私の
『行きなさい、ユースケ』
『あなたは誰よりも先を歩き、皆の輝く道標となるの』
『そのための露払いは、私がやる』
『大丈夫。絶対に負けないわ』
『だってあなたは、最も気高く強い人よ』
世界を覆う白い燐光。
そこからいくつもの声が弾けて消えた。
泡沫の夢のように、過去が俺を包む。
──これは、夢か?
だって、あり得ないだろう。
肉を抉り、骨を断つような思いで諦めた希望。そこまでしても、捨てきれなかった想い。
亡霊のような執念が、幻聴を生んだのではないかと、そう思った。
しかし目前の光景がそれを否定する。
炎の中から現れ、破壊を包みこむ純白の光。それは見惚れるほど鮮やかな魔力操作をもって、広がっていく。
ヒュン、と小気味よい風切り音が聞こえた。
その音は、彼女が魔術を使う時に、細剣を振る音だ。
彼女はまるで指揮者のように、優雅に魔術を奏でる。
魔力の流れが変転し、 一気に魔術が歌声を上げた。
光は白い樹木へと変貌を遂げ、燃え盛る炎を握りつぶした。
だがこの炎はただの炎ではない。
神が放った炎だ。
樹を内側から焼き尽くさんと、より猛々しく、勢いを増す。
今度はよりはっきりと、レイピアを振る音が鳴った。
それに合わせ、樹々を包むように更なる樹が生まれ、複雑に絡み合って大樹と化す。
彼女は、自分の庭で勝手は許さない。
たとえそれが神であろうと、この場では彼女こそが絶対のルールなのだ。
目に映っていた赤い世界が、瞬く間に白へと塗り替えられていく。
レイピアの音はそれで終わらなかった。
より鋭く、背筋が伸びるような音が響いた。
次に起こったのは、無法者たちへの刑罰であった。
突如として現れた樹木に困惑するモンスターたちを、次々に茨が貫いた。
振り解こうとするものがいた。逃げようとするものがいた。噛みちぎろうとするものがいた。枯らそうとするものがいた。
それら全てはレイピアの一閃のもとに、斬り捨てられる。
彼女の茨は敵を逃さない。あらゆる防御を貫き、捕らえ、その心臓を穿つ。
この苛烈なまでの正義こそが、彼女が茨姫と称される所以だった。
『願い届く王庭』の勢いはそれだけに留まらなかった。
術式の上に術式が重なり、奏でられる音と歌声はより複雑に、重厚さを増していく。
炎を覆い隠した白の森は、高く、大きく成長していく。
枝葉を伸ばし、手を繋ぎ、この世のありとあらゆる悪意を遮る様に、天蓋を作り上げた。
それはテュポーンから人々を守る、巨大なドーム状の盾だった。
たった一人で盤面を制圧し、己の思うままに支配する最高峰の魔術。
この魔術が使える者は、俺が知る限り、一人だけ――エリス・フィルン・セントライズだけだ。
温かい気配を感じ、俺は上を見上げた。
そこには一本の幹が伸び、その頂点で大きな蕾が花開こうとしているところだった。
ふわりと、柔らかく開く白と黄色の花弁。
その中心から、黄金の蜜が雫となって俺に落ちた。
全身に染み渡る、仄かな熱。
半分以下になっていたHPバーが一気に増えていく。
重かった身体が嘘みたいに軽くなり、魔力が淀みなく全身を流れ、指先にまで行き渡る。
姿は見えない。
けれど確かにここにいる。
魂と魂が、距離を超えて繋がっている。
背中に感じる、彼女の体温と、鼓動。
俺は空を見た。ぽっかりと天蓋に空いた穴の向こうで、テュポーンがこちらを見下ろしていた。
絶対的な存在に見えた神にも、今の俺ならば手が届く気がした。
彼女が後ろで、俺にだけ聞こえるように呟いた。
「信じてるわユースケ。──私の勇者」
君がそう言ってくれるだけで、俺はどこまででも強くなれた。
『我が真銘』が楔を失い、歓喜の声を上げて無限の回廊を突き進む。
翡翠の光が乱舞し、鎧が輝きを取り戻した。
この声が届くかは分からない。それでもいい。
「『ああ。必ず勝つよ、エリス』」
その言葉に応えるように、『願い届く王庭』は枝葉を編んで道を作った。
俺が進むべき道を、天に架ける。
もう迷いも不安もありはしなかった。
さあ、行こう。
俺は全力で一歩目を踏み出し、そのまま流星よりも疾く空へ駆け上がる。
巨大なテュポーンの頭は、近寄ると更にその大きさを実感した。
もはや全体を視界に映すことができない。
「dateoihaadosaifhnaowehtaiodfajdosansdkaueiopw」
莫大な魔力が動く。
再びあの炎を撃つつもりか。いくら盾があろうと、あの一撃は防ぎ切れないだろう。しかも、感じる魔力は先のものより、大きい。
それは撃たせない。
近づけば近づく程に、テュポーンの身体から発せられる炎が強く、眩しくなる。
枝葉の道は途中で焼き尽くされ、消えた。
『無限灯火』はもう使えない。紅の外套は使い切ってしまった。いくら身体が回復しようと、あれを編むのには時間がかかりすぎる。
だからなんだ。
俺はこの鎧と剣で魔王を倒したんだ。
俺の後ろには変わらず守るべき者たちがいる。支えてくれる仲間がいる。
神だかなんだか知らないが、今の俺に勝てると思うなよ。
「『ッ──‼︎』」
途切れた道を踏み締め、炎の渦へと飛び込む。
一瞬にして何もかもが炎に飲み込まれ、自分が今どこにいるのかさえ分からなくなった。
魔力を貫いて、熱が鎧を焼く。
汗も血も蒸発し、思考は整然性を失って空回る。
それでいい。もう考える事なんてない。
やるべきことはたった一つだけなんだ。
渦巻く炎の中心へ、流され引き寄せられる。
この火炎の中にあってさえ、神の声は確かに響いた。この世界に終焉を告げる、たった一言。
『神の炎』。
俺はそれが聞こえた瞬間には、もう剣を振っていた。
刹那。
刀身に流し込み、ひたすらに圧縮し続けた無限の魔力を、解放する。
「『焔剣ぁぁあああああああああああ‼︎‼︎』」
放たれる炎を、翡翠の焔が断つ。
火焔は互いに混じり、喰らい合いながら、膨れ上がる。
そして、空が晴れた。
空を覆っていた暗雲を吹き飛ばし、偽りの神を白日の下に曝け出す。
「『──』」
落ちて行く中で、最後にテュポーンと目があった。
彼が何を言いたいのかは分からない。それでも、俺たちは互いにこの結果に不満はない。
それだけは、確信できた。
神の消失と同時に、榊綴の魔術、『私たちの物語』は崩壊した。




