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第六話― 体育祭シリーズ① 真拳勝負?百メートル競争(1)

 お楽しみの体育祭を明日に控えた、お月様が青白く輝くそんな夜。

 ここは由美が暮らすアパートの一室。南側に向いている窓の上に、ぽつんと吊るされている白地のてるてる坊主。

 その不思議な光景を目の当たりにした姉の理恵は、怪訝そうに首をコクリと捻りつつ、これは何のおまじないかと由美に尋ねてしまった。

「あのね、明日は学校の体育祭なんだ。だから、晴れてほしいなぁと思ってね」

「ふ~ん、なるほどね。フフフ、このご時世にてるてる坊主とは、あなたもなかなかの迷信ぶりね」

 理恵はお風呂上りの黒髪を整えつつ、由美の子供らしい行為をつい鼻で笑ってしまった。

 笑わないでよと失礼な姉に口を尖らせる由美だったが、よくよく振り返ってみると、確かに高校二年生のすべきことではないと思い恥ずかしそうに苦笑してしまうのだった。

「そういうことなら早く寝なさいよ。寝不足が原因でビリになりましたなんて言い訳、このわたしには通じないからね」

「わかってるよー。言っておくけど、わたしはビリになるほど運動神経がないわけじゃありませんよーだ」

 クスクス笑いながら就寝前の肌のお手入れを始める理恵。美貌を売りにするOLである彼女にとって、夜のスキンスケアはそれだけ重要なのである。

 化粧台と顔を突き合わせる姉をよそに、由美は窓際で小さく揺れるてるてる坊主にそっと目線を合わせた。そして、彼女は微笑ましい表情で声にならない祈りを捧げる。

(……どうか、明日は晴れますように)

 この祈りが通じたのか、はたまた矢釜市の上空に高気圧が張り出したのか、翌日のお天気はお天道様が明るく顔を覗かせる、いわゆる体育祭日和となるのであった。


* ◇ *

 派茶目茶高校の体育祭当日。本日は初夏の陽気を思わせる晴れやかな朝を迎えた。

 この学校の行事の中でも一二を争うビッグイベント。開催を祝した花火がドカーン、ドカーンと盛大に打ち上がる……なんてことはさすがにない。

 体育祭に参加する生徒たちが開会式に遅れないようグラウンドにすごすごと集まり始めている。競技の邪魔にならぬよう、艶のある髪の毛を紫色のリボンで束ねて薄緑色の体操着に着替えた由美もその中の一人であった。

 彼女にとってこの学校での初めての体育祭ということもあり、彼女は時間の許す限り他のチームの応援ボードなどを観察して回っていた。

 チームは総勢八組。その八組の生徒たちが競技種目で競い合うわけだが、各チームの応援ボードも競い合うほど個性的で目に見張るものがあった。

 漫画やアニメのキャラクターを描いたものや、龍や麒麟といった空想上の聖獣を描いたもの、そして、まるでルネッサンス芸術のような奇才を放つ絵画なんかも見受けられる。

 その一つ一つを鑑賞しながら感嘆の声を上げていたわけだが、自らが所属する七組の応援ボードを見た瞬間、彼女は呆然とその場に立ち尽くしてしまう。

「……これはまた、とってもシンプルな」

 七組の応援ボードは、それはもう単純かつ実直に真っ白い背景に黒字で“7”と記載されているだけ。これを制作するのに、五分ほどしかかからないぐらいの出来栄えである。

「おーす、ユミちゃん。おはよぉ」

 呆れ果てていた由美に声を掛けたのは、彼女と同じチームでありクラスメイトの麻未だった。

 しなやかに伸ばした茶色い長い髪をいつもより束ねてリボンで結っている麻未。ピンク色のハーフパンツに、胸を強調するようなタンクトップが彼女の色っぽさを余計に際立たせている。

 そんな色香漂うお友達の格好を見て、由美は同姓でありながらも思わず頬を赤らめてしまう。その恥じらいは、自分にはとてもマネができないという小心者の気持ちを表現したものだ。

「おはよう、アサミさん。ケンゴさんとか、スグルくんたちがどこにいるか知ってる?」

 開会式まで残りわずかという時刻。しかし、七組の主要メンバーたるハチャメチャトリオやその仲間たちの姿はまだ応援席にはなかった。

 麻未はそれを知ってか知らずか、記憶を手繰り寄せながら赤いマニキュアを塗った爪で顎を突いていた。

「えーとね、ケンちゃんはまだ見掛けてないけど、スグルくんたちはまだ教室でワイワイ騒いでいた気がするなぁ」

「え? 教室ですか? もうすぐ開会式始まるのに……」


* ◇ *

 その頃、二年七組の教室は確かに賑やかだった。

 教室内にはクラス委員長の勝の他に、拓郎や勘造、そして志奈竹といった御馴染みのメンバーたちが顔を揃えていた。

 のんびりと身軽な服装に着替えながら、雑談めいた話で盛り上がっている男子生徒たち。体育祭の開会式まであと十分少々にも関わらず……。

 廊下まで漏れるその笑い声に気付いてか、たまたま通りかかった何者かが二年七組の教室のドアにそっと手を掛ける。

『ガララ……』

 教室内に顔を覗かせたのは、清潔感のある白いジャージに袖を通したこのクラスの担任である静加であった。視界に入った男子たちの艶かしい光景に、彼女は目を見開いて愕然としている。

「ちょっと、あなたたち、いつまで着替えるのよ! 今何時だと思ってるの?」

 着替えを覗かれた男子たちは、わーわー、きゃーきゃーと恥らう声を上げて体をくねらせながら騒然としていた。

 大の男が裸見られたぐらいで何を照れておるか!と、憤慨しながら男子たちを叱責していた静加。その男子代表である勝は、教室内に堂々と入ってくる彼女に苦言を呈する。

「おいおい、シズカちゃん。いくら彼氏がいないからって生徒の生着替えを覗くのは、いくら何でも趣味が悪いぜ?」

 それからコンマ数秒後、余計なお世話よ!という声と一緒に静加の聖なる鉄槌が勝の頭上に振り下ろされた。あまりの激痛と衝撃に、彼は頭を覆いながらうずくまってしまう。

 その一部始終を目にした拓郎たち他の生徒は巻き添えだけはゴメンと思ってか、それはもうキビキビと早着替えしてキッチリと身支度を整えていた。

「開会式まであと五分ほどよ。早くグラウンドへ行きなさい! もし遅れたら、こんなお仕置きじゃ済まさないからね!」

 これはえらいこっちゃとばかりに、男子生徒たちはドタバタと教室から駆け出していった。

 取り残されてしまった勝も、上半身裸のまま大リーグのエンブレムをあしらったTシャツを握り締めて仲間たちの逃げる後ろ姿を必死に追い掛けていくのだった。


* ◇ *

 一方、単独行動を取っていた拳悟はというと、開会式を目前に控えて長いトイレから出てきたばかりだった。

 引き締まった上腕筋を自慢するように、彼はノースリーブのブルーのシャツを着こなし、体育祭という血湧き肉躍る行事にこの上なく色めき立っていた。

 個人種目で八種目、さらに団体種目で二種目も出場することになる彼。常人なら憂鬱になってしまうところだが、種目ごとのペース配分を本気で考えているところから脳まで筋肉でできたただのおバカさんなのかも知れない。

 鼻歌交じりですっかり上機嫌の拳悟。グラウンドへ繋がる廊下を渡り丁度出入口付近に差し掛かった時、彼のことを怒気の含んだ声で呼び掛ける男がいた。

 拳悟はびっくりした顔で、その怒声がした方角へ顔を向けてみる。すると、日の当たらない体育館と倉庫の隙間にまるで影のように佇む男子生徒の姿があった。

 茶髪を風になびかせて、渋い革ジャンを着こなすその男子に彼は明らかに見覚えがあった。

「フッフッフ。久しぶりぶりじゃねーか、ケンゴ」

「やっぱり、ダン先輩だったのかぁ。びっくりさせないでくださいよ」

 拳悟の前に現れたのは、派茶目茶高校の番長であり女教師の下着を盗んで停学を食らっていた碇屋弾その人であった。彼は数日前、ようやくその停学から復学したばかりであった。

 いつものように、仲間であるノルオとコウタの二人を従えている弾。格好が運動着でないところを見ると、彼らは体育祭という行事に参加する意思はないようだ。

「おい、ケンゴ。俺の復帰祝いに、これから屋上に付き合えや」

 弾はふてぶてしい笑みを零し、不良の溜まり場である屋上へと誘い掛けてくる。しかし拳悟は体育祭出場に使命感を燃やす男、弾の悪しき誘いに乗ろうとはしなかった。

「悪いんですけど、俺は全部で十種目という過酷なロードが待ってるから。センパイ方だけで勝手にフケてくださいよ」

 低姿勢ながらも、拳悟は少しだけ嫌味な口調で断りを入れた。どうもその言い草が癇に障ったようで、弾の後ろで控えていた腰ぎんちゃく二人がいきなり憤ってきた。

「ケンゴ、テメェ、待ちやがれ! それが俺たち先輩に対する態度か?」

 ノルオとコウタの怒りなど気にも留めず、拳悟は開会式間近のグラウンドへゆっくりと歩き出していった。そのふてぶてしさがますます二人の怒りに拍車をかけてしまう。

 ノルオとコウタの二人は、とっちめてやろうと威勢よく走り出した。ところが、弾番長がそんな二人の暴走を両手で遮って制止してしまった。

「おい、なぜ止める!?」

「よさねーか、アホども」

 先輩に楯突くことは許し難いが、体育祭へ情熱を燃やす男を邪魔してはなるまい。それこそが、番長としての遵守すべきポリシーなのであった。

 軟弱なポリシーなどクソ喰らえとノルオとコウタは憤りを抑え切れない様子だったが、あまりに反論すると番長ご自慢のキツイお仕置きが待っているのでこれ以上逆らわないでおくことにした。

「そう、俺は誰も縛らない。もちろん、誰にも縛られない。俺は天下無敵の自由人」

 まるで哲学者気取りの弾は、フリーダムを実感するように両腕を目一杯広げて晴天なる上空を仰いだ。

「……そうさ、あの雲のように、大空を羽ばたく鳥のように、俺は自由に生きるのだぁ!」

 弾は発狂しながら両手をばたつかせて、それこそ鳥になった気分で周囲を駆けずり回る。そう、彼特有のいつもの発作が始まってしまったのだ。

「おい、どうする? やっぱり医者へ連れていくか?」

「無駄だろ? アイツこの前、精神科の医者にさじ投げられたんだぜ」

 ノルオとコウタはずっしりとした溜め息を吐き、飛べない鳥に成り果てた仲間のことをそれはもう蔑んだ目つきで見守るしかなかった。


* ◇ *

 午前九時となり、派茶目茶高校の体育祭開会式の時刻を迎えた。

 広大なグラウンドに整列する一部サボリ学生を除いた全校生徒たち。これから繰り広げられる熱戦を前にして、やっぱり一部の学生を除いてみんながみんな興奮と緊張に胸を躍らせている。

 その一員の中にはもちろん、拳悟たちハチャメチャトリオやこの学校で初めて体育祭を経験する由美の姿もある。

 凛々しく壇上に上がり、開会式の開催を声高らかに宣言したのは二年七組の担任を受け持つ静加だ。

 ここだけの話だが、この挨拶の担当は公正なるクジ引きで決まるらしく、今大会、このクジ引きに運悪くはずれてしまった彼女。そのマイク越しの声はどこか面倒くささを感じさせるものであった。

「それでは、校長から一言、ありがたい挨拶をしてもらいます」

 静加から早く早くと手招きされて、ヨボヨボな足取りでゆっくりと壇上へ上がってくる校長。

 薄くなって見るも無残な髪の毛、牛乳瓶の底のようなレンズの丸メガネ、ヒョロヒョロとした貧弱な体つきは、いかにも定年退職まであと一歩という印象を与えてくれる。

「え~~~。本日はぁ~~、お日柄もよく~、遠足には喜ばしい朝となりました~~」

「コウチョウ、コウチョウ。今日は遠足じゃなくて体育祭ですよ」

 静加からやんわりと窘められて、薄毛の頭をポンポンと叩かれる天然ボケなのか認知症なのかよくわからない校長であった。

 校長の催眠術ような無駄話も終わり、次はいよいよ生徒代表による選手宣誓であったが、このハチャメチャな学校らしくここに来てちょっとしたハプニングが起きてしまう。

「えー、選手宣誓をする三年生ですが、突き指で欠席となってしまったので代わりに誰かに選手宣誓をしてもらいます」

 重大発表をさらりと言いのけてしまう静加は、整列している生徒たちを興味ありげに見回している。さも、いい男がいないか物色しているかのごとく。

 その数秒後、彼女のお眼鏡にかなった幸運(?)の生徒こそ、この学校の代表といっても過言ではない、本来なら三年生である二年七組のクラス委員長であった。

「スグルくん。そういうわけだから、よろしくね♪」

「お、おい、ちょっと待て! 今、目が合ったから丁度いいとばかりに俺を選んだな? それはあまりにも無謀だろう!?」

 何の根拠もなく指名されたことに憤慨する勝。しかし、彼が指名された理由は決して静加と目が合ったからだけではない。

 勝はクラス委員長として、二年七組だけではなく学年を越えた生徒たちからも一目置かれており、責任感のある彼ならばこの場をバッチリ仕切れるだろうという彼女なりの期待を込めた賭けでもあったのだ。

 とはいえ、彼にしてみたらそれはありがた迷惑な話なわけで、その身勝手なご指名にいくら責任感がある彼でも納得しようがなかった。

 これを大喜びしていたのは、お約束とも言うべき悪友の拳悟と拓郎の二人。彼らはやんややんやと手を叩いて、これ見よがしに他の生徒たちをはやし立てるのだった。

「おー、これから、スグル大先生の選手宣誓が始まるぜっ! みんな、心して聞くように!」

「スグル委員長のありがたい挨拶、これを聞き逃したヤツは、それはもう体罰もんだぜ?」

 拳悟と拓郎の二人の掛け声に、全校生徒はここぞとばかりに異様な盛り上がりを見せる。みんがみんな、ハチャメチャトリオの一角を担う勝という有名人に好奇の眼差しを向いていた。

「ぐぅぅ、ケンゴ、タクロウ、やってくれたな、キサマら~!」

 生徒一人一人から持てはやされて、勝は憮然としながらも校長が突っ立っている壇上へと押し出されていった。

 こうなっては引くに引けない。もう破れかぶれだと悲壮な覚悟を決めて、恥を忍んで腹をくくった勝はスタンドマイクの前に堂々と起立する。

「……それじゃあ、選手宣誓!」

 ピシッと姿勢を正して、晴れ渡る青空目掛けて右手をかざした勝。

 ――どんな選手宣誓が告げられるのだろうか?全校生徒全員、そして教職員すらも、その気迫のこもった雰囲気に一斉に押し黙る。

 壇上で呆けた顔をしている校長、真剣な面持ちで右手を挙げたままの勝、この二人の長くて緊迫した沈黙がしばらく続いた。

 その数秒後、息詰まる緊張感を解き放つように、ついに生徒代表である勝の選手宣誓が告げられる。

「以上! 任対勝!」

 タイトルコールだけで終わってしまった選手宣誓に、ボケボケ老人のような校長一人除き、グラウンドにいる全員が地響きを起さんばかりにズッコケてしまった。

 この大胆不敵な言動に、仲間である二年七組のクラスメイトたちも呆れ果てたような苦笑いを浮かべるしかなかった。もちろん勝を指名した静加も悔いるようにしばらく頭を抱えたままであった。

 中途半端な選手宣誓も何とか予定通り終了し、開会式は何ともいえない空気の中で幕を下ろした。それを境にして、生徒たち全員はそれぞれのチームの応援席へぞろぞろと散っていく。

 バラバラと歩いていく雑踏の中、会話をしながら隣同士並んでいるのは十種目という偉業を成し遂げようとする拳悟と、彼のことを影ながら応援している由美の二人だった。

「いやはや、休みなく出番がやってくるというのもキツイの一言に尽きるやね」

「何たって全部で十種目もありますもんね。応援してますから、がんばってください」

 由美から心優しく激励された拳悟は、一等賞のリボンをいっぱい取るようがんばってみるとさわやかな笑顔でそれに応えるのであった。

 応援席まであと一歩のところまで辿り着いた二人。そんな矢先、彼は何かに気付いたのかいきなりピタッと立ち止まってしまった。並んで歩いていた彼女もそれにつられて両足を止めてしまう。

「……どうかしたんですか? ケンゴさん」

「ああ、どうもゲストが来ているみたいなんだ」

「……ゲスト?」

 拳悟の視界に映っていた人物、それは白を貴重としたお嬢様っぽい制服を着て丈の短いスカートに黒いハイソックスを履いた少女。体育祭にそぐわないその服装からして他校の生徒であることに間違いなかった。

 その少女はショートボブの髪の毛を揺らしながら、七組の応援席周辺でキョロキョロと誰かを捜しているように見えなくもない。

 不思議そうな顔をしている由美を尻目に、拳悟はてくてくと歩き出して挙動不審の少女に気安く声を掛ける。

「さーやーか」

「あ! ケンゴくーん!」

 どうやら、拳悟とその少女は顔見知りだったらしい。

 少女は丸い目を大きくして、久しぶりと笑って連呼しながら拳悟の腕をパンパン叩いて大はしゃぎしている。一方の彼も、腕が痛いと思いつつも彼女との再会を苦笑しながら喜んでいた。

「ところで、おまえ、ここへ何しに来たの?」

「何って、決まってるじゃん! スグルくんはどこ?」

 その少女が血眼になって捜していた人物とは、何を隠そう拳悟のクラスメイトであり親友でもある勝だったのだ。

 またしても少女はキョロキョロと周囲に目を配り始める。拳悟の背後を覗き見たり匂いを嗅ぐなどして、彼女は勝の存在を突き止めようとした。

「あのさ、俺はアイツと一心同体なわけじゃねーから。俺の近くを捜しても見つからねーと思うぜ」

 拳悟からツッコミを入れられて少女はガックリと肩を落としてしまうが、もうじきここへやってくるだろうと聞かされるなり、ニンマリと愛らしい笑みを浮かべるのだった。

 それはそれとして喜ぶのはいいけど……と、そんな前置きをしてから眉をひそめて問い掛ける拳悟。

「今日は金曜日だぞ。おまえ、学校どーした?」

「スグルくんに会おうと思ったらお熱が出ちゃって。今日はお休みをもらっちゃった。だから、ズル休みじゃないからね」

「熱が出たんなら、家でおとなしく寝てろよ」

 拳悟と少女が微笑ましく語っている中、一人ポツンと、その様子を遠巻きに見つめている由美。

(ケンゴさんのお友達かな……? それとも……)

 引っ込み思案なだけに、二人の輪の中に入っていくことができず由美は寂しげな表情のままその場に立ち止まっていた。

 独りぼっちにしてしまった彼女に気付いた拳悟は、置き去りにしたことを詫びつつ少女のことを紹介しようと彼女を近くまで呼び寄せる。

 由美は人見知りのせいもあってか、ちょっぴりおどおどしながら躊躇いがちに二人のもとへと近づいていく。

 好奇心旺盛でおしゃまな少女は、拳悟の隣までやってきた彼女のことを興味ありげな好奇の眼差しで凝視していた。

「んー、その人だーれ? ケンゴくんのカノジョ?」

「おあいにくさま。こちらはクラスメイトの夢野由美さん」

 拳悟から紹介されて、由美は控え目にはにかんでペコリと頭を下げた。それに返答するかのように、少女が自己紹介を始めようとした矢先だった。

「おや。どうやら、おまえのお目当てが来たようだぜ」

 お目当てである勝の登場を知らされるや否や、その少女は自己紹介もほったらかしていきなり猛ダッシュで駆け出してしまった。ミニのスカートがめくれ上がって、下着が見えるのもなりふり構わず。

 少女が血相を変えて近づいているとも知らず、その勝はというと苦虫を噛み潰したような顔で、開会式でのシーンを振り返り隣にいる拓郎に向かっ腹をぶちまけていた。

「ちきしょー、シズカめ。あれは絶対に俺をおとしめる作戦だったんだ。おかげで、とんでもねー恥をかいちまったぜ」

「いやはや、あれだけ簡潔な選手宣誓は十八年生きてきて始めての経験だった。とにかく笑わせてもらったよ」

 赤っ恥をかかされてふて腐れる勝。そして、彼のことをほくそ笑みながらも慰めている拓郎。まあ、気を取り直してがんばろうと熱い友情を示さんばかりに励まし合う二人であった。

 そんな二人の目に映ってきた、砂煙を上げて走ってくる一人の少女の姿。目を凝らしてみると、その少女の正体がぼんやりながらも識別できた。

「……おい、スグル。こっちに向かって来るのって、もしかして」

「……ああ。来るなって釘刺しといたんだが、やっぱ、無駄だったか」

 この場を逃げようとしても時すでに遅し。余裕すら与えてもらえなかった勝は、駆けてきた少女に思い切り抱きつかれて身動きが取れなくなってしまった。

「やっほー! スグルくーん。会いたかったよーん!」

「おい、さやか、離れろって! 人が見てるだろーが!」

 まとわりつく大胆不敵な少女を無理やり引っ剥がそうとしている勝。それをおもしろがるように、ギャラリーたちがヒューヒューと冷やかし始める。

 周辺がガヤガヤと盛り上がる中、由美はただ呆然としながらそのお熱いやり取りを遠巻きで見つめていた。この事態の真相を知りたくて、楽しそうににやけている拳悟に小声で尋ねてみる彼女。

「あの女の子はいったい誰なんですか?」

「彼女の名前は、錦野ニシキノさやか。近くの女子高に通ってる、明るさが取り得の女の子なんだ」

 底抜けに明るい少女こと錦野さやかは、派茶目茶高校からさほど遠くない、聖ソマラタ女子学院という女子高校の一年生とのこと。

 見てご覧の通り、彼女は勝にすっかり惚れ込んでいるわけだが肝心の勝本人からはどうも迷惑がられているらしい。それでも、彼女はひたすら前向きで片思いに恋焦がれる乙女なのであった。

「スグルのヤツさ、よくわからんけど、さやかと付き合おうとしないんだよね。嘆かわしいというか、もったいないというか」

 勝とは旧知の仲とはいえ、拳悟にもその理由がわからないのだという。カワイコちゃん好みの拳悟にしたら、勝の理想の女性像がどうにも理解できなかったようだ。

 錦野さやかの素性や、彼女の本命が勝とわかった由美は、なぜか安堵したようにホッと胸を撫で下ろしていた。

「そうだったんですか。……良かった」

「ん? 何が良かったの?」

 無意識のうちに口から漏れてしまった一言。由美は慌てふためいて、何でもないの一点張りでこの場をごまかしていた。彼女の火照った真っ赤な顔を見て、拳悟は不思議そうに頭を傾げるばかりだった。

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