38. 弟妹
泣きすぎて頭と目が痛い。一晩経っても、それは変わらなかった。
だからわたしは以前のように、惰眠を貪る。カレルもヤナも今日ばかりは、起こしにはこなかった。
だが。太陽が真上に来た頃、ヤナが三階の寝室のドアをノックした。
「お嬢さま……起きておられますか?」
「さすがに起きているわ。なに?」
起きているといっても、ダラダラと横になっていただけだったので、慌ててピョコンとベッドの上に座る。
ヤナはそうっと扉を開けると、おずおずと報告してきた。
「あの……お客さまなんですが」
客といえば、一人しか思いつかない。
「ダニエルよね。今日は帰ってもらって」
また魔女について話をすることになるのだろう。さすがにその気力はなかった。
けれどヤナは首を横に振った。
「いえ、違います」
「え?」
首を傾げると、ヤナは困ったように眉尻を下げたまま、苦笑いを浮かべた。
◇
二階の客室に行くと、二人は貴族の子どもらしく、ソファにお行儀よく座っていた。
客とは、わたしの弟妹だった。メイドが一人、ついてきていて、彼らの後ろで控えている。
カレルもそこに控えていたが、救いを求めるような目をこちらに向けてきた。
お行儀よく座っている、わけだが、どうやらいっぱいいっぱいらしく、今にも立ち上がってどこかに行こうとする妹を、弟がなんとかせき止めている、という図だった。
わたしの姿を認めると、まずは弟が声を上げた。
「お姉さま! 急に来てごめんなさい」
「どうして」
意味がわからずそう返すと、彼はもじもじと指を弄びながら答える。
「だって、お姉さまとお話ししたかったんです」
すると妹が声を上げた。
「こないだ、すぐに帰っちゃったから、ご挨拶もできなかったのよ!」
怒られた。
わたしはこめかみに指を当てて考える。
この状況は、いったいなんなんだろう。
「ええと、お父さまとお母さまの許可は取ったの?」
そう尋ねると、弟は胸を張って誇らしげに言った。
「ちゃんと取りました」
それに妹が付け加える。
「もし具合が悪くなったら、すぐに帰ってくるようにって!」
なるほど。塔に来たらよくないことが起きる、ということに否定的にはなったが、『念のため』なにかあったときのことは心配する、という感じか。
「だってお父さまとお母さまだけ、お姉さまとお話しして、ずるいです」
「絶対おかしいもん!」
「お姉さまは塔で大事なお勤めをしているから、会っちゃだめって言ってたのに」
「なのにお父さまとお母さまだけ会うのっておかしい!」
「ひどいです」
「ひどい!」
弟妹二人で騒がしい。
控えているメイドに視線を向けると、彼女は疲れた様子で答えた。
「頑として譲られないので、公爵夫妻がお許しになりました……。だから私が付いてまいりました……」
この調子で騒がれたのだろう。それで折れたということか。どうやら、子どもたちに弱いらしい。
「見て見て、お姉さま! 上手にできるようになったのよ!」
妹はそう誇らしげに言うと、ソファからひょいと下りて、エプロンドレスの裾を持ち上げて、左足を引き、淑女の礼をしてみせた。
それからわたしのほうを見てにっこり笑うので、どうやら褒めて欲しいらしいとわかった。
「とても綺麗ね」
すると彼女は、えへへ、とはにかむように笑った。
正直、どうしていいかわからない。
まさか塔に弟妹が来るだなんて思っていなかったし、まるで怖がる素振りを見せないから逆に戸惑うし、まさか両親がここに来ることを許可するとも思っていなかった。
カレルが救いの目を向けてきたのも、同じように混乱しているからだろう。
これはどうしたものかと首を捻っていると、弟のほうが口を開いた。
「お姉さま、お願いがあるんです」
「なに?」
とりあえず座ろうと、彼らの向かいに腰掛けながら答えると、こう言われた。
「お姉さま、魔法を使ってくれませんか。見たいです」
「見たい!」
「僕も使いたいです」
「使いたい!」
あっけにとられて、口をポカンと開けたままでいると、代わりにヤナが冷静な声で返事をした。
「塔の中では禁止です」
「ええー! なんでー!」
「なんでー!」
わーわーと騒ぐ二人を横目に、わたしは手をちょいちょい、と動かして、カレルを側に呼ぶ。
「はい、なんでしょう、お嬢さま」
「……大丈夫なのかしら」
「なにがですか?」
「結界は破ったとはいえ、もしなにか影響があったら……」
確かにカレルが説明したように、すべてが気のせいの可能性もある。
でも絶対、だとは言い切れないと心配してそう訊くと、「そんなわけないでしょう」と呆れかえったように返してきた。
「この塔に結界を張るのが精一杯だった『白き魔女』が、あんな広範囲に、ずっと続く呪いなんて掛けられるはずがない。あんなの気のせいです。僕、夫妻にも言ったでしょう? まったくもう。なんでもかんでもお嬢さまのせいにして、本当に許せません」
怒りが再燃したのか、拳を握って目を吊り上げている。
カレルがそこまで言い切るなら大丈夫かしら、と息を吐いて前を向くと、弟妹についてきたメイドが目に入った。
彼女は落ち着かなく、キョロキョロとあたりを見回している。
なにか気になることでもあるのだろうか。いや、気になることだらけだろうけど。
「どうかした?」
「あ……いえ」
メイドは口ごもったが、少ししてぼそぼそと話し始める。
「あの、実は以前、こちらでの勤務を任じられたことがあるのですが」
「そう……」
「そのときは、どうしてか門をくぐれなくて」
「え」
「いえ、あの、先入観……だと思うのですが」
焦った様子で、メイドは続ける。
「門をくぐってはいけないような気がして、足が止まって……」
しどろもどろになりながらも、彼女はパッと顔を上げた。
「でも今は、あのときの怖い気持ちはないな、って思って。あの、失礼ですよね、すみません!」
そう謝ると、ガバッと腰を折る。
「これはもしかすると」
カレルが耳打ちしてくる。
「彼女、魔力持ちなのでは?」
「わたしも、そんな気がするわ」
あの門を行き来できるのは、魔力を持たない人だけだったはずだ。
だから、魔力を持つわたしだけが出られなかった。
そしてカレルやヤナや、他の使用人たちは普通に通れたが、彼女だけは結界になにかを感じた。
結界を破ってしまった今はもう、確認のしようもないけれど。
門を通ることもできなかった人たちは、魔力持ちだっただけなのかもしれない。
「いいわよ、気にしてないから」
ひらひらと手を振ると、彼女は再び頭を深く下げた。
その様子を見るに、だからといって、恐怖心が完全に消えたわけではないらしい。
弟妹を連れてくるという仕事も、きっと無理矢理、他の者に押し付けられたのに違いない。
するとカレルがまた耳に口を寄せてくる。
「お嬢さま、結界を張り直しませんか。そうしたら、魔力持ちかどうかの判別が簡単にできるようになります」
「判別してどうするのよ」
「もちろん、勉強してもらいます」
「却下」
間髪を入れずに答えると、カレルはがっくりと肩を落とした。
しかし気を取り直したのか、またひそひそと話しかけてくる。
「今となってはわかりませんが、もしかしたら公爵夫妻も、微弱ながら魔力を持っているのかもしれませんね。『白き魔女』の末裔ですし」
「え?」
「たとえば、門をくぐるたびに、ごく僅かに痛い思いをしていたとしましょう。自分でも気付かないくらいの痛みです。でもそれが積み重なれば、なんとなく嫌だな、くらいは思うようになるのかもしれません」
そうなのかもしれない。
でも、そうじゃないのかもしれない。
単純に、彼らが思うように、怖くなってきただけなのかもしれない。
全部わたしのせいにしておけば、楽だったからそうしただけなのかもしれない。
ただ、カレルがわたしの心を和らげようとして、そんな話をしたのはわかった。
だからわたしは、そう思うことにしよう。
わーわーとヤナと騒ぎ続ける弟妹たちの声を背に、わたしはそんなことを考えたのだった。




