さようなら夏休み、くそったれ新学期
「なあ山本、高山知らないか?」
「高山?」
誰のことだよ、と思い、それがお洒落髭のことだと気付いた俺は周囲を見回した。
「そういえば来てないな」
今は一限目の現代文学の講義が終わったところだ。あいつもこの講義は取っていたはずだけど。
そういえば学校が始まってから見かけた覚えがない。
俺は横を向いて声を掛けた。
「松田、何か知っているか?」
「さあ? どうせサボりでしょ」
「サボりって、あいつ既に単位やばかっただろ」
机の上で溶けていた松田は、「分かってないなー」と指を横に振った。
「単位やばいからって講義来るような人間は、そもそも留年しないでしょ」
「‥‥確かに」
不本意にも納得してしまった。そりゃそうだ。
俺に最初に聞いてきた角刈りが「ふむ」と顎に手を当てた。ちなみにこいつは合宿の時に諫早先輩について熱く語っていたおっぱい星人だ。
「そうか、ただのサボりならいいんだが」
「体調でも悪そうだったのか?」
「そういうわけではない」
じゃあなんだよ。
「ほら、あいつ合宿の時陽向にフラれただろ?」
「そんな周知の事実みたいに言われても」
知ってるけど。
「俺も知ってるぞ」
「僕もー」
「なんでだよ」
総司と松田が言った。本当に周知の事実じゃん。失恋話広まるの速すぎるでしょ。
「そっか、勇輔は二日目の飲み会、体調悪いって来なかったもんね」
ああ、体調悪いっていうか、陽向を怖がらせちゃって行く気になれなかったんだよな。
そして黒井さんが慰めに来てくれた結果、妖刀事件に巻き込まれたという。それから月子とも色々あったし、思い出したくないわ。
どこかに飛んでいきそうになる思考をつなぎとめる。
「なんかあったのか?」
「後半に陽向ちゃんが部屋に引っ込んだ後さ、高山、もう酷かったんだから。絡むわ泣くわ。文芸部のメンバーはもうほとんど知ってるんじゃない?」
「そんな地獄絵図になってたのか‥‥」
行かなくて正解だったな。
胸をなでおろしていると、総司が思い出したように言った。
「そういや勇輔、陽向と何かあったのか? ナンパから助けたとか聞いたが」
はい?
なんで総司がその話を知ってるんだ? 会長には口止めしたはずだぞ。
「な、なんの話だ?」
「松田がそんなこと言ってたんだが、そんなことあったのか」
犯人はお前か松田。
見ると、犯人が笑顔でピースサインをしていた。この野郎。
今更こいつがどこで情報を仕入れたのかは聞くまい。蛇の道は蛇。Mの道はM。下手に踏み込むと帰って来られない可能性もある。
ピースサインを百八十度開いてやろうかとも思ったが、ご褒美になりかねないのでやめた。
「なんもないよ。ただフった直後の陽向に偶々会って話聞いてたから、それに尾ひれがついたんだろ」
「話ねえ」
総司は分かったような分かってないような顔で頷いた。これは悟られているかもしれない。
むしろ総司は知っててくれた方がいいかもな。俺はもう陽向に近寄れないけど、総司ならボディーガードにはぴったりだ。こんな赤髪のムキムキが近くにいれば、変な虫も寄ってこないだろうよ。
「それで高山が陽向にフラれたから学校に来辛いかもってことか?」
「いや、そんなことは心配してない」
なんでだよ。
「あいつが年間何人にフラれていると思っているんだ。サークルの後輩にフラれた程度、小指が折れた程度のダメージだ」
「結構な致命傷じゃない、それ」
「回数とダメージはそれほど関係ないような気もするよね」
角刈りは俺たちの真っ当なツッコミを無視した。
「問題なのは、奴がフラれたことで起こす行動だ」
「普通に飲んだくれたんじゃないのか」
「山本は想像力が足りんな。お前なら彼女にフラれたらどうする?」
「暫く落ち込むな」
エリスと別れた後も、月子にフラれた後も、長い間立ち直れなかった。現状立ち直れているかって言われると、何とも言えないけども。
角刈りは俺の言葉にうなずいた。
「女々しい奴だ」
「ぶっ飛ばすぞお前」
その角刈りでこぼこにしてくれる。
「まあ待て。普通の男は女にフラれたら、することは決まっている」
そろそろ次の講義始まるし、もう終わりにならないかなと思っている俺たちの前で、角刈りは力説した。
「次の恋を探すんだ」
「わりと普通だな」
「普通に恋を見つけるのとは違うぞ」
言ってる意味がよく分からん。
「フラれた男というは、恋に飢えている状態だ。普段ならば気にも留めないような女性たちが、五割増しで可愛く見えてしまう。言ってしまえば、極限にハードルが下がった状態」
「偏見だろ」
「今の高山なら、犯罪にならなければいいとさえ思っているに違いない」
「ハードルほぼ芝生じゃん」
「分かっていない。分かっていないぞ山本。夏休み終わりかつ、文化祭を間近にしたこの時期。誰も彼も学生としての本分を見失い、恋に浮かれ、唾棄すべき桃色の空間を生み出している。そんなチョコよりも甘い空気に包まれていては、我を見失うのは必定」
「はあ‥‥なくはない、のか」
言われて部屋を見渡せば、甘やかな空気を纏う男女が少なからずいる。うちの文化祭は三日間あるし、それに向けて恋人を作りたいっていうのは、性別問わずあるんだろう。
クリスマス前の駆け込み需要みたいなものだ。
「崇天祭の最後に行われるナイトパレードは、基本的に男女ペアで参加だ。それに憧れを持つ者も多い」
角刈りはそこで肩をすくめた。
「まあお前のような面食いシンドロームには分からん話かもしれんがな」
「やっぱりぶっ飛ばすわ」
誰が面食いシンドロームだ。
胸倉をつかもうとしたら、松田が携帯をポチポチしながら言った。
「うーん、確かに可能性はあるかもね。高山は元々女好きだし。でも、新しく恋人作るっていうなら、それはそれでいいんじゃない? 陽向ちゃんもそっちの方が心痛まないだろうし」
松田が珍しく正論を言っている‥‥。どうした、夏休みと引き換えに変態がお休みに入ったの? 一生そのままでいいのに。
驚く俺をよそに、角刈りは真顔で答えた。
「どんな形にせよあいつに恋人ができるのは納得がいかん」
「清々しい程に私情じゃねーか」
別にいいだろ、誰に恋人ができたって。
松田は顎に指をあてて深くうなずいた。
「確かに、一理あるね」
「どこに? 屁理屈にすらなってなかったよね?」
「意外と物好きっているからね。誰彼構わず声かけてたら、できちゃう可能性はある」
「まったくだ、伊澄が山本と付き合うんだから、あり得ないことなどない」
さっきから喧嘩売ってんのか? お前。
それまで黙っていた総司が立ち上がりながら言った。
「そういうことなら、直接確認しに行こうぜ」
その手には俺たちに見せるように携帯が揺れている。
『本日の古典文学演習は休講になります』
次の俺たちの講義は、古典文学演習だったはずだ。
なるほどね。それなら仕方ない。
そういうわけで、俺たちは高山を探しに講義棟を出た。




