どうせ守るなら、やっぱり美少女がいい
◇ ◇ ◇
勇輔が月子と水族館を回っている頃、私立崇城大学は通常通りの賑わいを取り戻していた。
集団昏倒事件で騒ぎになったことも過去の話。喉元過ぎれば熱さを忘れるというが、青春を謳歌する大学生にとって、苦い過去を憂う暇などなかった。
消化不良に終わってしまった文化祭を取り戻すように、誰もがことさらに明るく振る舞っているようにも見えた。
そんな中を一人歩く少年がいた。金髪にピアスをいくつもつけ、鋭い眼を光らせながら、日陰を歩く。よく見れば、その強面が、実は幼いことに気づくだろう。
事実、彼はまだ高校三年生。来年には大学生だが、本来ならここにいるべき人間ではなかった。
(今日も別に異常はなし、か)
談笑するグループを横目に、右藤真理は内心つぶやいた。
真理は対魔官である。
そんな彼がわざわざ崇城大学に来てるのは、仕事に他ならなかった。
真理に与えられた任務は、崇城大学内の警備と、特定の人物の警護である。特定の人物とは、勇輔やリーシャと特に関わりが深かった、金剛総司、松田宗徳、陽向紫の三人である。
まだ新人の真理には詳しい情報は伝えられていないが、どうやら何か大きな事件が起こっているらしい。
それも伊澄月子や山本勇輔のいるこの大学で。
(にしても、やっぱ一般人じゃねーよな。まあ納得っちゃ納得だけど)
真理は歩きながら資料に載っていた人物を思い出す。それは夏の研修で真理と紗姫を助けた男だった。
対魔官ではないようだが、確実に普通ではない。
彼と月子を取り巻くように、何かが起きている。それも、単純な霊災では片付けられないような厄介なことが。
新人の真理にまで声が掛かることが、その予想の信憑性を増していた。
大学生たちからすれば終わった話かもしれないが、対魔官たちにとっては、日夜気の抜けない日々が続いていた。
現状は、そんな彼らの努力に反して、平和そのものだが。
(そろそろ交代か‥‥)
真理は時間を見て、ルートを巡回から変更した。
彼が向かうのは、ある人物の警護である。彼女の居場所は、サポートの対魔官が飛ばしてくれる通信で把握していた。
数分とかからずに、真理は目当ての人物を発見した。
「総司さん総司さん、見てくださいこの返信。どう思います」
「どうって、別に普通だろ」
「普通じゃ困るんですよ! 可愛い後輩がわざわざこっちから連絡してあげてるのに、男友達と同じテンションで返信っておかしいじゃないですか!」
「あいつにその手の器用さを求める方が間違ってるだろ」
「そうそう。大真面目に打ってそれだと思うよ〜」
「どうしてちゃんと教育しておいてくれなかったんですか!」
「その怒りは意味不明すぎるだろ‥‥」
真理が警護する対象、陽向紫だ。ついでに他の警護対象の二人も一緒にいる。
陽向紫は資料でも見た通り、いたって普通の女子大生だ。魔術の魔の字も知らない、真理とは別世界の人間。
一つ特筆することがあるとすれば、
(いや、めっちゃ可愛いよなー)
サラサラの茶髪は、同級生たちのそれとは、手入れのレベルが違うんだと一目で分かる。元の顔立ちも整っているのだろうが、それを生かすメイクも抜群だ。
何よりも、コミュニケーション能力が凄まじい。大学が始まってから警護をしてきたが、その交友関係の広さには舌を巻く。
真理は高校の友人はほとんどいないし、魔術関係においても、話せるのは悔しいことに紗姫くらいのものだ。
彼の生い立ちも大きく関係しているが、真理のコミュニケーション下手が大きな要因になっているのは間違いない。
そんな真理からすると、陽向のそれは、ほとんど魔術みたいなものだ。
(ああいう人が友達だったり、彼女だったら楽しいんだろうな)
思い出すのは、幼馴染の顔。
この場にいない軋条紗姫は、見た目こそいいが、態度は傲岸不遜、口を開けば傍若無人の大魔王である。
やっぱりああいうお姉さん系がいい。
紗姫が聞いたら咆哮(物理)が飛んできそうなことを考えながら、付かず離れずの位置で警護を続ける。
他の対魔官たちからも異常報告はない。
今日も特別問題はなさそうだ。
しかし脅威は影のように音もなく、風のように突如やってくる。
それをそうと認識するのは、あまりにも容易かった。
時刻は夕方に差し掛かろうかという頃、陽向たちを見張りながら、人目につかないよう歩いていた真理は、その異常にすぐ気づいた。
通信術式の途絶。
(ッ──⁉︎)
考えられる可能性はいくつかあった。その中で最も可能性が高く、実現してほしくない予想。
「こんばんはー。いい反応すね」
火花が散り、受けた小太刀を持つ右腕が痺れた。
地面に突き刺さった銀のナイフが、明確な敵意を表している。
そいつは、白髪にガラス玉のような目玉をした、白人の男。
敵だ。
真理は引き抜いた2本の小太刀を右は順手に、左は逆手に構えた。
敵はナイフを使ってくる。今の攻撃には魔術の気配を感じなかったが、魔術師と見て間違いないだろう。
どこぞの魔術結社か。
油断なく構える真理に対し、男は無表情のまま言った。
「さっきから対魔官ってのはどいつもこいつも呆気ないなーって思ってたけど、案外できるやつもいるんすね」
「‥‥それはどうも」
飄々としているように見えて、隙がない。何かの格闘技を修めているような立ち振る舞いでもないが、真理の勘が迂闊に飛び込むことをためらわせていた。
何より、その目がやばい。
何人も殺している奴の目だ。真理の実家、右藤家は代々罪を犯した魔術師を捕らえてきた。
真理も既にその仕事に参加をしたことがある。
だからこそ、この警備役に抜擢された。そしてそんな真理の目から見て、目の前の男はそういった犯罪者と同じ、いやそれ以上に危険なオーラを纏っていた。
仲間たちの状況が分からない。
連絡も取れず、増援が来る見込みもない。となれば、
(やるしかねえ)
ここでこいつを斬る。
幸いにも、相手は油断している。それなら、真理にも勝ち目があった。
──先手必勝。
思うが早いか、真理は踏み込んだ。
この程度の距離、魔力による身体強化があれば、あってなきが如し。
瞬く間に男の懐に入った真理は、そのまま喉元へ小太刀を突き込んだ。
生捕は考えない。まずはこの脅威を確実に排除する。
しかし男の前で光が閃いたかと思えば、小太刀は甲高い音を上げて弾かれた。
「ッ!」
即座に左の小太刀で受ける。
腕に衝撃が走った。
真理は考えるよりも早く後退しながら、身体を振って攻撃から逃れようとする。
しかし男がそれを許さない。両手に握った銀のナイフで、絶え間なく攻め立ててくる。
すぐに捌ききれなくなり、全身に裂傷が刻まれる。
男のナイフは、無差別だ。急所を的確に狙ってくるわけでもなく、駆け引きをしてくるわけでもない。
意識の薄くなった場所に滑り込み、確実に傷を負わせてくる。
太刀筋が読めない。
(くそ、やり辛え!)
しかも身体能力も相当なものだ。攻撃に転じる隙を作れない。
太ももを深くナイフが抉り、血が地面にばら撒かれた。
筋肉が切れ、真理の足が止まる。
その瞬間を男は逃さなかった。小太刀の隙間を縫うようにして、ナイフが伸びてくる。
だが真理もまたこの時を待っていた。目が上下に素早く動き、踏み込んでくる男の頭と足元を捉える。
刹那、真理の魔術が発動した。
陰は陽に、天は地に。
『天地返し』。
男が、何かに化かされたかのように上下にひっくり返った。
姿勢はそのままで、両足は空を虚しくかき、必殺の一撃は目標を見失う。
対人戦において、絶大な効果を発揮する真理の魔術である。
これまでは不意打ちのために使うことが多かったが、それでは対応されることがあると、半月武者との戦いで学んだ。
だからこそ、ここぞという時まで引き込み、魔術を発動したのだ。
真理は下から驚きに目を丸くする男に向けて、小太刀を振り下ろした。
「はー、おもしれー魔術」
軽い声が、聞こえた。
振り下ろそうとした腕が動かない。
両腕に突き刺さった銀のナイフが、その答えだった。男は天地返しを受けながら、ほぼノータイムでナイフを投擲したのだ。
深々と刺さった刃が、攻撃の力を途切れさせた。
「でも、ちょっとちんけっすね」
最後に聞こえた言葉は、それだった。
ゴッ‼︎ と頭に衝撃を受け、真理は地面に転がった。全身から溢れる血が、地面にまだ模様を描いた。
男はそんな真理をチラリと一瞥し、興味を失ったように顔を上げた。
「さ、後はお姫様を連れ帰るだけかー」
そう呟くと、男はすぐにその場から消えた。
その日、陽向紫は家に帰らなかった。




