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第十一話― 体育祭シリーズ⑥ いよいよ決着!男女混合リレー(1)

 女子の団体種目である騎馬戦、さらに男子の団体種目の棒倒しも無事に終わり、派茶目茶高校の体育祭も残すところあと一種目、最大の見せ場といっても過言ではない男女混合リレーのみとなった。

 最終種目を残した時点で、優勝争いは団体種目で大躍進を成し遂げた七組と八組のどちらかに絞られていた。

 激戦を演じた七組と八組の男子生徒たちを拍手で出迎える同じクラスの女子生徒たち。苦肉の策でどうにか勝運を掴んだものの、あまりにも突拍子もない無茶ぶりは彼女たちを不安にさせるものであった。

「皆さん、お疲れさまでした。ゆっくり体を休めてくださいね」

 由美は安堵の表情を浮かべつつ、七組の女子を代表して、武勇伝を引き下げて帰ってきた男子たちに労いのメッセージを送った。

 彼女と一緒になって観戦していた麻未も、麗しい目をキッと細めて嫌味っぽい言葉で彼らのことを出迎えた。

「お疲れさま。しかしまあ、人間とは思えない、とんでもないサーカスを見せてくれたわね」

 激励する形は十人十色、それでも勝利の余韻に酔いしれている男子たちにしたら、どんな皮肉でも心地良く感じられたであろう。それを示すように彼らの誰もがすっきりと晴れやかな表情を零していた。

「あれ、それはそうと、大活躍のケンちゃんの姿が見当たらないけど?」

 出迎えるべくヒーローの姿を求めて、キョロキョロを周囲を見回している麻未。由美もそれにつられるように、羨望と尊敬の的である彼の姿を目で追っていた。

 ここで彼女たちの疑問に答えてくれたのは、七組チームのリーダーという面目を保ち鼻高々で表情が緩みっぱなしの勝であった。

「ああ、ケンゴのヤツなら今頃まだ勝利の最大の功労者と一緒だ」

「え、最大の功労者? それって誰のこと?」

 棒倒しという熱戦の裏側で先輩と後輩の友情を繋ぐ青春の一ページがあったことなど、由美と麻未の女子二人は当然知る由もなかった。


* ◇ *

 ここは日の当たらない少しばかり湿っぽい校舎裏。

 そんな陰気くさい日陰で顔を向け合うのは、男子騎馬戦でサーカス団員のごとく曲芸を演じた拳悟、そしてチームの芯となって最後まで辛抱した陰の立役者である弾であった。

 それぞれ攻守に活躍したこの二人。気恥ずかしかったのだろうか、照れ笑いを浮かべながらお互いの功績を称え合っていた。

「それにしても恐れ入りました。ダン先輩にあれだけガッツがあるなんて」

「フッフッフ。この俺のど根性、その目にちゃんと焼き付けたようだな」

 腕組みしながら誇らしげに気取っている弾の容姿は、この学校を統治する番長の風格そのものだ。

 ちょっぴり変わり者で通している彼だが、このたびの奮闘ぶりできっと一部の生徒たちの心を掴んだに違いない。少なくとも、ここにいる拳悟はそう感じずにはいられなかった。

 その一方で、番長の腰巾着のノルオとコウタの二人はというと、どうにも青春群像劇が肌に合わないのか校舎裏の渡り廊下の壁にもたれかかってタバコをふかしていた。

 気まずそうな彼ら二人のもう帰るぞ!と訴えるような視線を感じてか、弾もトレードマークの革ジャンを羽織って帰り支度を始める。

「ケンゴ。俺らは楽しいもの見せてもらったから、そろそろ帰るぜ。いいか、ここまで来たからには七組チームを優勝させろよ」

「わかってますって。ダン先輩のど根性、無駄にしませんよ。だから、胸を張って堂々と早引けしちゃってください」

「おいおい、堂々と早引けさせるんじゃねーよ。これでも、鬼教師たちの目を盗んでこっそり帰るんだからよ」

 お互いの固めた拳の先をぶつけ合って、ひと時の別れを告げる拳悟と弾。そこには先輩と後輩という関係とはまた違う、男同士の熱い友情のようなものが見え隠れしていた。

 どこからともなく吹いてくる風を肩で切って、そこから清々しく去っていく番長。男らしい先輩のたくましい背中を見ながら、ポツリとつまらないことを口走ってしまう後輩の拳悟。

「女教師の下着を盗んで停学になった過去さえなきゃ、もっともっと尊敬できるのにな」

 その嘆き節がふわりふわりと風に乗って、番長の鼓膜の中へ吸い込まれていった途端、鬼の形相で振り向いた彼の殺気により拳悟はこれまでに経験したことがない謝罪に追い込まれてしまうのだった。


* ◇ *

 時刻も午後三時を過ぎる頃、最高潮の盛り上がりを見せる最終種目、男女混合リレーがいよいよ開催されようとしていた。学年ごとにスタートするため、まずは最小学年の一年生の部から始まる。

 この男女混合リレーのルールを解説すると、第一走者と第三走者を担う女子二名、そして第二走者と第四走者を担う男子二名の計四名でバトンを繋ぐリレー形式の徒競走である。

 優勝が左右する重要な種目を応援席の先頭で見守るリーダー役の勝。現在首位の七組ではあるが、一年生のリレーの結果次第では他のチームに逆転される危険性をはらんでいた。

 そのチームこそ何を隠そう、七組の永遠の宿敵といっても嘘ではない強豪揃いの八組。そこの総大将である須太郎がバンダナをなびかせて勝の隣へ忍び寄るように近づいてきた。

「……ここで決着だな。言っておくが総合優勝は俺たちがいただく」

「アホ抜かせ。こっちも優勝一筋でここまで来たんだ。意地でも首位を守り抜いてみせる」

 クラスを引っ張る者同士、総合優勝を夢見ながら肩を並べて一年生のリレーを観戦し始める。この二人のごくわずかな隙間には、目にすることのできない肌を突くような張り詰めた空気が漂っていた。

 すべての応援席が注目する中、満を持してスタートした一年生の男女混合リレー。動向を見てみると、ここでもやはり首位を争う七組と八組の一騎打ちの様相を呈していた。

 第三走者までバトンが手渡された時点で、一位をキープしていた七組が二位の八組をわずかにリードするレース展開となっていた。

「よし、このまま突き進め! ここで一位取ったら俺たちのチームの総合優勝は間違いないぜ!」

 このまま独走を確信して勝は一人ガッツポーズを決め込んでみせたが、彼の隣で腕組みしている須太郎はというと焦るどころか余裕の笑みすら浮かべていた。

 これこそ須太郎の想定内だったのだろう。アンカーである第四走者へバトンが渡されるや否や、最後の力を振り絞らんばかりに八組の男子生徒の猛追が始まった。

 先頭を走る七組の生徒をじわりじわりと追い詰めていく八組の生徒。その距離はあっという間に一メートルほどまでに縮まっていた。

「おいおい、まずいぞこりゃ……っていうかさ、あの八組のアンカー、とんでもなく速くねーか?」

「……それはそうだ。俺が手塩にかけて育ててきた、いつでも最前線に送り込める精鋭の下級生だからな」

 鬼軍曹の須太郎が軍隊ばりの特訓で鍛えたのならやむを得ない。抜群の差し足を持ったその生徒の活躍により、一年生の男女混合リレーは八組の逆転勝利という幕切れとなった。

 これにより総合順位も八組が七組をわずかに上回り、出血するぐらい唇をかみ締めて悔しがる勝。そんな彼に捨て台詞を吐いて、ズカズカと自分の応援席へ帰っていく須太郎。

「……悪あがきしても無駄だ。次の二年生の部で最強を誇る俺たちに勝てる者など、この地球上には存在しない」

 自信に満ち溢れた横顔が表すように、二年八組のリレー出場選手は韋駄天と呼ばれる地苦夫を始め精鋭揃いなのだ。

 一方の七組のリレー選手はというと、拳悟と拓郎の男子二人こそ実力は十分だが、女子二名を含めた総合力で判断すると八組よりも勝っているとは言い難いところ。

 総合優勝を手に入れるためには、二年生の部で八組より上位でゴールする必要がある。勝は表情こそ平静を保ったものの、内心ではくすぶる不安を隠し通すことができなかった。

 不運というのは非情にも重なるもの――。ここに来て、さらなる追い討ちが彼を襲うのであった。

「スグルくん、大変よ!」

 クラス委員長の名前を叫んだのは、パートナーとも言うべき副委員長の麻未だった。慌てている表情から不穏を告げんばかりの焦りが見える。

 いったい何事か?と問いかける勝に、彼女は呼吸を整えてから衝撃的な事実を口にする。

「リレーに出場するはずだった女子二人がいないのよ」

「はぁぁ? 今頃になって何言ってんだよ!」

 他の種目に出場する機会がない脇役だったせいか、欠席していることを今しがた気付いたという麻未。副委員長という立場柄だけに、彼女はしきりに悔いる言葉を漏らすしかなかった。

「棄権しないためには、あたしが代わりに出場するとしても、あと一人代わりに出てくれないと」

「あと一人って言ってもよ、集合時間ギリギリなのに、どうやって決めるっていうんだ?」

 この非常事態に表情を曇らせるクラス委員の二人。無理やりあと一人を引っ張っていこうにも、レースに勝てる人材を今から選ぶことは時間的に不可能であった。

 その時、あたふたしている委員二人を偶然目にした由美が不思議そうに首を捻りながらそこへ近づいていく。

「スグルくんとアサミさん。どうかしたんですか?」

「ああ、ユミちゃんか……」

 ミラーグラス越しに同じクラスの女子を捉えた直後、勝の頭の中に一つの発想がひらめいた。

 お願いだ――! 彼は事情を説明しないまま両手を突き合わせた。いきなりの大声だったせいか、小心者の由美はおろか神経の太い麻未まで唖然としてしまった。

「ユミちゃん、リレーに出場してくれないか?」

「え――?」

 思いも寄らぬ頼み事に、由美は絶句して開いた口が塞がらなかった。

 出場するはずだった女子二人が欠席した今、チームの総合優勝のためにはクラスメイトの協力が必要だ。勝はショートウルフの髪の毛を振り下ろし、彼女に代理出場を懇願するしか手段がなかった。

 脚力や瞬発力に自信があるわけではない由美、とてもその器ではないと断ろうとしたが、そんなことは関係ないと麻未から説き伏せられてしまう。とにかく、棄権という結果だけは回避しなければいけないのだ。

 由美はそれでも、複雑な心境を抱いて受け入れることができない。こういう時も引っ込み思案な性格が災いし、事情はわかっていても素直に頭を頷かせることを躊躇った。

(……チームのためなら。たとえ結果がだめでも、こんなわたしが少しでも役立てるなら!)

 悩みに悩んだ末、由美はついに覚悟を決めた。どんなに恥をかこうとも、どんな辱めを受けようとも、七組チームのメンバーとして勇気を振り絞ってすべての力を捧げようと。

「わかりました。リレーに出場します」

「ありがとう、ユミちゃん!」

 勝は出場選手が決まってくれてホッと胸を撫で下ろす。声にこそ出さなかったものの、目の前にいる代理選手の彼女たちに華麗なる走りを期待せずにはいられなかった。

 麻未と由美の二人は気合の表情を向け合い、七組チームの総合優勝の行方をかけた男女混合リレーの集合場所へと急ぐのだった。


* ◇ *

 男女混合リレーの集合場所には出場選手が続々と集結していた。

 これが最終種目だけに、己の誇りと意地をかけて表情を引き締めている生徒たち。特にそれは優勝戦線に残った生徒たちにとっては尚更であろう。

 七組の代表として出場する拳悟と拓郎の二人は、逆転優勝のプレッシャーもあってか緊張気味だった。しかも、バトンを繋ぐはずの女子が来ていないことも不安感にさらなる拍車をかけていた。

「おかしいな、女子がまだ来ないぜ。もうすぐレース開始だっていうのに」

「ほれ、女子だとさ、身なりとか気にするから準備に時間かかってんじゃねーの?」

 拓郎が落ち着きなく首を捻ると、それを落ち着かせようと拳悟がクスリと微笑む。そんな二人の心情を覗いてみると、男女四人がここに揃って気勢を上げて円陣でも組みたいというのが本音であった。

 そこへふらりと陣中見舞いにやってくるのは、彼ら二人にとって脅威となるであろう八組のスピードスターである地苦夫だ。

「よう、お二人さん。おもしろい展開になっちまったな」

 地苦夫の顔つきは緊張などなく余裕そのものだ。派茶目茶高校屈指のスプリンターからは、迷いや戸惑いといった感情など一切感じられない。

 彼の余裕しゃくしゃくの含み笑いが拳悟たち二人の不安をより一層膨らませてしまうが、それと同時に乗り越えなければいけない壁の大きさにみなぎる躍動感も膨らませていた。

「そうだな。この学校の体育祭はこうじゃなきゃ盛り上がらんだろう。他のクラスじゃ役者が揃ってないし」

「そういうこったな。これぞ青春ドラマの最終章。言っておくが総合優勝を簡単に掴めると思うなよ」

 時には競い合い、また助け合ってきたライバル同士。お互いの健闘を誓い合いながら拳を重ねていく彼ら三人。そこには、青春ドラマにふさわしい友情のあるべき姿が存在した。

 レースの途中で会おうと言葉を残し、地苦夫は軽やかな足取りで八組のメンバーのもとへ戻っていった。

「どう思うケンゴ。俺たちに勝てる見込みはあるかな?」

「おい、野暮なこと聞くなって。やってやるしかねーだろ?」

 拓郎がつい弱音を吐くのも無理はない。八組のずば抜けた運動神経は半端ではなく、信憑性は定かではないが、あの鬼軍曹である須太郎の指示のもと極秘の猛特訓をしているという噂もあるぐらいだ。

 それでも七組にだってミラクルというスキルがある。拳悟はここまでの幾つもの奇跡を語りながら、気落ちしてしる拓郎を元気付けるのだった。

「ケンちゃ~ん、ごめん、ごめん、遅くなっちゃった」

 息せき切って駆け付けてきた女子こそ、代理としてリレーに出場することになった麻未と由美の二人だ。

「あらら、リレーに出場するのってアサミとユミちゃんだったっけ?」

 走る気満々でやってきた彼女たちを見て、拳悟と拓郎は意外そうな顔を突き合わせる。自分たち以外無頓着な彼らだけに、リレーを一緒に走破するメンバーのことを把握していなかったようだ。

 代理だろうが何だろうが関係ない。拳悟は四人揃ったところで、勝利の架け橋となるバトンを繋ぐ順番を確定した。

 メンバー全員の同意により、第一走者は麻未、第二走者は拓郎、第三走者は由美、そしてアンカーとなる第四走者が拳悟と決まった。

「よし、優勝を目指して、残っているすべての力を出し切ろう!」

 拳悟が音頭を取って高らかにハイタッチを交わしていくメンバーたち。闘魂を注入し合い気合も気力も十分であった。

 いよいよ、放送席のアナウンスが二年生の男女混合リレーのスタートを伝えた。それに弾かれるように、それぞれの走者がそれぞれのスタート地点に散っていく。

 晴れ渡る午後の青空の下、各チーム八人の女子生徒はグラウンドのトラックのスタート地点にしゃがみ込んだ。

「位置について――」

 スターターピストルの先端が青空に掲げられると、第一走者の女子生徒たちは緊張の息をゴクッと呑み込む。

 総合優勝が決まるかも知れないこのレースを見逃すまいと、すべての応援席の生徒たちの視線がスタート地点に集中した。

「よーい――」

 期待と緊張で静まり返る応援席、そしてバトンの到着を待つ走者たちが固唾を飲んで見守る中、二年生の男女混合リレーの火蓋が切られる。

『――パン!』

 空気を切り裂く破裂音に反応し、八人の女子生徒が一斉に走り出した。

 見事なまでに完璧なスタートダッシュを切ったのは、伏兵とも言える優勝争いから脱落した四組の女子であった。

 その一方、出遅れてしまった七組の麻未は三位に位置しており、宿敵である八組の女子はさらに下位の五位という順位だった。

(残りの距離から、前の二人を抜くのは無理っぽいわ)

 全力疾走など滅多にしない麻未ではあるが、この時ばかりは化粧が落ちるのも省みず、残る三人の走者へ望みを繋ごうと踏ん張った。

 第二走者が待機するスタート地点には焦れる思いに駆られる拓郎の姿があった。彼はそわそわと足踏みしながら麻未の到着を今か今かと待ちわびていた。

 そこへ馴れ馴れしく声を掛けるのは、四組の第二走者としてもうすぐ出走するサン坊であった。現在一位をキープしているだけにその表情はどこかにやけていた。

「タクさん、悪いけど、お先に行かせてもらいますよ」

「フン、勝手に行きやがれ。絶対に追い付いてやるからよ」

 そこから大きな順位の浮き沈みもなく、一位のままバトンを引き継いだ四組チーム。バトンを受け取ったサン坊は、これまでの鬱憤を晴らさんばかりの快走を披露した。

 一位のみならず、二位のチームにも水をあけられた七組チーム。しかし、まだ反撃できる三位で麻未から拓郎へバトンが手渡された。

「タックン、ごめん! あとはお願いするわ」

「おお、任せておけ!」

 第二走者としてバトンを受け取った拓郎。クラスの中でも群を抜く持ち前の脚力を生かし、順位を上げようとがむしゃらに突っ走る。

 彼の冴え渡る走力を知っている七組のクラスメイトたちも、応援席から立ち上がって割れんばかりの声援を送った。

「すげぇ、さすがはタクさんだ! このまま二位を追い抜きそうですよ」

「おっしゃあ、頼むぜ、タクロウ、そのまま突き進めぇ~!」

 勝や勘造だけではなく七組の全学年の声援を背中に受けて、拓郎はハイスピードで第三走者のもとへと疾走していく。その勢いは凄まじく、あっという間に二位まで躍り出てしまうほどの快速ぶりだ。

 第三走者が待機するスタート地点には、緊張と不安の表情を浮かべた由美の姿があった。彼女は大きな深呼吸をしながら、バトンを握り締める瞬間をドキドキしながら待っていた。

 そこへ軽々しく声を掛けるのは、四組の第三走者としてもうすぐ出走するはずの流子であった。現在一位をキープしているだけにその表情は卑しいほどにやけていた。

「ユミ。言っておくけど、この勝負に友情や馴れ合いはないわ。これが最後、全力で勝ちにいくわよ」

「フウウンガさん、わたしもチームのために全力で行くつもりです。お互いにがんばりましょう」

 性格のまったく違うこの女子二人。さわやかな笑みを向け合い勝っても負けても恨みっこなしと、正々堂々とプレイすることをここに誓い合った。

 男女混合リレーも折り返しとなる第二走者から第三走者へのバトンパス。それを一番最初に成し遂げたのは、一位を維持していた四組の意外にも息の合ったコンビであった。

「リュウコ、あとは頼んだよ!」

「わかってるわ、アイヤァ~!」

 緊張感いっぱいの由美を尻目に、流子は両手を振り乱して駆け出していく。じたばた暴れるフォームはまさに、がむしゃら走法と呼んでもおかしくない。

 それから数秒後、歯を食いしばって走る拓郎が近づいてきた。そんな彼を背後に見ながら、由美は鼓動をバクバクと高鳴らせてゆっくりとスタートダッシュを切る。

「ユミちゃん!」

「タクロウくん、あともう少し、がんばって!」

 二位という順位ではあるが、勝利へと導く希望のバトンタッチを成功させた七組チーム。

 スムーズにバトンを受け継いだ由美は、一位のカンフースーツの女子を見据えながらチームの総合優勝を胸に、アンカーである拳悟へバトンを繋ぐためにひた走る。

 自信も脚力もない。そう弱音を口にしていた彼女だったが、その走りっぷりは決して恥じるほどに劣るものでもなかった。

 一位の流子との距離を詰める由美の奮闘ぶりに、七組の応援席でもどよめきが起きていた。それはいつしか、由美への激励メッセージへと変わっていく。

「よし、いいぞ、ユミちゃん! リュウコなんぞ追い抜いてしまえ!」

「フレ、フレ、ユミさ~ん! ファイトォ~!」

 応援席の最前列から、勝とさやかの叫び声が風に乗って飛んでいく。そればかりではなく、他のチームメイトたちの黄色い声援までもがそれを追い越さんばかりに飛んでいった。

(何としても、いい順位でケンゴさんに繋がなくちゃ!)

 激励メッセージの一つ一つが由美の背中を後押ししてくれたのだろうか?彼女はぐんぐんペースを上げて、がむしゃら走法の流子の背中をしっかりと捉えていた。

 リレーの役目を終えた拓郎と麻未の二人はそれぞれグラウンド上で合流するなり、この素晴らしいレースを観戦しながら由美の予想外な脚力にすっかり脱帽といった感じだ。

「おいおい。ユミちゃん、すっごく速いじゃないか」

「うんうん。このままだと一位も夢じゃないわよー」

 興奮している二人の願いと望みが、今まさに叶う瞬間がやってきた――。

 それは残り二十メートル付近、由美はついに独走していた流子と横一列に並ぶと息もつかせぬまま一気に抜き去っていった。

 これには百戦錬磨のカンフー少女でも目を見開いてびっくりするしかなく、順位を差し返す力を奮い起こすことができない。

 目を離せないこのレース展開に、どのチームの生徒たちもやんややんやの大盛り上がりである。その中にはもちろん、第四走者として待機するアンカーの男子たちも含まれていた。

「おお、やったぞ、ユミちゃん! ついに一位じゃないか!」

 両手を大きく叩き鳴らして、由美のことを拍手喝采で迎え入れようとする拳悟。

 そんな彼のところに、失笑を向けながらやってくる男子生徒が一人。そう甘くはいかないだろうと言い切った彼の正体こそ、現在三位であった八組のアンカーを任された地苦夫だ。

「おいおい、チクオ。それは犬の遠吠え、負け惜しみってヤツじゃないの?」

「おっと、それはどうかな? まぁ、戦況をじっくり見てみろよ」

 余裕たっぷりの地苦夫が指し示した方向へ目を向けてみると、こちらへ一心不乱に駆けてくる由美の勇姿が映っている。ところが、彼女の背後に浮かび上がるトルネードのように舞い上がった黄色い砂煙。

 その砂煙がどんどん近づくにつれて視界が少しずつ明瞭になっていく。それと同じくして、謎めいた砂煙の実体もより明確になってきた。

「あらら、もしかしてあれってさ、おまえんとこの最終兵器?」

「そういうこと。うちの女子代表、史上最強のスプリンターだ」

 地苦夫が口にした史上最強のスプリンターは、怒涛の勢いのごとく由美をかわして残り十メートル付近で一気に首位に躍り出てしまった。

 由美は追い越された瞬間、風でなびくブラウン系のメッシュの髪と愛くるしいタレ目の横顔がふらっと視界に飛び込んで、その女子が誰なのかはっきりと判別できた。

(この人、八組の――!)

 モンスター級のスピードを持った張本人に逸早く気付いたのは、グラウンドから戦況を見守っていた麻未だった。

「あれ、ヒロじゃない! 彼女って中学生の時、陸上選手で県内一位になったことがあるんだよね~」

「このままバトンが渡っちまったらヤバイ。いくらケンゴでも、チクオに先に行かれたら勝ち目がないぞ」

 この二人が危機なる不安を抱くままに、いよいよ八組が一番手としてバトンを引き継いでいく。

 それではお先に失礼とばかりに、地苦夫は憎たらしい挨拶をしてからフットワークのような軽やかな足つきで駆け出していった。

 走った後でも疲れた表情をまったく見せないヒロは、ちょっぴり悔しそうな拳悟に向けてまるで嘲笑うような口調で声を掛けてくる。

「ケンゴくん、リレーであたしらに勝つなんてさ、それこそ夢物語じゃないかね?」

「夢物語ねぇ……。俺さ、そういう夢を追い掛けることが好きなバカなんだよな」

 拳悟はさわやかに白い歯を見せる。夢や希望は遠いところにあるほど燃えるもの、それこそが青春野郎と呼ばれる彼なりの持論なのであった。

 バトンタッチまで残り一メートル、残された体力を振り絞ってここまで踏ん張った由美が夢と希望をアンカーである拳悟へ繋ごうとする。

「ケ、ケンゴさん!」

「ユミちゃん、お疲れさま。あとは任せてちょーだい!」

 由美のここまでの努力を無駄にはしないと、拳悟は受け継いだバトンを強く握り締めて遠くにある夢と希望を目指して爆走していくのだった。

 第三走者としてレースを終えて、ひざを屈めながら息を切らせる由美。輝く汗で顔中を濡らした彼女を労おうと、余裕たっぷりの微笑みを浮かべるヒロがやってきた。

「七組のカワイコちゃん、見事な走りっぷりだったわよ。あたしと一緒に陸上同好会で活動しない? 今のところ、会員はあたし一人だけど」

「はぁ、はぁ……。あ、ありがとうございます。ま、前向きに検討してみますね」

 男女混合リレーの勝負の行方、すべての最終走者へバトンが手渡された時点で、八組と七組による残り二百メートルの争いに絞られた。一位の地苦夫と二位の拳悟との差は約十メートルといったところだ。

 拳悟に逆転できるチャンスは十分に残されていたが、スピードスターと異名を取る地苦夫との距離を縮めるのは容易なことではない。

「行けぇ、ケンゴォォ! チクオなんぞ抜いちまえぇぇ!」

「フレー、フレー、ケンゴく~ん!」

 勝とさやかを筆頭にして、七組の応援席では大会史上最高と言ってもおかしくない声援が轟いていた。みんながみんな、トラックを駆け抜ける一人の男子生徒に総合優勝という願望を託していた。

(くっそ~、あのやろう、とんでもない速さじゃねーかっ!)

 拳悟は歯を食いしばって疾走するも、その差はなかなか縮まらない。派茶目茶高校一の俊足を持つ地苦夫を相手に、離されないように食らい付くのが精一杯だった。

「ケンゴ、踏ん張ってくれー、残り百メートルの直線に入ったらマズイぞ!」

「ケンちゃん、何してんの!? あたしたちのがんばりを無駄にしちゃダメだからね!」

 まだまだ諦めるのは早いと、拓郎と麻未の二人もグラウンドに残ったまま拳悟の気持ちを萎えさせまいと声を張り上げていた。

 同じチームの生徒たち、そしてクラスメイトたちの応援を一手に受けて拳悟はさらなる闘志を燃やす。総合優勝という名誉が遠のくほど、彼のど根性はより威力を発揮するのだ。

「うぉぉぉ! この俺の火事場のクソ力、徹底的に見せたるわぁ!!」

 彼の体内にある内燃機関がフル回転すると、両足はまるでギアで回されるように動き出しグラウンドの砂を巻き上げながらの猛追が始まった。

 その一方、一位をキープしている地苦夫は背後から漂ってくる気迫を肌で感じてか、チラッと振り向いて様子を窺ってみる。

(ゲッ、ケンゴのやつ、目が血走ってやがる! これはマジにならんとやばいじゃねーか!)

 地苦夫もスピードスターとしての誇りをかけて、残り百メートル先のゴールを目指してピッチを上げる。彼の背中にも、八組の総合優勝というプレッシャーが圧し掛かっているのだ。

 大歓声の波が押し寄せるトラックの上で、無我夢中で疾走するこのアンカー二人。距離の差はにわかに詰まり約五メートルほどとなった。

 七組の応援席から、空を突き破らんばかりの声援が飛ぶ――。

 八組の応援席から、大地を壊さんばかりの声援が響く――。

 他のチームの応援席からも、どちらを応援しているかわからない喚声と怒声がこだまする――。

 ゴールまで残り五十メートル。地苦夫と拳悟との距離の差はついに数メートルまで詰まっていた。

「あと少しだ、ケンゴ! 一気に抜き去れっ!」

「行け、行け、ケンゴ~! 行け、行け、ケンゴ~!」

 勝とさやかの声もすっかり掠れている。それでも、チームの応援団の一員として最後まで応援を止めようとはしない。

「……チクオ、おまえなら勝てる。そのペースを意地しろ」

「そうアル、おまえは、学校一番の、スピードスターアルよ!」

 須太郎と中羅欧も冷静さを欠くことなく、自らのチームの総合優勝を確信し地苦夫に向かって期待のエールを送っていた。

 ゴールまで残り二十メートルを切った。この僅差からして、地苦夫と拳悟のどちらがトップでゴールしてもおかしくはない。

(俺は負けられん! スグルたちや、タクロウにアサミ、そしてユミちゃんのためにも、俺は絶対に勝たなきゃならんのだぁ!!)

 光り輝く汗を吹き飛ばし、歯を食いしばって爆走している拳悟。

 そんな彼の勇姿を一人見守る由美。強く握った両拳を顎に宛がい、一度たりとも目を逸らすことなく、ただただ健闘を祈り続けていた。

(――ケンゴさん、あと少し、がんばって!)

 すべての生徒と教員が注目する中、真っ白いゴールのテープを最初に切ったのは果たしてどちらか――!?

 一位が決まった瞬間、どの応援席も拍手喝采と溜め息の騒音に包まれた。

 熾烈なる争いを展開し、最高潮に盛り上がった男女混合リレーの結果は、最後まで順位を譲ることがなかった地苦夫の勝利に終わった。これにより、八組チームの総合優勝が三年生のリレーを待たずして確定した。

 無事にゴールまで辿り着いた両雄は、ひざから大地に崩れ落ちて嘔吐するほどの息を吐き続ける。びっしょりかいた汗の一つ一つが、渇いた砂埃の上にポタポタと落ちていた。

 それから十数秒後、息を切らせながらもようやく言葉を交わすことができた拳悟と地苦夫。突き合わせる彼らの表情は、勝ち負けにこだわらない晴れ晴れしい笑顔だった。

「はぁ、はぁ。おまえ、ムチャクチャ速いな~。何でこんなガッコウに入ったんだよ?」

「そ、そりゃ簡単なことさ。こうやって、ヒーロー気分に浸れるからに決まってるだろ?」

 総合優勝を左右する激走を演じた二人。彼らは紛れもなくヒーローそのものだ。

「そんな下らない理由かよ。おまえ、正真正銘のバカだろ?」

「うるせー。根っからのヒーロー気取りが人のこと言えんのかよ」

 皮肉めいた罵り合いをぶつける二人だが、そのやり取りにギスギスとしたわだかまりはなく、お互いの健闘を称え合う青春ストーリーのワンシーンがそこにあったようだ。

 激闘を終えた拳悟のともに駆け寄ってくるリレーのメンバーたち。総合優勝こそ逃したものの、それぞれの顔には勝負をやり切った満足感のようなものが満ち溢れていた。

「ケンゴ、お疲れさん。最後の最後まで興奮させやがって。やっぱりおまえはとんでもない青春野郎だぜ」

「ケンちゃん、これだけがんばったならさ、お勉強がお留守でも内申の評価がぐんと上がるかもよ?」

 拓郎と麻未はいつもの調子で憎まれ口を叩いていた。それこそが、親友である彼らなりの心を込めた励ましだったのだろう。

 とはいえ、あと一歩のところで勝利を逃したこと、そして力が及ばなかったことを拳悟はただただ悔いるしかなかった。アンカーとしての役目を果たせず、彼はメンバーたち一人一人に謝罪の言葉を口にしてしまう。

 肩を落としていた拳悟を励ますのは、誰よりも彼の奮闘を理解しており、誰よりも立派に思えていた由美であった。

「ケンゴさん、ほら見てください、応援席を。チームのみんな、ケンゴさんに大きな拍手を送ってくれてますよ」

 由美の指し示した先では、リレーのメンバーたち、何よりもアンカーをしっかり務めた拳悟を褒め称える七組の応援席の高らかな拍手が鳴り響いていた。

 そこには憤慨といった感情や焦燥といった感情もない。チームメイトの誰もが、準優勝という栄誉だけで十分満足だという表情を見せてくれていた。

「ははは。みんな、ありがとう」

 拳悟はメンバー一人一人と固い握手を交わす。感極まってしまったのだろうか、その時の彼の目尻にはほんのりとほろ苦い嬉し涙が滲んでいた。

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