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第十五話― 夏休み 場外乱闘なアルバイト【後編】(1)

 それから数日ほど経過した。

 大衆食堂”えびすや”の昼下がりは、ごった返すとまではいかないものの遅めのランチを楽しむお客で賑わっていた。

 アルバイト学生である由美、そして柚加利の二人も注文取りやテーブルの後片付けなど普段通りの慌しい業務に追われていた。

 今日も一日何事もなく平穏で終わると思われていた矢先、この物語らしく物騒で不穏な事件が舞い込んでくる。それは言うまでもなく、あの夜叉実業高校の不良たちの突然の来訪だった。

 お店のドアをこじ開けて、怒鳴り声を上げながら乗り込んでくるオニタロウという名の強面の男性。割れんばかりの怒号と物音におののき、店内にいる誰もが息を呑んだように静まり返った。

 ついに来てしまった――!柚加利の表情があっという間に真っ青になる。彼女を支えるように寄り添う由美も、物々しい雰囲気に飲まれて鼓動をバクバクと震わせていた。

 この前と同じメンバー四人でやってきた不良たち。店内に立ち入るなり彼らが真っ先に向かう先はもちろん、硬直してしまっている柚加利の真ん前であった。

「今日こそは、おとなしく俺と一緒に来るんだな」

 オニタロウは牙のような八重歯を覗かせて不敵に笑う。黙って付いてくれば悪いようにはしないと、お店のあちこちを見やりながらヤクザまがいに脅しをかけてきた。

「誰があなたなんかと一緒にいくもんですかっ!」

 恐怖心で足の震えが止まらない柚加利。それでも、勇気を振り絞ってその誘いを真っ向から突っぱねた。

 そんな彼女の背中に店長の不安の眼差しが突き刺さる。お客に迷惑を掛けたくない、さらにお店を破壊されたくない一心から、彼の表情に緊張と動揺の影が浮かんでいた。

 張り詰める空気が充満する一触即発の非常事態。――そんな最中、どこからともなく、口元から漏れてくるようないやらしい笑い声が聞こえてきた。

「クックック。そんなおっかない顔してたら誰だって断るってもんさ」

 その笑い声は、テーブル席に腰掛けている二人の男性のものだった。

 一人はキャスケット帽を目深に被り、サスペンダーを肩に掛けて首元からネクタイをぶら下げている。もう一人も野球キャップを頭に乗せて、メジャーリーグのエンブレムをあしらったワイシャツを着こなしていた。

「何だと、コラッ」

 オニタロウは不機嫌を露にし、こめかみに青筋を立てて眉間にもしわを寄せる。クルッと方向転換した彼は、男性二人組のもとへずんずんと近寄っていった。

 二人組の方はというと、不良たちが近づいても臆することなく腕組みしながら余裕たっぷりにほくそ笑んでいる。しかも、オニタロウをとことん怒らせんばかりに挑発しながら。

「まぁ、怒る気持ちもわからなくはねぇが、他人をオタクの世界に引きずり込むのは良くねーわな」

「そうそう。アニメに出てくるアイドル猫ちゃんオタクじゃあ、世間様に顔なんて出せねーもんな」

 ドキッと心音が高鳴り、顔つきが強張っていくオニタロウ。焦りと恥じらいが入り混じり、ひまわり柄のTシャツが汗でネットリと滲んでいく。

 それは衝動的な暴挙と言えなくもなかった。頭に血が上ったのだろう、オニタロウは怒声を撒き散らしながらキャスケット帽を被った男性に対して拳を振り下ろした。

 彼の手元は狂ってはいなかった。――だが、風圧で飛んだ帽子だけをそこに残して、憎しみのこもった怒りの鉄拳は空しく空振りした。

 パンチを颯爽とかわしたその男性と、野球キャップを頭から外したもう一人の男性。この二人組こそ、店長公認で不良討伐隊を結成していた派茶目茶高校屈指のツートップ拳悟と勝なのであった。

「喧嘩っ早いヤツだなぁ。暴れ馬並みじゃねーか」

「今の時代、気が短いヤツは女子にもてないぜ?」

 彼ら二人がどうして凝った演出で登場したのか、それは単純に、その方が何となくヒーローっぽいという理由ただそれだけである。

「てめぇらは確か、あの時、俺たちの邪魔をしたヤツらか」

 吊り上がった目を細めて表情を険しくするオニタロウ。パンチ攻撃をかわされたせいもあってか、少しばかり動揺を隠し切れないようだ。

 拳悟はカッコつけながら、ビシッと人差し指を突き出して正義のヒーローっぽい仕草をしてみせる。

「ちょっとわけがあってな。彼女をおまえに渡すわけにはいかねーんだよ」

「ほう? そこまで言うなら余程の自信があるんだろうな。おもしろい、その女を守りたければこの俺を納得させてみろよ」

 邪魔立てするなら誰だろうと容赦はしないと、オニタロウは握り拳をポキポキと鳴らしながらそう言い放った。その自信に満ちた佇まいがバイオレンスな喧嘩に慣れている証しであろうか。

 柚加利だけではなく、お店も守る役目を担っている拳悟と勝。こんなところでバトルを始めるなんて、それこそ臨時ボーナスが儚い夢と幻に消えてしまうだろう。

 戦いの舞台はこっちだと言わんばかりに、拳悟は真剣な顔つきで右手の親指をお店のドアに向ける。

「とりあえず、表に出ろ」

 オニタロウは不服ながらも理解だけは示し、他の仲間たちを引き連れて屋外へと出ていく。

 内心不安でいっぱいの柚加利、そしてホッと安堵の息をつく店長に見守られながら、拳悟と勝の二人も不良たちの後ろに付いていった。

 そんな勇者二人の後ろ姿に声を投げ掛けるのは、こういう展開にどうしていいのかわからず気持ちが戸惑いに埋め尽くされている由美だった。

「ケンゴさん、スグルくん、あの、気を付けてください」

 拳悟はチラッと振り返り手を振って心配無用と答えるも、その直後、ちょっとだけ違和感を覚えた気がしてふと立ち止まってしまった。

「あれ、ユミちゃん。気を付けてくれってことは、珍しく止めようとしないのかい?」

「――えっ!? あ、いや、そういうわけじゃ」

 鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしてしまう由美。暴力を真っ向から毛嫌いし、喧嘩する人を拒絶してきた彼女だけに応援するような一言は確かに意外な発言だったのかも知れない。

 彼女の心境に変化があったのかは定かではないが、派茶目茶高校で過ごした数ヶ月により物事の捉え方や考え方に変化があったことは否めないだろう。

 オニタロウから急かされて拳悟と勝はドアの前の暖簾を越えていく。そして、非武装地帯と戦闘地帯を線引きするかのごとく硬いドアがピシャリと締め切られた。

「さーて、それじゃあ、しりとり合戦でも始めるか?」

 ピリピリとした緊迫感の中でも、冗談好きの性格のせいかおちゃらけた態度を取ってしまう拳悟。相棒の勝も相槌を打って、ジャンケン合戦でも構わないと悪乗りする始末だった。

 それに対して夜叉実業高校の悪童どもはというと、悪ふざけなどまったく通じる様子もなく猛獣みたいな獰猛な目つきで睨みを利かせていた。

 大衆食堂の入口前に群がる男子高校生の集団。彼らが醸し出す緊張感を察してか、来客目的の人も、ただの通行人も目を合わさずに我知らずと通り過ぎていく。

「おい、一応聞いておくが、話だけで済まそうなんて思ってねーだろうな?」

「いやいや。そう思ってないのは、おまえらだけだろうが」

 あくまでも好戦的に臨もうとするオニタロウをよそに、拳悟と勝の二人はあくまでも暴力にこだわらず妥協案を出し合って平和的な話し合いで解決しようと目論んでいた。

「俺たちは無益な揉め事は好きじゃないんだよな」

「下らねーことで痛い思いしても無意味だしな」

 無駄な労力は使わない主義だと、拳悟と勝はどんな脅しにも怯んだりせずひたすらヘラヘラと笑っていた。

 それは不良とレッテルを貼られた男子にとっては反吐が出るほど甘ったれた考え方。もともと血の気が多い性格なのだろうが、オニタロウはそんな拳悟たちのことが癪に障ったらしい。

『――ズカッ!』

 突如、衆人環視の中で響き渡った打撃音――。オニタロウが繰り出した蹴りが拳悟の顎の辺りにヒットした。

 その一撃をまともに食らった拳悟は、お店のドアに叩き付けられて猛烈な勢いのままにドアごと店内へと吹っ飛ばされてしまった。

 突然の出来事に店内は騒然となった。慌しく席を立つお客たちのどよめきが巻き起こり、さらに驚愕の叫び声の中には由美と柚加利の甲高い悲鳴も混じっていた。

 破壊されたドアにうつ伏せで横たわる拳悟。そこへ近づいてきたオニタロウが何の躊躇いもなく拳悟の後頭部の上に右足を落とした。

「ケッ、調子付いてんじゃねーぞ、このやろう」

 グリグリと右足に力を込めて、拳悟の頭を踏み付けているオニタロウ。その顔はまさに鬼や般若のように凶悪で、慈悲も温情も持たない悪魔そのものであった。

 相棒がやられて黙って見ているわけにはいかない。勝は冷や汗を飛ばして店内へと飛び込んでいこうとする。ところが、それを邪魔しようと立ちはだかるオニタロウの仲間たち。

「てめぇの相手は、この俺たちだ!」

「ちぇっ! 小ざかしい連中だぜ!」

 不良三人に取り囲まれるばかりか、その一人一人とバトルを演じる羽目になってしまった勝は拳悟のもとに辿り着くことができなかった。

 勝が三対一の不利な闘いを強いられる中、拳悟はまだオニタロウに足蹴にされたままだった。強烈な一撃を食らっただけに、全身をピクピクと震わせて顔を上げることすらままならない。

 高校生のやることとは思えない惨たらしさに、身動きも取れずにただ絶句しているお客、そして従業員。もちろんそこには、真っ青な顔をした店長と柚加利の姿もあった。

(……や、やめて)

 誰にも聞こえないような、怯える小声を漏らした一人の少女。

 勝よりもはるかに拳悟のことを心配し、誰よりも彼のことを慕っているであろう由美は、もう見るに見兼ねて堰を切ったようにその場から走り出した。

「もうやめて! ケンゴさんが死んじゃう!」

 由美は瞳に涙を浮かべて精一杯の大声で泣き叫んだ。柚加利の制止も振り切った彼女は、かけがえのない親友を救うために捨て身の覚悟で立ち向かっていく。

 それに気付いたオニタロウは疎ましげに舌打ちし、狙い澄ましたかのように右手を振り下ろした。

「女はすっこんでろっ!」

『――パァン!』

 張り詰めていた空気を揺るがす高らかな音がこだました。

 真っ赤になった頬に手を宛てた由美が、叩かれた勢いのままに床の上にひざまずいた。過去に感じたことのないショックと痛みで全身がガタガタと震えている。

 すぐさま、放心状態の由美の傍へ駆け付けた柚加利。オニタロウを睨み付ける彼女の瞳にも悔しさと憤りの涙が滲んでいた。

「ちょっとあなた! 女の子を殴るなんて最低よっ!」

 女子に手を挙げるなど男子としてあるまじき行為。柚加利が涙目になってそう訴えても、オニタロウは薄ら笑いを浮かべるだけだ。まるで、甘ったれのお嬢さんを嘲笑うかのごとく。

「何とでも言え。俺の邪魔をするヤツはな、たとえ女だろうが年寄りだろうが関係ねーんだよ」

 その残忍な微笑みはまさに鬼か般若か――。不良の世界で立ち回っている荒くれ者に、情とも言うべき血と涙は通っていないのだろうか。

 柚加利はどうすることもできず、唇を噛み締めながら俯くしかない。周りにいるお客も従業員も、足が竦み上がってしまいただそこに立ち尽くすしかなかった。

「てめぇ、人間のクズだな……」

 ――ふと、搾り出すような男性の怒りに満ちた声が聞こえてきた。

 オニタロウはびっくりして目線を真下に落とした。なぜかというと、踏み付けていたはずの右足が意思とは裏腹に持ち上げられてしまっているではないか。

 それはもはや言うまでもない。持ち前のど根性を発揮して、両腕に渾身の力を込めながら足蹴にされている顔を持ち上げた拳悟本人の成せる業であった。

「さすがの俺でも、こればっかりは許すことができねーな。徹底的にお仕置きしてやるよ」

 顔面を負傷しているせいで額から鮮血を流している拳悟。その形相にいつもの穏やかさなどまったくなく、手負いの獣のごとく報復に燃える殺気だけが映し出されていた。

「こ、この死に底ないがっ! くたばりやがれ!」

 情け容赦なく右足をもう一度踏み落とそうとしたオニタロウ。しかし、拳悟は即座に体を回転させてそれをかわし素早い身のこなしで立ち上がることに成功した。

 オニタロウはそれでも攻撃の手を止めようとはしない。血気盛んに右手を振り上げてパンチ攻撃をお見舞いしようとしたが、握り拳は拳悟の左手によってブロックされてしまった。

「あいにくだが、くたばるのはてめぇだ!」

 拳悟の復讐の握り拳が火を噴いた。彼のパンチで頬をえぐられたオニタロウは、鼻血を出しながら後方へと吹っ飛ばされた。

 起死回生とも言える一撃に店内が期待と興奮の声で湧き上がる。不謹慎ではあるが、どのお客も従業員も拳悟のことを応援してしまうのは当然といったところだ。

 柚加利の顔色にも少なからず明るさが戻ってきたが、その一方、頬を赤く腫らした由美はというとまだ小動物のように怯えたままだった。

「ユミちゃん、大丈夫か?」

「……は、はい。わたしはたいしたことないです」

 拳悟から優しく声を掛けられて、どうにか震える声で反応した由美。ところが彼の傷だらけの顔を見た瞬間、ゾクッと背筋が凍り付く感覚を抱いた。

 彼女はポケットからハンカチを取り出すと、拳悟の顔の汚れを丁寧に拭き取っていく。怪我の具合がそれなりなのだろう、彼はチクッとした痛みに眉をしかめて声を漏らしてしまった。

「あ、ごめんなさい、痛かったですか?」

「ああ、何てことないよ。こーみえても、日頃から苦痛に耐える特訓を受けてるからね」

 心配させまいとしたのか、つまらない冗談を零しつつクスリと柔和な笑みを浮かべる拳悟。そのいつもと変わらない彼の仕草が由美の恐怖心をほんのりと和らげてくれた。

 殺伐としていた大衆食堂の店内、ようやく平穏な落ち着きを取り戻していくかに見えたが、残念ながら安心するのはまだ早かった。

 拳悟の報復の拳をまともにもらって、冷たい床の上に倒れ込んでいたオニタロウ。ダメージを負いながらも何とか起き上がり、狂気に満ち溢れた鬼の形相で振り返る。

「このやろう……。よくもやってくれたな、おい!」

 彼はついに自分自身の素性を明かした。この矢釜市の中でも屈指の悪の巣窟であり、泣く子も黙ると評判の夜叉実業高校、そこで番を張っている福谷鬼太郎フクヤオニタロウだということを。

 悪の巣窟だろうが、いくら泣く子が黙ろうが、今の拳悟にとってはそんなことはどうでもよかった。目の前にいる暴れん坊を退治すること、彼の使命はただそれだけなのだ。

 夜叉実業高校の番長格にもまったく物怖じしない態度、腰の据わった度胸、そして何よりも、自らに手痛い拳をお見舞いしてきた拳悟という人物に鬼太郎は番長の立場として敬意だけは表していた。

「おまえ、ずいぶん威勢がいいな。どこの何者だ?」

「名乗るほどのもんじゃねーよ、俺は派茶目茶高校の勇希拳悟だ」

「ケッ、すんなり名乗ってるじゃねーか」

 その直後、鬼太郎は何かに気付いたような素振りを見せる。なるほどな……と一人納得し、腕組みしながら意味ありげに笑っていた。

「どうりでいいパンチを持ってるわけだ。おまえがあの勇希拳悟とはな」

 鬼太郎がポツリと口にした言葉。ニュアンスからして拳悟の存在を以前から知っているような雰囲気を感じさせる。しかし、該当者である拳悟や由美と柚加利の二人もその真意を知る術もない。

 誰からも催促されたわけではないが、きっとストーリー的におもしろくしたいのか、鬼太郎はその真意をいとも容易く解き明かしてくれた。

「ここいらの地域で”青飛龍ブルーグリフォン”と呼ばれる危険な色の男……勇希拳悟か。ということは、もう一人は”赤猛猿レッドエイプ”の任対勝だな」

「あらら、さすがは夜叉実業もんだ。俺たちのこと知ってたみたいね」

 この場で語られた専門用語が混じった意味深な会話。青い、赤いといった色を示されても何のことだかさっぱりわからず、呆けながら頭を傾げるしかない由美がここにいる。

 そんな彼女の隣で、口をあんぐりと開けたまま唖然としている柚加利。どうやら彼女の方は、彼らの会話の意味をしっかり解読できていたようだ。

「うそっ――。ケンゴくんとスグルくんって、デンジャラスカラーズのメンバーだったの!?」

「デンジャラス、カラーズ? 何それ?」

 身震いしている柚加利の横で、由美一人だけ頭にクエスチョンマークが浮かんでいる。大切なクラスメイトが絡むだけに、事情を知りたくなるのは当たり前のことだろう。

「ユミちゃん、デンジャラスカラーズのこと知らないの? この矢釜市では超が付くほど有名なのに」

「わたしね。今年の春にここへ引っ越してきたばかりなの」

「そうだったんだ。それじゃあ教えてあげるわ」

 デンジャラスカラーズ(危険な色を持つ男たち)とはいったい何者か?柚加利の口から語られた真実は以下の通りだ。

 ここ矢釜市に戸籍を置く十代の若者たちが対象で、暴力沙汰や乱暴を働いて警察からブラックリスト化されている、いわゆる世間一般的に素行不良と称されている危険人物を指すのだという。

 警察からも悪い意味で一目置かれている彼らはそれぞれ色で識別されており、拳悟や勝の青色や赤色、もちろんそれ以外にも、黄色、緑色、茶色、紫色といったさまざまな色があるそうだ。

 ちなみに伝説の生物や動物の愛称については、有名になりたい理由なのか個々人が勝手に言いふらしているらしく、誰しもが愛称で呼ばれているわけではないとのこと。

 信じ難い事実を目の当たりにし、ショックのあまり表情が凍り付いた由美。信頼を寄せている拳悟と勝が、まさか警察から要注意人物としてマークされているとは思いもしなかっただろう。

「う、うそ。ケンゴさんとスグルくんが、そんな――」

「でも、あの牙を生やした男の言い方からして間違いないと思う」

 ここで、由美と柚加利の囁く会話に割り込んでくる一人の男性がいた。それこそ、牙を生やしている噂の張本人の鬼太郎である。

「ソノトオリダァ~」

「きゃあっ!」

 鬼太郎がいきなり野太い声を出すものだから、彼女たちは身の毛がよだち、その場で飛び上がるほどびっくりしてしまった。

「かくゆうこの俺もデンジャラスカラーズの一人。”茶狂狼”(ブラウンウルフ)と呼ばれる福谷鬼太郎さまよ!」

 いかにも鼻高々に自らもメンバーの一人だと明かした鬼太郎だが、メンバー同士関わりが皆無のせいか拳悟は彼の愛称も素性もまったく知らなかった。

 とはいえ、冷酷無情な振る舞いや見境のない暴れっぷりからしても、鬼太郎のその宣言に嘘偽りはないと言わざるを得ないといったところか。

「ほう、おまえもそうだったのか。これは久しぶりに、お遊びじゃないバトルができそうじゃない」

「そういうことだな。デンジャラスカラーズ同士、その実力をとことん見せ合おうじゃねーか」

 ”青飛龍ブルーグリフォン”と異名をとる勇希拳悟。さらに”茶狂狼”(ブラウンウルフ)と異名をとる福谷鬼太郎。冗談もお遊びも通じないほどの威圧感を放ち、突き刺すような野獣の目で睨み合う。

 緊張で表情が強張る由美と柚加利、そしてお店の被害に頭を抱えてしまう店長が見守る中、デンジャラスカラーの二色がこの大衆食堂というコロシアムで雌雄を決することになった。

「いくぜっ!」

 先制パンチを放ったのは血の気が多い鬼太郎の方だった。

 切れのある拳をスウェーバックで回避した拳悟は、疾風のごとく横に回り込み鬼太郎のみぞおちにひざを突き上げる。それに続けて、顔面に左ストレートも叩き込んで連続攻撃をヒットさせた。

 顔面を痛打した鬼太郎は鼻血を噴き出しながら後ずさりする。この怯んだ隙を突こうと拳悟がダメ押しの一撃を繰り出した、が――。

 鬼の目がギラッと怪しく光った。負けてたまるかとばかりに鬼太郎も疾風のごとく身を翻して、拳悟の繰り出した右ストレートの手首を掴んでさらに脇の下へ腕を差し込んだ。

「バカめっ、そううまく行くかぁ!」

「うおぉぉ~!」

 それは柔道技でいう一本背負いのような体勢であった。

 拳悟は右腕と脇を極められたまま投げ飛ばされてしまい、テーブルの上に打ち付けられた後、調味料の容器と一緒にコンクリート張りの床の上に落下してしまった。

 背中とお尻を強打して激しい痛みに悶絶する拳悟。痛々しい彼の姿を見て、由美と柚加利の悲痛なる叫び声が店内にこだました。

 少しでも痛みを和らげようと、拳悟は必死になって尾てい骨の辺りを擦っている。そこへふてぶてしく近づいてくる、茶色の危険な色を持つ鬼太郎。

「今度こそ、俺の必殺パンチをお見舞いしてやる」

 鬼太郎は拳悟の胸倉に片手で掴み掛かると、もう一方の握り拳を目一杯振り上げる。この至近距離では、さすがの拳悟でも避ける術が見つからない。

 ――これぞ万事休すかと思った瞬間、拳悟の横目に飛び込んだ赤いキャップの調味料の容器。彼は咄嗟的な動作で、”テーブルコショー”というラベルの容器を握り締めていた。

「くたばれ、ユウキケンゴォ~!」

 気合の声とともに、鬼太郎の超ショートレンジのパンチが振り下ろされる。それと同時に、キャップを指で捻ったテーブルコショーが拳悟の手から放たれた。

 砂漠の砂のような極め細やかな胡椒の粉が霧散した。目を瞑って呼吸も止めていた拳悟はいいが、この攻撃を予測していない鬼太郎は胡椒の粉を思い切り鼻から吸い込んでしまい涙を流しながらくしゃみを連発する。

「く、くそっ! ハックショイ、ハックショイ!」

 くしゃみという生理現象を止められず、攻撃の姿勢を緩めるしかなかった鬼太郎。もちろん、拳悟がこの絶好の機会を逃すはずがなかった。

「くたばるのは、てめぇだっ! 本日二回目っ」

 拳悟が放った猛烈な右フックが炸裂し、鬼太郎はテーブルをなぎ倒しながら吹っ飛んでいった。

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