誓いと祈り
『聖女様だって聞いたことがあるだろ。幾多もの魔族を打ち取った勇者。お前らにとっちゃ英雄でも、俺たちから見りゃ大量殺戮者そのものだ。あいつのせいで一体どれ程の者が死んだと思う?』
「神魔大戦は戦争です。立場が変われば正義も悪になりえるでしょう。その程度のことが分からない程世間知らずではありません」
『キハハハハハ、それは悪かった』
フィフィは高らかに笑い、ロゼは沈黙する。まるで会話に混ざることを避けるように。
『じゃあこんな話はどうだ? このロゼ・クレシオンは両親を勇者の侵攻で殺された。平穏だった村は焼かれ、そこに暮らしていた者はこいつ以外皆殺しさ。ラルカン様に拾われなければ、野垂れ死ぬか、運が良くても奴隷同然の暮らしだったろうよ』
「それは‥‥」
真意を得ようとリーシャはロゼを見るが、彼女は何も答えなかった。それが一層話に真実味を帯びさせる。
知識では理解している。
だがその本物の被害者に出会ったことは、当然ない。
『分かるか? お前の知識は所詮表の被害だけだ。戦争ってのは輝かしい大きな戦いの裏側で、表に出てこない戦いが幾つもあんのさ。勇者様のせいで語られることもなく消えていった命は、一体どれ程だろうなぁ』
リーシャは黙り込んだ。
フィフィの言っていることは事実なんだろう。戦争が大きな戦いばかりではないことくらい、少し考えれば想像できた。
勇輔が勇者だとすれば、積み重ねてきた死の山はどれ程の高さになるだろうか。流された血の河はどれ程長く伸びるものか。
フィフィは更に話を切り替えた。構えていない部分へ容赦なく言葉をねじ込む。
『お前たちは神魔大戦で負けた俺たちがどうなったか、考えたこともないだろ』
「‥‥魔王が死に、魔王軍は軍としての力を失って撤退したと」
『それも事実だ。だがな、真実ってのはもっと残酷なもんさ。神魔大戦ってのは、女神と魔神による契約で成り立っている。明確な敗北の代価が存在するのさ』
そう。神魔大戦はただの戦争ではない。神の契約の下行われる戦争は、勝敗による恩恵と負担が必ず与えられる。
すなわち、『エーテル』の譲渡。
エーテルは魔力を練るために必要なエネルギーだ。文明の維持に多大な魔力を消費するアステリスでの生活には、エーテルが必要不可欠。
それは人族も魔族も変わらない。
しかしいくら世界に満ちるエネルギーとはいえ、その量には限りがある。
故に神魔大戦に勝利した側には大量のエーテルが流入し、その分敗北した側のエーテルは薄くなる。そうして人族と魔族は何世代にも渡って神魔大戦を行い、エーテルを奪い合ってきたのだ。
『今こうして俺たちが戦っている間にも土地はやせ細り、家畜は息絶え、魔道具は力を失っている。どれ程死んでいるかなんて分かりもしねえ』
ロゼとフィフィは第二次神魔大戦が始まる前、その光景を目の前で見てきた。
いくら魔術の能力が高い魔族といえど――否、だからこそエーテルの枯渇は死活問題だ。
『奴ほど残酷な化け物はいないだろうさ。相手が魔族であれば逃げる背を突き刺し、情けの声を無視して踏み潰す。戦争ってのは互いに被害が出て当然だが、あれはそんな理屈すら吹き飛ばす悪夢そのものだ』
その言葉を聞くリーシャは、フィフィの黒い身体が広がっていくように感じた。
それはまるで子供が考えるお化けが、大きな口で飲み込んでしまうように、リーシャは闇に飲まれる。
記憶の中で輝く銀の鎧が、真っ赤な血で汚れていくのが見えた。きっとそれは現実にあった光景なのだろう。生々しく凄惨な、血と臓腑にまみれた過去。
勇輔の手がゆっくりとリーシャに差し向けられた。今まで当たり前に触れてきた手が、何か触ってはいけないような恐ろしさを覚える。
勇輔はきっとこれを知られたくなかったから、リーシャに何も言わなかったのだろう。それ程までに纏わりつく血は濃かった。
リーシャは暗闇の中でそっと目を伏せ、そして前を向く。
「ユースケさん」
もうその目には何の迷いも躊躇いもなく、ただ真摯な光がキラキラと宝石みたいに輝いていた。
血の中で冷たくなった勇輔の手を温めるように、リーシャは両手で包み込む。
何を恐れていた。躊躇うことがあった。
勇輔はいつだって自分のために戦ってくれた。アステリスでの戦いだって同じだろう、たとえ魔族から見て化け物であろうと、彼の心が今と変わっているはずがない。
それはリーシャだって同じことだ。たとえ勇輔が勇者であったとしても、今まで彼に感じてきた思いが、積み重ねてきた信頼が変わることはない。
いや、今はそれよりも強い思いが生まれていた。
「ユースケさん、貴方が本当に背負っていた物は、これ程大きかったんですね。辛く、苦しかったですよね」
ただ触れているだけの手が、痛い。
まるで怨讐そのものに触れているかのようだ。骨の奥まで痛みが侵入してくる。
だがそんな痛みより、こんなものをたった一人で抱え込んでいたという、その事実に何より胸が痛んだ。
勇輔が勇者としての扱いをリーシャに望むなら、受け入れよう。彼が救おうとしてくれるなら、自分はただその勝利を信じよう。この身も心も、ただ貴方のために使いたい。
兜の奥に見える翡翠の目を見据えた時、周囲を覆っていた影は消え去っていた。
『あん?』
リーシャの様子が変わったことに気付いたフィフィが訝し気な声を上げるが、既に彼女の覚悟は決まっていた。
ロゼを正面から見据えると、改めて気付く。冷静な彼女の瞳は、よく見ればどす黒い恨みと怒りに染まっていた。
話すのはフィフィだが、その本質は彼女の内にこそ存在する。魔術にさえ発現するほどの思い。
リーシャは今、それ程の恨みを持つ魔族の前にいるのだ。彼女がその気になれば、リーシャなど一瞬で殺されるだろう。
それでもリーシャは臆すことなく口を開いた。
「ユースケさんが過去に多くの命を奪ってきたというのなら、その罪を私も背負いましょう。貴方が彼を憎むなら、私も共に憎んでください。私はたとえ何があろうと、ユースケさんを信じます」
「‥‥」
フィフィは黙り、ロゼの眉が動いた。細い指先がナイフのように曲がり、魔力が蠢く。
互いに逸らすことなく視線がぶつかる。
「やめろ、ロゼ」
緊迫の瞬間に割り込んだのは、いなくなったはずの声だった。
「っ! ラルカン様‥‥聞かれていたのですか」
「‥‥」
部屋を出ていったラルカンが再び現れたのだ。
彼はそのままロゼの前まで歩くと、彼女を見下ろした。
「復讐に囚われるなと言ったはずだ。魔術師が感情に振り回されるなど愚の骨頂」
「私は復讐に囚われてなど」
「俺の目にはそうは見えない。過去ではなく先を見据えろ、お前には未来がある」
ロゼにそう言うと、ラルカンはリーシャに視線を移した。
「俺は立場的にお前たちの敵だ。しかし敵であろうとその行いは正しく伝えられなければならない」
「は、はい」
「白銀は確かに多くの魔族の命を奪った。それによって間接的に死した者も多かろう。だが、奴は理不尽な殺しをする人間ではなかった。ロゼの村とて、もし勇者がその場にいればそのようなやり方は絶対に許さなかっただろう」
「‥‥」
「奴の剣にはただの殺戮者にはない信念があった。だからこそ俺は今ここにいる。互いの信念の行きつく先を見極めねばならない」
ラルカンの話はリーシャの知る勇輔そのものだった。
分かっていても、他者からそう言われると安心する。やはり勇輔は勇輔だったのだ。
「安堵するのは早い。結局のところ俺か白銀のどちらかは確実に死ぬ。そうでなければ終わりは訪れない」
「分かっています。勝つのはユースケさんです」
「そうか。聖女の祈りが届くか見物だな」
ラルカンはそれだけを言い残すと、再び部屋から出ていった。恐らく先ほどは部屋を出ていった振りをして外で話を聞いていたのだろう。
彼にとってロゼがどういう存在なのか、リーシャにも少し分かった気がした。
だが当のロゼは何かをこらえるように唇を噛み締め、ラルカンの後を追って部屋を出ていった。
魔族も人も、互いを思いやれば理解し合えるわけではないらしい。
勇輔は自分のことをどう思っているのか。今まで考えたこともない思考が頭を過った。
「ユースケさん」
両手を組み、どこかにいる彼を思う。
一度の敗北で諦めるような人ではない。リーシャを助けると言ってくれたのだから、彼はまたここに来るだろう。
自分は無力だ。戦いでは何の役にも立たないどころか、足を引っ張っている。
だからこそ、せめてこの想いだけは届いて欲しい。
リーシャはただ一人そこで祈り続けた。それは彼女が女神以外に初めて捧げる、真摯な祈りだった。
次回、勇輔に戻ります。
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