沁霊術式
崩壊が連鎖した。
俺だけじゃない、聖域に囲まれたこの空間そのものが捻じ曲げられ、一か所に圧縮されていく。
発動した魔術は、まるで小さな子供が紙をくしゃくしゃに丸めるような乱雑さと無慈悲さで、目に見える何もかもを潰していった。
大地と木々が砕けながら浮き上がり、衝突する。
さっき発動していた渦廻を更に複雑に、強大にした魔術。人間が巻き込まれればただの肉塊になることは明白だ。
俺は星剣で魔術を解体していくが、追い付かない。バラけた端から魔術が再構築され続けている。
これが沁霊術式。根本的に通常の魔術とは質が違う。
崩壊と圧縮はほんの一分程度だっただろう。しかし剣を振り続けた俺には数時間にも及ぶ張り詰めた時間だった。
「よく凌いだ。だが、『重天握』はまだ続いているぞ」
どういう意味かは聞かなくても分かった。
黒く捻じ曲がり続ける球体。歪みによって圧縮され続けたそれは、明らかに力づくで抑えられている状態だ。
――嘘だろ。
燃えるような焦燥感のままに叫ぶ。
「『リーシャ‼ 気をつけろ‼』」
直後球体を抑えていた魔術が解除された。
圧縮されていた空間が元に戻ろうと膨張する。大気が弾き飛ばされ、塵が散弾のように音速を超えて飛散した。
捻じれ絡まっていた空間は不規則な気流を生み出し、嵐となる。
聖域にひびが入り、そこから衝撃と暴風が噴き出した。天変地異の余波を耐えられるはずもなく、校舎の一部が砕けて吹き飛んだ。
「くっ、ぅぅぅううっ!」
リーシャの苦悶を示すように聖域が明滅し、燐光が血のようにあふれ出す。
これまでにない衝撃と重さだ。聖域が破れれば学校といわずこの町そのものが吹き飛ばされる、その確信があった。
幾度となく消えかかり、それでも聖域は何とか耐えきった。完全に抑え込むことはできず、校舎も周囲を覆っていた林も至る所が倒壊しているが、絶望的な被害ではない。
しかし聖域の内部は惨憺たるものだった。
もはや砂漠だ。
砕けめくれた大地に粉々になった木々と土くれの塵が積み重なり、退廃とした風が砂煙を巻き上げる。
大地そのものをミキサーにでも放り込んだような、無茶苦茶な規模の破壊だ。
「ユースケさん!」
リーシャの声が聞こえた。
俺は煙を朱のマントで打ち払い、立ち上がる。
受けきったといえば聞こえはいいが、実際は魔力にものいわせて鎧を強化し続けただけだ。おかげでフル回転していた頭はガンガン痛むし、鎧の各所は砕けている。
なんて一撃だ。
軍どころか、街一つ消し飛ばす威力の魔術だぞ。そんなのを一個人が簡単に撃つなんてふざけてる。
荒い呼吸を繰り返す俺に、声が降ってきた。
「流石に無事とはいかなかったようだな」
見上げれば、魔術をどう使っているのかラルカンが空に立って、俺を見下ろしていた。
月よりも青く透き通った瞳に、過去が重なる。
そうだ、グレイブの仇だと挑んだ時もこうだった。絶対なる壁、到底たどり着けない遥か高みにいる怪物。
「『その通りだ』」
分かってる。
「『俺は貴様たちのように強くない』」
魔将も魔王も、俺一人じゃ戦うこともできない強者だ。生まれ持った魔術の才能、莫大な魔力、それを磨く時間。日本に生まれて安穏と生きてきた俺なんかが勝てるわけがない。
あの時俺が勝てたのは仲間がいてくれたからだ。
けどな。
「『だが負けられようか』」
約束したんだよ。
たとえどれだけ苦しい道だろうと、勝てない相手だろうと。俺は俺の正しき道を進むと。
「『今宵、再び貴様を超えよう。ラルカン・ミニエス』」
正しくあろうとする限り、『我が真銘』は曇らない。
俺は左腕を高く掲げた。
星を、その奥にあるものを掴むように。
イメージするのは空を支えるような大樹。怒る獣をも内に秘め、届かないはずの彼らに手を伸ばす。
朱のマントが激しくはためき、炎のように形を失って燃え広がった。
銀を紅が染め上げる。魔力が産声をあげて震えた。
共に行こう。
道を選ぶのは一人でも、その道は決して孤独ではないのだから。
「我が真銘――『無限灯火』」




