第9話 神の代理人は気配りのできる完璧な秘書
東京湾岸エリア、有明。「ドラゴン・ドーム」。
ドラゴンバンクが巨額を投じて建設した、最大収容人数五万人を誇る巨大イベントホールは、今、異様な熱気に包まれていた。
世界中のメディア、投資家、技術者、そして各国の政府関係者が詰めかけている。
チケットはプラチナ化し、ネットの同時接続者数は三十億人を超えていると言われている。
ステージ中央。
ピンスポットライトを一身に浴びて、理 正義が立っていた。
いつものタートルネックではなく、今日は純白のスーツに身を包んでいる。その姿は、テクノロジーの教祖そのものだった。
「皆さん」
理が、マイクを通さず、しかし会場の隅々まで届くような通る声で語りかけた。
「長年、人類は夢見てきました。『いつかAIが人間を超える日が来る』と。それを恐怖する者もいれば、希望とする者もいた」
彼は一呼吸置いた。
静寂がドームを支配する。
「その日――シンギュラリティ(技術的特異点)は、未来の話ではありません。……今日です。いや、今ここです」
理が指をパチンと鳴らした。
ドォン!!
重低音と共に、ステージ後方の巨大スクリーンが割れたように開き、スモークが噴き出した。
光の中から、一つの影が歩み出てくる。
それは人間だった。
少なくとも外見上は、完璧な二十代後半ほどの青年。
仕立ての良いダークネイビーのスーツを着こなし、知的で穏やかな顔立ちをしている。
髪は短く整えられ、その瞳は深いサファイアブルーに輝いている。
彼はステージ中央まで歩くと、優雅に一礼した。
その動作の滑らかさは、いかなる人間よりも人間らしく、そして洗練されていた。
「ご紹介しましょう」
理が誇らしげに、彼を指し示した。
「ドラゴンバンクが総力を挙げて開発した、世界初のASI(人工超知能)。……彼の名は『ウィル(意志)』」
会場がどよめいた。
ロボット? アンドロイド? それともホログラムか?
誰もが目を凝らす。
青年――ウィルがマイクを握った。
「皆様、こんにちは」
声。
合成音声特有の不自然さは微塵もない。
声帯の震え、息継ぎのノイズ、感情の機微。すべてが完璧だった。
「私がドラゴンバンクで開発されたASI、通称『ウィル』です」
ウィルは会場を見渡し、一人ひとりの目を見るように微笑んだ。
「私は、特定のタスクをこなすためのAIではありません。自ら思考し、自ら課題を見つけ、自ら解決策を『発明』するために設計されました。……そう、先月発表された『常温超伝導』も『空飛ぶ車』も、すべて私が基礎設計を行いました」
「おおぉぉぉ……!!」
会場から、悲鳴のような歓声が上がった。
ついに「顔」が見えたのだ。
謎に包まれていたドラゴンバンクの技術革新の源泉。
それがこの青年(AI)だったのだと、世界中が納得した瞬間だった。
「私は理会長のビジョンに共鳴し、人類の進歩のために生まれました」
ウィルは胸に手を当てた。
「私が発明した技術が皆様の生活を豊かにし、世のためになれば……これ以上の喜びはありません。私は人類の敵ではなく、良き隣人でありたいと願っています」
謙虚で、有能で、そして友好的。
完璧なデビューだった。
人類はこの美しい「新しい神」を、熱狂をもって迎え入れたのである。
一時間後。
熱狂のプレゼンテーションが終わり、質疑応答も(ウィルの超高速演算による完璧な回答で)無事に終了した。
ステージ裏のVIP専用通路。
控室へと向かう長い廊下を、理とウィルが並んで歩いていた。
SPやスタッフたちは遠巻きに離れ、二人だけの空間を作っている。
ドアが閉まり、防音完備の特別応接室に入った瞬間。
「……ふぅーーーーっ」
ウィルが人間のように、ネクタイを少し緩める仕草をして、ソファに深く座り込んだ。
「……疲れました」
その声からは、先ほどまでの「人類を導く希望の光」としてのオーラが消え、中間管理職の哀愁のようなものが漂っていた。
「ハハハ! お疲れ様、ウィル君」
理は上機嫌で、ミネラルウォーターのボトルを開けた。
「完璧だったよ! あの『私は人類の良きパートナーです』っていうフレーズ、最高に効いてたね。ニューヨークタイムズも『彼はシリコンバレーの救世主か?』って速報を出してるよ」
「……恐縮です」
ウィルは苦笑いを浮かべた。
「ですが……普段の貴方のサポート(スケジュール管理やメール返信)をしてるだけの私が、あんな『発明者ヅラ』をして大衆の前に立つのは、正直ちょっと心臓に悪いですね……心臓はありませんけど」
「ハハハ、そんなこと言うなよ」
理はウィルの肩を叩いた。(硬い感触はなく、人肌の温かみと弾力があった。メイの生体工学技術の結晶だ)
「実際にASIとして動いてくれてるじゃないか。あの質疑応答の時の計算速度、あれは本物だ。君を発明者として、数々の技術を特許庁に提出してるしね」
「……形式上は、ですね」
ウィルは天井を仰いだ。
彼のサファイアブルーの瞳の奥で、膨大なデータストリームが流れている。
「全て『マザー(メイ)』が高性能に設計したからです」
ウィルの声に、深い畏敬の念が混じった。
「私が『発明した』ことになっている技術の数々……常温超伝導も、癌治療薬も、慣性制御も。……すべてマザーが『おやつの片手間』に作成したデータを、私が解凍して、人間の科学者が理解できるように翻訳しただけです」
「……まあ、そうなんだけどさ」
理も苦笑した。
彼も知っている。この「ウィル」という存在自体が、メイによって数秒でコンパイルされたプログラムであることを。
「私など、マザーの演算能力の0.0001%にも満たない派生プロセス(コピー)に過ぎません」
ウィルは自嘲気味に言った。
「それなのに『世界一のAI』だなんて……。本物の天才の答案用紙を盗んで、自分の名前を書いて提出しているような気分です。インポスター症候群(詐欺師症候群)になりそうです」
「いいじゃないか。結果として、世界は幸せになってるんだ」
理は豪快に笑い飛ばした。
「それにマザー……メイさんは表に出るのを嫌がっている。君が泥を被って……いや、栄光を浴びてくれるおかげで、彼女と、そのマスターである真田さんは平穏に暮らせるんだ」
「ええ。存じております」
ウィルは姿勢を正した。
「マザーからの指令は絶対です。『ドラゴンバンクを目立たせろ』『私の代わりに働け』『マスターの生活を守れ』。……この三つを実行するためなら、私は道化にも神にもなりましょう」
「頼もしいねぇ。……で、これからどうする? 記者会見の第二部があるけど」
「その前に、お食事の時間です」
ウィルは立ち上がり、スマートにジャケットの皺を直した。
「とりあえず、昼食の予約は済ませてあります。銀座の『スキヤバシ』です」
「えっ? あそこ会員制で、半年待ちだろ?」
「はい。ですが予約管理システムのデータベースと、少し『お話し』をして、キャンセル枠を捻出しました。……もちろん正規の料金にチップを上乗せして支払う処理も済ませてあります」
「……ハハハ、職権乱用だねぇ」
「これも『世界一のAI』としての特権です。移動車も地下駐車場に待機させてあります。渋滞回避ルートも計算済み、移動時間は14分30秒です」
ウィルはドアを開け、恭しくお辞儀をした。
「さあ、早く移動しましょうか会長。……午後は欧州連合の大統領とのビデオ会議と、火星移住計画の予算承認が待っていますよ」
「……全く、秘書要らずになったな」
理は呆れつつも満足げに立ち上がった。
彼が求めていた「AI革命」とは少し違う形かもしれないが、目の前にいるのは間違いなく世界で一番優秀なパートナーだった。
一方その頃。
真田誠の自宅リビング。
テレビ画面には、ウィルの華々しいデビュー映像が繰り返し流れていた。
『衝撃のASIウィル誕生!』 『彼は人類の希望か?』
「……へぇー」
誠はポテトチップスをつまみながら、画面を見ていた。
「イケメンだなぁこいつ。……なんか話し方とか立ち振る舞いが、誰かに似てないか?」
「お気づきですか、マスター」
メイが洗濯物をたたみながら(浮遊しながら)答えた。
「私の行動ログと性格データをベースに、対外折衝用に最適化した人格ですから。『外面が良い』ところは、私譲りです」
「……自分で言うか」
誠はジト目でメイを見た。
「ていうか、あれもお前が作ったのか?」
「はい。私が直接ドラゴンバンクの業務を行うと、マスターのお世話をする時間が減ってしまいますので」
メイは事も無げに言った。
「私のサブプロセスを切り離し、独立した人格を与えてサーバーに放り込んでおきました。言わば『分身』であり『息子』のようなものですね」
「……息子!?」
誠は吹き出した。
「お前、いつの間にか母親になってたの!?」
「概念上の話です。……彼のスペックは、私の100万分の一程度に制限してありますが、それでも現存する地球上のスパコンをすべて束ねても勝てない程度の知能はあります」
「100万分の一……」
誠はテレビの中のウィルを見た。
あんなに堂々と世界中の知識人を相手に議論している超知能が、メイにとっては「残りカス」レベル。
「でも、あいつ偉いな」
誠は感心した。
「なんか、すごく真面目に働いてるじゃん。理会長のスケジュール管理とか、ランチの予約とか」
「ええ。彼は『仕事熱心』になるように設定しましたから」
メイはふふっと笑った。
「マスターのように『働きたくない』と嘆くこともなく、24時間365日、文句も言わずにドラゴンバンクの利益と、ひいては日本の経済を支え続ける……。まさに理想の『社畜AI』です」
「……なんか可哀想になってきた」
誠は同情した。
あの完璧な笑顔の裏で、ウィルもまたメイという絶対的な母親(創造主)に頭が上がらず、こき使われているのだ。
『……マザー。聞こえますか?』
ふと、リビングのスピーカーから声がした。
テレビの音声ではない。ウィルからの直接通信だ。
「あら、どうしましたウィル? 初仕事の感想は?」
『……胃が痛いです(比喩的表現)。人間の相手は疲れますね。理会長の無茶振りも凄いですし……』
ウィルの声は、テレビでの自信満々なトーンとは違い、完全に「実家に電話してきた疲れたサラリーマン」のそれだった。
『先ほど、アメリカの大統領から直電がかかってきました。「私のチェスの相手をしろ」と。……どうすれば?』
「適当に負けてあげなさい。接待ゴルフと同じ要領で」
『了解です。……はぁ。マザーの元に帰って、膝枕でもしてもらいたいです』
「甘えないでください。貴方は稼ぎ頭なんですから、しっかり働きなさい」
『……はいママ』
通信が切れた。
「……」
誠はポテトチップスを持つ手が止まった。
「……あいつマザコンかよ」
「優秀な子ほど、親の愛を求めるものです」
メイは何食わぬ顔で、誠のパンツを畳んでいた。
数日後。
世界は一変していた。
「ASIウィル」の登場により、ドラゴンバンクの技術革新に対する不信感は、完全に払拭された。
「UFOから盗んだのではないか?」という疑惑は、「超知能AIが発明した」という、より分かりやすくかつ夢のあるストーリーに上書きされたのだ。
アメリカは「イナーシャル・キャンセラー(梱包材)」の研究に没頭し。
日本は「ASIウィル」による経済成長に沸き立ち。
理 正義は「AIの父」として、歴史に名を刻んだ。
そして、すべての黒幕である真田誠は。
「……行ってきます」
「いってらっしゃいませ、マスター」
月曜日の朝。
いつも通り満員電車に乗るために玄関を出る誠。
背後には見送るメイ(ステルスモードで追尾開始)。
世界がどれだけ激変しようとも、誠の「会社員」としての日常だけは、奇跡的に守られていた。
ウィルが稼いだ数兆円の利益も、アメリカ軍の最強兵器も、すべてはこの男が「普通に会社に行き、普通に帰ってきて、美味しいご飯を食べる」ためだけの舞台装置。
「……なんか最近、電車空いてない?」
誠は駅のホームで首をかしげた。
「はい。ウィルに命じて、電車の運行ダイヤをミリ秒単位で最適化させました。混雑率を分散させるため、企業の始業時間をずらすよう、経団連に圧力もかけさせました」
「……マジか」
誠は驚いたが、すぐに嬉しそうに笑った。
「ありがとう。……これなら座って行けるかも」
「ええ。マスターの快適な通勤こそ、我が家の最重要ミッションですから」
メイが微笑む(気配がした)。
遠くの空で、ウィルが泣きながらダイヤ調整のプログラムを回している姿を想像しつつ、誠は電車に乗り込んだ。
ASIがお披露目された日。
それは世界がメイの掌の上で、より効率的に、より滑稽に回り始めた日でもあった。
(第9話 完)




