臆病な真実
フィンはテラスに立ったまま、人差し指を立てた。
「その前に、一つだけ貴様の言葉に間違いがある」
「何?」
「俺は守護者ではない、『鍵』だ」
──なんだと。
沁霊術式を用いていたから、勝手に守護者だと判断していた。考えてみれば、メヴィアも沁霊術式が使えるが、『鍵』として召喚されている。
だとしたらこいつには守護者がいる。
「白銀、俺は今日という日を楽しみにしていたよ。勇者などと持て囃されてきた貴様だが、その本質は魔王や魔族を強襲する遊撃隊、あるいは暗殺者だ。貴様がやっていたのは、戦争ではない」
フィンの言葉と同時、俺たちを囲んでいた壁の一部が動き始めた。
まるで初めから扉でもあったかのように、大きく開いたのだ。
そしてそこから整然とした動きと軍靴の音を鳴らし、それらは広場へと入ってきた。立っていることさえ難しい、地鳴り。
「いいか白銀。戦争とは、優れた将と、調教されし猛獣──軍によって行われるものなんだよ」
なんの冗談だよ、これは。
俺たちの背後を十重二十重に取り囲んだのは、数え切れない兵士たちだった。それも一人一人が鎧を身に纏った正規兵。
動きを見れば分かる。張りぼてではない、訓練された屈強な兵たちだ。
しかも至る所に点在する、覇気を纏った兵士。あれは将軍だろう。
どういうことだ? 『鍵』の守護者は一人だけ、それがルールのはずだ。確かに新たな戦士たちが参加してくるとは聞いていたが、これは明らかに度が過ぎている。
頭の上からフィンの声が降ってきた。
「幻覚だとでも思ったか。そいつらは正真正銘サーノルド帝国が誇る最強の軍、『竜爪騎士団』だ。生憎と全軍を連れてくるのは叶わなかったが、たった数人を相手には過ぎた戦力だろう」
「どうやって、これだけの数を。守護者は鍵に対して一人だけのはずだ」
軍から目を離さず、問う。
それに対し、返ってきた言葉はシンプルなものだった。
「察しが悪いな。それが俺の魔術『我城』の力だ。物資も人間も、全てがこの城と町に収められ、それを持ってこの世界にやってきた。それだけのことだ」
嘘だろ、なんだよその反則な魔術は。
俺たちを閉じ込めたのは副次的な効果であり、その本質は物資の収納なのか。一つの街を丸ごと収納できるなんて、戦争じゃチート以外の何物でもない。
バランスブレイカー。
こいつの魔術はそういう類のものだ。
俺の頭上からフィンの気配が唐突に消えた。
代わりに軍の更に奥、反対側の城壁の上にフィンが現れるのが見えた。強化された視力でなければ、見るのも難しい距離だ。
この空間の中じゃ、転移も思うままってことかよ。
遥か遠くにいるはずなのに、フィンの声が明瞭に響いた。
「さて、話もそろそろ終わりだ。我が『竜爪騎士団』一万の兵士たちがお相手しよう。伝説の勇者がどれほどのものか、俺に見せてくれ」
その言葉と同時に、兵士たちが鬨の声を上げた。
吼ゥゥウウウウウウウッ‼︎ と地面が揺れ、重厚な壁が軋む。
その圧はもはや物理的な暴力となって襲い掛かってきた。
「ぁ、あぁあ」
「ぬ、ぐぅぁあ」
振り返ると、櫛名さんがうずくまり、オスカーさんも動けないでいた。それも当然だ。たった数人で、軍を前にしているのだから。普通の精神では意識を保つことも難しい。
「‥‥」
しかしそんな中で、月子だけが俺を見ていた。
その目にあるのは、恐怖ではない。もっと不確かで、揺れ動く、疑念。
「勇、輔‥‥」
俺には彼女が何を言いたいのか分かった。
何故なら俺は今まで、月子たちの前でフィンと話をしていたのだから。当たり前のように、アステリスの話を。
月子は今にも槍を取り落としそうなぐらい震え、それでも言った。
「あなたたちは、何の話をしているの?」
そうだな。
ちょうど良かったのかもしれない。言葉で語るよりも、見てもらった方が早い。
俺は背後の三人を守るように前に進んだ。
一層声と圧が強くなり、俺を叩き潰さんとする。
俺は上に着ていた学ランを脱ぎ捨てながら、月子に聞こえるように言った。
「ごめん月子。俺も君に話してこなかったことがある。どうせ信じてもらえないって。いや違うな、俺も怖かったんだ。この過去を知った君に、拒絶されることが」
「何を、言って」
君の目を見て話せないことを許してほしい。それでも全てを見ていてほしい。
「俺はリーシャに言われてこの戦いに参加するよりも、もっと前から戦ってきた。異世界アステリスに勇者として召喚されて、魔王を倒すために」
「‥‥」
月子は何も答えなかった。
馬鹿なことを言っていると思われているのかもしれない。それでもいい。
「そして魔王を倒して帰って来た。いなかった時期は神隠しとして、記憶を失った振りをして生き続けたんだ」
これが俺だ。
今まで臆病な心の内側に隠してきた、本当の俺だ。
「それでも、過去は変えられない。あそこで鍛えられた俺の本質は、変わらずここにあった」
これなるは知識の表顕、己が魂との対話。
翡翠の魔力が全身を駆け巡り、つまらない常識から解き放たれる。
「『我が真銘』」
俺の身体を白銀の鎧が包んだ。
月子の前に降り立つのは、一つの真実だ。
たとえ隠蔽力の高い『我が真銘』であっても、目の前で発動すればその効果は失われる。
彼女の目には、どう映っただろうか。
「勇輔が、白、銀──?」
呆然と力ない声と、槍が地面に落ちる音が聞こえた。
それでいい、大丈夫だ。君はそこで待っていてくれ。
たった一人さえ、一つの魔術さえ君には届かない。
この戦いが終わったら、もう一度話をさせてほしい。臆病者が隠し続けた荒唐無稽な過去を。
俺は精強なる軍を前に、剣を抜いた。
「『来いサーノルド。伝説などという曖昧なものではない、この剣の重さをその身に刻め』」
そして理解しろ。
お前たちが行おうとしていることの愚かさを。誰を敵に回したのかを。
その言葉と同時、戦いの火蓋は切られた。




