カナミの誓い
圧倒的優勢から土壇場で大魔術を発動されたカナミは、一転窮地に立たされていた。
もはや光の壁と見紛うファランクス。
カナミも防御系の魔道具は所持しているが、これを防ぎきるのは簡単なことではない。
「ふぅ‥‥」
ここが正念場だ。
戦っていれば、イリアルに譲れないものがあることくらいは分かった。
けれどカナミとてそれなりのものを背負ってここにいる。
皇族に生まれるということは、国民の命に責任を持つということだ。たとえ皇位継承権が無いに等しいカナミであってもそれは変わらない。
生涯をかけて魔道具の研究を行い、有事の際には国民を守る盾となる。
カナミは幼少の頃からそう教わってきた。
故にランテナス要塞攻防戦にも幼い時分でありながら要塞まで赴いたのだ。
カナミのシャイカの眼があれば、戦う力は無くても支援は行えるという皇帝の判断だった。
教養があっても、覚悟があっても、現実はあまりにも無慈悲な大きさで少女の鼻っ面を殴りつけた。
シャイカの眼に宿る魔術の一つ、『千里眼』を発動すれば、遠い場所の景色も要塞の中から思うままに見ることができる。
つまりそれは否応なく死を直視するということだ。
兵士たちの無残な遺体。遺体だと分かるものは原型が残っているだけマシで、実際は四肢の破片や何だったのかも分からない肉片が地面にこびりついていることがほとんどだった。
血すら残らぬ破壊痕は、大魔術によるものだろう。
心が壊れ、膝をついて空に何かを呟いているだけの者もいた。
そして、見ることさえ憚られる怪物。屍山血河を築いた最強最悪の魔族、『災』が、あまりに無造作にそこに居た。
化け物は胡坐をかき、血風舞う中で目を閉じて眠っていた。
見ただけ、眠っている姿を見ただけで脳を直接鷲掴みにされたような痛みが走った。
その場で吐かなかったのは皇族としての矜持に他ならない。戦いの援軍に来た者が戦場を見て嘔吐なんて許されるはずがなかった。それがたとえ十二歳の少女であったとしてもだ。
そこからは地獄の日々だった。
戦場の真ん中に居座り眠りづづける災厄、『災』を起こさないようにしながら、進行してくる魔族を押しとどめる毎日。
当然カナミに軍の指揮などはできないが、戦場の状況、使われる魔術の種類を伝えるだけでも戦いに大きく貢献していた。
しかし進行は遅らせるのが精一杯で、決してよくはならない。
毎日自分の見ている前で誰かが死んでいく。
見えているのに、助けられない。
その事実は少女の小さな背中で背負うにはあまりに大きすぎた。日を追うごとに現実は重さを増していき、身体ごと心を押し潰す。
そして遂にその日はやってきた。
『災』が目を覚ましたのだ。
その瞬間、千里眼の魔術が強制的に遮断されかけた。それ程までの重厚な魔力が、辺り一帯に放出された。
その時カナミは皇族にあるまじきことに、
「終わりだ」
心底からそう思った。
見ているだけで伝わってくる重圧に心臓が押しつぶされそうになる。
『災』が徐に手を持ち上げ、膨大な魔力の奔流を腕へと伝わせる。まるで寝起きに身体を動かすような気楽な動作だが、シャイカの眼で見ているカナミだからこそ分かってしまった。
その一撃はこれまで見たこともない虐殺を生み出すと。
「や」
魔力は荒れ狂いながらも驚くほど繊細に術式を組み上げる。美しさとは裏腹に、全てを破壊する悪魔の一撃を。
「やめて‥‥」
もはや止める術はなかった。退却も間に合わず、危険を伝える術もない。
『災』の腕が振り下ろされ、魔術が発動する。
「やめてぇぇぇえええええええええええええええええ!」
少女の叫びは戦場には届かない。
誰一人逃げることは叶わず、敵味方関係なく殺戮する魔術は放たれた。
その間も千里眼は発動し続け、現実をカナミに直視させる。
破壊と破壊が衝突し、世界が揺れた。
「‥‥‥‥え?」
シャイカの眼は今も千里眼を発動している。つまりカナミの目に映るのはリアルタイムの現実そのもののはずだった。
しかし、誰も死んでいない。訪れるはずだった虐殺の光景は、どこを見回しても存在しなかった。
見えるのは立ち上がる『災』と、その目前に走る巨大な亀裂。
そして亀裂を境界線にするようにして対峙する――銀色の騎士。
カナミはその人を知っていた。たったの一振りで『災』の魔術を相殺する戦士など他にいるはずがない。
珍しく父に我が儘を言って手に入れた写し絵、そこに立つ威風堂々とした鎧姿。
何度夢見ただろう、ずっと来てほしいと心のどこかで願い、それは甘えだと蓋をし続けた。
――本当に、来てくれた。
一瞬、心が壊れ夢を見ているのではと疑ったが、今なお魔力を吸い続けるシャイカの眼がこれは現実だと教えてくれる。
その騎士は――最強の勇者は、剣を天へと翳す。
まるで大丈夫だと言うように。
あの時の気持ちを勇輔に伝えたところで、その十分の一も伝わらないだろう。憧れだけではない。恋に似ているようであり、違うとも言える。カナミ自身、どんな言葉を使えば伝わるのか見当もつかない。
ただ間違いないのは、カナミは勇輔に命を救われた。命だけじゃない、皇族としての責務も、矜持も同時に背負ってもらったのだ。
だからこそ勇輔に頼みごとをされた時、カナミは命を懸けようと思った。
皇族として、一人の人間として、カナミ・レントーア・シス・ファドルとして、己の全てを懸けて全うすることを誓ったのだ。
カナミは腰を捻りスカートを大きく持ち上げる。黒いストッキングに包まれた蠱惑的な脚が一瞬だけ浮かび上がり、同時にフリルには似合わない武骨な音が響き渡った。
カナミの周りでクルクルと回転するのは七本の長大な銃身。更には豪奢なドレスのフリルの隙間や袖の中からは仕込んであったパーツが飛び出す。月子も似たような形で天穿神槍を収納しているが、こちらはレベルが違う。
それぞれを場合によっては縮小変形させ、ドレスに仕込んでいる間は防御の魔術を発動する魔道具として機能する。
それら全てを一瞬で取り出し、カナミは組み立て直した。
華奢な両手に握られるのは、七本の銃身が束ねられ、竜の一角が如くそびえる回転機関銃――『アルファニール』。
カナミはもはや守られるだけの少女ではない。
最後の魔力を弾倉替わりの魔力炉に入れ、魔術を発動する。
この魔力炉には普段からカナミが魔力を込め続けており、そこに溜められた魔力は本来カナミが持つ総量よりも遥かに多い。
それを弾丸に変え、解き放つ。
「『オルファードレイン』‼」
弾丸の流星群が槍の軍勢を迎え撃った。
一本一本の銃身を通る際に弾丸はそれぞれ特性を与えられ、別種の魔弾となって槍を叩き落とす。
ズガガガガガガガガガガガガガガガ‼‼
轟音を連続で鳴らしながら二人の魔術は衝突を続けた。
頭蓋を揺らす爆音と衝撃が目前で連発し、ビルに亀裂が走る。砕けた破片が宙を舞い、それも一瞬後には塵となって吹き飛んだ。立っていることさえ難しい状況で、それでもカナミは『アルファニール』を撃ち続けた。
永劫にも思える束の間の時。
イリアルは尽きそうになる魔力を全身全霊で注ぎ込み、カナミは大小の傷を負いながら暴れる魔道具の制御に全力を注ぐ。
「終われぇぇええええええええぇぇええええええええええ‼‼」
「はぁぁぁああああああああああああぁああああああああ‼‼」
魔弾と槍の戦争は、二人の間にある空間すら歪める程の破壊をまき散らした。
そして拮抗の崩落は音もなくやってきた。
槍を創り出していたイリアルの翼が光の粒子となって砕けたのだ。
元々無理矢理『殲天を告げる輝槍』を発動した上、これまでの戦いで魔力は限界を超えていたのだ。
「――ぁ」
小さな呟きと同時に槍の壁は魔弾によって食い破られる。
もはや魔術を失ったイリアルにそれを防ぐ術はない。視界の全てが残酷なまでに美しい光に包まれた。
全ての音が消え、衝撃がイリアルを襲った。
よろしければブックマーク登録、評価、感想などいただけると幸いです。




