師の剣
◇ ◇ ◇
『無限灯火』を発動し、左手に赤い剣を握った。
身長を優に超す長い刀身を肩に担ぎ、右の銀剣は半身になって災に向けるように構える。
師匠と相対する時はいつも、こうして長剣を肩に乗せて笑っていた。
まともに一本を取れた記憶はない。
『七色連環剣』も結局、免許皆伝を言い渡されぬままだ。
こうして双剣を構えている姿を見れば、『色気づくなよクソガキ。そういうのは真っ当に一振り持てるようになってからやるもんだ』と鼻を鳴らしたことだろう。
勝手に、最後まで見ていてくれるものだと思っていた。
あの王国で、魔王を倒した俺を酒瓶片手に迎えてくれるのだと、信じていた。
師匠は俺の帰る場所を守るために戦い、死んだ。
「『今更仇討ちなどと言うつもりはない』」
師匠の死を受け入れるのは時間がかかったが、その最期には納得した。
その上で、災を倒したのだ。
「『だから、もう眠ってくれ』」
災、いつまで苦しみに顔を歪め、憎しみを噛み締める。
もう、いいだろう。
「――――」
災の甲殻が開き、どす黒い魔力があふれ出す。俺の言葉を拒否するように、渦を巻く。
多数に圧殺されてきた魔族たちの怨念が災だとするのなら、元とは言え勇者の言葉に耳を貸すはずがない。
言葉など表層でかき消されるほどに、その憎しみは濃い黒をしている。
「――‼」
渦巻く魔力が、災の折れた角の先に集まり、爆ぜた。
彼を中心にして空に浮かび上がるのは、何種類もの武器たちだ。
片手剣、短剣、大剣、長剣、騎乗槍、長槍、斧、大鎌、戦槌、弓矢、銃。
武器たちを見上げていた災がこちらに視線を戻した時、その目はこれまでのものから変わっていた。
――転じた。
災は使う魔術こそ変わらないが、戦い方は瞬きの度に変化する。
戦術による変化ではない。まるで別人を相手にしているかのように、武器も技術も、癖も考え方も、何もかもが突拍子もなく切り替わるのだ。
災の正体を知った今なら納得もできる。
こいつは元々多数の思念の集合体。
本当に別人に変わっていたのだ。
俺たちはこの現象を『転じる』と表現している。
そして今災に満ちているのは、歴戦の戦士たちの記憶だろう。
ただ立っているだけで、それが分かる。
本気で来るということだろう。
「――‼」
ゴッ‼ とめくれ上がらんばかりの勢いで、道路を蹴り、災が来た。
振り上げた片手には大剣が握られ、山を両断する実直な一撃が振り下ろされる。
バスタードソードで正面から迎え撃つ。
ゴッ‼ と地面に亀裂が走り、建物が割れた。
すかさず災は横から斧を振ってきた。
大剣を弾き飛ばし、斧を避ける。攻撃の勢いで一回転した災は、槍を突いてきた。先ほどまでの荒々しい攻撃とは違う、静かで精密な刺突の連打。
正確だからこそ避けるのは容易い。穂先が鎧を掠める距離で捌く。
埒が明かないと判断したのか、災は攻め方を変えた。
片手剣が老練の技巧で振るわれ、短剣が体の影から飛び出す。右半身と左半身で別の人間が動かしているかのような無茶苦茶な動きだが、それが成立する。
さらにはチャンネルを切り替えるような速さで、武器も技術も変わるのだ。
「『──』」
俺はそれらをバスタードソードと、体捌きだけで受け、流した。
まだお前は戦争の最中にいる。あの慣れることのできない埃っぽい死臭の中で、ぬかるんだ地面を走っている。
がむしゃらに魔術を唱え、武器を振るう。
それだけが存在理由だから。そういう風に、生まれたから。
お前はみんなが納得できない思いを集められてしまったんだな。死した者たちがゆっくりと休めるように、抱えた荷物お前は全て背負った。
ユリアスは言った。『多数に蹂躙された少数の怨嗟の声』だと。
魔族たちは個人主義が高じて聖女リィラたちと別れたと言う。
現代でこそ人族を恐れさせる魔族だが、きっとここに至るまでに、彼らは長い迫害の歴史を歩んできたのだろう。
俺にもあるよ、許せないこと。納得いってないこと。ずっと癒えない傷。
でもそれに囚われたままじゃ、歩き出せない。ずぶずぶと沼の奥底に沈んでいって、這い上がれなくなる。
もう、背負ったものを、下ろす時だ。
「――――――‼」
災が叫び、全ての武器がその両手に集まった。
ありとあらゆる刃が、切っ先が絡み合い、この世にあってはならない武器を作る。
これは、思い、想われ、重々しくなった、枷だ。
左手で赤の長剣を握る。
『いいかクソガキ、魔術も剣術も、結局のところ最後は気合いだ。気合いと根性がある方が勝つ』
魔力が体中を駆け巡った。
血潮が沸騰し、肉体が流体のようになめらかに動いた。
全身が発火したように熱くなり、景色が白く飛んだ。
――なあ師匠、師匠がどうして災に負けたのか、ずっと不思議だった。俺よりも遥かに強くて、不屈の精神を持っていたあんたが負ける理由が、分からなかった。
『黒融剣』。
――でも分かったよ。きっと災の正体に気付いて、迷ったんだろう。剣を交えればなんだって分かってしまうもんだから。
飲んだくれで、女好きで、腕っぷしが強くて、どうしようもなく優しい人だったから。
際になって、斬れなかった。
俺は斬るよ。
もうこいつはそうしてやることでしか、終われない。
「『ぁぁあああああああ――‼』」
感情が励起し、魔力と繋がる。
失われた魔術が追憶を辿って形を成し、俺の左腕を動かした。
嵐呼べば雷を生じ、暗雲過ぎれば月青く燃ゆる。輝き星を繋げ、竜座うねり雨をもたらせば、いずれ嵐と化す。
嵐、霆、月、焔、星、竜、雫。
あの人の魔術は至極単純。剣を魔力で強化し、万物を斬れるようにする、ただそれだけだ。
干渉できるだけで、斬れるかどうかは己の腕次第。
だからこれが生まれた。
あらゆる万難を剣一振りで切り拓き、未来を見せるために。
『真流――七色連環剣』。
七振り。『黒融剣』を分解する。
七振り。甲殻を割断する。
七振り。傷口から溢れる黒を、斬る。
――ありがとう師匠。
――さようならだ、災。
剣を振り終えた時、残っているのは破壊の爪痕が痛々しい街並みだけだった。
そこに、扉が現れる。
重々しく荘厳でありながら、全てを受け入れるような優しさを秘めた扉だ。この近代都市の街に、それは初めからそこにあったかのように溶け込んでいた。
懐かしいな。形容しがたい高鳴りと共にあの扉を開けた時を、昨日のことのように思い出せる。
あの時と同じように、この先にはユリアスが待っているんだろう。
そしてこの空間は消える。
ユリアス、お前の理想が実現すれば災のような存在は二度と出てこないのか?
俺にはそうは思えない。世界が一つになれば、大なり小なり戦いは生まれるだろう。
どれだけ力を持つ者でも、いや、力を持つ者だからこそ、一人一人の小さな思いに目が向かない。向けられない。
向けてしまえば、理想が遠ざかるから。
それでも無数の小さな思いを無視すれば、いずれ巨大な戦禍へと変ずる。
扉に触れ、押し開ける。
脳裏を過るのは、俺の内に住む刃の獣だった。
もう見えない振りをするのは止めたよユリアス。
だから俺は、お前の理想を否定する。
扉をくぐった先に待っていたのは、泥とも雲ともつかない闇のトンネルだった。自分が歩いているのか、立っているのか。そもそも自分は何のためにここにいるのか。そんな当たり前にすら疑念を抱くほどに、自分以外の情報が存在しない世界。
もしかしたらこの道はユリアスが過去に通ったものなのかもしれなかった。アステリスから地球へ、何千年という時をたった一人で遡行した旅路は彼に何を与えたのだろうか。
その予想に手が届くよりも前に、俺の足は固い地面を踏みしめていた。
広く明るい空間だった。
石畳の床と柱が、ここが室内であることを示している。
同時に床に敷かれた赤のカーペットと、柱の緻密な彫刻、視界に映るあらゆる装飾が、ただの部屋でないことを示していた。
この部屋に立ち入った人間は、アステリスで俺だけだ。
魔王城、謁見の間。
実物ではない。作られた空間であることは分かっている。
それでもこの空間は、俺の知る魔王城のものだ。
何故ならここをここたらしめているのは、たった一人の存在だからだ。
「時は満ちた。昊橋はもう間もなく、世界を一つにする」
長い玉虫色の髪がきらきらと光芒を描き、星のない夜を切り取ったようなマントが翻る。
美しい顔が、虹を湛えた瞳が、俺を見た。
胸に刻まれた古傷が、じくじくと痛みにも似た熱を帯びた。
『無限灯火』を纏ったまま、踏み出す。
もはや交わすべき言葉は尽きた。
俺たちの考えは永遠に平行線で、交わることはない。鏡一枚を隔て、生きている。
惜しむらくは、同じ世界で出会ってしまったことだ。
言葉が通じないのなら、心が通わないのなら、剣を取る以外に道はない。
「『ユリァァァァアアアアアアス‼』」
その先に俺たちの納得があるのだと信じて。
剣を振り下ろした。




