82 【終】そして世界は続く
皆さまの開運招福、心よりお祈り申し上げます。
アイレンは事も無げに言い放ったのだ。
吉祥天の能力である”開運招福”と”意図反射”は
平民全員が持っている”能力”だと。
だからアイレンは、”何も出来ない”と嘆くジュアンに対し
”私たちこそ頑張る時だ”と答えたのだ。
みなは呆然と立ちすくんでいる。
四天王をはじめ、武家、僧家、華族が
それぞれ特別な”能力”を有している。
逆に平民は何も”能力”を持っていない。
世界の常識では、そうだった。
「では何故、能力測定では感知されないのだ?」
クーカイの問いに、アイレンは首をかしげて答えた。
「皆様の持っていらっしゃる”能力”とは
別物だからではないでしょうか。
視力や聴力の検査に、それぞれ適した検査方法があるように
これに関しては感知しないのでしょう」
人々には幸福を願い、それを招く力がある。
そして恩には恩を、不当な害意を跳ね返す力が、
本来備わっていた。
それは”能力”というよりも”性質”なのかもしれない。
「でもその”能力”があるなら、とっくにみんな
幸せになっているのではないかしら?」
アヤハが言うと、アイレンは悲し気に答えた。
「私は幼い頃に気付いたのですが、
ただ自分の幸福を願ってもダメなんです。
他人を妬まず悪意を持たず、心から幸せを願うこと。
そうすれば、自分も幸せが舞い込んでくるんです」
発動の条件があったのだ。
”他人に嫉妬したり悪意を持たず、純粋に心から幸せを願う”。
それがどんなに難しいことか。
セーランがまだ理解できないように言う。
「確かに親切にすれば好意が帰ってきますし、
意地悪したら反撃されますけど。
でも、アイレン様のは度を越えてますわよね?」
それにはアイレンも困惑したような顔で言う。
「よくは分かりませんが、もし私が吉祥天だとすれば
”こうすれば皆、幸せになれますよ”という
分かりやすい見本なのかもしれませんわね」
この世で最も顕著に”この能力が現れる者”。
それが吉祥天なのだ。
アイレンはケイシュンを見ながら言う。
「それに人って意外と万能なんですよ?
いろんな可能性を秘めているんです。
ケイシュン様みたいに興味があることや好きなことを
とことん突き詰めることで、
新たな”能力”が得られるのですから」
確かに”憑き物使い”という特殊で貴重な能力は、
武家にも僧家にもいなかった。
”だからアイレンは能力がないことを気にしていなかったのか”
レイオウは今さら気付いて納得する。
クーカイがガッカリしたようにつぶやいた。
「我々は逆に、それは出来ないことを神が哀れみ、
せめてもと”能力”を与えられたのかもしれないなあ」
それを聞いたアイレンが、大慌てで首を振る。
「いえいえ、おそらく皆さん一緒です。
皆さまは魔物と戦うために一生懸命、
持っている”能力”を磨かれていたため気付かなかったのでしょう」
しかしアヤハが顔をしかめて言う。
「でも、知ったとて、無理かもしれないわ。
だってハードル高すぎでしょう。
誰も嫌わず怒らず、どんな相手にも幸せを願うなんて」
「それも大丈夫ですよ。嫌っても怒っても良いんです。
それを抱え続けて憎しみに変えたり、
相手を不当に陥れることをしなければ」
何でもないことのように言うアイレンに、
アヤハは”それでも難しいかも”とつぶやく。
レイオウは理解した。
”吉祥天による救世とは、
魔物を退治するのではなく、
人々の心から悪意や害意を滅する存在だったのだ”
他人に対する過剰な悪意や妬みは
自分を滅ぼすことになる。
そして能力はあっても無くても良い。
得られるものだから。
自分がしたいこと、出来ることをすればいいのだと、
吉祥天は世の人に教えてくれる存在だった。
どこまでもマイペースで自由に。
そしてレイオウは皆に、頼みごとをしたのだ。
ーーーーーーーーーーーー
その頃、小島の森では。
「……とにかく、逃げなくちゃ」
走りながらカアラはつぶやく。
アイレンからずっと欲しかった言葉をもらえた。
カアラを褒め、羨ましがる言葉を。
しかしそれを聞いても、全然満足しなかった。
あまりの虚しさに号泣していると戦いが始まり、
皆がそちらに集中しているうちに
カアラはその場から逃げ出したのだ。
羅刹にさまざまな罪を露呈された今、
帰ったらどんな処罰を受けるかわからない。
カアラには何も残っていなかった。
自分がどんな人間か、どんなことをしてきたか
皆に知れ渡ってしまうのだ。
戻ったとて間違いなく底辺の扱いをされるだろう。
小島を脱出するため、海岸へと向かう。
必死に船を探してキョロキョロしていると。
「ぎゃあ!」
いきなり髪を掴まれ、持ち上げられたのだ。
掴んだまま羅刹が、顔を覗き込むようにして言う。
「お前が”心臓”としての役割を果たさぬが故、
全て失敗に終わった……この無能の役立たずめ」
羅刹はそう言って、カアラに向けて呪文を唱えた。
カアラの体が、あっという間に年老いていく。
髪は真っ白でパサついて広がり、
顔はシワとシミで覆われていた。
歯がいくつか抜け落ち、腰や足の関節が曲がる。
このまま一気に白骨化するかと思われたが。
羅刹はフッと笑い、急に呪文を止めたのだ。
そして地べたに座り込んだカアラに言う。
「あえて殺さぬ。このまま、残り僅かな余生を生きよ」
「はあ? 待って…元に戻してぇ」
カアラは羅刹の足にすがろうとするが
それを蹴り上げて転がし、羅刹は消えていった。
命はギリギリのところで助かったが。
島に上陸した兵に保護されたカアラは、
帝都でその醜い姿を晒しつつ、全ての罪を激しく糾弾された。
そして暗く汚れた牢の中で残りの生を過ごすことになった。
”アイレンの全てを失い、
惨めで最悪な死に方をさせてやる”
かつて本気でそう思ったカアラだったが、
そのような死を迎えるのは
やはりカアラのほうだったのだ。
ーーーーーーーーーーーー
「残念だが、断る」
天帝の居室で、ソファに腰掛けたまま天帝が首を振る。
「……理由をお聞かせ願えますか?」
レイオウが言い、セーランが心配そうに尋ねる。
「まだ体調がすぐれないようでしたら……」
言いかけた彼女を制し、天帝は答えた。
「来週末はリューラを郊外にあるバラ園に連れて行くのだ。
この季節、結婚当初は必ず行っていたのに、
十数年も行けずに悲しい思いをさせたからな」
気持ちは分かるが。
その場に並ぶレイオウ、クーカイ、アヤハ、セーランは
正直”またかよ!”という思いでいっぱいだった。
あの後、熱烈な歓迎と賞賛を受けつつも、
天帝と天帝妃はしばらくの治療を要した。
そして回復するや否や、天帝が行ったのは
周囲が困惑するほどの”溺愛”だったのだ。
餓者髑髏を完全に昇天させるために、
この十数年、天帝妃は天帝の意を解し、
必死に彼を支えてくれたのだから。
全ての重荷から解き放たれた天帝は
スッキリとした笑顔でレイオウに言う。
「もう引き継ぎは終えただろう?
天賦の才を持つ君だ、
つつがなく天帝の職をこなせるだろう」
レイオウはムッとしたまま答える。
「まだでございます。天帝にはなっておりません。
ですから来週の会議には、ぜひともご出席願います」
絶対に折れない様子のレイオウ。
何故なら彼も、アイレンと会う時間が極端に減ったため不機嫌なのだ。
”俺だってアイレンに薔薇を見せてやりたいぞ”
それが前面に溢れた顔で、天帝を睨みつけるレイオウ。
どっちの”溺愛”が勝つのか、ハラハラと三人が見守る中。
「ねえ、ライ。来週のバラ園、どちらのドレスが良いかしら」
侍女を従え、いそいそと部屋に入ってきたのは天帝妃だった。
後ろに続く侍女たちは紅色のシックなドレスと
ふんわりとした上品な白いドレスを運んでくる。
「あら、皆さま。打ち合わせ中でしたのね。
大変失礼いたしました」
天帝妃はレイオウたちに気付き、慌てて詫びたが。
「いや、いま終わったところだ。
うーむ、どちらも良く似合うだろう。
こちらは薔薇にまぎれて見失ってしまいそうだし、
こちらはあたかも光臨した女神にみえるだろうな」
ソファから立ち上がった天帝が、ドレスを見ながら答えた。
そして振り返り、レイオウにいたずらな目で笑いかける。
”さあ、どうする?”といわんばかりに。
さすがのレイオウも、天帝妃を落胆させることは出来なかった。
一礼し、去ることにする。
「……いいのか? これで何週つぶれた?」
歩きながらクーカイが聞いてくる。
レイオウは仏頂面のまま答える。
「良いわけなかろう。
だが……大きな借りがあるからな」
帝都に踊る前、レイオウは皆に頼んだのだ。
”アイレンが吉祥天だということは秘密にしてほしい”、と。
「誰が吉祥天か、というのはさして重要ではないのだ。
”開運招福”や”意図反射”の能力を万人が持ち、
それの発動条件を広める事が大事だろう」
そして仲間たちだけではない。
天帝も天帝妃も秘密にすることに協力してくれたのだ。
アイレンを吉祥天だと知らしめたとて、
彼女に殺到するのは過剰な要求ばかりだろう。
そうするとアイレンから自由を奪うことになる。
廊下を進みながら、クーカイは妹に問うた。
「本当に卒業後は西へ行くつもりか?
……ケイシュンは何と言っている?」
セーランはさらりと笑顔で答える。
「まだご存じではありませんわ。私が決めただけですもの」
儚げだった可愛い妹は、
いつしか自分の道を選べる女性に変わっていた。
生真面目で実直な東王門と豪快で快活な西王門は
あまり相性が良いとは言えない。
どのように父を説得するかと考え、
クーカイは苦笑いを浮かべた。
それでもケイシュンはセーランを案じ、
使い魔のうち最強といわれる”猫”を付けたのだ。
”脈は充分にある。こちらはまかせて頑張れよ、我が妹”
「私は卒業したら南に戻るけど、
それまではこっちに来て警護してもらうつもりよ。
だって彼、私の守護騎士なんだもの」
アヤハがどこか誇らしげに言う。
あの鷹の君は十分に実績もコネクションも得ることが出来た。
同族内での結婚の利である安定感を享受するのみだろう。
そんな仲間たちを見ながら、レイオウは笑って言う。
「まあ皆、頑張れ。
来週の会議は頼んだぞ」
え? はあ? と聞き返す間もなく、レイオウは去って行く。
唖然としていた彼らは、しばらくして息をついた。
「あの方……アイレン様を薔薇園に連れて行くおつもりね」
セーランが目を細めて言う。
「ああ、会議を俺たちに押し付けて、な」
クーカイが口をへの字にしてつぶやく。
ニヤリと笑ったアヤハが、二人に告げる。
「ふふっ、アイレンの考えた策が使えるわね。
”天帝が拒否したら、薔薇園で会議をすれば良い”
そう教えてくれたのよ」
他の二人は吹き出し、ぜひそうしようと盛り上がる。
来週は薔薇園で、呑気に現れた溺愛カップル二組を
会議テーブルと山積みの資料と、
たくさんの茶菓子で迎え撃つのだ。
そうして世界は続いていく。
たくさんの幸福を招きながら。
【完】
お読みいただき、本当にありがとうございました。
”いいね”&感想頂けると励みになります。
よろしくお願いいたします。




