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第十二話― 派茶目茶高校 夏の肝試し大会(2)

 時刻は夜七時ジャスト。見渡す景色もすっかり暗色に染まり、夕涼みには丁度いい時間帯だ。

 太陽が西の向こうに沈んでもまだまだ蒸し暑さの残る夏の夜、派茶目茶高校のグラウンドには肝試し大会に参加する生徒たちがぞろぞろと集合していた。

 このイベントを企画した勝を筆頭に拓郎と麻未、そして――。ふらりとやってきたゲストである女子生徒が一人。

「おまえ、どうしてここに来たんだよ?」

「えっと、夕方過ぎにミスターXと名乗る人からいきなり電話があってね。ここで肝試しをやるから来てくれってお願いされたんだー」

 照れ笑いを浮かべて勝に擦り寄ってくるゲストの女の子。もうお気付きかと思うが、ピンク色のフリルスカートがお似合いの、彼にゾッコンラブの錦野さやかであった。

 ゲストが彼女だとはさすがに思ってなかったのだろう、勝は眉根を寄せて困惑の表情を浮かべていた。とはいえ、三対三という人数合わせという点から彼女を無闇に追い返すこともできない。

「それより、ケンちゃんとユミちゃんが来てないわね」

 茶色がかった髪の毛をリボンで束ねて、色っぽい胸元を強調したタンクトップ姿の麻未は、グラウンドの低い塀から身を乗り出し電灯に照らされる道路に目を凝らしてみた。

 彼女の視界に薄っすらと見える人影。ストライプのシャツを腕まくりし、黒っぽい柄なしのネクタイを襟に巻いた拳悟の登場だ。

「おっす。みんなお揃いみたいだな」

 拳悟は軽々しく手を挙げて、いつもの調子で挨拶を交わす。遅刻してきた割には悪びれる様子もないところがいかにも彼らしい。

 そこへ食い付いてくる男子こそが、遅刻したことよりも、さやかを肝試しに招待したことに怒り心頭の勝だった。彼は殴り掛からんばかりに拳悟の胸倉にガッチリと掴み掛かる。

「やい、ケンゴ。てめぇ、よくもこんなマネしてくれたな、おい!」

 さやかを指差しながら怒鳴り散らす勝を前にしても、拳悟は涼しい顔のまま白を切っていた。しかし、悪びれない含み笑いが嘘を付いていることを明確に物語っていた。

「俺じゃねーって。ミスターXに、さやかを誘ってくれって頼んだの」

「ミスターXに頼んでる時点で、どっちみち犯人はおめぇじゃねーか!」

 こんなところで喧嘩しても意味がないと仲裁役の拓郎に宥められるこの二人。勝も人選を拳悟に任せていた手前、頭ごなしに文句が言えないのもまた事実なのであった。

 騒がしかったグラウンドに静寂な時間が戻ってきた。肝試しムードも盛り上がってきたものの、由美一人だけがまだこの場に到着していない。

 彼女の身を案じて、道路へ顔を覗かせてみる拳悟と麻未の二人。すると遠くの照明の下に、こちらに向かって駆けてくる少女の姿が見えてきた。慌てている雰囲気からしてそれが由美だろうと容易に想像できる。

 遅刻にはお仕置きが必要だろう。そう思い立った勝はミラーグラス越しの目を緩めて悪戯っぽい笑みを浮かべる。そのお仕置きとは、グラウンドの木陰に隠れて由美を驚かせようという子供じみたものだった。

 拓郎や麻未だけではなく後輩に当たるさやかもニッコリと笑顔で同調したが、ただ一人、拳悟だけは不安げな顔で難色を示していた。

「おいおい、やめておいた方がいいって。ユミちゃん、人一倍怖がりなんだからさ」

 拳悟の不安をよそに、遅刻した者へのペナルティーを課さんと勝たちは忍び足で木陰へと身を潜めてしまった。場の空気を壊すわけにもいかず、拳悟も渋々ながらも大木の陰でそっとしゃがみ込んだ。

 仲間たちが息を殺して隠れているとも知らず、遅刻してきた由美は息を切らせながら集合場所のグラウンドまでやっとの思いで到着した。

「……はぁ、はぁ」

 もう少し早く自宅を出ていたら……と後悔の念を口にする由美を待っていたものとは、人っ子一人見当たらない薄気味悪い静寂だけであった。

 遅刻したはずなのに、なぜかグラウンドの集合場所には誰もいない。彼女は不審に思って腕に巻いたアナログ時計に目を向ける。すると、時計の針は正確にも約束の時間を当に過ぎた七時十五分を表示していた。

 予想もしなかった事態に遭遇し不安でいっぱいになる彼女。独りぼっちという孤独感が体の火照りと相まって戸惑いと焦りの汗を体中に滲ませていた。

(……みんな、どうしちゃったんだろう。わたしだけが遅刻なんていくら何でもありえないよね)

 由美はキョロキョロと周囲を見渡してみるも、自動車のライトの光線が道路を走り抜けるばかりで顔見知りの友達の姿を見つけることができない。

 不気味なほどの静けさに包まれているグラウンド。近隣に人の営みはあるものの、活動を終えてしまった夜だけに賑やかな話し声がここまで届くことはなかった。

 そうしている間も、秒刻みに進んでいく時間の経過が独りきりの彼女の心細さに拍車を掛けていた。

(……みんな、どうしたんだろう。お願い、誰でもいいから早く来て)

 由美の心拍数はどんどん早くなる。ただでさえ怖がりの彼女だけに顔色がみるみるうちに青ざめていく。

 青葉を揺らす夜風は生暖かいが、恐怖心を煽られてかブルッと身震いしてしまう彼女。さらに闇という要素も合わさって繊細な神経すらも崩壊してしまいそうだ。

 そんな彼女の背後に忍び寄る、ミラーグラスをかけた男子生徒が一人。そろ~り、そろ~りと、足音をさせまいと慎重に歩を進めていく。

 不安に駆られて意識ここにあらずの彼女は、後方から迫り来るお仕置きという恐怖に気付くことができなかった。

『わっっ!!』

「――キャァァ!?」

 静寂の夜を突き破る女の子の悲鳴――。その声の主は恐怖のあまり、腰を抜かしたように地面に崩れ落ちていった。

 してやったりと、ガッツポーズをしながら口元を緩ませる勝。大成功と雄たけびを上げると、木陰に隠れていた生徒たちもこぞって姿を見せ始める。ところがその直後、彼らも大きな泣き声に驚かされてしまうのだった。

「エ~ン、エ~~ン! 助けてぇ、神様、仏様、千手観音様ぁ~!」

 地べたに座り込んだまま人目もはばからず号泣する由美。というよりも、正気を失った彼女の涙目には人の姿など映ってはいなかったようだ。

 お願い、殺さないで!と、彼女の悲鳴は近所迷惑にもなり兼ねない。これにはさすがの勝も大慌てで、どうにか落ち着かせようと声を掛けるもそう簡単に涙が止まるものではない。

 どうすることもできず、彼は冷や汗を飛ばしてすっかり困り果てる。ここで彼の横を素早くすり抜けていった少年こそ、泣き崩れる少女の傍へひざから滑り込んでいく拳悟であった。

「ユミちゃん、もう大丈夫だよ。俺だ、勇希拳悟だ! ほら、しっかりして」

 拳悟は由美の肩を揺すって必死に呼び掛ける。それが功を奏したのか、彼女は嗚咽の声を漏らしながらもどうにか正気を取り戻した。

 霞んでいる視界に映った、信頼のおける男子生徒の真剣な表情。それに心の奥から安堵した由美は、すがるように拳悟の腕へと掴み掛かるとひたすら泣き声を上げてしまう。

 彼女のことを誰よりも気に掛けている彼。この時ばかりは黙ってはいられず、こんな嘆かわしい結果になったことに怒りを露にする。

「だから言っただろうが。彼女にちゃんと謝れ、このアホが!」

 勝も今回ばかりは反省の色を濃くして、平身低頭で謝罪の言葉を述べるしかない。そして、お仕置きに賛成した拓郎や麻未たちも申し訳なさそうに頭を振り下ろすしかなかった。

 ようやく事の真相を把握できた由美は、零れる涙をハンカチで拭ってクスリと微笑した。それでも、子供のように泣きじゃくってしまった自分が恥ずかしくて真っ赤な顔を俯かせてしまうのだった。

「ユミちゃん、もう驚かせたり独りきりにしないから安心してくれよ。だからさ、機嫌を直してくれないか?」

「……もう大丈夫です。見苦しいところを見せちゃって、わたしの方こそごめんなさい」

 心優しい性格もあるのだろうが、由美は意地悪をされても謙虚な姿勢でそれを許してしまう。そこにある背景には、遅刻をしてしまった自分への戒めという受け止めもあったのだろう。

 ただもう一つ、これまで友達に恵まれなかった寂しい過去を持つ彼女、些細なことから友達を失いたくないという気持ちも少なからずあったのは間違いないはずだ。

 その一方、彼女の心情などまるで知らない勝たち参加者は許してもらえたことを喜び、企画倒れという事態を回避できてホッと胸を撫で下ろしていた。

 参加者全員がここに集結し、いよいよ夏の夜のお楽しみ、肝試し大会の開催と相成った。大会委員長(?)である勝が大まかなルールと行程をかいつまんで説明した。

 ここで肝試しの概要を簡単に説明すると、男女ペア三組がそれぞれコースに分かれて最終ポイントまで辿り着き、そこにある勇気の証を手にして帰還するというもの。

 肝心のコースだが、職員玄関をスタートするのは共通で、教室の棟を隈なく回るパターン、音楽室や理科室といった特別教室を巡るパターン、体育館や部室エリアを散策するパターンの計三種類である。

 さて肝試しを始める前に参加者たちはペアを組むわけだが、必然的というべきか成り行き上というべきか、おのずと三組のペアがお約束通りに確定していく。

「スグルくんは、当然あたしと一緒だもんねー」

「おい、バカ、くっつくんじゃねーよ、誰もおまえとペアを組むなんて言ってないだろうが!」

 さやかに抱きつかれてしまった勝。どうやっても引き剥がすことが叶わず、ここにお似合いカップルが一組確定したようだ。

 微笑ましい二人を横目に見ながら、拓郎と麻未の二人も口合わせしていたかのように早々とペアを組んでいた。こうなると、残された拳悟と由美がペアを組むことになるわけだが……。

「よし、ユミちゃん。体育祭の二人三脚以来のペアだね。一緒に楽しもう」

「あの、ケンゴさん。肝試しに、その、楽しもうという表現はどうかと」

 他の二組が意気揚々と校舎へ向かっていっても、やはりというべきか、そこに根を下ろしたように一歩も動かない由美。暗闇に覆われた薄気味悪い校舎が、彼女の気弱な心をますます追い込んでいたのだろう。

 とはいえ、ここに立ち止まっていても恐怖が消えるわけでもない。拳悟が気さくに笑ってそう説得してみても怯える彼女の両足は竦んだままだった。

 いつまでも駄々をこねる彼女にとうとう痺れを切らした彼は、キリッと真顔になって、あえて突き放すような意地悪なことを言い放つ。

「それなら俺一人で行ってくるよ。だから、ユミちゃんは独りきりでお留守番ね。よろしく~」

「え? えぇぇ!? ダ、ダメです、わたしも付いていきますから置いていかないでください!」

 こんな暗がりで独りぼっちなんてとんでもないと、由美は藁にもすがる思いで拳悟のストライプのシャツにガッチリと掴み掛かった。

 そんなわけで期待と不安が入り交じる中、おぼろげな月が浮かぶ夏の夜の風物詩、派茶目茶高校の肝試し大会が幕を開けたのであった。


* ◇ *

 ここは校舎棟の一階。このエリアの怪奇現象を探索するのは、不釣合いのように見えて案外お似合いのカップルである勝とさやかのペアだ。

 仲睦ましく見えるこの二人、暗闇が支配する世界を怖がりながらも楽しもうとするさやかの傍で勝の気持ちはあらぬ方法へ向いていた。

(ちくしょ~、ケンゴのヤツ。いらん世話を焼きやがって。俺はユミちゃんと組むつもりでいたのに、あのやろう~)

 勝の悔しがる胸のうちなど当然知る由もなく、さやかは一人でハラハラドキドキと興奮しながら憧れの男子の隣で肝試しというイベントを満喫していた。

 他校の学生である彼女にしてみたら、派茶目茶高校校舎内の雰囲気の一つ一つがとても新鮮で、本物のお化け屋敷を散策している気分だったのかも知れない。

 ――シーンと水を打ったように静まり返っている校舎棟。どの教室からも生徒たちの賑やかな笑い声はなく、教師たちの厳しい怒鳴り声もない、まさに漆黒の闇に包まれている異様な空間。

 懐中電灯の小さな明かりを頼りにしながら、勝とさやかは薄気味悪い廊下を渡り歩いていた。

「夜の学校なんて初めてだけど、やっぱりゾクゾクしちゃうね」

「まーな。ここまで暗くて静かだと、俺ですら怖く感じるぜ」

 それからすぐの出来事だった。さやかがなぜかピタリと足を止めてしまう。

 彼女に腕を掴まれていた勝も、引っ張られる格好で緊急停止を余儀なくされてしまった。

 いったい何事だ――?不機嫌そうに問う彼の目に映ったものとは、得体の知れない何かにおののく、さやかの血の気の引いた横顔であった。

「ねぇ、スグルくん。今さ、向こうの方から変な声が聞こえなかった?」

 真正面を見据えながら鼓動を高鳴らせるさやか。しかし彼女の示した方角へ懐中電灯の明かりを向けても、人の姿も気配も見当たらずただの暗闇しか映し出さなかった。

「だ、誰もいねーじゃねぇか。驚かせんじゃねーよ!」

「おかしいなぁ。女性っぽい小さい声が聞こえたんだけど……」

 きっと気のせいだ。気のせいに決まっている。そう自分の心に言い聞かせた二人は、またゆっくりと重たい足を一歩踏み出した。――ところが、より正確に、聞き取れるほどにハッキリと、不気味な声が二人の鼓膜を掠めた。

『ウラメシヤ~~』

 それは定番中の定番とも言える、この世を恨めしく思う奇々怪々なる者の悲痛の叫び。それに戦慄を覚えた二人は、両足が凍り付いたように竦み上がってしまった。

 さやかは背筋がゾクゾクと冷えてしまい、勝の腕に強くしがみついて搾り出す声も消え入りそうなほど震え上がっていた。

「ねぇ、聞いた今の? 羨ましいって言ってたよ。……あたしたちみたいなカップルが羨ましいのかな?」

「な、何だと?」

 ”恨めしい”と”羨ましい”――。まぁ、似てなくもないが、さやかはそれを聞き間違えていたようだ。勝は冷静さを欠いていたのか、その勘違いをそのまま鵜呑みにしてしまう。

(カップルが羨ましいだと? ……ってことは、まさかあの、失恋を苦に自殺した女子高生の幽霊なんじゃねーだろうな)

 勝の頭の中にふらっと浮かんできたもの、それは今夜の肝試し大会のきっかけとなった、この学校にまつわる例の怪談話だった。

 担任である静加が話していた、失恋を苦に自殺したという元テニス部の女子高生の亡霊。それが今まさに、彼ら二人を羨ましがりこの校舎の一角に姿を現したというのだろうか――?

 クラス委員長であり、人一倍度胸も据わっている彼とはいえ現実離れした心霊現象にはやっぱり太刀打ちできない。しかし、さやかに怖い思いをさせられない責任感が彼の怯えていた気持ちを奮い起こしていく。

 そんなバカな話があってたまるか!と、彼は気勢を上げながら彼女を引き連れて突き進む覚悟を決めた。それはもう、当たって砕けろという精神そのものと言えなくもない。

 騒音のような足音を立てて走り続ける二人。廊下の突き当たり、階段へと繋がる踊り場の前で、彼らは驚愕の事実を目撃することになる――!

「うらめしや~~」

 何とそこで待っていたのは、懐中電灯の光を顔に照らしてにやけている、技術棟を巡っているはずの麻未であった。もちろん彼女の隣には、お腹を抱えて笑っている拓郎もちゃっかりいる。

 怪しき正体を知るや否や、あまりのバカらしさで廊下にスライディングしてズッコケる勝とさやか。それと同時に、心霊現象でなかったことにホッと胸を撫で下ろしてしまう二人だった。

「おまえら、こんな子供じみた遊びしてんじゃねーよ!」

「ごめん、ごめん。でもさ、マジでびびってたね~」

「さすがは委員長らしく最後はとっても潔かったぞ。偉い、偉い」

 勝が腹立たしさに一人憤慨しても、余程おもしろかったのか麻未は謝りながらも嘲笑を止めることができなかった。拓郎もしてやったりといった顔で皮肉めいた言葉を口走るばかりであった。

「それより、どーしてここにいるんだ? おまえらは確か、特別教室を探索するはずだっただろう」

 勝の指摘通り、拓郎と麻未のペアは音楽室や美術室といった、それなりな雰囲気を醸し出すエリアを巡るコースだったはず。一通り巡ってからここへやってくるにはあまりにも時間が早過ぎる。

 その疑問にあっけらかんと返答するのは、こんな暗がりの中でも小悪魔のような麗しのウインクが一際眩しい麻未だ。

「だって、あっちの校舎って気味悪いんだもん。それならスグルくんたち驚かした方がおもしろいって話になったわけ」

「肝試し大会のルールを完全に無視してるじゃんか。真面目にやれ」

 校舎棟で合流した四人は相談し合った結果、おっかなびっくりながらも勇気を振り絞って技術棟を一巡りすることで落ち着いた。

 その頃、拳悟と由美のカップルはというと、残されたもう一つのコース、体育館や部室のあるエリアへ足を運んでいる最中であった。


* ◇ *

 時刻も夜八時に近づいてきて、派茶目茶高校の体育館周辺も息詰まるような真っ黒な暗闇に支配されていた。

 静けさに包まれた校舎棟を通り抜けて、指定コースである体育館方面へ通じる渡り廊下までやってきた拳悟と由美の二人。

 見渡す限りは懐中電灯の明かりのみ。廊下の窓に映る景色はいつもと違い、薄気味悪い閉塞感だけを映し出していた。

 生徒たちが走り回る足音も、ボールが弾む音すらも聞こえない体育館を脇目に、拳悟は先陣切って渡り廊下の出入口の扉を開け放つ。彼が向かう先とはいったいどこなのだろうか?

「あ、あの、ケンゴさん、どこへ行くつもりなんですか?」

「例のクラブの部室だよ。この体育館の裏にあるんだよ」

 クラブの部室こそ、元テニス部の女子の幽霊が彷徨うという無闇に近づいてはいけない禁断の地。学校関係者が立ち入り禁止に指定する、まさに肝試しに打ってつけのスポットなのであった。

「ま、まさか、本気で言ってるんですか!?」

「まーね。だって、せっかくの肝試しだもん。ゾクゾクするほど怖くなかったらおもしろくないでしょ?」

「いや、できることなら、怖くない方がわたしの理想なんですけど……」

 由美の切なる思いは届かず、拳悟は躊躇なく部室の方へ突き進んでいく。彼女は彼女で両足が竦んでしまうも、置いていかれる恐怖から逃げたい一心で彼の背中にしがみついていくしかなかった。

 体育館の横道は砂利で覆われており、踏みしめるたびに夜闇にいびつな音を響かせる。その一つ一つが不調和な雑音となって彼らの澄ました耳を打ち鳴らしていく。

 砂利道を五十メートルほど歩いた先、彼ら二人の視界に今ではあまり利用されていないであろう部室らしき建物が現れた。

 当然ながら部室の窓から明かりは漏れてはおらず、人の話し声など皆無である。それはつまり、少なくともそこに生きる者がいない証しであろう。

 夜だけではなく、日中ですら立ち入ることのない体育館の裏側。まるで朽ち果てたような佇まいに彼女はゾクッと背筋が凍り付いてしまった。

「……ケンゴさん、もうこの辺でやめませんか?」

「せっかくだからさ、元テニス部の部室まで行ってみようよ」

 ここでもやはり、びくびくしている由美のことなどお構いなく黙々と部室の近くまで近寄っていく拳悟。人並み外れた勇気を持つ彼にしたら、ユーレイだろうが何だろうが怖いもの知らずといったところか。

 あまり人が立ち入らないせいもあるのだろう、部室周辺は雑草が鬱蒼と生い茂っており、コンクリート床もところどころが剥がれていて足場の悪さもこの上ない。

 雑草に足を取られまいと、ゆっくりと前進していった彼ら二人はついにテニス部がかつて使っていた部室の前まで辿り着いた。

 彼が閉ざされたドアを懐中電灯の光で照射してみると、プレートは煤けてほとんど文字が読めずドアノブも南京錠でしっかり施錠されていた。

「あらら、カギが掛かってるね。せっかくここまで来たのに残念」

 硬質な南京錠を手で弄くりながら、ちょっぴり不満そうな顔をする拳悟だが、由美の方はというと、ようやく行き止まりに達した安心感にホッと安堵の息をつく。

 ――その安心感も束の間、ほんの数秒後、由美の全身を震え上がらせるほどの、夜の静けさを切り裂く物音が鳴り響く。

『ギィィィ……』

「きゃあぁぁぁ!」

 背後から聞こえた不気味な異音に驚き、由美は鼓膜を突き破らんばかりの悲鳴を上げながら条件反射のまま拳悟の体に抱きついてしまう。

 抱きつかれた彼もびっくり仰天で、どう反応してよいのかわからずただ焦るばかり。涙目ですがりついてくる彼女を両腕で受け止めるのが精一杯だった。

「わっ、ユミちゃん、ダメだよ、こんなところで抱きついちゃ。もう少し、そのムードとか雰囲気とか、そういうシチュエーションを大切にしないと」

「う、う、後ろから、へ、へ、変な物音が――!」

 由美をかばいながら、拳悟はすぐさま背後へと視点を合わせる。するとどういうわけか一つの部室のドアが開いており、生暖かい夜風に当たって軋む音を立てながら小さく揺れていた。

 人の気配すらない部室で、自動的にドアが開くなんてありえるはずがない。まさか、これこそが心霊現象なのか――?彼はゴクリと緊張の息を呑み込んだ。

「ユミちゃんはここにいて。ちょっと見てくるから」

 すっかり怯えている由美をどうにか宥めて、拳悟はたった一人、ドアが開かれた部室へと恐る恐る近づいていく。さすがの彼でも、いざ異常な現象を目の当たりにして背中にじんわりと冷や汗を滲ませていた。

 彼女が震えながら見守る中、耳障りな音を鳴らすドアの真ん前までやってきた彼。ドアや周辺を隈なく懐中電灯の明かりで照らしてみると、その異常現象の発端が明らかになった。

「なるほどね。ドアノブが壊れちゃっただけか」

 ドアの真下に落ちていたドアノブを拾って、拳悟はフーッと溜め息交じりの声を漏らした。築何十年と経過した建物だけに、ドアノブが劣化して壊れてしまうのも不思議ではないだろう。

 独りでにドアが開いた謎も解けて、彼は苦笑しながら由美の傍へと戻っていった。

「いやー、思いのほか怖かったね。どう、少しは涼しくなった?」

「す、涼しいなんてとんでもない! むしろ、寒いぐらいですよ」

 由美は両腕を抱き寄せてブルブルと全身を震わせていた。オバケ大嫌いの彼女らしく黒髪をブンブン振り乱して、ここからすぐにも立ち去りたい気持ちを露にした。

 その一方で、冗談でも元テニス部の女子の幽霊を一目拝んでみたいと願っていた拳悟だったが、どうやらその願いも不発に終わってしまったようだ。

 時刻も八時三十分を回り、集合場所であるグラウンドに戻るには丁度いい頃合いだった。

「さてさて、肝試しを堪能できたし、そろそろ戻るとするか」

 拳悟と由美は辿ってきた道へと振り返り、暗い影と同化した薄気味悪い部室を後にしようとする。――ところが。

 背後から聞こえてくる、ガサゴソと雑草を掻き分けるような物音。それに逸早く気付いた彼女が鼓動をバクバク震わせながら、そろ~っと顔を後ろに振り向かせた。

(え――!?)

 そこにあってはならない何かを目撃し、機能が停止したかのように全身が硬直した由美。口だけを唯一パクパク動かして、その場から完全に動けなくなってしまった。

 彼女のただならぬ異変を感じて、拳悟は不思議そうな顔で立ち止まる。そして、いったい何事かと尋ねると彼女の口から衝撃的な事実が明かされた。

「テ、テニス部員のユ、ユーレイが……」

 月明かりの下、由美と拳悟の視線の先で立っているおぼろげな人影。それはしなやかな髪の毛を肩まで下ろし、テニスウェアを着ている女の子――。

「ま、まさか――!?」

 それこそがまさに、この学校にまつわる怪奇なる伝説、元テニス部の女子生徒の幽霊だというのか?

「あの~……」

 テニスウェアの女子はキョトンとした顔でそこに佇んでいる。そして、小さな声で囁きかけてきた。

 幽霊であろう禍々しき者との遭遇に、由美と拳悟はガタガタと全身を振動させていた。由美は仕方がないにしても、あの拳悟さえも勇気なんてそっちのけで恐ろしさのあまり顔色がみるみる真っ青に染まっていく。

「に、逃げるぞ、ユミちゃん!」

「え、えぇ!? ま、待ってください、ケンゴさーん!」

 それはもうとんでもない逃げ足で、拳悟と由美はそこから駆け出していった。あっという間に逃げてしまった二人のことをテニスウェアの女子はただ呆然と見つめるしかなかった。


* ◇ *

 その頃、集合場所であるグラウンドには技術棟巡回を終えた他のメンバーたちがすでに待機しているところだった。

 美術室や音楽室など、いかにも怪奇現象が起こりそうな教室で肝を冷やした彼ら。今夜は想像以上の納涼を得られたらしく、すっかりご満悦の様子だ。

 待つこと十分ほど、残る一組の拳悟と由美はまだ戻ってきてはいない。懸念の顔色を映すさやかと拓郎であったが、あの二人のことだから心配ないと麻未は根拠もなくクスクスと微笑していた。

 残るもう一人、ここにいる誰よりも気の短い勝はというと、どうにもイライラしながら気が気でない顔つきをしていた。

 彼の本音を覗いてみると、拳悟のことはどうでもよく由美の身を案じているわけだが、それよりも、このまま二人きりで消えてしまうのではないかと心配になってやきもちのような苛立ちを抱いていたようだ。

 居ても立っても居られず、勝がズカズカと足音を鳴らして体育館へと突き進んでいこうとした。すると真正面の方角から、叫び声を上げながら駆けてくる二つの人影が見えた。

 お~い、助けてくれ~!そんな悲鳴が耳を打ち、勝の両足がピタッと止まってしまった。それを不審に思った他の仲間たちも、ドカドカと駆け出して彼の傍へと合流してくる。

 部室から逃げ帰ってきた拳悟と由美の二人。息を切らせながらグラウンドを一気に駆け抜けた彼らは、唖然としている勝たちに助けを求めた。

「お、おい、大変だ! 部室に現れたんだよ、あの、テ、テテ、テテ……」

「テテって何だよ? もう少し落ち着きやがれ、このアホ」

 じれったさに苛立っている勝に、拳悟は顔面蒼白の顔を近づけてひたすら訴え続けた。元テニス部の女子生徒の幽霊が体育館裏の部室の前に降臨したことを――。

 それを聞かされるなり、何を血迷っているのだと勝と拓郎は呆れた溜め息を零して取り付く島もない。肝試しを終えた彼らにしてみたら、下らない冗談などただ煩わしかっただけなのだろう。

 慌しいやり取りが繰り広げられる中、体育館の方からこちらへ向かってくる小さな足音。それがどんどん大きくなると、その人物の正体も明らかになっていく。

「あ、ああ~、こ、こっちに来ないで~っ!」

 すっかり怖気付いている由美は、腰が抜けたように地べたにへたり込んでしまった。人目もはばからず大泣きして、お尻を引きずりながら後ずさりしている。

「き、来たなユーレイめ! くそっ、十字架や清めの塩さえあれば戦えたっていうのに、何たる不覚!」

 拳悟もショックのせいか動揺してしまっており、意味不明なアクションもそうだが言動そのものも支離滅裂だ。

 その一方、ユーレイ呼ばわりされてしまったテニスルックの女の子。グラウンドに生徒らしき人が集まっていることに戸惑っているのか困惑めいた表情を返すしかない。

「あの~……」

 しなやかな髪の毛を夜風になびかせる彼女は、どこからどう見ても幽霊といった奇怪なものではなく、大地にしっかりと足を付いた十代のうら若き乙女であった。

 それでも拳悟はまだ交戦体勢を崩そうとはしない。悪霊退散と怒鳴り散らし、目の前に現れた乙女に砂を掛けんばかりの振る舞いだ。これには、さすがのクラス委員長の勝も冷静なツッコミを入れずにはいられなかった。

『――ゴツン!』

「いい加減にしろ! ちゃんと見てみろ。こんな綺麗なあんよのユーレイがどこにおるかっ」

 ゲンコツが頭上に炸裂し、拳悟はようやく我に返った。

 彼が恥じらいながらも落ち着きを取り戻していくと、泣きべそ状態だった由美も何とか立ち上がりばつが悪そうにハンカチで顔を隠していた。

「あの~、あなたたちは、どうしてこんな時間にここへ?」

 おっかなびっくり尋ねてくるこの女子だが、派茶目茶高校の生徒の一人であり、勝や拳悟とはまったく面識のない一年生だったらしい。

 テニス同好会に所属している彼女、近所の室内練習場で汗を流してから、ラケットなどの道具を置くために倉庫として利用している部室に立ち寄ったというわけだ。

「いや、じつは俺たち、ちょいと肝試し大会をやってたんだよ。まさか、部室の方に人が来るなんて想像してなくてさ」

 一人の教師から聞かされた学校の怪談、自殺した元テニス部の女子生徒の幽霊話に触発されて、つい遊び半分で肝試しを実行してしまったと拳悟は苦笑しながらそう打ち明けた。

 怪談話にコクンコクンと頷いた女子生徒。どうやら彼女もそれを知っていたようで、同好会の顧問から冗談っぽく聞かされていたとのこと。

「いやはや、見間違ってしまって面目ない。テニスウェアの格好を見たら、これはそうだろうと思い込んじゃってさ」

「本当にごめんなさい。つい早とちりしちゃって。怖がりな性格だから、あの時はその、無我夢中だったので」

 拳悟と由美は気まずそうに猛省し、テニス同好会の女子生徒に対してしきりに頭を振り下ろすしかなかった。

「ああ、気にしないでください。たぶん、それは仕方がないと思いますから……」

 女子生徒は不意にチラッと顔を横に向ける。そして、彼女の口から囁かれた一言によって、拳悟たち全員に恐怖という名の戦慄が走る――。

「……きっと、この子の姿が見えちゃったんでしょうね」

 青白い月光の下に映し出された、女子生徒の肩に寄りかかるもう一人の女の子。その涙で枯れた目と真っ白な顔立ちが、生気を失った者の怪奇なる正体を告げていた。

「ぎゃぁぁ~!!」

「で、出たぁぁ~~!!」

「やっぱり、ユーレイだったんじゃないかぁぁ~~!!」

 走り去っていく生徒たちのことを穏やかな目で見つめていた女子生徒。それは夢だったのか、それとも幻だったのか?次の日、一年生のクラスで彼女の姿を目撃したものは誰もいないという。

 もう二度と肝試し大会なんてしない。拳悟たちはこの日のことを深く反省し、夜の校舎を悪ふざけで徘徊することはそれ以降なかった。

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