酒場の開店
商店から少し離れた場所に建てられた新しい宿屋。
宿泊室の増加を意識して作っているために宿屋一号店よりも階数の多い五階建て。
そんな宿屋二号店の一階では、見事な酒場が出来上がっていた。
「やっときおったか!」
入室するなり、いきなりローグの大声で出迎えられる。
酒場にはたくさんのテーブルやイスが並べられており、夕方前であるというのに多くの領民で埋め尽くされていた。
こんな時間からこんなに人数が集まってしまう領地にいささか不安を覚えないでもなかったが、普段は皆とても働いてくれているので何も言えないな。
皆、席に座ってはいるようであるが、まだ酒杯を手にはしていない。
やはり、予想通り領主である俺待ちだったようだ。
『いらっしゃい』
カウンターでは白のワイシャツに黒のベストを羽織っているグラブがいた。
通常ならば胸元にネクタイを巻くところであるが、敢えて胸元は開けて素肌を露出させている。単に息苦しいネクタイを嫌っただけかもしれないが、落ち着いた風貌もあってか実に似合っていた。
「ごめん、待たせちゃって」
『気にしないでくれ。多くの者たちに押しかけられて少し早く開けてしまったのだ』
「早く席につかんか! 領主様がおらんと乾杯ができんからのぉ!」
「わかった。それじゃあ、早く席につこう」
「あそこのテーブルが空いてるよ!」
ベルデナの指さした真ん中のテーブルが空いているので、そこに俺たちは腰かけることにする。
領主である俺が到着したからか、カウンターにはどんどん酒杯が並べられる。
グラブがエールを注いでいくと、給仕の者がトレーに乗せて配っていく。
待ちきれないローグやギレムといった一部の領民たちが自ら取りにいっていた。
ひとまずはエールで乾杯というところだろう。
気取ったお酒を呑むのもいいが、まずは乾杯が先だな。
大人しく待っていると俺たちのテーブルにも酒杯が届けられる。
「そういえば、ベルデナはお酒を飲んだことがあるのか?」
「ない! でも、これだけ皆楽しみにしてるってことは美味しいんでしょ?」
おっと、これは少し心配な言葉が出てきた。
「ベルデナって何歳なんだ?」
「ええ? うーん、数えたこともないしわかんないや」
ますます心配になったが見た目から想像すると十五歳くらいだろう。
とりあえず、お酒を呑める年齢的にはセーフそうな気がする。
まあ、普通の人間とは違って巨人族で身体も丈夫みたいだし、少し呑んでダメになるようなことはないだろう。
『それでは領主であるノクトに乾杯の挨拶を頼もうか』
などとポジティブに考えていると、酒杯を手にしたグラブにそのように頼まれた。
ええ? こういうのはマスターである彼が言うべきではないだろうか。そんな疑問が頭をよぎったが、既にバトンを渡されたので断るわけにもいかない。
早く酒を呑ませろという血走った領民の目が突き刺さる。
「ありきたりで悪いけど、酒場の開店を祝って乾杯!」
「「乾杯!」」
乾杯の言葉を述べると、皆が酒杯をぶつけ合って唱和した。
俺も同じようにリオネやベルデナ、ジュノ、セトと酒杯をぶつけ合わせ、早速とばかりにあおる。
ラガーに比べると大味だが、苦みとまろやかさがちょうどいい。
前世のものに比べると複雑な味や洗練さもないが、意外とこの世界のエールも好きだな。
「ぷはぁっ! 美味しい!」
「久しぶりに呑むと美味えな!」
「くう!」
リオネ、ジュノ、セトが恍惚とした表情で言う。
「なにこれ、美味しくないぃぃっ!」
一方、初めてエールを口にしたベルデナは悶絶していた。
「あはは、まあ初めてだししょうがないね。これもアイスティーと一緒で慣れだから」
「うえええ……」
ベルデナの子供のような反応に俺たちは笑う。
最初は俺も同じような感想だったな。大人はどうしてこんなものを好んで呑めるのか不思議だった。
でも、自分が大人になって何度か呑んでみると、段々その良さがわかってくるんだよな。
「無理なら俺が呑んであげようか?」
「……もうちょっとだけ呑んでみる」
そのように提案してみると、ベルデナはチビチビと酒杯に口をつけ始めた。
どうやら早くエールの美味しさを理解したいらしい。
そんなベルデナの努力を俺たちは微笑ましく眺めるのであった。
◆
お酒を呑んでいると、ついお腹に合う食べ物が欲しくなるもの。
酒場に詰めかけた領民たちは各々が適当な料理を注文していた。
俺たちも同様でテーブルの上には焼きソーセージやローストポーク、マッシュポテト、ミネストローネと様々な料理が並んでいた。
「普通に料理も美味しいね」
ローストポークは味がしっかりとしており、中はしっとりとしている。
甘酸っぱいハニーマスタードソースとの相性も抜群で非常にエールとの相性もいい。
手間を加え、火入れもしっかりしている証拠だろうな。
これだけの料理を平然と作り上げることができると、人間で暮らしていた時間も相当なのだろうな。
隣に座っているベルデナもグラブの料理を気に入ったのか、すごい勢いで食べている。
結局、酒で楽しむことはできなかったが、食事で楽しんでいるようで何よりだ。
「本当ですよね! そこら辺のお店なんか目じゃないくらいの味です!」
「安っぽい店なんかに入ると、スープに野菜のヘタしか入っていないし、肉なんて切れ端程度だもん
な」
「それに比べてここは野菜もたくさん入ってるし、肉も大きいから最高だよ。そこら辺の街にある食堂や居酒屋なんかよりも豪華だ」
ジュノとセトもそのような感想を言いながら、もりもりと料理を食べている。
うちの領地では移住者に拡大での食料の保障をしているからな。
どの家も食料で困るようなことはない。このように食堂や酒場でも食材は豊富にあるので、値段を気にしてケチる必要はまったくないのだ。
だから、値段の割にとてもボリューミーになるのである。
「何気なくこうやって色々な野菜を食べているけど、これもすごいことよね。トマトやナスなんて普通今の季節じゃ食べられないもの」
ミネストローネをスプーン一杯にすくいながら眺めるリオネ。
「それもそうだな」
「この領地にやってきてすっかりそのことに忘れていたよ。もう、今さら他の領地になんていけないね」
などと上機嫌に笑うリオネたち。
お酒も入っていることもあってかいつになく楽しそうだ。
王都の魔法軍を抜けてやってきて生活に不満がないかと不安だったが、この様子を見る限り大丈夫そうだな。
「おー! もうやってやがるぜ!」
そんな風に安心しているとグレッグをはじめとする自警団メンバーが酒場に入ってきた。
どうやら自警団の訓練を終えて、そのままなだれ込んできたらしい。
まばらに空いていたテーブルが一気に埋め尽くされた。
騒がしかった酒場内が四割増しくらいで賑やかになった気がする。
給仕の人が忙しく駆け回り、料理やお酒をテーブルに置いていく。
「開店初日からほぼ満員だなんていい滑り出しだね」
『ああ、想像以上の来客で驚いている。それと酒の消費が凄まじい』
奥の厨房でフライパンを手にしながら食材を炒めるグラブ。
会話をしながらその手がよどむことはない。
「今まで酒を呑む場所なんてなかったからその反動かな。それにうちには酒豪が二人いるし……」
チラリと視線を向けると、テーブルの上にドンドンと空になった酒杯を重ねていくローグとギレムの姿が。
「姉ちゃん、お代わりじゃ!」
「こっちもじゃ! それぞれ三杯ずつ頼む!」
先ほどからしきりにお代わりの要求をしている。
お陰で給仕の人たちもてんてこ舞いといったところだろうか。
「グラブさん、この酒樽でエールは最後です」
『むむ、そうか』
給仕からの悲壮な報告を受けてグラブが思わず唸る。
「……大丈夫かい? よかったら商店に行ってこようか?」
せっかくの開店日に酒を切らしてしまうとシラケるものだ。
『いや、その心配は無用だ』
グラブが首を横に振ると、またしても扉が開く。
「……酒を持ってきたぞ」
そこには酒樽を二つ抱えたルノールと、一個ずつ抱えた商会の従業員たちがいた。
「こうなることを予期していたんだね」
『本当はもう少し余裕を持たせるつもりだったがな。また追加で頼まないといけなさそうだ』
どうやらお酒の心配はいらなかったようだ。
最悪、俺が拡大スキルでお酒を増やして、場を繋ごうと思ったがそれすら必要もなかった。
あまりこういうところでスキルを使いたくなかったので助かる。
一つの酒を拡大し続けると、酒を仕入れるラエルの商会が大損になるからな。
こういうところであまり横やりは入れたくなかったので良かった。
忙しいグラブに声をかけ続けるのも悪いので、俺は自分のテーブルに戻る。
そして、酒杯をあおり美味しい料理を食べる。
今世でこれほど気楽に酒を呑んだのは初めてだな。
この身体ではあまり呑み慣れていないせいか酔いが早いな。
少し思考がフワフワとしている気がするが、それが何とも懐かしく心地よい。
幸福感に浸っていると、隣に座っているベルデナがにっこりと笑う。
「食堂とは違った雰囲気だけど、なんか楽しいね」
「ああ、皆でこうやってお酒を呑んで、料理を食べるのは楽しいものだよ」
「ところで、メアがきてないけどそれは大丈夫なの?」
「…………ベルデナ、そういうことに気付いたら早く教えてくれ。急いで呼んでくる」
ベルデナの台詞ですっかり酔いがさめた俺は、慌てて酒場を飛び出した。




