではないと判断して、勝はひとまず彼女たちと一緒に行動することで接触の機会を窺うことにした。
それから数分後、由美と竹史に待望の順番がやってきた。席数が思いのほか多かったこともあり、勝と勘造も同じジェットコースターに乗車することができた。
係員から乗車前の注意事項の説明が始まる。その指示に沿って、シートベルトでしっかりと体を固定する由美と竹史の二人。
「ははは、ゾクゾクしてきたよ」
「わたしもです。もうすぐ発車ですよ」
丁度その頃、由美たちより十席ほど後方の席に座っていた勝と拓郎もシートベルトをパチンとロックした。ところが、なぜか勝の顔つきが青ざめておりどうにも冴えない。
「自慢じゃねーけど、俺さ、車に酔うんだよな……」
「それ自慢じゃないでしょ? しかもこれジェットコースターだし」
勘造のツッコミから数十秒後、四人を乗せたジェットコースターは金属音を響かせてゆっくりとスタートを切った。
『ガタガタッ……、ガタガタッ……』
ジェットコースターはどんどん坂道のレールを上昇していく。それと同時に、乗客の緊張と興奮の歓声がどんどん大きくなっていった。
ジェットコースターがレールの頂点に達した。いよいよここからが本番、猛スピードを上げて急降下を始めると先ほどの歓声が怒涛の悲鳴へと変わっていった。
「キャァァ~!」
「うおぉ、速いなぁ~!」
なかなか味わえないスピード感とスリリングの連続に、由美と竹史もこの上ないほどの絶叫を上げてしまった。一方、勝と勘造のコンビはどうしているかというと……?
「ぎゃぁあ、あぁあ、あぁ、ぁあっっ!」
「スグルさん、声がすっ飛んでますよ?」
乗車時間はおおよそ五分ちょっと。ジェットコースターは元の位置へと無事に帰ってきた。
最高の爽快感を満喫できて、乗客の一人ひとりが表情を強張らせながらも清々しい気持ちになってジェットコースターの座席から降りていく。そこにはもちろん由美と竹史も含まれている。
「いやぁ、おもしろかったね。久しぶりに大声を上げちゃったよ」
「わたしもです。まだ胸がバクバクいってますよ。すごかったな~」
次のアトラクションを目指して、ジェットコースターからすべての乗客が降車した……と思いきや、ショックのあまり泡を吹いて卒倒している男子とそれを介抱する男子がまだ座席に残っていた。
「スグルさ~ん、大丈夫ッスかぁ?」
「……ダメだぁ、死ぬ~」
複数の係員の手を借りて、勝はどうにかジェットコースターの座席から下ろしてもらった。どんな猛者をも力でねじ伏せる彼でも、やはり人の子らしく苦手なものがあったというオチである。
由美と竹史が次に向かった先は観覧車乗り場だった。しばらくはスピード感のある乗り物は控えたいという彼女からのリクエストによるものだ。
ここではぐれるわけにはいかない。勝は具合が悪いながらも、勘造から肩を貸してもらって二人のことを必死になって追い掛けていった。
矢釜遊園の観覧車は地上九十メートルの高さを誇り、この遊園地のランドマークとしての役割を果たしている。ゴンドラからの眺めははるか遠くの矢釜海岸も見渡せて夕暮れ時には人気のある乗り物でもあった。
順番待ちもなく青いゴンドラへ乗り込むことができた由美と竹史、それを追い掛けようと赤いゴンドラへと乗り込もうとする勝であったが。
「スグルさん、待ってください。俺、高いところダメなんですよ!」
「はぁ? 高校生にもなって、何子供みたいなこと言ってんだよ?」
高所恐怖症であることを告白する勘造。地上で見学したいと申し出る彼であったが、そんな泣き言が勝に通用するはずもなく首根っこを摘まれて無理やりゴンドラに乗せられた。
すでに青いゴンドラは最頂点に達していた。そこに乗り込んでいる由美と竹史の二人は、窓ガラス越しから望める美しい海岸線、空の水色と海の青色のコントラストに目を奪われていた。
「わぁ、とっても素敵な景色ですね」
「今日は絶好の天気だから、海岸までよく見えるなぁ」
その一方、赤いゴンドラに乗り込んだ勝と勘造の二人はどうしているかというと……?
「うがががが、もうダメ、ダメ! お願い、降ろしてくださ~い!」
「アホ、ここから降りれると思ってるのか? もう少し辛抱しやがれ!」
腕組みしながらガタガタと震えている少年、そして彼のことをきつくも励まし続けている少年。入場口での揉め事から始まった彼ら二人の不信感はすでに限界を超えてしまっていた。
ただでさえ払いたくもない三千円の出費、さらに乗りたくもないアトラクションにまで突き合わさせられる始末。勘造の苛立ちはここに来てとんでもない形となって跳ね返ることになる。
「もう我慢できねぇ、俺は帰らせてもらいます!」
ついに勘造は強硬手段に出ようとする。何と緊急脱出用のスイッチを蹴飛ばして破壊し、無理やりゴンドラの扉を開け放ってしまったのだ。
これにはさすがの勝もびっくり仰天。気圧の影響からかゴンドラの動きが不安定になってしまい、身の危険を感じてジタバタと騒ぎ始めてしまった。
「わー、バカか、おまえは!?」
揺りかごのような不規則な動きにバランスを失ってしまう少年二人。
――次の瞬間、よろけてしまった勘造が片足を滑らせてゴンドラから落下してしまいそうになった!
勝がすぐさま手を伸ばして、勘造のもう片方の足首をガッチリ掴んだ。しかし、全身の半分以上は外に飛び出しており、重たさのあまり勝の手に激しい痺れが襲い掛かる。
「ぎゃぁぁぁぁ~!」
ここは地上九十メートル、ここから落っこちてしまったらどんな落ちこぼれでも即死は免れない。勘造の泣き叫ぶ悲鳴が園内にこだました。
勝は渾身の力で勘造の体をゴンドラまで引き上げようとする。ところが、勘造が恐怖と絶望のせいで暴れてしまい痺れる両手からみるみる力が抜けていく。
「モヒカン、落ち着けって! 今すぐ助けてやるから!」
それから数分後、勝の踏ん張りのおかげでどうにかゴンドラに戻ることができた勘造。大事件にならずに済んで良かったのだが、これほどの大騒動を起こしてしまった以上、来客たちの話題に持ち上がらないわけがない。
観覧車の付近だけではなく、その他のアトラクションや飲食コーナーにいる人にも注目されてしまっている彼ら。それは青いゴンドラからすでに降りている竹史も例外ではなかった。
赤いゴンドラで珍事が勃発、誰もが視線を送っているその方向へ目を合わせてみると、見覚えのある男子二人が騒いでいるではないか。竹史は眉間のしわを寄せてあからさまに怪訝な顔つきをした。
これは間違いなくデートの監視であり、由美との仲を切り裂く妨害活動の証拠だろう。首謀者はきっとアイツに違いない――。彼は矢釜遊園にいるのは危険と判断し、彼女にここから出ようと提案する。
由美はクラスメイトが来場していることに気付いておらず、いきなりのデートプラン変更に戸惑いの表情を見せたものの、先輩でありリーダーシップを取る竹史の言うことならとそのまま従うのだった。
この二人が入場ゲートをそそくさを出ていった頃、関係者から厳重注意を受けた勝と勘造の二人は、反省の色を表情に示しながらようやく園内の中央スペースまで戻ってきた。
ジェットコースターといい観覧車といい、みっともない恥を晒してきた彼ら。さすがにばつが悪いと思っているのか、周囲の目線から逃れるようにすっかり小さくなっていた。
「まったく、おまえのせいで俺まで小っ恥ずかしい思いをしたぜ」
「……すんません、スグルさん、ついカッとなってしまって」
無謀な行為をひたすら猛省している勘造。一度は不審を抱いたとはいえ、命を救ってくれた勝のことをよき先輩として信頼したいと改めて心に誓った。
こんな感じで揉め事はあっても、鎖のように繋がった友情はそう簡単にちぎれたりしないのが二年七組の団結力なのである。
「おい、ちょっと待て」
勝は何かを思い出していきなり立ち止まる。この矢釜遊園までやってきた目的、そう由美と竹史の姿を完全に見失っているではないか。
彼らは汗水垂らして二人を探してみたが、当然ながら発見することはできなかった。赤っ恥を晒しただけではなく、入場料の三千円まで水泡に帰した瞬間でもあった。




