29. 結界を破る方法
和やかな空気が流れ、わたしの気持ちも落ち着いてきたところで、カレルはこう言った。
「結界を破りましょう」
わたしは思いも寄らないその提案を、唖然として聞いた。
「八百年前に描かれた魔法陣なんて、もう綻び始めているでしょうし、きっと破れます」
「ど、どうやって?」
「たぶん、魔法陣は埋められているんだと思います。実は一度、塀に上って上を見てみたんですが、なにもなかったので」
さすが。熱意がすごい。
「きっと、塔や塀の下の地中に描かれているんですよ。それを崩せば」
結界を破るだなんて、そんなことができるのだろうか。
いや、それ以前に、そんなことをしてもいいのだろうか。
「いいのかしら……」
「いいも悪いもないですよ。このまま『白き魔女』のいいようにさせるの、腹立たしくないですか」
「そう……言われると」
わたしのこの状況は、『白き魔女』が作り出したもの。
カレルの予想をそのまま信じれば、わたしは本当に理不尽に閉じ込められている。
わたし自身がなにもしていないのもそうだが、『黒き魔女』だってなにもしていない。『白き魔女』の都合で、排除されたのだ。
あくまで可能性だが、カレルに何度も言われたからか、わたしの中でそれは真実になりつつあった。
「そうね。八百年前のことはともかく、わたしをこんな目に遭わせたのは、ちょっと腹立たしい……かも」
「ですから、結界を破ってしまいましょう」
「わ、わかったわ」
カレルの勢いに押される形で、つい了承してしまう。
「でも、できるの? 八百年も無事だったものを破るなんて」
「そうですね、難しいかもしれません。だから作戦を練りましょう」
目を輝かせて、カレルは高揚した声をだす。
これは単純に楽しんでいるだけなのでは、とちょっと不安になった。
「というわけで、お嬢さま、ちょっと外に出ませんか」
「え……」
先ほどの、我が身に受けた魔法を思い出して、少しばかり血の気が引く。
カレルは慌てたように言い募った。
「いえ、門の外までは行かなくていいんです。塔の外で、ちょっと魔法陣の確認をしてみませんか。魔法陣の勉強をしたのは、この中ではお嬢さまと僕だけですし」
「え、ええ……」
「ヤナ、手を貸して差し上げて」
「わかりました」
ヤナの手につかまり、わたしは椅子から立ち上がると、おずおずと玄関に向かう。
大丈夫、ここまではなにも起きない。
カレルは先に玄関の外に出て、わたしが来るのを待っていた。
外に一歩踏み出すと、わたしはホッと息を吐く。やっぱりなにごとも起きない。
その様子を見届けてから、カレルは話し始めた。
「まず、崩すことができるとすれば、門の下だと思うんです」
そう言って、鉄柵の門をまっすぐに指差す。
「あそこは地上に門しかない。あそこが一番脆いのではないかと思います。塔や塀を壊すのは時間がかかりそうですし、そんなことをすれば、さすがに公爵家か王家が止めにくるでしょう」
「それは……そうね」
「僕、シャベルかなにか、借りてきます」
言うが早いか、カレルは門の外へ駆け出していく。
「門の外へ出なければ大丈夫なんですよね」
ヤナがそう話しかけてきて、私は頷く。
「そうみたい」
「じゃあ、兄さんが帰ってくるまで、ちょっと散歩でもしましょうか。様子を窺うに、庭も出たことがなかったんでしょう?」
「その通りよ」
さっきは、出ることもあるんだな、という反応だったが、わたしの態度でそれは違うとわかったのだろう。
ヤナに支えられるようにして、庭を歩く。
でも、見るところはあまりなかった。そんなに広くもない。
玄関から門まで伸びる石畳と、玄関近くにある井戸以外は土の地面で、雑草はあちこちに生えているが、芝生を敷いているわけでもない。
たぶん、手入れを頻繁にできるわけでもないので、そうなっているのだろう。
狭い。
そう、思った。
「借りてきましたー!」
カレルはシャベルを片手に掲げながら、門の中に駆けてきた。
「じゃあ、掘ってみますね」
そしてカレルは躊躇なく、ザクザクと門の下を掘っていく。
わたしは近くには寄れないので、遠巻きにしてそれを眺めるだけだ。
「兄さん、大丈夫かしら」
ヤナがポツリと呟く。
「大丈夫って?」
わたしが振り返ってそう問うと、ヤナはため息交じりに答えた。
「兄さん、肉体労働は苦手だと思います。机にかじりつくほうが多い人ですし」
「なるほど……」
見ていると、確かにぜえぜえと荒い息をして汗を流しながら、掘り進めていた。
それでも休憩を挟むことなく、続けている。熱意がすごい。
しばらくそんな彼を二人で見つめていると、なにかがシャベルの先に当たったようで、動きを止め、しゃがみ込んだ。
そして、目を見開く。
「あった……」
カレルの反応でわかった。そこに、魔法陣が埋まっている。
彼は焦ったようにバッと顔を上げて、こちらに顔を向けた。
「石に描かれていて、それが埋められています」
近寄れないわたしに、カレルが声を張って説明してくれる。
そして突如、シャベルを振り上げて、そのまま地面に突き立て、ガンッという鈍い音を鳴らした。どうやら手に響いたようで、シャベルを取り落とすと、右手で左手を握っている。
「大丈夫ー?」
思わず声を掛けると、彼はひらひらと手を振る。
「大丈夫です!」
にっこり笑うと、落ちたシャベルをまた拾い、何度も地面に突き立てる。
しかししばらくして、ため息とともに言った。
「傷ひとつ付きません……」
カレルはがっくりと肩を落としている。
やはり、この塔を出るだなんて不可能なのだ、と失望感がわたしの胸の中によぎる。
それから手にシャベルを持って、カレルはこちらに歩み寄ってきた。
「魔法陣を壊すのは無理そうです。でも、あそこになにが書かれているのかはわかります。これを取っ掛かりにして、解読していきましょう」
「解読して、どうするの? 傷もつけられないんじゃあ……」
わたしの質問に、カレルは人差し指を立てて、チッチッチ、と横に揺らした。
「お嬢さま、これは授業でやったでしょう」
「授業……?」
今までのことを思い出しながら、考え込む。
「あ」
そうだ。
『書いたあとに違う言葉で打ち消すこともできます』
『魔法陣の中にまた小さい魔法陣を書いて複合させたりもします』
それを思い出して、慌てて顔を上げると、カレルはニッと歯を出して笑う。
だからわたしは、教師に向かって自分の回答を披露した。
「新たに魔法陣を内側に描いて、封印の効果を打ち消す……?」
「正解です、お嬢さま!」
出来の悪い生徒を励ますように、カレルは明るい声を上げた。
そうか。わたしは本当に、この結界を破ることができるかもしれないのだ。




