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第十八話― 恋も勉強も喧嘩も上等! ライバル出現【前編】(1)

 季節は秋。

 青々としていた葉っぱも赤く色づき始めて、風に吹かれてチラチラと舞い落ちるそんなある日の朝。

 ここ派茶目茶高校の二年七組では、由美の席に数人の生徒が集まって何やら雑談をしている。よく見ると、彼女の机の上には数枚の写真が並んでいた。

「へ~、かわいいわね。今とほとんど変わってない」

「あはは、それはそうだよ。だってまだ二年しか経ってないんだし」

「その制服って中学校の時のやつだったんだね」

 それは由美の中学校時代の写真であった。実はこれ、クラスメイトの麻未からの強い要望により、恥ずかしながらもアルバムから引っ張り出して持参したものであった。

 写真一枚一枚を楽しそうに眺めている麻未と勘造の二人。そこに志奈竹も加わって、それぞれの中学校時代の思い出話に花が咲く。

 友達との触れ合いや語らい、入学式から卒業式といったイベント行事、そして汗水垂らしてがんばった部活動など笑いあり涙ありの思い出が盛りだくさんだ。

 由美たちが懐かしい話題で盛り上がっている中、教室のドアを開けてやってきたのはクラス委員長である勝と彼の仲間の拓郎の二人だった。

「おはよう、諸君。何だか賑やかじゃないの」

「おはようございまっす、スグルさんにタクさん。今、ユミちゃんの写真を見ながら中学校の頃の話をしてたんですよ」

 勝と拓郎は興味津々に写真を覗き込んだ。今と変わらない清純で愛らしい中学生の時の由美を見て、うんうんと頷きニンマリと頬を緩めていた。これには彼女も控え目ながら照れ笑いを浮かべるしかなかった。

「なるほど、中学校時代か。良くも悪くもいい時代だったのう」

「何かその言い方、オッサンくさいわね」

 腕組みしながら感慨深げに頷く勝と、要らぬお世話ながらもそこへツッコミを入れてしまう麻未。まるで漫才師のようなクラス委員コンビである。

 彼女のおでこをコツンと突きつつ、彼はセピア色に染まった中学校時代を振り返る。ミラーグラス事件は周知のことだが、その他にも友情に恋愛に喧嘩といった武勇伝を熱く語った。

 もう一人、拓郎だって男同士の友情という点では負けてはいない。中学校の時に初めてできた親友との武勇伝を誇らしげに語り始める。

「そいつと俺の家でさ、親父の秘蔵のブランデーを黙ってくすねて飲んだんだけど、その後気持ち悪くなって吐きまくったんだ。いやぁ、いい思い出だよ」

「おっ、それわかるな。俺も初めて飲んだ時、がんがん頭痛くなって翌日死んだようにくたばったな、今思い出すと、それも青春の一ページと言えるなぁ」

「あんたら、正真正銘のアホ?」

 あまりにも恥知らずなクラスメイトばかりで、麻未は目を細めてすっかり呆れ顔だ。今日ばかりはツッコミ役に徹するしかなかったようだ。

 それならば彼女にとって一番の思い出とは?由美から興味本位でそう尋ねられて、彼女は顎に指を押し当てながら天井を仰いだ。

 中学生の頃からませていただけに、今でも印象に残っている思い出は交際相手との初めてのデートとのこと。由美はそれを聞くなり、大人っぽくて魅力的な麻未に憧憬の眼差しを送っていた。

 ここで勝と拓郎が黙っているわけがない。先ほどの仕返しと言わんばかりに、ついつい余計なことを口にしてしまう。

「おまえ、中学生の頃から男漁りしてたんだろ?」

「中学生が男相手にアルバイトしちゃいけないぜ」

「失礼しちゃうわね~。あたしはね、その頃は一筋の愛を貫いていたの」

 それなら今はどうか?と問われると、そこはご想像にお任せするとさらっとかわしてくる麻未。男性経験が豊富な彼女の色っぽさは、このクラスの男子だけではなく女子の中でも一目置かれる存在であった。

 それはさておき、誰にも尋ねられていないにも関わらず勝がいきなり一番の思い出を振り返ろうとする。

「そうだな、俺にとって一番の思い出と言ったら……」

 ――その時、勝の肩に手を置いて耳元に囁き掛ける一人の男子生徒がいた。

「初めて、女の下着を盗むのに成功したことだろ?」

 その男子生徒こそ、遅刻寸前のところで教室に辿り着くことができた拳悟だ。それに気付いた勝は真っ赤な顔でいきり立って、彼のネクタイに掴み掛かり怒りの鉄拳を振り上げる。

「てめぇ、突如しゃしゃり出てきて、ありもしねぇこと言うなっ!」

「朝一発目のジョークだろうがっ。マジになるってことは真実か?」

 取っ組み合って言い合いを始める拳悟と勝の二人。それを見ながらやんややんやとけしかける他の生徒たち。この賑やかさこそが二年七組の象徴でもあるのだが、何とも進歩のない連中である。

 由美も最初はハラハラして黙ってばかりだったものの、今ではすっかり慣れてしまったのか、おバカな二人の喧嘩を仲裁する余裕すら持てるまで成長していた。

「もう、二人ともやめてください。本当に仲がいいのか悪いのか……」

 拳悟と勝は決まりが悪そうに苦笑している。他のクラスメイトならまだしも、由美からのお叱りにはどうにも頭が上がらない彼らであった。

「そういえば、ケンゴ。中学時代といえば、おまえには欠かすことのできない男がいたよな?」

「はぁ? 何だよいきなり」

 拳悟にとって欠かせない男――?勝の口から飛び出した台詞に、好奇心旺盛な仲間たちが首を突っ込まないはずがない。

 拓郎に麻未、勘造に志奈竹、もちろん由美も気になってしまい、みんながみんないったい何者なのかと尋ねる始末だ。

 悪口を言われた腹いせなのだろう、勝はしたり顔で拳悟のご機嫌を窺っている。すると拳悟は居たたまれなくなったのか、捨て台詞を吐いて教室から出ていってしまった。

「で、ケンちゃんの男って誰なの?」

「おいおい、アサミ。アイツはホモじゃねーよ。勘違いするな」

 自分の席にどっかりと腰を下ろした勝。しつこくせっついてくる麻未を宥めつつ、中学校時代のちょっとしたエピソードを交えて拳悟にとって切っても切れない男子について語り出す。

「そいつは今条竹史こんじょうたけしっていってな、ケンゴの良きライバルでもあり親友でもあったんだ」

 拳悟のライバルだったという今条竹史という男子生徒。当時、いがみ合ったり慰め合ったり一緒に悪いこともしたりと、友情を超えた熱い胸のうちを打ち明けるほどの仲だったそうだ。

「わたし、ケンゴさんのライバルってずっとスグルくんだと思ってた」

「俺とケンゴがそんな感じになったのって、高校へ入ってからなのさ」

 不思議がるのは何も由美だけではない。拳悟と勝の息の合ったコンビプレーを知っている他の連中も意外だったのか驚きの声を漏らしていた。

 勉強でもスポーツでも、そして恋でも、親友同士だからこそ意固地になって真剣勝負することが多かった拳悟と竹史。拳と拳を振るう喧嘩もたくさんしたという。

 それぞれ異なる進路先となり、もう悪ふざけも終わりにしようと誓った彼ら。中学校の卒業式の終幕後、誰もギャラリーがいない屋上にて最後の真剣勝負に臨んだ。

 ――今から二年七ヶ月ほど前、その日は肌寒さを感じる北寄りの風が強い日であった。


* ◇ *

 ここはとある中学校の屋上。丈の短い学生服を脱いだ男子生徒がギラギラとした目で睨み合って対峙している。

 一人は勇希拳悟、もう一人は今条竹史。彼らはこれから、お互いにとってどちらが強いのかを決める真剣勝負に挑もうとしていた。

 それは傍から見たら幼稚と取れなくもないが、男の真髄を極める彼ら二人にとっては譲れぬ決意。それだけではなく、それぞれが離れた道を進む上でけりを付けたい思いもあったのだろう。

「タケシ、そろそろ行くぞ。これが最後の戦いだ」

「ケンゴ、いつでもかかってこい。覚悟するんだな」

 これまでの対戦成績は、二十戦して八勝八敗四分のまさに五分五分。これから行われる二十一戦目の対決で雌雄を決することになる。

 友情の拳をぶつけて幾多の熱戦を繰り広げてきた二人だが、いよいよこれが最終戦、深呼吸を一つして鼓動の激しさを抑えつつも悔いを残してはなるまいと気合を込める。

「行くぞ~!」

 明日からの新しい旅立ちのために、己の男としてのプライドのために、拳悟と竹史の二人はコンクリート地を蹴って走り出した。

『ドガガッ!』

 熱き男二人の戦いは、すれ違いざまの渾身の一発勝負でけりが付いた。

 お互いに距離を置いて背中を向け合っている彼ら。それから数秒後、みぞおちに右手を宛ててひざを床に落としたのは竹史の方であった。 

「……なんてヤツだ。この俺にこれほど威力のあるボディーブローを食らわせるとは。……負けたぜ」

 敗北を喫して悔しさもあったはずだが、竹史はどこか清々しさを感じながら静かに崩れ落ちた。

 究極奥義とも言うべき一撃で勝利を手にした拳悟。だが、彼も無傷では済まなかった。竹史からパンチを食らったのだろう、頬に青いあざと鼻から真っ赤な血が流れていた。

「勝ったことは勝ったけど、おまえもさすがだぜ……。帰りにお医者さん寄っていこうっと」

 無二の親友でありライバルでもあった二人は、このような結果で悔いのない中学校時代を卒業した。もう二度と関わることはない、そんな寂しい思いを胸に秘めながら――。


* ◇ *

「……てなわけで、ケンゴが意地を見せたってことだな」

 勝が知っている限りでは、拳悟と竹史は卒業式以降一度たりとも顔を会わせてはいないという。仲違いではないのだが、喧嘩という形で別れただけにお互い気まずさがあったのかも知れない。

 一通りのあらすじを聞いて、クラスの仲間たちは感嘆したような声を漏らしていた。ガキっぽくて男くさい話ではあるが、それぞれが何かしら感じるものがあったようだ。

 ここで由美は素朴な疑問が頭に浮かんだ。拳悟と違う進路先ということは、竹史という昔のライバルは今どこにいるのだろうか?と。

「スグルくん、そのタケシさんってどこの高校に通ってるんですか?」

「アイツ? えーと、たしか豪快高校だったかな」

 豪快高校の名前が出た瞬間、由美一人だけは普通のリアクションだったが他のクラスメイトたちはなぜか驚愕の一声を上げた。

「おいマジか? 豪快高校っていったらこの辺じゃ一番の進学校じゃないか」

「そうっスね。卒業生のほとんどが大学に行くほどのお利口な学校ですよ」

 拓郎と勘造が語るように、豪快高校はここ矢釜市の中でも有数の高い進学率を誇る私立高校だ。

 入学時には筆記だけではなく面接試験もあり、偏差値以外にも私生活における品行方正が求められる、まさに優等生だけが通ることのできる狭き門と言えよう。

 徹底指導ぶりも評判を呼んでおり、成績によってクラス編成を組んで優秀な生徒をとことん伸ばすばかりか、後れを取った生徒にもきちんとフォローをする教育システムを構築しているという。

 卒業生の大半は大学へ進むエリートコースだが、それゆえに授業の難解さや風紀にも厳しく、夏季休暇や冬期休暇も補講に当てているという点では派茶目茶高校とは対照的な学校でもある。

「ああ、そういえばタケシのやつ、成績良かったからな」

「ふ~ん、喧嘩じゃケンちゃんの勝ちだけど、おつむの方じゃ完全に負けちゃってたみたいだね」

 麻未が意地悪っぽく皮肉を言うと、それを見ていた勝や拓郎たちもつい笑ってしまい教室内にいつもの賑やかな雰囲気が戻ってきた。

 それから少ししてからチャイムが鳴り一時限目の授業となった。姿を消していた拳悟も数分ほど授業に遅れたものの教室に帰ってきたが、表情は明るくなくどこか上の空という印象だった。

 この日はこれ以上、今条竹史の話題で盛り上がることはなかった。しかし数日後、これがひょんなきっかけから騒動へと発展するのがこの物語のおもしろさなのである。


* ◇ *

 時は少々流れて数日後の放課後のこと。

 麻未と由美は寄り道がてら、学校から少し離れた路地を歩いていた。寄り道といっても、ただ麻未が一方的に由美を買い物に付き合わせていただけであったが。

 下校途中にしゃれたブティックに足を運んだ彼女たち。麻未はアルバイトで稼いだお小遣いを惜しみなく使い、膨らんだ買い物袋を両手からぶら下げていた。

「そういえばユミちゃん、そのベストだけど初めて見る気がするね」

「これお姉ちゃんのなの。いつもの制服、ちょっと汚れちゃってクリーニングに出してるから」

 由美はこの日、中学校の頃から愛用していた制服ではなくノースリーブの茶色いベストを羽織っていた。毎日のように着ていれば、汚れだって解れだって当然出てしまうだろう。

 派茶目茶高校は基本私服登校なのでどんな格好でもよい。そういう理由から麻未がもう少しおしゃれしたら?と促してみると、由美は照れくさそうに苦笑いしてそれを否定した。

「もったいないなぁ、せっかく質はいいのに。あたしがメイクとか教えてあげようか?」

「い、いいよ~。派手なことしちゃったら、それこそお姉ちゃんに何て言われるかわからないもん」

 由美自身、大人の色気を持つ麻未のように魅力を高めてみたいと思ってはいる。しかし私生活に厳しい姉もいるし、引っ込み思案の性格もあってかどうも冒険することができない。

 十七歳という年齢にしては、見た目も行動も地味であることは否めない。おしゃれにしても恋愛にしても、もう少しだけ成長したいと心に願う年頃な彼女なのであった。

「では、あたしはこの辺で。また明日ね~」

「うん、さようなら」

 市街地の交差点で別れを告げた麻未と由美の二人。

 時刻は夕日が沈みかかる夕方五時近く。由美は矢釜中央駅へ向かうためにクルリと方向転換した。

 電車の発車時刻をチェックする彼女、一本でも早い電車に乗ろうと考えて住宅地にある公園を横切っていこうとした。

 その公園は遊具らしい遊具はないが、小さい砂場とベンチがいくつか点在しており、幼稚園児や小学生らしき子供が若干ながらも見受けられた。

 ここはまさに子供たちが賑やかに戯れる楽園。ところが、どういうわけか真っ黒な学生服を着た男子高校生の二人組もいた。それに違和感を覚えて、彼女は思わず視線を向けてしまった。

 よく見てみると、彼らの正面には小学生ぐらいの女の子もおり、右手にアイスのコーンを握り締めて何やら困ったような顔をしている。いったいどうしたというのだろうか?

「おい、これどうおとしまえ付けてくれるんだ?」

 凄みを利かして女の子のことを脅している高校生の一人。

 なぜか、学生服にはアイスが付着した跡がある。どうやらこのシーン、女の子が余所見をしていたばかりに、彼にぶつかって持っていたアイスをくっ付けてしまったようだ。

 彼は俗に言う長ランを着こなし、リーゼント頭でひげまで生やしている。さらにもう一人の男子も、短ラン姿にパンチパーマの髪型、眉を剃っているせいか目つきが悪くていかにも不良っぽい。

「ごめんなさい。怖い顔のおじちゃん……」

「お、おじちゃん!? あ、あのなぁ、おい」

「ガキ相手になめられてんじゃねーって。それにおまえオッサン顔じゃねーの」

 ここは任せろと言わんばかりに、オッサン顔の男子のことを押し退ける目つきの悪い高校生。彼はゆっくりと歩き出して女の子の方へ近づいていく。

 会話をするつもりなのか、彼女と同じ目線になろうとしてしゃがみ込むと、おもむろに手のひらを差し出してニヤリと不気味に笑った。

「お嬢ちゃん、アイスのことは忘れてやるよ。その代わりさ、洗濯代金として持っているお金を全部こっちに寄こしな」

 有り金を要求する行為、いわゆるゆすりたかりというやつだ。女の子は困惑しながら首を横に振る。お財布の中身は空っぽなのだと。それでも、不良たちは信じようとせずにしつこく急かしてくる。

 それを遠目に見ていた由美は動揺した。助け出したくても非力で臆病な自分一人では到底不可能、救いを求めようと周辺をキョロキョロと見渡してみたがここには小さい子供たちばかりだ。

(どうしよう……。このままだと、あの子が!)

 焦りのせいで表情が青ざめていく由美。こんな時こそ拳悟のようなヒーローがいてくれたらと願っても呼んだらすぐに来てくれるものでもない。

 彼女の期待に応える正義の味方はいないのだろうか。――いや、そんなことはなかった。女の子のピンチに気付いて駆け付けてくる勇敢な若者が今ここに存在したのだ。

「おい、ちょっと待ってくれ」

「あ~ん?」

 不良二人組を呼び止めたのも、ブレザーの制服を羽織った男子高校生だった。

 目に掛かるぐらいの前髪にハンサム系で精悍な顔立ちをしたその若者、服装にもまったく乱れがなく不良とは正反対だ。彼は差し出した右手の二本指で一枚のコインを握り締めている。

「五百円をやるから、その子を許してやってくれないか」

 女の子の不注意に対する賠償金の五百円。汚れた学生服のクリーニング代金としては不足だろうが、オッサン顔の高校生はそれをもぎ取るように受け取った。

 若者は安堵感からホッと胸を撫で下ろした。穏やかで柔和な笑みを女の子に向けるなり、怪我してないか?と声を掛けて彼女のおかっぱ頭を優しく撫でている。

 幸い、女の子は脅されただけで傷一つ負っていなかった。彼女も屈託のない笑顔を返してくれて若者も一緒になって喜んでいた。

 その微笑ましい光景を遠くから見つめていた由美。緊張で高鳴っていた鼓動が少しずつ落ち着いて冷や汗もほのかに引いていく。

(良かった。これならきっと安心だね)

 由美が先を急ぐためにクルリと方向転換した矢先、無事に解決するはずのこのストーリーに想定しない出来事が待っていた――。

「よぉ、兄ちゃん。五百円の御礼してやるよ」

 不良二人組の一人、目つきの悪い高校生が口角を上げて若者の方へ近寄ってきた。賠償金という形ですべてが済んだはずだったのに御礼とはいったい……?

「御礼なんていらない。さっさとここから立ち去れよ」

「遠慮するなって。まあ、ケジメみたいなもんだ、受け取ってくれよ」

 ――次の瞬間、高校生の目つきがギラッと鋭くなった。その目は不良らしく明らかに悪意に染まっていた。

『ドカッ!』

 それは風を切るような早業、目つきの悪い高校生が不意に振り放った拳が若者の顔面にヒットした。

 吹き飛ばされるままに地面へと倒れ込んだ若者。すると、そこへ追い討ちを掛けんばかりにオッサン顔の高校生の蹴り技が炸裂し、顔中を砂まみれにしながら地面に突っ伏してしまった。

「このやろう、いい子ぶりやがって!」

「調子こいてんじゃねーよ、ほれほれ!」

 正義感が余程癪に障ったのだろう、不良二人組は容赦なく若者のことを足蹴にする。一方的に攻撃されてしまっては、彼も抵抗することができずにうめき声を上げながら必死に堪えるしかない。

 やめて、やめて――!と泣き叫ぶ女の子の悲鳴がこだましても、公園の向こうにいる大人は誰もが見て見ぬ振りをしている。しかし、由美だけはそれを見逃せるはずがなかった。

(ど、どうしよう! 何とかしなくちゃ、何とかしなくちゃ――!)

 バイオレンスな舞台となって騒然としている公園、由美は慌てながらも自分にできることがないかと模索する。暴力に暴力で対抗できない彼女にできること、それは機転を利かした知恵しかなかった。

「おまわりさ~ん! 喧嘩してるんです、こっちに早く来てくださ~い!」

 由美は無我夢中になって叫んだ。おまわりさんと言えば泥棒なら舌を巻いて逃げるほどの苦手な存在であり、もちろん不良にとっても天敵と言えるだろう。

 それを示すかのように、不良たちは驚愕しながらうろたえた。すぐに攻撃の足を止めると、周囲の目線などお構いなしに公園の出口に向かって逃げ出していった。

 一人蹲る若者の傍へ大慌てで駆け寄っていく女の子。

「お兄ちゃん、大丈夫?」

「ああ、心配ないよ、ははは……」

 若者は照れ笑いを浮かべながら返事をした。心配無用と言いたいのだろうが、砂だらけの顔には痛々しい真っ赤なあざが残っておりそれがやせ我慢なのは一目瞭然だった。

 彼はゆっくりと起き上がり、制服に付着した汚れを払い落とす。そして、何かを思い出したのか慌てて周囲を見回した。

「そういえば、おまわりはどうしたんだ?」

 不良から暴行を受けていた時、おまわりさんというキーワードを耳にしていた。だが、ここには警官どころか大人らしい大人もいない。ただ、見覚えのないベストを着た一人の女子高生がいるだけだ。

 その女子高生である由美、不思議そうに首を捻っている彼の傍に近づくなり、この窮地を救った事の真相を明かしてくれた。

「おまわりさんはいませんよ」

「え? 君はいったい……」

 咄嗟に思い付いた作戦、不良を撃退するがために由美は口からでまかせを言ったのだ。これはもちろん一か八かの賭けでもあったが、幸い事態は好転に向かってくれた。

 不良二人組が逃走してくれたおかげで、若者は負傷こそしたが病院送りになるほどの大怪我をせずに済んだ。まさか女子高生に救われると思ってなかったようで、彼は恥らいながら感謝の言葉を出すのが精一杯だった。

「ハンカチどうぞ。お顔大丈夫です?」

「いや、ハンカチなら持ってる。ありがとう、かすり傷程度だから」

 不穏な騒動も沈静化し、この公園に再び子供たちの楽園が帰ってきた。

 賑やかな声が聞こえてきそうだが時刻はもう夕方過ぎ、お遊戯タイムはもうとっくに終わっている。つまり、由美たちと一緒にいる女の子も帰宅しなければいけない時間だ。

「カッコいいお兄ちゃんときれいなお姉ちゃん、ばいばーい。どうもありがとう」

「うん、バイバイ。気を付けてね」

「今度会ったら、アイスクリーム買ってあげるよ」

 由美は女の子を明るく笑顔で見送った。本当なら駅まで急がなければならないはずなのだが、残念ながら目的の電車はすでに出発していた。

 それでも彼女は後悔はしていない。人を救う力になれたことが嬉しくて、むしろ心がスッキリと晴れやかだった。

「あんなに怖い人たちに立ち向かうなんて、とても勇気があるんですね。わたし、感心しちゃいました」

 大人でも尻込みしてしまうあの緊迫とした状況で、勇猛果敢に向かっていった若者に敬意を払う由美。ところが、彼の方は謙遜するどころか表情を険しくしてしまった。

「勇気とかそういう問題じゃない! 女の子がひどい目に遭っているのを見て放っておけるわけがないじゃないかっ」

 若者からのまさかの恫喝に由美はビクッと全身が震え上がった。怒鳴られることに慣れていないせいか、悪いことを言ってもいないのに反射的に謝罪の弁を口にしてしまう。

 申し訳なかったと語調を強めたことを反省する若者。つい勢い余ってしまったのも、彼なりの人道的な正義感の表れなのであろう。

 自分を犠牲にしてまでも人を守る勇気ある行動、そんな彼の熱意を知るに至った彼女だが、ここで一つだけ気になることがあった。それはなぜやり返そうとせず、一方的に攻撃を受けていたのかということだ。

「俺さ、高校へ入学を期に自分自身に誓ったことがあるんだ」

 もう二度と喧嘩をしない、無闇やたらに人を傷付けたりしない。若者は夕暮れの空を見上げながら力強く呟いた。

 かつて、中学生時代は尖ったナイフのごとく世間に牙を剥いていたという彼。だが今では、過去の過ちを清算するかのように勉学一筋の私生活を送っているとのこと。

 暴力では何も解決せず、痛みや憎しみという後悔だけが残ってしまう。由美は常日頃からそう感じていただけに若者の主張に賛同の意思を示した。

「その誓いはとてもいいことだと思います。これからも、そういう気持ちを大切にしてください」

 由美から絶賛されて照れくさかったのか、若者は頭をポリポリと掻いて頬を赤らめていた。というよりも、わざとらしくない彼女の笑顔に心を揺れ動かされてしまったことは否めない。

「どうもありがとう。それより、君の名前は?」

「わたしは夢野、夢野由美です」

 不思議なもので、由美の名前にも声にも、何よりも屈託のない自然の微笑みに胸がキュンとなってしまった若者。これが一目惚れなのか――?と疑ってしまうような感覚であった。

 彼女だけに自己紹介させるわけにはいかない。彼も生まれた時に授かった氏名を名乗ろうとした。

「俺の名前は……」

 ――次の瞬間だった。甲高い怒鳴り声が周囲にこだまし、若者は戦慄したかのごとく硬直した。

 その怒声の正体とは、リボンで飾り立てた長い髪を振り乱して公園の向こうから血気盛んに駆けてくる制服姿の女子高生だった。どうも彼のことを追い掛けているようだ。

「もう! 一緒に帰ろうって約束したのに先に帰るなんて! 絶対に許さないんだから~」

 その女子高生のことを知っているのだろう、しかも彼女が怒り心頭な理由も知っているのだろう。若者はみるみる顔から血の気が引いていく。由美から何事なのかと問い掛けられても耳には入っていない様子だ。

 ごめん、ちょっと用事が……。自己紹介どころかお別れの挨拶もそこそこに、彼は由美の傍から走り去ってしまった。

 何が何だかわからず茫然自失とそこに立ち尽くしている由美、そこへ顔を紅潮させた女子高生がドタバタと駆け寄ってくる。

「ちょっとあなた、タケちゃんとどういうご関係?」

「えっ、えっ? ど、どういう関係と聞かれても初めて会ったばかりで」

 吊り上げた眉に睨むような鋭い目線、女子高生のあまりの迫力に圧倒されて、由美は声を詰まらせながらありのままを告白した。

 とはいえ、由美と若者が仲睦まじく一緒にいるシーンしか見ていない女子高生にしたら、それをいとも容易く信用することができない。仏頂面をぐんぐん由美に寄せていく光景はかなり執念深い。

「あ、あの、余計なことだけど、彼、もう公園から出ていっちゃうよ?」

「――あっ!」

 由美の人差し指の方角には、追従の手から逃げ通そうとする若者の背中が映っていた。ここで見失っては元も子もない、女子高生はまたまた長い髪を乱しながらその場から駆け出していった。

 追いかけっこする男女の高校生の会話がわずかに聞こえてくる。どうやら、彼は彼女とのデートをすっぽかして一人で下校してしまったらしい。

 事の真相をあえて言うと、そのデートの約束というのも彼女が一方的に決めたことで彼の方は了承していなかった。まあ彼にしたら、はた迷惑な話だったというわけだ。

 立て続けに騒動が去っていき、子供の姿も消えていく公園にポツンと佇んでいる由美はというと、次の電車発車時刻までの暇潰しを考えながらゆっくりそこから歩き出した。

(……結局、あの人のお名前聞けなかった)

 女の子のピンチを救ってくれた若者、たくましさと勇ましさを持ったハンサムボーイの正体を知ることができなかったが、たった一つ”タケちゃん”というニックネームだけが由美の記憶に残っていた。


* ◇ *

 私立豪快ごうかい高等学校。生徒数は五百名(男子―二百八十名 女子―二百二十名)。学歴優秀な生徒を多く輩出する豪快さを校名に示している大胆不敵な学校。

 校訓は「勤勉」に「秩序」に「誠実」。派茶目茶高校とは対照的に学業を優先とした教育方針を実践しており、ここ矢釜市でもトップクラスを誇る進学校である。

 この学校のとある三年生の教室に、頬っぺたに絆創膏を貼り付けた一人の男子生徒がいた。ご想像通りと思うが、先日少女を助けるために勇気を振り絞り尽力した若者、その名も今条竹史その人であった。

「おい、タケシ。おまえ、その顔どうしたんだ?」

「別に何でもない……」

 クラスメイトの男子から声を掛けられても、上の空というか気のない返事をしてしまう竹史。ほんのりと頬を赤らめる彼の目線は、どうもまったく違う方向へ飛んでいたようだ。

「なぁ、トランプでもやらないか?」

「やらねぇ……」

 クラスメイトから何を誘われても心そこにあらず。今の竹史の頭の中を覗いてみると、そこに見えてくるのは一人の美少女。どうやら彼は、公園で初めて出会った夢野由美に一目惚れしてしまったようだ。

 すっかり呆けてしまっている彼だが、そこへ甲高い声を上げて妄想の邪魔をしてくる女子生徒がいた。

「タケちゃん!」

「わぁ、びっくりした!?」

 この女子生徒の名前は差山恭子さやまきょうこという。アクセサリーのリボンを飾った長い髪に吊り上がった眉が特徴的な彼女、竹史のクラスメイトであり、先日彼のことを追い掛けていた人物でもある。

 彼女の声はそれはもう大きくて、竹史ばかりではなくすぐ横にいたクラスメイトの男子すらもびっくりさせてしまっていた。

「あの子はいったい誰なの? 事と次第によっては認めないんだからね!」

「認めるも何も、彼女が誰だろうと君には関係ないじゃないか」

 竹史の言い分ももっともで、恭子はガールフレンドでもなければ恋人でもない。いわば一方的に片思いされているというわけだ。

 煙たがられているとわかっている彼女も、執着心というか粘り強い性格もあるのだろう、諦めたりすることなくとことん彼に付きまとっている。それこそストーカーのごとく。

 不良にリンチされているところを助けてくれた、ただそれだけの人。彼が頬の傷を見せながらそう繰り返しても彼女にはまったく信じてもらえない。女の子にそんなことできるはずがないと。

「もういいわ。こうなったら、あの子を探し出して直接聞いてみるもん!」

「いい加減にしろよっ」

 そうは言ってみたものの、由美の住所どころか学校すらも知らない恭子は溜め息を一つ零して困惑の表情を浮かべる。

 それは竹史にしても同じ心境だった。自己紹介の途中で恭子に邪魔されてしまったせいもあり、彼がはっきり覚えているのは夢野由美という名前、そして顔と服装だけなのだ。

「あっ、そういえば彼女はベストを着ていたな。制服じゃない学校か」

 この近辺で私服で通える学校と言ったら……。それにすぐに反応を示したのは、竹史のクラスメイトの男子生徒だった。

「それじゃあ、派茶高しかないぜ」

「なに? 派茶高だと――!?」

 ここ矢釜市には公立私立含めていくつも高校があるが、私服で通うことのできる学校は「自主性の尊重」と「自由奔放」をモットーにした派茶目茶高校の他には存在しない。

 矢釜市の中でも屈指の偏差値の低さ、落ちこぼればかりが集まる風紀の乱れた学校、竹史の頭の中にある派茶目茶高校はそんなイメージだ。

 揺るぎない現実に直面し、彼の心はこの上ない動揺に包まれていた。清楚で気品溢れるあの少女が派茶目茶高校だとはとても想像できないといったところか。

(まさか夢野さんが派茶高だと? よりによって、アイツがいる派茶高とは――!)

 竹史が心の奥にしまっておいた過去、思い出、そしてライバル。それが走馬灯のように燻り出てきて、彼は唇を噛んで眉を八の字にしかめる。

 ここで彼よりもショックを受けていたのは、由美が派茶目茶高校の生徒だと知って一人憤慨している恭子であった。

「タケちゃん、不良なんかと仲良くしてどういうつもり? あたしみたいなお利口な彼女がいるというに」

「な、何を言ってるんだ! 君は彼女でも何でもないだろ」

 豪快高校の教室でこんなやり取りがあった同時刻、渦中の由美はどうしていたかというと、派茶目茶高校の二年七組の教室で友人の麻未と楽しく談笑している最中だった。

「――くしゅん!」

 由美は大きなくしゃみを一つした。彼女にしてみたら、まさか他の学校で自分のことが噂されているとは思いもしなかったであろう。

「あらら、ユミちゃん、もしかして風邪でも引いたの?」

「うーん、そんな感じじゃないんだけど。変だなぁ」

 くしゃみ一回は褒められの噂。どこかで想いを寄せる男子生徒がいるのでは?と麻未から冷やかされた由美だったが、そんなことはありえないからと照れくさそうに頬を赤らめていた。

 彼女たちはこの日の放課後も一緒に下校する約束をしていた。先日は麻未ばかりがブティックで買い物三昧だったが、今日は由美にもお買い物を楽しんでもらおうと連日のショッピングに躍り出るつもりでいるのだ。

「安心して。あたしが魅力的なコーディネートをしてあげる」

「うん、ありがとう。でも、あまり過激なのはやめてね」

 楽しい行事や予定がある時ほど時間は瞬く間に過ぎていくもの。時が流れに流れてこの日の放課後、物語は男女二人の再会のシーンを迎えることになる。

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