限界を超えた先で
拳が兜の横っ面に突き刺さり、俺の剣はシキンの胴を袈裟斬りにした。
首が飛ぶかと思ったが、全身の筋肉を引き絞って強引に衝撃を殺す。
シキンも血を噴き出しながら、倒れることなく俺を見た。
「『──！』」
「──！」
刹那、今度は俺の胴を丸太のような脚が薙ぎ、紅い刺突がシキンの胸を穿った。
ぅぐうぉっ⁉︎
腸が破裂し、骨が爆散したような痛みに口から血がこぼれる。
シキンは貫通した穴から大量の血を流しながら、背中を丸めて痛みに耐えていた。
止まった時間は一秒もなかった。
俺もシキンも即座に攻撃へと転じる。剣が切り裂き、拳が砕いた。
二人の間にある距離は、俺たちからすればないも同然。我が真銘は傷を強引に塞ぎ、身体を補強する。無窮錬は肉体を再生させ、時の重さを拳に乗せる。
はは、さっきより遥かに効くぞ。それがお前の本当の強さかよ。
シキンの魔術は暗示が解けたことにより、弱体化したはずだった。しかしシキンはそれを即座に立て直し、魔術を真の意味で己のものとしてみせたのだ。
安定感こそなくなり、剣は通るようになったが、感情の励起によって振るわれる拳の威力は、跳ね上がっている。
それでもこちらの方が、よほどいい。
俺は剣を絶え間なく振るい、避けられる攻撃は避ける。捌ききれないものは、鎧で受けた。
それはシキンも同様だった。全身に生傷を作りながら、それをすぐさま再生して殴りかかってくる。
まさしく血で血を洗う、闘争。
しかし忘れてはならない。どんな状態になろうとも、シキンが俺の高みを行く技巧の持ち主だということを。
「『っ⁉︎』」
剣を躱されたと思った瞬間、シキンの右腕が絡みついてきた。腕を起点に巨木にのしかかられたような重さがかかり、身体の自由が奪われる。
「毒竜諸鬼」
ぶん回される。
そう判断した時、俺は自ら地面を蹴っていた。
シキンが俺を振り回す速度よりも、更に速く動く。
ゴガガガガガガガッ！ と鈍い音を連続で響かせながら、俺とシキンは片腕を掴んだまま打ち合った。
シキンはこちらの体勢を崩そうとし、俺はそれに先んじて跳ぶ。もはやどちらが投げているのかも分からない状態で、俺たちは車輪のように床板を砕きながら転がった。
いい加減にしろよ。
転がる勢いをそのまま剣に乗せ、振るう。
『狼吠月剣』。
紅の満月が、俺を掴んでいたシキンの腕を肩から切断した。
血が噴水のように飛び散り、支えを失ってすっぽ抜けた二人の体が離れていく。
腕を切り飛ばし、距離が空いた。
そんな心の一瞬の隙を、シキンは見逃さなかった。
『雲雷鼓掣電』。
あろうことか、シキンの長い髪の毛がうねり、神速の打突が放たれたのだ。
「『ぉぐっ⁉』」
ゴッ‼︎ と意識の外から打ち込まれた一撃は俺の腹に突き刺さり、吹き飛ばされる。
嘘、だろ。
足を床に突き立て、なんとか勢いを削る。腹から全身に広がる痛みとダメージに、頭が揺れた。
髪の毛って、なんでもありかよ、くそ。
今の一発は想像以上に効いた。視界が霞み、両脚は震えている。
それでも俺は背筋を伸ばし、顔を上げた。まだ終わっていない。
「はぁ‥‥は‥‥」
シキンもまた息を切らしながら俺を見ていた。腕がなくなった右肩からは、まだ血が流れ続けている。
お互いに限界は目前に迫っていた。
悪いな、土御門、四辻、みんな。
――そしてノワ。
俺は今シキンを心底超えたいと思っている。
剣を握った瞬間から、あるいは戦場に立った時から、全てを自らの力でねじ伏せ、頂点に立ちたいという野心。強敵を倒すという、高揚感。
自分ではそういった意識は薄い方だと思っていたが、案外心の奥にはこういう熱が渦巻いていたらしい。
シキンを倒すことができれば、俺はまだ成長できる。
リーシャも、カナミも、月子も。皆全力で先に進もうとしているのを肌で感じている。
俺はどうだ？ アステリスに居た時から、本当に成長しているのだろうか。
櫛名からシャーラを助けることができなかった。あまつさえ、櫛名を取り逃してしまった。
そして今回、シキンにはいいようにやられ、四辻の助けがあってここまで来た。
不甲斐ない。
俺は剣を握り直し、一歩を踏み出した。それだけで全身に砕けるような痛みが走る。
「『勝負だ、シキン』」
あんたと打ち合ってよく分かった。俺はまだ、強くなれる。
右手にバスタードソードを、左手には紅い大剣を顕現させる。
「よかろう、勇輔よ」
シキンはそう言うと、腰を落として残った左腕を引いた。
直後、視界が歪むほどの濃密な魔力がシキンから放たれた。あれだけの傷を負いながら、魔力は更に膨れ上がる。
千年をかけて鍛え上げた肉体は、本来人が使用できる規模を遥かに超えた魔力を操作してみせる。
そんなシキンへと、真っ直ぐに輝く道が引かれた。
『灯火――騎士道』
前へと進んだ分、力を増す騎士の魔術。
シキンの魔力は膨張を止め、圧縮されていく。建物そのものが揺れ、天井が崩落し始めたのか、人像たちが落ちて砕けた。
これが最後になると、何も言わなくても分かっていた。
俺が床を蹴ると同時、シキンの拳が真っ直ぐに放たれる。
「地獄鬼畜生‼」
鬼の拳が、全身をぶん殴ってきた。
「『ッ――‼』」
意識が飛びかけた。
そして痛みと共に理解する。この悪鬼羅刹の正体は、シキンの内に封じられた後悔と、懺悔と、苦痛そのものだ。
暗示程度で、魂に刻まれた傷を忘れられるはずがない。あんたは正体を見失った苦しみに、千年間耐え忍びながら拳を鍛え続けたのか。
それはどれ程辛い道か。
希望に生きた千年は、裏を返せば絶望の渦中にいた千年だったのだ。
後ろへ飛ばされそうになる衝撃を、耐える。
その瞬間、凄まじい速度で脳裏を流れていったのは、俺の帰りを待つ人たちだった。
この拳、あんたにも守りたい何かがあったんだろうな。
けどな、思いの強さだっていうのなら、俺も負けられないんだよ！
「『ぅぅあ――――！』」
一歩だ。
濁流を押し返すように、たった一歩を進んだ。
その一歩を引き金に、全身に火が灯ったかのように熱の奔流が押し寄せ、剣が軽くなった。
この刹那を、逃すな。
俺は鬼の急所に滑り込ませるように剣を振るった。目に見える魔力の要所を、思考を追い越して切り裂いていく。
地獄に輝きを紡ぐ『星剣』が、強引に道を切り開く。
しかしシキンの技量はやはり恐るべきものだった。
たった一度、星剣を見ただけでその理屈を理解したのだろう。拳は俺の剣から逃れるように流動しながら殴りつけてくる。
右目が潰れ、視界が半分消えた。
血を吐きすぎて、呼吸ができない。失われていく血を補うように、あるいは空になった体に注がれるように、魔力だけが満ちていく。
ドンッ‼ と床を踏み抜く音が響き、俺は自分が進んでいることを実感する。
もはや考えることなどない、目の前の脅威を斬り、進むだけだ。
この歩みが止まる時は、死んだ時。
何歩進んだか、自分では分からなかった。
ただ二振りの剣が開いた先に、彼は居た。
「――見事」
シキンは呟き、身体を捩じって回し蹴りへと転じた。
獰猛な弧は、容易く俺の首を砕いただろう。
しかしそれよりも早く、俺の身体は染み込んだ動きを再現していた。周囲に漂う魔力の粒子を巻き込み、双剣はけたたましい咆哮を上げた。
『竜剣』。
跳ね上がった竜の牙が無窮錬を食い破り、シキンに突き立てられた。
回し蹴りよりも速い、下段からの切り上げ。
双剣はシキンの腹と胸を、確かな手応えと共に斬った。
噴き出す鮮血をも巻き込んで紅い剣閃は飛翔する。
そして。
斬ッ‼ と煌夜城の天井が割れた。
まるで昇竜でも現れたかのように、城の上部は完全に消失し、空からはいつの間に昇ったのか月の光が落ちてくる。
「『――』」
剣を下ろした俺の前で、シキンが大の字に倒れていた。
