身を焦がす
地面を転がっている間、走馬灯のようにノワとの思い出が頭を流れた。
そうだ。
いつまでも騙していることはできず、ノワは俺が本物の勇者だと気づいてしまった。いや、最初からそう名乗っていたんだから、騙してはいなかったと思うけど、そんなことは些細な問題だろう。
一週間、俺とノワは共に過ごした。
普通の人から見たら、一週間なんて大した時間でもないのかもしれない。
けれど俺たちにとってその時間は、濃密なものだった。
ノワは好奇心旺盛で、見たことのない人族の文化に悪態を吐きながらも、俺の提案を断ることはなかった。
そして俺も、夢を見てしまった。
魔族を見た瞬間には、『斬らなければいけない』、と剣を握る日々。そんな考えに染まりつつある自分から、変われるのではないかと。
しかし夢は醒めるものだ。
『あなたが‥‥勇者‥‥? 本物の‥‥?』
ノワからの問いかけに、嘘を吐くことはできなかった。否定も肯定もしない俺を見て、彼女は真の力を解き放った。
つけていた指輪は粉々に砕け散り、桜色の髪が蛇のようにうねる。
そして、小さかった身体は妙齢の女性のものへと成長した。
そこにいたのは既に俺の知るノワではない。
『夢想の魔将』――ノワール・トアレだった。
「いってぇ‥‥」
口からダラダラと垂れる血を拭いながら、俺は立ち上がった。
頭がどこかに飛んでいったかと思った。
頑丈な身体で助かった。まだまだこの程度では倒れられない。
再び、両腕を広げてノワを見る。
「まだまだだ」
「言われなくても」
すぐ目の前にノワがいた。
抱きしめるように首に腕を絡められ、腹に衝撃。
「ぉぐっ――⁉︎」
腹に膝蹴りって、殺意高すぎるだろ。
折れ曲がったところに、横から蹴りが襲い掛かる。
ゴッ‼︎ と世界が何度も回転し、俺はボールのように地面を跳ねた。
痛いなんてものじゃない。転がっている間に、何度も意識が途切れては、覚醒するのを繰り返す。
「私の気が済むよりも先に、死にますよ」
「‥‥その時はその時だ。俺はまだ立てるぞ」
「ええ、当然です」
ノワはそう言うと、腕を振った。
そこから放たれるのは桜色の炎。
「ぅお⁉︎」
炎が周囲を取り囲み、熱波が肌を炙る。息をするだけで、肺が焼けて痛い。
炎の向こう側で、ノワの声が聞こえた。
「魔術を使いなさい、ユースケ。あの時をやり直しましょう。結局、私たちはあの時選択を間違えてしまったんです」
「‥‥」
そうなんだろうか。
俺はあの時、真の力を解放したノワに対して剣を取った。魔将を相手に、見逃すということはできなかった。
魔族は殺さなければならない。
頭の中で囁かれる言葉に従って剣を振り上げ──。
「違う」
振り下ろすことができなかった。
一週間隣で見続けた彼女は、俺が戦うべき魔族ではなかった。頭が割れるような頭痛を無視して、俺はそう決めたんだ。
あれが間違いだったなんて、認めない。
確かに俺はノワを本当の意味で受け入れることはできなかった。勇者という立場と、戦いの過去が、それを許さなかった。
それは俺の罪だ。愚かだった。
「俺はやっぱり君とは戦えない」
炎がより激しさを増し、髪や服が発火して燃える。
「ふざけないでください! またあなたはそうやって、はぐらかすのですか! 私など、真剣に相手をする価値もないと⁉︎」
「違う!」
そんな風には思っていない。
「真剣だよ。──真剣に、俺は何もしない」
「っ──! それならば一人、自己満足の中で果てなさい‼︎」
ノワは拳を振り上げた。そこに、濃密な魔力が込められる。
『比翼』、『心重』、『嫉妬』の全てが込められた一撃だ。
魔将の本気の攻撃。魔術を発動していても、耐えられるか分からない。
どうするのかと、腹の中で獣が吠える。これは俺があの世界で見ないふりをして、捨ててきたものだ。一つ一つ、拾い上げて、前に進まなければならない。
業火を握り、ノワが叫んだ。
「戦え! 勇者白銀‼︎」
「俺は山本勇輔だ‼︎ 君とは戦わない‼︎」
「──‼︎」
ノワが、地を蹴った。
瞬きする間にノワが目の前に来る。炎に照らされたその顔は、怒っているような泣きそうなような顔をしていた。
その顔を見た一秒よりもはるかに短い時間。
俺は彼女がノワール・トアレであることを改めて確信した。
「『身焦がしの朱槍』‼︎」
音も痛みも、衝撃も感じなかった。灼熱が桜色を飲み込み、全てを白に染め上げる。
ノワの顔が見えなくなる時、俺は意識を失った。




