第十六話― ミラーグラスに隠された涙ぐましい物語(2)
「何? スグルの目が知りたい?」
ここは二年四組の教室。麻未と由美の二人は、このクラスに在籍している一人の女子生徒のもとを訪問していた。
輪ゴムで縛ったおさげ髪を肩先まで下ろし、学生とは不釣合いなカンフースーツを着こなした女子こそ、二年四組の危険人物と恐れられる風雲賀流子その人であった。
「はい、フウウンガさん、スグルくんと同級生だから、見たことがあるんじゃないかと思って……」
由美と流子の二人だが、ちょっとしたきっかけで知り合った友達同士である。クラスメイトは別として、あまり交友関係の広くない流子にとって由美は数少ない話し相手の一人なのだ。
そんな友人との会話は楽しいもののはずだが、宿敵ともいうべき勝の名前が出てきた途端、流子の口調がドスの利いたものに変わり表情からも緩みが消え失せた。彼女にしたら、彼の名前そのものが禁句だったのかも知れない。
「アイツの目なんか知るもんか。だいたい、知りたくもないね」
流子の回答、それは冷たくて感情のこもっていない言葉だった。知っていても記憶の中から消し去りたいとまで言い放ち、勝に対する嫌悪感の強さが感じ取れた。
あらかた想定はしていたが、ここでも秘密を暴く糸口すら掴めずふて腐れながら途方に暮れる麻未。さすがに執念深い彼女でも、いよいよ諦めるしかないムードが漂ってきた。
まったくもって下らないと、流子は呆れたような溜め息を漏らした。怪訝そうな顔つきをしつつも同姓としての優しさなのか、由美と麻未にとっておきのヒントをプレゼントしてくれた。
「あんたたちさ、あたしなんかよりもケンゴに聞けばいいんじゃないの? あの二人って中学校から同級生だったでしょう」
――その瞬間、麻未と由美はキョトンとした顔を向け合った。
彼女たちのクラスメイトである勇希拳悟。勝といつもいがみ合ってはいるが、彼らは心を通わせる親友同士でかつ中学校時代からの同級生だ。
それを知っていたはずであろうこの二人。思ってもみない指摘を受けて、照れくさそうに苦笑するしかなかった。
「……あれ、ケンちゃんのこと忘れてた」
「……だって、まだケンゴさん登校してなかったから」
勝と同様に情けを掛ける相手ではないが、お友達から忘れ去られてしまったアホを哀れに思ったのか、流子は愚痴を漏らしながら溜め息を一つ零した。
「ケンゴなら今頃下駄箱にいるだろうな。まだ気絶していればの話だけど」
どうやら流子と拳悟、玄関先で偶然に遭遇しひと悶着あったようだ。また性懲りもなくやり合ったらしく、熾烈なバトルの末、彼女の方が勝利して現在に至るというわけだ。
何はともあれ、希望の光が潰えることなくホッとする麻未と由美の二人。親切に接してくれたカンフー少女にお礼を告げると一目散に下駄箱へと駆け出していった。
* ◇ *
案の定、下駄箱には戦いに敗れて悔やんでいる拳悟の姿があった。
ストライプ柄のシャツに付着した埃を手で払い、乱れた青色のネクタイを結び直す彼。顔にも複数の青あざがあり、それらが二年四組のデンジャラス少女との死闘を物語っていた。
「それにしてもリュウコのやつ、手加減ってものを知らねぇからなぁ」
ぼやいてはいるものの、そもそもバトルを吹っかけたのは拳悟の方であり、悪口や暴言を撒き散らして流子を怒らせたことが敗因になったのは特記すべきところ。
今日のところは負けを認めようと宿敵に対して敬意を表する律儀な彼ではあるが、負けた腹いせに彼女の外履きに画鋲を仕込むような姑息で卑怯な男だったりする。
延髄蹴りをまともに食らって頭がフラフしているところに、その頭に響かんばかりの大声を張り上げる少女たちがいた。
「あ、いたいた、ケンちゃーん!」
手を振って駆けてくるクラスメイトに気付き、拳悟は後頭部を擦りながら朝の挨拶を交わす。
「アサミとユミちゃんか。おはよう」
「おはようなんてどーでもいいの。ちょっと聞きたいことがあってさ」
「おいおい、挨拶をないがしろにするなんて穏やかじゃないなぁ」
麻未たちの慌てぶりからして緊急事態か何かだろうか。今が一時限目の授業の開始間際ともあって拳悟の顔色にも動揺が広がった。
彼女たちはここまでの経緯を一部始終説明した。いつもミラーグラスで目を隠している勝の目の秘密、そしてクラスメイトや他のクラスの友人たちもそれを知らないという事実を。
それらのすべてを耳にした彼は、不穏を察したのか顔つきがいつになく穏やかでなくなった。それはきっと、勝が目を隠し通そうとする根深い理由を知っているからに違いない。
「ケンちゃんとスグルくんって、お布団を一緒にするほどの仲だから目のこと知ってるでしょ?」
「誤解を招くような言動は控えろよ。こーみえても男子と二人きりで外泊したことないんだぞ、俺は」
麻未からしつこく迫られるばかりか、由美からも控えめながらも訴えてくる視線を全身に浴びてしまい拳悟は逃げようにも逃げられない状況に陥っていた。
男と男の熱き友情を押し通すのか、はたまた女子からの欲求の眼差しにひれ伏すのか。――拳悟が出した結論は、それほど迷うことなく案外あっさりしたものだった。
「スグルの目だけど、いわゆるギョロ目ってやつ。目がひん剥いてるのさ」
拳悟の口から暴露された勝の目の真相――。目がびっくりするほど剥き出しており、見る人が皆恐れをなして逃げ出してしまうからミラーグラスでそれを隠しているのだという。
その事実を知り、悲しきコンプレックスを哀れに思った麻未と由美。一度だけでも拝んでみたいと思うも、ここはそっとしておこうと相槌で納得し合った。
「あ、言っておくけど、このことはスグルには内緒だぞ。もちろん他の連中にもな」
「わかってるわ。どうもありがとうケンちゃん。それじゃあ先に教室に戻るわね~」
すっきりというか、さっぱりと晴れやかな顔で麻未と由美の二人は教室へと戻っていった。
彼女たちの背中を手を振って見送る拳悟。彼も彼で教室へ急がねばならない人物なのだが、なぜかその足は止まったままであった。それはどうしてかというと……。
「これでいいんだろ?」
「……おい、誰がギョロ目なんだ、このやろう」
拳悟の背後からふら~っと姿を現したのは、何と、この騒動の渦中である勝本人だった。彼は目の真実を知るただ一人の拳悟をすぐにマークし、事前に秘密をごまかすよう根回ししていたのだ。
それが功を奏して事態は収束に向かったわけだが、勝はミラーグラスで隠れた目を鋭くしてどうにも納得がいかない様子だ。
一方の拳悟にしてみたら、麻未たちを諦めさせることに成功しただけに文句ではなくむしろ感謝してほしいと偉そうに踏ん反り返りたい気分だろう。
「だからっておまえ、いくら何でもギョロ目はねーだろ。それじゃあ、俺が変人扱いされちまうじゃねーか」
「何言ってんだよ、おまえそのものじゃねーか」
「何だとっ! てめぇ、もういっぺん言ってみろや!」
頭のてっぺんから蒸気を噴き出していきり立つ勝。こうしてまた、この二人の恒例と言うべき追いかけっこが授業が開始される直前までしばらく続くのであった。
* ◇ *
勝の目、それは人から恐れられてしまうギョロ目――。拳悟が取り繕った嘘を信じ込んでいた麻未と由美の二人は教室前の廊下を軽やかな足取りで歩いていた。
「でも、ギョロ目じゃ隠して当然だろうね。やっぱり見てみたいなぁ」
「もうアサミさん、ダメだよ。真相がわかっただけで満足しなくちゃ」
いくら秘密が明かされても一度でも目にしてみたいと願うのが世の常、麻未は名残惜しそうな顔で苦笑し、由美は由美で、そんな麻未を宥めながら困ったように苦笑した。
教室へ戻る最中も、頭の中に浮かんでくるのはミラーグラスを取っ払い、ひん剥いた目をギョロギョロさせるクラス委員長の間の抜けた顔ばかり。失礼と思っても、つい微笑んでしまう年頃の女子たちであった。
「あれ、アサミさん、教室の前で人が集まってるよ」
「ん? 本当だ。何かあったのかしら」
廊下の途中で立ち止まる女子二人。そして見つめる先で群れを成す生徒たち。耳に入ってくるのは、やんややんやと煽り立てるその生徒たちの大歓声だった。
これはただごとではないだろうと内心戸惑ってしまう由美を置き去りにして、麻未は胸を躍らせながら興奮気味に駆けていった。
群集の中を割って入っていく彼女。すると大歓声がより大きくなって、おのずとそこで何が起きているのか視界に入ってくる。
「なーんだ、ただの喧嘩か」
麻未はつまらなそうな溜め息を一つ零した。生徒たちの注目の的になっていたものとは、怒鳴り声を上げて取っ組み合いの喧嘩をしている二人の男子生徒だったのだ。
ここ派茶目茶高校では、休み時間だろうが授業中だろうがこんな小競り合いなど日常茶飯事、別に珍しいものでも何でもない。麻未にしたら、あくびが出るほど飽き飽きしてしまうものだ。
一時限目の授業の前からいい迷惑、できることなら教室までの通行の邪魔だからさっさと終わってほしい。これが彼女の今の心境というわけだ。
「おお、アサミも見てたのか」
「ああ、タックンもいたのね」
不満げな表情の麻未に声を掛けたのは、彼女と同じくお祭り騒ぎに関心があってやってきていた拓郎だった。
彼もすっかり呆れ返っているのだろう、パーマをかけたメッシュの髪の毛を掻きながらつまらなそうな表情をしている。彼にしてみても、子供同士の喧嘩などまったく興味がないようだ。
「ねぇ、この子たち、何が原因で喧嘩してんの?」
「聞いた話だと、宿題の見せ合いっこしようと約束したら、どちらとも宿題を忘れてきたらしいな」
「バッカみたい。そんなチンケな友情なんて壊れてしまいなさい」
麻未と拓郎が愚痴を漏らしている頃、置いてけぼりを食らった由美はというと、男くさい群集の中に入っていくことができず右往左往しながらそこに立ち尽くしていた。
生徒たちのけしかける声や、物々しい物音にすっかり臆してしまっている彼女。授業開始時刻も迫っており、自分の教室に戻ることができず当惑するしかなかった。
丁度そこへ、彼女の助け舟となる人物が近づいてきた。それは先ほど、下駄箱付近の廊下で鬼ごっこに興じていた拳悟と勝の二人組である。
喧嘩の現場から離れているせいか、彼らはまだ、由美のことや賑々しく騒いでいる連中にも気付いてはいなかったようだ。
「おまえさー、いつまで目のことこだわるつもりなん? いい加減ほとぼりも冷めただろうに」
「うるせーな、おまえには関係ないことだ。いいか、どんなことがあっても秘密だぞ、わかったな?」
あくまでも目の秘密を隠し通そうと躍起になる勝。その執着ぶりに若干呆れてしまうものの、拳悟は渋々了承のサインを送る。しかも、右手を物欲しそうに差し出しながら。
それはすなわち口止め料。いくら友人同士とはいえ、守秘するためにそれ相応の見返りを求めるのは妥当だろうと拳悟はこれ見よがしにケラケラとせせら笑った。
人の弱みに付け込んで金品を要求する友人がいるもんか!勝は苛立ちを露にしながらも、拳悟の思い通りに動くしかない悲しい宿命なのであった。
「その代わり現金はダメだ。今度、おまえん家にインスタントコーヒーギフトセットを送ってやるから待ってろ」
「あ、それならさ、サラダ油ギフトセットにしてくれないか? オフクロが最近揚げ物に凝っちまってさ」
「やかましい、おまえん家の食卓事情なんか知るもんかっ!」
言い合いを繰り返していた男子二人。教室に近づくにつれ、ようやく聞こえてきた騒動らしき生徒たちの大声。もちろん、戸惑っている由美のこともしっかりその目で捉えていた。
「あれ、ユミちゃん、そんなところに突っ立って、どうかしたの?」
「あ、ケンゴさんとスグルくん」
由美にしたら願ってもみない助っ人の登場だ。彼女は二人の傍に駆け寄るなり、ここで立ち往生している経緯を説明した。
「まったく、どうせバカが集まってバカなことでもしてるんだろう」
ミラーグラスで隠した目を細めて、勝はバカ騒ぎしている生徒たちに暴言を吐き捨てる。ここは二年七組のクラス委員長として、黙って見過ごすわけにはいかないといったところか。
この騒動を止めてやろう。勝は意気揚々と群集を掻き分けていく。これこそが根っからの責任感と使命感なのか、それともただ暴れたいだけなのだろうか。
そんな衝動的なクラス委員長の行動を拳悟は止めようとはしなかった。とはいえ、立ち止まっていてもどうしようもない。彼は由美を連れ立って、人ごみの中に消えた勝を追い掛けていくのだった。
生徒の群れを潜り抜けた先には、いざこざを起こしている男子生徒二人が喧嘩をしている。風紀を乱す彼らに鉄槌を下そうと、勝の胸がダンスするかのごとく躍った。
「おお、スグルも見物に来たのか?」
「スグルくん、あんたも物好きねー」
いざ突入しようとした勝に水を差したのは、高みの見物を決め込んでいるクラスメイトの拓郎と麻未の二人。また新しい仲間の登場に彼らはニヤリと不敵に笑った。
「おまえら何黙って見てんだよ。もう授業開始五分前だろ? さっさと止めろよ」
勝は真っ先に苦言を呈した。いくら勉強が嫌いでも、いくら先生が気に食わなくても授業はちゃんと受けるべし。クラス委員長らしく彼は立派なお説教を語り始める。
授業中にしょっちゅう悪ふざけするヤツの言う台詞か?と、拓郎と麻未はそんな文句が喉元まで出掛かったが、怒らせるといろいろと面倒なので口にするのは止めておいた。
勝がお説法をくどくど零しているうちに、その背後では男子生徒二人の喧嘩がどんどんヒートアップしていた。取っ組み合いがエスカレートし、ついには殴り合いへと発展してしまう。
『ガツッ!』
――廊下中に響き渡った異音、それは男子生徒が顔面に痛撃を受けた音だ。それと同時に、野次馬たちのどよめきがより一層大きくなった。
手痛いパンチを食らって吹き飛ばされた男子生徒は、制御不能な足取りのままで勝たちのいる群集の方へと突っ込んでいく。
「うわっ、そこ、避けろっ」
――どこからともなく聞こえてきた叫び声。喧嘩していた男子生徒二人に背を向けていた勝は、その声に気付いても、迫ってきている人影にまで気付くことができなかった。
「うおぉわっ!?」
勝は背中に衝撃を受けて口から大声が漏れた。それもそのはずで、吹き飛ばされた男子生徒が彼の背中にぶつかってきたからだ。
ここで予期せぬハプニングが訪れる――。お約束通りと言ったら申し訳ないが、もがくように振り回した男子生徒の右手が勝の顔面、いや大切なミラーグラスにヒットしてしまったのだ。
ずり落ちそうになるミラーグラスを必死になって手で押さえようとする勝。だがそれよりも早く、ミラーグラスのフレームは耳元から外れてしまう。
ここでさらに不幸とも言うべき事態が待っていた――!
ミラーグラスはそのまま廊下の上に自然落下すると、何と、ふらついている勝本人の強靭な右足によって木っ端微塵に粉砕されてしまったのである。
(あ、やばい――!)
群集の中からその顛末を見ていた拳悟。非常事態を察知したのだろう、恐れるあまり表情からみるみる血の気が引いていく。
彼の顔色がかなり異常に映ったせいか、それに異変を感じた由美もドキッと鼓動が大きく揺さぶられた。
「ケンゴさん……?」
「ユミちゃん、危ないからここを離れてくれ!」
「えっ?」
由美は何もわからないままに、人ごみの中から半ば強引に避難させられてしまった。
その一方、壊されたというより自ら壊してしまったミラーグラスを握り締めて、勝はひざまずいた格好でうなだれていた。ブルブルと肩を震わせている彼、その心情はとても穏やかではいられないはずだ。
それを哀れに思ったのか、野次馬たちは一様に押し黙った。喧嘩をしていた男子生徒二人もさすがに悪いと思ったらしく、お互いに顔を見合わせてから勝に向けて謝罪の弁を口にし始める。
「す、すまない。メガネのことなら弁償するからさ……」
「……お、俺のグラスが。お気に入りの、俺のグラスが」
すっかり意気消沈としている勝だが、その口から漏れてくる途切れ途切れの言葉は恨みつらみを示すような陰湿なものだった。これも一重に、大切にしていたミラーグラスへの愛着心というやつか。
異様さが漂う雰囲気に不安が広がり、群集の面々は事態の行方を緊張の面持ちで見守っている。もちろんその中には、勝の親友である拓郎と麻未の二人もいた。
それから数秒後、プラスチックの砕ける音が周囲に小さく響いた。それは、勝の渾身の力で握り潰されたミラーグラスのフレームが折れる音であった。
「――殺してやる、てめぇら、殺してやるよ!」
大切なものを失い、憎しみと怒りの頂点に達した勝。ゆっくり振り向かせる顔にあるものとは、吊り上がった眉と血管の浮き出たこめかみ。――そして、野獣のように突き刺す切れ長の鋭い目つき。
そうだ、そうなのだ。不慮な事故とはいえ、ついに、ついに、トップシークレットだった彼の目がここにお披露目されたのだ。
「おい、スグルの目がついに開眼したぞっ!」
「えっ、ちょっと待ってよ、あの目、ケンちゃんの言っていたイメージとぜんぜん違うじゃないの!?」
勝の目は期待(?)を裏切り、男前なほど舞台役者並みの凛々しい目元だった。その事実を目の当たりにし、拓郎と麻未の二人はびっくりしてしまって動揺を隠し切れない。
そこへ大慌てで駆け付けてくる拳悟。これから大噴火が起こるからと、拓郎と麻未の腕に掴み掛かって避難させようとした。
――数秒後、それが現実となり、壮絶なる大噴火が起こった。
「ウガァァァァ~~!!」
「ぎゃあぁぁぁ~~!!」
ぶん殴られて吹っ飛ばされる男子生徒二人。そして、追い回される野次馬の男子生徒たち。獰猛な野獣へと変貌した勝は、狂気に満ちた声を上げながら見境なく暴れ出した。
こうなるともう誰にも止められない。教室前の廊下が騒然とする中、拳悟のことを取り囲んでいるクラスメイトたちはその行く末を見つめながら呆然とするしかない。
「ケンゴ、あれはいったいどういうことだ? あの怒り具合はちょっとただ事じゃないぜ」
「ケンちゃん、嘘偽りなく正直に話して。彼のあの振る舞いさ、ただのモンスターだよ」
拳悟も予測していなかったのだろう、眉を八の字に曲げてすっかり困り果てている。ここまで来ては言い訳もできないと思い、彼はこのような騒動となった背景について語る羽目になった。
「やれやれ、詳しく話してやるよ。これは俺たちが中学の頃の話だ」
勝とミラーグラスの切っても切れない関係。その謎を解き明かすには、今から数年前、彼がまだ中学生だった時代に溯る。
* ◇ *
中学校時代の勝は、それはもう勉強熱心で規則正しい純情な少年……なんてことはなく、今現在とあまり変わらない生意気でやんちゃな学生だった。
不良とレッテルを貼られるほどではないが、伸ばした前髪で目を隠したり学生服を短ランにしたりといった校則違反を繰り返す、いわゆる悪ガキ程度の素行不良といった感じだろうか。
彼には当時、他のクラスに想いを寄せる一人の女子生徒がいた。
真っ直ぐな黒髪を後ろで結い、パッチリな目で愛らしく微笑む才色兼備なその女子生徒は、同じクラスメイトのみならず他のクラスや他の学年の男子生徒からも注目されるほど人気があった。
さて前振りもこの辺にして、ここは勝の通っていた中学校のとある教室。そう、学校のアイドルである女子生徒が在籍している教室内だ。
彼女ともっと親しくなり、願わくばお付き合いすらも夢に描いていた勝は、勇気を振り絞って好みの男性のタイプを尋ねてみた。
「う~ん、好きな男性のタイプかぁ」
彼女は口元を緩めながら首をコクリと傾げる。この手の質問をあまりされないのだろうか、恥ずかしそうに答えた好みのタイプはごく在り来たりのものばかりだった。
優しい人、たくましい人、そして浮気しない人。それを耳にした勝はクスッと口角を上げた。まさに自分自身のことではないかと。
(よし、いいぞ、いいぞ。いい感じじゃねーか。ここは一つ、デートでも誘ってみるかな)
夢見心地ですっかり有頂天になっていた勝。もう頭の中には女子生徒と仲良く腕を組んで、有名なテーマパークの園内でも歩いている妄想が浮かんでいたことだろう。
「あ、そうだ! あたしね、一つだけ許せない条件があるの」
「許せない条件? 男性のタイプでかい?」
女子生徒が声を潜めて曰く、その絶対に許せない条件とは男性の性格ではなく見た目なのだという。
見た目で許せないものっていったい何だろう……?勝の表情から余裕が消えて緊張の二文字が浮かんだ。彼のおっかなびっくりの問い掛けに、彼女は躊躇うことなくあっけらかんと答える。
「あたしね、目が鋭い人がダメなの。それだけは絶対に許せないんだ」
「……へ?」
――その瞬間、勝の緊張が最高潮に達した。顔色からみるみる赤みが失せて、顔全体どころか背中にもじっとりとした冷や汗が滲んだ。
言葉を失いショックを隠し切れない彼。その心情など知る由もない女子生徒は何事にも興味を抱く年頃だからだろうか、彼の隠れている目のことが気になってしまったようだ。
「あれ、そういえばスグルくんって目を前髪で隠してるね。どんな目をしてるの?」
「えっ!? お、俺の目は、その、何だ、いわゆる普通の目さ、そうそう!」
勝が必死になってごまかそうとしても、一度火が点いた女子生徒の好奇心はそう簡単に消えるものでもない。執拗に迫られてしまい、彼は前髪を両手で押さえながら後ずさりを始める。
――この後、勝にとって思ってもみない悲劇がやってくる。机にぶら下がっていたカバンのベルトに足を引っ掛けて体勢を崩したまま後ろから倒れてしまったのだ。
両手を後ろに回して受身を取った彼だったが、背中を強打することは免れても、前髪からチラリと覗いている舞台役者のような切れ長の鋭い目のお披露目だけは免れることはできなかった。
「え……。スグルくんの目って」
「あ、あ、いや、これにはその、深いわけが……」
女子生徒はその場から駆け出した。薄っすらと瞳に涙を浮かべて――。
脇目も振らずに教室から飛び出してしまった彼女、ただ一言、金輪際会うこともないでしょう、さようなら!と叫びながら。
その日の夜、恋破れて憔悴し切った勝は布団に包まって泣き崩れた。涙がかれるほど泣きじゃくった。そして、登校拒否の一歩手前まで寝込んでしまったという。
* ◇ *
「……とまぁ、そんなわけで、アイツがミラーグラスを外すと鬼に変わっちまうのさ」
中学校時代の忌々しい出来事以降、自分の目がトラウマになってしまった勝。それからも前髪を伸ばし続けたが、煩わしさもあってか高校への入学を機にミラーグラスを掛けるようになったそうだ。
ちなみにこのミラーグラスは、矢釜中央駅付近のアンティークショップで手に入れた彼のお気に入りのものだった。そういう点もあって肌身離さず装着していたのだろう。
拳悟から一部始終を聞いたクラスメイトたち。麻未はハンカチで目元を拭い、拓郎は苦笑しながら頬の辺りをポリポリと掻いている。
「ううう、聞くも涙、悲しいお話ね。かわいそうなスグルくん」
「昔、額のお札を剥がして動くユーレイの映画があったけど、それに近いものがあるな」
勝の知られざる過去を知った仲間たちの感想はさまざまだが、由美一人だけは困惑した顔で廊下の方を見つめている。
それはまさに、猛獣が草食動物を追い回しているような光景。そう、そこは血走った目を光らせた彼が大暴れしている現場であった。
「……あの、スグルくんのこと止めてあげないと。このままだと、何人怪我人が出るかわかりませんよ?」
「ふぅ……。結局、俺が一番損な役回りなんだろうね~」
深い溜め息を一つだけ漏らした拳悟。当然ながら騒動の仲裁役を任されてしまったわけだが、鬼と化した勝のことを止められるのは派茶目茶高校の中では彼一人しかいないのかも知れない。
それから数分ほど経ち、勝をどうにか宥めることに成功した拳悟ではあったが、授業開始に影響が出たことは否めず、彼らを含めて一部の生徒たちは廊下の拭き掃除という罰を受ける羽目となってしまった。
喧嘩に一切関係ない拳悟にしてみたら、それはただのとばっちりなわけで踏んだり蹴ったりの災難と言えなくもなかった。
* ◇ *
これは後日談。
不慮な事故で大切なミラーグラスをなくしてしまった勝は、その後どうなったかというと?
「しばらくはそのメガネで我慢しろよ」
「いやじゃー! 駅前の店にある、あのミラーグラスを持ってこーい!」
拳悟が応急処置として持ってきたメガネ、それは牛乳瓶の底のような丸いレンズをした、正直言ってセンスの欠片もないカッコ悪いメガネであった。
駄々をこねて騒がしい日々がしばらく続いたが、それから数日後、喧嘩をしていた男子二人からの弁償代金で勝はどうにかお眼鏡にかなったミラーグラスを無事に手に入れることができた。
ちょっとした好奇心から勃発した勝の目にまつわる騒動。二年七組のクラスメイトも、いや、この学校の生徒全員も二度と彼の目に触れる者はいなかったという。




