1596年 木村家評定
文禄5年(1596年)吉清は各地から重臣を集めると、年始の評定を開いていた。
挨拶もそこそこに、台中奉行である藤堂高虎が口を開けた。
「昨年は30万石ほどと見られていた石高ですが、今年は60万石ほどの収穫が見込めますな。
やはり、高山国に関白殿下の旧臣が入ったことが大きいでしょうな」
吉清が頷いた。
秀次の旧臣である若江衆が入ったことで、木村家での人の動員や統率が格段に取れるようになった。
彼らのおかげで、平野部では農村が次々と興り、街道の整備が進められた。
その結果、高山国の石高は飛躍的に上昇していた。
「平野部は粗方開発が進んだのですが、山間部の開発があまり進んでおりませぬ。また、東部は山がちな土地が多いため、開発は思うように進んでいませんな」
昨年は東部に漁師を送り込み漁村はそれなりに増えたはずだ。
おかげで沿岸部における航路は確立されてきたものの、現状西部から東部へ移動する際は船を使って移動しなくてはならない。
東西を横断する街道の建築をしようにも、山岳部に残る現地民がゲリラ的な抵抗を見せるため、思うように進められずにいた。
大規模な討伐軍を興そうにも、農兵を集めればそれだけ生産力が減少する。
ただでさえ領民が不足している今、生産力を落とすようなことはしたくなかった。
山岳部のことは置いておくとして、まずは東部の開拓を進めることにした。
「領内の百姓や浪人たちに触れを出そう。高山国に植民をする者には銭と食料を支給し、新たに開墾した土地は3年間無税とするとな」
「それなら人も集まりそうですな」
吉清の決定に藤堂高虎が満足そうに頷くのだった。
次に、樺太の代官である蒲生郷安が口を開けた。
「町を中心に農地が拡大しており、イモや麦の生産が盛んに行われております。このまま行けば、樺太だけで自給自足できる日も、そう遠くはないかと……。
また、大陸との貿易により、石高換算で8万石近い利益を挙げられるようになりました」
郷安の報告に、吉清が満足そうに頷いた。
蒲生家では筆頭家老として辣腕を振るっていただけに、木村家での働きも頼もしいの一言に尽きた。
郷安も木村家のやり方には慣れてきたように見える。
……そろそろ頃合いかもしれない。
「郷安、お主を樺太奉行に任命し、交易や農地の開拓、都市運営を任せることにしよう」
郷安は事実上蒲生家の全権を取り仕切った実績もあり、実力的にも申し分ないと見たのだ。
「ははっ、これからも殿のため、骨を折る所存にございます」
郷安が感激した様子で頭を伏した。
最後に、ルソン奉行である垪和康忠が口を開いた。
「ルソンは大友家の家臣や関白殿下の旧臣が入ったことで、人手が足りるようになってきました。日本人町も続々と建設が進み、かなりの収益を挙げております。
また、台北、台中、ルソンを含めた南蛮貿易では、100万貫ほどの利益が出ております」
1貫を2.5石と換算しても、250万石近い利益である。
「では、それを元手に船を増産してくれ。これからさらに必要になるであろうからな」
吉清の命令に、垪和康忠がいぶかしんだ。
「ルソンにも造船所を建てるのですか?」
元々、マニラには大規模なガレオン船の造船所があった。
だが、イスパニア人の力や影響力を削ぐべく、一度徹底的に破壊したのだ。
新たに造船所を建設するということは、在地のイスパニア勢力の反乱を鎮圧できる武力を持ったことを喧伝するものであり、それだけ木村家のルソンにおける力が増したことを意味していた。
「これまではルソンはイスパニア人からの間接支配であったが、人手不足が解消された今、直接支配にしても良い頃合いかと思うての……」
そうしたルソン統治の転換もあり、造船所の建設を決めたのだった。
「かしこまりました。それでは、技術者を集めて参ります」
そうして収支と支出を洗い出すと、新たに家臣たちの知行を決め直した。
荒川政光を始め、木村家の黎明期を支えた荒川政光、四釜隆秀、小幡信貞らには10万石級の加増を。
新参者であれ、木村家の重責を担う蒲生郷安や曽根昌世、藤堂高虎には5万石級の加増を。
新たに入ったばかりの、秀次旧臣である若江衆たちには1万石級の加増を決めた。
評定が終わると、吉清は家臣たちを労うべく風呂を沸かした。
当時、風呂を沸かすのは大変な重労働であり、主自らが風呂を用意するなど、格別のもてなしであった。
「さあ、遠慮なく入るといい」
「殿……!」
「なんと……」
家臣たちの胸がじーんと熱くなる。
吉清はススで汚れた顔で笑った。
「早く入らぬと、湯が冷めてしまうぞ」
吉清に促され、家臣たちが風呂へ入っていく。
時折湯加減を尋ねながら、吉清は火の勢いを強めるべく、時に息を吹きかけ、時にうちわで扇ぐ。
「殿、こちらを……」
吉清の様子を見ていたのか、四釜隆英が懐に手を伸ばし、手ぬぐいを渡した。
「おお、かたじけない」
手ぬぐいを受け取ると、吉清が汚れた顔を拭いた。
やがて、隆秀がいなくなった隙を見て、曽根昌世がススの粉を差し出した。
「どうぞ、こちらを……」
「気が利くではないか」
ススの粉を受け取り、吉清はニヤリと笑った。
この風呂は、吉清が家臣のことを大切に思っているというパフォーマンスなのだ。
そのため、大名自らが家臣のために汚れ、風呂沸かしという重労働をしているのだと見せつける必要がある。
顔を拭く布を渡してくれる心遣いはありがたいが、吉清にしてみれば汚れたままの方が頑張っているとアピールできると思っていた。
功を誇らぬ水面下の努力も美徳ではあるが、それも周りに見られて初めて評価されるものである。
より自分の苦労や頑張りを見せつけるべく、曽根昌世の用意したススで再び顔を汚すのだった。




