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雨に流れる

     ◇   ◇   ◇




 冷たい風が、針のように身体を貫いて過ぎ去っていく。


 上着の一枚すら羽織っていないせいで、外に出て数分でリーシャの身体は氷のように冷たくなっていた。


 (しび)れさえ感じる寒さの中、リーシャは歩き続けた。


 行きたい場所があるわけではない。


 ただあそこではないどこかへ、行ってしまいたかった。


 勇輔の近くは、リーシャにとって常に暖かい場所だった。この世界のどんな場所よりも安全で、安心できる、自分の居場所。


 ともすれば、人生のほとんどを過ごした教会よりも、居心地がよいと、そう思えてしまう。


 そんなところから、逃げ出した。


 後のことなんて何も考えられない。ただあの空間にいることに耐えられなかった。


 エリスと勇輔の顔を、見られなかった。


「‥‥」


 エリスが家に来た時は、心もそこまで波立つことはなかった。


 その後のプレゼント交換のことばかり考えていたせいで、感情が追い付いてこなかったのかもしれない。


 しかしエリスの手に勇輔のプレゼントが渡ったのを見た時、それを愛おしそうに見つめるエリスの顔があまりにも綺麗で、リーシャの中の何かが崩れた。


 エリスと再会した時もそうだった。彼女が勇輔に渡したのは、()しくもアイリスの花のヒューミル。リーシャが、勇輔に渡したものと同じものだ。


 自分の居場所がガラガラと壊れて、暗い闇の中に落ちていく感覚。


 歩いている今も、ずっと落ち続けているようだ。


「リーシャ」


 感覚のなかった手を、後ろから誰かにつかまれた。


「‥‥カナミさん」


 振り返ると、そこにいたのはカナミだった。


「すみません。少し、外に出たくて――」

「それはよいのですわ。せめて、上着くらいは着てくださいな」


 カナミは優しく微笑(ほほえ)むと、リーシャの肩に上着を羽織らせた。


「わた、私――」


 カナミの顔を見ていたら、ずっと心の中に沈めていたものが、たまらなく浮かび上がり、ボロボロとあふれ出した。


 清楚で、無垢で、常に明るく周囲を照らす太陽のような聖女、リーシャ。


 『聖域』の魔術が表すように、秘められた(しん)は誰よりも強固で、魔将(ロード)を前にしてもれることはない。


「ぅぐ、っぅぁ――!」


 そんなリーシャが、顔を(ゆが)め、嗚咽(おえつ)をもらしながら泣いていた。涙はもはや(しずく)ではなく、あごを伝って流れ落ちていた。


 本当はずっと誰かに聞いてほしかった。けれど、神魔大戦の『鍵』という役割が、『聖女』という立場が、これまで(ふた)となってふさいでいた。


 少女の中にある、本音。


「わたしは、ユースケざんにっ、しあわぜで、いてほしいのに――」


 途切れ途切れの言葉が、夜に響く。


「胸が、痛いんです! どうしようもなぐっ――。あの時、わだしも、あそこにいられたら」


 カナミは黙って聞いていた。ずっと昔、自分や、多くの女性(ひと)たちが涙してきた現実に、たった今打ちのめされている少女の叫びを。



「私がっ、ユースケさんの隣に、いられたんじゃないかって――」



 それは無意味な空想だ。


 そんなことは、カナミも、リーシャ自身も、よく分かっている。


 しかし勇輔に恋した女性たちは、誰もが一度は思っただろう。召喚された場所がセントライズ王国ではなく、ファドル皇国であったら、教会であれば。


 初めて会ったのが、エリスではなく、自分だったら。


 きっとまったく違う未来が、今があったんじゃないかと、思わずにはいられないのだ。それがどれほど無意味だと分かっていても。


「リーシャ――」


 カナミは震えるリーシャの身体を抱きしめた。


 氷のように冷たい体温を感じながら、思い出す。


 何度思っただろう。


 あと数年早く生まれていれば。


 あと少し早く出会えていれば。


 もっと早く、この気持ちに気付いていれば。


 何かが、変わったのだろうか。


 どれだけ(なげ)いたって、現実は変わらない。勇輔とエリスが積み重ねてきた時間は、まるで深い谷のように二人の前に横たわっている。


 知らず、カナミの頬を涙が伝っていた。


 ずっと昔に封じたはずの感情が、リーシャの純粋な想いにあてられて、暴れ出す。


 ぽつぽつと、黒い雲から落ちた氷雨(ひさめ)が、すぐに勢いを増していった。


 今日のために綺麗に()わいた三つ編みと、巻いた髪が重く崩れていく。


 それでも二人は動かなかった。


 どれほど雨に打たれただろうか。


 リーシャは泣きはらした目で、カナミを見た。


 涙と一緒に(さび)が落ちて、まっさらな心が言葉を(つむ)いだ。




「私、ユースケさんを愛しています」




 それは聖女の祈りでも、誓いでもない。リーシャという少女の告白。


 それに対し、カナミも応えた。




「ええ。(わたくし)もですわ」




 二人の言葉は雨音にかきけされ、他の誰にも届くことはなかった。


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R15 残酷な描写あり 異世界転生 異世界転移 キーワード男主人公 ギャグ 主人公最強 勇者
― 新着の感想 ―
[良い点] 無自覚系でもハーレム系でもないところがこの作品の一番のお気に入りではありますが…切ない…
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