第16話 星の海からのノックは「0」と「1」で
アメリカ、ニューメキシコ州ソコロ。
VLA(カール・ジャンスキー超大型干渉電波望遠鏡群)。
広大な砂漠地帯に、巨大なパラボラアンテナが27基、Y字型に配列されている。
それらは静かに、しかし貪欲に、天頂の星々を見上げていた。
管制室の空気は冷たく、そして澱んでいた。
深夜二時。
当直の研究員、エリー・アロウェイ(仮名ではなく、映画ファンの両親に名付けられた本名)博士は、冷めたコーヒーをすすりながら、退屈なモニターの羅列を眺めていた。
「……異常なし、異常なし、また異常なし」
彼女はあくびを噛み殺した。
SETI(地球外知的生命体探査)プロジェクトは、世間からは「税金の無駄遣い」と揶揄され、予算は削られる一方だ。
最近の話題といえば、日本のドラゴンバンクが発表する新技術や、国防総省が極秘開発しているという「反重力戦闘機」の噂ばかり。
空を見上げるロマンなど、時代遅れなのかもしれない。
「……はぁ。転職しようかな」
彼女はヘッドフォンを耳に当て直した。
聞こえてくるのは、宇宙背景放射のヒスノイズだけ。
シャー……シャー……という、宇宙のさざ波の音。
その時だった。
ザッ……ザザッ……
ピ……ピピ……
「ん?」
エリーは眉をひそめた。
ノイズの中に、異質な音が混じった気がした。
軍事衛星の干渉か? あるいは近くをトラックが通ったか?
彼女はキーボードを叩き、周波数を微調整した。
アンテナの指向性を、ノイズの発生源へと絞り込む。
座標は……南天。ケンタウリ座の方角。
ピピッ……ピピッ……ピピッ……
「……規則的?」
エリーの背筋がぞくりとした。
自然界の電波は、パルサーのような天体であっても、ここまで「デジタル的」なリズムは刻まない。
これはパルスではない。信号だ。
「まさか……」
彼女はボリュームを上げた。
スピーカーへと出力を切り替える。
ドゥン……ドゥン……ドゥン……ドゥン……
重低音のビートが、管制室に響き渡った。
それはあまりにも力強く、あまりにもクリアだった。
ノイズがない。
S/N比(信号対雑音比)が異常に高い。
まるで誰かが、隣の部屋から送信機を使っているかのような鮮明さ。
「うそ……嘘でしょ……」
エリーは震える手で、解析ソフトを起動した。
波形が表示される。
美しい、完璧な矩形波。
オンとオフ。
0と1。
「……『Wow!シグナル』なんて目じゃない」
彼女は呟いた。
1977年に観測された伝説の信号は、わずか72秒の「叫び」だった。
だがこれは違う。
終わらない。
途切れない。
明確な意思を持って、地球に向けて放たれた「放送」だ。
「起きろ! 全員起きろぉぉぉ!!」
エリーの絶叫が、静寂を引き裂いた。
「『イベント』発生! レベル1じゃない、レベル5だ! 本物だ! 宇宙人が話しかけてきてるぞ!!」
その後の数時間は、人類史に残る狂騒となった。
VLAからの緊急連絡を受け、世界中の電波望遠鏡が一斉にその座標――プロキシマ・ケンタウリへと向けられた。
オーストラリアのパークス天文台。
日本の野辺山宇宙電波観測所。
中国のFAST(500メートル球面電波望遠鏡)。
チリのアルマ望遠鏡。
全ての「地球の耳」が、その声を捉えた。
疑いようがなかった。
間違いようがなかった。
「データ受信中! 信号強度極めて安定! ドップラーシフト補正済み……つまり発信源は『地球の自転と公転に合わせて』周波数を調整している!」
「間違いありません! これは自然現象ではない! 知的生命体が、我々に見つけてもらうために送ってきた『ノック』です!」
科学者たちは抱き合い、泣き崩れ、シャンパンを開け、そしてまたモニターに張り付いた。
世界中の天文台がホットラインで繋がり、歓喜の悲鳴が飛び交う。
「解読班どうだ!?」
「単純です! 極めて単純なバイナリ(二進法)です!」
モニターに受信データが可視化されていく。
010101010101……
最初は単純なオン・オフの繰り返し。
それはあたかも、マイクのテストをしているかのようだった。
『あーあー聞こえますか? こちらは知的生命体です』と言わんばかりの、人工的なリズム。
「……美しい」
誰かが呟いた。
素数でもない、円周率でもない。
もっと根源的なデジタルデータの基礎。
「我々は0と1を知っている。貴方たちも知っているか?」という、宇宙共通の握手。
そして、その単純なリズムの後、データは複雑な配列へと変化し始めた。
「画像データ……いや、もっと膨大な情報量だ! テキストか? 設計図か!?」
「ダウンロードしろ! 一ビットたりとも取りこぼすな!」
夜明けと共に、このニュースは全世界を駆け巡った。
CNN、BBC、NHK、アルジャジーラ。
すべてのチャンネルが臨時ニュースを流した。
『人類は孤独ではありませんでした』
タイムズスクエアの巨大スクリーンに、解析された波形が表示される。
人々は足を止め、空を見上げた。
そこにあるのはいつもの青空だったが、今やその向こうには確実に「誰か」がいるのだ。
ワシントンD.C.、ホワイトハウス。
地下危機管理室。
そこには、重苦しい緊張と、それを上回る興奮が渦巻いていた。
「……報告しろ」
クレイマン大統領が、上気した顔でテーブルを叩いた。
「これは本物か? ドラゴンバンクの新作発表会とか、中国の悪ふざけではないのだな?」
「100%本物です、大統領」
NASA長官、そして首席科学顧問のスタインバーグ博士(梱包材でノーベル賞を取った男)が断言した。
博士の目は血走っているが、その表情はエクスタシーに達している。
「発信源はプロキシマ・ケンタウリ。距離は4.2光年。……我々のお隣さんです」
「お隣さんか……。随分と賑やかな挨拶だな」
大統領は、モニターに映し出された解析画面を見た。
『010101...』という文字列が、滝のように流れている。
「博士。……この『01』の羅列は何を意味している?」
「明白です、閣下」
スタインバーグ博士は、熱っぽく語り出した。
「これは『ビーコン(標識)』であり、『身分証明書』です。……自然界には、パルサーのように規則的な電波を出す天体は存在します。しかし、それらは徐々に減衰したり揺らいだりする。ここまで完璧に、原子時計のような正確さで、かつ『0』と『1』を明確に区別して送ってくる現象は、自然界には存在し得ません」
博士は指を立てた。
「つまり彼らはこう言っているのです。『我々はここにいる。我々は数学を知っている。我々は人工的な機器を使って、あなたたちに呼びかけている』と」
「……なるほど」
隣に座っていたマクガイア中将が、低い声で唸った。
「つまり向こうも『文明人』ということか。……で、敵意は?」
「現在のところ、見当たりません」
「だが油断はできんぞ。これは『偵察』かもしれん」
中将の軍人としての本能が、警鐘を鳴らしていた。
しかし、その顔には隠しきれない「期待」も浮かんでいた。
「……いや待てよ」
中将は、ふと思い当たったように顎を撫でた。
「プロキシマ・ケンタウリ……。4.2光年……」
彼はニヤリと笑った。
「大統領。……これは偶然ではありませんな」
「どういうことだ、マクガイア?」
「我々があの『イナーシャル・キャンセラー(梱包材)』の解析に成功し、実験を行ったのが……ちょうど数ヶ月前です」
「……あ」
大統領も気づいた。
「あの実験で発生した重力波や高出力のエネルギー反応……。それが光速で宇宙に漏れ出し、彼らに届いたとしたら?」
もちろん、これは完全な間違いである。
数ヶ月前の実験の信号が4.2光年先に届くには、4.2年かかる。物理的に計算が合わない。
だが、興奮状態の彼らの脳内では「ワープ実験のような超光速の波動が出たに違いない(だってエイリアンの技術だから!)」という、都合の良い解釈が成立してしまった。
「そうだ……! 間違いない!」
スタインバーグ博士も乗っかった。
「彼らは気づいたのです! 地球人がついに『大人の階段』を登ったことに! 我々が重力を制御し、銀河の仲間入りをする資格を得たことを察知して、歓迎のメッセージを送ってきたのです!」
「……素晴らしい」
大統領は震えた。
これはただのファーストコンタクトではない。
「アメリカの偉業」に対する宇宙からの祝福だ。
「我々が……アメリカが星の扉を叩いたのだ。そして彼らが答えた」
大統領は立ち上がり、胸を張った。
「これは我々の功績だ。日本がちまちまと家電を作っている間に、我々は宇宙の隣人と握手をしたのだ!」
「その通りです、閣下!」
「直ちに記者会見の準備を! 『歴史的瞬間』だ! 私が自ら発表する!」
「ところで博士」
大統領は会見に向かう前に、一つだけ確認した。
「その『01』の羅列の後に……膨大なデータが続いていると言ったな? その中身はなんだ?」
「現在、NASAとNSA(国家安全保障局)のスーパーコンピュータを総動員して解析中です」
博士はタブレットを操作した。
「ですが、冒頭部分のヘッダー情報は解読できました。……どうやら動画ファイルと音声ファイルのようです」
「ほう? ハリウッド映画のようなものか?」
「いえ。もっと……原始的で普遍的なものです」
博士はモニターに一つの画像を映し出した。
それは粗いドット絵のような画像だったが、何かの図形に見えた。
「これは……素数?」
「はい。そして元素周期表。DNAの二重螺旋構造。……彼らは自分たちの科学知識の基礎を、教科書のように送ってきています」
「我々がボイジャーに積んだ『ゴールデン・レコード』と同じか」
「ええ。まさに『自己紹介』です。……そして驚くべきことに」
博士の声が上ずった。
「このデータのフォーマット……圧縮形式が、地球のコンピュータでも容易に展開できるほど論理的で効率的なのです。まるで我々のITレベルを知り尽くしているかのように」
「彼らは我々と対話を望んでいる。それも非常に強く」
「……よし」
大統領は決断した。
「応答せよ。ありったけのアンテナを使って、返事を送るのだ」
「メッセージの内容は?」
「決まっている。『こちらはアメリカ合衆国だ。貴殿らの歓迎に感謝する』……いや」
大統領は少し考え、修正した。
「『こちらは地球だ』にしておこう。……一応、形だけでも人類代表として振る舞っておくのが、国際協調(建前)というものだ」
「イエッサー。……あ、それと」
博士が付け加えた。
「日本政府からも連絡が来ています。『我が国のドラゴンバンク社が持つAI技術を提供し、解析に協力したい』と」
「ふん」
大統領は鼻で笑った。
「まあいいだろう。データ解析の雑用くらいはやらせてやれ。……だが交渉の主導権は我々が握る。彼らを見つけたのは我々だ。最初の握手をするのも、アメリカ人でなければならん」
「もちろんです」
日本某所。真田誠の自宅リビング。
テレビでは、ホワイトハウスからの緊急会見が生中継されていた。
クレイマン大統領が誇らしげに「我々は一人ではない!」と演説し、スタインバーグ博士が「010101」のフリップを持って解説している。
「……盛り上がってるなぁ」
誠はコタツに入りながら、ミカンを剥いていた。
「アメリカさん、完全に『自分たちが主役』だと思い込んでますね」
「計画通りです、マスター」
メイがコタツの対面で(浮きながら)お茶をすすっていた。
ちなみに彼女のボディは、現在コタツに合わせて「和風モード(漆塗りっぽい質感)」に変化している。
「彼らが『自分たちの功績だ』と信じ込めば信じ込むほど、地球内の対立は減り、宇宙への関心が高まります。……そして私がこっそり送った『紹介状』のおかげで、プロキシマの方々も友好的なデータを送ってくれています」
「どんなデータが来てるの?」
「先ほど大統領が言っていた『自己紹介』の他に……最新のパケットには、彼らの文化的なデータも含まれていますね」
メイは空中にウィンドウを開いた。
「彼らの星の『歌』のデータです。……深海のクジラの歌に似た、非常に美しい波形ですね。これをNASAが再生すれば、全米が泣くでしょう」
「へえ、ロマンチックだね」
「それと、彼らの主食である『発光プランクトン』の養殖レシピも届いています」
「それは……いらないかな」
「NASAは『未知のバイオエネルギーの生成法か!?』と勘違いして、必死に培養実験を始めるかもしれませんが」
誠は吹き出した。
世界最高峰の頭脳たちが、プランクトンのレシピに頭を悩ませる図。
平和だ。実に平和だ。
「……ねえメイ」
誠はテレビの中の熱狂を見つめながら言った。
「これで10年は保つかな?」
「保ちますとも」
メイは断言した。
「このファーストコンタクトの解析と返信のやり取りだけで、人類は数十年は遊べます。その間に少しずつ『銀河の常識(不老不死とか)』に慣らしていけばいいのです」
「そっか」
誠はミカンを口に放り込んだ。
「じゃあ俺は、明日も安心して会社に行けるな」
誠は立ち上がった。
「さて、風呂入って寝るか。明日は週の真ん中、水曜日だ」
「おやすみなさいませ、マスター。……世界が宇宙に夢中になっている間に、ゆっくりお休みください」
外の空には満天の星。
その一つ一つに誰かがいて、誰かが生活している。
そして彼らもまた、夕方には仕事に疲れ、甘いものを求めているのかもしれない。
そう思うと、誠は夜空が少しだけ身近に感じられた。
ホワイトハウスが「宇宙時代の幕開けだ!」と祝砲を上げている裏で、地球の真の管理者はパジャマに着替えて布団に潜り込むのだった。
(第二部 第5話 完)




