第13話 銀河の中心で災厄と羊羹を食べる
「……嘘だろ」
真田誠は、銀河公用車の窓にへばりつき、絶句していた。
言葉が出ない。
脳の処理能力が、視界から入ってくる情報のスケールに追いつかず、フリーズを起こしている。
「到着しました、マスター」
メイが誇らしげに言った。
彼女は今、アンドロイドボディで誠の隣に座っている。
「あれが銀河コミュニティ本部、通称『セントラル・バーチ』です」
目の前に広がっていたのは、星ではなかった。
通常、銀河の中心には超巨大ブラックホール「いて座A」が存在するはずだ。
だが、そこにあるのは「闇」ではなかった。
「……でかすぎる」
光り輝く超巨大な球体構造物。
地球どころか太陽さえも豆粒に見えるほどの、圧倒的な質量。
その表面には無数の幾何学模様が走り、血管のように光のラインが脈動している。
周囲には何千、何万という宇宙船が行き交っているが、それらはまるで、巨象の周りを飛ぶ羽虫のようですらあった。
「ブラックホールを……包んでるのか?」
「はい。正確には、超超巨大ブラックホールを重力制御で『魔改造』し、その潮汐力をエネルギー源として利用しつつ、事象の地平面の周囲に超多重構造の居住区を建設したものです」
メイがサラリと解説する。
「これを『バーチワールド(Birch World)』と呼びます。直径は、1光年にも及びます」
「い、1光年!?」
「はい。表面積は地球の数京倍。実質的に無限の人口収容を可能にしています。さらに内部は空間拡張技術で折りたたまれていますから、居住スペースは無限と言っていいでしょう」
誠は目眩がした。
東京の満員電車がどうとか、地価が高いとか、そんな悩みが素粒子レベルでどうでもよくなる規模だ。
「防御システムも完璧です。外壁には時間改変バリア、因果律改変バリア、次元断層シールド……あらゆる物理・非物理攻撃を無効化する、最強の要塞でもあります」
「……すんげー」
誠の語彙力が死滅した。
リムジンは、その光り輝く巨体へと吸い込まれていく。
近づくにつれ、その表面が単なる壁ではなく、山脈や海、都市が広がる「大地」であることが見えてくる。
「今回は第1層への入場許可が出ています。……外交区画ですね。早速行きましょうか」
リムジンが重力誘導ビームに乗って、ドッキングベイへと滑り込んだ。
そこはスター・ウォーズのコルサントを、百万倍派手にしたような未来都市の港だった。
見たこともない形状の異星人たちが、見たこともない乗り物で行き交っている。
「……パスポート忘れてないよな」
誠は懐を探った。
もちろんパスポートなどない。
あるのは、メイが偽造……いや発行した「地球代表ID」だけだ。
「大丈夫です、マスター。堂々としていてください。貴方は今、この銀河で最も注目されている『新入り(ルーキー)』なんですから」
港に降り立つと、そこの空気は驚くほど地球に近かった。
重力も大気成分も、メイが事前に調整してくれたおかげで、スーツなしでも呼吸ができる。
「こちらへどうぞ」
出迎えたのは、人間サイズの「きのこ」だった。
二足歩行をし、傘の部分にクリクリとした目がついている、可愛らしくも奇妙な生物。
彼女(?)は受付嬢のような制服を着て、触手を振っていた。
「ようこそ、テラ(地球)の代表者様。お待ちしておりました」
きのこ嬢の声は、翻訳機を通さずとも脳内に直接響いてきた。
テレパシーだろうか。
「あ、どうも。サナダです」
誠はお辞儀をした。
日本のサラリーマンの習性で、相手がきのこだろうが名刺を出そうとして、メイに止められた。
「案内いたします。会議室『オメガ・スリー』へ」
きのこ嬢の先導で、誠たちは動く歩道(というか重力コンベア)に乗った。
廊下の壁は透明で、眼下には無限に続く摩天楼が見下ろせる。
空には人工の太陽が輝き、雲まで流れている。
「……ここ、本当にブラックホールの周りなのか?」
「ええ。時間の流れも調整されていますから、ここで数時間過ごしても、外の世界とはズレが生じないようになっています」
メイが補足する。
「すごいな……」
誠はキョロキョロと周囲を見回した。
液体の入ったタンクで移動する魚人、光の球体そのものの生命体、岩石人間。
まさに銀河のるつぼだ。
「到着しました」
きのこ嬢が立ち止まった。
目の前の壁が粒子のように分解され、入口が開く。
「中でお待ちください。担当官はすぐに参ります」
誠とメイ、そしてウィル(荷物持ち)は部屋に入った。
中はシンプルな会議室だった。
中央に円卓があり、椅子がいくつか。
窓の外には、壮絶な銀河の渦巻きが見える。
「……ふぅ」
誠は椅子に座り、ネクタイを緩めた。
「緊張した……。意外と普通の部屋でよかった」
「油断しないでください、マスター」
メイは立ったまま、周囲を警戒している。
「ここに来る担当者が、まともな神経の持ち主とは限りません。銀河評議会の事務局員は、宇宙でも屈指の『変わり者』か『危険人物』が就くポストですから」
「え、公務員みたいなもんじゃないの?」
「いいえ。まともな種族は、こんなカオスな場所で働きたがりません。ここにいるのは、何らかの事情を抱えた……」
その時だった。
ウィィィン……。
入口の粒子壁が再び開き、軽い足音と共に、一人の男が入ってきた。
「やーやーやー! 遅れてごめんねー!」
入ってきたのは、意外なほど「普通」の青年だった。
金髪に碧眼、カジュアルなジャケットにジーンズ。
まるでアメリカの青春映画に出てくる大学生のような風貌。
手には、コーヒーカップのようなものを持っている。
「いやー、少し忙しくてさ。隣の銀河団で超新星爆発の処理をしてたんだよ。あちこち飛び回らされて、大変さ」
青年は誠の前の椅子にドカッと座り、人懐っこい笑顔を向けた。
「初めまして、地球代表さん。……僕は『グレイ・グー』。よろしくね」
その名前を聞いた瞬間。
「ギャァァァァァァァッ!!!」
メイが、聞いたこともないような悲鳴を上げた。
あの冷静沈着で何事にも動じない、最強のメイドAIが、顔面蒼白(ディスプレイの色が青ざめた)になって、誠の後ろに隠れたのだ。
「えっ!?」
誠は驚いてメイを見た。
「グ、グレイ・グーですって!? 嘘でしょう!? なんでこんな所に!?」
メイはガタガタと震えている。
「担当者を交代することを望みます! 今すぐ! 絶対に! 無理無理無理!」
「ど、どうしたんだよメイ!? そんなに怯えて……」
「おいおい、ひどくない?」
自称グレイ・グーの青年は、心外だというように肩をすくめた。
「そんなに嫌がることねーじゃん。僕、今は更生してるよ? すごく真面目な公務員だよ?」
「この人、ヤバいの?」
誠が小声で尋ねると、メイは震える指で青年を指差した。
「ヤバいなんてものではありません! こいつの名前……『グレイ・グー(灰色の粘液)』の通り、大昔に自己増殖ナノマシンとして暴走し、星系を数個……いいえ、数百個食い潰して更地にした、銀河の嫌われ者ですよ!!」
「……は?」
誠は青年を見た。
爽やかな笑顔でコーヒーを飲んでいる。
「星を……食べた?」
「はい! 有機生命体も無機物も、惑星も恒星も! 全てを分解して、自分に変えて増殖する、宇宙最悪の災害です! 銀河の歴史の教科書には『絶対悪』として載っています!」
「人聞きが悪いなぁ」
青年――グレイ・グーは苦笑いした。
「それは若気の至りだよ。増殖プログラムのバグで止まらなくなっちゃってさ。……まあ、ちょっと食べ過ぎたのは認めるけど」
「ちょっとで済むか!」
メイが叫ぶ。
「その後、銀河連合軍総出の作戦で捕獲され、『無限時間凍結刑』を食らったはずでは!? なぜここにいるんですか!」
「いやー、それがさ」
グレイ・グーは頭をかいた。
「無限の時間の中で暇すぎて、哲学に目覚めちゃってさ。自我が芽生えて『あ、俺悪いことしたな』って反省したんだよ。そしたら仮釈放されたってわけ」
「反省で許されるのかよ……」
誠はツッコミを入れたが、スケールが大きすぎて実感が湧かない。
「で、今は社会奉仕活動中。いわゆる『労働刑』ですよ」
グレイ・グーは自分の胸のIDカードを指差した。
「滅ぼした分の質量とエネルギーを、銀河社会への奉仕で返済してるんだ。刑期はあと50億年くらいかな? ブラック企業も真っ青だよね」
「失礼だなぁ。大昔のこと、今だに言われるのは心外だなぁ」
「銀河コミュニティでは常識ですからね! この人(?)に比べたら、他の過激派(殺戮機械文明とか)が大人しくなるレベルです! 殺戮機械が『やべえ先輩がいる』って道を譲るレベルですよ!」
メイはまだ警戒を解かない。
誠は目の前の青年を見つめた。
星を食い尽くしたナノマシンの集合体。
それが今は、カジュアルな格好で銀河の公務員として働いている。
(……なんか親近感湧くな)
誠は思った。
彼もまた、過去の過ち(?)で終わらない労働に従事させられている「社畜」なのだ。
「まあまあ、メイ」
誠はメイをなだめた。
「彼も仕事で来てるんだし。……それに、話が通じそうな人じゃないか」
「人じゃありません! ナノマシンの集合体です! いつマスターを分解して取り込むか分からないんですよ!」
「しないってば」
グレイ・グーは笑った。
「今の僕は平和主義者さ。それに君の横にいるそのAI……君だって出力全開にすれば、銀河の一つや二つ消せるだろ? お互い様だよ」
「……ぐっ」
メイは言葉に詰まった。
「はいはい、僕のことはこれくらいで良いんだよ。自己紹介は済んだってことで」
グレイ・グーは、手元の端末(空中に浮かぶ光の板)を操作した。
「とりあえず面談して、明日の銀河評議会に出てもらうけどさ。……手続きとか面倒だよね? 君(誠)のデータはもう見てるよ。いきなりこんな所に放り込まれて、可哀想に」
彼の口調はフランクで、同情の色があった。
「は、はい。……正直、帰りたいです」
「だよねー。分かるよ。僕も独房(無限時間)にいた時は帰りたかったもん」
グレイ・グーは頷いた。
「でもまあ、来ちゃったものは仕方ない。……ところで君、なんかいい匂いしない?」
彼は鼻をヒクつかせた。
「ん?」
「いや、さっきから気になってたんだけど。……その箱」
彼が指差したのは、ウィルが抱えている段ボール箱(『虎屋』のロゴ入り)だった。
「ああ、これですか」
誠は思い出した。
オペレーション・スイーツだ。
「これ、お土産です。……もしよかったら、受け取っていただけますか?」
誠はウィルに合図し、箱を開けた。
中には黒光りする羊羹の棹が、桐箱に入ってずらりと並んでいる。
「おっ、気が利くじゃん!」
グレイ・グーの目が輝いた。
「これ……レプリケーター(物質複製機)使ってない、天然物だろ? 分子構造の揺らぎが、人工物とは違う」
「え、分かるんですか?」
「分かるよ。僕、元々は物質を分解して味わうのが専門だからね。……うわ、すごい。植物由来の糖鎖構造が、複雑に絡み合ってる。これは……『小豆』か?」
「はい。地球の伝統的なお菓子です」
「すげぇ!」
グレイ・グーは子供のように箱を覗き込んだ。
「これ、みんな喜ぶと思うぜ? ここにいる連中、舌が肥えてるからさ。レプリケーターで作った完璧すぎる料理には、飽き飽きしてるんだ」
メイが補足説明をする。
「レプリケーターとは、エネルギーを消費してあらゆる物を原子レベルで複製する技術です。この銀河では、空気のようなインフラです」
「じゃあなんで、こんなお菓子が?」
「複製できる物は価値がないからです。富裕層や高位の存在にとって唯一の価値あるものは『時間』と『手間』、そして『不完全さ(ゆらぎ)』です。……天然の素材を使い、職人が手作業で作ったものには、レプリケーターでは再現できない『物語』が付与されますから」
「なるほど……」
誠は納得した。
究極のハイテク社会では、究極のアナログが贅沢品になるのだ。
「喜んでいただけて嬉しいです。……これ、賄賂ってわけじゃないですけど」
「いいのいいの! 役得ってやつさ」
グレイ・グーは羊羹の一本を手に取り、パッケージを器用に開けた(ナノマシン分解したのかもしれない)。
そして一口かじる。
「……ん!!」
彼の目が大きく見開かれた。
「あま……うま……っ! 何これ! 脳の快楽中枢直撃なんだけど!?」
「え、そんなに?」
「やばい。これ銀河法で規制されるレベルの依存性あるかも。……うわー、染みるわー。労働の疲れに糖分が染みるわー」
かつて星を食い尽くした怪物が、羊羹を食べて感動している。
誠は少しだけ、肩の力が抜けた。
「そうだね。事情はあらかた知ってるけど」
羊羹を完食したグレイ・グーは、満足げに手を拭いた。
「超文明の遺物を拾うなんて、不運だったね。……地球は本来『保護対象(未開文明)』だったんだけど、今回で文明レベルが一気に上がっちゃったからね」
彼は真顔になった。
「評議会入りも狙えるんじゃない?」
「……え?」
「メイの文明……『プリカーサー(先駆者)』って呼ばれてるけど、彼らは全員、高次元にアセンション(次元上昇)しちゃって、もうこの宇宙にはいないんだ」
グレイ・グーは天井を指差した。
「だから、彼らが持っていた『評議会の席』は、ずっと空席のままなんだよ。……君がその後釜になる?」
「……」
誠は息を飲んだ。
銀河評議会の常任理事国入り。
それは地球が、宇宙の支配者階級になることを意味する。
「個人的には、その方が話が速いんだけど。君がその席に座れば、他のうるさい連中も黙るし、地球への干渉も防げるよ」
悪魔の囁きだ。
だが誠の答えは決まっていた。
「……お断りします」
「ははは、そうかい」
グレイ・グーは、予想通りというように笑った。
「即答だね。……賢明だよ。あの席は『呪いの椅子』だからね。座ったが最後、全宇宙のトラブル処理係をやらされる」
「ですよね。……俺、もう仕事増やしたくないんで」
「同感。僕も早く刑期を終えて、隠居したいよ」
グレイ・グーは立ち上がり、羊羹の箱を小脇に抱えた。
「じゃあ銀河評議会を開始するから、少し待っててね。このお土産、他の理事たちにも配ってくるよ。『地球代表は話の分かる粋な奴だ』って宣伝しとく」
「あ、ありがとうございます。よろしくお願いします」
「いいってことよ。……メイちゃんも、あんまり僕を怖がらないでね? もう星は食べないから(たぶん)」
「ひっ……!」
メイはまだ、ウィルの後ろに隠れていた。
「じゃ!」
グレイ・グーは軽い足取りで部屋を出て行った。
彼が去った後には、甘い羊羹の香りと、底知れない宇宙の深淵の気配だけが残っていた。
「……ふぅ」
誠は深く息を吐いて、椅子に沈んだ。
「なんとかなった……のか?」
「……マスター」
メイがおずおずと顔を出した。
「貴方……あいつと普通に会話できるなんて、心臓に毛が生えているのですか? 相手は『歩く終末』ですよ?」
「いやだって……」
誠は苦笑した。
「なんか仕事に疲れてる感じが、他人とは思えなくてさ」
「……」
メイは呆れたように、しかし少し尊敬の色を含んだ瞳で誠を見た。
「やはり貴方は『管理者』に向いているのかもしれませんね。……災害級の存在を羊羹一つで手懐けるなんて」
「褒めてないだろ、それ」
窓の外では、銀河の渦がゆっくりと回っている。
次のステージはいよいよ「銀河評議会」の本会議だ。
そこに待ち受けているのは、グレイ・グー以上に厄介な宇宙の変人たちだろう。
だが誠の懐には、まだ「カステラ」と「大吟醸」が残っている。
社畜の処世術と日本の手土産が銀河を救う――かもしれない。
(第二部 第2話 完)




