タリムの実力
熱すら感じる剝き出しな魔神への信仰心。
混――タリムの祈る光景が様々な記憶と重なる。
「『リーシャ、聖域を。倒れている人たちを囲んでくれ』」
「は、はい。分かりました」
リーシャの答えを聞き、いざ行かんとしたときに、腕にそっと指が触れた。優しく、けれど確かな強さで。
リーシャはただ一言だけを口にした。
「信じてます」
それが具体的に何を指しているのかは分からなかった。はじめに今回の作戦を話した時、一番反対したのはリーシャだった。
それでも彼女はこう言ってくれる。
「『ああ』」
口から出たのはそれだけだった。
戦いにおいて言葉を重ねることは無意味だ。信頼されているなら、その重さを背負って為すべきことを為す。
俺が構えると同時にタリムは顔を下ろした。
「では、始めましょうか」
「『そうか』」
もう始まっていると思ってたよ。
「は?」
タリムの呆けた声が空に取り残された。異形の頭がクルクルと夜を舞う。そうしている間にも身体がズレていく。
踏み込み、首と胴を続け様に斬った。
やったのはそれだけだ。
だが反応できなければ、その単純な攻撃で決着は着く。――これが並の相手であれば。
「ああ、なるほどぉ」
宙を舞う頭が呑気に喋る。その間に上半身と下半身はガムのように伸びてお互いを捉えた。更に右手が落ち行く頭部を掴むと首に押し当てる。
それだけでタリムは何事もなかったかのように再生した。
急所を同時に斬り離しても駄目か。本格的に化け物染みてるな。
「速いですねぇ」
その余裕がいつまで続くか、試してやるよ。
動きを止めることなく連続で斬り込み、タリムの身体を更に細かく分断する。
ほぼ無抵抗で斬られた灰色の身体は断面から崩れ落ちていく。
だが今回はここで終わらない。
バラバラにしたところで再生するというのなら、再生の余地がない程に粉砕してやる。
マントを打ち鳴らして左腕を構え、拳に魔力を集める。
発動するのは全てを叩き潰す重厚な一撃。
「『戦槌』」
拳に魔力を纏わせ、崩れ行くタリムの身体に叩きつける。衝撃と閃光が炸裂し、空気が一気に押し広げられた。
翡翠の爆発。
膨大なエネルギーの塊は聖域に守られた地面ごと灰色の肉体を叩き潰し、粉々にする。
もはや潰れたトマトのように原型もなく弾け飛んだタリムだったが、次の瞬間目を疑う光景が飛び込んできた。
「いい、いいですねぇ。想像以上の刺激です」
タリムは何事もなかったかのように砕けた身体から再生した。
こいつ、本当に不死身なのか?
あそこまで砕いても再生するとなると、倒すのに何か特別な条件が必要ということも考えられる。
たとえば特定の魔術のみ有効である。たとえば本体は別にいて、ここにいるのは分体である。
あんまり頭を使って戦うのは得意じゃないんだけどな‥‥。そういう相手の弱点を探したり作戦を立てたりっていうのは俺の役目じゃなかった。こんな時あいつらがいればと思わずにはいられない。
まあそんなこと考えたって仕方ない。
俺は俺なりのやり方で打開策を見付ければいい。
「今度は、こちらから行かせていただきましょうか」
タリムはそう言うと、徐に距離を詰めてきた。
そして拳を振りかぶり、殴りつけてくる。予備動作の大きいシンプルな右ストレート。
勢いこそ凄まじいが、喧嘩を知らない素人のようなパンチだ。
当然当たるはずもなく、避けながら脇の下へと斬り込む。沈み込んだ姿勢から身体を跳ね上げ、一閃にして脇下から鎖骨までを断ち切った。
だがタリムは斬られたことなど意にも介さず、再生しながら更に追ってくる。
そこからは一見喜劇のような立ち合いが始まった。
タリムの大振りな攻撃は俺に掠りもせず、その度に殴り掛かった側が斬られていく。
しかしその傷も一瞬で癒えるのだ。完全なイタチごっこ。
「あぁ、中々当たりませんねぇ」
「『‥‥』」
戦いながらあることに気付く。
こいつ、動きがどんどん速くなってきている。
灰色の肉体は再生を繰り返す度に洗練されていき、一つ一つの動きが加速していく。
さっき斬り離したはずの尾もより攻撃に特化した形に変化していた。
成長しているのか、戦いの中で。
そうして何度目かタリムを斬ったところだった。今までとは比べ物にならない抵抗が剣にかかり。途中で止まった。
身体の内側で、濃密な繊維の塊が羽を食い止めている。
さっきまでは泥のような感触だったはずなのに、こいつ、いつの間にか中身まで変化させていやがったのか。
「ようやく、止まりましたね」
タリムの左手が剣を掴み、笑った。勝利を確信した笑みだ。右腕が膨れ上がり、拳が巌のように硬くなる。
捕まえただけでそんなに嬉しそうになるなよ。
「『遅い』」
タリムが殴るよりも早く、前蹴りを腹の中央に突き立てた。
「ぉぐ!」
細い身体がくの字に折れ曲がり腹が凹む。それでも剣を手放そうとしないのは流石だが、軸足でアスファルトを踏み砕き、強引に蹴り飛ばした。
やっぱり中身の強度そのものが向上している。蹴った感触は今までよりも明らかに重く、筋肉の層に衝撃が吸収されているのが分かった。
タリムは即座に体勢を立て直して再びの突撃を試みようとしていた。その動きからはダメージを負っている気配はない。
なるほど、何となくこいつの魔術が分かってきた。
右腕を後ろに引き絞り、切っ先を前に。俺の技の中では珍しい、万難を貫く突きの構え。月剣が広範囲を一度に薙ぎ払う技なら、この技は速さと貫通力だけを高めた一撃。
『霆剣』。
瞬間、雷が横に走った。
雷光の刺突は間合いを遥かに超えてタリムの頭へと落ちる。見て避けることは不可能、この一撃はあらゆる防御を貫く。
ドォッ‼ と轟音が響き渡り、タリムの顔の中央に風穴が空いた。
そこらの魔族が相手であればこれで決着が着くが、こいつ相手だとそうもいかない。
顔の穴にはすぐさま灰色の肉が集まり、修復されていく。
そして数秒後には全く無傷の顔が現れた。
「ああぁ、想像以上に速く、そして強い。本当に素晴らしい」
タリムは拍手でもしそうな態度で言う。自分の顔に巨大な風穴を開けられたことなど、意にも介していない。
こいつと戦ってまず驚くのはその再生能力、あるいは分体の作成。けれど続けていく中で痛感する。
再生も分体作成も、恐らくこいつの魔術の本質じゃない。斬り飛ばされた後、より硬く攻撃に特化した尾。ダメージを受ければ受ける程重厚になる肉体。
「『適応、あるいは進化といったところか』」
「‥‥」
俺の言葉にタリムは口を歪めて笑った。歯の奥で目が爛々と輝き、俺を見据えた。
「何故そう思うので?」
「『再生、分体、直接の戦闘力。一つの魔術としては一貫性が感じられない』
しかしそれらが全て本質ではなく副産物であるとすれば、見えてくるものもある。こいつは再生しているのではなく、より強固に、より効果的に肉体を作り変えているのだ。
タリムは大きく口を開いて笑った。
「その通りですよ人族の魔術師。私の魔術は『混生万化』。あらゆる要素を内包せし泥は、万象へと至る」
やはり。恐らく外部からの刺激を受けることでほぼ自動的に発動する魔術。
「敵から逃亡し身を隠すためには分化を生み出し、傷を受ければより硬く再生し、防御されればそれを超える力を作り出す」
タリムは己の玩具をひけらかすように自分の魔術を語る。
こいつの魔術は俺の魔術によく似てる。翼の守護者はタイプが似ているだけだったが、タリムの『混生万化』は適応力という点で瓜二つだ。
しかし似てはいても同じ魔術ではない。俺にはあんな再生力はない。『我が真銘』は肉体を変化させるのではなく、その場に適した魔術を作るものだからだ。
これは翼の守護者が勝てないわけだ。手数で押し込もうにも、叩けば叩くだけ硬くなり、一切ダメージが通らないなんて悪夢そのもの。
「『随分お喋りな口だ』」
「ええ、知られたところでなんの問題もありませんから。――何より、知っていた方が絶望が大きいでしょうぅ?」
「『身体は変わっても、下衆な性根ばかりは変わらないか』」
とは言ったものの、確かにタリムの言う通り、こいつの魔術は知っていたから対処ができるというものじゃなさそうだ。
攻撃しなければ倒せず、攻撃したところで相手を強くする。完全なじり貧だ。
さて、どうするか。
「貴方の攻撃は本当に素晴らしい、おかげで私の身体はこれまでにないほど頑強に進化しました」
「『‥‥』」
「次はそろそろ攻撃の方を上げていきましょうかねぇ。まだまだ夜は長い、私の訓練に付き合ってもらいましょう」
俺との戦いを訓練と言い切るとは。
本当に自分が負けることなんて露と考えちゃいないわけだ。確かにこれだけの魔術を持っているなら驕り高ぶるのも頷ける。
ただこいつにも一つ誤算がある。
「さて、行きましょうか」
タリムの尾が地面に突き立ち、それを第三の脚として身体を撃ち出した。これまで以上の速度で灰色の異形が目前へと迫る。
言葉通りタリムは今まで以上の速度と力で連打を仕掛けてくる。その勢いはまさしく怒涛。
ドンッ‼ と拳圧に押された空気が破裂し、不規則な気流がうねりを作り出した。
ともすれば衝撃だけで身体を持っていかれそうになるほどの威力。
更にその隙間を縫うようにして蛇腹剣と化した尾が飛んでくる。
直線的な動きの中で入り込んでくる曲線的な斬撃。しかも尾のリーチは恐ろしく長く、視界の外どころか、真後ろからも容易に攻撃が来る。
瞬きさえ許されない嵐の中、俺はタリムの動きを見続けた。確かに速さと力には目を見張るものがあるが、それだけだ。
「『二重月剣』」
翡翠の弧が十字に重なり、尾ごとタリムを切り裂いた。
「おぉ?」
驚きの声を上げるタリムを更に回し蹴りで吹き飛ばす。
タリムは再び再生して殴り掛かってくるが、何度やっても結果は同じだ。どれだけ怒涛の攻撃をしてこようが、それは俺のマントさえ捉えられず空を切った。そこをすかさず返す太刀で吹き飛ばす。斬ったところで意味がないのだから、剣の腹で殴るようにして距離を取った。
「当たらない、当たらない。不思議ですねぇ、何故当たらないのでしょう」
間合いの外で動きを止め、不思議そうに呟きながらタリムは拳を開け閉めする。敵を目前にしているとは思えない余裕さで思案。
「もう少し数を増やした方が良いのでしょうかねぇ」
タリムがそう言うと同時、その背中から新たに二本の腕が生えてきた。
二本で駄目なら倍にしようって、安直すぎるだろ。
タリムは四本の腕を初めからそうであったかのように動かし、無造作に踏み込んでくる。
安直であっても、いや安直だからこそ効果は顕著だ。目前に迫るのは拳打の壁。もはや蟻の子一匹すら通さない圧力。
だがそれじゃ何も変わらない。お前は致命的な勘違いをしている。
斬ッ‼ と白刃が夜に輝きを残し、四本の腕全てが宙を舞った。
「『確かに魔術そのものは強力だ』」
更に連続の突きで脚を崩し、悪あがきとばかりに振ってきた尾も掴んで引きちぎった。
「『だがお前の魔術で向上するのは所詮肉体の能力のみ』」
四肢をもがれ、地面に落ちるタリムに告げる。
「『技の伴わない力なぞ、どれだけ振り回したところで当たることはない』」
結論はそれだ。
俺の魔術だって強力なものだが、それだけで神魔大戦を生き残れるわけじゃない。化け物のような力を持つ連中を相手に渡り合うためには、肉体を鍛え、魔術を探求し、技を錬磨しなければならない。
タリムは剣を持った子どもそのものだ。いくら振り回したところで脅威になるはずがない。
転がっていたはずのタリムは一呼吸の間に平然と四肢を再生し立ち上がると、頷いた。
「そういうことでしたか。道理で攻撃が当たらないわけです」
「『お前は再生するかもしれないが、お前の攻撃も俺に当たらない』」
そして何より大事なことがある。
「『魔力は有限だ。再生とて無限にできるわけではあるまい』」
これだけ強力な魔術だ。魔力もそれなりに喰うはず。戦い続ければ先に魔力リソースが切れるのはタリムの方である。
「『俺の前に出たのが間違いだったな』」
本体が別にいるというなら話は別だが、『混生万化』の話が本当なら本体はこいつで間違いない。
自分の魔術を過信して姿を現したのが敗因だ。
タリムはその言葉を聞きながら、無言を保っていた。こういった手合いは心を折るのが早い。何も魔力尽きるまで戦い続けなくても、魔術の発動さえ途絶えさせえてしまえば終わるのだ。
しかし次の瞬間、タリムは舌で単眼を舐め上げながら思いがけない言葉を呟いた。
「そうですか、戦いとは中々難しいものですねぇ。であれば、やはり貴方には戦いを止めてもらうしかなさそうですねぇ」
「『何?』」
「簡単な話です、直接戦って勝てないのであれば、別のやり方をとるしかないでしょう?」
何を言ってるんだこいつ。翼の守護者もいない状態で、もはや勝ち目はないはずだ。
どんな行動を取られても対応できるようにタリムを注視していると、おかしな気配を感じた。
突然聞こえ始めた空気を切り裂く音。タリムの攻撃よりは遅い、もっと高いところから近づいてくる何か。
「『まさかっ⁉』」
確認するよりも先に身体が動いた。目指すは建物のすぐ下。道の中央からそこまでを一息に詰める。
直後、それは降ってきた。
抱き留めたのは、年端もいかない少年だった。目は虚ろで明らかに正常な様子じゃない。
――寄生体。
正体はすぐに知れた。即座に掌に魔力を集め、少年の胸に押し当てる。そして魔力を衝撃に変え、少年の中へと放った。翡翠の光が小さな体を駆け抜け、寄生体を砕く確かな感触を感じた。
傷は‥‥ないな。寝ているだけだ。
正常に呼吸していることを確認してから、少年を地面に優しく横たえた。
「『貴様‥‥』」
その様子をタリムは何をすることもなく見ていた。
嫌という程に理解する。こいつが言っていた別の方法がなんなのかを。
「『これで俺を縛れると』」
「ええ、私にとっては大した価値もない駒ですが、どうやら貴方にとってはそうではないらしい。それならば利用しない手はないでしょうぅ?」
「『‥‥』」
「私が分体を寄生させた人間はここに連れてこさせただけじゃありません。まだいくらでもいる。彼らは皆普通に生活をしていることでしょう、何事もなく、当たり前の夜を」
タリムの独白は続く。
「ですが私が少しでも命令すれば彼らの意識は消失し、自ら死に向かう。いくら貴方とて、見えない場所にいる者は救えないでしょう」
「『まともに戦えないのか、軟弱だな』」
「甘いことを言いますねぇ。戦いですよ、利用できるもの利用する。情などというつまらないものに縛られる者が弱いのです」
タリムは笑い、それに呼応するようにして尾が地面を撫でて火花を上げた。
こいつは本当に殺すだろう。俺が戦い続ければ、俺の知らないところで誰かが死ぬ。その誰かは俺以外の誰かにとって、大切な人のはずだ。
仕方ない。
剣を消し、魔力の出力を下げる。魔術は完全には解かないが、明らかな投降の構え。
「『何が望みだ』」
「愚かですねぇ。見ず知らずのゴミのために有利を捨てるとは」
口を醜く歪めてタリムは近づいてくる。
「簡単な話です。貴方は攻撃をせず、避けることもしない、それだけでいい。防御は自由にして構いませよ」
タリムは先ほど同様に拳を振りかぶり、心底楽しそうに言った。
「あまり早く壊れては、私の『混生万化』が発動しませんからねぇ」
直後、強烈な一撃が腹に叩き込まれた。
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