80 白き獅子王
「やったか! 心臓を切り離せたか!」
「こちらはもう大丈夫です」
「私のぶんも消滅させたわよ、彼と一緒にね」
クーカイ、セーラン、アヤハ、
そしてケイシュンとアヤハの婚約者が集まってくる。
”心臓”が吉祥天によって切り離された今、
これだけのメンバーが揃えば、
この最悪の悪鬼を封じ切ることが出来そうではあった、が。
みんなの顔がそれほど嬉しそうでないのは、
完全に滅するわけではないからだ。
あくまでも”封じる”だけであり、
また数十年、数百年すれば復活し、
未来の人々をまた恐怖に陥れるだろう。
「……でもまあ、今世をとにかく守らないと」
アヤハが控えめに言い、クーカイも同意する。
「倒し方や対処法の記録はしっかり残せるしな」
しかしレイオウは眉をしかめていた。
今回、一度は”心臓”を得た餓者髑髏を倒せるのは、
奇跡的に”吉祥天の降臨”と次期が重なったからだ。
カアラは時間が経てば間違いなく吸収されていただろう。
未来の人々は、吉祥天無しでどうやって倒すというのか。
オオオオオ……
ふたたび増殖し、元の大きさに戻りつつある餓者髑髏から
死者たちの怨嗟の声が聞こえてくる。
「……では、封じよう」
決心したレイオウの言葉に、皆がうなずく。
心にトゲが刺さったような痛みを感じつつ、
皆がとどめをさそうとした時。
「皆のもの、下がってくれ……もう十分だ」
その声に振り返ると、そこには
天帝妃に支えられて立つ天帝の姿があった。
あぜんとする皆に向け、優しい声で天帝が言う。
「皆の者、本当によく頑張ってくれた。
後は私に任せてほしい」
優しき天帝は妖魔や悪鬼を哀れみ、
人間と同じく、それらを
この世界のものとして慈しんでいた。
それをレイオウから聞いていたクーカイたちは
ここに現れた理由を想像して憤った。
天帝は餓者髑髏すら守るつもりか、と思い。
「お言葉ではございますが、
もう十分だ、とはいかがなものでしょうか。
我々はまだこれを倒しておりません」
天帝は、おだやかに笑ってうなずく。
「ああ、そうだね。餓者髑髏を倒すことはできない。
だから私が来たのだ。
そのためにこの子を育ててきたのだからね」
そう言ってうめき声を上げ続ける餓者髑髏を見上げる。
その横で、天帝妃が悲しそうに彼を見ていた。
意味を分かりかねて黙るレイオウたち。
ただアイレンだけは、嬉しそうに両手を組んで言ったのだ。
「まあ! では、この妖魔から”慈愛”を感じるのは、
貴方様がずっと大切に想っていたからですのね!」
「ええっ!? 愛情!?」
「餓者髑髏にか!?」
あまりの発言に、全員が目をまるくして叫んだ。
天帝も驚いた顔になり、アイレンを見つめた。
歳を取り、やせ衰えているとはいえ
その美貌は相変わらずだ。
天帝はしばしアイレンを見つめた後、
合点がいったようにうなずいて言う。
「……ああ、貴女が吉祥天様ですね」
知っていたレイオウや想定していたアヤハたちはうなずき
ケイシュンやアヤハの婚約者はのけぞるように驚いた。
「吉祥天様!?」
いきなり言われアイレンは戸惑い、
慌てて否定しようとしたが。
横に立つレイオウがハッキリと告げたのだ。
「間違いないのだ。君が吉祥天だ。
君は全ての特徴を持っている」
そして天帝に向きなおり尋ねた。
「貴方が衰弱していたのは、そのためですか」
天帝の代わりに、天帝妃がうなずく。
「ええ、そうよ。この人はずっと……
十数年前にこの妖魔の”核”が最北で生じたことを見つけた時から
天帝の責務を完璧に果たしながら
この魔物に深い祈りと慈愛を注いでいたのよ」
それを聞いた一同は衝撃で言葉が出なかった。
かつて、最悪の悪鬼である餓者髑髏を見つけた際に
恐怖や不安を抱かず、慈しんだ天帝がいたであろうか。
天帝は申し訳なさそうに言う。
「私が出来得る限りのことをしたまでだ。
人々を守りつつ、この子の怒りや憎しみを宥めた。
天衣翡翠の結界を破り、この世に現れた際、
少しでもその力を抑えられるように」
アヤハは唇を噛んでうつむく。
”それで、私にも倒せたんだわ”
セーランは胸に手を当て目をつむり思った。
”だからあんなにスッキリ浄化できたのね”
レイオウは眉をしかめたまま尋ねた。
「しかし、世界を滅するにはまだ十分な力を有しております」
天帝は答えた。
「だから来たのだ。これを封じるのではなく、
別のものに変化させ、完全に消滅させるため」
息を飲む一同。
レイオウ達は気付いた。
天帝は最初から、これが目的だったのだ。
クーカイが感極まった声でつぶやく。
「もし餓者髑髏を完全に消滅させることが出来たなら。
これからの人々がどれだけ安寧を得られることか」
天帝が餓者髑髏をあえて放置していたのは、
妖魔や悪鬼に加担していたわけではなかったのだ。
今だけでなく未来の人々を守るため、
そして餓者髑髏の抱える無念や怒りを解消すべく
彼の持つ強大な力を全て注いでいたのだった。
「しかし、どうやって?」
レイオウの問いに、天帝ははっきりと宣言する。
「私が餓者髑髏の心臓になる」
確かに彼のような強く慈悲深い力を持った者が”心臓”となれば
相反する力のために餓者髑髏は崩壊するだろう。
天帝は親が駄々っ子を見るような目で
餓者髑髏を見ながらつぶやく。
「人類が生み出したのだ。我々が責任を取らねばならないだろう」
レイオウは謁見した時に聞いた言葉の意味を理解した。
”創り出したものの責任を、取らねばならない”
天帝はそう言っていたのだ。
横に立つ天帝妃の涙を見て気が付く。
”餓者髑髏の心臓となって消滅させる”
しかしそれは、彼の消滅をも意味していた。
皆が”お待ちください”と声をかけようとしたが
天帝は横に立つ天帝妃をすばやく引き寄せ、
強く抱きしめて言った。
「我は全てを守り慈しむことを決めたが
愛した者は君だけだ、リューラ。
……来世があれば、必ず会おう」
最愛の番との別れに言葉を失ったレイオウ達に
天帝は笑顔で言ったのだ。
「世界を任せたぞ、皆の者」
止める間もなく、天帝は”象徴の具現”を始める。
まばゆい光とともに、白く美しい獅子が現れた。
こんな時であるにも関わらず、
皆が見とれてしまうほど
神々しいまでに美しい白獅子だった。
獅子は地面を蹴り高く飛び上がり、
巨大な餓者髑髏の胸に噛みつく。
そして食いちぎりながら、どんどんその身を埋めていく。
餓者髑髏を構成する死人たちが
いっせいに悶絶し、苦しみ出した。
その怒りや恨みを消え去るほどの
深い優しさが天帝にはあるのだ。
しかし……その力は拮抗しているようだった。
苦しみは増すばかりだが、浄化には至らないのだ。
倒すことも出来ずハラハラと見守る彼らの前に、
天帝妃が前へ出てつぶやく。
「……まあ、あの人ったら。
苦しんでいることに躊躇しているのね。
本当に、子どもに甘いんだから」
結婚生活を思い出しているのか、
天帝妃の頬に涙がつたう。
しかしその口元は笑っていた。
「厳しくするのも、優しさなのよ?
……でもそれは、私の役目だったわね」
そして皆に振り返り、軽く会釈をした。
後を頼みます、と小さくつぶやいて。
「お待ちください!」
クーカイが叫び、レイオウが前に出ようとする。
天帝は絶対にそんなことは望んでおらず、
天帝妃には生きていて欲しいと願っているだろう。
天帝妃を引き留めようとしたレイオウの腕を
アイレンがしっかりと掴んで止める。
「……アイレン?」
天帝妃は美しい雌の獅子へと具現し、
天帝の元へと飛びついた。
しかしそうはさせじと餓者髑髏は片手で胸を隠し
片方の手で雌の獅子を弾き落とす。
地面に叩きつけられても、雌の獅子はすぐ立ち上がり、
餓者髑髏へと向かって行った。
ふたたび彼女に攻撃しようと振りかぶった餓者髑髏の片手を
蛇となったセーランと鳥と化したアヤハが抑え込む。
「天帝妃様っ!」
「行ってください!」
あぜんと見ているレイオウ達に、アイレンが言った。
「私が彼女の立場なら、必ずそうします。
きっとセーラン様もアヤハ様も、
痛いほど気持ちが分かるのでしょう」
レイオウはアイレンに振り返り、
少し困った顔で笑って言う。
「……ああ、俺にもわかる。
あの胸にいるのが君なら、間違いなく向かうだろう」
餓者髑髏は向かってくる雌の獅子から逃れるため
片手をあげたまま、胸をかばうように前へと上体を倒した。
しかし左のかかとをケイシュンが、
右のかかとをアヤハの婚約者が、
力任せに殴打して仰向けに転倒させる。
それでも抵抗してくる餓者髑髏の足を
龍と成ったクーカイや八部衆の”太鼓”が抑え込む。
そしてレイオウが、破邪顕正の剣を頭の真ん中に突き刺して叫んだ。
「皆のもの、破邪と浄化を!」
すかさずアイレンも叫んだ。
「それから、全ての死者に深い慈しみを!」
荒れ狂うような”浄化の霧”や”破邪の滝”、
”癒しと慰めの風”に”慈愛の祈り”……
そんな中を、雌の獅子は膨れ上がった餓者髑髏の胸に噛みつき
内部へと潜り込んでいったのだ。
そしてその姿が完全に見えなくなった頃。
餓者髑髏全体の動きも、
それを成していた死者たちも動きを止めた。
彼らから呪詛も怒りの形相も消え、やがて。
どんどん白くなっていき、灰のように崩れ落ちていく。
粉砕したその体はキラキラと輝きながら、天へと昇って行った。
天帝と天帝妃。強い力だけでなく、
深い愛情を持った二人が心臓となったことで
餓者髑髏は真の消滅を迎えたのだ。




