間に合いました
僕は引きこもった。
前世と同じだ。
親、家。
それらの盾に身を隠して、自分は安全なところで震えている。
外の世界に立ち込める悪意から目を背けたくて、逃げる。
逃避する。
どうやら僕は前世となにも変わっていないようだ。
結局は外の世界に恐怖を覚えて引きこもる。
そんな無力な自分、臆病な自分、馬鹿な自分に腹が立った。
だが、腹が立ったところで、僕が勇気を振り絞ることはない。外に出ることはないんだ。
「レイ。ご飯ができたわよ」
自室のベッドにて横になっていると、扉からマリーナが入ってきた。
パンと野菜の入ったスープが乗った盆を用意してくれている。どうやら運んできてくれたようだ。
正直、動きたくないから助かった。
自室にこもって今日で三日目。
マリーナもディノールも、部屋から全く出ようとしない僕のことを心配している。
その姿を見ると、やはり罪悪感を感じてしまう。
しかし、部屋から一歩でも出ようとすると、路地裏の逃走劇が頭の中で勝手た再生されてしまうのだ。
その度に恐怖が先に来る。
こんなもの、どうすればいいというのだろうか。
「母様。ありがとうございます……」
「いいのよ。襲われたのはやっぱりショックよね。すぐにじゃなくていいから、少しずつ克服していきなさい」
マリーナは優しい笑顔でそう言ってくれた。
その笑顔に甘える形になるのは、やはりいささか気分がいいものではない。
でも、それでも甘えてしまう僕は弱いのだろうか。
……弱いんだろうな。
わかってる。
精神年齢はすでに二十六歳だ。
そんな大の大人が引きこもる。
なんとも情けない話だ。
それでも引きこもり体質というのは転生したからといって早々抜けるものではなかったようだ。
失敗したくない。したくないから、失敗しないようにそもそも動かなければいいだけの話。
別にこれから先ずっと出ないってわけじゃあない。
事件が解決するまで危ない橋を渡らないように努めているだけのこと。
そうだよ。
別に、これは逃げじゃない……。
逃げじゃないんだ。
その心境を察したわけではないだろうが、マリーナが静かに僕の部屋を退室していった。
完全な一人。
いや、独り。
僕だけの空間の中で、出されたパンをスープに浸し、それを咀嚼する。
この世界の食べ物は前世よりも美味しくはない。
今食べているパンもパサパサしており、スープに浸さなければとてもではないが食べにくい。
スープの味付けも薄く、塩を振りまいた程度だ。
といっても、これは一般的民家の昼食というわけではない。
肉もあれば魚もある。
高い飲食店に行けば豪華な食事も取れるし、少し豪勢に振る舞えば普通に美味しい料理もできる。
しかし、今日はいつもよりも質素な昼食だ。
なぜか。
僕が頼んだからだ。
一般的といっても、僕の家は裕福だ。
ディノールの魔道技師としての腕はかなり高いらしく、仕事が次から次へと入ってくるからだ。
しかし僕は今、食べ物が喉を通らない。
食欲がないのだ。
「………………」
今の僕は死んだ魚のような目をしているのだろうか。
ここは安全な筈。
なにも恐れるものなんてない。
なのに僕の気持ちは一向に晴れない。
なぜだろう。
ふと、ある言葉が思い出される。
また明日、という言葉だ。
……そういえば。
アイラーゼは大丈夫なのだろうか。
殺人鬼が殺したのは二人。
どちらも十もいかない子供だ。
"人斬り"はどうやら子供を好んで惨殺する趣味があるようだ。
とても悪趣味だと思う。
そして、それを踏まえると。
アイラーゼは僕と同じ六歳であることから、狙われる可能性は十分にあるといえる。
「……」
僕が襲われてから、あれから三日だ。
アイラーゼとのまた明日会おうという約束は守れなかったな。
そのことが少し、胸に刺さる。
もしも、もしもだ。
彼女が狙われることになったら。
いや、よそう。
そんな可能性があるかどうかと聞かれれば、低いといえる。
もしも襲われても、アイラーゼなら逃げ切れるだろう。
……果たして逃げるか?
あのアイラーゼだぞ。
逃げるよりも果敢に戦いを挑む方が容易に想像できる。
そして、ナイフを持った殺人鬼に、殺される。
ぶるっと、震えた。
彼女のことだ。
空き地、空き地にいる。
そこで僕を待っている。ずっと。
なにせ一週間も僕を待っていたような奴だ。
僕がいかなければ、彼女はあそこに通うのではないだろうか。
不安になってきた。
「少し、少しだけ、覗いてみるか……」
震える足が動く。
三日間、びくりとも動かなかった足が。
アイラーゼが心配だから?
僕との約束のために危険な目に合う彼女への後ろめたさから?
わからない。
わからないけど、足が動く。
思えば昔はこんなことにはならなかった。
前世の僕はこんな風に外に出るために足を動かすことはなかった。
それが、今はなぜ……。
「――――――」
「――――――」
ふと、扉の外から音が漏れてきた。
この声は多分、ディノールとマリーナだ。
その二人が何かを話している。
一体、なんの話だろう。
気になったので扉を少しだけ開けてみると、漏れる程度の声が鮮明に聞こえだした。
「また一人、犠牲者が増えたらしいな。昨日、死体が見つかったらしい」
「これで三人目ね。その殺されたのって……」
「ああ。また子供らしい」
ディノールとマリーナの会話。
その内容に体が震える。
どうやら、三人目の犠牲者が出たようだ。
一体誰が犠牲になったんだ……?
まさか、まさか――。
「――今度の犠牲者は、女の子らしい」
僕はその言葉を聞いた瞬間、一目散に家を飛び出した。
★
時は少々遡る。
赤い髪の毛を携えながら、アイラーゼは今日も空き地にて彼を待つ。
彼とは、レイバース・アルノード。
アイラーゼの唯一の友達とも言える少年のことだ。
アイラーゼ・フォンは元は貴族であった。
身分はそこそこ位の高い中流貴族。
父も母も一人娘のアイラーゼに愛情を注いでいた。
しかし彼女が五歳の頃、両親に不幸な事件が訪れる。
殺されたのだ。
両親二人ともが。
犯人は結局わからなかった。
部屋で死体となって転がる父と母の姿。
しかし当時五歳だったアイラーゼはその二人の変わり果てた姿を見ても、何が起こったのかがわからなかった。
ただ、ただ泣くしかなかった。
両親が死んでしまったことによって身寄りの無くなったアイラーゼ。どうやら貴族の間で陰謀めいた話が広がっており、彼女は狙われることとなった。
街を転々としていく日々の中で、しかしアイラーゼは教わっていた武術により、身を守る術は心得ていた。
それは幼いながらに自分の身を守らなければならないと悟ったからだ。
また、弱ければ淘汰されてしまう。そのような常識をアイラーゼは己の内に持つようになった。
アイラーゼは街を移動する度にその街の子供達に目をつけられた。
あまりに幼いこと、それなのに彼女がその他の子供達を完封できるほどの強さを持っていたこと、そして彼女が貴族の瞳を所持していたことによって平民からの恨みを買ったこと。
それらが起因して、アイラーゼは対立と喧嘩を繰り返した。
アイラーゼが武術の天才であったことは不幸中の幸いだろう。
ゴーラルム式体術とヴェルムズ式銃術を習得しているアイラーゼはそんじょそこらの子供では束になっても太刀打ちできないほど強かった。
しかし、その強さは逆に他人が離れていく原因にもなってしまった。
彼女は一人だった。
同年代に同じ土俵に立てる者はおらず、また大人にも勝るとも劣らない実力を所持している。
彼女が孤立するのは必然だったと言える。
どこか寂しさを胸に抱えつつ、アイラーゼは次の目的地へと行く。
訪れたのは現在まで留まっているシルーグ都市。
また新たな生活が幕を開けるのだと、少しの期待を抱いた。
結果は、それまでと変わらなかった。
結局この都市でも他の子供とは対立してしまった。
毎日が喧嘩の日々。
日を重ねることによって、同時に相手にする人数も増えていく。
それでもアイラーゼは負けなかった。負けなしだった。
もはや同年代に自分と同じ土俵に立てる人はいない。
自分はどこにいっても孤立するのだ。
アイラーゼはこの時、半ば諦めかけた。
それから約三ヶ月。
アイラーゼは一人の少年と出会うこととなった。
レイバース・アルノード。
自分と同じ六歳の少年である。
きっかけはアイラーゼが自分を狙う少年一団の一人と勘違いして挑みかかったことだ。
いつものように突撃して一撃昏倒。
なにも難しいことはなかった。その筈だった。
自分の一撃が回避された時、一瞬何が起きたかわからなかった。
今まで自分の一撃を避けられるのはフォーゼしかいなかった。
それが、自分と同じ、同年代の子供に避けられた。
アイラーゼはムキになってさらにレイバースに襲いかかったが、どれも躱される始末。
アイラーゼは奥の手でもある魔導銃も使った。
父に危険な時でしか使用するなと言われた魔導銃だ。
それを使った上で――負けた。
レイバースは魔導演算機を携えていたのだ。
その腕は一介の魔術師とは言えなかったが、子供であることを考えれば違和感を感じるほどのものだ。
アイラーゼは完敗した。
意識を失ったアイラーゼが目を覚ましたのは、見知らぬ空き地であった。
何本か傷付いた木があるだけの殺風景な場所。
アイラーゼはここが先ほど戦った少年の居場所だと、直感で感じ取った。
ここで待っていれば、少年とまた会えるかもしれない。そんな予感があった。
なぜ会いたいのか、それはこの時点ではハッキリとはわからなかったが。
次に会えたのは一週間後だった。
「やぁっと見つけたわよ」
本当にやっとである。
一週間もここに訪れなかったから、諦めかけていた時だった。
しかしこうして見つけることができた。
万事上手くいったとアイラーゼは内心で喜んだ。
少年は不満そうな表情をしているが、気にしない。
再戦。その二文字がアイラーゼの頭の中を占めていたのだから。
結果は敗北。
一週間前よりも断然強くなった少年に完封された。
そういえば腕に付けている魔導演算機が新しくなっているような気がする。
これが少年の真の力なのかと驚き、そして自分よりも強い存在に体が震えた。
自分は独りじゃないのかもしれないという歓喜の震えだった。
そして次の日も挑んだ。
結果はまたもやボロ負けだった。
これだけ強ければ、もしかすると……。
そんな期待を胸にアイラーゼは彼を仲間に誘う。
しかし勇気を振り絞って紡いだ言葉に返ってきたのは拒絶の言葉だった。
アイラーゼはここで動揺する。
せっかく見つけた、分かり合えると思える同年代の少年。
その少年との繋がりが消えかかっているのだから。
アイラーゼは決死の覚悟でまたもや再戦を願い出た。
今度は条件付きだ。
自分が勝てば毎日相手をしろ。
そんな内容の条件だ。
少年は了承した。
最初こそ渋っていたが、了承してくれた。
アイラーゼは嬉しさと同時に覚悟を決める。
今まで負け続けてきたが、今回ばかりは何としてでも勝たなければ。そう意気込んだ。
そして勝った。
初勝利だった。
自分でも何が起きたのかわからない。
気付いたら勝っていた。
そんなものでいいのかと拍子抜けるほどだ。
実際、少年は手加減してわざと負けていた。
しかしこの時のアイラーゼは嬉しさで胸がいっぱいであり、気づかなかった。
これが本当の意味でレイバースとの出会いだと言える場面だったのかもしれない。
それからは毎日が楽しかった。
レイバースはアイラーゼと同じくゴーラルム式体術を習得していた。
武術に関してはアイラーゼの方が強い。しかし、同じ土俵には立っていた。
ゴーラルム式体術は五級体技である『速撃』を手にすることができれば習得したことになる。
それを習得するのに必要な時間は通常なら約三年ほど。
アイラーゼは天才であったために半年で習得できたが、通常六歳の子供が習得できる筈もない。
それをレイバースもまた習得していた。
さらに彼は魔術も使えた。
魔術を使えるレイバースは、間合いを詰めた場合ならともかく的確な間合いを取られた場合は手も足も出ない強さだった。
聞けば三級魔術までは習得できたとのこと。
それはつまり、彼が三級魔術師であることの証明である。
昔、アイラーゼの父親から聞いた限りでは三級魔術師とは一人前の魔術師であるとのこと。
レイバースは一人前の魔術師ということだ。
一人前の魔術師に的確な間合いで勝負を挑み続けるアイラーゼ。
強いとはいえ、まだ子供のアイラーゼがどの模擬戦でも勝てるわけがなかった。
自分よりも強い同年代の少年。
その存在がアイラーゼの中でどんどんと大きくなってきた。
そんな時である。
一つの事件がシルーグ都市を騒がせることになったのは。
謎の子供惨殺事件。
シルーグで一人の子供の死体が見つかったのだ。
その殺され方があまりにも残虐なものであったために、シルーグ都市内で警戒するように呼びかけられた。
正直、この話を最初に聞いた時は他人事だった。
アイラーゼも、レイバースもそこまで気にしてなかったのだ。
そこで起きた二度目の事件。
子供の死体がまた一つ見つかった。
しかしアイラーゼにとってはそれはあまり重要なことではなかった。
アイラーゼにとって重要なのは、レイバースが襲われたという点だった。
レイバースは強い。
残虐な殺人鬼からも逃げ出すことができるほどには。
だがそれ以降、レイバースは家から外には出なくなった。
殺人鬼の影に怯えた、ということだ。
アイラーゼはまた一人になった。
空き地に待てどもレイバースは帰ってこない。
殺人鬼に殺されかけたからだ。
そこでアイラーゼは考えた。
どうすればレイバースがまたいつものように空き地に来れるようになるのかと。
そこで一つの考えが浮かんだ。
「殺人鬼を倒せば、レイは帰ってくるんじゃないかしら……」
そう。
殺人鬼が怖いのならば、その殺人鬼がいなくなればいいのだ。
自分が殺人鬼を倒せば、レイバースは帰ってくる。
思いたったら行動はすぐだった。
アイラーゼは殺人鬼を探し始めたのだ。
行動を開始したのはレイバースが屋敷にこもってから二日後。
そして三日に差し掛かった現在――アイラーゼは一人の人物と路地裏で相対することになる。
その人物は全身を黒いローブで覆っていた。
足取りはふらつくような千鳥足。
その右手には、真っ赤に染まったナイフが握られている。
殺人鬼。
アイラーゼは一発でそれがわかった。
「……あなたが最近暴れまわってる殺人鬼?」
「あぁ?」
黒ローブはアイラーゼの問いに、視線を向ける。
すると。
「――赤色の髪に、碧眼。やぁっと見つけたぜぇ?」
不快な、不快な笑みを見せた。
「……っ!」
立ち振る舞い。
漂う雰囲気。
そのどれもが、彼が只者ではないことを知らしめる。
「名前は知らねぇが、元貴族の嬢ちゃんを殺してくれって話があってなぁ? 悪いが、死んでもらうぜ?」
殺気が周囲に漂う。
アイラーゼは内心で殺人鬼に舌打ちした。
「……ヒヒャ!」
アイラーゼが鋭い視線を飛ばした瞬間、突如いきなり黒ローブが襲いかかってくる。
あまりに突然の動き。
アイラーゼはそれに驚きつつ、腰のホルダーから魔導銃を手に取る。
「襲いかかってくるなら、容赦はしないわ!」
言いつつ、魔導銃の引き金を引く。
銃口からは魔力が集められた弾、魔力弾が飛び出た。
その弾丸が真っ直ぐと黒ローブに飛んでいく。
「甘ぇよ! クハッ!」
「なっ!?」
黒ローブは右手に持ったナイフを振るうことによって魔力弾を弾いた。
それを見たアイラーゼは少しの驚愕を顔に浮かばせる。
しかしこの程度では怯まない。
後ろにステップしながら再度引き金を放つ。
それを黒ローブは右に左にと動きつつ回避してみせた。
俊敏なその動きにアイラーゼは目を見張った。
しかしまだ焦りはない。
なぜなら切り札があるからだ。
「『回転弾』!」
ここは狭い路地裏だ。
アイラーゼと黒ローブの距離は極僅かにまで縮まった。
避けることはできない筈。
案の定、『回転弾』は黒ローブの肩を貫いた。
込めた魔力は過去にない最高のもの。
よって威力も今まで撃った『回転弾』のどれよりも高かった。
よって黒ローブの肩を貫通するまでにいった。
ここまではアイラーゼの想定通りだ。
「ギャァッ! テメェ!」
しかし、黒ローブが怯まずにアイラーゼにそのまま突進してきたのは想定外だった。
流石のアイラーゼも驚愕する。
「嘘……っ!?」
アイラーゼと黒ローブの距離はほぼゼロ距離になる。
ナイフが彼女に向かい、振り下ろされた。
それを何とか躱し、今度こそと銃を左手に持ち替えて右手を引く。
それはまるで力を溜め込むような動作だった。
アイラーゼのもう一つの切り札、『速撃』である。
「はあッ!」
直撃。
アイラーゼの『速撃』は黒ローブの腹部に見事に入った。
入った、が。
黒ローブは止まらなかった。
仰け反りこそしたが、その顔に張り付いているのは気持ちの悪い笑みであった。
「刻んでやるぜぇ!!」
ナイフが再度振り下ろされた。
今度は技を打ち込んだ直後なので、体勢を崩したアイラーゼは避けることはできない。
死がそのまま近づいてきた。
「――あ」
アイラーゼはそれをただ見つめることしかできない。
その間の一秒が、何十倍もゆっくりと感じられる。
そしてアイラーゼの頭に浮かんでくるのはこれまで起きた様々な情景。
走馬灯だった。
(……死ぬ)
アイラーゼにはそれがわかった。
わかってはいたが、何も対処はできないでいた。
近づいてくる死を受け入れる他になかった。
走馬灯がどんどんと浮かんでくる。
それに伴ってナイフもまた距離を縮めてくる。
そしてほぼ鼻先まで近づいて来た時に頭の中で思い浮かんだのは――レイバースとの記憶だった。
純粋に楽しいと感じられた、最後の記憶。
それを思い出しながら、目の前のナイフが近づいてきて――。
――殺人鬼が突然、吹き飛んだ。
「グハッ……ッ!?」
「……え?」
叫び声を上げながら後ろへと吹き飛ぶ黒ローブ。
その光景を見ながら、アイラーゼは唖然としていた。
背後に人の気配を感じた。
アイラーゼは慌てて後ろを振り返る。
その先には一人の少年が立っていた。
レイバースだった。
「……僕の友達に手を出すってんなら、容赦はしないぞ?」
黒髪を靡かせながら、黒い双眼が起き上がる黒ローブの殺人鬼を見据えていた。




