ナデル
「これがベルデナの言っていた木の実か」
洞窟から出てすぐ傍にある平地では、ベルデナの言っていた通りの木の実が生っていた。
少し背の低い木の枝にブドウの粒のような丸い紫の実がたくさん付いている。
そのような木々が一面に並んでいた。
「これこれ! これが食べたかったんだよね!」
ベルデナはご機嫌な様子で木に近付くと、粒をむしって口の中に入れた。
「うーん! 甘くて美味しい! いつもは小さくて物足りなかったけど、今なら存分に味わえるよ!」
恍惚の表情を浮かべながら、二つ目、三つ目と口に運んでいくベルデナ。
相当好きなようで食べるペースが早い。
「では、俺たちも食べてみますか」
「そうだね」
ベルデナが美味しそうに食べている姿をみると、こちらも食べたくなってしまった。
未知の食べ物ではあるがベルデナが長年食べ続けていることや、今も平気で食べている様子から毒ではないだろう。
グレッグと俺は生っている粒を直接手で取り、拭ってから口の中に放り込む。
「「甘いっ!」」
俺とグレッグの口から同じ感想が漏れた。
最初に感じたのは強い甘味だった。
皮の中には柔らかい果肉が詰まっており、噛むとフルーティーな甘みが広がるのだ。
味はブドウに似ているが、こちらの方が断然深い味をしている。
「こいつは中々いけますね!」
「ああ、そのまま食べてもいけるし、ジャムやワインなんかもできそうだ」
見た目や味もブドウに似ているので、同じように加工ができるだろう。
他では食べられない味だし、上手く加工できれば特産品になりそうだな。
種も入っているみたいだから、これを持ち帰って俺とメアのスキルで育てられないか試してみよう。
「なになに? これを使った他の料理もできるの?」
「まだ、わからないけど、できる可能性は高いと思うよ」
「それは楽しみだね! メアに作ってもらいたいな」
などと呑気に言っているベルデナの傍の木では、実が食い尽くされていて普通の木と同じようになっていた。
「って、ベルデナ! そんなに食べたらなくなっちゃうよ!?」
まだまだたくさん木々があるとはいえ、今のペースで食べてしまえばあっという間に枯渇する。
スキルで育てられなかった場合を考えて、サンプルはきちんと残しておきたい。
「ああ、大丈夫! これ、またすぐに生えてくるから!」
「……そうなの?」
「うん!」
ベルデナはそう言うと、また新しい木に生っている実を食べる。
まあ、ここにずっと住んでいたベルデナが言うのであれば間違いないだろう。
巨人だった頃も同様に食べていたことから、かなり成長スピードが早いらしい。
これは嬉しい情報だ。仮にスキルによる栽培ができなくても、これなら繰り返して収穫が期待できそうだ。
「にしても、これだけ美味しい木の実があるってのに動物や魔物が寄り付いている形跡がないですね」
「そうだね」
野菜や果物なんかを育てていると、それを狙って動物がやってくるもの。
人里ならともかく、動物たちの多く生息する山の頂上だというのに、それらしい形跡はほとんどなかった。
「ここは私の縄張りだしね! 動物とか魔物とかきたら追い払ってたから!」
誇らしげに胸を張って答えるベルデナ。
それもそうか。ここにはドラゴンすら倒してしまう巨人がいたのだ。
いくら美味しい木の実があろうとも、そんな相手がいれば魔物たちだって命が惜しいだろうな。
「とりあえず、領民たちの分も採っておこうか」
「そうですね。俺たちだけいい思いをすれば、他の奴等が文句を言いますから」
たとえ、全員の分を持ってかえることができなくても、俺が拡大をすれば十分な量になる。
とはいえ、大きくし過ぎても切り分けるのが大変なので、ある程度の数は欲しいところだ。
これならメアもきっと喜んでくれるだろうな。
最近はベルデナに構い過ぎているせいか、ちょっと不満げな様子だったし。
「そういや、ノクト様。この木の実の名前はどうします?」
「そうだね。決めておいた方がよさそうだね」
呼称もなしにいちいち木の実と呼ぶのも変だし紛らわしい。何か名前をつけてあげた方がいいだろう。
しかし、これは俺が最初に見つけたものではなく、ベルデナが見つけたもの。俺が名前をつけるよりベルデナが付けるべきだろう。
「……ベルデナが決めていいよ」
「ええっ、私!?」
「だって、この木の実はベルデナが最初に見つけたし、ずっと世話していたじゃないか。ベルデナが名付けるのが一番いいよ」
「そんなこと急に言われても困るよ。な、なんて名前にしたらいいんだろう?」
恥ずかしがりつつも意外とノリノリだ。どんな名前を付けようか考えてくれているらしい。
「こういうのは第一発見者の名前が付きやすいって聞くな。もう、そのままベルデナとかどうだ?」
「私の名前なのか木の実なのかわからなくなるじゃん! それになんか恥ずかしいからヤダ!」
確かに自分の名前が連呼されれば気になるし、自分で自分を呼んでいるみたいで微妙な気持ちになるな。
じゃあ、どのような名前がいいのだろうな? 少なくても長い名前じゃない覚えやすいものがいいな。
「……ナデルとかどう?」
なんて考えていると、ベルデナがモジモジとしながら小さめの声で言う。
その名前がどこから出てきたかはすぐにわかるものだった。でも、だからこそ覚えやすい。
「いいと思うぜ?」
「うん、俺もそう思う。じゃあ、この木の実はナデルってことで!」
「うん!」
こうしてこの木の実はナデルと名付けられることになった。
■
「それじゃあ、グレッグ。ナデルを皆に配っておいてね」
「わかりました! 任せてください!」
山から領地に戻ってきた俺は、拡大させたナデルをグレッグに渡した。
これで領民もナデルを食べることができるだろう。
ナデルの分配をグレッグに任せた俺とベルデナは屋敷へと戻る。
「お帰りなさいませ、ベルデナさん、ノクト様」
「うん、やっぱりこっちの方がいいね! 家っぽいし、メアもいるし!」
「はい?」
屋敷に戻ってくるなりベルデナが満足げに言い、訳を知らないメアは小首を傾げた。
洞窟に帰っても一人だろうけど、ここには俺やメアがいるからな。
ベルデナがそう言うのもわかる気がした。
「ノクト様、ベルデナさんの実力はどうでした?」
「シルバームーン二体をあっという間に討伐しちゃったよ。もう、俺たちが心配するのもバカらしいほどだった」
「まあ、それほどの実力が……」
シルバームーンのことや住み家にあった数々の魔物の素材の話をすると、メアはかなり驚いていた。
無理もない、巨人族がそこまでの実力を持っているなんて知らなかったしな。
「あっ、これはお土産。ナデルっていう美味しい木の実なんだ」
「見た事のない木の実ですけど甘い香りがしますね。食後のデザートにでも食べましょうか」
「わーい! メアが料理してくれるの楽しみー!」
「……ちょっと待ってください、ベルデナさん」
メアの隣を通り過ぎてはしゃぐベルデナを引き留める。
メアはベルデナに近付くと、スンスンと鼻を鳴らして、
「ベルデナさん、お風呂に入りましょう」
「ええ、もう?」
「もうっていうことは、前に入った時から一度も入っていませんね? ダメですよ、女の子なんですから身嗜みには気を遣わないと」
今日は山を登ってたくさん汗をかいてしまった。
ベルデナで汗の匂いを感じるなら俺も同様かもしれない。
『ノクト様、汗臭いです。お風呂に入ってください』
……なんて風にメアに言われたらショックを受ける自信がある。
「よし、それじゃあ夕食の前にお風呂にしよう!」
俺はメアに言われることは避けたかったために自分から提案することにした。
「えー、早くご飯食べたいのにー……えっ!? 嘘っ!? やっぱ、今すぐ入る!」
食欲が勝っていたベルデナは不満そうにしていたが、メアが何かを耳打ちすると途端に素直になった。
ははん、さてはメアに脅されたんだな。我が家の食卓は基本的にメアが預かっているからな。美味しい料理を食べたければ素直に従うしかないのである。
そんなこんなで夕食前にお風呂に入ることが決まったので俺は桶を二つ用意することにした。
そこにお湯を入れて拡大すれば、立派な人の入れる桶風呂の完成だ。
屋敷にある広い浴場にお湯を入れて拡大しまくるのもいいが、スキルの負担が多いし、後々の掃除も面倒だからな。
この桶風呂であればどこでも入れるし、縮小をかけて残り湯を捨て、小さな桶を洗うだけで済む。非常に楽なのだ。
「ベルデナ、お風呂の用意ができたぞ!」
「わかった! 今行く!」
「いや、ちょっと待って! 俺が風呂場から出てから――」
などと声を上げるも、ベルデナは聞く耳を持たず裸になって入ってくる。
ベルデナの大きな胸が揺れ、丸みを帯びた美しいシルエットが見えた。
俺も男故に視線を奪われるが、山育ちで常識といったものが欠如していた彼女の裸を見るのは何となく卑怯な気がして視線を逸らした。
「じゃあ、俺は出ていくから!」
「ええ? ノクトも一緒に入ろうよ?」
じゃあ、一緒に入ろうか! なんて言えたらどれだけ幸せなことだろうか。
「……ベルデナ、女の子は慎みを持たないとダメなんだよ?」
「慎み?」
「まあ、詳しいことはメアに聞いてね! それじゃ!」
ベルデナがきょとんとしている隙をついて、俺は浴場から脱出した。
ベルデナは山での生活が長かったせいか、男女の倫理観について疎いというか無防備だな。
早めにメアに教えておくように言わないと。
なんて考えながら着替えやタオルを用意した俺は中庭に移動する。
「今日はここでお風呂に入るか。星を眺めながら露店風呂気分っていうのも悪くない」
今の季節は春だ。夜になると少し肌寒く感じる程度なので問題ない。
桶を拡大して桶風呂にすると、俺は軽くかけ湯をしてお湯に入る。
「はぁー、気持ちいい」
温かいお湯に全身が包まれる。山登りで疲弊した筋肉がほぐされていくようだった。
気分は旅館の檜風呂にでも入っているかのよう。それか目玉の妖怪か。
桶の縁に頭を乗せると、すっかりと暗くなった空が見える。
そこにはたくさんの煌めく星々があった。
前世と違って今の住んでいる場所は田舎だし電力もないので、驚くほどに星が見えるのだ。
「……明日も頑張ろう」
綺麗な星空を見上げながら、ゆっくりと疲れた身体を癒すのであった。




