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第十七話― 対決? 麗しき淑女と不良少年たち(2)

 その日の放課後、ここは由美が暮らすアパートの最寄り駅「矢釜東駅」。

 駅前のこじんまりとしたアーケードを歩く女性が一人、日が暮れる前に夕食の買い物を済ませようと会社帰りにぶらりとここへ立ち寄った理恵だ。

 彼女の勤務先はごく普通の会社である。一般的な事務員の業務など毎日決まっており、仕事量に変動も少なく残業も決して多くはない。だからこそ、こうやって帰宅途中に寄り道できたりもする。

 いつものように早々と仕事を切り上げた彼女。今夜は妹にごちそうを振舞おうと頬を緩めて、格安なスーパーマーケットではなく商店街の精肉店を目指していた。

 丁度その頃、駅前からアーケードへ向かう少年たちがいた。お買い物に勤しむ主婦たちを掻い潜って闊歩する彼らこそ、ある目的のためにここまで足を運んでいたハチャメチャトリオであった。

「おい、タクロウ。この責任、どー取るつもりなんだ? わざわざここまでやってきて無駄足になったんだぞ」

「俺ばかりを責めるなよ。駅に夕方四時半って約束は間違いなかったんだ。ちくしょう、話がやけにうま過ぎたぜ」

 ハチャメチャトリオがなぜここへやってきたのか?その理由は次のようなものだ。

 矢釜市屈指の美少女が集まる女子高校「聖ソマラタ女子学院」。そこに友達つながりのある拓郎は、女子三人とのトリプルデートの約束をこぎ付けたのだった。

 デート当日である本日の夕方、いざ待ち合わせ場所に来てみたものの、そこには美少女どころか女子高生すら見当たらない始末。どうやら、気まぐれな女子たちに約束をすっぽかされてしまったようだ。

 余程苛立っていたのだろう、勝は口を尖らせて拓郎にいつまでも毒づいていた。この日のためにショートウルフの髪型をきれいに整えていただけにそれも頷ける話であった。

「まぁまぁ、そう愚痴るなって。気晴らしにゲーセンに行ってエロ麻雀ゲームでもしようぜ」

 憤る勝と落ち込む拓郎の横で、ただ一人気持ちを切り替えている拳悟。ポジティブ思考が売りの彼だが、エロ麻雀ゲームで負けが続くとゲーム筐体を叩き割ろうとする厄介者だったりする。

 女子がいなくても死にはしない。そう割り切ってアーケード沿いにあるゲームセンターへ向かう途中、彼ら三人は正面から歩いてくる麗しい女性を目撃した。

(ん、あれは)

(おお、これはまた)

(けっこういい女じゃんか)

 しなやかな黒髪を揺らしている上品な顔立ちをした美しい麗人。ハチャメチャトリオは立ち止まってすっかり見惚れてしまっていた。

 その麗人こと理恵は、飢えた男子高校生の熱視線などまったく気付く様子もなく、アーケードに軒を連ねるいくつものお店を窓越しに眺めていた。

 これこそが神が与えたもうた絶好のチャンス。彼らの沈んでいた心が息を吹き返し、静まっていた鼓動が大きく高鳴り出した。つまり、ナンパ魂に火が点いたといったところか。

 ハチャメチャトリオの三人は拳に力を込めてジャンケンを始める。誰が最初に美しき麗人に声を掛けるかの順番決めというわけだ。さてさて、ジャンケンによる真剣勝負の結果はいかに?

「あっ、ちくしょう!」

「へへへ、俺の勝ちだな」

 ここで勝利を収めたのは、女子生徒に袖にされて落胆していた拓郎だ。

 あからさまに悔しがる勝と拳悟をよそに、彼はメッシュの髪の毛をくしでとかしてジャケットに付着した埃を払い落とした。

 鼻息を荒くしていざ出陣。拓郎は軽やかな足取りで、ウインドウショッピングを楽しんでいる理恵の傍へと近寄っていく。

「ちょっと、そこのお姉さん?」

「えっ?」

 いきなり声を掛けられてビクッと全身を震わせた理恵。顔を振り向かせるとそこには、いかにも素行不良を絵に描いたような少年が立っていた。

 言動や見た目から学生なのは容易に察しが付いた彼女だが、それがまさか妹の由美が通う派茶目茶高校の生徒でありかつクラスメイトだとは思ってもみないはずだろう。

 見ず知らずの少年に声を掛けられる覚えはない。彼女は何食わぬ顔をしながら、ナンパしてきた拓郎の横をサッと通り過ぎていく。

「おあいにくさま。わたしは買い物中です、ではさようなら」

「あ、あらら……?」

 拓郎はまたしても女性に袖にされてしまった。今日はどうやら女運に恵まれない一日のようだ。

 あっさりと振られた彼を見て、嬉しさのあまり笑いが止まらない勝と拳悟の二人。いよいよ出番かと、身だしなみをチェックしてから一歩足を前に踏み出した。

(冗談じゃないわ。こんなところで女に声を掛けてくるなんて不良に決まってる。本当にいい迷惑よ)

 理恵は心の中で激高していた。ナンパな少年というよりも不良そのものを毛嫌いしているだけに、眉を吊り上げている表情からもそれがくっきりと滲み出ている。

 ずんずんアーケードを突き進む彼女の正面に、今度は二人組のナンパ野郎が立ちはだかった。

「やぁ、お姉さん。ぼくたちがお買い物を手伝ってあげましょう!」

「キャッ!?」

 少年二人から迫られて、理恵はびっくりして後ずさりしてしまう。しかし、それがまた先程の類と知るなり、彼女の顔つきはみるみる仏頂面へと変わっていくのだった。

「お、大きなお世話よっ! あなたたちに用はないわ、そこをどきなさい」

 顔を真っ赤にして怒声を上げる理恵。あまりのご立腹ぶりに、アーケードにお買い物に来ていた主婦たちの注目を浴びてしまっている。

 これではナンパどころかお話にならない。まずは落ち着きましょうと拳悟は彼女の憤慨を静めるのに精一杯だが、そもそもの原因が彼らなのだから静まるものも静まるはずがない。

「まぁ、まぁお姉さん。そんなに怒っちゃうとせっかくの美しいお顔が台無しですよ?」

「放っておいて! あなたにそんなこと言われる理由はないわよ」

 取り付く島もなければ聞く耳すら持たない。このままでは警察に通報され兼ねない展開だが、ここでつい調子に乗ってしまうのが彼らの無鉄砲なところ。

 拒絶されるほどナンパ魂が燃え上がるのか、勝は不用意に理恵の肩にそっと手を添えた。これからデートでもしようぜ~と気安く声を掛けながら。

 ――次の瞬間、空気を裂くような高らかな音が鳴り響いた。

『バッチーン――』

「うおぉぉぉ~!」

 それは、理恵が振り向きざまに食らわした猛烈なビンタであった。

 非力な女性の力とはいえ、拒絶の意思をまともに頬に受けた勝は足をよろめかせながらアーケードの地面に尻餅を付いてしまった。

 それを目撃した拳悟も、彼らに合流しようとした拓郎も彼女の予想だにしない迎撃におののいてしまい言葉を失っていた。

「勝手に触るんじゃないわよ! わたしはね、あんたたちみたいな不良が大嫌いなのよっ」

 不良なんかに付き合っている暇などない、これ以上邪魔するなら容赦はしないと理恵は声を荒げながら一気に捲くし立てる。

 拳悟はすっかり放心状態だったが、根拠もなく不良呼ばわりされるのだけは許せなかった。女性に声を掛けただけでそう決め付けられるのは心外だと、彼は刺激しない程度の口調でそう反論した。

「見境なしに女性を口説こうとしてるんでしょう? それが真面目な青少年のすることだと言いたいわけ?」

「ん~、女の子を口説くからこそ青少年だと思うんだけどなぁ。まぁ、見境なしっていうのは否定できないところもあるけど」

 まんざら外れてもいないせいか苦笑しながら言葉を濁した拳悟。留年生の落ちこぼれで遅刻や早退も少なくはないが、誰彼構わず人を傷付けるような不貞な輩ではないことだけは自負している。

 とはいっても、ここで初めて出会った女性にそれが伝わるわけもなく、彼が何を言っても聞いてもらえるような状況ではなかった。

 ここまで身持ちが硬いならどうしようもない。すっかりお手上げの彼らはそれこそ白旗を振って、ムスッとした表情で去っていく理恵を見送るしかなかった。

「いやはや、よくも本気で殴ってくれたもんだ。軽いジョークだってーのによ。ありゃサドだぜ」

「サドもそうだろうけど、あの雰囲気からして男に興味がないんじゃないかな」

「あんなにかわいげな顔してるのに男を知らないの? そりゃもったいねーなぁ」

 ナンパ失敗の腹いせか、理恵のことをつい罵ってしまうハチャメチャトリオの三人。やれ同性愛だ、やれレズビアンだといった感じで彼らの悪口は留まることを知らない。

 ここで彼女はなぜかピタッと足を止める。いくつもの罵詈雑言が風に乗って彼女の耳にしっかり届いていたからだ。

 いくら関わり合いたくないとはいえ、ありもしないイメージを持たれてしまってはたまったものではない。彼女は鬼のような顔で振り返ると、小憎らしい不良たちのもとへ引き返していった。

「ちょっと待ちなさい! 言っていいことと悪いことがあるわよっ」

「うわっ!?」

 拳悟の肩口に掴み掛かり、理恵は怒涛の勢いで捲くし立てる。男性を知らないなんて冗談では済まない、こうみえても数人のボーイフレンドがいるのだと。

 不良にまつわる忌々しい過去があっても、彼女ももう二十歳を越えた年代。男性との交際がまるでなかったわけではなく、交際遍歴を惜しげもなく自慢してしまう彼女だった。

「……というわけだから。今度呼び止めたらただじゃおかないからね!」

「いやあの、誰も呼び止めたりなんてしてないけど?」

 理恵は一方的に話を切って、きびすを返してまた歩き去っていく。拳悟はただただ呆然としながら、そんな彼女にツッコミを入れるしかなかった。

 ここで終わりかと思いきや、ハチャメチャトリオはまたしても余計なことをしゃべり始める。数人の取り巻きを従えるプレイガール(?)、麗しいお姉さんのしなやかな後ろ姿を見つめながら。

「しかし驚いたな。あんなかわいい顔してかなり遊んでるなんてよ」

「とっかえひっかえ男を転がしてんだろ? かわいい女は怖いねぇ」

「案外さ、夜の街に繰り出しては逆ナンとかしてんじゃねーか?」

 あれよあれよと出てくるのは、女性にとって誹謗中傷な印象を植え付けるものばかり。しまいには売春疑惑まで浮上し、理恵の清楚なイメージもプライドも完膚なきまで傷付けられていった。

 もはや許されるレベルではない。彼女の足は根を張ったように完全に止まっていた。足先から手先までわなわなと震わせて、これまでにないほどの怒りを露にしている。

 頭から二本の角を生やし、口角から尖った牙を剥き出す。彼女は右手で握り締めた両刃の剣を翻してついに始動した。その形相はいわば悪者に裁きを下す大魔神そのものであった。

 それにまったく気付く様子も見せず、ハチャメチャトリオは根も葉もない事実を口にしてはケラケラと笑い合っていた。戦慄なる脅威がすぐそこまで迫っているとも知らず……。

「ん?」

 ハチャメチャトリオの面々はようやく異変に気付いた。太陽の日差しを遮り、彼らの全身を覆い隠している大きな影、そう大魔神へと変身した理恵の恐るべき姿に――。

「キサマら~、どこまで女を愚弄する気か~。許さん、断じて許さんぞ~!」

「や、やばい、これマジでやばい。逃げろっ」

 恐れをなしてそこから逃げ出した悪ガキ三人組。それを目の色を変えて追い掛けていく麗しき乙女。買い物客で賑わうアーケードで、この四人の生死をかけた追いかけっこが始まった。

 理恵は人目もはばからずタイトスカートを捲り上げて、パンプスのかかとを高らかに響かせながら追走する。それぐらい彼女の憤怒は頂点を極めていたのだろう。

 死に物狂いの逃走劇はしばらく続き、ハチャメチャトリオはアーケードを走り抜けて雑居ビルの隙間にある袋小路へと逃げ込んだ。

 さすがに体力の限界か、息を切らせて走るペースが落ちてしまう彼らだが、彼女の方はというとペースが落ちるどころかさらに速度が増しているように見えなくもない。

 行き止まりのビルの外壁にへばりつき、ハチャメチャトリオの三人はいよいよ追い詰められてしまった。果たして、彼らにこの危機を脱する術はあるのだろうか――?

「こうなったら、これを使うしかない!」

 拳悟はジャケットのポケットからマル秘アイテムを取り出した。

 右手にあるのは導火線が伸びた筒状の小物、そして左手には百円ライター。彼は導火線に火を点けるなり、猛追してくる理恵に向かってそれを目一杯放り投げる。

『パン、パパン、パン!』

「キャッ!?」

 雑居ビルに囲まれた袋小路の行き止まりで、鼓膜を突き破らんばかりの高音がこだました。それは拳悟が投下した爆竹が破裂する音だった。

 これには理恵もびっくり仰天し、慌てて緊急停止しようとしたものの地面を滑りながらお尻から転倒してしまった。

 起死回生の秘策が功を奏し、ホッと安堵の吐息を漏らした拳悟。そんな彼の隣で、なぜか穏やかでいられない勝と拓郎の姿がそこにあった。

「おまえよ、普段からあんなもの持ち歩いてんのか?」

「おまえさ、とんでもないこと企んでるだろ?」

「おいおい、冗談は顔だけにしろって。こういう時のために備えているんだよ」

 拳悟は眉を八の字に曲げて一人苦笑する。備えあれば憂いなしだが、こんな逃走劇が頻繁に起きていたらたまったものではない。しかも、狂気と凶器を持った女性に追い掛けられるなんてまっぴらご免であろう。

 危機こそ去ったとはいえ、ハチャメチャトリオは青ざめた表情で当惑していた。それはなぜなら、路地の上で寝そべってしまっている理恵が一向に起き上がってこようとしないからだ。

 爆竹ぐらいでショック死なんてありえないと思いつつ、彼らは恐る恐る彼女の傍へと近寄ってみると――。

「ありゃりゃ……。お姉さん、どうやら気絶してるみたい」

「う~ん、どうするよ、これ?」

「どーするったって、このまま放っておくわけにいかんでしょ?」


* ◇ *

 それから二時間ほど経過し、時刻は街並みが宵闇に包まれていた夜七時。

 理恵がとんでもない事件に巻き込まれていたことを知らない由美は、自宅アパートでたった一人時計とにらめっこしていた。

 姉の帰宅が遅いのを危惧し不安な面持ちの彼女。夕食も済ますことができず、静かな部屋の中で空腹の虫の音だけが空しく鳴いていた。

(お姉ちゃん、どうしちゃったのかな。お仕事が残業になるなんて言ってなかったはずだけど)

 ただでさえ怖がりで寂しがりやなだけに由美の心細さは半端ではない。とにかく早く帰ってきてほしい、せめて電話だけでもと彼女はそう願わずにはいられなかった。

 時計の長針がほんの少し進んだ頃だろうか、姉の理恵が玄関のドアをこじ開けてようやく帰宅の途についた。しかも、血相を変えて汗びっしょりの顔をしながら。

「た、ただいまっ!」

「お姉ちゃん! こんな時間までどうしちゃったの!?」

 胸を撫で下ろしつつ理恵を玄関で出迎える由美。すると、肩で息をしている姉の尋常ではない様相を見て驚きのあまり言葉を失ってしまった。

 理恵は苦しそうにハンドバッグを放り投げるも、もう一方の手には二つのお弁当らしきビニール袋を握り締めている。

「はぁ、はぁ、ごめんね、晩ごはんはこれで、か、勘弁して」

「そんなこと気にしないで。それよりもいったい何があったの?」

 理恵は玄関の床の上にひざを落として、息を繰り返し飲み込んで呼吸を整えようとする。ここまで駆け足で帰ってきたらしく、なかなか言葉を発することができずにいた。

 慌てなくていいからと、由美は気遣うように姉の背中を優しく擦っている。そのおかげで理恵の表情にも少しずつ血の気が戻ってきてくれた。

「大変な目に遭ったわよ……。駅前のアーケードで三人の不良に絡まれちゃってね」

 気安くナンパされたばかりか、挙句の果てには侮辱されるまでの顛末を克明に語る理恵。吐き捨てるような強い口振りからプライドを傷付けられた悔しさが滲み出ていた。

 気絶してしまった彼女が気付いた時には、アーケード付近の公園のベンチで横になっていたとのこと。夕食の材料を買う暇もないままに、出来合い弁当を購入してやっとの思いで帰宅したというわけだ。

「あの三人組め、本当に小憎らしい! 今度会ったら絶対に許さないわっ」

 理恵は握り拳を震わせていきり立っていた。その怒りの矛先にいるのがまさかクラスメイトであり親友でもあるとは露知らず、由美はただただ慰め役に徹するしかなかった。

 それからしばらくの間、理恵は不良に対する嫌悪感を吐露し続けた。夕食の時も、入浴中も、さらに寝言までも。それを耳にするたびに、静加との約束を守らなければならないと頑なに誓う由美なのであった。


* ◇ *

 理恵にとって悪夢のような一日から数日経ったある日。派茶目茶高校に放課後という時間がやってきた。

 ここは二年七組の教室。勉強嫌いの学生が嬉しそうに教室から出ていく中、由美もカバンを手にして下校の支度をしていた。そこへ声を掛けてくるのは、拳悟を筆頭にしたハチャメチャトリオの三人だ。

「ねぇ、ユミちゃん、これから時間あるかい?」

 この三人、これから馴染みのある喫茶店へ寄り道するつもりとのこと。

 開店してから二十七年という中途半端な節目に当たり、本日限定でクリームソーダを二十七円割り引くといったこれまた中途半端なサービスをするのだという。

 一緒にどうか?とお誘いを受けた由美であったが、彼女はこの後、姉から頼まれていた買い物のために矢釜中央駅近くのスーパーへ立ち寄らねばならないのだ。

「それならさ、買い物が終わってからでいいからおいでよ」

「はい。それなら時間を見てお店にお邪魔します」

 クラスメイトに別れの挨拶を交わした由美は、教室を後にするなり足早に玄関へと急いだ。買い物を手早く済ませて喫茶店へ足を運んでみよう、それが彼女の思いだった。

 早く帰宅したくないというわけではなく、またクリームソーダに惹かれたわけでもない。ただ何となく、親友からの誘いを断ることに抵抗感があった。彼女らしいといえば彼女らしい理由だろう。

 玄関まであと数歩のところか、後ろから呼び止められて振り返ってみる彼女。すると、大きめのハンドバッグを手にして外出先から戻ってきたばかりの静加が手を振っていた。

「あっ、先生、わたしに何かご用ですか?」

「ユミちゃん、ごめんなさい。少しだけいいかな?」

 ひそひそ話でもする気なのか、静加はこちらにおいでと手招きしている。

 いくら下校を急いでいるとはいえ、担任からのお願いを理由なく断ることなどできるはずもない。由美はきびすを返して静加のもとへと近づいていった。

 人気の少ない廊下の隅っこで並んで立つ女性二人。ここでの内緒話とは、あえて触れるまでもないが先日の理恵の事件についてだった。

「聞いたわよ。リエが不良に絡まれて大変だったみたいね」

「はい。わたしも聞かされた時は本当にびっくりしちゃって……」

 静加は外出ついでに理恵と連絡を取ったらしく、つい先程まで面会していたのだという。そこでも、不良に対する苛立ちを延々と聞かされたとのこと。

 それこそ怒りの矛先を派茶目茶高校に向けられたわけではないが、耳に痛いぐらいの不平不満ばかりで静加は困惑しながらただ慰めるしかなかったそうだ。

「こうなると、ますます不良絡みのお話は気を付けないとダメね」

「わたしは学校のみんなを不良だなんて思ってないけど、お姉ちゃんにしてみたらそう受け取ってくれなさそうです」

 こんな事件の直後だけに、不良そのものに敏感になっているに違いない。これ以上理恵の神経を逆撫でたりしないようにと静加と由美の二人は改めて約束を交わした。

「……ただね、一つだけ気になることがあったの」

 気になることとはいったい――?由美はコクリと首を捻った。

 理恵のことを笑いものにした不良三人組、彼女から聞かされた特徴とは、見た目は高校生で下校した後なのか私服姿だった。ここまではよくあるパターンなのだが。

「はっきり覚えているのがね、ネクタイ、ミラーグラス、メッシュの髪の毛なんだって」

「えっ、それってまさか」

 静加と由美の頭の中に浮かんでくる人物、それは紛れもなく日頃から顔を合わせているあの連中としか思えない。

 まさか愛すべき教え子が……。まさか信頼のおける親友が……。たしかにやんちゃで度が過ぎる面もあるが、人を傷付けて平気な顔をしていられる彼らではないはず。信じられないし、信じたくないのが本音だ。

 きっと気のせいだろう。一抹の不安を払拭したいがために、お互いに乾いた笑顔を向け合ってしまう心配性な彼女たちなのであった。


* ◇ *

「えーと、お買い物ってこんなものだよね」

 矢釜中央駅傍のスーパーから買い物袋を抱えて出てきた由美。いったんカバンを地面に置くなり、買い物袋の中身を隈なくチェックしてみる。

 食器洗剤に台所洗剤、洗髪用のシャンプーに歯磨き粉、そして玄関に置くための芳香剤。それらすべては姉の理恵からお願いされていた生活用品の補充だった。

 時刻は丁度夕方五時を回った辺り。学校の下駄箱で足止めを食らってしまったおかげで、想定よりも遅い時間に買い物を済ませた彼女、拳悟たちがいるであろう喫茶店へ向かうか、さてどうしよう。

(……今からお邪魔してもすぐに帰らないといけないし、今日は諦めた方がいいのかな?)

 この後の電車時間を計算したり姉が帰宅してくる時間も予測した結果、由美はこのまま寄り道せずに帰宅することを決断した。ちょっぴり後ろ髪を引かれる思いはあったであろうが。

 彼女はカバンと買い物袋を両手に抱えて、いざ駅の方角へと歩き始めようとした。

 ――この時、こんな物語らしい偶然とも言うべき出来事が待っていた。

「あら、ユミじゃない」

 オフィス街からの帰り道、矢釜中央駅付近の雑貨店に向かっている理恵が偶然にもここへやってきた。

「おーい、ユミちゃーん」

 馴染みの喫茶店を後にして、矢釜中央駅を目指していたハチャメチャトリオも偶然にもここへやってきた。

 由美を真ん中にしてバッタリと再会を果たすこの四人。それは運命のいたずらであろうか、あってはならない鉢合わせというやつだった。

「あ、あらら。ユミちゃん、このお姉さん知ってる人?」

「はい、姉ですけど……」

 お姉ちゃん――!?拳悟と勝、そして拓郎は一様に驚きを隠せない。口をあんぐりと開けたまま全身が硬直してしまった。

「ユミ、この男たちとまさか知り合いなの?」

「うん、同じクラスのお友達だけど……」

 友達――!?理恵は鈍器で頭を叩かれたような衝撃を受けた。彼女もまた、二の句が継げずに全身が固まってしまっている。

 まるで時が止まっているのではないかと思うほど、そこで身動きが取れなくなっている男女四人。この展開、由美でなくてもどんなに鈍感な人でも察しがつくだろう。

(まさか……というかやっぱり、お姉ちゃんに絡んだ不良三人組って拳悟さんたちだったんだ!)

 信じたくない事実がついに明らかとなり、由美はカバンと買い物袋を足元に落としてしまい茫然自失と化していた。

 顔色が青ざめていくハチャメチャトリオの三人、その一方で顔色が真っ赤に紅潮していく理恵、その真ん中で、心の中の黄色信号がチカチカと点滅している由美。

 ここであったが百年目。理恵は憤怒を示さんばかりに握り拳を固める。頭から角を生やし、口角から鋭利な牙を剥き出した姿はあの時と同じく大魔神のイメージだ。

「キサマら、わたしの妹までそそのかす気か? 絶対に許さん。不良などここで根絶やしにしてくれる!」

 殺されるなんて冗談ではない。拳悟たち三人は由美との挨拶もそこそこにそこから逃走を図ろうとする。

「ユ、ユミちゃん、ごきげんよう、生きていたらまた明日学校で!」

「えっ、あっ、あのっ……」

 それはもう猛ダッシュでかかとを蹴り上げて駆け出していくハチャメチャトリオ、それを猛烈なスピードで追い掛けていく理恵。ただ一人残された由美はその逃走劇をじっと見つめるしかなかった。

(先生、恐れていたことが本当に起こっちゃいました……)

 ――ここからは後日のこと。この日の出来事を由美から告白された静加は、すぐにハチャメチャトリオを呼び付けてこっぴどく説教をしたそうだ。

 理恵に許してもらおうと謝罪の機会を設けてどうにか怒りを静めてもらったわけだが、仲良しになれるわけもなくわだかまりだけがそこに残る残念な格好となってしまった。 

 由美は由美で、学校に行けなくなる事態まではいかなかったものの、それからほとぼりが冷めるまでの間、ギクシャクとしたやり切れない日々が続いたそうな。

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