至った真理
◇ ◇ ◇
時は月子たちが扉を開ける前に遡る。
ユリアスに斬りかかった俺は、すぐに違和感に気付いた。
七振り。
災さえも仕留めた『七色連環剣』は、空を斬った。
「『相変わらず、避けるのが上手いな』」
「武芸は嗜む程度でね」
少し離れた位置で、ユリアスが笑っていた。
忘れようにも忘れられない魔術。
「『転生しても魔術は変わらずか。『調和』だったな』」
「嬉しいよ。覚えていてくれたのかい」
「『散々身体を削った魔術だ。忘れるものか』」
『調和』。
ユリアス・ローデストが使う魔術であり、最強の魔術。
その力は、自身の存在をあらゆる物と調和させる。
大気と調和すればユリアスの身体は風となり、海と調和すれば津波を起こす。
森羅万象を文字通り我が物とし、自在に操る魔術だ。
一人で天変地異を引き起こすのだから、その力はもはや魔術師のレベルを超えている。
更にユリアスはこの地球で六千年を生きている。
千年間、修練を続けたシキンがあの強さだ。ユリアスは推して知るべしだろう。むしろ予想出来る程度なら、可愛いものだ。
今の俺の剣も、身体を風にして避けたのだろう。斬るなら星剣で魔術を分解してからになる。
「『ふぅ――』」
感情の励起によって魔術の力が高まるといえど、余分な気合は気負いになる。
息と共に吐き出し、脱力する。
斬る。
曇りなくその一点に焦点を合わせ、バスタードソードと長剣を構える。
災との戦いから使い続けている『無限灯火』は、もう長くはもたない。
ユリアスは『無限灯火』の力を知らない。勝ち筋があるとすれば、そこだ。
その覚悟に水を差すように、ユリアスが唐突に言った。
「そういえばユースケ、私がどうやってこの第二次神魔大戦を始めたのか、詳しい説明をしていなかったね」
「‥‥何の話だ?」
「神魔大戦の術式は本来、人が手を加えられるような代物じゃない。無意識の集合体だからね。規模も、システムの抽象性も超次元のものだ」
「何が言いたいんだ?」
容量を得ないユリアスの話に苛立ちが募る。
まさかこれも作戦か? いや、ユリアスはそんなまどろっこしい小細工はしない。
語らなければならない理由があるのか。
「元々はアステリスから漂流した少女、シュルカと出会ったのが始まりだ。聖女リィラの血を引く彼女は、特別な魔術の素質を持っていた」
「特別な魔術?」
「『汪眼』と呼ばれる魔術だよ。聖女リィラがアステリスを発見した魔術だ。術者のイメージ次第で、空間を超えてあらゆる場所の光景を見ることができる」
「それで地球からアステリスの状況を観測していたのか」
「その通りだよ。見ることができれば、干渉できる。しかし干渉できたからといって、神魔大戦を書き換えるのは不可能だった」
だから、とユリアスは言葉を区切り、その手に一羽の烏を出現させた。
二対の翼を持つそれは、俺たちに『昊橋』への招待状を届けた烏だ。
同時にこの世界に来た皆が言っていた。
『神の使いに呼ばれた』と。
誰もが神魔大戦を疑わなかった。
何故ならそこには人知を超えた神の気配があったからだ。
人々の無意識が生み出した神の術式である『神魔大戦』。それに干渉できる力は、もはや人の域を超えている。
朗々とユリアスの言葉が響いた。
「神魔大戦を書き換えるだけの力を手に入れるのは、個人では不可能だった。どれだけの時間を修練に費やそうと、到達できる段階には限界がある。だから、『新世界』を作った」
――待て、土御門が言っていたはずだ。
『新世界』は遥か昔から存在し、歴史の影で魔術師たちを組織化してきたと。
導書にばかり目が行っていたが、その組織の巨大さは、どれ程のものだ。
この地球に、魔術師は何人いる?
「元々、迫害される魔術師たちを救済し、生きていける環境を作りたかったんだ。それが聖女リィラと魔将グレンの願いでもあったからね。同時に彼らには、ある役割を担ってもらうことにした」
「『まさか‥‥貴様‥‥』」
点在していた予想が線を結び、形を作る。それはさながら星空に星座を見つけるように。
ユリアスが烏を持ち上げ、空に放つ。
二対の翼は空に溶け、次の瞬間、城内を打ち払った。
床に叩きつけられた天狗風は、一瞬で城を満たし、逃げ場を求めて天井を、壁を吹き飛ばした。
「『ッ――⁉』」
ただ羽ばたいただけだ。それだけで吹き飛ばされかけた。
全身から魔力を発して対抗しなければ、壁もろとも外に放り出されていただろう。
魔王城の外に広がっていたのは、宇宙のように遠い光が散乱する黒の空間だった。
「神は原初において存在しない。人々の願いが、祈りが重なって器となり、そこに想いが注がれて動き出す」
ユリアスの上にいた烏は、その姿を変えていた。
翡翠の風が二対の巨翼となり、ドームのように広がる。
これが答えだ。
ユリアス・ローデストが到達した、真理。
「世界を変えるために、私はこの魔術を創り上げることを決めた。傲慢で、不遜で、独善的な最低の魔術だ。そう、君たちに倣い名を付けるなら――」
聖女リィラと魔将グレンが祀り上げられた座。
ユリアスは人でありながら、人であるからこそ、人を辞める選択を取ったのだ。
「『選定の神』」
人々の無意識が神を創る。
六千年という途方もない時間をかけて、ユリアスはある考えを魔術師たちに浸透させたのだろう。
『新世界の主は、神である』と。
現代の宗教でも実在した人間が神として扱われる実例がある。
ユリアスの崇拝者は決して表には出ない魔術師たちだ。密かに、社会に現れないところで、その考えは当たり前のものとして根付いたのだろう。
ユリアス・ローデストは、神である。
神話として語られ。
虚像ではなく。
今を生きる。
最も古き。
魔術師たちの、神である。
聖女リィラや魔将グレン・ローデストと同様に、ユリアスは神格を得た。
唯一違うのは、求めたものか、そうでないか。
『選定の勇者』でさえ、ただの中学生を勇者にまで押し上げた。
それを超えるだろう『選定の神』がどれだけの力を持つのか、鎧をビリビリと震わせる圧が、物語っていた。
榊綴が発動した魔術の中で、神格を持つ敵とは戦った。
しかしあれはあの空間限定の作り物だ。
あのレベルでさえ、もう一度戦って勝てるか分からないのに、笑ってしまう。
こいつは、本物だ。
――疑いようのない、本物の神だ。
「ユースケ、申し訳なく思うよ。君とは、自分の力だけで戦いたかった。もはや私自身、私が私であることを止めることができないんだ」
これ程か。
こんなにも違うものかよ。
存在の肌触りが、俺が会ってきた何物とも違う。
剣が震える。
それが武者震いでないことは、自分が一番よく分かっていた。
「今から使うこれは、私は魔術とは呼べない。自分の中にあった沁霊は、気付いた時には姿を隠してしまった。対話も術理もなく、そうあるべきと断ずるこれは、魔術ではないんだ」
翡翠の鳥が身じろぎした。それだけで、突風が吹き荒れ、凍てつく刃のように鎧を斬りつけた。
風の中で、ユリアスの声が聞こえた。
「これは、『魔法』だ」と。
「『大鳥の座』」
翼が空間を打ち払い、颶風が捻じれた。
――剣を、技を――‼
考えられたのはそこまでだった。
足が浮かされ、次の瞬間には宙に放り出されていた。全身が激痛にさいなまれ、鎧には爪痕のような傷が刻まれていた。
待て。今のは風か? 嵐というにもあまりに強すぎる。
思考がまとまらない。俺は今どういう状況なんだ。
ゴッ! と殴られたような衝撃で、地面にぶつかったのだと理解した。
立て。立って剣を構えろ。魔力を回せ、まだ動けるだろ!
「『がぁあああああああああ‼』」
魔力で鎧を補強し、更には身体を強引に動かして立ち上がる。
まだだ、まだ戦える。まずはユリアスの魔術を見ろ、それが魔術であるなら、星剣で斬れる。
「凄まじいな。島を吹き飛ばし、大陸を均す風だ。導書でも耐えられる者はいない」
「『舐める、なよ‥‥』」
紅の魔力が迸り、刀身が鳴いた。
思ったよりも距離が離れていない。この距離なら、烏が翼を動かすよりも先に斬れ――。
「『うぐぉっ⁉』」
ガンッ‼ と空からの衝撃に膝が地面に着いた。
即座に剣を地面に突き立てて耐えるが、あまりの重さに立ち上がることもできない。
っ⁉ これは、なんだ。上から、何かに押さえつけられている。
垂れた頭に、ユリアスの声が聞こえた。
「ユースケ、私の魔法の原型は『調和』だ。ただ、その規模は魔王であった時代とも比較にならない。神としての力を手にした今、私が調和しているのは、この星そのものだ」
「『ほ‥‥し‥‥?』」
「息吹で嵐を起こし、足を踏み鳴らして大地を揺らす。手ですくった水は津波になり、瞬きは雷を落とす」
「『‥‥冗談にしては‥‥面白くない、な‥‥』」
「事実だよ。君は山を斬れるだろう。海に穴を穿つことだってできるはずだ。しかし、大陸を両断できるかい? 海を干上がらせることは? 私がいるのは、そういう次元なんだ」
「『安心しろ‥‥俺が斬るのは、星じゃない。お前だ‥‥!』」
言いながら冷や汗が背中を伝うのが分かった。
もしユリアスの言葉が本当だとしたら、まずい。人は自然には勝てない。人間は自然を利用することはできても、打ち勝つことはできない。
それはひどく単純なスケールの違いだ。この星に生きる物なら、当たり前の摂理。
「終わりにしよう、ユースケ。君と話ができて、嬉しかった」
「『勝手に終わりにするんじゃねーよ』」
――ふぅ。
『我が真銘』から膨大な魔力を引き出し、全身を満たす。頭の先からつま先まで、水で満たすように魔力を回す。
俺個人が使うには、限界を超えた魔力量だ。
それでもここまで魔力を圧縮すれば、外部からの影響に対して強くなる。
地面に足を突き立て、上体を起こす。
この重さは重力ってわけだ。全ての生命を星に縛る鎖、軽いわけがない。
それでも立てる。前を向けば、剣を構えられる。
「『行くぞユリアス』」
この状態でいられるのはあと数分が限界だ。
そこで勝負を決める。
極限まで意識を研ぎ澄ませ、技を冴え渡らせる。
魔法だろうが魔術だろうが、魔力で動いているのは変わらない。そしてそれを動かしているのはユリアス個人だ。
バイズ・オーネットの複合術式を打ち砕けたように、出力が強大であっても、無敵ではない。
「君のそういうところが、私は好きだよ」
ふっと笑ったユリアスは地面を軽く踏み鳴らした。
直後、ユリアスの背後から紫紺の獣が現れた。
見上げなければ頭が見えない狼。
狼が一歩を踏み出す度に、床は砕け、空間が揺れる。
透き通った体毛の中で、キラキラと粒子が煌いていた。
「『貪狼の座』」
――来る‼
そう思った時には地面を蹴っていた。
重力の束縛から逃れ、走る。
ドドドドドド! と俺の行く手を読んでいるように重力の力場が作られるが、それを全てすんでのところで躱す。
あと少しでユリアスに届くというところで、それが来た。
狼が前脚を叩きつけてきたのだ。
「『くっ⁉』」
星剣で分解しようとするが、あまりにも魔力の密度が高い。刃は紫紺の毛皮を浅く斬りつけ、要所を斬るには至らなかった。
それでも攻撃の反動で身体をずらす。
今こいつとやり合う余裕はない。すり抜けて、ユリアスの下へ行く。
「――」
顎がすぐ近くで閉じられた。
当たるはずのない一撃に、左腕を長剣ごと食われる。
鉄壁の鎧は、バキバキと音を立てて食い破られ、万力に挟み潰されているようだ。
「『がぁぁぁあああああああああ‼』」
右手一本で嵐剣を放ち、狼の喉を斬る。浅い傷だが、怯んだ隙に左手を引き抜きながら距離を開けた。
くそったれが、あの狼そのものが、重力の塊かよ‥‥⁉
奴の牙に俺が引き寄せられた。しかも狼の体内でキラキラと輝いていたのは、ダイヤモンドだ。
烏が飛ばした瓦礫が狼の体内で圧縮され、ダイヤモンドに姿を変えたのだ。
いかれている。
左腕は変形し、使い物にならない。鎧は再生できるが、繊細な技が打てる状態ではなくなった。
頭の中にガンガンと響く痛みで、意識が飛びそうだ。
ユリアスは一歩も動いていない。
あと少しなのに、それがとてつもなく遠い。
「『炎獅子の座』」
ユリアスの声が聞こえた瞬間、その場を飛び退いた。
同時に石の床が燃えた。ただの炎ではない。ガスと灰と、滅亡を運ぶ噴煙。
――今度は炎かよ‼
黒と赤の入り混じったたてがみが、全身にまとわりつく。
「『ぐぁぁああああああ――‼』」
いくら剣を振ろうと振りほどけない。炎は水分を蒸発させ、肺を焼き、肌を炭化させる。
地面を無様に転げまわり、少しでも安全な場所を探す。
背中が壁に当たったと思ったら、そこは俺が入ってきたはずの扉だった。そこだけが、この異常気象の中で無事に残されていた。
ひゅうひゅうとか細い呼吸が喉を鳴らす。手足の感覚はほとんどなく、身体の奥が冷たい。
――そういえば、皆はどうしているかな。
まだ生きているのなら、ここに来てはいけない。
炎の奥で、烏と、狼と、獅子と、大蛇と、猿と、山羊が俺を見ていた。
はははは。
笑うしかないな。
「『‥‥!』」
血の吹き出す膝に手を乗せ、気力だけで、立ち上がる。
ごめんな皆、俺じゃ、どうしようもできなさそうだ。
それでも少しくらい役に立たないと、剣を取った意味がない。
あの日リーシャを守ると誓った言葉が、嘘になる。
弱弱しい手で構えた剣は、刀身のほとんどが砕けていた。維持する魔力すら、操作できていない。
必死で剣を振り上げ、魂を吐き出すように叫んだ。
「うぉぉぉおおおおおおおおおおお‼」
――頼む皆。
――――どうか、生きてくれ。
ちっぽけな勇気を踏みつぶすように、災害の咆哮が重なり、轟いた。
いつもお読みいただきありがとうございます。
最終決戦、ラストまでノンストップで駆け抜けます。
ぜひ最後の時を共に見届けてください。




