木村陣営 後編
大名たちが答えに窮する中、吉清は苛立っていた。
木村家本来の石高を公開し、木村の側につく利益を提示した。
力を見せつけ、こちらにつく利益まで出したというのに、まだ腹を決められないというのか……。
そんな中、木村家と懇意にしている前田利長、蒲生秀行、宇喜多秀家、細川忠興が木村の屋敷を訪ねてくるのだった。
「な、なんじゃ、いきなりやってきて……」
四人を代表するように、前田利長が前に出た。
「皆と話し合おうたのだが、我らは木村殿の提案を飲むことにした」
「おお、それはありがたい!」
前田家、83万石。
宇喜多、57万石。
細川家、18万石。
蒲生家、72万石。
合計で230万石となり、法令下でも230隻分の船を所持できる。
吉清が利長の手を取ろうとしたところで、利長が制した。
「家康と袂を分かち、木村殿につく証左として、当家から人質を出そうと思う」
「なんと……!」
利長の提案に困惑を隠せなかった。
吉清とて、何もそこまでしてもらおうとは思っていなかった。
ただ、徳川と戦えるだけの船を確保し、そのついでに自分の味方を増やしておきたかっただけなのだ。
「そ、そこまでせずともよい。儂らをお主らを信頼しておる。そのようなことをせずとも……」
利長が首を振った。
「それではダメなのじゃ。
……我が父利家は、反徳川の者たちをまとめきれず、失意のうちに亡くなられた。
まとまりを欠いたまま家康に挑んではどうなるか、父亡き後の前田が証明しておる」
利家死後、多くの大名たちが混乱した隙を突かれ、加賀征伐を起こされてしまった。
伏見騒動で味方になった大名はあてにならず、多くの大名が徳川につくか静観を決め込んだのだ。
その時のことを思い出したのか、利長が悔しさを滲ませた。
「同じ轍を踏まぬべく、我らが反徳川の志を同じくし、木村殿を盟主にまとまっていると、皆に知らしめねばならぬ」
「そのために、人質まで出すというのか……」
細川忠興が前に出る。
「もはや保身も保険もかけん……! 当家は木村殿に味方するぞ!」
「我らの覚悟、家康めに見せてくれるわ!」
「義父上より受けたご恩の数々……今こそ返す時にございます!」
忠興、秀家、秀行が各々決意を表明する。
まさしく、不退転の覚悟の現れだった。
「そこまで言われては、断るわけにはいかぬな……。不肖木村吉清、各々方の人質を預からせていただく」
そうして、前田からは利長の母であるまつが。
宇喜多からは嫡男の秀高が。
細川からは三男の忠利が。
蒲生からは秀行の母である冬姫が人質に出された。
前田派閥が木村家に降ったことで、静観を決め込んでいた諸大名たちに衝撃が走った。
これにより、立花統虎をはじめ、鍋島直茂、長宗我部盛親といった、返事を濁していた多く大名が木村家の陣営に参加することを表明したのだった。
補足
前田軸で見る前田派閥
利長の弟、前田利政(正室、籍。蒲生氏郷の娘)
宇喜多秀家(正室、豪姫。前田利家の四女で豊臣秀吉の養女)
細川忠興の嫡男、細川忠隆(正室、千世。前田利家の七女)
木村吉清の養子、宗明(正室、古那。利長の養女)
こうしてみると、加賀征伐の時点で前田も家康に負けず劣らず婚姻で同盟網を組んでいたことがわかります。




