23. 決意
翌日、わたしは張り切って、カレルに提案した。
「今日は、魔法陣をじっくり勉強したいわ」
「魔法陣、ですか」
いつもは渋々といった具合に始める魔法の勉強を、積極的に学ぼうとしたことで、カレルは戸惑うように身を引いた。
「ええ、火魔法を覚えようと思うの。火の属性は正三角形で表すのだったかしら? ヤナが、火魔法が使えると便利だって言っていたし、ピクニックをしたときも、火があればパンが美味しくなるって話をしたでしょう?」
「しましたが……」
「だから、火魔法がいいわ」
「……お嬢さま」
カレルのほうは逆に、魔法の授業について消極的になってしまっている。
「あの、お教えするのはもちろん構いませんが」
「じゃあ教えて」
「無理をなさって……いませんか?」
恐る恐るといったふうに、小さな声で訊いてくる。
明るく振る舞ったつもりだったのだが、却って痛々しくなったのかもしれない。
「無理はしていないわ」
「本当に?」
「ただ、ひとつ、お願いはあるの」
「なんでしょう」
「わたしを一人にしないで」
その発言に、カレルは固まってしまう。
魔法を学ぶことは、手段でしかない。
わたしが望むことは、それだけだ。
一晩、考えた。わたしが彼を繋ぎとめるには、これが一番だ。
「ごめんなさい、こんなことを言っても困るだけよね」
「お嬢さま」
「でももし、カレルがわたしの望むものをくれるなら、魔法が出現するまで付き合ってもいいわ」
あるはずのないものを、出現させるまで。すなわち、生涯を賭けて。
決意を込めてそう宣言したのだが、カレルはゆるゆると首を横に振った。
「いいえ、お嬢さま。苦しいのならやめましょう」
「苦しくなんて」
「苦しそうに見えます。僕はお嬢さまを苦しめてまで、魔法を発現させようとは思いません」
「でも」
食い下がるわたしに向かって、カレルは椅子に座るようにうながす。わたしが大人しく腰掛けると、彼は話し始めた。
「僕は、確かに『黒き魔女』の信奉者で、できればお嬢さまには魔法を発現してもらいたいと思っています」
「だったら」
「でも、お嬢さまの苦しみと引き換えにしてまですることではないとも思います。魔法なんてなくとも、お嬢さまが僕のことなんてもういらないと思うまで、付き従います」
「噓よ」
わたしの言葉には、鋭く尖った棘があった。
カレルは苦笑交じりに返してくる。
「まあ、今までの僕を見ていたなら、信じろとはとても言えませんね」
「ただの魔法好きの変人に見えたもの。今もそれが大部分よ」
その返答に、カレルは楽しそうに声を出して笑った。
「最初はもちろん、お嬢さまが『黒き魔女の魂のカケラ』をお持ちだと聞いたから、ここにやってきました。でも今は違うんです」
「本当に?」
わたしがじっとカレルの目を見つめてそう問うと、彼はうーん、と顎に手を当てて考え込んだ。
「正直なところ、そう改めて訊かれると……僕はお嬢さまに魔力を発現して欲しくてここにいるのか、いや最初はそうだったんですけど……でも今は魔力なんてなくてもお側にいたいとは思いますし、かといって、完全に魔法を諦めて欲しくはないという気持ちもあって……なんかちょっと……わからない……んですかね?」
「訊かれても」
「そうですよね」
そしてカレルは肩を落とした。どうやら彼も混乱の最中らしい。
そんな馬鹿な会話をしているうちに、空気が和らいでいく。わたしの肩の力が抜けていく。
不思議なもので、こうしていると、どうでもいいか、という気分になってきた。
「まあ、お嬢さまのお側で、のんびりと考えをまとめることにします」
「そう」
ならば、わたしから離れることはないのだろう。
この先、どうなっていくのかはわからないが、今はそれで十分だ、と感じた。
そのとき、玄関の扉が開いた。ヤナだ。屋敷から持ってきた籠に入った食事を左腕に掛け、右手に小さな白い箱を持っている。
「お嬢さま。チェンバレンさまがおいでになりました」
「ダニエル?」
昨日の今日で、なんだろう。やっと気持ちが落ち着いたところなのに会いたくない、という思いが湧きあがった。
「帰ってもらいましょう」
間髪を入れずにカレルが鋭く口を挟んでくる。わたしはそれに頷いた。
「そうね、今日は遠慮してもらいたいわ」
「もう帰りました」
「えっ」
思わぬ報告に、わたしたちは同時にヤナのほうを振り向く。
ヤナは淡々と説明した。
「さっき、塔の外で会ったんです。今はまだ、顔も見たくないかもしれないから、お詫びだけって」
そして右手に持っていた白い箱を、そっとテーブルの上に置いた。
「これ、お詫びの品なんだそうです。王都で評判の菓子店のものだそうで。これを私に渡して、すぐにお帰りになりました」
「受け取っちゃったの?」
「いけませんでしたか?」
まるで気にしていない様子で、ヤナは小さく首を傾げた。
「いけなくはないけど……。ええと、ほら、これと引き換えになにか要求されたら嫌じゃない」
「なるほど。では次回からは、お嬢さまに伺います。ただ今回は、押し付けられたような感じでしたので、お目こぼしいただけると」
「ええ、今回はもう仕方ないわね」
実際、このお菓子はどういうつもりで持ってきたものなんだろう。
まさか毒入り……なんてことはないだろう。わたしに危害は加えられない。
じゃあ素直にお詫びとして受け取ればいいのだろうか。
「でもねえ……受け取っていいのかしら」
頰杖をついてお菓子の入った箱を眺めていると、ヤナが勢い込んで言った。
「じゃあ、私が貰ってもいいですか。毒見します」
「全部食べるのは毒見とは言わないでしょ」
苦笑が漏れた。さすがは『お金のためなら、喜んでしっぽを振る女』と自分で言う人間だ。貰えるものは貰う主義かもしれない。
それに、さっきから箱から甘い香りが漂ってくる。確かにこれは、食べたくなっても仕方ないかも。
「では、お嬢さま。一緒に食べますか?」
「うーん……」
中を確認しようとそっと箱を開けてみれば、カットされたフルーツと、クリームがたくさん乗ったケーキがみっつ、入っていた。
これは三人で食べろということだろう。
「そうね、一緒に食べましょう」
「受け取るんですか?」
カレルが不服そうに尋ねてくる。
「まあ……悪気はなかったんでしょう。わたしも八つ当たりしちゃったし、お詫びというのなら受け取っても」
するとカレルは非難めいた声を上げた。
「八つ当たりしたんですかっ? 八つ当たりなら、僕にしてくださいって言ったのに!」
するとヤナは思いっきり眉を顰めた。
「うーわ……兄さん、さすがにそれは気持ち悪いです」
「辛辣ぅ」
そしてカレルはハハハ、とやけくそのように笑った。
わたしは思う。
言葉そのものに、なんの価値があるだろう。
大事なのは行動だ。行動の中にこそ、真実がある。
逃げ出さず、わたしの傍にいてくれて、一緒に笑い合ってくれる。それ以上に大切なことがあるだろうか。
秘密があったって、全部が噓だって、もう構わない。
わたしは二人とともに、生きていきたいのだ。




