第十六話― ミラーグラスに隠された涙ぐましい物語(1)
カレンダーのページも九月を示し、学生にとって最大のイベントである夏休みも終わった。
気持ち新たに二学期を迎えたここ派茶目茶高校でも、夏の淡い思い出話、苦労話や失敗談など、久しぶりの再会を喜ぶ生徒たちの話し声が所狭しと飛び交っていた。
それはもちろん二年七組の教室も例外ではない。仲間たちがこぞって集まり、一ヶ月半にも及ぶ夏休みの話題に花を咲かせていた。
「ほれほれ、見てみろよ、矢釜海岸ばっかり行ってたから日焼けで真っ黒になっちまったよ」
「へー、いいなぁ。ボクなんて夏休みの期間中、毎日のように座禅組まされていたよ」
真っ黒な肌を自慢するモヒカン頭の勘造、そして真っ白な肌に不満を抱くかつらで坊主頭を隠している志奈竹。どうやら彼ら二人の夏休みは両極端だったようだ。
一方その頃、教室前の廊下を歩いていたのは充実した夏休みを満喫することができた由美だった。
初めての経験となったアルバイト。それをきっかけに、他校にも友人ができたことは彼女にとってかけがえのない思い出になったはず。そのせいだろうか、彼女の表情も夏休み前とはどこか違って見えた。
そんな彼女へ声を掛けるのは、遅刻組の汚名返上とばかりに早めに登校してきた麻未であった。彼女の場合、たまたま前日に夜遊びをしていなかっただけなのかも知れないが。
「ユミちゃん、おっはよう」
「あ、アサミさん、おはよう」
いつもと何ら変わらない朝の挨拶だが、ちょっと久しぶりだったせいか二人とも声の張り具合はいつもよりも高かった。
「ねぇねぇ、宿題はちゃんと終わらせた?」
「うん、一応ね」
「さっすがユミちゃん。あとでこっそり見せてほしいな~」
両手を擦り合わせて切願してくる麻未に、仕方がないですねと由美は苦笑しながら承諾してしまうのだった。
夏休みが終わって最初の登校日らしい、ごくありふれた会話が囁かれる校内。これも学生生活の微笑ましいエピソードの一つと言えるだろう。
生徒の誰しもが新学期に向けて気持ちを引き締める中、残念というか何というか、夏休み明け早々遅刻をしてしまう生徒も一部はいるようで……。
* ◇ *
「ぐぉぉ~、完璧に遅刻じゃねーか! クラス委員長として何たる不覚!」
始業時刻を十分ほどオーバーした頃、静かな校舎の中をひた走る生徒が一人。彼こそ、二年七組のクラス委員長の威厳を欲しいままにしている勝だ。
彼から言わせると、この遅刻の原因は決して夜更かしのよる寝坊ではなく、前日の夜遅くまでたまりにたまっていた夏休みの宿題を片付けていたことが原因なのだという。
一分でも早く到着せねばと、がむしゃらに両足の動きを速める勝。このままではクラスメイトへ示しが付かないという焦りもあるのだろう。
丁度教室の前の廊下へ差し掛かったところ、前方をのんびり歩いている一人の男子生徒がいた。見慣れた後ろ姿から、それが同じクラスメイトだとすぐにわかった。
「おい、タクロウじゃねーか。おまえも遅刻かよ?」
「ああ、スグルか。まさか、おまえも遅刻とはな」
拓郎曰く、昨夜ぶらぶらと外出していたらしく、ついつい調子に乗って朝方近くまで遊び呆けてしまい案の定すっかり寝坊してしまったとのこと。
理由はどうあれ、新学期早々に遅刻したこの二人。他の学校でもこういう生徒がいるだろうが、派茶目茶高校ではこれが数十人いるというからその破天荒ぶりが垣間見れる。
彼ら二人が足を向ける二年七組の教室では、クラス担任である斎条寺静加が二学期を迎える生徒たちに訓示を述べていたところだった。これも新学期初日ではお馴染みの恒例行事と言えなくもない。
一学期の成績が悪かった人は精一杯の努力を、成績が良かった人はさらなる努力を。教育の厳しさに定評のある彼女は、生徒にとっては耳の痛い教訓を惜しげもなく口にしていた。
担任からの闘魂注入も終わり、たんまりと課された夏休みの宿題集めが始まった頃、クラス委員長である勝とその仲間である拓郎がようやく教室へとやってきた。
きしんだ音を響かせる教室の扉、そこから申し訳なさそうに顔を覗かせる彼らに、静加はこれ見よがしに冷め切った眼光をぶつける。
「ん~、あなたたち、新学期初日からやってくれたわね」
教育のみならず風紀についても厳しい静加、その手には聖なる鉄槌を繰り出すハンマーが握られていた。
新学期早々、暴力(?)を振るわれたらたまったものではない。勝は両手をばたつかせて弁明に追われるのだった。
「シズカちゃん、早まらないでくれ。昨日の夜、徹夜で宿題やってたんだからさ」
まさか――!といった表情をする静加。それは彼女ばかりではなく、ほとんどのクラスメイトも同じようなリアクションを示していた。ある意味、勉強しないイメージを植え付けられた勝が哀れでならない。
そう宣言されてしまった以上、証拠を見なければ気が治まらない。彼女は意地悪っぽく微笑しながら、ほれほれ早く提出しないさいと督促するように手を差し伸べる。
「いや、まだ終わってねーんだよ。だからもう少し待ってくれないかな?」
「まぁ、それなら仕方がないわね。それで残りどのぐらいなの?」
勝は手持ちのカバンから一冊の大学ノートを取り出すと、そのノートのページをペラペラとめくって徹夜までした昨夜の努力を如何なく報告した。
「一問解くのに一時間もかかっちまってさ。実はまだ、五十問中、四問ほどしか終わってねーんだわ、これが」
宿題全体の八パーセントの達成率に愕然とし、ズルッと椅子から滑り落ちてしまうクラスメイトたち。
担任である静加もすっかり呆れ返ってしまい、重量感たっぷりの溜め息を一つ零して叱責する気力すら沸いてこなかったようだ。
「そんなことだろうと思ったわ。最終提出は今日の夕方までだから、それまでに残った問題を解答しなさいね」
宿題を提出しない場合、二学期の成績に相当響くと脅されても勝と拓郎の二人にとってはどうしてみようもない。どんなに学習してもわからないものはわからないのである。
とはいえ、提出しないままでは担任から天罰が下されるのは間違いない。彼らは渋々ながらも、適当に答えを埋めて提出してしまおうと小声で打ち合わせた。
その聞き捨てならない密談を静加は恐るべき地獄耳で聞き取った。ズガズカとパンプスのかかとを鳴らして、彼女は鬼の形相で彼らの座席へと迫ってきた。
「あのね、いくら解答しても間違いだらけなら意味がないのよ?」
勉学たるものは――と教師らしい諫言を零し始める静加であったが、対象の生徒二人はというと馬の耳に念仏とばかりにまったく改心する心構えなど示さなかった。
「だってさ、マジにやっても、俺ら成績なんて上がるわけねーもん」
「そうそう。それがわかってるならマジにやるだけ無駄な労力だしな」
こんなだらしのない教え子を前にしたら、担任としては頭を抱えて落胆に暮れるところだろうが、並々ならぬ不良たちに囲まれているせいか静加先生は一味も二味も違った反応をする。
澄ましたポーカーフェイスのまま、クルリと教卓の方へ引き返していく彼女。留年生を震撼とさせる戦慄の言葉だけを残して――。
「任対勝、関全拓郎の二名。落第ポイント九十点追加、と。残り十点で、今期留年確定だからそのつもりで」
「わぁ~、待ってくれシズカちゃん! やる、やる! 真面目にやるからそれだけは勘弁してくれぇ~」
一度留年を経験している勝と拓郎にとって、落第ポイント追加は致命的といっても大げさではない。来年こそ三年生に進級したいという願いが彼らの慌てぶりからも窺い知れた。
静加からの勅命には逆らえない勝は、キチンとした宿題の提出に苦悩し頭を抱え込んでいた。すると彼はふと、前の座席に座っている由美の目線を感じ取った。
「……………」
勝の顔をじっと見つめる由美。ここまでの話の筋道からしたら哀れんだ目線と思うところだが、彼女のつぶらな瞳から送られる眼差しはどこか不思議そうで何かを問い掛けているように見えなくもなかった。
吸い込まれそうな純粋な瞳に、私生活面では純粋とは言い難い勝といえど意識している女子だからか無意識のうちに頬を赤らめてしまった。
「ユ、ユミちゃん、どうかしたのか? 俺の顔に何か付いてるかい?」
「あ、ごめんなさい。そういうことじゃないんだけど……」
由美も恥らってしまい、勝からすぐに目を逸らしてしまう。伏し目がちの彼女の口から出てきた一言は、ちょっぴり高揚していた彼が思ってもみない質問だった。
「スグルくん、いつもそのメガネしてるけど。どんな目をしてるのかなって思ったの」
「――は!?」
鳩が豆鉄砲を食らったような顔で見返した勝。その驚き具合を例えるなら、トレードマークであるミラーグラスがズリッとずり落ちてしまいそうになったほどだ。
突拍子もない話題を耳にして敏感に反応する周囲のクラスメイトたち。ここぞとばかりに色めき立つのは、勝との付き合いも長く悪友同士でもある麻未と拓郎の二人だ。
「そういわれてみると、あたし、スグルくんがミラーグラス外したとこ、まだ一回も見たことないわ」
「俺もそうだわ。これまで疑問に思わなかったけど、おまえ、何でそのミラーグラス外さないんだ?」
それを聞いて由美は驚きを隠せなかった。勝と仲良しであるはずのこの二人も彼の目を一度も見たことがないという事実、それと周辺にいる生徒たちの誰もが同じようなリアクションだったからだ。
ちょっとした素朴な疑問から勝はすっかり注目の的になってしまった。彼はなぜか落ち着きがなくなり汗を飛ばしながらあたふたとし始める。
「おいおい、そんなことどーでもいいだろっ! 俺のことをあまりじろじろ見るんじゃねーって」
ミラーグラスは体の一部だと豪語し、必死になって目の話題を逸らそうとする勝の慌て方は尋常ではなく、それがますますクラスメイトたちの関心を煽ってしまう。
「あ、わかった。変な目しているから見せるのが恥ずかしいんでしょう?」
「俺たちの仲じゃないの。さぁ、笑ったりしないから潔くミラーグラス外してみろ」
麻未と拓郎の二人がどんなに誘導しても、勝は頑固一徹、首を横に振ってそれを拒み続ける。
彼が頑なにミラーグラスを外さないものだから、クラスメイトたちの妄想は膨らむばかりだ。垂れ目?吊り目?三白眼……?このまま放っておいたら、目の特徴一つで人格まで疑われてしまい兼ねない。
「俺の目はおもしろくもなく、おかしくもねーよ。だから、この話はもう終わり、いいな」
適当にごまかして事態の沈静化を図ろうと躍起になる勝だったが、一度火が点いた導火線はなかなか消すことができず、この予期もしなかった災難はすでに収拾が付かなくなっていた。
見せろ、見せろコールが巻き起こらんばかりの雰囲気。これにはさすがに堪忍袋の緒が切れたのか、彼の怒りの導火線にも火が着火してしまった。
「いい加減にしろ、てめーらっ! 見せねーものは見せねーって言ってんだろうが!」
クラス委員長が雷神のごとく怒鳴り声を撒き散らした直後、そんな彼目掛けて飛んでくるハンマー、その名も”聖なる鉄槌”――。
「あんたの方こそいい加減にしろっ!」
『カッコーン!』
そうなのだ、今はまだ朝のホームルームの真っ只中。静加先生のお仕置きを食らってしまった勝は、頭蓋骨に響くほどの激痛が走りうめき声を上げながら悶絶する。
担任の恐るべき懲罰が実行されるや否や、息を殺したように静まり返る教室内。その数秒後、ホームルームの終了を告げるチャイムの音がスピーカーから流れてきた。
「はーい、これでホームルームはおしまい。次の授業の準備を怠らないように」
冷徹なポーカーフェースのまま教室から去っていく静加。まったく変化のないその表情が、ここにいる生徒たちにこの上ない恐怖を植え付けたことは言うまでもない。
――そんなわけで、一時限目の授業前のわずかな休憩時間がやってきた。
不穏な空気が少しずつ和らいで安堵の吐息が教室内に充満していく中、勝はたんこぶができた頭を擦りながら立ち上がると、保健室で治療してもらおうとたった一人で教室を出ていった。
多くを語ることのなかった彼の背中をクラスメイトの仲間たちは口を閉ざしたまま見つめている。
特に混乱のきっかけを招いてしまった由美は戸惑ってしまい、勝に対しても、またクラスの仲間たちに対しても申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
「……わたしは、余計なことを質問しちゃったんですね」
気にすることじゃないと、表情を曇らせてしまう由美のことを励ます麻未と拓郎。この二人にしてみたら、執拗に隠し通そうとする勝の方が大人気なくて納得がいかないといった様子だ。
年頃の女子代表でもある麻未はやはり好奇心を掻き立てられるのか、勝の目の真実が知りたくて知りたくてウズウズしているようだ。
「あそこまで秘密にされちゃうと、やっぱり知りたくなっちゃうわね!」
居ても立っても居られず、すぐにも全容解明に乗り出そうとする麻未。後先を考えない無鉄砲な彼女を見て、由美と拓郎はそれぞれの思いのまま懸念を示した。
「待って、アサミさん。そんなことしたら、スグルくん、さっきより怒っちゃうよ」
「そうだぞ、アサミ。いくら俺でも、行き過ぎたら責任持てないからな」
好奇心は猫も殺す――ということわざもあり、調子に乗って介入すると手痛いしっぺ返しを食らうだろうと警告する二人。だが麻未はまったく微動だにせず、そこまで深入りしないからとそれを聞き入れようとしなかった。
いざ決断してみたものの、どこから始めたらいいのか迷ってしまうところ。クラスのみんなに手当たり次第聞きに回るほどの時間もなく、麻未は腕組みしながら唸り声を上げる。
そこへやってくるのは勘造と志奈竹の仲良しコンビだ。どうやら彼らも勝の目のことは知らないらしく、一度そのことを尋ねたら彼の逆鱗に触れてしまった過去があるという。
「ホントにびっくりしたよ。頭を思い切り小突かれたもんな」
「そうだよね。あの時のスグルさん、鬼みたいに怒ってたもん」
この二人の体験談からみても、ミラーグラスの奥にある目にはただならぬ秘密が隠されていることは間違いなさそうだ。
勘造と志奈竹からも止めるよう注意を促されても、危険をはらんだ緊張感がさらに麻未の興味を沸かせてしまっている。これにはクラスの仲間たちも溜め息交じりで呆れるしかなかった。
ここまでこだわるなら止めても無駄。勘造と志奈竹は諦め顔を向け合ったが、そんな彼らも勝の目の秘密を暴いてみたい気持ちが少しはあるようだ。それならばと彼らは彼女にちょっとしたアドバイスを送る。
「だったら、他のクラスの人に聞いてみるといいよ。八組のスタロウさんたちとか、四組のリュウコさんとか」
八組の須太郎、さらに四組の流子といえば勝と同じく留年している同学年である。気の置けない仲間(?)であれば、ミラーグラスを外した勝の目を見たことがあるかも知れない。
麻未はなるほど!と両手を叩いた後、偉い、偉いと言いながら勘造のモヒカンと志奈竹のかつらを撫で撫でしていた。髪の毛が乱れることを不快に思いながらも、色っぽい彼女の行為には逆らえない二人であった。
「よし、そうとわかればすぐに行こう。ほら、行くよユミちゃん」
「え? わ、わたしも行くんですか?」
いきなり誘われて、目が点のようになってびっくりしている由美。
そもそも勝の目について触れたのは紛れもなく彼女であり、言いだしっぺである限り最後まで責任を果たすべきだと麻未は無理やりそう主張する。
さらに勝の目に興味があるからあんな質問をしたのだろう?と迫られてしまっては、まんざら嘘とは言い切れないだけに由美は苦渋の面持ちで了承せざるを得なかった。
「それじゃあ、まずは八組のスタロウさんのところへ行ってみよっ」
「あ、ちょっとアサミさん、そんなに焦らないで」
半ば強引というか、腕をぐいぐい引っ張られる格好で麻未に連れ出されてしまった由美。
丁度その時、教室を出ていく彼女たちと保健室から戻ってきた勝が偶然にすれ違った。言葉を交わしたわけではないが、女子二人の不審な行動を目の当たりにし彼はいかにも不審げな顔つきをしていた。
内心穏やかではなかったのだろう、勝はズカズカと自分の座席まで戻るなり隣で気持ちよさそうに寝そべっている拓郎を問いただした。
「おい、まさか、まだ俺の目のこと探ってんじゃねーだろうな?」
「さぁな。俺にはよくわからん」
要領を得ない口振りでごまかす拓郎。彼ののらりくらりな態度を見て、勝はますます焦燥感と警戒感を強めていた。
拓郎は不敵に微笑んだ。年頃の女子たるもの、一度食い付くとなかなか離れようとはしないもの。女子は男子よりも執念深いのだという。
「そういうわけだし、おまえがいくらごまかしてもさ、いつかはバレちまうんじゃねーの?」
もう逃げられないと言わんばかりに意地悪げな表情をしてみせる拓郎だが、そんなことに動揺することもなく勝はニヤリと意味深に笑い返した。
「ケッ、バカやろう。この俺の目のことを知るやつなんざ、そんじょそこらにいるわけがねーだろうが」
「な、何だと?」
* ◇ *
ひょんなきっかけから始まった、ミラーグラスに隠された任対勝の目の秘密探し。
その秘密を解き明かそうとする好奇心旺盛な女子二名。まず最初に向かった先は、彼女たちのお隣の教室である二年八組だ。
「……何? 勝の目が知りたい?」
無愛想な受け答えをするのは、二年八組のリーダー的存在の知部須太郎。寡黙で無骨な男だが、仲間のことは大切にする心優しい性格の持ち主でもある。
質問の意図を不審に思ったのか、彼の目つきがキッと鋭くなった。筋肉隆々で大柄な体格で威圧されると、いくら顔見知りの麻未と由美でもビクッと震え上がって全身が硬直してしまう。
特別な意味などなく女の子のちょっとした興味本位。彼女たちからおっかなびっくりにそう聞かされた彼は、目つきこそ穏やかになったものの表情そのものは険しいままであった。
「……知っているも何も、アイツは俺の前でメガネを外したことは一度もない」
女子と接するのが苦手らしく、気恥ずかしそうに質問に答える須太郎。それでも少しでも協力しようとしてくれたのか、同じクラスのメンバーたちにも声を掛けてみた。
彼と同年代である中国人留学生の中羅欧を始め、メンバーたちはこぞって首を横に振っている。そんな彼らにしてみたら、勝とミラーグラスは切っても切れない間柄のように感じているのかも知れない。
「うーん、やっぱりダメかぁ。これはかなり謎が深いぞ~」
麻未は眉根を寄せて悔しがる。それらしい収穫もなく残念な結果となり、もどかしさとじれったさが膨らむばかりだ。
そんな彼女の背中に向かって、一人の男子生徒が軽やかな口調で話し掛けてきた。とんがった髪の毛を立てて軽薄っぽくめかしこんでいるこの男こそ、須太郎や中羅欧の仲間である馬栗地苦夫だった。
「よぉ、七組の男一筋のお姉ちゃん、ここへ男でも漁りに来たのかい?」
「天変地異が起きても、それがあんたじゃないことは確かね」
「おいおい、相変わらずつれないなぁ、俺とアサミの仲なのに」
目元を吊り上げて不機嫌を露にする麻未と、独りよがりでナルシストな笑みを浮かべる地苦夫。どうやらこの二人、口喧嘩するほど仲がいいというが相性はそれほど良くないようだ。
ここにいる彼も、勝とは同学年であり付き合いもそこそこ長い。もしかすると何かわかるかも知れないと彼女はダメ元で尋ねてみることにした。
「はぁ、スグルの目がどんなか知りたい? おまえ、男を目で判断するんだっけ?」
「だからそういう意味じゃないって。ちなみに、あたしは鎖骨の美しさで男を判断する」
誰も喜ばない痴話ネタなんかどうでもよい。麻未が本題について執拗に迫ってみると、地苦夫が意味深長な表情を返してきた。何やら、勝の目に隠された秘密を知っているかのような素振りだ。
「おまえ、アイツの目って秘め事だぞ。覚悟はできてるんだろうな?」
「できてる、できてる。だからさ、早く教えなさいよ」
麻未は色めき立って、地苦夫の腕に掴み掛かりせっついてくる。いよいよ謎が解明される期待と興奮で彼女の鼓動がドクドクと高鳴っていた。
それはもちろん、彼女の傍にいる由美も気持ちは同じだったのだろう。嬉々とした声は出さずとも、耳だけはしっかり澄ましているようだ。
女子二人のすがる視線に耐え切れなかったのか、そっと目を閉じて溜め息を漏らした地苦夫。仕方がない、教えてやろう――と、彼の口からついに秘密が解き明かされる瞬間がやってきた。
「正直に言おう。俺も見たことねーんだわ」
悪びれずにきっぱりと言い切られて、麻未と由美はズッコケそうになった。
バランスを崩しつつもどうにか踏ん張った麻未は、地苦夫の胸倉に掴み掛かり首根っこをグイグイと締め上げる。
「あんたねー、知らないなら早く言いなさいよっ! どうして、もったいぶったりするのよ!」
「く、苦しいって! 知ってるかどうか聞かれたから正直に答えたんだろうが」
結局、二年八組では収穫を得ることができず勝の目に隠された真実はわからずじまい。麻未は肩を落として落胆し、それを慰める由美もちょっぴり残念そうに苦笑いをしていた。
それでも麻未の方はまだ諦め切れないようで、人様の教室内で地団駄を踏んで一人苛立っていた。これが俗に言う、女子ならではの執着心というやつだろうか。
「でもさ、スグルの目のこと知ってどーするの? 知ったからって得なんてないんじゃないかね」
「ん~、こればかりは男子にはわからないだろうね。男性の秘められた部分を暴いてみたい、ちょっとした乙女心ってやつかしら」
偉そうに腕組みしながら女性固有のロマンを熱く語る麻未。もう一人の女性である由美も賛同はするものの、男性との触れ合いに不慣れなせいか麻未の言い分に相槌を打つのが精一杯だった。
その一方、須太郎や地苦夫といった男子にしたらそういったロマンなど丸っきり理解できるものでもなく、やれやれ……と困惑めいた表情を向け合うしかなかった。
ここで油を売っていても時間がもったいない。麻未はパチンと両手を叩いて次なる地点へと足を向けようとした。
「よし、ユミちゃん、次は四組に行ってみよう」
「え、まだ続けるんですか?」
「当たり前だよん、このまま引き下がってたまるもんですかっ」
麻未から半ば強引に拉致されて困惑してしまう由美。彼女たちが慌しく次に向かう先とは、勝と同学年の生徒が一人いる二年四組の教室であった。




