助命嘆願
家康、吉清、清久が秀吉に謁見すると、三人は頭を伏した。
「儂に用があるとのことじゃが、いかがした」
こういう時はたいてい良い話ではない。秀吉の声に不満が滲んでいた。
三人を代表して、家康が口を開いた。
「関白殿下の側室であられた、駒姫のことにございます。
聞けば、まだ関白殿下と床に入っていないどころか、関白殿下の顔さえ見たことがない有様だとか。そのような者まで処刑しては、あまりに不憫にございます。どうか、よくよくお考えられますよう……」
家康の嘆願に、秀吉が顔を曇らせた。
つい先日、秀次の側室に出していた家康の娘を尼にするという条件付きで助命したばかりである。
それなのに、舌の根も乾かぬうちに再び側室の助命嘆願とは。つくづく狸である。
家康に続き、吉清も口を開いた。
「殿下、それがしからもお願い申し上げます。
最上殿は駒姫のことを大層大事に思っております。その姫を失ってしまっては、何をしでかすか、わかったものではありませぬ。
……親が子を失う悲しさは、殿下が誰よりもわかっておられるものと思います。どうか、ご慈悲を……」
吉清の嘆願に、秀吉は口を「へ」の字に歪めた。
木村吉清は小田原征伐ののち、5000石から30万石へ大抜擢した男だ。
それ以降、奉行として豊臣政権で采配を振るい、奥州再仕置きや文禄の役で比類なき武功を立てたほどの戦上手だ。
吉清は、いまや秀次死後の豊臣家になくてはならない人材である。
なにより、秀次に謀反の罪を着せ、切腹させられたのは、木村吉清が秀次の鷹狩りのことや料理のことを話してくれたからである。
その木村吉清が助けたいと嘆願するのであれば、借りを返してやるのもやぶさかではない。
「……………………」
だが、天下人の命令は絶対である。
そう簡単に覆しては、自分の命令が軽いものとなってしまう。
秀吉は腕を組み考えるフリをした。
あとひと押しだ。そう感じた清久が、トドメに口を開けた。
「恐れながら、駒殿は大変美しい娘であらせます。このまま死なせるのは、いかがなものかと……」
禁句を出した清久に、吉清と家康が心中で毒づいた。
(あのバカ……)
(余計なことを……)
駒姫の助命が目的ではあるが、一番は清久の嫁にすることである。
美しい娘などと秀吉が聞けば、何を考えるかなど目に見えている。
案の定、清久の言葉に秀吉が食いついた。
「美しい、娘……」
何かを考える秀吉に、割り込むように家康がまくし立てた。
「殿下! 駒姫の父である最上殿は、奥州の名門にて、足利の流れを汲む者にございます。また、その妻である大崎夫人は、先の奥州仕置きにて取り潰した、大崎義隆の妹にございます。
奇遇にも、木村殿の領地は大崎の旧領を抱えており、大崎の血を得ればかの地はより安定するものと思いますが、いかがにございましょう!」
家康に続き、吉清も早口でまくし立てた。
「聞けば、殿下は北政所様を始め、多くの女子から愛されてございます。……そこへ新たに側室を増やしては、側室同士の争いも激しくなるというもの。
拾様がお生まれとなり、淀殿が生母となった以上、北政所様との軋轢も増していると聞きます。こうなってしまった以上、さらに問題を増やすべきではないかと……」
家康と吉清の言葉に、秀吉が腕を組んで考え込んだ。
あとひと押しだ。そう感じた清久が、トドメに口を開けた。
「つきましては、駒殿をそれがしの妻に頂きとうございます!」
威勢よく啖呵を切った清久に、吉清と家康が内心毒づいた。
(まだ早いわ! 馬鹿者め!)
(婚姻より、まずは助命をせねばなるまいて!)
案の定、清久の嘆願に秀吉が考え込んだ。
木村清久には、徳川と対抗軸にある前田の娘を嫁がせる話になっていたはずだ。
それを覆して最上と婚姻するのでは、家中の勢力図が大きく変わってしまう。
だが、それを家康の前でバカ正直に口にすることもできず、秀吉は腕を組んで考え込んだ。
秀吉の反応を見て、清久は己の愚を悟った。
『つきましては、駒殿をそれがしの妻に頂きとうございます!』
自分の思いが先走ってしまい、秀吉を納得させるところにまで頭が回らなかった。
ただ一方的にこちらの要求を押し付けるのではダメなのだ。
家康や吉清のように、あくまで秀吉のためであるという姿勢や、秀吉にとっての利を諭さねば、秀吉とて首を縦に振りはしないだろう。
清久が考えている間も、家康や吉清が熱弁を振るい、秀吉を言い包めようとしている。
それを見て、清久は気がついた。
もし本当に駒姫を助命する気がないのなら、すぐにでも話を打ち切り、追い返せばいいだけの話だ。
それをしないのは、秀吉としても助命するのもやぶさかではないと思っているからではないか。
自分たちのするべきことは、秀吉のそうした思惑を汲み取り、秀吉が欲している言葉を言ってあげることではないか。
では、秀吉は何と言って欲しいのだろうか。
そういえば、秀吉との謁見に向かう道中、秀吉の小姓たちがせわしなく動き回っていたのが目についた。
秀次が腹を切った以上、その後処理や他の大名との調整など、必要に迫られた政務は膨大な量にのぼるはずだ。
また、これまで秀次が行なってきた政務も、今後は秀吉自らが行わななければならず、年老いた秀吉にその全権が握られていることを意味する。
今はまだなんとかなっているが、秀吉が没するのも時間の問題である。
そうなった時、秀吉は拾のために何をするのだろうか。何を残すのだろうか。
そこまで考えて、清久ははたと気がついた。
今、豊臣政権は抜本的な構造改革を迫られているのだ。
拾の元服より、秀吉の寿命の方が近くなってしまっている。
自身の亡き後、拾を支えるための仕組みを構築しなくてはならないはずだ。
そのために、木村や徳川には秀吉死後の豊臣家で、拾の天下を支える役目を担って欲しいはずだ。
そうとわかると、清久は姿勢を正した。
「関白殿下亡き後、豊臣家の土台は揺らごうとしております。関白殿下という枠組みを取り払った以上、殿下には早急に新たな枠組みを作る必要があろうかと……。
つきましては、当家が先陣を切って殿下と拾様に忠誠を誓う誓紙を提出し、他の大名たちにも同様に誓紙を出させてご覧にいれましょう」
清久の言い分に、秀吉が感心した様子で頷いた。
これまでの豊臣家は、秀次を後継者に見据えた運営が行われてきた。
だが、秀次が腹を切った以上、次の天下人は拾ということになり、拾が元服するまでの間、他の大名たちに拾の天下を支えさせる必要がある。
そのためには、大名を統制する仕組みを作り直し、大名たちにはさらなる忠誠を誓わせる必要がある。
大名の筆頭である徳川と、わずか数年で有力大名にまでのし上がった木村が、先陣を切って豊臣に忠誠を誓う姿勢を示せば、他の大名たちも御しやすくなるだろう。
そのための協力を惜しまぬ代わりに、駒姫との婚姻を認めて欲しい。
清久は、きっとそう言っているのだろう。
腕組みを解くと、秀吉は目を開いた。
「…………最上は当家に臣従したのも遅く、伊達と同じく腹の底の見えぬ奴じゃ。
その最上を取り込み、奥州を──ひいては天下を安定させられるのであれば、最上と木村との婚儀もそう悪いものではないやもしれぬな」
「殿下……!」
「木村吉清の嫡男と最上の娘の婚姻を認めよう」
「ありがとうございます!!!!」
清久が感激のあまり頭を床に擦りつけた。
助命をすっ飛ばして婚姻の承諾が貰えたことに違和感を感じつつ、ひとまず目的を達成できたとして、三人は帰路につくのだった。
吉清たちが去ると、三成が尋ねた。
「殿下、よろしかったのですか?」
「何がじゃ?」
「駒姫は関白殿下の側室にて、処断する者の中に名のあった者にございます」
「…………そういえばそうであったな」
勢いに押され、なし崩し的に助命までみとめてしまった。
秀次の妻子をことごとく処断するとは言ったが、助命の前例がないわけではない。
家康の娘である振姫も、条件付きではあるが助命してやったのだ。
「……秀次と床を共にしていないどころか、顔も見ていない。たしか、そう言っておったな?」
三成が頷いた。
「であれば、特別じゃ。許してやらんこともない」
「はっ」
無用な犠牲者が増えずに済んだことに、三成は胸を撫で下ろすのだった。




