26. カレルの孤独
「ただ、屋敷のほうで寝起きしていると、腹立たしいことに使用人の皆は、本気でお嬢さまを怖がっているようでして、平気で側仕えをしている僕を遠巻きにしたり、あるいは金目当ての平民と蔑まれたりしました。だから、これは罠なんかではなく、本当に募集してたんだな、と確信しました」
「そんな扱いを受けたの?」
酷い。自分たちは仕事を途中で投げ出したのに。投げ出すのは仕方ないとしても、自分たちができなかったことをしてくれる後任を、蔑む立場ではないのではないか。
「ああ、お気になさらないでください。ほとんどの時間をこの塔で過ごしましたし、そのうち飽きたのか、なにも言われなくなりました」
「でも、卑劣だわ!」
憤慨してそう声を上げると、カレルは目を細めた。
「お嬢さまが怒ってくださるのなら、僕はそれで十分です。それに、情報収集としては、とても役に立ちました」
「それは、そうかもしれないけど」
本当に気にしていないふうに、彼は穏やかな顔で答える。
カレルは強いな、と思った。わたしだったらきっと、ベッドに潜って泣いている。
「とはいえ使用人たちは、あくまで下の者です。公爵夫妻や王族に直接会うことはないので、上の者がなにを考えているかまではわからない」
確かカレルは、公爵夫妻に会える立場にないと言っていた。ならば、カレルの周りの他の使用人たちも同じだろう。そちらからの情報も期待できない。
「公爵夫妻は偶然にお会いして……まあ……的外れなことを仰っていたので、危険性はないのかな、とは思いました」
いつか、カレルがわたしのために怒ってくれた。そのときに、夫妻はわたしに怯えているようだと言っていたのだった。
「では王家はどうか? だから、古代ファラクラレ語の本を頼んでみたんですよね。警戒しているのかどうか、確認したくて」
「それで……」
だから、自分の本を持ってくれば済む話を、わざわざ危険を冒してまで、頼んだのだ。
「本は支給されなかった。だから王家が警戒しているという可能性が残りました」
そしてカレルは、深く長いため息をついた。
「僕はともかく、ヤナにまで危険が及ぶのは看過できない」
彼は、身体の側面で拳をぎゅっと握る。
「もし危険を感じたら、ヤナは逃がします。勝手ですみません」
そう言って、彼はわたしに頭を下げた。
だからカレルは以前、ヤナだけ辞めるかもしれない、とわたしに前もって断っていたのだ。
「最初からヤナを連れてこなければよかったんですが……ヤナを巻き込むのはどうかと思ったし……でも、他の女性が来ても困るので」
そして彼は、パッと顔を上げると、わたしに向かって非難めいた声を上げた。
「というか、お嬢さまが全面的に僕にお世話されてくれれば、こんな苦労はしなくて済んだんですよ?」
その文句に、わたしは思わず眉を顰める。
「まさか……本気でわたしの入浴の世話までしようとしていたの……?」
「僕はいつでも本気です」
「そこは本気じゃ困るじゃない!」
反射的に声を上げると、彼はおかしそうに肩を震わせた。
冗談……なのか。いや彼のことだから、本気かもしれない。
そんなふうに話を聞いていると、頭の中が少しずつ整理されてきた。心のほうも落ち着いてきた気がする。
するとひとつの疑問が湧いてきた。
「どうして……今まで黙っていたの」
思いがけず、声に棘が含まれていた。
「どうして言ってくれなかったの」
カレルはわたしの詰問に、困ったように眉尻を下げる。
「黙っていたのは、最初は警戒していたからです。僕たちはお嬢さまと違って、命の危険がありますから」
「……最初は、そうだったかもしれないけど」
「そしてお嬢さまは、まるで魔法というものを信じていなかった。むしろ憎んでさえいたのではないですか。そこに弟子なんて話をしても、信じてもらえるとは思えなかった」
カレルの言う通りかもしれない。わたしは今でも、魔法というものの存在を認めてはいない。
けれど、もしもっと早く打ち明けてくれていたら、なにかできたのではないかと思ってしまう。
それから、わたしのことをもうちょっと信用してくれても、という責める気持ちもあった。
カレルは考え込むわたしに向かって、柔らかな声を掛ける。
「とはいえ接するうち、お嬢さまは僕の話を信じてくれるんじゃないかと思うようになりました」
「じゃあ」
「でも、そうこうしているうちに、あいつがやってきました」
「あいつって」
「……伯爵令息です」
吐き捨てるように、そう零す。まるで名前を口にすることも嫌だとでもいう表情だった。
どうしてそこでダニエルが出てくるのかわからなくて首を傾げると、カレルは教えてくれた。
「お嬢さまは、あいつのことを信用し始めていました。あいつは王家に直結しています。もし秘密を漏らされたらと思うと、言えなくなったんです」
そして、ぷいと目を逸らされる。
いやでも、信用度で言えば、カレルのほうがずっと上だ。そんなこと、わかっていると思っていたのに。
「わたし、そ、そんなにダニエルを信用していたように見えた?」
「お嬢さまの心の内までは、僕にはわかりません。でもそう見えました」
八つ当たりもしてましたし、とボソリと拗ねたように付け加える。
そこ、本当に大事なのか。
そのまま喋らせているとダニエルに対する不服が続きそうだったので、わたしは慌てて話題転換を試みる。
「えっと、そんなに弟子の子孫であることを隠したいのだったら、最初から魔法の話なんてしないほうがいいんじゃないの」
カレルがどう思ったのかは知らないけれど、とにかくわたしの話に乗ってきてくれた。
「そうも思うんですけどね。でも、完全に隠すと、却って疑われたりするものですよ。だから魔術が好きな変人、くらいがちょうどいい。うっかりなにかを漏らしたときに、変人だからで事が済みます。常日頃からそうしています」
「ずいぶん気を使っているのね、やりすぎなくらい」
「迫害の歴史があるので。『黒き魔女』の弟子なんて皆、追われて殺されていますよ。ここは、おとぎ話の通りです。僕たちの家系は、唯一の生き残りなんだと思います」
それから彼は、わたしを眩しそうに見つめた。
「お嬢さまにお会いしたときは、本当に嬉しかった。今まで自分が調べてきたことは間違いなく真実なのだと確信できたし、本当に『黒き魔女の魂のカケラ』と出会えたという喜びもありました」
それはまるで夢を見るような表情で、ふと涙が溢れてきそうになる。
わたしに会えて嬉しいと、思ってくれていたのか。
「お嬢さまは理不尽な扱いを受けておられて、それが許せなかった。だから、守ろうと。生涯を賭けて、お嬢さまを守ろうと。僕は、あのとき誓いました」
初めてカレルが、この塔にやってきたとき。あのときから。
ふいにカレルは自分の胸に手を当て、口元に弧を描いた。
「ああ……」
彼はそう安堵の声を漏らす。
「やっと、吐き出せた」
密やかに発されたその言葉が、本当に解放感に満ち溢れていて、胸が締め付けられる感覚がした。
ここまで彼は、一人でがんばり続けてきたのだ。
誰も自分を理解しない。
事情を知っている父親ですら、彼の言うことに半信半疑だ。
母親に至っては、魔法を毛嫌いしている。
守ろうとしている妹にも言えない。
そうか。
彼もずっと、孤独の中で、生きてきたのだ。




