巨大な影
乾杯の一口で喉を潤すと、領民たちが早速とばかりに料理に手をつけた。
「みろっ! たった一つの肉で皿が満杯になっちまったぞ!」
「こんな大きな肉を食べられるなんて夢のようだ」
グレッグやガルムをはじめとする男性たちは、皿をはみ出してしまいそうな肉に大興奮だ。
「美味いっ!」
「……幸せだ」
そして、シカ肉のローストを食べて歓喜の声を上げるグレッグと、幸せそうな表情で呟くガルム。
肉だけでなく幸せまで噛みしめているかのような表情だ。
「ギレム、そっちは火が通ったか?」
「ああ、いい感じじゃ。そろそろ回すかの」
ローグとギレムの方は拡大されたシカのモモ肉をじっくりと火で炙っていた。
こんがりと焼き目のついたモモ肉がとても美味しそうだ。
しかし、大きさが大きさだけにしっかりと火が通るには時間がかかりそうだ。
ウサギの串肉とエールを手にしながら、じっくりと肉を見守るのも中々良さそうだな。
「これ食べたい!」
「ちょっと切るから待ってて」
ククルアがせがみ、オリビアがナイフを手に取って肉を切り分ける。
「えー? せっかく大きいお肉なのに切っちゃうの?」
「そうしないとすぐにお腹いっぱいになって、たくさんのお肉が食べられないわよ?」
「あっ! それはダメ! 切って!」
なんとも微笑ましい光景だろうか。見ているこちらも微笑ましくなってくる。
リュゼは黙々とホロホロ鳥のソース野菜炒めを食べ、他の女性たちも和やかに会話をしながら料理を口にしている。
ちょっとした息抜き程度にやった催しであるが、やってみて良かったと心から思えるな。
「ノクト様もどうぞ」
「ありがとう、メア」
領民たちの様子を眺めて感傷に浸っていると、メアが料理を持ってきてくれた。
お皿にはシカのロースト、ウサギの塩焼き、ホロホロ鳥のソース野菜炒めといった様々な料理が入っているが、それ以上に葉野菜が多かった。
というか、三対七くらいで野菜の方が圧倒的に多い。
「……メア、もうちょっとお肉を入れてくれてもいいんだよ?」
「肉ばかりじゃ身体によくありません。これもノクト様のためですから」
あくまで主人を気遣うメイドといったスタンスを崩さないメア。
今日くらい肉ばかりでもいいのではないかと思ったが、それをズルズルとやってしまうのが俺の悪い癖だ。
心配してもらえることは嬉しいことなので、ここは素直に受け入れておこう。
俺は皿に盛りつけられているシカのローストを口にする。
野性味のある肉の味が口の中で広がり、濃厚なソースと見事にマッチしている。
食感もとても柔らかく、練り込まれたハーブ、調味料がしっかりと仕事をしていた。
「このロースト美味しいな。臭みもほとんどないし柔らかい」
「ありがとうございます。そのローストは自信作なんです」
思わず感想を口にすると、メアが嬉しそうにそう言った。
どうやらこのローストはメアが作ってくれたみたいだ。
「さすがだな」
「屋敷では仕込みをお手伝いすることもありましたから」
本来ならばメイドが食材の仕込みをすることはないが、うちは貧乏貴族。
料理人こそいたが、何人も雇うような金銭的余裕がなかったので仕方のないことだ。
しかし、こうして毎日メアの美味しい料理が食べられているので、良かったと言えるだろう。
シカのローストを食べると、今度はあっさりとしたウサギの塩焼きを食べる。
この淡白な肉の旨味と塩が抜群だ。
ウサギの肉は他の肉に比べてあっさりとしているので、とても食べやすい。
そうやって野菜と一緒に肉を食べ進めていると、メアがずっと傍にいることに気付いた。
「メアも食べてきていいんだよ?」
「私はノクト様のメイドですからお世話をいたします」
メイドの鏡であるが、それでは息抜きになっていない気がする。
「ありがたいけど、今日くらいは気を休ませないと。それに新しい領民との交流も大事だよ?」
「わかりました。では、私も楽しませてもらいますね」
俺がそう言うと、メアはオリビアたちのいる女性陣のところに混ざった。
唯一残ってくれたメアにも、ちゃんとした新しい居場所を作ってやりたいしな。
とはいえ、積極的に働いて領民から頼りにされている今のメアには、そのような気遣いは不必要かもしれないがな。
「領主様、いいモモ肉が焼けましたよ!」
「一緒にどうじゃ?」
メアを見守っていると、グレッグやローグたちに呼ばれた。
どうやら拡大したシカのモモ肉が遂に焼き上がったらしい。
「おお、美味しそうだね! 俺にも食べさせてよ!」
香ばしい匂いに釣られて、俺はすぐに駆け寄るのであった。
◆
「大森林の近くにある辺境の地。最初はどうなることかと思いましたけど、行ってみれば住み家は貰えるし、食料もくれる、畑もくれるしで居心地がいいなぁ!」
「まったくです。大きな街のように防壁もありますし、ここの人たちは獣人を差別しないのでとてもいい場所です! 前の暮らしよりも断然いいですよ!」
「おうよ! それにノクト様も優しいしな!」
宴が進むにつれて領民たちの食は落ち着き、代わりにお酒が進んで語らいへと移行していた。
キャンプファイヤーの前でお酒が入って舌足らずのグレッグと、ガルムが仲良く肩を組んで喋っていた。
「あらあら、あの人ってば楽しそうにしちゃって」
そんな光景を妻であるオリビアが微笑ましく見守っている。
ガルムは獣人にしては穏やかな性格だ。
そんな彼が人間であるグレッグと仲良く語らっている姿を見るのは、単純に嬉しいのだろう。
その後に続く会話はろれつが回っていないせいでほとんどわからないが、領地を気に入ってくれている言葉だというのは最初の流れでわかった。
「領主様も嬉しそうにしておるの」
二人を眺めているとローグとギレムが杯と肉のつまみを持って傍に腰を下ろした。
ギレムが無言で杯を渡してくるので、苦笑しながらそれを受け取って飲む。
「皆には新しい生活をしてもらうことになったからね。今の生活が前よりもいいと言われてちょっとホッとしたんだ」
皆にも前の生活環境があったはずだ。それぞれの理由はあったにせよ、それを捨ててこちらにやってきてくれたのだ。
俺の領地にやってきて後悔だけはしてほしくなかった。
「ノクト様が懸念しているようなことは誰も抱いていないと思いますよ。少なくとも私たちの家族たちは前よりも断然いい暮らしをしていますから、ここにやってきて本当によかったです」
「ワシらもじゃ。依頼人に手を出してしまってからは、どこも雇ってくれなくなっての。こんな風にのびのびと楽しくやれる場所は中々ないわい」
「偉そうな貴族の関係者もいないしのぉ」
オリビア、ローグ、ギレムが紛れもない本音を述べてくれる。
屈託のない笑みでここにやってきて本当によかったと言ってくれる彼等に、俺は少し救われた気がした。
そして、そう思ってもらえることができているのだと自信になった。
「ありがとう。そう言ってもらえて嬉しいよ。だけど、俺の領地は魔物への備えも不十分だし、商店や食堂、娯楽だってロクにない。もっと人を呼んで、どんどん生活を向上させていかないと……」
こうやって羅列していくと、俺の領地はまだまだ足りないものだらけだ。そして、それだけ皆に負担をかけているということになる。
一刻も早くなんとかして、皆の生活をもっと快適なものにしないと。
なんて考え込んでいると、オリビアたちがクスクスと笑う。
「ノクト様はいつも私たちのことを考えてくださるんですね」
「嬉しいことじゃが、もうちょっと気楽でええんじゃぞ?」
「まあ、それがお前さんらしいとも言えるがの」
しまった、こんな時なのについ真面目に考え込んでしまった。
今は忙しい生活の一種の息抜き。俺がこんなんじゃ皆も楽しめないしな。
「ごめんごめん、もう一度乾杯でもして飲み直そうか」
「おお、いいの! オリビアも一緒にどうじゃ?」
「いいですね、是非お願いします」
空気を変えるべく提案すると、ローグだけでなくオリビアも乗ってくれた。
オリビアが杯を取ってきて、ギレムが酒を注ごうとすると悲鳴のような声が上がった。
「う、うわああっ! なんだお前はっ!」
尻餅を突いたグレッグの視線の先にはキャンプファイヤーの炎に照らされた巨大な女の子がいた。




